2022/06/01 - 2022/06/01
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gianiさん
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17世紀に松前藩が開発して以来、
明治以降は文化の香り高い最果ての都市として、
啄木を引き付けた街。
そんなエリアを巡ります。
- 旅行の満足度
- 4.5
-
旅の始まりは、啄木に倣って釧路駅から。
実は啄木の頃と比べて、かなり移動しています。釧路駅 駅
-
初代の釧路駅(最果て駅だったころ)があったところ。
現在は市街地の一角で、幸町公園になっています。幸町公園 公園・植物園
-
SL展示と共に、モニュメントが歴史を証言します。
北海道鉄道記念塔 公園・植物園
-
北海道三名橋の一つです。
現在は昭和3年竣工の4代目です。
釧路川河口部に架かる橋で、釧路市の東部と西部を結ぶ重要橋でした。 -
旅の舞台は、幣舞橋左岸。
幣舞橋 名所・史跡
-
石川啄木が働いていた旧釧路新聞社の社屋を復元した文学館。
※北海道新聞の前身。現在の釧路新聞とは無関係。港文館 美術館・博物館
-
函館・小樽を経て、当時の鉄道路線の最果て、釧路駅に降り立ちました。
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社屋の前で集合写真。
シルクハットを被っているのが啄木です。
明治41年に76日間滞在しました。 -
釧路の花柳界で、当時一番人気の芸者。
市子は、料亭鹿島屋のお抱え芸者でした。
啄木も取材で度々訪れ、著作で彼女を褒めそやしています。 -
妻の節子とツーショット。
妻子は小樽に残し、釧路は単身赴任でした。
啄木は、結婚や育児に拘束されず、自分の夢を追求する女性像を理想としました。
一方で彼のライフスタイルは、妻に要らぬ苦労を強います。 -
1階の展示は釧路港について。
和人にとっての釧路の歴史は、釧路港の歴史と同義です。
写真は1644年の「正保絵図」で、当時は久寿里(くすり)と呼ばれました。
松前藩の交易船が訪れ、アイヌと交易しました。 -
明治20年には、安田財閥が弟子屈で硫黄を採掘。精錬所のある標茶まで鉄道で輸送した。釧路川は、標茶への石炭輸送と釧路への硫黄輸送に利用される。
※硫黄は直ぐに枯渇し、明治29年に閉山。 -
明治42年に釧路新聞社長の白石義郎は、国会(衆議院)議員として帝国議会で「釧路港修築予算」を通過させ、現在の東港部分の整備が始まりました。
-
明治末の港の景色
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昭和50年には西港も供用開始し、
現在は岸壁延長10kmを超えます。
ダントツの苫小牧を筆頭に、函館、室蘭に次ぐ第4の港です。 -
取引のほとんどは国内で、移入(工業製品)に対して移出(畜産品・生乳)は控え目。
貿易は輸入過多で、肥料/飼料/石炭が主要品目です。
※炭坑閉山で、石炭も輸入に頼るようになりました。 -
海沿いの公園。
海へ向かって標高が上がるテーブル状の台地。
灯台は低く 霧笛は峙てり の啄木歌碑が。米町公園 公園・植物園
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釧路崎灯台を模した展望台に登ります。
釧路の天気は、目まぐるしく変わります。
あっという間に霧に覆われました。 -
江戸時代から啄木滞在期まで、釧路港は米町公園に隣接する部分でした。
啄木も、ここから海路で釧路を離れました。 -
海を背にした景色。
ここが、久寿里時代から続く原始釧路の街です。 -
明治33年(1900年)築の商家。
現存する市内最古の木造建築。
米町公園に面し、内部が一般公開されています。
地元ボランティアが管理しているので、
事前に開館曜日・時間をしっかり確認してください。米町ふるさと館 美術館・博物館
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内部には、界隈の歴史と生活用品のコンパクトな展示が。
蝦夷地(先住民の土地)は、松前藩の活動領域でしたが、
対露関係が緊張した1798-1822年および1855年以降は、
東蝦夷地は幕府直轄領になりました。 -
ここはアイヌ語でクスリと呼ばれ、久寿里という漢字が当てられました。
写真は1798年の光景。会所と呼ばれる和人と先住民との交易所が設けられました。
藩や幕府の管理下にありましたが、実際は商人が仕切っていました。
旅宿所等も建設され、東蝦夷地の漁業・交易・交通の要所でした。 -
新政府の下で明治3年に釧路郡に編入され、
同5年に久寿里は釧路村となり、同8年には独立して、米町になります。
米町通りは釧路の政治経済の中心地で、大いに栄えます。
写真は大正3年の光景。 -
釧路会所跡
交易所で、現在は公園になっています。佐野碑園 公園・植物園
-
越後出身の漁場持の第4代佐野(屋号:米屋)孫右衛門を中心に運営されました。
明治初期にかけて本職の昆布漁だけでなく、硫黄鉱山開発や私費で道路を整備するなど、釧路発展の基礎を据えました。 -
明治期は官公庁や公共施設と並んで、
料亭が立ち並び、啄木も足しげく通いました。 -
会所跡より内陸側は丘陵地になっています。
丘の上には、大日本帝国の出先機関である
旧北海道庁釧路支庁舎が建っていました。
現在は幣舞公園になっています。幣舞公園 (花時計) 公園・植物園
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最上階が、展望室として公開されています。
壁側には歴史的展示パネルも。
写真は、霧の合間から見える幣舞橋。釧路市生涯学習センター展望台 名所・史跡
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米町方面からの空中写真(昭和37年)
手前が米町で、橋の手前の丘には道庁の庁舎が(現在地)。
釧路川の先(写真奥)は、釧路駅等の新市街。
幣舞橋周辺は、多くの漁船が停泊しています。 -
幣舞橋の歴史
0代
明治22年に名古屋の愛北物産が掛けた私設の有料橋愛北橋がルーツ。
米町と鳥取(釧路駅の西側の地名。鳥取藩出身者が開発した)を結ぶ道路上に架けられた。結氷に耐えきれずに落橋。
初代
明治33年に国費で架けられる。釧路駅方面へ通じる。 -
2,3,4代目。
築港の整備によって西岸が発展し、通行量が激増。
街の中心も西岸へ移動し、現在に至ります。 -
2階には市立美術館が。
企画展で、歴代の郷土賞受賞者の新作が並ぶ秀逸な展示会でした。釧路市立美術館 美術館・博物館
-
おまけ
幣舞橋西詰から。
夕方は、綺麗に晴れました。
続編はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11758593
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