2022/06/14 - 2022/06/14
415位(同エリア3281件中)
愛吉さん
レコードをご存じでしょうか。
表がA面、裏がB面です、当然A面が本命でB面が2番手です。
観光地も同じで、メインに売り出したい観光地がA,それ以外がBとなる訳です。
日光市内では、世界遺産に登録される二社一寺がA面であり、その他の観光場所はB面となります。
二社一寺があまりにも素晴らしいので落差が激しいですが、日光市内にはこんな処もあると判って頂ければ幸いです。
それでは順番に。
表紙は大谷川含満ケ淵入口に立つ地蔵像。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝食前に奇勝として名高い渓谷(含満ケ淵)の散策に出掛けます。
大谷川に沿っての散歩道、入口には目印のお地蔵様が鎮座。
何、熊に注意、歩いているのは私一人、時々オーイと声を出しながら進みます。 -
慈雲寺と記された門があります。
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潜ると小さな御堂が、鍵が掛かっていました。
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地蔵像が並びます、数える度に数が異なる化け地蔵です。
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ずっと続きますね。
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大きいのに小さいの、石碑も交じります。
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首の無いもの、台座だけのもの、色々です。
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首だけのものもあります。
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未だ続きます。
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案内板がありました。
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淵を覗いてみましょう。
男体山から噴出した溶岩が侵食されて出来た峡谷。
勇壮な流れです。 -
一方こちらは瀞、水の色がきれい、滝も流れ込んでいます。
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川に沿って苔生した地蔵が並びます。
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道が細くなって来ました。
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道は未だ続くのですがこの先は足場が悪そう、引き返します。
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再び地蔵を見ながら来た道を引き返します。
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本堂の近く迄戻って来ました。
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これで化け地蔵ともお別れです。
熊にも合わず、地蔵にも騙されませんでした。 -
こちらはホテルに戻る途中市街の一隅にあった地蔵です。
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男体山が見えます。
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次は真光教会礼拝堂。
大正3年立教大学初代の校長ガーディナー氏により建てられたゴシック様式の石造り教会です。
有形文化財に指定されています。 -
全体を見るとこんな感じ。
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礎石には大正3年の文字。
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教会内部。
昨年10月の訪問時には鍵が掛かっていましたが、今日は入れました。 -
祭壇。
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上部のステンドグラス。
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背面のステンドグラス。
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金谷ホテル カテジイン・レストラン
金谷ホテル創業の地、金谷ホテル歴史館に隣接して建っています。
昼食はここで執りました。 -
金谷ホテル創業の建物、有形文化財です。
建築当初は日光奉行所の役宅、その後東照宮の楽師であった金谷家が拝領住居とします。
明治3年アメリカ人ヘボン博士が日光を訪れた際、金谷善一郎が宿として部屋を提供、これがきっかけとなって明治6年金谷カテッジインを創業します。
これが金谷ホテルの始まり、客室は4部屋でした。 -
庭には井戸があります。
ホテル創業にあたり、西洋式改築は一切行わなかった為、サムライハウスと呼ばれ評判となります。 -
井戸は現役。
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2階正面一番の客室。床の間や違い棚がある書院造り。
明治11年イギリス人旅行家イザベラ・バードが12日間滞在した部屋。
彼女は帰国後書いた旅行記で、屋敷の清潔さ、金谷のもてなしの素晴らしさを絶賛、日光や金谷の名を一躍世界に広めました。 -
縁側より奥を望みます、向うは控えの間です。
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バードの部屋より庭を見下ろします。
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筧に蹲踞。
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神橋の麓にある、金谷ホテルギフトショップ、明治26年建築の有形文化財です。
今も現役で活躍中。 -
今回の日光旅行これで終了、東武鉄道で帰ります。
B面・日光如何でしたか。
長い事お付き合い下さり有難う御座いました。
終
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