2022/06/01 - 2022/06/02
850位(同エリア1239件中)
gianiさん
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釧路観光のマストなアイコンは、季節ごとの海産物。
ゼロから学べる無料のお魚博物館も、穴場でおすすめです。
釧路の三大産業の一角は、奥が深いです。
漁獲品目の変遷は、SDGsについて考えさせられます。
そして、舌で味わって初めて素晴らしさを昇華できます。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
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幣舞橋西詰が起点。
昭和38年まで釧路川河口に魚河岸が設置されました。魚河岸発祥の地碑 名所・史跡
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現在は、海産物だけでなく、お土産や観光案内所も入る魅力的な施設に。
釧路フィッシャーマンズワーフMOO ショッピングモール
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逸品ぞろいです。
さんまんま魚政 グルメ・レストラン
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夕方には炉端焼きの屋台が。
チケットを購入し、6店舗から好きなものを購入します。
ちなみに生ビールも大手4社すべて揃います。 -
ホッケ一つとっても、店によって個性が出ます。
岸壁 炉ばた グルメ・レストラン
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ホテルに戻ります。
ここの朝食は美味しいです。
翌朝、宿の無料自転車を借りて、サイクリングへ。 -
日本屈指の漁港へ。
東港の西端に位置し、ニッスイ等の加工工場が隣接しています。
大型の遠洋漁業船も接岸できるインフラです。 -
目的地は、くしろ水産センター。
マリン トポスくし 美術館・博物館
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駐輪場には、面白い看板が。
国際的な水揚げ港であることを感じる内容です。 -
隣りには魚市場が。
昭和38年に釧路川河口から移転しました。釧路漁港 名所・史跡
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マリントポスくしろ(4階)
釧路の漁業を学べます。 -
展示物が古いですが、統計値が更新されており、
ちょっと脱帽もの。
釧路と言えばサンマでしたが、不漁でまさかの152t!!!
ショックです。 -
水揚量は、銚子に次いで第2位!
というか、私が学生の頃と比べ、軒並み2~3分の1に減少。
乱獲の影響は、思ったよりも深刻です。
金額でみると、
水揚の殆どがイワシを占める釧路は、トップテンから外れています。
やはりクロマグロ等の高級魚を獲り、大消費地から遠くない漁港が強いですね。 -
ピンの数を見ても、中国の漁獲量がダントツ。
過去の先進国、今は中国が乱獲の主役です。 -
北の海は、大陸棚より深い部分でも、色々な魚が獲れることが特色です。
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海の地形
釧路は大陸棚だけでなく、近海に大陸斜面(ここからが深海)も存在するのは、漁業面で大きなアドバンテージです。海底5000mまで続く釧路海底谷が沿岸にあるのが分かります。(写真:釧路市立博物館) -
岩場に住む魚
ホッケ:出世魚。1年半以上の年数になるとホッケに。 -
回遊魚:大陸棚に生息。黒潮および親潮に乗って季節移動。
マイワシ 黒潮に乗って夏は釧路沖、秋は親潮で本州へ。
サンマ 親潮に乗って秋に南下。
スルメイカ 晩春に黒潮で北上、夏に北海道で成長し、9,10月に南下。 -
海底に生息するサカナ
ケガニ:水深20m以降に生息
スケソウダラ:水深70-200mに生息 -
海と川を住み分ける魚
シシャモ:産卵のために10月に沖合を回遊し、11月に川の下流で産卵。
サケ:5,6月に日本近海を回遊するものをトキシラズ、秋にオホーツク海を回遊するものをアキアジと呼び、美味。その後、生まれた川で産卵。 -
回遊マップ
赤:スルメイカ
橙:サンマ
黄:マイワシ
緑:アキアジ(サケ)
アキアジは日米露の排他的経済水域に守られています。
サンマやマイワシは自由水域で、国際ルールを守らない漁船の乱獲にさらされています。 -
釧路沖のドットマップ
超豪華な内容です。 -
同上
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釧路の漁業史
1643:松前藩の交易所が釧路川河口に開設
18世紀:鮭・鰊・鱈・ラッコ皮等を産出
1786:白糠で昆布の商品化始まる
1798:対ロ関係の緊張に伴い東蝦夷が天領になる
1821:新潟出身の佐野(米屋)孫右衛門が東蝦夷の漁業経営を行う。主力商品は昆布。 -
箱館開港(開国)以降の地域漁業
概説:必要なものを必要な分だけ獲る先住民から和人に代わり、出身地の漁法を持ち込む。漁獲量急増→資源枯渇の図式が出来上がる。
幕末~明治前半
前浜を中心とする現在の釧路市東部~釧路郡釧路町の沿岸部に、箱館、津軽、南部衆(出身者)が移住してきました。箱館は清国への昆布輸出窓口になり、地域の主力産業になりました。同時にニシン・サケの定置網・ひき網漁業を持ち込みました。
旧釧路村、米町、桂恋村、昆布森村は、現在も地名として残っています。 -
越後衆
明治30年代には、延縄(はえなわ)・手繰(底びき網の前身)網漁の技術を持つ間瀬(現新潟市西蒲区)と次第浜(現北蒲原郡聖籠町)の漁師が釧路へ移住し、海底に生息するタラ・カレイの漁場が開かれました。漁場は、前浜から沖合に移動します。底引き網漁は、現在も釧路の主力漁法です。
彼らは、川崎船と呼ばれる沖合漁業に適した船を持ち込み、明治40年代以降は釧路で製造されました。 -
上図:新潟の間瀬と次第浜
下図:越後衆の拡散。釧路では、現在の幣舞橋両岸に移住しました。 -
山たて漁法
漁場の位置を、船から見える島・岬・山の形や重なりで測る方法。
「魚は山で獲る」という諺があるように、優れた船頭は網をひく位置を陸の形と海の深さで探し当てました。写真の山たて図は、間瀬出身の力石寅市船頭のもので、昭和30年ごろ作成。 -
八戸衆
明治40年代に青森県の旧南部藩地域から移住した人たちは、釧路市西部の沿岸に住み着きました。彼らは、巻き網漁法(写真左上)を持ち込みました。ニシンの群れを網で包み込む巻き網漁法は、幕末以降~明治前半にかけて南部衆が持ち込んだ定置網やひき網漁法よりも効率的でした。グラフの黄色部分を見ると、ニシンの水揚量が明治40年に急増し、10年もしないうちに枯渇したことが窺えます。
※ニシンの少なくなるとイワシ漁に用いられ、昭和以降の主力品目に。 -
越中衆
明治末から釧路沖で獲れ始めたマグロは、昭和初期にピークを迎えました。マグロを求めて、富山県入善町・朝日町から移住しました。マグロの利益は、釧路発展の基盤となりました。 -
マグロ漁の副産物は、マグロ取引を通じて市場の組織が築かれたことです。
水揚されたものは、競り人と仲買人の間で取引されるシステムです。
越中衆が住み着いたエリアに隣接して、共同市場(写真。入舟町5,6丁目)が設置されました。市場を中心に加工業者や造船所などが一か所に集約されました。 -
共同市場があった場所(対岸)の現在の光景。
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漁業基地
釧路港の漁獲水揚量には、外来船(※)も含まれます。昭和30年には、地元と外来の比率は同等でした。日本の最東端に位置し、北洋漁場の入口として、太平洋岸のみならず、瀬戸内・東シナ海からも季節の魚を求めてやってきます。
※外来船:港のある都府県以外の船籍。北海道は、港のある支庁以外の船籍。したがって、隣接する根室支庁等のの道内船も外来船になる。 -
水揚量日本一になる(1969~1991)
200浬漁業規制始まる(1977~)
豊富な水資源を背景に漁獲量は右肩上がりで、
各国が領土周辺海域の権利を主張しても、外来船の基地として進化していた故に、日本一の漁獲量を維持していました。
1992年の北洋におけるサケ・マスの公海(どこの国にも属さない自由海域)における沖獲り禁止、1993年の公海流し網禁止等、漁業資源の保護に国際社会が取り組んだ結果、日本一の座を明け渡して現在に至ります。
右図は、200カイリ時代における日ソ鮭鱒交渉。その年の割当量が決まると、全国ニュースで大々的に報道されたことを思い出します。 -
排他的経済水域では、外国船の操業禁止だけでなく、入漁料を払って操業する、相手国の漁船から洋上で買い取る、割当量を設定して漁獲総量を制限するなど、様々な方法が採られます。
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増殖事業
鮭の増殖事業は、乱獲で資源枯渇した村上藩が1702年に稚魚放流して以来、300年以上の歴史があります。北海道でも明治期から行われています。 -
昆布は、育ちやすいように雑草を取り除いたり、石を投げ入れて根付きを良くする等のケアが行われています。
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魚の流れ
水揚されたものは、隣りの生産地市場または新富士にある消費地市場に送られます。
生産地市場では、競りにかけられた後に全国へ出荷されるか、隣接する加工工場で缶詰・練り物等に加工されます。消費地市場は、競りにかけられた後に地元の小売業者(スーパー・魚屋・大型飲食店等)へ卸されます。
展示資料によると、鮮魚として出回るのは全体の僅か8%。大半は家畜用飼料の原料、次いですり身加工となっています。 -
入港する漁船の種類
排水量の大きい順に遠洋漁業→沖合漁業→沿岸漁業と、陸地から漁場との距離に比例しています。2番が500t級です。
沖合の巻き網船は、探索船・網船・複数の運搬船から成る船団を組みます。 -
捕鯨
昭和30年代の捕獲頭数は、釧路が1位。ベスト5には厚岸・霧多布(共に釧路支庁)もランクインされ、釧路地域の圧倒的強さを感じます。 -
捕鯨史
先住民アイヌは、浜に打ち上げられた鯨を食用にしていた。
商業捕鯨は1944年に極洋捕鯨が、1951年には日本水産が釧路で沿岸捕鯨を始める。戦中戦後の食糧難や、鶏肉の4分の1の価格という手軽さで需要が高まり、日本一の捕獲数、水揚量もトップクラスになるが、鯨資源の減少と反捕鯨国の捕獲制限によって、極洋捕鯨は1964年・日本水産は1965年に釧路での操業を打ち切る。
※東日本では鯨文化は浸透しなかったが、戦時中に釧路の加工所が赤身肉の臭みを消す方法を開発し、普及に一役買った。 -
小型捕鯨
戦後は、小型船で獲れるミンククジラを捕獲する沿岸小型捕鯨も春から秋にかけて盛んにおこなわれ、7-9月は地元船だけでなく外来船も集結しました。内地と違い、北海道での操業は、捕獲したミンククジラを船内で解体でき、新鮮な肉を提供できた点が特異です。 -
お土産は、釧路駅近くの和商市場がおすすめ。
鮭専門店が多く入り、この時期は脂ののったトキシラズが絶品です。
何店か回って、現物を見比べると仕入れ状況が分かります。
値段に比例して、味が良くなります。
希少品なので、水揚日よりも個体のクオリティが優先。
美味しいものは、外見が違います。
すべてを味わえる一頭買いがスマート、お店で切り分けてくれます。釧路和商市場 グルメ・レストラン
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変化球ですが、魚醤ラーメンの名店。
絶対に味わうべき一杯です。
丹頂市場に入っています。らーめん工房 魚一 グルメ・レストラン
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おまけ
川崎船
沿岸漁業一辺倒だった釧路で、沖合漁業を可能にした船。4-5人で乗り込み、底引き網の先駆けとなる手繰網漁を行った。
全長9m、幅2.4m、重量3トン、杉材、帆を張ると9ノットまで出し、深部に投入した網を引き揚げる動力にもなった。
釧路市立博物館より
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