2022/06/11 - 2022/06/11
979位(同エリア1372件中)
gianiさん
- gianiさんTOP
- 旅行記238冊
- クチコミ54件
- Q&A回答0件
- 805,180アクセス
- フォロワー16人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
自然・人文すべてを網羅する市。地域の百科事典的存在です。
特に、アイヌの展示は充実。読んで学び、見て納得のコレクションです。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
今回の舞台は、旧釧路川東岸。
釧路駅から線路に沿って東進します。
まずは、アイヌの遺跡を巡ります。 -
住宅街の中に残る不自然な丘。
-
トミカラアイノ(人名)が18世紀半ばに築いたチャシで、比高18m。
モシリヤは島のある川、チャシコッはチャシ跡という意味。
チャシは、アイヌが柵や崖や壕で集落から区切った区画の施設で、用途は定説がない段階。不自然と言いましたが、アイヌは盛土せずに、自然環境で盛り上がった地形を利用しました。興味深い価値観です。モシリヤチャシ跡(史跡釧路川流域チャシ跡群) 名所・史跡
-
市街地の公園
池に架かる朱の太鼓橋と和風の武道館がマッチしています。鶴ヶ岱公園 公園・植物園
-
春採湖に突き出す岬上の崖の上に築かれました。
チャランケは裁判・談合を意味し、チャシの用途を推察できる名称。ハルトルチャランケチャシ跡(史跡釧路川流域チャシ跡群) 名所・史跡
-
公園のネイチャーセンターでは、園内の多彩な生態系について学べます。
春採公園 公園・植物園
-
海に面した海跡湖です。縄文海進が終わり、出口が海流に乗った砂で塞がれ、現在の姿に。
春採湖 自然・景勝地
-
水道メータ。
冬季は地面が凍結してメータボックスの蓋が開かないので、目線の位置に隔測メータを設置。寒冷地らしい仕様。 -
鳥の巣箱が
-
湖岸には、かなり見応えのある博物館が。自然人文科学すべてを網羅しています。
釧路市立博物館 美術館・博物館
-
大地の移り変わり
白亜層を基盤に、古第三紀層(石炭が含まれる)、火山活動の影響を受けた新第三紀層、現在に至る第四紀の地層が重なる。 -
石炭
古第三紀層を細分すると、浦幌層群のうち春採・天寧・雄別・双運・尺別の5層に石炭が含まれる。上記5層には、石炭層が帯のように幾層も重なっている。石炭層の厚さは1-3m。植物の遺骸が分解されずに積み重なった泥炭層が、その後の火山活動による熱変成を受けたものである。
写真は釧路炭田を構成する炭鉱のビッグ3。左より春採炭、尺別炭、雄別炭。 -
人類史における地殻変動
最終氷期(ウルム氷期)後、縄文時代にかけて陸地に海水が陸地に侵入し、現在の平野部は海で覆われた(釧路地中海・古釧路湾)。縄文海進のピーク時の海岸線に沿って、貝塚等の遺跡が分布する。
弥生時代にかけては海退し、古釧路湾の出口が海流に乗った砂で塞がれたために水はけが悪く、湿地になる。湿地には泥炭層が形成され、今後の条件が揃えば、遠い将来は石炭層になる可能性を秘めている。
現在の湿原や沿岸の湖(釧路湿原・春採湖等)は、縄文海進時に海だったことの名残。 -
釧路の昆虫
寒地系(南北海道)の生き物が多い。最も分かりやすい特徴は、鳴く虫が少ない事。阿寒湖畔等は火山活動の熱で暖地系の生物が生き残っている。植物、動物の分布も、上記に準じる。 -
海洋生物
暖流(黒潮)と寒流(親潮)が交互に流れ、魚種が豊富。寒冷なので、魚の餌も多い。特に釧路市は沿岸に海底谷が広がるので、深海魚も生息する。沿岸は、釧路市を境に西側は浜で底魚の宝庫、東側は崖で、磯系の魚介類と、変化にとんだ地形。釧路港が長年水揚高No.1を維持してきたのもうなずけます。 -
カニ
手前 ケガニ:身が少ないので肥料として使用され、食用になったのは1930年代という驚きの歴史が。
奥 タラバガニ:鱈場漁場に生息することが名前の由来。カニ類より足が一組少なく、生物学的にはヤドカリの仲間。花咲ガニも然り。 -
昆布
釧路以東の太平洋岸にのみ生息するものも多い。
左 オニコンブ:通称羅臼昆布。高級種。厚岸~羅臼に生息。
右 ネコアシコンブ:釧路~千島列島に分布。 -
鳥獣
津軽海峡を境目に、はっきりと生態が分かれる。つまり、北海道へ行かないと観られないものばかりということ。 -
左:エゾシカのこども
中:エゾユキウサギ(冬毛):夏毛は茶、体重2㎏、穴巣を作らず、出産育児時に窪みを造る程度。
右:エゾシマリス(体重70-120g)秋に体重の10倍ほどの餌を巣に蓄え、冬眠中は10日ごとに目覚めて摂食・排泄を行う。 -
イタチ類
在来種はエゾクロテン(写真)、エゾイタチ、コエゾイタチの3種。外来種は、明治初期にホンドイタチが侵入。昭和30年代には米国からミンクが養殖用に持ち込まれて野生化。侵入種のホンドイタチがエゾイタチの生息地を奪い、今度はミンクがホンドイタチを追いやっている。 -
ホンドイタチの侵入経路
1870年に箱館港から侵入。1929年までには道内に浸透。1939年には道東の風連湖まで到達。 -
ヒグマの足跡
ほかにもエゾリス、エゾシカ、エゾユキウサギなど、様々な動物の足跡が解説されているところが釧路らしいです。 -
鳥類
野鳥50種、水鳥20種、海鳥7種。種類生息数共に多く、7種が天然記念物に指定されている。写真はウミガラス。 -
海獣
豊富な魚介類を求めて、北方からトド、アザラシ、オットセイなどが訪れます。 -
シロナガスクジラは、全長25m体重150t。下顎の骨(赤い部分)の全長は6.7m。
エサは体長が僅か数センチメートルのオキアミです。 -
上記の下あごの骨。理解不能なスケール。
体長の4分の1が顎と考えると、すごいです。現在は捕獲禁止です。 -
クジラは、大きくハクジラ類とヒゲクジラ類に分かれます。
ハクジラ類は歯があり、体長4m以下のものはイルカに分類されます。
ヒゲクジラ類は、あご骨に歯ではなく櫛状のクジラヒゲが生えており、獲物を海水ごと呑み込み、ひげで濾し取ります。 -
ミンククジラの頭部
ヒゲクジラ類たるクジラヒゲがあります。2002年に捕獲された個体で、全長7.5m体重5.5tと模範的なまでに標準的な雄のスペック。 -
人類史
縄文時代の遺跡は当時の海岸線沿い、現在の平野と丘陵部の境界付近に分布します。主要な生計手段は狩猟、漁猟、採集です。石器を使用しました。 -
続縄文時代
弥生・古墳文化が伝来しなかったので、続縄文時代と呼ばれます。自然の食糧源が豊かだったことと、寒冷なので稲作ができなかったので、縄文時代と同じ生活様式が続きました。雑穀栽培も、小規模に行われました。樺太や千島列島から集団で漁をすることを生業とするオホーツク文化人の影響を受け、海岸台地に多くの集落が築かれます。 -
擦文時代
内地の奈良~鎌倉時代に相当する期間。動物や魚、木の実を取って暮らしました。釧路川の河口から川筋に沿って集落が造られます。写真のように石器から鉄器へ、機織りや竪穴式住居に竈を設置する等の本州の文化が流入しました。
出土する土器が、擦ったような文様へ変化したのが名前の由来。 -
アイヌ時代
内地の室町時代以降です。オホーツク文化人を北方へ駆逐かつ同化し、擦文および本州文化を吸収してアイヌ文化へ変貌しました。素焼の土器から、漆器・鉄器に変化します。住居も、地面を掘り込んだ竪穴式住居に竈を設置するスタイルから、柱と梁を組んだチセに囲炉裏を置くものに変わる。 -
チャシ
16-18世紀に太平洋岸で見られた施設。
集落の中・隣接する天然の小高い地形に設置。用途は儀式、砦、話し合いの場等の説があり、複数の用途で使用かつ時代と共に変遷という説が定説になりつつあります。 -
和人の北海道史
14世紀後半:安東氏の配下で、渡島半島に和人地が築かれる。
1454:現地に道南十二館が設置され、和人商人・アイヌの交易を管理。
1456:コシャマインが武装蜂起。
1457:安東軍の武田信広が鎮圧し、支配が余市~鵡川線まで拡大。
※商人が交易目当てに移住し、東北の領主安東氏が支配。現地は、代官が統治しました。アイヌは魚や毛皮を輸出し、鉄器や漆器、米や酒を輸入しました。1456年に蜂起したのも、鉄器(鍋等)が入手困難になったことがきっかけでした。 -
1593:宗家の安東氏から独立した蠣崎慶広(武田信広の玄孫)が、豊臣秀吉から蝦夷全土の支配権を受ける。
1604:蠣崎改め松前盛広が、松前藩主としてアイヌとの独占交易が保障される。
1669:松前藩はシャクシャインの戦いを制し、常呂~厚岸線内を支配。
※松前藩は無石高(米を収穫できないため)で、1万石の大名格に相当。収入を貿易に依存していたために、不当な交換比率を強行し、シャクシャインの戦いを誘発。広域のアイヌを相手に苦戦した結果、多くの土地を支配下に加えます。アイヌは魚鳥獣を輸出し、米・酒・木綿・小袖を輸入しました。 -
交易所
松前藩は出費を賄うために、領域外の支配地域にも交易所を開設した。釧路では、1643年に厚岸・久寿里(現:釧路)、18世紀に白糠・霧多布に交易所を開設した。商人に実務を請け負わせ、会所でアイヌと取引した。商人は運上所の役人に上納金を納めた。交易対象になるアイヌの村々を場所と呼んだ。 -
1779:厚岸にロシア船出没。以降異国船が沿岸に度々訪れる。
1785:幕府、蝦夷地調査に乗り出す。
1786:白糠・釧路で昆布の商品化が始まる。
1789:国後と根室の目梨のアイヌが蜂起し、釧路も巻き込まれる。
1793:ロシアのラクスマンが根室に寄港。幕府に通商を要求。
1799:国境警備強化を目的に、東蝦夷は天領(幕府直轄地)になる。
1802:東蝦夷は、幕府が新設した箱館奉行所の配下になる。
※ロシアの南下政策に危機を感じた幕府は、東蝦夷を直轄地とする。交易を管理するのみならず、国防のために馬の通れる道路及び旅宿所を整備。1799の釧路厚岸道路を筆頭に、斜里山道・網走山道などが開通。ウィーン体制の影響で1821年に、東蝦夷は松前藩に返還される。 -
道東の交易所の変遷
隣接する十勝場所までは、藩の家臣の知行。白糠、釧路、厚岸は藩直営。霧多布は厚岸に統合されている。根室にも場所がある。
天領になり、白糠も釧路に統合。近隣では宗谷から斜里が分離。
日米和親条約で箱館開港が決定し、翌年に日露和親が締結されると、蝦夷は再び天領になる。釧路と網走は幕府地、周囲は警固役の各藩に与えられる。十勝・厚岸・根室・国後は仙台藩、標津・斜里・北見は会津藩、 -
箱館開港後は、寄港船に石炭を供給するために、白糠等で石炭が採掘されました。
-
クスリから釧路へ
明治維新後、政治は天皇を擁した政府へ。律令が復活し、明治2年には従来の五畿七道に八道目の北海道が加わります。北海道は釧路国を含む11か国で構成され、合計86郡が誕生。北海道釧路国釧路郡が誕生します。北海道は分領支配され、釧路郡は佐賀藩が統治します。
明治4年には、開拓使が直接統治し、翌年には釧路郡釧路村が誕生します。
明治15年の廃使置県で根室県に編入、明治19年の廃県置庁で北海道庁根室支庁になります。
昭和22年に現在の北海道に。2010年に釧路支庁から釧路総合振興局へ。旧根室支庁の根室振興局も総括します。 -
釧路村は明治33年に釧路町、大正9年に釧路区(札幌区函館区等と同格)、大正11年に釧路市になります。市制施行に際しては条件をクリアするために、人口密度の低い部分を釧路村(現釧路町)として分離独立させ、スリム化しました。現在釧路市と釧路町が隣接してる歴史的背景です。
-
移民と馬産
明治以降、内地からの移民が増える。明治17年には旧鳥取藩士が現在の新富士駅付近に屯田兵として移住、現在も鳥取という地名として残る。軍用馬・開墾馬を育て、一大馬産地となる。 -
明治44年には大楽毛で馬市が開かれ、道内から馬が集結した。大正4年の円グラフを見ても、釧路産が圧倒的。日本を戦争に駆り立てた大冷害に伴う昭和大恐慌で馬の価格は暴落、酪農へシフトする。浜中町茶内の生乳は、量はもちろん品質も最高級。
-
漁業
釧路市の三大産業の中で、最も古いものです。長らく昆布が大半を占めていましたが、明治期に移住した東北北陸の漁師が漁法と漁船を持ち込み、大いに発展しました。特に底引網漁は漁獲量が多い反面、網を下ろした場所を荒廃させるので、早くも大正期に地域や時期等の制限が課されます。
回遊魚を追いかける釧路地域外の外来船が多く集まり、戦後長らく漁獲量日本一の港でした。現在、200カイリ宣言や水産資源の減少の影響を強く受けています。 -
森林伐採業
背後に広大な森林を擁し、明治32年開港の釧路港は道東の材木積出港として機能した。マッチ棒から丸太まで生産したが、特に用途が多かったのが、輸出用の鉄道枕木。
釧路川・阿寒川の松材は紙の原料になり、製紙は釧路市の三大産業の一角に台頭した。電力供給も整備された明治33年に静岡の富士製紙(昭和8年に王子製紙に吸収合併)が工場進出したのを皮切りに製紙の街になる。釧路出身者にとって、車窓から見る製紙工場の煙突から出る煙は、帰省を実感させるシーンだった。2021年には日本製紙が撤退し、新富士の王子マテリアのみが残る。
※富士製紙工場近辺の住所は新富士となり、現在は釧路唯一の製紙工場として稼働してる。 -
石炭採掘
釧路市の三大産業の一つ。明治4年にオソツナイ、同21年に春採(共に春採湖の東側)で採掘開始。当初は硫黄鉱山を運営するための燃料だったが。工業の発展に伴って需要が増す。大正末期に機械化が始まってから、生産量が急激に伸び、昭和30年代まで釧路の繁栄を牽引する花形となる。
写真は手掘り採炭時代の友子制度の史料。石炭採掘は職人の仕事で、親分・子分の師弟制度が存在した。右下の免状が与えられると一人前。仕事のみならず、冠婚葬祭やケガ等の相互扶助も兼ねていた。
現在も、国内唯一の坑内炭坑が操業中。 -
インフラ整備と市街地拡大
釧路の街は釧路川東岸に発達した。明治32年に釧路港開港および釧路川に橋が架かるのをきっかけに、同34年に釧路駅開業、同40年に函館・札幌と鉄道が繋がった。これらは釧路川西岸の出来事で、釧路駅周辺にも市街地が広がった。大正11年には市制も敷かれ、電気・上水道等も整備された。写真は消防サービス。 -
第二次世界大戦以降
釧路の石炭は、海送時に空襲に遭うので昭和19年に休山。昭和20年7月に、釧路市は大規模な空襲の被害を受けます。戦後復興の要として、石炭採掘は重要な役割を果たし、炭鉱従事者は増加し、食糧難の時期も衣食住が保障されました。現在の釧路市域の人口は昭和55年の約22万をピークに、16万まで減少。2018に苫小牧市、2021年には帯広市に追い抜かれます。若者の流出が原因です。 -
幕末のアイヌ集落分布
集落は通常5,6軒から成る。20軒以上の大きな集落は、会所のあった釧路、厚岸、白糠、昆布漁の琵琶瀬、昆布森周辺。釧路がメガなのは、幕府の政策と雇われ漁師として生活していたから。チャシの分布から見ても、順番的にはアイヌが多く生活するポイントに会所を開設したと読み取れる。本州以南と比べると、圧倒的に過疎地域。 -
漁撈
産卵のために川を遡るサケ・マス類は、重要な食料だった。突き鉤で仕留めるのが基本だが、水量の多い釧路川・雪裡川では巻き網漁を行った。川幅が狭い支流では魚どめの柵を作り、たも網で掬い上げた。
砂浜では引網漁、沖に来るマグロ・トド・アザラシ・オットセイは離れ銛で捕らえた。 -
チプ(丸木舟)
湖・河川で使用。全長4.9m幅0.5m。 -
イタオマチプ(板綴船)
丸木舟をベースに板を縄で綴じ合わせている構造。河川・湖沼・海で使用。
全長7.6m幅1.3m。錨はエゾマツ製。 -
狩猟
漁撈と双璧を為す男性の仕事。弓矢によるエゾシカ猟がメインで、肉や毛皮を求めてヒグマも獲る。仔グマは生け捕りにして信仰儀式で使用した(後述)。 -
採集
女性にとって大事な仕事。野生の植物のうち500種を食用にしていた。ヒシの実を主にウバユリの鱗茎、コウホネの根茎から澱粉質を抽出した。 -
農耕
かつて雑穀栽培をしていたが、交易で手に入れる方が効率が良いので江戸時代は休止、幕末に再開。川岸の肥沃な土壌で、耕作した。農具も洗練されている。 -
衣装
クマ・シカ等の獣皮、カモ・ウ等の鳥皮、サケ・イトウ等の魚皮、ハマニンニクで編んだ草衣があった。内地から機織り技術が伝わってからは、木の皮や草の繊維を割いて糸を紡ぎ、布を織った。
江戸時代には本州や大陸との交易で、木綿や絹のきれ・古着を入手し、衣服を作った。小袖・中国服・陣羽織などは、儀式のときの晴着として着用している。 -
食
主食は、サケ・マス・シカの肉、たっぷりの山菜、動物脂を加えた汁。副菜は採取したウバユリ・コウホネ・ヒシから抽出した澱粉に山菜を加えた粥。山菜のおひたし・油炒め、焼魚が副菜となった。
冬季は天日乾燥・燻製・焼干した保存食が重要な位置を占めた。 -
住
屋根や壁は、マツ・ナラ・キハダの樹皮やヨシを葺いて使用。川上に向かって神窓を設置するのがルール。 -
育児具
背負う際は椅子に座らせて負ぶった。ゆりかごも使用。 -
喫煙具
石・木製の煙管。金属製は、交易で得た高級品。
葉タバコは交易で得る高級品で希少だったので、良い香りのする草を混ぜで刻んだ。喫煙は、嗜好以外に魔除けの意味合いもあった。 -
装身具
ガラス玉・金属は交易で得たもの。
耳輪
男女ともに、幼少時から耳に穴を開けて着用。金属製の耳輪は、大陸伝来の風習。
首飾り
女性のみが儀式で着用し、魔除けの意味合いが。 -
楽器
アイヌは太鼓や五弦琴(共に大陸伝来)も嗜んだが、釧路にはない。
口琴(ムックリ)や草笛を吹いた。 -
信仰・儀式
世界は、人間の生活する現世と神々の住む天上界に二分。神々も人間と同じ生活をしており、彼らが人間の前に姿を現す際は、あらゆるものに姿を変えると信じた。
ご利益を与える神には、感謝の儀式を執り行った。 -
特に、山の神のヒグマ、沖の神のシャチ、村の守り神のシマフクロウの霊送りの儀式は盛大に行われた。
漆器は宝物で、儀式で用いられた。 -
ヒグマの霊送り
ヒグマには山の霊が宿っている。穴グマ猟で生け捕りにした仔熊を集落の全員で育て、数年後に親元の天上界へ盛大に送り出す儀式。丸太の間に首を挟んでト殺した。写真の幣棚は、川上に向けた。 -
クマ送りの木幣の祭壇。鮭・酒などを捧げた。
1955年に「野蛮な儀式」として、北海道知事により事実上の禁令を意味する通達が出され、2007年に撤回される。 -
髭箆(ひげべら、抱酒箆)
神へ祈るときに、祈りの詞を唱えながら神への伝達者である来幣に酒を捧げる祭具。人間の祈りの詞が足りない部分を補うとされる。 -
明治アイヌ風俗絵巻より
-
同上
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
釧路(北海道) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
69