2022/09/15 - 2022/09/15
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koreanrailfanさん
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1972年9月15日に旧加越能鉄道加越線が最後の運行を終え、翌日廃止されました。
2022年9月15日、ちょうど50周年ということで以前から企んでいた廃線跡ウォーキングを実施しました。
加越線は旧国鉄北陸本線(現あいの風とやま鉄道)石動駅から東南方向へ分岐していたローカル私鉄で、途中の福野駅で城端線と接続、さらに東へ進んで庄川町駅まで結んでいた19.5キロメートルの路線です。
私自身は、50年前の廃止当日、加越線に乗りに行きました。確か、この日の午後から無料開放ということで大勢のお客さんがお別れ乗車に来ていたと記憶しています。また、私自身、たぶん初めてのひとり旅(というほどでもありませんが)でした。(笑)
旧津沢駅跡に着いて、駅前食堂でお昼ご飯を食べてからゴールの石動駅へ向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旧津沢駅跡の前におばた食堂があります。
ずいぶん昔に、ここで食事した記憶がありますが、現在も頑張って営業しています。おばた食堂 グルメ・レストラン
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昭和37年創業、私よりちょっと若いですね。(笑)
メニュー、麺類に、いろいろな定食があります。 -
一品料理もいろいろ、ビール飲みたいけど後がつらくなりそうなので我慢です。(笑)
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店内には50年前の運転最終日の写真も飾られていました。
これは、廃止後茨城県の関東鉄道(後の鹿島鉄道)に譲渡されたキハ120形かな?
鹿島鉄道で運行を終えたキハ430形(旧キハ120形)の一両は、小美玉市で静態保存されています。
9月16日の地元の新聞にも掲載されていました。
2018年に私が茨城県へ見に行った時の写真はこちらです。
https://4travel.jp/travelogue/11394270 -
これは2012年に開催されたシンポジウムの新聞記事、聴きに行けばよかったなあ。
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そうこうしているうちに注文したまんぷく定食がやってきました。
トンカツに目玉焼き・サラダ、麵半分の味噌ラーメンのセットで1,100円、がっつりいただきました。(笑)
お昼時とあってお客さん結構多かったです。
昔ながらの駅前食堂といった感じですが、とてもおいしかったです。 -
おなかいっぱいになって店を出ます。
暑い(笑) -
公園内のトイレでトイレ歯磨きして、
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午後の部再開、石動駅到着目標午後3時、午後3時30分発のバスに乗る予定です。
石動発井波・北川行きのバスはたったの3本、午後3時30分の次に午後5時10分発もあるので何とかなるかな?? -
石動駅まであと8キロメートル弱、おなかはいっぱいだし、足は痛いし、午前ほどのペースでは歩けないだろうなあ。
左に見えるのは沼田製粉の建物、このあたりに「沼田」という名字はたくさんあるそうです。ちなみに、北海道の沼田町も、このあたりの方が開拓したそうです。 -
足が思うように動きません。(笑)
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市街地を進みます。
右の建物は、スポーツウェア等製造しているゴールドウィンです。 -
ゴールドウィン、本社は東京ですが、ここに本店があります。
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自転車道というより遊歩道のようになって
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突きあたりに学校が。廃線跡に建てられた津沢小学校です。
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振り返り、この道を小学生が通っているのでしょうね。
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沿線で最大の河川、小矢部川を渡ります。
旧加越線の橋りょうは撤去されているので、近くの国道359号の橋を渡ります。 -
国道の少し上流あたりを鉄道は渡っていたと思われます。
ただし、この国道が建設されたのは廃線後かもしれませんが。
なお、加越線廃止の原因のひとつに、この小矢部川を渡る橋りょうの老朽化があったと言われています。 -
小矢部川を渡った廃線跡は道路に吸収されているようです。
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3日後、小矢部川付近まで車で行きました。
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堰堤に上がります。
川の向こう側に津沢小学校が見えます。 -
これはもしかすると、加越線の橋りょうの跡でしょうか。
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違うかもしれません。
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廃線跡
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こちらのファミリーマートで麦茶買って水筒に入れました。
石動駅まで何とかもつかな?? -
国道を渡ると、再び自転車道に入ります。
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田園地帯を進みます。
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少し進んで振り返り、田園地帯
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奥に見えるのは北陸自動車道です。
北陸自動車道のこの区間が開通したのは1974年、加越線が走っていたころにはすでに工事が進んでいたと思います。 -
再び振り返り、なかなか前へ進めません。
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北陸自動車道の下をくぐります。(3日後撮影)
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田園地帯をとぼとぼ歩く(笑)
ローカル路線バス乗り継ぎの旅や帰れマンデーでの歩く場面が頭に浮かびました。 -
石動まで5キロメートルの標識が見えました。
あと全行程の1/4 -
まもなく旧薮波駅跡です。
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こちらも年季が入った案内看板、自転車道サービスエリアの案内看板のようです。
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旧薮波駅跡です。
ここも公園になっていてトイレもありました。
少しベンチで休憩してから出発します。 -
標高24メートル
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この先、ほぼ直線に進みます。
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旧薮波駅跡を後にします。
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このあたりは花が植えられていました。
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花街道
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小矢部市はメルヘンの街として知られています。
左に見えるのは薮波公民館、中世西洋建築の代表作ゴシック建築様式を再現した建物だということです。
手前では、暑い中ゲートボール真っ最中でした。私もそろそろゲートボールやるお年頃ですが、たぶんしないだろうなあ。
60代男性が汗かきかきトボトボ歩いているので、ゲートボールやっている人から声かけられました。(笑)
廃線跡歩いていますとも言えず「こんにちは」と返してその場を後にしました。 -
公民館の隣は体育館
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再び田園地帯を進みます。
このあたりは散居と言って家と家の間が離れているところです。
火災の類焼を防ぐメリットもあるのですが、1944年5月に加越線の機関車のばい煙によりこのあたりの住宅が出火、東方向に飛び火して458棟が全焼する大火があったとのことです。ただし、ガソリンカーは1930年代から走っていたとのことなので、機関車は貨物列車だったのかな? -
クロスランドおやべが見えます。
郵便番号に合わせて、93.2メートルだとか。
なお、郵便番号は旧加越線沿線の石動・津沢・井波・庄川は932から始まっています。途中の福野駅を含む旧福野町だった所は、城端線沿いで939ですが。 -
県道が近づいてきました。
国道471号は、ここより小矢部川をはさんで東側に走っています。 -
このあたり、センターラインは青かったです。
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ほぼ直線区間
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振り返り
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このあたりだいぶ歩くのがつらかったです。
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ただ石動駅を目指して歩くだけ
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これも境界標なのかな??(後日撮影)
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間もなく旧 四日町駅跡です。
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このあたりに旧四日町駅があったようです。
現在は公民館が建っています。 -
標高25メートル
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公民館横を通ります。
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加越線代替バスの四日町バス停もこの近くにあります。
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四日町バス停
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振り返り
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県道と並行に進みます。
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クロスランドタワー
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左折の合図
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県道の左側へ移動
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県道と別れます。
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小矢部川の支流 薮波川・渋江川を渡ります。
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遠くに稲葉山、手前に北陸新幹線の高架が見えてきました。
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渋江川を渡ります。
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北陸新幹線高架
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渋江川を渡り終えました。
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少し下ります。
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ここを駆け上がっていたんだなあ。
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3日後、渋江川橋りょうの近くに車で来ました。
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ディーゼルカーが走っているのを目に浮かべ
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さて、ここが謎のポイント、旧南石動駅の場所がはっきりしません。
Wikipediaでは石動駅から1.6キロメートルとなっていて、それが正しければこのあたりだと思われるのですが、同じくWikipediaの所在地をクリックすると、もう少し石動駅寄りのところが出てきます。そこが南石動駅跡と書かれたブログ等も多くあります。 -
現在地は赤線の一番下のほうです。
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標高23メートル
しかしアクセスする道路も狭いし、周りに民家もそれほどなく、ここに本当に駅があったのかどうか??
すっきりしないので、国土地理院の昔の地図を検索してみたら、やはりここあたりが旧南石動駅でした。所在地は小矢部市蓮沼、Wikipediaではもう少し石動駅寄りの小矢部市綾子とありますが、誤りのようです。 -
このあたりの区間は廃止された日以前にも、祖父母に連れられて何度か乗ったような記憶もあるのですが、駅の位置までは全く覚えていません。(笑)
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さらに田園地帯を進みます。あとゴールまで1.5キロメートルくらい
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田んぼの真中
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少し右にカーブ
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住宅地が見えてきました。
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このマンションとかは廃止後に建設されたものでしょう。
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この道路沿いに、「加越線跡」と書かれた記念碑がありました。
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大正11年開業
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昭和47年9月15日廃線75年間営業、加越線が開業したのは大正4年(1915年)だから、営業していたのは75年間ではなく、57年間ですね。(笑)
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住宅地に差し掛かります。
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一部の記載によると、このあたりが旧南石動駅跡とあります。
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住宅地自体は廃止後に建ったものだと思われますが。
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なお、このあたりだと、石動駅から0.8キロメートルくらいしかありません。
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標高31メートル
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先に進みましょう。
既に午後3時、時間がありません。 -
北陸新幹線高架が近づいてきました。
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自転車道は北陸新幹線高架の手前で
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おしまい、後は道路の歩道利用になります。
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自転車道の現在の起点
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ちょうど新幹線が通っていきました。
つるぎ716号かな? -
石動駅到着、午後からは大幅にペースダウンし、予定通りとはいきませんでしたが、何とか午後3時過ぎに到着しました。
石動駅 駅
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標高31メートル
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南口から北口への自由通路から石動駅を眺めます。
右側が、あいの風とやま鉄道駅、手前側に旧加越線ホームがあったようです。 -
跡形もありませんが。
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駅北口は、図書館が併設されている駅舎です。
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市営バスの乗り場、津沢方面行きのバスが停まっていました。
ただし、旧加越線ルートとは異なるようです。 -
加越線代替バスはこちらから乗車
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井波・北川行き到着
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津沢町・福野経由
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出発時、乗客は私一人でした。
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四日町バス停
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四日町-薮波間、廃線跡と別れます。
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薮波バス停
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旧薮波駅跡
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津沢小学校近くでは廃線跡を歩く子供たちが
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となみ野高校前では高校生が2人乗車しました。
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東海北陸自動車道
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福野駅前バス停
福野駅 駅
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焼野バス停
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井波バス停
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終点 北川バス停で下車します。
ここから先、庄川までは歩きます。(笑) -
井波から庄川まで約2キロメートル、最後の力を絞って(笑)
朝通った市営住宅が見えました。
20キロメートル以上のウォーキング、30,000歩以上歩きました。
何とか無事行ってこられてよかったです。
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旅行記グループ
2022年9月旧加越能鉄道加越線廃線跡ウォーキング
この旅行記へのコメント (2)
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- moonさん 2022/09/25 19:17:21
- 鉄道への思い入れをすごく感じました
- こんばんわ。
moonと申します。
初めまして。
たまにしかフォートラベル参加してないのですが、ご訪問ありがとうございます。
富山の加越線、鉄道に詳しくないので初めて知りました。
かなり前に廃止になってるんですね。
廃線跡ウォーキング、良いじゃないですか!
とても加越線への思い入れを感じてしまいましたよ。
至る所に、ここに線路があったんだよーと教えてくれる記念碑も、いまだ存在して
そうゆうのは本当に貴重だと思います。
また、ゲートボールのとこでは、廃線跡を歩いていると言えず・・・・ちょっと笑ってしまいました。
気持ちわかります。
それにしても、田舎地帯の道が自分の好みで、ランニングしたら気持ちいいだろうなぁと思ってしまいました。
あまり、掲示板等に書き込みしないので、文章が変でしたらごめんなさい。
私は、古い駅舎が好きなので、なんとなく書き込みしてしまいました。
ありがとうございます。
moonより
- koreanrailfanさん からの返信 2022/09/25 21:04:52
- Re: 鉄道への思い入れをすごく感じました
- moonさん、こんばんは。そして書き込みありがとうございます。
ちょうど50年前に廃止された地元の路線20キロ余り、老体に鞭打って歩いてきました。(笑)自転車道なので自転車で行けば良かったのでしょうが、自転車には長いこと乗ってません。
ふだんは乗り鉄ばかりですが、時には廃線跡巡りもしていきたいです。
また、機会があったら見に来てくださいね。
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旅行記グループ 2022年9月旧加越能鉄道加越線廃線跡ウォーキング
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