2022/03/31 - 2022/04/05
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ST&G-旅に恋するウミガメさん
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この旅行記で紹介するのは、桜満開の府内城。現在は内苑の見学が出来ませんので、濠の周りを散策しながら『お花見』を楽しむことにしました。ピンクの花びらが夕焼色と混ざり合い、これもまた風情がありましたよ。日本人が愛でてやまない桜。城址公園を歩くことは出来ませんでしたが、この春旅では城と花の美しさに癒された私です。夕飯は府内城近くにある『こつこつ庵』へ。久しぶりに店を訪れた家人は、店のトレードマークを見て昔を懐かしんでいましたが、グループで訪れるのも良し、おひとり様で訪れるのも良し…。週末の夜は込み合いますので、事前予約がお勧めです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
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大分に到着。
この日のホテルは府内城のすぐ近くでしたので、夕飯までの時間を利用してひとり府内城の散策に出掛けることにしました。
画像は大分市役所。 -
府内城の前身は大友氏の居城。
国を揺るがす『二階崩れの変』(大友家のお家騒動)が勃発した所としても知られています。大分城址公園 府内城跡 名所・史跡
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文禄の役(秀吉の朝鮮出兵)では、大友 宗麟(おおとも そうりん)の嫡男である大友 義統(おおとも よしむね)が失敗を咎められ、豊後国没収・改易。
後に豊臣 秀吉から転封を命じられた福原 長堯(ふくはら ながたが)が、この地に城を築きました。
正室は石田 三成の妹。
この関係で分かると思いますが、関ヶ原の敗戦で福原 長堯は失脚。
その後 竹中 重利が入城し、大改修が行われたのです。
※竹中 重利は、豊臣 秀吉に仕えた名軍師・竹中 重治(竹中半兵衛)の従弟。
天守を含め複数の櫓や門を持つ大城郭となりましたが、大火や明治の廃城令、第二次世界大戦で主要建造物の殆どを失ってしまいました。
今は現存の櫓2棟と復元された3棟の櫓、大手門(多聞櫓)、廊下橋などを見学することができます。 -
先程紹介した案内板は大手門で撮影したものですが、城の紹介は西之丸入口(西門)からスタートさせていただきます。
現在はこのように舗装された道路があり、西側からも城内に入ることが出来ますが、昔の地図によるとここは濠。
橋はなく、代わりに櫓が建っていたようです。
バリケードの先にある内苑には濠で区切られた『西の丸』『本丸』『東丸』が有りましたが、その濠は埋め立てられて現在は1つになっています。
コロナ禍に突入した今は工事用の伸縮バリケードが有り、内苑の見学は出来ません。 -
バリケードの貼り紙。
閉鎖エリアを見ると、内苑全てが見学不可。 -
フェンス越しに撮影した、内苑の北西部分。
猫がいる道を奥に進んで行くと松栄神社方面(昔は山里曲輪※)に続く廊下橋が有り、画像の道を手前右方向に歩いていくと天守の石垣です
工事中だろうが、何処にでも自由に歩ける猫が羨ましいな~。
※曲輪は簡単に言えば区画のこと。 -
こちらの石垣が、本丸の天守が建っていた所。
建物は復元されていませんが、石垣の上に行くことは可能です。
残念ながら現在は閉鎖中ですが、解除されたら是非高台から府内城を見てみましょう。
石垣のすぐ手前(桜の木の近く)にあるのは、人柱お宮の案内板。
人柱伝説が残っているということは、工事で難航したのだろうということが容易に想像できますね。
孝行もののお宮さん伝説。
気になる人は、調べてみてください。 -
このようなスペースを見つけるとは、何て賢い猫なのでしょう。
ある程度の雨風も凌ぐことが出来ますし、スマホ社会の今は公衆電話を使う人も激減していますから、ゆっくり昼寝が出来ますね。 -
西門の横にあるのがアートプラザ。
この辺りは、上級武士が暮らしていた三之丸になります。アートプラザ 美術館・博物館
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漆喰塗籠の白い壁や塀が、夕焼け色に染まっていた西隅櫓(復元)。
近世城郭における2重櫓は基本の櫓でしたので、曲輪の隅や折れ曲がった角部(出隅)にはこのような櫓が置かれています。
今度は東に向かって歩いて行きますが、濠の右側も武家屋敷地だった三の丸。 -
二重櫓(西隅櫓)や大手門(多聞櫓門)の方に目が行きがちですが、実は西隅櫓と大手門の間にある背の低い宗門櫓(しゅうもんやぐら)が江戸時代に建てられたもので、県指定の文化財。
この宗門櫓は濠側から見ると一重。
しかし内側に回ると二重の造りになっています。
一部が石垣の上に載っているような面白い造りでしたので、この櫓はどうしても見たかったのですが残念。 -
城の名前にも使われている【府内】は豊後国(ぶんごのくに)の国府(こくふ)のことで、国ごとに置かれた地方統治の役所の拠点。
大分県の県庁所在地が大分市なら、昔は豊後の国の役所の拠点が府内となっていました。
旧国名を見ると、九州には豊前/豊後、筑前/筑後、本州には備前/備中、上野 /下野、上総/下総、羽前/羽後、陸前/陸中と、「前」「中」「後」、或いは「上」「下」が付くところが有りますが、都(京都や奈良)に近い方から「上」や「前」になります。
気になった方は、ご自分でも調べてくださいね。
画像は大手門。
この門と濠の右側に東之丸、宗門櫓の左側に西之丸が広がっていました。 -
大手門前に立つ道路元標。
こちらは道路の起終点を示す標識で、明治時代に各府県に街道・枝道の距離を測定し、道路の正確な状況を把握するための措置として道路元標の位置を定めたのが始まりと言われています。
大正時代に入ると道路法が定められ、国道・府県道・市町村道の名前が付けられました。 -
城の正面に設けられている大手門(多聞櫓門)は、重要箇所を護る強固な造りの門ですが、こちらは復元されたもの。
門の上には、長屋のような形をした多聞櫓が載っています。 -
妻側を見ると、窓の上枠を火炎形にした華頭窓が有りますよ。
この華頭窓は花頭窓や火灯窓などと表記されることもありますが、火を連想させるためこの文字を使わず、華頭(灯)窓や花頭(灯)窓、或いは華や花の代わりに瓦などと表記している所が多いようです。
他の城でもこの華頭窓を見掛けますが装飾として使われることが多いので、見た目の美しさなどもチェックしてみると良いかもしれません。 -
門扉は見つかりませんでしたが、柱と柱の間に見えているのはどうやら100名城スタンプ台のようです。
今は廊下橋の中でスタンプが押せますよ。 -
人が入れないようにしてあるとは言え、バリケードが高くて内部が見えません。
手を伸ばして撮影したのがこちら。
現在はテントや仮設小屋が置かれている程度ですが、コロナ禍脱出後はまた市庁舎の臨時駐車場に戻すのでしょうか?
大分市は既に府内再興に向け動き出しているようですが、城の完全復元までにはまだ時間がかかりそうです。 -
こちらもバリケード越しに撮影したもの。
今度は石垣部分を見てみましょう。
自然の石を積み上げている野面積み。
石の大きさも不揃いですし、石が描いているラインも凸凹です。
これが野面積みの特徴。 -
私の旅行記で何度も紹介していますが、大手は表(正面)のこと。
大手門は城の顔ともいうべき場所ですから、堅固な門が設けられていたり石垣の方には立派な鏡石も有ります。
門は先ほど紹介しましたので、今度は鏡石を探してみましょう。
この画像にも写っていますが、他よりも大きな石に気付かれたでしょうか。
これが府内城の鏡石。
他の城にも鏡石が有りますが、どのように見せるかは城主や石工次第。
この府内城の石垣は、築城の名手『加藤清正』の石工を招いて築かれたものですから、お見逃しなく。
白壁の後方(城内側)には東大櫓門が建っていたようですが、まだ復元には至っていません。 -
こちらの説明を読むと、廊下橋は大手門と三之丸の間に築かれていたようですが、現在は本丸から北之丸(山里曲輪/松栄神社がある区画)に架かる廊下橋が1つ有るのみ。
ここで三之丸という言葉が登場しますが、古い地図を見ると三之丸は荷場町小学校跡地、大分銀行本店、府内五番街から県庁舎がある辺りに広がっていたようです。
三之丸は、家老や奉行のような上級武士たちが暮らしていた武家屋敷地。
発掘調査でも、上級武士の暮らしぶりが分かるような物が出土されています。 -
東丸西南隅櫓(着倒櫓)。
この櫓は城郭の虎口(こぐち/出入口)を見張るために設けられていたもので、入場する人や戦の時には将兵の到着などを確認していました。
角部に有る櫓ですから、西隅櫓同様ここも2重櫓。 -
石垣の隅角部を上方向に辿っていくと袴型の石落し。
そして壁や塀には狭間が有ります。 -
石落しの真下にいたのが、ハシビロコウのように動こうとしなかったアオサギ。
濠にいる白雉であればパーフェクトでしたが、流石にそうは行きませんね。
そしてアオサギの前では、亀たちが甲羅干しをしていましたよ。 -
東丸にある平櫓。
府内城の案内板にはその名前で書かれていましたが、東南の隅に置かれている2重櫓です。
名前からは1重櫓を想像しましたが、どう見ても2重櫓。
しかし英語の説明を見ると、ちゃんとThe single-story watchtowerになっていました。
昭和41年に建てられた模擬櫓とありましたが、元々は1重だったのか、それとも2重櫓でも平櫓とする理由があったのかその辺りは謎。
これは後日調べてみます。
平櫓から濠沿いに北へ進むと、平櫓と北東隅櫓との間に少し張り出した部分があることに気付きます。
その位置に建っていたのが、死角をなくすための3重櫓。
建物はありませんが、櫓を想像しながら歩いてみましょう。 -
北東隅櫓近くから県庁方面に向かって撮影。
昔は帯曲輪と呼ばれていた場所ですが、今は桜の名所になっています。
満開の桜と城の組み合わせは最高ですね!
この日は夕日がとても綺麗でしたので、ピンク色の花びらにオレンジ色が混ざって、いつもと違う花の色にウットリ。
夜桜も良いですが、夕方の桜も風情がある!!!
今度からお花見は夕暮れ時を狙って見に行こうかしら…と考えた私でした。 -
こちらが北東隅櫓。
先程も少し説明をしましたが、この府内城には天守をはじめ23棟の櫓、5つの門、そして3箇所に廊下橋がありましたが、今私たちが見ることが出来るのは、塀を除くと現存の宗門櫓と人質櫓、その他に復元された西隅櫓、着到櫓、平櫓、北東隅櫓と大手門(多聞櫓門)、それに廊下橋1箇所。 -
画像は前述の北東隅櫓。
桜が植えてある所が帯曲輪で、県庁がある辺りが三之丸。
この府内城は悌郭式平城で、東は大分川河口、北は海という天然の要塞がある場所に建っていた海城。
今も東側には大分川が流れていますが、城からはかなり離れています。
昔の地図と照らし合わせながらこの府内城を見ていくと、梯郭式と呼ばれる城の区画がイメージ出来るのではないでしょうか。 -
天守の北側に建っているのが人質櫓。
こちらは現存の建造物ですが、名前からも分かるように人質を軟禁していた所です。
県指定の文化財。 -
廊下橋。
文字通り廊下のような木橋で、中が見えないように屋根や壁が付いていますよ。
敵軍の攻撃を防いだり、藩主やその従者の移動を見られないようにという目的で使われていたようです。
内苑閉鎖中の今もこの橋を渡ることは可能ですが、橋の先は閉鎖中です。
100名城スタンプを集めている人は、こちらでどうぞ。
そろそろ時間切れ。 -
夕飯は、ホテルからも府内城からも近い【こつこつ庵】。
我が家の来店経験者の希望でこちらの店にしましたが、週末という事も有り事前に予約を入れて大正解でした。こつこつ庵 グルメ・レストラン
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私と同じ昭和世代なら、懐かしいものが見つかるかも?!
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【こつこつ庵】と言えば、こちらの先代の顔。
トレードマークですね。
では早速『大分んうまいを存分に』味わうことにしましょう! -
まずはドリンクから。
九州と言えば焼酎。
そして大分と言えば『麦』ですが、画像のページの他にも大分の『麦』や『芋』、鹿児島&宮崎の『芋』などが記載されていました。
鉄輪は店のメインボトル。 -
左の棚の上下が麦焼酎。
(右の棚の一部も麦焼酎。)
スタッフから癖のない物から順番に並んでいると聞いた記憶があるのですが、うろ覚え…(笑)。 -
ラベルが印象的だった【なしか】。
絵も可愛ければ、方言で書いてある文も面白い!
八鹿酒造(株)の『なしか!わ~るど』を読むと、この言葉は「なぜか」という意味だそうです。 -
農家のガソリンと書かれた【ほげほっぽ】は、臼杵市で栽培された裸麦100%を使用して作られた焼酎。
【ほげほっぽ】は、「むちゃくちゃな」「でたらめな」「面白い」などの意味で使われるそうですよ。
こちらは我が家で好評だった焼酎。
運転担当者は「なかなか面白い酒!」と言っていましたが、この「面白い」の代わりに【ほげほっぽ】を使って良いのかは分かりません。
方言は難しい! -
大分の焼酎の中では一番癖が強いと言われた奉明。
飲んだ人に聞くと、「確かに今まで飲んだ中では癖がある。」と言っていました。
麦なのに何故か芋の香りがするそうですが、私には良く分からない感想でしたので是非ご自身でお確かめください。 -
大分の地酒ならこちら…。
-
ここからは料理を紹介します。
ちなみにこの日のお勧めがこちら。
焼酎にも『本日のおすすめ』が有るというのは驚きでした。 -
県外を訪れたら郷土料理。
そう考える人も多いと思いますが、こつこつ庵のメニューは写真だけでなく簡単な解説も付いていますので分かり易いですよ。
それでも不安な時は、スタッフに聞きましょう。 -
「ひとりで来店したのは良いけれど、いろいろ食べてみたいのよね。」という時は、こちらのコースメニューがお勧め。
少量で色々な料理が食べられますよ。 -
☆お通し☆
こちらはスタッフの女性が作り方を教えてくださったのですが、材料はブロッコリ―、小豆、白&黒ゴマ。
味付けは、だし汁にほんの少し酢を加えれば出来上がり。
勿論野菜や小豆は茹でてありますが、家でも簡単に作れそうですし健康にも良さそうなので、早速作ってみようと思います。 -
「魚が好きなら、やっぱりコレ!」の☆関サバ・関アジ☆。
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醤油にポチャンと付けただけで、この脂です。
身がプリップリでしたよ。 -
☆新タケノコとタラの芽天ぷら
春を感じさせてくれる一品です。 -
☆わた酢☆
この料理に使われているのは、魚の肝。
味付けにポン酢が使われていますが、あん肝に似て濃厚な味でした。 -
☆シイタケ豆腐☆
揚げた豆腐の上に、刻んだシイタケと味噌が載っている料理。 -
☆団子汁☆
郷土料理のひとつですが、我が家の来店経験者が「最後はコレ!」と決めていた一品です。
山梨のほうとうのに似た感じの料理ですが、女性ひとりならこれだけでお腹いっぱいになってしまうかもしれませんね。
出来れば何方かとシェアできる時に頼む方が良いでしょう。 -
他にも色々頼んだのですが、スタッフとの会話が楽しくて料理のデータが残っていませんでした。
もし府内城周辺に滞在されるのであれば、夜はこつこつ庵へ行ってみませんか? -
夜の府内城。
櫓もライトアップされていると良かったのですが、今はご覧の状態です。
次は大分から佐賀に移動します。
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