![自転車の旅 蔵王東北編(後編)<br /><br /> 自転車の旅3日目、米沢のガソリンスタンド。<br /> 5時、珍しく夢から目覚める。コンクリートの上だけどよく寝られたってことか。寝かせて貰ったスペースはご覧のように雨も幾らか当たってしまうほど狭いコンクリートの上でした。人間、贅沢言わなくちゃどこでも寝られます。雨はまだ残っているが、空は少し明るいのでいずれ上がってくれるような模様だ。期待していよう。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/74/79/650x_11747937.jpg?updated_at=1649594683)
1986/08/16 - 1986/08/19
614位(同エリア749件中)
おくさん
自転車の旅 蔵王東北編(後編)
自転車の旅3日目、米沢のガソリンスタンド。
5時、珍しく夢から目覚める。コンクリートの上だけどよく寝られたってことか。寝かせて貰ったスペースはご覧のように雨も幾らか当たってしまうほど狭いコンクリートの上でした。人間、贅沢言わなくちゃどこでも寝られます。雨はまだ残っているが、空は少し明るいのでいずれ上がってくれるような模様だ。期待していよう。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
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シュラフから這い出し、取りあえず米沢駅まで走って今日の計画を練るのと朝飯にありつくことにする。
また強く降り出してきた雨の中を1時間ほど走り米沢の町の中に入ってきた。多くの場合、駅への道路標識は頻繁に設置してあるので好都合だ。迷うことなく駅に到着できる。
ねらい通り、駅では早朝から立ち食いソバ屋が開店していたので暖かいてんぷらソバをいただける。駅はありがたいねー。電話の天気予報を聞いてみると「大雨雷雨注意報!!」聞かなきゃ良かった口だ。しょうがないから今日は一日雨の中だと諦めて米沢駅を7時に出発。
2時間走って吾妻スカイバレーのゲート着。係員に「ここの坂はきついかですか?」と尋ねると、全部10%だなんて返事が返ってくる。またしても聞かなきゃ良かった口だった。10%の傾斜と言うのは、100m走る内に10m上って行くってことで、自転車に取っては結構な登り坂ってことです。 -
被っている白いポンチョですが、昨年のサイクリングの時に今市市のバーゲンで買った物は実際に使ってみたら小さくて使い物にならなかった。なのでまた安物のポンチョを買いました。一応、自転車用ポンチョとのことですが、これも何だがなーと言う物なので前に使っていた山用の大きなポンチョが欲しいです。あれは本当に優れものだった。この白いのは町中でちょっと被って走る程度のヤワなものでした。
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やっぱり相当きつい坂が続く。でも有り難いことに、この辺りからお日様が顔を覗かせてくれるようになってきた。やっぱり坂がきついか、天気が雨かのどっちかにしてくれるとまだ助かる。その内、腹が減ってきたので持参の羊かんと東鳩オールレーズンで昼飯とする。羊羹はこういうときにありがたいので良く持ち歩くするようにしている。甘いのは疲れたときにピッタリだし水分が多い羊羹は食べやすくて旨いのでサイクリングの携行食としたらご馳走の部類です。バッグの中にまだ残っていると思うとニンマリします。
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11時半、峠頂上が近くになってくると真っ白な霧が辺りに巻いていて幻想的な雰囲気だ。私は綺麗な景色を見るのが好きなので、こういう景色はたまんないです。ただ、写真に撮るとその時の感激の十分の一くらいしか表現されてないのが悲しい。
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少し走ると県境の看板があった。山形県にバイバイして福島県は白布峠に到着。この峠からは眼下に桧原湖が良く見えていた。親子連れに檜原湖をバックにカメラのシャッターを押して貰ってから、下まで一気に下っていく。途端に山の上と下ではこんなにも違うかって程の南国のモワーッとした暑さに襲われて気持ち悪くなる。時間にしてたったの10分20分下るだけでこんなに違うのは魔法のようだ。
桧原湖の湖岸沿いを走り、昔キャンプしに来たことのある五色沼の一つ、毘沙門沼を見物してみようと自転車を置いてハイキングコースを歩って行くと、さすが有名観光地だけあって人人人の大賑わい。沼の周辺は昔来たときから見ると、すっかり整備されてしまってちょっとガッカリするほどだった。缶ビールでも飲もうかと思ったけど観光地の悲しさ、やっぱり高いのでつまんないから止めておく。少し走れば適正価格で飲めるもんね。
無料の(ここ大事)五色沼自然観察園なんてのを見学したりしてまた走り出すと、この道が最高に気分のいい道でありまして、なだらかな下り坂が川沿いに延々と続いているという、余り他では例がないくらいの最優良サイクリングロードだった。そういえば昔走ったことのある塩尻から名古屋へ向かう中山道がこんなような道だったなぁと思い出す。あの道も木曽川沿いになだらかな下りが延々と続き、とっても印象に残る良い道だった。こういう道は登るときも楽に登っていけるから、逆のルートでもやっぱり良い道と言える道なんだよね。 -
猪苗代湖が見えてきたところで右折。只見方面を目指して走り続け、磐梯町の酒屋で缶ビールを買って木陰で小休止とする。五色沼の缶ビールは350円だったけど、ここのは同じサイズで220円。あそこのを2本飲む内には普通のだったら3本飲めちゃいます。
短パンに塩が浮き出していることに気づくが、短パンのスペアはないので今晩お待ちかねの民宿に泊まった時に洗濯しよう。野宿では普通、洗濯できないのが弱点。今回のツーリングは3泊の計画だけど、既に2泊は野宿しているので、最後の1泊くらいは宿に泊まろうと考えているのであります。宿に泊まると決めると肩の荷が下りた感じになります。
走ってきた49号を会津板下町で252号に乗り換えて只見川沿いに走っていくと、そろそろ疲労がたまっている所へアップダウンの激しい道がやってくる。いい加減ばててきたので早いとこ民宿にありつきたいなぁという思いが募るが割合それらしいのが出現しない。 -
三島という町に来ると結構旅館や民宿があるらしく、旅館案内所もあったりしたので、どうしようかなーと思ったけど、次の沼沢沼という所には民宿が22軒もあるとガイドブックに出てたので次に期待して通過する。しかし、いざ沼沢沼付近に着いてみると旅館らしき物が2軒あるだけだった。おっかしいなー、確かこのへんが沼沢沼の筈なんだけど。
酒屋のおばちゃんに尋ねたら、沼も民宿もあの山の上だよと指を指すではないですかぁ。ガビーンだ、地図ではまるっきり本線上にあるように見えたけど、実際にはちょっと外れてて、おまけにその外れ方が横だけじゃなく縦にもずれてたのか!山の上じゃ話になりませんやね。もうひと山越える体力も気力も残っとりゃせんでごわす。おばちゃんに近くに安い宿はないかと聞くと、素泊まりなら1900円で大丈夫というのがあるそうだ。教わった坂を下りていくと、見た目はそんなにひどくはない旅館がありました。へー、結構いいじゃんと交渉しに入っていく。
「今晩泊まれますか」
「泊まれますよ、こっちでいいんですか?」
「こっちといいますと?」
「一泊5500円です」
「?・・・・そこの酒屋で安く泊まれるって聞いてきたんだけど」
「あー、旧館の方ですか」
ということで交渉がまとまり、通された部屋は新館から渡り廊下の急坂をずんずん下りていき、ホントに旧館旧館している大正の農家みたいな作りの建物だった。ここだったら立派に1900円の名に恥じない部屋です~。ざっと見渡してみると、ここの客達は皆さん身上道具を持ち込んで自炊生活しているようでした。旧館は湯治客専門の建物だったんですね。
おく特派員がこの旧館の非常に浮き世離れしたところをまとめてみました。
その1、お風呂
コンクリート打ちっ放しの非常用水風湯舟。小さいのが2つばかり仕切ってあって、水道もなければ勿論お湯もでない。シャンプーも石鹸も置いてない。湯垢で茶色くなったプラスチックの桶が幾つか転がってあるだけ。おまけに混浴で、入っているのは勿論じいさんばあさんの湯治客。若者の私は悪目立ちしてそう。風呂から外へ出られる引き戸は開けっぴろげてあって、近所の農民さんがやってきて裸の入浴客と立ち話なぞしている。おいおい「○○さんも入ってかねぇかい、こっからならへーきだよ」なんて誘っているよ。
その2、食事
旧館の人たちは皆、自炊なので私みたいのは新館の方まで食べに出向いていく。帳場に食堂の場所を聞きに行ったところ、案内されたのは1つのグループが食事をしている普通の部屋で、その一隅で食べさせてくれるらしい。調度その家族連れらしき一団は食べ終わって引き上げてったけど、一人のおじさんは残って食べ続けている。ぶつぶつと独り言がやかましい。前のグループの食器を端に寄せて私の食べる場所を作ってくれる。何やら料理を運んで来たが、食べ散らかした食器類はそのまんまで片づける積もりはないらしい。
料理
刺身はタコの薄いの2枚と、包丁で叩き切ったマグロのブツが少し。天ぷらは明治時代の山国旅館の伝統がそのまま受け継がれているような小さな魚の干物が2切れと野菜(干物の天ぷら初めて食べた)。その他には漬け物と山菜が少しずつ。ビールを飲みながら酒の肴とご飯のおかずの配分を考えちゃう始末。お吸物が付かなかったようだけど、これは次ぐ朝「忘れてしまって」との報告あり。忘れても悪びれることはないよう。 -
その3、部屋
さすが旧館、全部すこぶる付きで古い。押入がないから布団とマットレスが床の間に積み上げてある。照明は町工場なんかにある縦長の短い蛍光灯ひとつ、とても薄暗い。クーラーも扇風機もないのに結構暑い。普通、そういうモンがないってのは涼しい土地だからじゃないのかね。
百円玉を入れると映る有料テレビだけは一丁前に置いてあるので「あー、ここは旅館なんだな」と思い出すことが出来る。
お湯が入っているポットには「祝結婚昭和54年6月吉日○○与吉・○子」なんて名入りだ。結婚式の引き出物だったらしい。
窓のカーテンはうちにも同じようなのが20年くらい前に掛かってたかな?と思わせる物がボロ隠しのように引いてある。カーテンの後ろを見たら本当にボロ隠しだったのが判明。
その4、トイレ
男子用、女子用と一応別れてはいるが、男子用には小便器しかない。大チャンの時は男子も女子用を使用するらしい。女子用を使っていたら何か言われそう。
以上、気が付いた事をチョット書いただけでもこんだけ書ける。話のネタとしたら二重丸の旅館かもね。
夕食後、今度は自分の石鹸を持ってもう一回風呂に行く。さすがに湯治客だからのんべんだらりといつ迄も入っているため、誰も居ないときにゆっくり入りましょうなんてのは無理みたい。この旅館に来て強く感じたことは「郷に入りては郷に従え」の格言。今時民宿でもこういう宿は見たこと無いけど、いつでも旅館では同じサービスが受けられるとは限らないてのがよ~くわかりましたよ。ま、あとは寝ればいいだけだから、今回の私としては多くを求めない方がいいのでしょう。
出発から4日目、ユニークな旅館の朝。
5時半に起きる。今ならあの珍しい風呂にだれも入ってないだろうと、カメラ片手に別棟になっている風呂場へと写真を撮りに行く。しかしさすがにここは湯治場だ、こんな早朝からもう誰か入ってて撮ることができない。もうこんな旅館の風呂は二度と入ることないだろから写真に撮れないのは惜しいなー、二度と入りたくもないけど。ボロは良いとして、婆さんと混浴は勘弁だな。 -
風呂場の撮影は諦めて、代わりに旧館の建物をパチリ。見ようによっちゃこれだって中々趣のある建物だ。あちこち旅行している4トラの皆さんでも、これだけの旅館ってなかなか泊まったことがないのでは?
昨日洗った短パンは半乾きの状態、まあまあだ。部屋の前の狭い廊下では出口を求めてセミが飛び回っている。こんな所もいかにも山の湯治場か。今朝になってもとても自分が旅館に泊まっているんだとは思えない雰囲気。まるで昔の時代にタイムスリップしたよな感じで「お母さん、僕のあの帽子どこに飛んでいったんでしょうねぇ」と呟きたくなってしまう。
前の晩に朝食の時間を聞き、8時からと言うのを7時に食べさせて貰い、カメラのフィルムを交換して8時には旅館を出発。泊まり賃はビールを飲んだの入れても4800円だから民宿より安いかな。でも最初に聞いた新館の泊まり賃が5500円だったから、その差はビール代考慮しても千円程度だったのか。まぁ今日の昼飯分は浮いたってことか。 -
今日は、この只見川沿いに新潟県まで走って行き、国道17号に出てからどこぞの駅で輪行との予定。でもここから17号に出るまでに96Kmもあるとはチョット意外だった、もっと近いと思ってた。途中には六十里峠というのが待ちかまえているけど、どんなもんだろう?標高は863mだから大したことは無いかなぁ、それに高い山が控えているこっち側から越すんだからやっぱり大したことはないだろう。それに、たとえどんなに予定より遅れたとしても、最後は電車に乗っちゃえば前橋まで運んでくれるという逃げ道があるので、割合気楽な一日になること間違いなし。
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只見川沿いの252号は上ったり下ったりを繰り返しながらの道で、山の中の道としては至って走りやすい道だ。昨日の夕方はこの同じ道がえらくしんどかったんだから、やっぱり疲れが溜まってたんだろう。やっぱり野宿は疲れが取れない。宿に泊まるのは金がかかるけど、高いだけのことは有るってことか。
所々に只見線の駅があるくらいだから、地図を見ただけでもおおよそ想像付いてたけど、とても走りやすい優良道路だ。これは予想が当たった嬉しい例だ。この道路上では一番大きな町の只見町でカツ丼の昼飯にしたついでに駅へ行ってみる。こういうフーテンのような旅をしていると、駅は格好のオアシスなんでありましてタイミング良く出現すると必ず寄ってきます。
そのいいところは・・・
①屋根がある(雨の日に最高に助かる)
②イスがある
③飲食物がある(特に駅うどん蕎麦)
④トイレがある
(勿論水もあるから歯も磨ける顔も洗えるし簡易浴場にもなる)
⑤名産・観光案内がある
⑥電話もある
⑦スタンプまで置いてある
⑧誰が休んでいても怪しまれない
⑨泊まれることもある
の、あるある尽くしなので、駅へはしょっちゅう寄り込みます。駅はサイクリングのオアシス。こんな良い施設が無料で利用できるのは素晴らしい。 -
待合室でアイスなぞなめながら中の様子を見物していると、やっぱり夏休みを利用して帰省してた人達が自分の家に帰って行く光景が見られます。子供はリュックを背負い、手には虫かごを持っている。親は大きな荷物を両手に抱えた家族連れが数組行き交っている。あの人達の年に一度の夏休みも、私の夏休みと同じように今日でおしまいなんだろなー。見ず知らずの親子連れと我が身を重ね合わせてちょっとしんみりしちゃう。
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只見町を後に、強い日差しの中を快適に走っていくと、行く手にでっかい田子倉ダムがまるで通せん坊でもしてるかのように大きく広がってきた。なんと今走ってきた道は、ダムの放水路だったのか。あんな大きなダムなのでこの先どうなっちゃうんだろうとワクワクしながら走っていくと、道はダムのすぐ手前でカーブして、このダムの上へと続いている模様だ。急坂をウンコラ上ってダムの上まで出ると、観光客が結構いるので私も休憩がてら見物しにふらついてみる。別に何てことなくて、NTTの人らしいのが炎天下にテーブルひとつでテレホンカードを売っているのが哀れを誘っていた。あれはちょっと滑稽かも。
今回これが最後の峠の六十里峠を元気にクリアし新潟県に入る。峠の反対側は勿論下りっぱなしの快適コースで、もう何も言うことありません。なだらかな下り坂なので前傾姿勢を取ることもなく周囲の景色も余裕の気持ちで楽しむことが出来る。何だかサイクリングのエンディングに相応しい道だなー。
しばらく下っていくと坂の具合もゆるくなってきて、それにつれて人家も増えてくる。そしてすぐに面白い家の造りに気が付いた。それはこの辺りの家は殆ど1階が倉庫みたいな造りで、玄関や人が住む所は2階以上にあるということ。1階は巨大な土台みたいにブロックやコンクリートで造ってあるのだ。そして群馬辺りでも殆どの家が2階家であるのと同じように、ここいらの家もそうなんです。つまり3階家なんですよ。一般住宅の3階建てがニョキニョキ突っ立ってるというのも他では見られない雪国ならではの光景じゃないかな。こういう地方の特色が色濃く出ている風景は嬉しいねー。冬になると雪が2階の高さまで積もって、あの2階の玄関から出入りするのが丁度良くなるんだろねー、その頃またやってきてその光景を見てみたいもんだ。 -
4時過ぎ、とうとう国道17号に出くわす。10年前17号を北海道目指してずっと北上したことがあるので、懐かしいので10Km程走ってみるとやっぱり見覚えのある風景が所々にある。一度走っただけでもやっぱり自転車はのろいから風景もゆっくり見られるし、自分の足でこいで走る分印象が深いんだろう、結構覚えてるもんだ。
小さいながらも新幹線が停まる浦佐という駅に着いたので、この駅で電車に乗ることに決める。駅から少し離れた所にガソリンスタンドがあるから、ここで自転車のペダルを分解するスパナを借りればいいしなんて目論んで(分解組立用の工具は重たいので輪行の時はいつも携行せずに現地調達しています)、自転車を置いて時刻表を確認しに行ってみると、次の普通電車の時間まで30分もない。なんだ、じゃぁ忙しいからその次だななんて次のを調べると、これが2時間も待たされることが判明。急いで切符を買って自転車の所まで走って戻り、大慌てで自転車を分解、パックしなくてはならない。もうペダルなんか付けっぱなしのまま袋詰めしちゃって、その他の荷物はザックに構わずぶち込んで5分前には何とか完成。無事電車に乗り込むことができました。焦ったぁ。
しかし電車は速い速い、どーんどん駅を通過していく。これからは私も輪行専門の時代だなと痛感する。限られた日数の中で行きたい所へ旅するには途中の道はパスする以外に方法はないし、何と言っても自転車持参で電車に乗るときの手回り品切符が一般開放になって、輪行がこんなに手軽に気兼ねなくできるようになったんだから、やっぱり利用しなくっちゃ嘘だって思いながら帰りの途につきました。窓の外はもう真っ暗闇です。
おわり
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旅行記グループ 自転車の旅 蔵王東北編
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