
2022/08/20 - 2022/08/20
15位(同エリア415件中)
まほうのべるさん
- まほうのべるさんTOP
- 旅行記367冊
- クチコミ99件
- Q&A回答1件
- 690,205アクセス
- フォロワー497人
旧青山本邸 との出会いは、酒田市へ行ったときに目に留まった冊子、『山形県版 魅力ある和の空間ガイドブック』日本建築士会連合会女性委員会でした。
ライフスタイルが多様化し、地域環境委適した伝統的な住まいに暮らす碑t人が減り続けており、日本の住まいの中で和室や縁側といった和の空間がなくなりつつあることを危惧し、和の空間を再認識できるような建物を紹介するガイドブックです。
この冊子には山形県内の7つの建物が紹介されていて、その1つが遊佐町にある旧青山本邸です。旧青山本邸は遊佐町青塚で生まれた青山留吉が、単身で北海道に渡り、明治期の積丹半島を中心に漁場を次々に拡大し、漁場15ケ統余、漁船130隻、使用人300人余を擁する道内有数の漁業家となり、故郷の遊佐町に建てた建物です。北海道小樽市にある旧青山別邸(鰊御殿)は有名です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
酒田市から7号線を直進すると、左折『旧青山本邸』の標識が見えてきます。
-
標識を過ぎ信号の右側に大きな看板が見え、ここを左折します。
写真では電線で左折の部分が見えずらいですね。 -
左折すると道は狭くなり、直進すると旧青山本邸が見えてきます。
ここを左折します。 -
旧青山邸
建物正面の向かいと建物左端に駐車場があります。 -
建物の左側端の駐車場に車を停めます。
今日は天気が悪く雨の予報でしたが、今にも降りそうですがどうにか雨はまだ降ってはいないので、車内に傘を置いていきます。 -
旧青山本邸の入口で写真を撮って中に入っていきましょう。
なかなか良い雰囲気ですね、期待できそう。 -
明治時代の特徴的な建築様式をよく残すことから、平成12年国指定重要文化財に指定されました。
-
青山留吉翁彰徳碑
北海漁業を経営すること、五十年余り、留吉翁、すぐれた我慢強さで注意深く、いつも勤勉・倹約に心がけて何事も行い、けっしておごらず巨万の富を築くのであるーーーと書かれています。 -
入口から左側の土蔵、こちらでチケットを購入し、見学の順序について説明をうけます。
-
チケット売場の向かいには庭への入口があり、内部見学の前に建物の外観を見ていきます。旧青山本邸をより詳しく知るために、無料のボランティアガイドがいますが、希望者は5日前まで予約しなくてはいけないので、残念ながら今回はボランティアガイドは諦めます。
-
神庭
この庭は、明治39年酒田玉川庭師の築庭で、留吉の隠居に先立ち金に糸目をつけず造園したと言われています。 -
神庭
庭石は遊佐町直世産で、搬出のために三か所に橋を架け、人夫は青塚と服部興野(隣村)両村総出であたり、炊き出した飯米は二百俵だったそうです。 -
神庭
鳥海山から運んできた高さ4mの守護石。
神庭は神の御座の巨岩信仰に由来するもので、枯山水回遊式庭園。
神の宿る巨岩で庭を造り、祖霊を奉斎する意味があり、中心には『守護石』と苔むすが据えられています。 -
母屋の建設は明治20(1887)年に企画し、分家の当主で、のちに西遊佐村長を勤めた青山米吉に計画の一切を任せ、明治23(1890)年に竣工しました。
-
母屋は裄行(間口)12間、梁間(奥行)7間の規模で、下手の正面に炬折に角屋を突き出しています。
-
屋根は瓦葺の切妻造りで、軒は出裄によるせがい造となっています。
-
屋根のてっぺんには、三つ柏の青山家の家紋があります。
-
当時の遊佐町青塚は茅葺や石置杉皮葺の屋根が連なる建物が多くありました。
-
集落内に出現した瓦葺の母屋の大屋根は、まさに『故郷に錦を飾る』ことが、建築によって表現されているんだね。
-
留吉は青山家の将来を考え、約250ヘクタールの土地を求め、地主青山家の基礎を築き上げました。
-
井戸屋形
平入、切妻造桟瓦葺、平屋建て。桁行二間、梁間二間。
小屋組は和小屋。良質の切石(花岡岩)を敷き詰めている。
明治24(1891)年建築。現存する建物では主屋(明治23)年に次いで、西土蔵とともに古いです。 -
花壇にも瓦が使われていますね。
写真撮っておこう。 -
明治中期に元大組頭渡部家の土地を入手して、この本邸を建てました。
後には田地250町余りを所有する大地主となり、一時は村税の8割を納めています。 -
漁業一筋48年、明治41(190)年、73歳の時に留吉は北海道の漁場を養子の政吉に譲り、遊佐長青塚に隠居しました。
-
内部見学の入口は建物の間の奥まったところにあります。
-
茶の間
青山留吉は天保7(1836)年、嘉左衛門の第6子として現在の遊佐町青塚に生まれました。 -
茶の間
家は貧しく幼少の頃は父の漁業や母の酒田への行商を手伝っていました。 -
茶の間
家が貧しかったので18歳で秋田県由利郡に養子に出されました。 -
中の間
しかし、旧慣を重んじる家風は留吉には合わず、実家に戻りました。 -
帳場
安政6(1859)年、24歳の時に北海道の漁場に1人で渡りました。 -
帳場
最初は現在の小樽市祝津の寺田九兵工のもとで雇漁夫として働きましたが、約一年後に小規模ながら同地にて漁場を開くに至りました。 -
帳場
明治期の積丹半島を中心とした、続くニシンの豊漁により、岩津を中心に漁場を儀次に拡大しました。 -
帳場
青山家はやがて漁場が15ケ統余り、漁船130隻、使用人300人を擁する北海道内有数の漁業家に成長しました。 -
中の間
故郷の遊佐町青塚に本邸を建設したのち、田地250町余りを所有する大地主となりました。一時は、青山家の支払った税金は村の8割を納めていました。 -
中の間
茶箪笥
茶の間に置いて日常の用の湯呑や茶菓子を入れておくほか、抽斗には普段使わない使わない骨董品の煎茶茶碗や急須、茶托類を入れておくようにつくられた茶箪笥。
間口134cm、高さ107cmと非常に大形。明治から幕末にかけて発達した『荘内箪笥』。ケヤキ材で、『帆』を象った金具。 -
中の間
塩鮭図 文久2(1862)年~対象14(1925)年
池田 亀太郎 -
中の間
明治41(1908)年、73歳の時に留吉は北海道の漁業を養子の政吉に譲り、青塚に隠居しました。 -
中の間
大正5(1916)年4月19日、81歳で生涯を閉じました。
荘内の多くの民家では、仏壇の上に神棚を祀っています。 -
この建物は遊佐町の大工・土門市郎左エ門を棟梁とする人々が携わり、離れや土蔵の建設にも携わっています。
-
お約束の釘隠しもあります。
-
邸内ではイベントを開催していて
2月中旬~4月上旬 青山邸のお雛様展
4月上旬~6月上旬 単語の節句展 -
6月上旬~10月中旬 青山家のくらし展
10月中旬~12月中旬 旧青山邸所蔵蔵美術工芸品展
12月中旬~2月中旬 青山邸のお正月 -
建物の右側にある玄関は閉まっていて出入りはできません。
出入りする人や要件で使い分けられた3つの玄関。 -
上座敷
しかし、圧倒的な広さや当時は非常に珍しかった瓦葺きの屋根や蝶改ざんから運んだ約4mの庭石などが特徴的です。 -
玄関部屋
大正時代に北海道小樽市に建てた旧青山別邸は、新宿の有名デパートの建築費が50万円だった時代に31万円を費やした豪華な建物です。 -
玄関部屋
別邸の方が豪華な作りになっているのは、留吉は苦労して財を成した人なので、旧青山本邸の造りは質素剛健ですが、子孫は停め帰途が財を成し裕福な家で育ったので豪華な邸宅を造ったのではと言われています。 -
上座敷
小樽市の旧青山別邸を訪れている人にとっては、本邸が地味な造りにちょっと驚かれるかもしれません。 -
上座敷
旧青山本邸は昭和の時代には管理人を置き、家族は酒田市で暮らしていたようです。 -
平成4年、東京で療養生活を送っていた遊佐青山家4代目が亡くなると、親族の遺志により土地、建物、、所蔵品はすべて遊佐町に寄贈されました。
-
上座敷
旧青山本邸は空き家の状態が長く続いていたそうです。人が住んでいない状態が長かったので、往年の生活空間がほぼ残されました。どうしても、人が住めば済みやすいようにリフォームしてしまうでしょうからね。 -
離れ上座敷
襖の引手をアップするのを忘れっちゃったけど、引手は『七宝』で出来ています。七宝は明治時代にはきわめて高価でした。 -
離れ上座敷
天井の折鶴についてハエどまりといわれるもので、ハエが白いものにとまる習性を利用し、天井の汚れ防止と美観のためにつけられています。 -
離れ上座敷
平成18年に一般公開されましたが、『復元』されたところはほとんどなかったそうです。留吉晩年の肖像は、画家・池田亀五郎作。 -
離れ上座敷
でも、寄贈された時には、畳が相当傷んでいたそうです。広い和室の部屋の畳の枚数は、全部で何枚あったのかな。 -
明治時代に長崎で作られた『絵入り砂摺りガラス』です。当時、とても高価なものでした。
-
離れ廊下
建物の床や柱は欅の春慶塗り、漆喰壁、神代杉の巾広天井、うぐいす張りの廊下、端から端まで継ぎ目のない1本物の長押し。 -
離れ下座敷・離れ上座敷
離れ座敷は留吉夫婦の寝室に使われていました。
離れは母屋より少し遅れて明治29(1896)年に竣工しました。
規模は4・5間、奥行3間で、屋根は瓦葺の寄席造りとなっています。 -
浴室
鉄砲風呂
桶の中に鉄の筒が入っており、この中で薪を焚いて風呂の水を温めて使用します。
この風呂は、ご当主が使用したものですが、ここでは火はたかれなかったようです。総桧作りの離れ座敷や建具などが煤けないように気を配り、勝手で温めたお湯を使用人が外から運んできて入れ、焚口には炭を入れ保温しながら使用されたとされています。その証に浴室の天井は低く保温にも十分配慮されていました。 -
トイレ
-
手洗所はちょっと重厚な雰囲気。
-
女中部屋
入館後、この部屋で旧青山本邸の説明をビデオで見てから見学を始めます。 -
女中部屋
大きな真空管ラジオ。 -
使用人部屋
使用人の部屋には、床の間、囲炉裏があります。
使用人の部屋に床の間や囲炉裏があるのは、使用人を大事にしていたからでしょうか? -
台所
平成25年に公開された『おしん』では、旧青山本邸がおしんの最初の奉公先である中川材木店のロケ地でした。 -
台所
使用人が自分の食器をしまっていた『箱膳』食器にはヤマジュウの屋号がはいっています。蓋は裏返ししてお盆に、箱はテーブルとして使われていました。 -
台所
帳場を掃除していますね。掃除機の時代、おしん役の子は、ほうきなんか使ったことなかったのではないのかな。 -
台所
撮影スタッフも写っていて、撮影現場だった実感が感じられますね。 -
台所
囲炉裏に柱時計は昭和を感じますね。 -
台所
急な階段の先は公開NGです。
踏み板幅の狭い階段は、重たいものを持って上るの大変そう。手摺もないし、落ちそうで怖いね。 -
ふごみ
小さな板を取り除き土足で入り奥の方から腰をおろし使用人たちが一服(休憩)をし、お茶を呑んだところです。 -
台所は当時のままなんだって。
-
台所で使われていた道具の数々。
-
台所で使われていた道具の数々。
-
台所
囲炉裏の煙でいぶされた天井の梁。
いい味出していますね。 -
スタンプコーナー
-
旧青山本邸パンフレット
入場料は400円 -
旧青山本邸パンフレット
本邸の見学を終えたときに『これを使ってください』と傘を持ってきてくださいました。傘は車の中に置いてきちゃったからね、ありがたく使わせていただきます。 -
第一展示室
本邸の見学を終え、第一展示室の見学に向かいます。
この建物は大工小屋でした。 -
第一展示室
青山留吉の生涯をパネルで説明しています。 -
第一展示室
一代で小樽の三代網元となるまで成長した背景には、青山留吉の革新的な工夫がありました。鰊漁のしくみのパネルはわかりやすそうに説明していますね。 -
第一展示室
通常のニシン漁は、沖にたてあみを張ってニシンの群れを待ちますが、ニシン漁は2月頃~6月頃の4か月に限られるため、出稼ぎ若衆(やんしゅう)を季節労働者として雇います。 -
第一展示室
これにたいして、青山留吉は出稼ぎ若衆の生活を支えるために、年間雇用に改め、漁夫らのために農地を買い上げ、自給自足できるようにしました。 -
第一展示室
網の一組を網一カ統と呼び、網一カ統ごとに漁夫を2~30人ほど必要とします。、 -
第一展示室
でも、ニシン漁が終わっても農林作業者へと転身させたので、経験のある漁夫を長期に雇用することが出来、漁獲高も増え、漁業科として大成功を収めるようになりました。 -
第一展示室
他の網元に比べ、経験の或る漁夫を雇うことで、大量のニシンをとることができました。 -
第一展示室
北海道小樽市の小樽迎賓館『旧青山別邸』は青山留吉・政吉親子2代で財を成し、青山家最盛期の大正6年、2代目の青山政吉が建てました。 -
第一展示室
川崎船
船定が速く、安定性にも優れた漁船・荷船として、北海道や樺太でのニシンに活躍した川崎船のかつても雄姿を彷彿とさせる実物として、秋田県男鹿半島の北浦漁港にあった板船を譲りうけたものです。全長9m72cm、全幅最大2m39cm
青山留吉が1859(安政6)年遊佐町から北海王小樽市祝津に向かった時の船です。 -
第一展示室
養子に行き生家に戻ってきて、再び父と漁業の毎日でしたが、すでに一人前の漁師として腕を持っていた留吉は満たされない日々を過ごしていました。 -
第一展示室
北前船は大阪~北海道を日本海周りで航行商品を売買する帆船の商船群のことで、当時は数多くの遭難や難破があったそうです。 -
第一展示室
-
第一展示室
当時は北前船が活躍し、その利益は大きなもので、各地の文化交流に役立っています。 -
第二展示室
天井の高い一部屋が展示室になっています。 -
北海道小樽市にある『旧青山別邸』のポスター
-
第二展示室
-
第二展示室
-
第二展示室
-
土蔵展示室
入口の戸は閉まっていますが、いつでも見学出来るように鍵はあけてありますと言われました。 -
土蔵展示室
思い扉を開けると中央に階段があります。 -
土蔵展示室
三代目当主・英作の妻こきんのべっ甲髪飾りが並びます。 -
土蔵展示室
こちらもこきんさんの使用していたものかな? -
土蔵展示室
北海タモ -
土蔵展示室
-
土蔵展示室
-
土蔵展示館
大和絵の衝立は作者不明なんて残念ですね。 -
土蔵展示館
-
土蔵展示室
板戸には竹と2匹の鶏が描かれています。 -
ど蔵展示館
外枠・車付帳面箪笥
土蔵の中に置いて重要な文書類を保管しておくために特別につくらせたものです。
桐製の帳箪笥を縦格子で車付きの檻のような外枠の中に入れてある。
非常に巨大な箪笥で外枠の間口は170cm、高さ123cm。
中の帳箪笥は両開扉のついた延箪笥で、内部には同じ大きさの抽斗が5列7段ぴったりとおさまっています。抽斗にはすべて鎖がかかり、下水板もついてある。下水板の中蓋にもなり、また底に敷けば『隠し』にもなります。防湿・防犯の効果は高く、抽斗の金具は銅。両開扉の召し合わせに巨大な巾着形の鉄の鎖前金具をつけ、扉の中心に花菱を透かした帯金具を十字に付けているのが、酒田の帳箪笥の伝統的な形式をふまえたもの。 -
土蔵展示館
蒔絵の弁当箱
見学中に他に見学者はいませんでした。
週末なのにちょっと寂しいかな。
小樽にある旧青山別邸は見学者で握っているのかな?
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
まほうのべるさんの関連旅行記
酒田(山形) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
108