2022/10/05 - 2022/10/05
28位(同エリア622件中)
nomo1215さん
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【明治貴族が描いた未来】日本遺産の、このストーリーに沿って・・
構築文化財を全て訪問してみよう!と、決めた2022年!
先ずは、農場経営を支えた華族の別邸を訪問。
次は、
その農場跡・・
矢板から那須塩原・塩原温泉郷・・
そして、別の日には・・奥州街道を走り那須へ・・
明治期に夢を描いた、華族たちの足跡を追いかけました。
車移動のため、気になる場所があったら「寄り道」
県北への移動は高速を使う事が多いのですが、のんびり奥州街道を走ったら
こんな所があったんだ~・・と、新しい発見もありました。
明治期から、途切れることなく続いた開拓の歴史が作り上げた 日本最大の扇状地「那須野が原」
ヨーロッパ貴族に憧れた、明治の華族達の存在があったから実現した西洋式大規模農法。
また、その開拓に欠かせない「水」そして、「交通網」
日本三大疎水の一つ、「那須疎水」開削に尽力した郷土の偉人・・
「那須野が原」に夢を描いた男たちの開拓ロマン!
駆け足で回ってきました・・。
※暑い夏が来る前の訪問の記録です
歴史的に、個人に焦点を当てると 多々の黒歴史(と、考えられる事)も存在する時代だったはず・・私は、「開拓」の歴史だけを追ってみたいと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
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-
【矢板武記念館】矢板武旧宅 入館料150円也
「那須疎水の開削」に尽力した栃木県矢板市出身の実業家。
那須野が原の開拓をはじめ、国道4号線・東北本線の開設(宇都宮~黒磯間)、下野銀行の設立など地域社会の発展に尽くした矢板武の生家。 -
【矢板武記念館】
那須野が原開拓の為、明治の政財界(山縣有朋・松方正義・勝海舟・渋沢栄一など)の重鎮が絶えずこの家を訪れ、活発な論議や相談が行われていたそうです。 -
【矢板武記念館】
正面には、勝海舟の書『聚塵亭』が掛けられています。
『聚塵亭』←塵まみれになって働く人達が集まる屋敷との釈文がありました。 -
【矢板武記念館】
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【矢板武記念館】
歴代の矢板家当主と奥様の写真が飾られている奥座敷。
はめ込み式の仏壇に驚きです!! -
【矢板武記念館】
明治政府が誕生すると、各地で鐡道敷設計画が進みます。政府の考える敷設案では、矢板及び西那須を通らない想定でした。
開拓の為の需要な交通網、武は「矢板~那須野が原」を通るルートで鐡道誘致運動を展開。
結果、これが採用され 現在の「上野~黒磯」東北本線が開通する事になります。
※これも、開拓に係わった政財界の重鎮達の後押しがあった事と想像できました。 -
【矢板武記念館】矢板武の活動
「保晃会の活動」
幕末に勃発した戊辰の戦火は徳川霊廟のある日光の地にも迫ります。
幸い戦場にはならなかったものの・・日光の社寺は荒廃の一途を辿ります。
当時県会議員だった武は発起人と「保晃会」を設立、大正5年に解散するまで社寺の修理などの活動を続けたそうです。 -
【矢板武記念館】矢板武の活動
瀧澤喜平治(さくら市)・久保三八郎(真岡市)の二人と銀行設立に乗り出します。当時県内の銀行は県南部に偏っており、県北部の有力者が株主となり、
明治24年下野銀行が開業。明治31年、武は頭取に就任します。 -
【矢板武記念館】土蔵
こちら記念館敷地にある土蔵。平成25年度に東蔵(写真右側の土蔵)を改修し、
現在は、イベントスペースとして市民に貸出しています。 -
【矢板武記念館】
郷土の生んだ偉人 矢板武・・
こんなにたくさんの偉業を成し遂げた人だったとは・・
実は、ここに来るまでこんな偉業があったとは・・知りませんでした(/ω\) -
矢板から、車移動約40分
【旧塩原御用邸新御座所】天皇の間記念公園
到着!
塩原温泉郷、福渡温泉近くで箒川(ほうきがわ)が大きく蛇行している場所「塩原渓谷遊歩道入り口」側。 -
【旧塩原御用邸新御座所】天皇の間記念公園
栃木県第3代県令三島通庸(1835~1888)が、塩原温泉郷に建築した別邸を、明治36年(1903)に三島家から、皇室に献上された建物です。 -
【旧塩原御用邸新御座所】天皇の間記念公園
入館料 200円也
所要時間約30分程度 -
【旧塩原御用邸新御座所】天皇の間記念公園
明治、大正、昭和の三代にわたり、多くの皇族の方々が避暑地として訪れ、利用された「塩原御用邸」の「天皇の御座所」のみを 昭和56年に現在の場所に移築。
※それ以外の建物は、戦後 香淳皇后より「視力障害者の保護の為使用してほしい」との希望で、厚生省へ移管され、現在は「国立塩原視力センター」として、視力障害者の社会復帰施設となっています。
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【旧塩原御用邸新御座所】天皇の間記念公園
当時を偲ばせる多くの参考品の展示! -
【旧塩原御用邸新御座所】天皇の間記念公園
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【旧塩原御用邸新御座所】天皇の間記念公園
皇室に別邸を献上した「三島通庸」って・・? -
【旧塩原御用邸新御座所】天皇の間記念公園
三島通庸は、開拓のための土地を 政府から貸下げを受け、出身地の鹿児島士族ら18人と法人を設立。
那須野が原の開拓の先駆け、「三島農場」を作った人物。 -
【旧塩原御用邸新御座所】天皇の間記念公園
また、反対派を押し切り強行に土木工事を進めるため「土木県令」や「鬼県令」の異名で呼ばれていますが、積極的に西洋技術を導入し、赴任した先では、建築や土木事業で大きな功績を残します。 -
【旧塩原御用邸新御座所】天皇の間記念公園
半ば、強引な手法を取る事から、住民とのトラブルも絶えず、政敵との闘争も激しいものがあったそうです。しかし、この三島通庸が計画したインフラ整備こそが、開拓(地域経済活動)を活発化させた・・と、私は思っています。 -
土砂降りの雨が降り出しました・・。
車を停めて、【源三窟】へ寄り道
まだ、子供が小学生の頃に連れて行った懐かしい場所
ちょいと覗いてみましょう・・ -
【源三窟】入館料・・600円也
ここは、頼朝に追われた源氏の落人が、隠れ住んでいた「源氏の隠れ岩屋」
「史跡鍾乳洞」として、塩原温泉観光の際に立ち寄る定番スポット -
【源三窟】
この洞窟に隠れ住んでいたのは、源有綱。
壇ノ浦の戦い後、源頼朝軍に義経の一族として追われ、大和国(奈良県)方面より塩原へ逃げこんできたと伝えられています。
塩原地内をさまよっていたところを地元の城主に捕らえられ、この洞窟内で落人の生活に入りました。
再起を計ろうとしましたが、洞窟内に流れる滝水で米をとぎ、そのとぎ汁が洞窟の外へ流れ出たことにより 頼朝軍に発見され、無念の最期を遂げたと伝えられています。 -
【源三窟】
-
【源三窟】
この洞窟内で発見された鎧兜を含め、150点の武具が展示されている併設の武具資料館。
那須野が原の開拓に力を入れた華族達の写真も展示されていました。
開拓の一環で、計画・整備された塩原街道(国道400号)は、塩原温泉の湯時客の移動が活性化し、塩原温泉の名声を大いに高める事となりました。 -
【源三窟】
・・『一流の剣士である前に、一流の人であれ』・・
私事ですが、大昔 嫌がる小さな息子達を引きずるようにして通った剣道の道場
その息子達が、今は地域の子供達に剣道を指導している・・
その道場にも、この言葉があったなぁ~・・と、妙に胸に刺さりました。 -
雨も上がました。
せっかく、塩原温泉に来たので・・「足湯に浸かりたい!」と申す、
「空ちゃん」の世話係!
勝手に浸かってれば・・と、私は空と付近の散歩を致します。 -
塩原温泉【湯っ歩の里】 入館料200円也
塩原温泉の中心に位置し、敷地内から湧出する豊富な温泉で様々な癒しを体験できる施設です。 -
【湯っ歩の里】滝湯
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【湯っ歩の里】
全長60mの日本最大級の足湯
回遊型の温泉庭園では、古木や花木の鑑賞が出来る様になっています。 -
【湯っ歩の里】
いや~、懐かしい「トテ馬車」←これは動きません
塩原温泉の顔と言ったら「トテ馬車」パカパカと音を立てて、温泉街を回った半世紀前を思い出しました。 -
【塩原もの語り館】入館料300円也
塩原への交通網の整備が急速に進み、明治・大正と塩原に訪れたのは、政府の高官・軍人などの比校的上流階級の人達だったと言われています。
その来訪者の中には、当時一流と言われる文人たちも多く・・
ここは、一流と言われる文人たちの書いた文学作品の裏側(裏話)、
そして、その文人と塩原の繋がりを紹介しています。 -
塩原温泉所縁の作品といえば、名所旧跡を始め、食事の内容までこと細かに書き留め、後に『塩原紀行』を発表した「尾崎紅葉」
金色夜叉の間貫一は、塩原温泉の清琴楼に宿泊していたとか・・
恋愛逃避行で塩原を訪れ、作品を残した「国木田独歩」
イギリス留学中に旅したスコットランドの情景と塩原の景観を重ね綴った作品を書き上げた「夏目漱石」
塩原を愛し、ここに度々滞在した「与謝野鉄幹」「与謝野晶子」夫妻
塩原は、文人たちの読んだ歌碑が沢山残っている「文学の里」でもあったのです。
そして、ここ・・七つ岩
この日は、だ~~れもいなかったけど、紅葉の時期は激混みの場所!
清流の流れに少しだけ「涼」を貰いました。 -
【アグリパル塩原】道の駅・湯の香・塩原
塩原温泉や那須高原の玄関口に位置する道の駅。
「農村レストラン」←テラス席わんこOK!で、休憩します・・ -
【那須アウトレット】
わんこ連れで店内に入れるありがたいアウトレット!
この日の歴史探訪は終了です。 -
後日・・・
この日は、奥州街道を北上し「那須野が原の開拓」農場へ向かいました。
【くらしの館】
栃木県大田原市、かやぶき屋根が特徴の くらしの館。 この建物は、今から約150年前に福島県須賀川地区で建てられた民家を移築したものだそうです。 -
【くらしの館】
本日も 空と、空の世話係とのドライブ旅です。 -
【奥州街道 芦野宿】栃木県那須郡那須町芦野
ここは弓の名手那須与一の子孫と伝えられる旗本芦野氏の陣屋や館山城のあったところだそうです・・
同じ県に住んでいながら、ろくに知りませんでした(/ω\) -
【奥州街道 芦野宿】
狭い道の小さな集落ですが、風情のある所で
次は、この宿場町だけの訪問をしたいと思います・ -
【奥州街道 芦野宿】
小高い山の上に、歴史探訪館がありました。
ここから、芦野宿の街並みが見渡せます -
【芦野宿 歴史探訪館】
建築家、隈研吾氏による設計の建物 -
【那須芦野・石の美術館 STONE PLAZA】入館料800円也
「芦野石」・「白河石」の原産地、芦野に大正時代の石蔵を蘇らせ、ギャラリーなどに再生させた石の美術館 -
【那須芦野・石の美術館 STONE PLAZA】
先程の歴史探訪館同様、設計者は建築家の隈研吾氏 -
【那須芦野・石の美術館 STONE PLAZA】
石・水・光を使い表現されている世界感になっています・ -
【那須芦野・石の美術館 STONE PLAZA】
この先にどんな空間があるのか?ワクワクしながら歩いて行けるのですが・・周りは水が張ってあるので・・よそ見していると落下しそうです。 -
【那須芦野・石の美術館 STONE PLAZA】
隈研吾氏設計の、この「石の美術館」」は 2001年にイタリアの「国際石建築大賞」を受賞しているそうです
そんなに前から存在していた美術館だったのね~
知りませんでした(/ω\) -
【那須芦野・石の美術館 STONE PLAZA】
トイレがおしゃれな感じで、トイレまでしっかり石の美術館してました!
今日は、開拓の農場の見学で家を出たので、こちら、芦野宿は、後日再訪し・・
隅々までゆっくり訪ねる事にいたします。 -
【黒田原駅】
石の美術館から車移動約10分
黒田原駅は那須にある駅(3つ)の中で1番大きな駅です。
那須の玄関口といえば、昔は「黒磯駅」ですが、黒磯は那須ではありません。
そして、現在の那須の玄関口は「那須塩原駅」
本来ならこの「黒田原」が那須の玄関口となる予定でした
が、歴史に翻弄されその機会を失ってしまった悲運の駅なのです。 -
【山田農場跡地】黒田原駅から車移動2分
那須野が原の開拓『山田顕義』(あきよし)の農場跡地です。
山田顕義(1844~1892)元長州藩士
明治の刑法・商法・民法などの制定にあたり、「日本近代法の祖」と言われ、
さらに、法律を学ぶものを育成しようと明治22年、日本法律学校(現在の日本大学)翌23年に國學院(現在の國學院大學)を創立した人物です。 -
【山田農場跡地】「山田農場資料館」
訪問する旨の電話を入れておいたので、私の母世代のご婦人が出迎えてくれました。
現存するのは、かつての山田農場の事務所とつながっていた客室(宿泊家屋)のみで「山田農場資料館」として、管理・保存されています。 -
【山田農場跡地】「山田農場資料館」
迎えてくれた母世代のご婦人・・山田顕義の曾孫にあたる方で・・亡くなったお母様が、後世に伝え残したい!と、開館し その意思を継いで・・旦那様と共に東京からこちらに移り住み、管理されているとの事でした。 -
【山田農場跡地】「山田農場資料館」
山田顕義は、1892年(明治25)に亡くなりますが、その後弟の繁栄に農場はに引き継がれる事になりました。実質は、娘婿の英男が力を発揮し 開拓は進められます。
この英男は、会津藩主・松平容保かたもり公の三男。
戊辰戦争で敵対にあった長州藩と会津藩がここで繋がり、黒田原の開拓に尽力したのです。 -
【山田農場跡地】「山田農場資料館」
管理されているご婦人は、戦時中はこちらで疎開生活を送っていたそうで、黒田原の冬の厳しさ、酷寒の地で働く人々の話を興味深く伺う事が出来ました。
ここ、林の中に建っていて・・
やぶ蚊に刺されまくり!・・
管理されているご婦人は、上品で気さくな方で・・私が資料を拝見している間、空を抱っこし・・帰り際には、「また、空ちゃんと遊びにいらっしゃい!」と、声を掛けていただきました。 -
山田農場から車移動40分
【三島農場事務所跡】(那須野が原博物館)
ここは、先日訪問した塩原の別邸を皇室に献上した 三島通庸の農場事務所跡地
現在は、博物館が建ち 那須野が原の開拓と華族農場の展開についての知識を得る事が出来ます。 -
【三島農場事務所跡】(那須野が原博物館)
・・栃木県は、県庁所在地が明治17年(1884年)栃木市から宇都宮市に移転されています。この時の栃木県令が、三島通庸
この県庁移転は 県庁から三島農場へのアクセスが簡単になった事を指摘し、県庁移転は三島の私欲的な行動だったのでは?等々・・いろんな説があります。 -
【三島農場事務所跡】(那須野が原博物館)
いずれにせよ、この華族たちが今の那須野が原を開拓した事は確かな事です。
「日本遺産・明治貴族が描いた未来!常設展示コーナー」 -
【三島農場事務所跡】(那須野が原博物館)
現存する華族別邸のうち、明治の元勲(げんくん)大山巌(いわお)の別邸は管理を県立那須拓陽高校が行っています。コロナ禍の為、校内敷地への入る許可が取れず、見る事が出来ませが、ここで模型を拝見出来ました。 -
【三島神社】
那須野が原博物館から、300mほど離れた場所にあります。
開拓初期の頃は条件も厳しく、入植したものの諦めて撤退する農民が続出したそうです。そこで心の拠りどころとして神社を建立したといわれています。 -
【三島神社】
那須野が原の開拓は、那須疏水の開削だけで当時の国家予算の土木費の1/10を投入した一大プロジェクトでした。そこに4号線の開削、東北本線敷設を組み合わせると相当に気合の入った事業だった事が伺えます。 -
【三島神社】
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【大山参道】
大山参道は、大山巌(おおやまいわお)が眠る大山元帥墓所に続く参道です -
【大山参道】は、栃木県の紅葉名所となっています。
紅葉の見ごろは例年11月中旬頃~11月下旬頃
長さ約180メートルの参道に、樹齢約100年のイロハモミジ約80本が植えられています。 -
【大山参道】
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【乃木神社】
乃木神社は、乃木将軍として今でも親しまれる乃木希典命ご夫妻を祀る神社です。
乃木希典は、武人、教育者、また多くの詩歌を遺された文人でもあり、東京乃木坂の地名の由来にもなった人物。神社の北東には別邸があり、将軍ご夫妻は数度の休職期間を別邸で過ごし、「農は国の大本なり」と・・自ら田畑を耕され勧農の範を示し、地元石林の住民とも親しく交流、晴耕雨読の日々を過ごしたと言われています。
明治45年、明治天皇のご大葬が行われた9月13日夜、ご夫妻は殉死を以て明治天皇のご聖恩に報いられました。 -
【乃木神社】
明治天皇の御跡を慕いご夫婦で殉死されたことなどは国際的にも広く知られている人物です。 -
【乃木神社】
乃木将軍、フェースガードしてます・・
世の中が、こんなコロナの恐怖にさらされるなんて・・想像もしなかっただろうな~ -
【乃木神社】
沢山の風鈴が風に吹かれて、涼しい音色を聞かせてもらました。 -
【乃木神社】
狛犬もマスク -
【乃木神社】
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【乃木神社】
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【乃木神社】
神社裏側から旧宅へ向かってみましょう・・。・ -
【乃木神社】
乃木希典の詠んだ歌碑
『いとまあらば 君も 一度来てみませ』 -
【乃木神社】
屋敷の北側にある防風林は、杉、樫、欅などの大木が茂り、その中に清水が 溢れ出る水源がありました。 -
【乃木神社】
乃木希典が、この地を愛された最も大きな理由は、この清らかな泉だったそうです。 -
【乃木神社】静池
茂木希典の書いた「農事日記」には、日常の出来事や農作物の経過、
なにより 質素な献立、買い物など詳細に記され残されているそうです。 -
【乃木神社】静池
この静池辺りは、乃木希典が暮らす頃は大部分が水田でした。農地改革後、残った僅かな水田を『神餞田』として残し、原野を含めた2千坪に灌漑用貯蔵池を作ったそうです。 -
【乃木神社】静池
この貯蔵池「静池」は、静子夫人に因んで名づけられました。
鯉が自然繁殖し、水車も整備 町民の憩いの場となっています。 -
【乃木神社】(乃木希典那須旧宅)
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【乃木神社】(乃木希典那須旧宅)
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【乃木神社】(乃木希典那須旧宅)
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【乃木神社】(乃木希典那須旧宅)
乃木希典の別邸は、希典 自ら設計した、農家風の質素な造りの建物でした。
乃木希典の葬儀には、伊藤博文の国葬を遥かに超える人出があったとか??
電車の乗客は、東京に電車創業以来の人数が乗ったとの記載も残っているそうです。
彼は、日露戦争後は、全国を行脚し、遺族と傷病兵一人一人を見舞ったという話が残っています。皇室からの御下賜品などは、戦争によって負傷や障害を持った人を収容した「廃兵院」に届けていたようで、義理堅く、人情厚く、誰からも慕われれる人物であったようです。
私の好きな明治の偉人です!!
最期まで「軍人」を貫き通した乃木希典。那須野が原の明治貴族の歴史・・
と、構築文化財訪問は・・もう少し続きます・・。
おわり・・
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この旅行記へのコメント (8)
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- milkさん 2022/10/31 00:36:30
- 奥が深い那須
- nomoさん、こんばんは☆
那須って、那須高原ののどかなイメージしかなかったのですが、こんなに奥が深い町だったのですね...。
色々とお勉強になりました。
あまり歴史には詳しくなかったので開拓ロマンのお話はちょっとばかり頭を使いながら読ませて頂きましたが、この方々のおかげでインフラが整備されたのですね。
上野からの常磐線ならいつも利用しているので、なんだか身近に感じました。
興味深かったのが「源三窟」
「源頼朝軍に義経の一族として追われ」って???
身内なのに???
と、ちょっと疑問に思って調べてみたら、壇ノ浦の戦いの後に義経と頼朝が揉めていたのですね。
この洞窟での生活が再現されているなんて、ちょっと見てみたい気がします。
それにしても、お米のとぎ汁で見つかってしまったなんて、本当に無念ですよね...。
隈研吾さん設計の石の美術館、素敵ですね!
木を使うイメージが強かったので、ちょっと新鮮です。
乃木神社と聞くと、私も乃木坂の乃木神社を思い出しましたが、御祭神が同じなのですね。
昔は乃木坂駅も良く使っていたのですが、乃木神社はすぐ近くなのに行った事はありませんでした。
六本木に行く時には乃木坂駅を使うので、機会があったら寄ってみようと思います。
でも、那須の乃木神社の方がのどかでいいな~。
milk
- nomo1215さん からの返信 2022/11/03 19:11:23
- RE: 奥が深い那須
- マロンちゃん・・おばんでございますm(__)m
那須って・・そんな所だったのですよ〜
・・って、実は生まれ育った自分の県の歴史・・最近まで興味も無く知らなかった私!!
恥ずかしいおばさんです・・。
一大観光地として名を馳せる「那須」
明治期の貴族たちの描いた未来は、大成功だったと思います。
マロンちゃん、
「源三窟」から、源頼朝と義経の関係を調べた??
凄い♪♪
旅行記をちゃんと読んでくれているんだな〜・・と、偉く感心致しました。
そして、ありがとうね・・とっても嬉しい気分になりました。
建物LOVEの私・・・・
隈研吾さんの作風って、どこも変り映えしないな〜〜、って、
実は思っていました。
その隈研吾さんが、手掛けた「石」の建造物・・
一見の価値ありありです。
・・なぜ、こんな秘境に(交通の便が超・超悪い)あるのか?
ちょっと不思議でした。
乃木神社って、乃木将軍所縁の地に何か所かありますよね〜
栃木の乃木神社は、緑豊かな・中綺麗な水の流れる長閑な場所です。
今は、紅葉が見ごろを迎えているのだろうと思います。
コメントありがとうです
nomo1215
-
- るなさん 2022/10/14 22:30:15
- 貴族の暮らし
- nomoちゃん、おばんです☆
いやぁ一般人にはまったく縁もゆかりもない豪邸ですな。
貴族というものはほんまに優雅な暮らしをなさっていたのだなとつくづく思います。それなりのご苦労はあったかとは思いますが...
那須は御用邸があるくらいの土地ですからねぇ~
まったく歴史音痴な私ですが、nomoちゃんのおかげで日本の歴史をかいつまんだ気がしました(笑)
nomoちゃんのむちゅこ達は剣道やってたんだ??私も中学の時は結構上手やったんよ!!習っていたわけじゃないけどね。
石の美術館、ステキねぇ♪
私は石という仕様が大好きやねん!!
乃木神社って東京の乃木坂にもあるよね。乃木将軍、かっこええ~
まだ青々とした紅葉だけど、それはそれで美しいものです。
今年は紅葉狩りには行けそうにありません。まっ今までコロナのおかげでどっぷり楽しませてもらった日本の美ですから、そろそろお外に目を向けさせて頂きます(;^ω^)
るな
- nomo1215さん からの返信 2022/10/18 02:07:14
- RE: 貴族の暮らし
- るなちゃん・・おばんです
お返事遅くなってすみませんm(__)m
一般ピーポーの私には、夢の建築物の数々です・・
ただ、ここで暮らしたい?って、自問すると「No Thank you」だな〜
見るだけ!で、十分でございます。
歳を取ったせいか、だだっ広い家は要らない!掃除が大変だろうし・・
日本家屋は、畳や障子&襖・・お金がかかって仕方ない!
・・って、金持ちは掃除も貼り替えも 自分ではやらないか・(笑)
冷暖房代も、・・
今年の夏は異常な暑さで、我が家の電気代が過去最高値でした・・
そして、今年の冬は、寒いって?勘弁してほしいです。
私が地図読めない女!って、ご存じでしたよね(笑)
実は、歴史も・・ほぼ興味のない無知なおばちゃんだったんだけど・・
せめて、生まれ育ったところの歴史くらいは・・と、軽く興味を持ったら・・
ふむふむ・・楽しくなりました。
ただ、単に明治期の洋館好き♪
だけだったのに・・
その洋館に生きる歴史を掘り下げるのが楽しくなってしまいました。
るなちゃん、剣道経験者だったの??
へぇ〜以外です・・。
女剣士、身長もあるし・・かっこよかっただろうね〜
タイムスリップして、その頃を覗いてみたいです・・。
私は、子供達が小学1年生から、高校を卒業するまで剣道の道場通い(付き添い)致しました。下の子が高校を卒業するまで・・日の出と共に神社でする元旦稽古・・
二度と行きたくないです(笑)
石の蔵美術館は、回りにはな〜〜んにもない辺鄙な場所でした。
なんで、こんな所に「隈研吾設計の建築物が?」と、未だに不思議・・
木を主体に使う隈研吾が石を使って設計した、多分珍しい建物じゃないでしょうか?
乃木神社は、乃木坂にもありますね〜
赤坂一体は、明治期には軍人さんが多く住んでいた場所だそうです。
防衛庁もそのせいでしょうか?
東京ミッドタウンが出来て、乃木さんも「時代が変わったな〜」と、叫んでいるかも??
あの時代の将軍の中では、晩年の乃木将軍の生き方に感銘を受けております。
那須野が原にある、今も残っている当時の華族(貴族)の別邸のなかでは、
一番質素な建物、設えの別邸でした。
旅行の準備は進んでいますか?
徒歩移動だから、出会える風景!人!沢山紹介してくださいね〜
私も、お母ちゃんの容態が少し落ち着きだしたそうなので・・旅行の計画を立てられそうです・・。
気温差があるから、体調崩さないようにしてください
nomo1215
-
- アリスさん 2022/10/13 16:17:32
- ゆっぽのさと。
- nomo1215さん、こんにちは。
那須塩原へは、何度か旅行で行ってまして、
ゆっぽの里も何回も~^^
小石が敷き詰められていて、歩くのですよね。
痛いところが体の悪いところ、って絵がありました。
アウトレットも、時々行きます。
が、そのほかは、知らないところばかりでした。
天皇の間記念公園、源三窟、石の美術館などなど、
全部、那須塩原市でしょうか。
私はいつも、同じところばかり行ってしまって、
広がりがないなあ・・と反省中です。
nomoさんの詳しい説明付きのため、色々お勉強になります^^
歴史って、知れば知るほど奥深いです。
続きも、楽しみにしています。
アリス
- nomo1215さん からの返信 2022/10/18 01:27:47
- RE: ゆっぽのさと。
- アリスさんへ・・
コメントありがとうございます。
「ゆっぽの里」へは、何度も行かれていたのですね〜
塩原は久しぶりの訪問ででした。「ゆっぽの里」もお初でした・・。
「ゆっぽの里」の中心辺りにある、鏡池・その池から落ちる温泉の滝に
感動してしまいました。
「天皇の間記念公園」ここも、那須野が原の開拓に興味を持ってから知った!!
・・場所でした。
私が訪問した時期は、人も少なく・・スイスイと車移動が出来ましたが・・
これから、紅葉の時期は混み合うだろうな〜・・と、想像します。
塩原にまた、行く機会がありましたら・・天皇の間記念公園と源三屈は近いので是非・・
アウトレットのある西那須からだと。ちょっと離れてしまいますが「石の蔵美術館」もなかなか素敵な所でした。←ただし、回りに何もない所です(笑)
高齢の親と同居している為、何日も家を空ける事が出来ないので・・
せめて、時短で車移動できる場所をせっせと開拓してみたいと思っております。
アリスさんの旅行記、私には大変参考になります。
また、よろしくお願い致しますm(__)m
nomo1215
-
- チーママ散歩さん 2022/10/08 04:43:14
- 私も行ったけど、知らなかった。
- Nomoちゃま
なんだ~nomoちゃまも那須へお出かけでしたか。
私はのんびり温泉していただけですが、
nomoちゃまは駆け巡りお勉強なさったのですね。
ホント自分でも天才かと思うほど、
歴史が分らないのですが。
華族が出て来た時代のお話なんですね。
旧塩原御用邸新御座所
ここはいいですね。
今度お邪魔してみましょうっと。
皇室に別邸を献上するなんて凄いですね。
三島通庸を調べると子孫が麻生太郎さんとは驚きました。
大きな功績を残す人って最初はそのやり方を
回りに理解してもらえず
ご苦労があったことでしょうね。
強引なくらいの勢いがあったからこそ
精力的に色んな業績をのこし結果を出したんでしょうね。
だんだん最初は理解を示さない人も理解を示すようになるんでしょうね。
なんでもそうですね。
パイオニアっていつも孤独なんだよね。
私は 大したことしていないけど、なんだか分る気がする。
空ちゃん かわいい♬ 一緒にお出かけしたのですね。
長いドライブ酔ったりしませんでしたか?
アグリパル塩原でも休憩してもらったんですね。
そうそう、この前那須へ行った時帰りに寄ったけど、
その道の駅の隣で田んぼアートしてましたよ。
もう1ヶ所その先100m位の所でも。
1日の内容ですよね?凄く充実してる~。
色んな所に立ち寄れたのはよかったですね
あ、七つ岩も行った~よ 吊り橋渡った?
危ないから 無理かな。
あそこの足湯はこの前はやってなかったなあ。
私も那須 鬼怒川はかなりお世話になっており
年に数回は伺います。
次回は少しお勉強もしてみます。
- nomo1215さん からの返信 2022/10/11 01:02:57
- RE: 私も行ったけど、知らなかった。
- チーママちゃんへ
こんばんは〜
こたつ&ストーブ出して、すっかり冬仕様のお部屋になりました。
遊びにおいで・・
県北って、現役時代仕事で走っていたのに・・
知らない事ばかりです・・
高速を使わずに、トロトロ走ると、新しい発見が沢山あるものですね〜
旧塩原御用邸新御座所、あの辺りは・・紅葉の頃 とっても綺麗だと思います。
そして、別邸を皇室に献上する華族って・・
自慢じゃないけれど、歴史知らない!!地図読めない!!ナビについて行けない!!
・・その私が、この歳になって「未知の世界」にハマってしまいました・・。
何を今更・・と、外野に笑われております。
三島通庸・・調べた??
凄い人だよね〜
敵も多かっただろうし、この人の為に大変な思いをした人も多かったと想像するけれど・・
この時の、華族達が存在したから・・
栃木県の那須地区は、今こうしてあるんだと思います。
彼らにとって、「未来」を生きてる私達には、ありがたい事ばかりです。
そうそう、あの辺りって、当時の開拓した華族の苗字が地名になっている所が沢山あるんだけど・・そんな事も、最近まで知らなかった恥ずかしい栃木県民です。
偉業を成す人は、孤独な戦いを強いられるんだろうね・・
道の駅付近で「田んぼアート」してた?
へぇ〜
その田んぼもすっかり冬支度になっちゃいましたね・・
新米は食べた??
日本最古「七つ岩の足湯」私が訪問した時も、お湯は入っていなかったんだけど
コロナだからかな??
この、旅日記は2日分です。
国道4号線を北上した日と国道294号(奥州街道)を北上した日・・
黒田原から西那須に戻ったので・・帰路は同じだったんだけどね・・
旅行記、読んでくれてありがとう・・
空は、いびきかいて寝ております←鼻が悪いのかな?(笑)
nomo1215
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