2022/08/04 - 2022/08/18
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akanezumiさん
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2022年8月4~16日までフランスに行きました。
まだまだ規制があるので、海外旅行はもう少し先になるかなと思っていました。ところが習い事の先生のフランス人マダムが、この夏久しぶりに帰省していて、「フランスではコロナの規制はほぼなくなったよ。案内してあげるから来ない?」と誘われました。マダムは今はシニアでリタイアしているけど、現役時代はバリバリのフランス国家公認ガイド。私が今後フランスに行く機会はあるかもしれないけど、マダムに案内してもらえるチャンスはもうないかもと思い、急遽フランス行きを決めました。一人で行こうと思っていたら、ダンナさんも行くというので、夫婦二人旅となりました。
宿泊は全てパリ。今回絶対行きたかった所は、ジヴェルニー、ロワール河沿いの古城、モンサンミッシェル。他にもマダムがパリから日帰りで行ける所をいくつかピックアップしてくれたので、レンタカーやTGVを組み合わせて、パリと近郊の街を毎日歩きました。
後半は行き当たりばったりながらも、せっかく買ったミュージアムパス6日券を使い倒せるよう、ひたすら歩いてまわりました。
日程は
1日目:パリ市内観光
2日目:運河ランチクルーズ バスツアー
3日目:ランス
4日目:ロワール河沿いの古城(シュノンソー、クロ・リュセ、シャンボール) byレンタカー
★5日目:ジヴェルニー、オヴェール・シュル・オワーズ byレンタカー
6日目:パリ市内観光
7日目:モン・サン・ミッシェル
8日目:フォンテーヌブロー、バルビゾン
9日目:ヴェルサイユ
10日目:PCR 検査、パリ市内観光
11日目:パリ市内観光
12日目:パリ市内観光、夜の便で帰国
★印が本編の旅行記です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
朝の7時半にパリのホテルを出て、レンタカーで約1時間半でジヴェルニーに着いた。夏のバカンスシーズンは予約必須ということで、公式ホームページから朝いちばんの時間指定のチケットを買っておいた。
モネの家の開館時間は9時半からだが、少し早めから入れてくれた。 -
まずは人が少ないうちに、睡蓮で有名な水の池に向かう。
日本にいるかと錯覚するような見事な竹林のエリア。 -
モネの愛してやまなかった睡蓮の池にとうとうやって来た。
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真夏だからか睡蓮の花は少なめだけど、池をぐるっと散策しているうちに、太陽の当たり具合で光の見え方が全然違ってくるのを感じる。
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パリ近郊に住んでいたモネがジヴェルニーの地を発見したのは、偶然の出来事からだった。
その頃のジヴェルニーの村には列車が通っていて、乗っていた列車の事故で足止めをくらったモネが、たまたま降り立ったジヴェルニーでスケッチをするうちに、水と光の美しい村に魅せられた。
そして40歳半ばでジヴェルニーに移住を決意し、残りの生涯をここで過ごすことになる。 -
日本風を取り入れた有名な太鼓橋のところは、すでに人がいっぱい。
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混んでくる前に、モネのアトリエ兼住まいだった所を見てみる。
家の前にも見事な花壇が広がっている。 -
玄関を入るとすぐに、モネが収集していた浮世絵が飾られている。
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1階のモネのアトリエ。
壁いっぱいにモネの描いた絵がかかっている。
ただしこれは複製で、本物は各地の美術館にある。 -
モネや家族の写真なども飾られている。
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モネが実際にアトリエを使っていた頃の写真。それを忠実に復元しているようだ。
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オルセー美術館で見られるような有名な絵がたくさん。
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家族を描いた絵も多い。
プロのモデルを雇う余裕がない時代に、画家が家族をモデルにするのはよくあることだった。 -
最初の妻が亡くなったときは、医者に診せるお金もなかった。
画家としてただ目の前の妻を描くことしかできなかったらしい。
切ない話だなぁ… -
2階のモネの寝室。
ここにもお気に入りの浮世絵がたくさん飾られている。
19世紀後半のパリでは空前のジャポニズムブームで、多くの画家が浮世絵を欲しがり、多かれ少なかれ影響を受けたという。 -
日本にいても美術館以外で、こんなにたくさんの浮世絵を一度に目にすることはないよね。
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寝室以外にも浮世絵がたくさん飾られている。こんなに日本の芸術を愛してくれていたなんて、日本人としてちょっと誇らしい気持ちになる。
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これは家族の部屋。
モネの家族は、最初の妻との間にできた息子2人に、再婚した妻が連れていた子どもが6人加わり大家族で暮らしていた。
どの部屋も温かみのある趣味の良い部屋。 -
食堂にも浮世絵が飾られている。
葛飾北斎をはじめとする、そうそうたる巨匠の絵ばかり。 -
食堂は淡い黄色でまとめられている。
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こちらはキッチン。
モネは料理も好きだったらしい。
フランスには、モネのレシピという本もあるそうだ。 -
家の中を見た後は再び庭へ。
モネが絵画製作と同じくらい情熱をそそいでいたのが庭づくり。 -
設計から造園まで自分でやり、長い年月をかけて理想の庭を作り上げていった。
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池の周りには小さな小川も流れている。
これもモネが引き込んだらしい。 -
最後にまた睡蓮の池へ。
同じようなアングルだけど何枚も撮ってしまう。 -
モネの最後の大仕事は、現在オランジェリー美術館に飾られている巨大な睡蓮の連作を描くことだった。
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晩年は白内障に苦しんで、体調も思わしくなかった。
今ほど手術が一般的でない時代だが、友人の強い勧めで手術を受け、時間をかけて何とか眼も体力も回復したので、あの大作を仕上げることができたのだ。 -
この池を見てから、美術館の睡蓮を見ると感慨深かった。
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後日行ったオルセー美術館の睡蓮。
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後日行ったオランジェリー美術館の睡蓮。
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出口のスーベニアショップはとても充実していた。
エコバッグと小さな絵などを購入。 -
ジヴェルニーを出てセーヌ川沿いに車を走らせると、向こうからクルーズ船がやってくるのが見える。
あのお客たちもモネの家に寄るはずだと聞いて、やっぱり朝イチで訪れてよかったと思った。 -
ロッシュギヨンという小さいけれど美しい城下町で、ランチタイム。
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そして1時間ほどすると、ゴッホ終焉の地オヴェール・シュル・オワーズに着いた。さっそくゴッホが描いた役場と、それを説明する看板を発見。
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その斜め向かいには、ゴッホが自殺するまでの2ヶ月を過ごした下宿ラヴー亭がある。
ゴッホが住んでいたのは3階の部屋。 -
1階は当時の姿を復元したレストランだが、残念ながらこの日は閉まっていた。
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ゴッホがこの村に滞在したのはたった2ヶ月だが、そのわずかな間に70もの傑作を残した。
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村を歩くと至る所にゴッホに関する看板があるので、絵を描いた軌跡をたどることができる。
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緩やかな坂を上ると…
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あの有名な絵「オヴェールの教会」のモデルとなった教会。
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丘の上にひっそりと立っている小さな教会。
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中に入ってみる。
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若い頃は親の意向で聖職者になろうと考えていたゴッホ。
この教会の中でどんなことを考えていたのだろう。
原田マハさんの小説「たゆたえとも沈まず」を読んでいたから、亡くなる直前の苦悩が伝わってくるようだった。 -
ゴッホはアブサンという安価で非常に強い酒の中毒だったそうだ。
彼は絵に黄色を多用したが、アブサン中毒の患者は、物が黄色っぽく見える幻覚を起こしやすかったと言われている。
あまりにも危険なため、その後しばらくしてこの酒は販売中止となった。 -
教会を出てさらに坂を登っていくと、ゴッホのお墓がある。
その少し向こうに拳銃自殺を図ったという畑がある。 -
ゴッホの墓は、弟テオと並んでいた。
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左側がゴッホの墓。
蓋もない簡素なお墓だけど、誰かが植物を植えたのか(一部は造花みたいだったが)伸び放題になっていた。 -
役所のそばまで戻ってきた。
画材道具一式を担いで村を歩き回っているゴッホの銅像がある。
今日はモネとゴッホという二人の偉大な画家の足跡をたどってみた。
モネは若い時は相当苦労したが徐々に画家として認められ、最後は政府から大きな仕事を託された。
一方でゴッホは、今は説明が要らないほど有名な画家でありながら、不遇のうちに亡くなった。
これからゴッホの絵を見るときは、また違った見え方がしそうな気がする。
明日は一日パリ市内を観光の予定。
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