2022/08/01 - 2022/08/01
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gianiさん
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白老は、室蘭/登別と苫小牧に挟まれ、市ではなく町です。
日高地方と並び、アイヌ文化が色濃く残る町です。
ウポポイや前身のポロトコタンといったアイヌ啓蒙施設が立地し、
白老だけ飛び地のようにアイヌ文化が継承されてきた風土は、
幕末の仙台藩に起因します。
幕末に東北各藩が蝦夷警備を担当し、白老は蝦夷地最大規模を誇りました。
知られざる和人による蝦夷史を紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
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ウポポイのついでに立ち寄れます。
ウポポイの改札では、忘れずに再入場券を貰って下さい。
町営のコミュニティバスに乗車。片道100円です。ウポポイ (民族共生象徴空間) 美術館・博物館
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陣屋跡に到着。
仙台藩白老元陣屋跡 名所・史跡
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町営の博物館が。
ウポポイとは全く被らない内容。
受付でウポポイ入場券を見せると、50円引で見学できます。
仙台藩が北海道を警備することになったいきさつから学べます。仙台藩白老元陣屋資料館 美術館・博物館
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展示室に入る前に、ロビーで7分ほどのガイダンスビデオを視聴すると、概略が分かって便利です。
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プロローグ
ロシアの東進と南下政策
東へ領土を拡大するロシア帝国は、中国の清との国境問題に直面し、1689年に両国間でネルチンスク条約を締結。清に有利な条件で、大陸の国境線が確定した。ロシアに残された道はアラスカ東進と、島嶼部の南下だった。オホーツク海沖の樺太と、カムチャッカ半島から先の千島列島への探検が始まる。 -
1778年に、ロシアのラッコ捕獲事業者パベル・レベデフ=ラストチキン商会のオチエレデンは、通商を求めて霧多布に上陸。翌年松前藩主から交易を拒否される。最初の異人上陸だった。
※海域に異国船出現と、上陸は雲泥の差です。 -
事態を重く見た幕府は、松前藩の単独対応は不可能と考え、1785年以降、最上徳内・近藤重蔵・間宮林蔵等に現地調査および探検を命じる。彼らは、樺太・択捉・北海道が日本の勢力圏内と国際的に認知される基盤を作った。
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林子平
天明年間に活躍した経世学者。仙台藩に仕官して『海国兵談』『三国通覧図説』を著す。対外情勢に明るく国防の必要を説いたが、人心を惑わすものとして蟄居させられる。 -
外交問題
1792年にロシアのラクスマンが根室に寄港。探検とは趣旨を大いに異なり、ロシアに漂着した大黒屋光太夫を保護し、帰国させるためだった。その際、国書を持参し、通商を要求。翌年、函館に返事を訊きに再寄港。
政府間交渉という意味で、鎖国体制では衝撃的事件だった。事態を重く見た幕府は、蝦夷地を幕府直轄領とする(1798-1821)。 -
外国船蝦夷地近海探検調査図
桃:フリース艦隊(1644年 オランダ)※
黄:ラ・ペルーズ艦隊(1787年 フランス)
青:ブロートン艦隊(1796年 イギリス)
緑:ブロートン艦隊(1797年 イギリス)
黄:クルーゼンシュタイン艦隊(1805年 ロシア、レザノフが乗船)
※フリースはヨーロッパ初の千島列島認識で領有宣言するが、島=国後択捉オンリーで、択捉の隣りの得撫島を新大陸の一部と誤認するなど、雑な内容だった。 -
白老の歴史
アイヌの大きな集落があり、17世紀に松前藩が交易所(会所。写真)を設置。白老周辺の村との取引圏内は、白老場所と呼ばれた。天領時代は幕府が管理。塩鮭、干し鱈、昆布、椎茸、熊皮などが買い取られた。 -
仙台藩出兵
1804年に、クルーゼンシュタインを艦長とする探検隊の隊長兼外交官のニコライ・レザノフは、老中松平定信がラクスマンに交付した長崎入港許可証を持参して、通商要求のために長崎入港。しかし進展は無く、帰り道に腹いせで利尻・樺太・千島を軍事攻撃した(1806年 文化露寇・フヴォストフ事件)。 -
幕府は会津藩と仙台藩に出兵を要請し、仙台藩は約2000名を択捉・国後・箱館へ派遣した。任期は約1年に及んだ。
写真は、防衛対象となった択捉の会所。ヴォストフ事件で南部・津軽藩の駐屯部隊が敗北した経緯がある。 -
現状維持と安定を重視したウィーン体制下で、ヨーロッパの動きに落ち着きが見られ、1822年に蝦夷地は松前藩に返還。
しかし黒船来航をきっかけに、1855年に日本は開国する。日露和親条約が締結され、千島列島の択捉島と得撫(ウルップ)島の間に国境線が引かれるが、樺太の国境線は保留になった。北方の緊張が増し、蝦夷地は再び幕府直轄地になる。 -
広大な蝦夷地の警備は、東北五藩に割り当てられました。大大名の仙台藩には、東蝦夷全体が割り当てられました。
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警備拠点建設に先立って、蝦夷地御用掛に任命された三好監物は現地を視察し、幕府が指定した勇払(苫小牧)ではなく、白老が最適と上申し、幕府も承認します。
勇払(苫小牧東部)の幕府支配についての旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11776615 -
白老は背後を山、左右を川に挟まれた絶好のロケーション。
1856年に陣屋(警備拠点)を建設します。
※陣屋:1615年の一国一城令に基づいて、国持大名(北海道なら松前藩)以外は城を持てず、陣屋という形で藩庁を置いたのがルーツ。⇔城。飛び地の出張所なども含まれる。 -
1856年に御備頭の氏家秀之進以下120余名の藩士は徒歩で仙台を出発し、約20日かけて白老に到着。会所を仮宿舎にして元陣屋建設に取り掛かった。建設の一方で、軍事教練も欠かさなかった。任期は当初1年だったが、すぐに延長された。旅費出張費は支給されず、自前で調達しなければならなかった。
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陣屋が完成。左側の外曲輪はお城の二の丸に相当。種々の長屋が置かれた。右側の内曲輪は本丸に相当し、本陣が置かれた。陣屋の周囲には愛宕神社と塩竃(宮城の地名)神社も設置された。
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奥の土塁で一段高くなっているところが、内曲輪の塀で直径125m。上のジオラマだと、右枠外からの眺め。
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出張陣屋
陣屋の建設された白老は、東蝦夷の西端。広大な地域は4つ(後に5つ)の出張陣屋が担当した。本島では厚岸と根室、後に十勝にも設置された。白老をベースに各所へ赴任した。仙台本店、白老支店厚岸出張所ような位置付け。 -
厚岸
道東の拠点として、松前藩が1643年に会所を開設した。最初の天領時代に、蝦夷三官寺の一つ国泰寺が開基された。1856年に出張陣屋が置かれて以降、40名の藩士が駐在した。台場も建設された。 -
根室
千島列島進出の最前線として18世紀に会所が設置され、世紀末にはロシアのラクスマンが半年間滞在した。1856年に40名の藩士が赴任したが、厳しい自然条件ゆえに陣屋完成は遅れた。 -
十勝(広尾)
十勝の中心は帯広ではなく広尾だった。松前藩の会所が開かれていたが、1860年に追加で出張陣屋が築かれ、2,30名の藩士が常駐した。 -
国後
1754年に松前藩の会所が開設、1807年に仙台藩士が警備に当たった経緯がある。1856年に出張陣屋が築かれ、4,50名の藩士が駐在。 -
択捉
1798年に近藤重蔵・最上徳内が調査し、12月には高田屋嘉兵衛が漁場を開設、会所も開かれる。1807年に警備に赴任した経緯がある。出張陣屋は1856年に振別に開かれ、40名が駐在した。 -
初代御備頭の氏家秀之進は、3回も御備頭も務めた。幕末には勤王派、維新後は仙台復興に尽くし、七十七銀行を創設した。
第二代御備頭の三好監物は白老を選定し、屯田制で北方警備を行うことを奏上した。戊辰戦争では勤王派として会津藩討伐に加わるよう進言したが、佐幕派を説得できずに自刃する。 -
蝦夷地分治
各藩の財政を圧迫した北方警備。1860年には、財源の足しにと、現地の一部を藩の領地として統治することを認めた。十勝の出張陣屋が追加されたのも、藩の領地になったことが背景にある。 -
1860年に白老も仙台藩領となり、仙台から派遣された初代代官相澤儀伝太が民政を担当した。他の蝦夷地と比べると、先住民を丁重に扱った。
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上の写真は、オムシャ。旧友との再会を意味するアイヌ語で、毎年先住民に酒等をふるまって労をねぎらった。
会所は、松前藩時代から野口屋又蔵が仕切っていた。和人の搾取でアイヌの人口は減少傾向だったが、逆に白老では増加している。他と比べて、人道的な運営を行っていたと考えられる。
明治政府によるアイヌ同化政策でも、白老ではアイヌの伝統が継承された。 -
1868年の戊辰戦争で新政府は、会津藩の討伐に加わるよう仙台藩に要請。仙台藩は奥州列藩同盟の盟主として、官軍に楯突く。7月には、箱館の新政府軍が白老討伐に取り掛かる。
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御組頭児玉覚之進は、撤退を決意。野口屋又蔵の手配で、小樽経由で帰国。仙台藩と運命を共にした野口屋は没落する。
一方の代官草刈運太郎は任地に留まり、元陣屋を破壊する新政府軍による刀傷が元で自害。仁政ゆえに住民から慕われる存在だった。 -
「蝦夷島奇観」より
アイヌが会所に納品しています。
この商品は何でしょうか? -
海にいる姿
海獣です。
正解は海豹(アザラシ)です。 -
腹を割きます。
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「海狗腎(かいくじん)」と記載。漢方になり、中国への輸出で高値取引されます。
実は、アザラシの(雄の)陰茎および睾丸を乾燥したものです。
漢方では精力剤として珍重。アザラシがハーレムを作ることと関連があるかは不明です。 -
クマ送りの儀式
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バスでウポポイへ戻ります。
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チーズケーキやソフトクリームが美味しいお店。
試食もできます。ななかまどイレンカ グルメ・レストラン
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お洒落なカフェもあります。
カフェ リムセ グルメ・レストラン
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アイヌの民族料理を楽しめます。
カフェリムセ グルメ・レストラン
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