2022/07/24 - 2022/07/24
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morisukeさん
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オッサンネコです。
唐突ですが、私は昭和の終わりに団地で生まれ育った団地ネコです。
昭和末期の団地には下町情緒に似たような人間ドラマが溢れており、
その特異なコミュニティの中で、楽しくもタフな少年時代を謳歌してきました。
しかしこの令和のご時世、老朽化した団地は徐々に取り壊しが進んでいき、
現存する古い団地は昭和遺産とかTVで特集されるシマツ…
モリネコの過ごした団地も今では巨大な高層マンションへと建て替わり、
過ぎ去りし日の思い出もキヲクの中に残るのみとなった今日この頃。
そんな折、珍スポマニアの同志から素敵な情報を頂きました。
曰はく、とある博物館の中に昭和の団地をそのまま再現した展示があるそうな。
その名「松戸市立博物館」と云ふ。
今にもキヲクから消えそうな団地心。
そんなハートに火をつけてくれそうな場所を聞いたからには…
行かねばならんでしょう。
果たして博物館の中に再現された「昭和の団地」とはどの様なものなのか?
その時の記録です。
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- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
どうもどうも、オッサンネコことモリネコちゃんです。
早速ですが、千葉は松戸市にある「松戸市立博物館」まで来ています♪
最寄り駅「新八柱」からは歩いて15分ほどでしょうか。
駐車場は分かりづらい場所にあるので、本日は徒歩を選択しています。
季節は夏真っ盛り…。森からはセミの大合唱が暑さを助長する始末…。
瞼の奥に陽炎が見え始めた頃、漸く博物館の入り口に到達しますた。
昨今の夏は暑すぎどす (*´з`) -
博物館に入って、大人料金310円をお支払い。ちゃりーん。
何がすごいって… 夏休みなのに人が全くいねえっす |д゚)
館内は冷房も効いてて快適なんだけどねぇ。 -
それでは早速博物館の中を見て行きましょう。
博物館の展示エリアは縦長の長方形構造になっており、
原始時代から現代に至るまでの時間軸で展示を見て行く事になります。
各展示のテーマは松戸の郷土に根付いたものに絞られているので、
松戸のことを深く知るという点では打ってつけの場所だと思いまふ。
ちなみに… 博物館自体はそこまで大きくないが故に、
原始のエリアに入った時点で一番奥の「現代」まで見えちゃうのです。
我が目は既に異様な光景を捉えているのですが、それは後々のお楽しみ。
(* ̄▽ ̄)フフフッ♪ -
これは大王がいた時代の展示、河原塚1号墳の復元模型。
実際に河原塚古墳からは人骨が2体発掘されており、
50代の男性と3歳位の男子の人骨である事が確認されています。
なお、河原塚古墳は私有地のため、現在は立ち入り禁止になっています。 -
時代は進んで、江戸時代の松戸の川岸を復元した模型。
当時の松戸は、江戸と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町として賑わった他、
江戸への物資が一時的に集積される物資集積地としても栄えたそうです。
商業船が行き交う江戸川の風景、ロマンがあって良いですなぁ (*´з`) -
松戸の歴史を語る上で外せないのが、この御鹿狩りになります。
御鹿狩りと書いて、呼び方は「おししがり」になるのだとか。
江戸時代、松戸には幕府御用達の軍馬の広大な放牧地があったのですが、
いつしか鹿や猪など農地を荒らす害獣が住み着いてしまったのです。
時の8代将軍である徳川吉宗は、害獣駆除と武芸奨励を目的として、
松戸の農民を総動員してその辺一帯の鹿や猪を狩場の中に追い込み、
武士が狩場の中の害獣を狩猟する「御鹿狩り」を敢行しました。
簡単に言ってしまえば、幕府公認の一大イベントだったわけですね。 -
さーてさて、展示エリアの最終地「現代」に到着しました。
入口からずっと見えているので、気になってしょうがないっす。
何と室内なのに巨大なコンクリの塊が目の前にどーんぢゃないですか。
これぞ、噂に聞く博物館に再現されたリアルすぎる「団地」 。
言わば、先程迄の展示は前菜のやうなもの。
ここからがモリネコさんにとっての本業となるわけです。
それでは気を取り直して行ってみましょう (*´з`) -
まずはこれ、団地の横にある常盤台団地の案内図。
補足しておくと、常盤台団地は松戸に今も現存する巨大な団地なのです。
その規模は東西1.6kmにも及ぶそうな。
ここにある案内図はレプリカですが、本物と全く変わらぬ印象どす。 -
イチオシ
その団地の外観を探索してみませう。
もうこの時点で懐かしさにメロメロパンチ状態です。
嗚呼どこからか兄弟げんかの声が聞こえてきそうなデジャブ感…。
今にも窓から夕餉の匂いが漂って来そうな雰囲気がありますなぁ。 -
イチオシ
では団地のお家にお邪魔してみましょう。
突入は玄関ではなくベランダから(笑)
かつての我が団地では、玄関のドアに鍵がかかっていた場合、
ベランダから室内に入るのが日常茶飯事でござんした。
セキュリティゆるゆる、それがかつての団地事情。 -
それではベランダからお邪魔~♪
下靴を履いたまま室内に潜入、なんか泥棒みたいで背徳感でいっぱい…。 -
おおぅ。
昭和30年代に3種の神器と言われた洗濯マシーンですな。
外側にローラーが付いているという事は…ローラーで洗濯物を挟み込み、
ハンドルをウリウリ回して水を絞る、非常に手間が掛かるやつです。
実物を見たい方は是非 Youtubeで「団地への招待」をご覧ください。
義姉さんが狭いベランダでウリウリ回してますから ( -ω-)フォフォフォ -
それではダイニングから見て行きましょう。
昭和30年代のダイニング… せまっ ( ゚Д゚)
尚、団地の普及に伴い、日本の生活様式は大きく変わっていくのですが、
その代表的なものに食寝分離が挙げられます。
要は、食べる場所と寝る場所を分離しようという考え方なのですが、
当時の日本は、まだまだ和室のちゃぶ台でご飯を食べた後、
ちゃぶ台を片付けてからふとんを敷くスタイルが一般的でした。
会社勤めが主流になり始めた当時の状況下においては、
秩序ある生活を送るために食寝分離の導入が必須だったのです。
団地は、その変化の先駆けを担う役割があったという事ですね。 -
こちらお台所… いやいやキッチンと呼びましょう。
昭和30年代の流し台… せまっ ( ゚Д゚)
三角コーナーに洗い物を溜めておくたらい。
昔の我が家にもありましたぞ。 -
イチオシ
こちら一家団らんの憩いの場所、リビングなのです。
やっぱ、せまっ ( ゚Д゚)
こんだけ狭い空間にでっかい椅子なんて置いちゃうんだから、
床に掃除機をかけるのは大変ですよね。
絶対に足の小指をどこかにぶつけて悶絶してそう `Д´)ノ
尚、当時の住宅公団の理念の中に食寝分離がある事は説明しましたが、
住宅公団は「就寝分離」の考え方も同時並行で進めて来ました。
要は、起きてる間に過ごす場所と寝る場所を分けようとしたのですね。
これを実現するために採用された間取りが「2DK」形式で、
2DKの間取りが昭和30年代の団地を構成する上で標準となるのです。 -
リビングに並んだラインナップを見ると、わぉ Σ(・ω・ノ)ノ ですよ。
本棚には百科事典…資本主義講座…各種料理本…太宰修にゲーテ。
レコードはジャズミュージシャンのグレン・ミラー。
白黒テレビはゼネラル製で当時は超高級品。
いや、おま… どんだけハイスペックなの… ( ゚Д゚)
でもよくよく調べてみると、当時の団地に住むには査定があったらしく、
応募資格として平均月収が家賃の5.5倍以上に設定されていたそうです。
当時、常盤台団地の賃貸料(2DK)が5,500円と聞いているので、
その5.5倍と言うと… 約30,000円 ホエー(°◇°〃)
昭和37年の大学初任給が約15,000円だったご時世。
庶民からすれば高嶺の花… 誰でも住める場所ではなかったという事です。
そりゃあね… うん、ハイスペックだよね。 -
クロ電話。
おおぅ。
ジーコジーコしたくなる…。 -
こちらリビングと二間続きになっている和室となります。
掃除機ぃ ( ゚Д゚) うーん、シリンダー式…。
今とは全然形が違いますなぁ。
そして、押し入れに布団がしまってあるのは分かるんですが、
ここで夫婦が二人寝るんかいな…。 -
そして懐かしの手押し車!
動かすとカタカタ音が鳴るので、あっしはコレをカタカタと呼んでました。 -
次はお風呂を見に行きましょ。
令和世代にはびっくらの、浴槽はまさかの木製でございます。
昭和37年と言えば、まだお風呂がない家も多かったそうなので、
風呂付の住居というのも、団地のステータスだったんでしょうね。
ちなみに「団地への招待」では、お風呂の沸かし方も紹介されています。
なんと風呂桶の左下にあるガスバーナーを引っ張り出して、
手動で着火するという、何ともわんぱくなスタイル ォォォ(゚ロ゚*)
ガスを使う時は必ず換気孔を開けなきゃいけないのもご愛嬌…。 -
当時のキッズたちの入浴風景。
当然、昔は今みたいにお湯が沸いたら止まるなんてことはないので、
火を止め忘れていたらお風呂が熱湯になっている事もしばしばでした。
風呂入るのも命がけ… は言い過ぎですかね (;°-°;)))
尚、この浴室に脱衣所はないです(笑)
玄関から入って、廊下の右の扉を開けたらそのまま風呂がどーんです…。 -
玄関出ると1階部分に郵便ポストがありました。
我が地域では新聞はこのポストに毎朝投函されていました。
5階の住人は大変そうでした。
松戸市立博物館の常盤台団地のレプリカは以上となります。
噂には聞いていましたが、想像の斜め上を行くリアル…。
モリネコの中では、文句なしの珍スポ認定ですぅ(≧∇≦*) -
団地とは、一言では語れませんが本当に共同生活でした(笑)
住民全員がアットホーム でもプライベートは皆無…
給料日前に米を借りに来るおばちゃんがいる
他の地区のこどもは入れない団地だけのお祭りがある
友達には困らない 同級生もいっぱい
ただ、小学校の高学年頃には、近所のあちこちでマンションが建ち始め、
団地の魅力は一気に失せて行った様な気がしています。
今はただただ良き思い出です (*´?`*) -
さて博物館での団地のレプリカ見学はここまでにして、
ここからは実際の常盤台団地を見に行こうと思います。
博物館を出て道路の反対側に通じる地下通路に潜ると、
巨大な樹のタイルアートがどーんです (`▽´) b
残念ながら葉っぱが全部落ちとりますがな。 -
イチオシ
博物館から道路を挟んで反対側にある21世紀の森と広場。
アートな銀色キッズ達がツリークライミングを楽しんでいます。
なんか、夏って感じが滲み出てますね。
こういう遊び心のある彫刻は大好きです。 -
森の中で見つけたカブトムシさん(♀)。
見つめられてる事がバレると猛ダッシュで土の中に隠れて行きました。
カブトムシが住める森が残されているのは嬉しい事ですね。 -
21世紀の森と広場から、大通りを進んでいくと常盤台団地に入ります。
(プライバシーの観点から写真は控えめです)
常盤台団地のはずれにさくら公園という公園がありました。
遊具など何もない寂しい公園ですが、日付を見ると昭和35年1月。
何か時代の生き証人を見つけたみたいでちょっと嬉しくなりますね。 -
常盤台団地を南北に貫く「けやき通り」までやってきました。
先程博物館のレプリカ前に展示されていた看板と全く同じですぞ。
常盤台団地は昭和の高度成長期において郊外の発展の象徴であり、
全盛期にはショッピングセンターやプールまで団地内にあったそうです。
しかし、その巨大さが故に成熟期を迎えた時の反動も大きく、
時代と共に少子高齢化・人口減少が顕著に出てしまう結果となりました。
団地内では施設の老朽化が目立つ様になってきた最中、
UR都市機構(旧日本住宅公団)は建物を建て替えせず
有効活用で活路を見出す「ストック活用」の方針を打ち立てました。
つまりは、若い世代など新しい入居者を呼び込むために、
リフォーム作戦で「団地再生」を図ろうとしているのですが、
個人的な見解としては、思う様には進んでいないのが現状なのです。 -
常盤台団地を南北に貫くけやき通り。
けやきの一本一本がすごい立派でびっくら ( ゚Д゚)
団地が醸成された時に植樹されたとすると、樹齢は60歳以上ですかね。
巨大なけやきの樹が続いている光景は圧巻です。 -
こちら常盤台団地の一画にあるスターハウス。
スターハウスとは昭和30年代を中心に建設されたY字型住棟の事。
厳密に星形ではないのですが、住民からは星形と呼ばれてたそうです。
通常の板状住棟に比べて、必要な土地面積が少なくて済むので、
団地醸成の際に余った土地を有効活用するために採用されたそうです。
うーん、斬新… ( ゚Д゚) -
団地内の奥まった所にある施設。
じゃばじゃば池の様にも見えますが、肝心の水は抜かれている状態です。
外側のコンクリは妙に新しく塗り替えられているのに、
誰もいない光景は、寂しさだけが助長されている気がします。
ふと上を見ると、世にも不思議なモニュメントがありまして…。 -
おおぅ。
てんびん棒を持ったおじさんが一輪車に乗ってバランス取ってますね。
タイトルは「不安定の中の安定」。
心がしっぽりした状態で、どうみても「不安定」しか感じないっす。
どういう意図で一輪車おじさんがここにいるのかは謎…。 -
ちょっとディープな話も少々。
団地内ではこの看板が至る所に掲げられています。
なぜここまであいさつを推奨するのか。
その背景にあるのは孤独死ですね。
孤独死は年々増加傾向にあり、現在は深刻な社会現象になっていますが、
その原因は高齢者の単身世帯の増加、貧困問題、外国人労働者、等々
中々一言で説明するする事はできないと言われています。
今、常盤台団地では孤独死や行方不明者を撲滅するために、
行政や自治体が中心になり、地域の絆を強める活動を推進しています。
モリネコの親族も今は元気ですが、決して他人ごとではない問題なので、
そろそろ何か手を打たんとな―と考え始めた今日この頃です。 -
最後に常盤台団地で見かけた光景。
個人的に駐輪場のわちゃわちゃ感は団地ではよく見られる光景ですが、
団地再生をするにはこの状態の改善は必須かと思います。
不動産屋の友人曰はく、
駐輪所の使用状況はマンションの資産価値に大きく影響するので、
壊れ窓理論にもある通り、放置自転車の撤去は進めた方が良いのです。
これは行政や都市機構に期待したいところでもあるんですけどね。 -
放置原付も然り。
このボロボロのカバー… 一体いつからこの状態なのでしょうか。
というわけで今回は団地に焦点をあてて旅行記をお送りしました。
こうやって千葉の魅力?が伝われば幸いでございます。
それではまた~ (* ̄▽ ̄)ノ
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この旅行記へのコメント (6)
-
- fuzzさん 2022/11/21 18:05:30
- 昭和の時代にタイムスリップ!
- morisukeさん、こんにちは。
なんか、久しぶりに「オッサンネコです」って入り方を読ませて頂いた気がします。
お元気でしたか(#^.^#)
ローラー式の脱水機がついた洗濯機、おぼえてます!
赤ちゃんの手押し車、弟が使ってました(´▽`*)
ダイヤル式のテレビ、それも知ってる年代です。
今の時代に比べると、スマホもないし電話も母の実家へかける際は田舎だから交換手に「〇番お願いします」ってつないでもらってたんですよ。
今の便利な世の中はありがたいですけど、昭和の時代が懐かしく戻りたい気持ちすらあります。今は言っちゃいけない言葉とか厳し過ぎて、それが正しいとしても昭和っこの私としては少々物足りなかったりします。
良い時代を思い出させてくれてありがとうございました。
fuzz
- morisukeさん からの返信 2022/11/26 08:22:50
- RE: 昭和の時代にタイムスリップ!
- fuzz 様
こんにちは、コメントありがとうございます (*ФωФ)ノ
最近仕事が忙しくて前よりは書けなくなりましたが、
細々と書いています。そして元気に旅してます!
ローラー式の洗濯機は、お婆ちゃんがずっとウリウリ回してました。
昔の方はとにかく物を大事にしてましたね、
私が中学に上がるまで、ずっと使ってた様な記憶があります。
そして、ダイヤル式のテレビは我が家にもありました。
あれ、チャンネルのツマミの部分が取れるので、
兄弟で見たい番組が異なると、ツマミ取ったもん勝ちの
仁義なき骨肉の争いが常に勃発してました。
今は良い思い出… でもないですね、黒歴史です、はい。
電話の交換…は流石に世代ではなくて、
隣のトトロでさつきがお父さんに電話するときに交換手が出てくるので、
当時のリトル・モリネコには何をしてるか理解不能でした。
今では電話番号すら煩わしい時代になってますので、
時代が移り変わるスピードについて行くのがやっとですね。
言っちゃいけない言葉が多過ぎるのは、全く同感です。
私も根っこは関西人なので、ついついアホやなーなんて言ってしまうんですが、
先日z世代の部下から苦情申し立てを受けました。
変わります、私も。頑張って。
今後ともよろしくお願いしますです ( ̄^ ̄)ゞ
Mori neko
-
- マイレージユリコさん 2022/11/18 10:13:28
- 私も見入ってしまいました
- こんにちは。
私の旅行記にもご訪問ありがとうございました。
拝見させて頂いた団地の旅行記(あっ、博物館の旅行記ですね)、
私も見入ってしまいました。
っと言うのもオットの実家が柏市の豊四季団地だったから・・・
今の柏の団地は新しく建て替えられ、残っている何分の一かは
取り壊しを待つばかりでもう住んでいる方はいないです・・・
オットの母親も5年位前に新しくなった団地へ引っ越ししました。
なのでオットは幼稚園から就職までこの団地に住んでいまして
造りはちょっと違うけれどまさしく博物館そのものの生活だったと
思います。
それにしても入居時そんなに給与をもらっていないと入れなかったなんて、
義理の父はすごいなって関心しました。
「周りはいい会社の方達ばかりだったのよ」って義理の母は良くいいますが、
その方達はさっさと柏の良い所に一戸建てを建てて引っ越して行かれ、
「あん時、買っておけば良かった」と言うのが今でも口癖です。
そうしてくれていれば良かったのに(笑)
娘家族も流山に住んでいますので、今度孫を連れて博物館へ行ってみようと
思います。
常盤台の団地近くも何度か車で通った事ありますよ!
では、また。
- morisukeさん からの返信 2022/11/26 07:44:57
- RE: 私も見入ってしまいました
- マイレージユリコさん
こんにちは。いつもありがとうございます (ФωФ=)
こちらもコメントに見入ってしまいました。
団地黎明期を過ごした方の体験談を聞くと感慨深いものがありますね。
確かに昭和30年台の団地に入るには査定があったそうです。
ただこれには抜け道もあったそうなのですが。
当時は鉄道各社がストライキをバンバン起こしていた時期でもありましたので、
団地のサラリーマン達が会社へ行くのに乗合トラックを常備しておくみたいな、
嘘みたいなホントの話もあったそうです。
私が団地で過ごしたのは、おそらく発展期を超えたあたり。
親父様は旧親方日の丸の鉄道関連に勤めていたので、
その社宅が団地だったわけですが、とにかく“やんちゃ“な方が多くて、
あんまり関わりたくない人が多かった様な気がします(笑)
一番多かったのは、酔っ払いが暴れてる、だったかな (^_^*
当時は団地を出たくてしょうがなかったのですが、
今思えば良くも悪くも共同生活に守られていた様な気もしています。
今では良き良き思い出です。
常盤台団地は欅通りを含め、並木道が大変美しく感じました。
また機会があれば新緑の頃に散歩して、当時の生活に想いを馳せてみたいと思います。
それではまた ( ̄^ ̄)ゞ
Mori neko
-
- Decoさん 2022/11/05 19:26:22
- 見入ってしまいました!
- morisukeさん、こんばんは。
今回の旅行記、思わず見入って(読み入って)しまいました。
冒頭部分から博物館へのアプローチ、そしてメインの団地の展示に、実地(?)見学…。旅行記の構成も素晴らしいです。
また、写真と説明が巧みにかみ合い、次の写真への流れが自然で、単なる旅行記というより読み物として成立していると思います。
私は団地で生活したことはないのですが…友人が団地に多く住んでましたし、その頃のことなども懐かしく思い出しました。私が住んでいる町でも、古くなった団地(市営住宅や県営住宅)は空き家が増えているそうです。一方で見違えるようにお洒落に建て替わった団地もあって、様々です。
スターハウスは、西東京市のひばりが丘団地で見かけた…ような記憶があります(曖昧な記憶で違うかも)。
あの木のお風呂、子供の頃父の転勤で引っ越した家(借り上げ社宅)があのタイプでした。懐かしくも、今考えるとちょっと危ないような方式だった…ような気がします。
私が住んでる住宅街もうん十年前に造成された街で、空き家が目立つようになりました。まだ孤独死とか行方不明などは発生していませんが、ご近所同士の繋がりなど、大切にしなければ地域自体が成立しなくなるかも…と思ったり。
今回の旅行記、楽しく読ませていただきましたが、よくよく考えると難しい問題も取り上げられていて、いろいろ考えさせられました。
Deco
- morisukeさん からの返信 2022/11/17 23:24:59
- RE: 見入ってしまいました!
- Deco さん
こんばんは。コメント頂きありがとうございます。
当方の雑記の中でも紹介しましたが
「団地への招待」という映画はまさにひばりが丘団地が舞台になっており、
その中にはっきりとスターハウスが団地内にある事が写されています。
なので、Decoさんの記憶は正しいと思います (^^♪
団地は今や、老朽化で取り壊されたりゴースト化が深刻になっていますが、
仰られる様に劇的なリフォームを遂げたものもあります。
綾瀬にあるいろどりの杜などが少し前に話題になった事もありました。
ただ今の団地は色々な課題があるのは事実でして、
私が住む街の近くにも外国人が多く住み着いた団地が問題?になっていて、
生活文化の違いから近隣の住民といざこざが絶えないと聞いています。
昔の良き思い出だった団地の生活が、今後の主流になる事はまずないと思いますが、
地域の活性化に繋がる様な打ち手が出来れば、
新たなビジネスの芽にもなりそうな気がします。
寒さが日に日に厳しくなってきますが、体調にはどうぞご自愛くださいませ。
私は1年の中でこの季節が一番好きなのですが (;^ω^)
Mori Neko
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