2022/04/16 - 2022/04/16
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まほうのべるさん
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『為せば成る 為さねば成らぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり』
上杉鷹山のお言葉です。たくさんの方が知っていて、座席の銘になさっている方もいると思います。
上杉鷹山は自ら率先して質素倹約に努め、藩を財政危機から立て直し名君と言われた米沢藩七代藩主です。
米沢牛と郷土料理のレストランになっている上杉伯爵邸とルネサンス様式の旧米沢高等工業学校本館を訪れる為に米沢を訪れました。
旧米沢高等工業学校本館はコロナ感染で現在は一般の内部見学はできないのですが、偶然に出会った山崎名誉館長のご厚意で内部見学をすることが出来ました。自由に見学・写真撮影させていただいたので、次の旅行記にまとめたいと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
舞鶴橋
今日は朝から雨降り。
米沢についても雨は止まない。
朝方に雨が上がるって天気予報なんだけど、明日は晴れるのわかっていたけど、今日来ちゃったよ。 -
舞鶴橋
1886(明治19)年建設、橋の長さは5mで幅は7m。
国指定登録有形文化財に選定されています。 -
お堀の周りには約200本の桜の木が植えられています。
今年は暖かかったので桜はもう満開を過ぎていました。 -
上杉謙信祠堂(御堂)跡
天正6年に越後で亡くなった上杉謙信の遺骸は米沢城内の御堂に納められました。その後、上杉家所に遺骸が移り、明治24年にこの碑が建てられました。 -
招魂碑
戊辰・西南戦争で戦死した将兵を慰霊するために、明治11年に建てられました。
その後、日清・日露戦争の戦死者の霊も合祀されています。 -
上杉神社 参道
現在の神社本殿は1919(大正8)年の米沢市大火で焼失後、1923(大正12)年に再建されたもので設計は米沢出身の東京帝国大教授伊東忠太です。 -
上杉神社
49歳で急死した上杉謙信の遺骸は,甲冑を着け甕に納められ、春日山場内にまつられたと伝えられています。遺骸はその後、上杉氏とともに会津、米沢へと移されます。 -
上杉神社 拝殿
1872(明治5)年に上杉神社が創設され、謙信と鷹山が祭神として祀られます。1876(明治9)年に上杉家廟所へ謙信の遺骸が遷され、現在地に社殿が創建されました。 -
上杉神社
上杉神社は1902(明治35)年に別格官弊社となり、謙信のみが祭神となりました。 -
上杉神社稽種照殿
国指定有形文化財で上杉家ゆかりの貴重な文化財を保管・展示しています。 -
福徳稲荷神社
第6代宗憲が城の二の丸に建立したものです。
鷹山はこの杜を篤く信仰し木彫りにした『正一位稲荷大明神』の額を寄進しました。天明6年2月11日に鷹山をはじめ、男女100人が詠んだ一題一首の歌を額として奉納しました。 -
春日神社
際神は春日四柱大神。
米沢藩主家上杉氏の氏神で林泉寺の珍種でした。 -
菱門橋
桜が散り際でなければ赤い橋とのもっとキレイなコラボが見られたのに残念。 -
上杉謙信像
昭和49年に建立されたブロンズ像で、右手に采配を持ち、春日城の方角を見つめて鎮座しています。 -
上杉伯爵邸庭
-
上杉伯爵邸
上杉伯爵邸は明治29年元米沢城二の丸跡に、上杉家14代茂憲伯爵邸として建てられました。 -
上杉伯爵邸
敷地5000坪、建坪530坪の壮大な大邸宅でした。
門は大型の一間約五門で、左右に袖塀が付いていて、なだらかな反りの屋根。 -
上杉鷹山像
10歳で高鍋藩秋月家から上杉家の養子になり、17歳で米沢藩9代藩主となります。120万石→30万石→15万石に減封され、火の車となっていた藩を質素倹約や殖産興業で立て直し名君と言われています。 -
上杉伯爵邸庭園
上杉伯爵邸が見えてきました。 -
上杉伯爵邸
大正8年米山大火で焼失し、大正14年、銅板葺き総ヒノキ入母屋造りの建物と東京浜離宮に依って造園された庭園が完成しました。 -
上杉伯爵邸
建物の設計は米沢出身の建築家・中條精一郎、施行は名棟梁の江部栄蔵によるもので、鹿鳴館と称され、皇族も宿泊されました。 -
上杉伯爵邸
第二次世界大戦後、米沢に進駐米軍将校の宿舎として使用さていました。 -
上杉伯爵邸
昭和25年接収が解除され、上杉家より米沢市が譲りうけ、翌年から中央公民館として市民に利用されました。現在では米沢牛料理と郷土料理のレストランとなっています。 -
上杉伯爵邸
上杉謙信の養子となり家督争いを制した上杉景勝の側近・直江兼続。
秀吉から『天下の治世を任じうる人物』と言わしめるほどとなり景勝を支えました。景勝は越後を統一し、豊臣秀吉の信任を得て五代老の一人となりました。関ヶ原の戦いで西軍方に加担したため、1601(慶長5)年に会津120万石から米沢30万石へと減封となり、米沢城を居住とするようになりました。 -
上杉伯爵邸 大広間
内部見学は無料で写真撮影はOKです。 -
上杉伯爵邸 大広間
今日はレストランも茶房も予約で利用できないそうです。
食事は無理でも茶房でお茶でもと思っていたのだけど。 -
上杉伯爵邸 大広間
庭を眺めながら趣ある部屋で歴史の浪漫と四季の移ろいを感じながらんでほしんでほし料理をごゆっくりと楽しんでほしいそうです。 -
上杉伯爵邸 大広間
米沢ならではの食材を工夫した伝統の味わいの上杉伝統料理。
天明3年、天候不順による凶作で米の作柄は例年の1/4となり、領民は飢餓の危険性にさらされます。米沢藩9代藩主上杉鷹山は、藩内の蔵すべてを開いて米をはじめとする穀物を領民に配給しました。 -
上杉伯爵邸
この経験をもとに日頃から代用食となる動植物の調査や研究が必要と感じ、藩の侍医らに抑揚となる動植物の研究を命じ、飢餓救済の手引書を執筆しました。 -
上杉伯爵邸
執筆から2年後の享和2年、鷹山の命により『かてもの』(主食である穀物とともに炊き合わせ、食料不足に陥った際に主食を節約するための代用食となる食物)と命名され、藩内に配布され、今でも米沢の郷土料理に反映されています。 -
上杉伯爵邸 居間(上の間)
米沢牛・米沢鯉料理は名峰に囲まれた盆地米沢は寒暖の差の激しさゆえに、深く豊かな味わいの米沢牛が生まれました。雪解けの清らかな水は、二百年の伝統を誇る米沢鯉を育んでいます。 -
上杉伯爵邸 お仏間
米沢牛は明治初め、米沢興譲館に赴任した英語教師により、日本中に知られました。米沢鯉は上杉鷹山が貴重なたんぱく源として、相馬から稚魚を取り寄せお堀で育てたのが安島理人言われています。 -
上杉伯爵邸 お仏間
伝統の郷土料理『献膳料理』
(雪の膳)米沢鯉のことこと煮・米沢牛イモ煮・塩引寿司・冷汁・丘ひじき・味噌汁・おみ漬け・うこぎごご飯・葡萄ジュース
(月の膳)雪の膳に米沢牛ローストビーフのサラダがつく
(花の膳)雪の膳に米沢牛ステーキがつく -
上杉伯爵邸 居間(二の間)
米沢郷土料理の原点『かてもの』は主食にまぜて炊くものの意味で、主食をかさましして空腹をいやす事を目的としています。 -
上杉伯爵邸 お仏間
上杉伯爵邸 居間(二の間)
人生を歩む途中で挫けそうになった時、勇気を与えてくれる最強の名言
上杉鷹山『為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』
この名言はもちろん知っていたけど、上杉鷹山の言葉だって知りませんでした。 -
上杉伯爵邸 二階客間(二の間)
アメリカの第35代大統領であるジョン・F・ケネディが大統領就任の際に、日本の新聞記者から『日本で最も尊敬する政治家は誰ですか?』と質問され、『上杉鷹山』と答えたのは有名な話です。 -
上杉伯爵邸 二階客間(上の間)
行動を自ら行わなくては、どのような成果も生まれない。
上杉鷹山は、藩民に質素倹約を進めただけでなく、自らも質素倹約の生活をし、倒産状態にあった米沢藩を立て直しました、深いお言葉ですね。 -
上杉伯爵邸
迷っていた時などこの言葉が頭に自然に浮かんできます。
優柔不断で行動になかなか移せないことが多いから。 -
上杉伯爵邸 お子様部屋(上の間)
茶房で抹茶や和デザートがゆったりといただけますが、今日は予約でNGなんですって。2008年月に新しくオ^プンしています。11:00~14:00までと短い時間オープン。 -
上杉伯爵邸
メニューを撮っちゃおう。
美味しそうだよね、どれがいいかな?
練乳あずきソフトくださ~い! -
上杉伯爵邸
鷹山の歌は武田信玄が詠んだ歌を参考にしたと言われています。
『為せば成る 為さねば成らぬ 成らぬ業を 成らぬと捨てつる 人の儚さ』 -
上杉伯爵邸
強い意志で実行すれば実現するのに、出来ないと諦めてしまうのは愚かなことだということのようです。 -
色部長門追念碑
内部見学を終え庭園の方に移動します。 -
上杉伯爵邸庭園
池にはお約束の?鯉がのんびりと泳いでいました。 -
上杉伯爵邸庭園
お庭が広くて歩くのがとても気持ちが良いです。 -
上杉伯爵邸庭園
米沢に着くころには雨も上がっているはずだったのに、小雨が続いていていてがっかりしていたけど、内部見学を終え庭園に回ると雨が上がりました。 -
上杉伯爵邸庭園
コロナ前まではヨーロッパにしか目が向いていなかったので、国内のことはあまりありませんでした。でもコロナが広がり、電車も飛行機にも自粛要請がでて、それでもどこかへ行きたくて1人日帰りドライブを始めました。 -
イチオシ
上杉伯爵邸庭園
それまでは高速道路も長距離運転もをほとんど経験がなく、通勤に利用していただけでした。 -
上杉伯爵邸庭園
昨年、ずうっと行きたかったけど行けるわけがないと思っていた、弘前まで思いきって行って、2週間後には那須あしかがフラワーパークにも行っちゃった。 -
上杉伯爵邸庭園
その時、『為せば成るーーー』の言葉が頭に浮かんできたんだよね。
絶対、自分には無理だって思っていたけど、思い切って行動したら問題もなくクリアー出来て自分でもびっくりしたんだよね。 -
上杉伯爵邸庭園
電車も飛行機もダメって言われた時は、『ちょっと意地悪!』って思ったけど、『1人ドライブ旅』に開花し?、月2回のドライブ旅楽しんでいます。『為せば成る なさねばならぬ 何事も』を実感しています。 -
上杉伯爵邸庭園
何に驚いているかっていうと、1日で7~8時間運転しても翌日にほとんど疲れが残らないこと。1人だと気を遣う人もいなくて、車内は1人カラオケルームとなり、これがストレス解消になったりして。 -
座の文化 伝承館展示館
以前は旅行の計画をしっかり立て、予定通りに実行することが良い?旅だと思っていました。かなり細かな予定をたて、その予定通りに行動しなければと。 -
座の文化 伝承館展示館
でも最近よく思うんです。
ちょっと回り道したり、失敗したりするのも良いのではないのかと。
自分が立てた計画に振り回されることなく、ある程度の予定を立てあとは当日の状態で行動しようって。 -
松岬神社
上杉神社に祀られていた上杉鷹山を分祀するため、1902(明治35)年に創建されました。のちに初代藩主上杉景勝・直江兼続など米沢の基礎を築いた6人を祭神としています。 -
松崎神社
上杉鷹山の『伝国の辞』の碑
鷹山が家督を世子治広に譲った時に贈った心得
鷹山が追求し続けた藩主像を簡潔な3か条に凝縮したもので、藩主が自分勝手な政治を行うことを戒め、領民を思う政治をすることが示されています。 -
松が岬第二公園 上杉鷹山像
上杉鷹山は1767(明和4)年、17歳で上杉家を継ぎ第9代米沢藩主となりました。藩財政は窮乏を極め、8代藩主重定は幕府への領地返納を決意しました。辛うじて思いとどまりますが、藩存亡の危機は変わりません。
鷹山は大倹約令を発し、自ら率先して改革を実践、桑の栽培と養蚕を奨励し、産業を興し、今日に受け継がれている産業を根付かせていきました。 -
丸里学園
とても素敵な建物があったので、写真を撮ってみました。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
上杉十五万石の城下町米沢は周囲が山にかこまれた盆地で、山から湧き出る豊富な水と良質な米に恵まれています。雪国米沢では、見も凍る厳寒期に長期低温発酵による醸造法で仕込まれた酒は、米のうまみを逃がさない寒造りの技が手作りのびじゅを生み出しました。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
『東光』の名で知られる小嶋総本店は、慶長2(1597)年創業の上杉藩御用酒屋でした。江戸時代は米がとても貴重品で飢饉のたびに禁酒令が出されましたが、酒造りを続けることを許された数少ない造り酒屋だと言われています。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
4/16(土)・4/17(日)は『蔵de春の市』というイベントがあり、通常350円の入場料が無料となっています。しぼりたて『純米吟醸 生新酒』を2日間限定販売したり、水産・春の野菜の販売、テークアウトのお弁当やお菓子のはんばいなどがあります。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
エントランスと帳場
入り口は石貼りホールになっており、帳簿には帳簿格子をはじめ、銭箱、電話、大福帳、そろぼん等、昔の商家そのままの備品をそなえています。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
エントランスと帳簿
安土桃山時代、慶長2(1597)年現在の地に創業し、現代まで約400年の歴史があり、同じ場所で現代にわたって酒造りを行っています。小嶋家当主である小嶋弥左衛門の名前は、創業以来代々しゅうめいされていて、現在の小嶋家当主は23代目。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
江戸中期、酒造業と合わせて染屋も兼業していました。
室町7(1757)年、藩や町への功労により町年寄りとなり、二人半扶持の士分として苗字帯刀の身分になります。以後、代々士分の扱いをうけ、明治時代には『士族』であったとされています。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵(中の間)
1200坪の敷地に600坪の建物を有し、中でも1棟140坪の大きな土蔵は東北で最大級といわれています。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵(納戸)
江戸時代後期、祖父母の孝行を表彰され、町医師格へ昇格しました。
寛政3(1791)年、近隣10蔵のうち最も多くの酒を製造していたと記されています。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
創業当時使用していた仕込み甕
吉備前しょうじょう甕(高さ106cm・最大内径83cm)
江戸時代中期以前は甕を使用し、以後は桶で酒造りをしていました。この備前焼二石甕は室町末期に築窯した西大窯でつくられたものであり、蔵元では創業当時使用していた仕込甕として大切に保存している。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
仕込蔵入口
1984年前年まで酒造りを行っていた酒蔵を改修し、『酒蔵資料館 東光の酒蔵』を開館しました。一棟140坪の東北で最大級の酒の仕込みをしていた土蔵で、現在は昔の作業場を復元して資料を展示しています。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
-
酒蔵資料館 東光の酒蔵
日本酒は米と水という自然の恵みを原料とし、麹菌と酵母という微生物の営みによっ醸し出される日本古来のお酒です。酒蔵資料館では昔の酒作り空間を再現してています。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
左:家紋入り(男紋)袖樽
右:家紋入り(女門)袖樽 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
仕込蔵
酒を仕込む6尺桶(大桶)が立ち並び、明治・大正時代の仕込蔵を彷彿とさせる空間になっています。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
ふな場
しぼり熟成したモロミは、酒袋に入れ、酒槽の中に積み、圧搾して新酒と酒粕に分けます。これをモロミをしぼるといいます。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
精米
酒蔵米は、玄米で酒屋に引き取られ精米されます。
玄米の外層には脂肪・蛋白質・灰分など酒に好ましくない風味を与えるものが多いので精米して除きます。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
麹室麹づくり
蒸米に種類をまき、暖かい麹室に入れ、約二日間で純白の米麹ができあがります。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
酒造り道具の展示 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
三輪明神御分社
酒の神大物主大神と小彦名神を御祭神とする、奈良県桜井市の三輪山にある大和一ノ宮三輪明神大神神社の御分社です。この大神神社は日本最古の神社と書物などにより伝えられています。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
台所
明治時代後期の商家の台所です。
住居学専攻の大学教授の指導で復元しました。展示してある道具類は当時使用していたものです。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵(板の間)
酒蔵に特に興味があったわけではなく、『東北一』という言葉に惹かれて思わず見学しようと思ったわけで。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵(茶の間)
お酒はほとんど飲まないし、お酒が好きなわけではないのに。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵(上段の間)
2日間のイベントが開催されていて入場料が無料になっているので、見学者はけっこういたようです。 -
酒蔵資料館 東光の酒蔵
駐車場の誘導係の人達が忙しそうにしていました。 -
東光の酒蔵
酒蔵資料館から徒歩で10分ぐらいの場所に東光の酒蔵がありました。 -
東光の酒蔵
とても立派な建物ですね。 -
上杉伯爵邸
青空が見えてきたのでもう一度上杉伯爵邸に戻りました。
青空の下をもう一度歩きたかったからです。 -
上杉伯爵邸
上杉神社の方には多くの人で賑わっていますが、庭園を訪れる人はあまりいないみなので、のんびり歩くことができます。 -
上杉伯爵邸
酒造博物館のあとに、旧米沢高等工業学校本館へ行きましたが、現在は一般の内部見学はできないのですが、偶然にも山崎名誉館長のご厚意でない宇見学させていただくことになりました。 -
上杉伯爵邸
米沢の旅行記を1つにする予定でしたが、内部見学させていただき自由に写真を撮らせていただいたので、『旧米沢高等工業学校本館』を1つの旅行記として次回アップしたいと思います。 -
イチオシ
上杉伯爵邸
池を挟んで見る青空の上杉伯爵邸。
より美しく見えますね。 -
上杉伯爵邸
建物を1週します。 -
和庭(なごみてい)
米沢織の着付け体験と和風カフェが楽しめる施設として令和元年にオープンしました。上杉伯爵邸の警護棟を改修しています。米沢織の着物のほかに、甲冑や忍者の着付けもあるそうです。希望者は2日前までの予約で対応しています。 -
和庭
どれもおいしそう!どれにしようかな?
Wジェラード?殿様からのごほうび?どっち? -
和庭
『殿様からのごほうび』680円にしました。 -
和庭
殿様からのごほうび
抹茶のジェラードの上にバニラソフトクリームと生クリーム、ストロベリーソースとストロベリーチョコがのっています。 -
ナガオカ洋菓子店(上杉五沾水)
レストラン・カフェとお土産店がが並ぶ上杉城史苑で、お土産に買っていこうと思っていたお菓子を見つけました。『とても人気があるんですよ』とスタッフの言葉。 -
ナガオカ洋菓子店
上杉謙信公が出陣の際に行った神事である『五沾水の犠』から名付けられたお菓子です。特選されたくるみをたっぷり使いじっくり焼き上げ、バター風味のクッキー生地でサンドしています。8個入り¥1680だったかな。
くるみがたくさん入っていてとて美味しかったよ。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- ムロろ~んさん 2022/06/24 20:54:52
- 殿様からのごほうび(´艸`*)
- こんばんは、ムロろ~んです。
米沢へ行かれた旅行記を拝見しました。
米沢藩の財政が厳しかったことなんて全く知りませんでした。
上杉氏の政治で改革したこと、ホントに頭を使って財政を立て直したのには驚きです。
自分の足元までしっかりと見つめて食生活も考えるなんて、当時の殿様、そんな方、他にいたのかいな(◎_◎;)?
って、外様大名の江戸への参勤交代をさせて藩の財政を幕府が考えていたっていうらしいのでどの藩も財政を考えていたのかもなぁ…、と色々と旅行記を読んでて考えてしまいました(;^ω^)。
って、〆の和庭、目に毒だぁ(◎_◎;)(笑)。
私だったら殿様からのごほうび?殿様のみつまめ?どっち?いや、両方?ダメよ(´艸`*)(笑)。
ムロろ~ん(-人-;)
- まほうのべるさん からの返信 2022/06/26 22:34:08
- RE: 殿様からのごほうび(´艸`*)
- > こんばんは、ムロろ?んです。
> 米沢へ行かれた旅行記を拝見しました。
こんばんは、ムロろ〜んさん。
いつも書き込み有難うございます。
> 米沢藩の財政が厳しかったことなんて全く知りませんでした。
> 上杉氏の政治で改革したこと、ホントに頭を使って財政を立て直したのには驚きです。
米沢藩は財政が苦しくて現在でしたら倒産の危機だったようです。
『為せば成る 』の上杉鷹山が苦しい財政を自ら率先して倹約につとめ、財政を立て直しました。
> 自分の足元までしっかりと見つめて食生活も考えるなんて、当時の殿様、そんな方、他にいたのかいな(◎_◎;)?
> って、外様大名の江戸への参勤交代をさせて藩の財政を幕府が考えていたっていうらしいのでどの藩も財政を考えていたのかもなぁ…、と色々と旅行記を読んでて考えてしまいました(;^ω^)。
幕府は外様大名に参勤交代をさせて、お金を使わせて力を持つのをおさえたそうです。以前、映画『超高速参勤交代』で、参勤交代にお金がかかるので弱小貧乏藩が趣向を凝らしたという映画がありました。フィギアスケートの羽生君がお殿様を演じいていました。
> って、〆の和庭、目に毒だぁ(◎_◎;)(笑)。
> 私だったら殿様からのごほうび?殿様のみつまめ?どっち?いや、両方?ダメよ(´艸`*)(笑)。
殿様のごほうび美味しかったですよ。
お肉が食べられたら、米沢牛を楽しみにしたのですが。
まほうのべる
-
- aoitomoさん 2022/06/02 01:18:57
- まほうのべるさんにぴったりの言葉・・為せば成る・・・
- まほうのべるさん こんばんは~
『為せば成る・・・』
よく知っている言葉でも私も誰が言った言葉なのかは知りませんでした。
上杉鷹山の言葉なんですね~
現在のまほうのべるさんにぴったりの言葉だと思いましたよ。
今やドライブ旅でガンガンに動けて、
しっかり国内旅をされてますしね。
『上杉伯爵邸』
やはり写真撮影がOKなのは嬉しいですね~
さらに内部見学も無料でラッキーです。
上杉伯爵邸庭園も広いし、池も大きい。
鯉は当時は鑑賞より食用を意識していたのかなって、
想像してしまいます。
『あれは美味そう~』なんてね。
『酒蔵資料館 東光の酒蔵』
こちらも東北一だけあって仕込蔵も立派で広いですね~
私もお酒は飲みませんが、
こんな酒蔵見学は好きです。
『旧米沢高等工業学校本館』の見学が、
偶然に出会った山崎名誉館長のご厚意で見れたなんてこれもラッキーです。
またこちらの旅行記も楽しみです~
aoitomo
- まほうのべるさん からの返信 2022/06/05 15:38:38
- RE: まほうのべるさんにぴったりの言葉・・為せば成る・・・
- > まほうのべるさん こんばんは?
こんにちは、aoitomoさん。
いつも書き込み有難うございます。
> 『為せば成る・・・』
> よく知っている言葉でも私も誰が言った言葉なのかは知りませんでした。
> 上杉鷹山の言葉なんですね?
そうですよね、よく知られている言葉ですが、上杉鷹山の言葉とわかる人は少ないかもしれませんね。
> 現在のまほうのべるさんにぴったりの言葉だと思いましたよ。
> 今やドライブ旅でガンガンに動けて、
> しっかり国内旅をされてますしね。
海外での旅行を含め、何かに直面した時には頭にこの言葉が浮かんでくることが多いです。実行までけっこう時間がかかる方で、ぐずぐずしてなかなか実行できないでいます。いつも思うんです、もっと早く実行すればよかったって。
> 『上杉伯爵邸』
> やはり写真撮影がOKなのは嬉しいですね?
> さらに内部見学も無料でラッキーです。
>
> 上杉伯爵邸庭園も広いし、池も大きい。
> 鯉は当時は鑑賞より食用を意識していたのかなって、
> 想像してしまいます。
> 『あれは美味そう?』なんてね。
上杉伯爵邸は庭が広くて建物全体がどこからもよく見えるし、朝は天気が悪かったですが、午前中に天気が回復してきて、素敵な建物をより美しく見ることが出来ました。食事をする方の邪魔にならないように、ランチが始まる前に見学が終わるようにしました。
> 『酒蔵資料館 東光の酒蔵』
> こちらも東北一だけあって仕込蔵も立派で広いですね?
> 私もお酒は飲みませんが、
> こんな酒蔵見学は好きです。
酒蔵博物館は全国たくさんありますが、東北一という響きに惹かれて見学しました。この日はイベントが開催されていて、入場料も無料だったので、見学者も多くいらっしゃいました。
> 『旧米沢高等工業学校本館』の見学が、
> 偶然に出会った山崎名誉館長のご厚意で見れたなんてこれもラッキーです。
> またこちらの旅行記も楽しみです?
旧米沢高等工業高校本館は、現在ではコロナで一般公開はしていないそうです。
たまたま正面ベンチに座っていて、『見学しませんか?』と声をかけていただいた夢のような出来事でした。自由に見学させていただき、写真もOKでした。なかなか旅行記を作成する次官がなくて亀さん状態が悩みです。
まほうのべる
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