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2021年4月日(金)2時前、三丁町を北から南に抜けて、突き当りを左に曲がるすぐにJR小浜線を潜る旧丹後街道に出る。街道を小浜駅方向に200mほど辿ると、南側に木造の門がある。門を抜けた先が普通の道のように見えるのでピンと来ないが、これが常高寺の総門。かつては、この総門から南側一帯が敷地だったが、現在はこの総門とJR小浜線の線路の向こうの山門までの間は別地となっている。<br /><br />常高寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は凌霄山。浅井長政と信長の妹のお市の方の間に生まれた浅井三姉妹(下の写真1)の次女、初が、1609年に夫の小浜藩主京極高次が亡くなった後剃髪して常高院と号し、1630年に発願して開創したお寺。1633年に常高院は江戸で亡くなったが、このお寺に葬られた。<br /><br />明治時代以降は衰退し、1923年(大正12年)に本堂が焼失。さらに1964年(昭和39年)には山門も炎上して廃寺同然となっていたが、1990年から再建が着手され、山門や書院等の修復を経て、2001年に本堂が再建され、復興した。常高院の墓所の他、お初の貴重な肖像画や自筆の消息、書院に遺る壁画など、往時の盛運を偲ばせるものが残る。<br /><br />総門を抜けてお寺の並ぶ通りを南に進むと、突き当りに石階段がある。元々は線路の向こう側に見える山門に繋がっていたのだが、JR小浜線により分断され、現在は通ることが出来ない。<br /><br />石段と山門の間を列車が走る光景は特徴的で、2007年度の下半期に放送されたNHKの朝ドラ、「ちりとてちん」で主人公の貫地谷しほり演じる喜代美がこの石段に座って、宮嶋麻衣演じる親友の順子に相談するシーンも、その通過に併せて撮影された。<br /><br />この石階段を通れないので、左手に回り込んでJR小浜線のガード下を抜けて山門に進む。山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚二重楼門で、外壁は真壁造り板張り、上層部花頭窓、高欄付の立派なもの。上述のように本堂などと一緒に1990年から2001年に掛けて再建された。<br /><br />山門を抜けて左手の鐘楼の奥から遊歩道「お初しあわせの道」を辿り、国道27号線の後瀬山トンネルの西口の上を横切って南側の墓所に進む。ここに常高院の宝篋印塔が建てられている。常高院の死後にこの寺に葬られた時に建てられたもので、砂岩製、高さ4m、塔身前面には「空」・「風」・「火」・「水」・「地」の文字、地輪の正面には戒名「常高寺殿松岩栄昌大姉」が刻まれている(表紙の写真)。<br /><br />墓所の裏山、後瀬山には室町中期から後瀬山城が置かれていた。江戸時代に入った1642年に小浜城が完成して廃城となるまでは使われていたが、実際には北の麓、現在空印寺がある辺り一帯の武田氏館に城主は住んでいた。山桜がきれいだった(下の写真2)。<br /><br />2時過ぎ、小浜駅前に戻り、レンタサイクルを返却、土産物を購入する。お昼に食べて美味しかった鯖の醤油干しの他、鯖缶、鯖へしこ、小鯛ささ漬、羽二重餅(下の写真3)。<br /><br />鯖が多いが、やはり小浜は鯖街道の起点。鯖街道は若狭国などの小浜藩領内と京の都を結ぶ街道の総称で、現在の福井県嶺南地方から京都を結んでいた街道全てを指すが、最もよく利用されたのが小浜からバスで通って来た熊川宿を抜けて、そのまま南の朽木村を経て、京都の出町柳に至る若狭街道で、一般に言われる鯖街道はこの経路のことを指している。<br /><br />小浜漁港は歴史も古く、豊かな海からは多くの魚が水揚げされていた。若狭グジ(アマダイ)、若狭カレイ、若狭フグなど、若狭が付く名前も多い。江戸時代中期以降、鯖の漁獲量が増えたため、これらの魚介類を都に運ぶルートが鯖街道と呼ばれるようになった。小浜で揚がったサバを塩で締めて運び、京の出町柳に着く頃には丁度よい塩梅だったそうだ。<br /><br />なお、近年は福井県でのマサバの水揚げは大きく落ち込み、ピーク時の1974年に1万2607トンあったものが、2014年には31トンまで減り、小浜市漁協管内の水揚げもわずか1トンだった。<br /><br />購入したへしこだが、青魚に塩を振って塩漬けにし、さらに糠漬けにしたもの。若狭地方および京都府丹後半島の伝統料理で、越冬の保存食として重宝されている。鯖が代表的な魚だが、鰯や河豚も使われる。<br /><br />ついでに小鯛ささ漬は、近海で獲れた小鯛(レンコダイ)を3枚におろして塩で身を引き締めた後に、酢〆めして、笹の葉とともに杉樽に詰めたもの。小浜に古くから伝わる郷土料理。何も付けずにそのまま生で食べたり、醤油やわさびをつけてお刺身としたり、また、寿司やカルパッチョでも食べられる。<br /><br />また、羽二重餅は餅粉を蒸し、砂糖・水飴を加えて練り上げた和菓子。福井県では羽二重織りが盛んであり、よく生産されたため、羽二重にちなんで1847年創業の福井市の錦梅堂にて作られた。食感は非常に柔らかい。私は昔から結構好きだな。<br /><br />14時28分発の電車で小浜を後にする。JR小浜駅はJR小浜線の駅で、小浜市の代表駅であり、同市の中心部に位置しているする。1918年(大正7年)に小浜線が十村駅から延伸し、その終着として開業。1921年(大正10年)には小浜線が若狭高浜駅まで延伸開通し、途中駅となった。<br /><br />JR小浜線は北陸本線の敦賀駅から舞鶴線の東舞鶴駅を結ぶ路線で、起点は敦賀駅だが、敦賀行が下り、東舞鶴行が上りとなっている。これは、敦賀駅で接続する北陸本線や東舞鶴駅で接続する舞鶴線と方向をあわせたため。<br /><br />1917年(大正6年)に敦賀・十村間が国鉄小浜線として開業。1922年(大正11年)に全線開通した。1987年にJR西日本が継承している。起終点駅含む24駅、84.3kmで、全線単線電化。沿線の山並みに山桜がいい感じ(下の写真4)。敦賀駅(下の写真5)で湖西線新快速に乗り換え、6時過ぎに京都に戻った。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7453783121358314&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />小浜旅行の記、完了

福井 小浜 常高寺(Joko-ji Temple, Obama, Fukui, Japan)

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2021/04/09 - 2021/04/09

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旅行記グループ 小浜

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年4月日(金)2時前、三丁町を北から南に抜けて、突き当りを左に曲がるすぐにJR小浜線を潜る旧丹後街道に出る。街道を小浜駅方向に200mほど辿ると、南側に木造の門がある。門を抜けた先が普通の道のように見えるのでピンと来ないが、これが常高寺の総門。かつては、この総門から南側一帯が敷地だったが、現在はこの総門とJR小浜線の線路の向こうの山門までの間は別地となっている。

常高寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は凌霄山。浅井長政と信長の妹のお市の方の間に生まれた浅井三姉妹(下の写真1)の次女、初が、1609年に夫の小浜藩主京極高次が亡くなった後剃髪して常高院と号し、1630年に発願して開創したお寺。1633年に常高院は江戸で亡くなったが、このお寺に葬られた。

明治時代以降は衰退し、1923年(大正12年)に本堂が焼失。さらに1964年(昭和39年)には山門も炎上して廃寺同然となっていたが、1990年から再建が着手され、山門や書院等の修復を経て、2001年に本堂が再建され、復興した。常高院の墓所の他、お初の貴重な肖像画や自筆の消息、書院に遺る壁画など、往時の盛運を偲ばせるものが残る。

総門を抜けてお寺の並ぶ通りを南に進むと、突き当りに石階段がある。元々は線路の向こう側に見える山門に繋がっていたのだが、JR小浜線により分断され、現在は通ることが出来ない。

石段と山門の間を列車が走る光景は特徴的で、2007年度の下半期に放送されたNHKの朝ドラ、「ちりとてちん」で主人公の貫地谷しほり演じる喜代美がこの石段に座って、宮嶋麻衣演じる親友の順子に相談するシーンも、その通過に併せて撮影された。

この石階段を通れないので、左手に回り込んでJR小浜線のガード下を抜けて山門に進む。山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚二重楼門で、外壁は真壁造り板張り、上層部花頭窓、高欄付の立派なもの。上述のように本堂などと一緒に1990年から2001年に掛けて再建された。

山門を抜けて左手の鐘楼の奥から遊歩道「お初しあわせの道」を辿り、国道27号線の後瀬山トンネルの西口の上を横切って南側の墓所に進む。ここに常高院の宝篋印塔が建てられている。常高院の死後にこの寺に葬られた時に建てられたもので、砂岩製、高さ4m、塔身前面には「空」・「風」・「火」・「水」・「地」の文字、地輪の正面には戒名「常高寺殿松岩栄昌大姉」が刻まれている(表紙の写真)。

墓所の裏山、後瀬山には室町中期から後瀬山城が置かれていた。江戸時代に入った1642年に小浜城が完成して廃城となるまでは使われていたが、実際には北の麓、現在空印寺がある辺り一帯の武田氏館に城主は住んでいた。山桜がきれいだった(下の写真2)。

2時過ぎ、小浜駅前に戻り、レンタサイクルを返却、土産物を購入する。お昼に食べて美味しかった鯖の醤油干しの他、鯖缶、鯖へしこ、小鯛ささ漬、羽二重餅(下の写真3)。

鯖が多いが、やはり小浜は鯖街道の起点。鯖街道は若狭国などの小浜藩領内と京の都を結ぶ街道の総称で、現在の福井県嶺南地方から京都を結んでいた街道全てを指すが、最もよく利用されたのが小浜からバスで通って来た熊川宿を抜けて、そのまま南の朽木村を経て、京都の出町柳に至る若狭街道で、一般に言われる鯖街道はこの経路のことを指している。

小浜漁港は歴史も古く、豊かな海からは多くの魚が水揚げされていた。若狭グジ(アマダイ)、若狭カレイ、若狭フグなど、若狭が付く名前も多い。江戸時代中期以降、鯖の漁獲量が増えたため、これらの魚介類を都に運ぶルートが鯖街道と呼ばれるようになった。小浜で揚がったサバを塩で締めて運び、京の出町柳に着く頃には丁度よい塩梅だったそうだ。

なお、近年は福井県でのマサバの水揚げは大きく落ち込み、ピーク時の1974年に1万2607トンあったものが、2014年には31トンまで減り、小浜市漁協管内の水揚げもわずか1トンだった。

購入したへしこだが、青魚に塩を振って塩漬けにし、さらに糠漬けにしたもの。若狭地方および京都府丹後半島の伝統料理で、越冬の保存食として重宝されている。鯖が代表的な魚だが、鰯や河豚も使われる。

ついでに小鯛ささ漬は、近海で獲れた小鯛(レンコダイ)を3枚におろして塩で身を引き締めた後に、酢〆めして、笹の葉とともに杉樽に詰めたもの。小浜に古くから伝わる郷土料理。何も付けずにそのまま生で食べたり、醤油やわさびをつけてお刺身としたり、また、寿司やカルパッチョでも食べられる。

また、羽二重餅は餅粉を蒸し、砂糖・水飴を加えて練り上げた和菓子。福井県では羽二重織りが盛んであり、よく生産されたため、羽二重にちなんで1847年創業の福井市の錦梅堂にて作られた。食感は非常に柔らかい。私は昔から結構好きだな。

14時28分発の電車で小浜を後にする。JR小浜駅はJR小浜線の駅で、小浜市の代表駅であり、同市の中心部に位置しているする。1918年(大正7年)に小浜線が十村駅から延伸し、その終着として開業。1921年(大正10年)には小浜線が若狭高浜駅まで延伸開通し、途中駅となった。

JR小浜線は北陸本線の敦賀駅から舞鶴線の東舞鶴駅を結ぶ路線で、起点は敦賀駅だが、敦賀行が下り、東舞鶴行が上りとなっている。これは、敦賀駅で接続する北陸本線や東舞鶴駅で接続する舞鶴線と方向をあわせたため。

1917年(大正6年)に敦賀・十村間が国鉄小浜線として開業。1922年(大正11年)に全線開通した。1987年にJR西日本が継承している。起終点駅含む24駅、84.3kmで、全線単線電化。沿線の山並みに山桜がいい感じ(下の写真4)。敦賀駅(下の写真5)で湖西線新快速に乗り換え、6時過ぎに京都に戻った。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7453783121358314&type=1&l=223fe1adec


小浜旅行の記、完了

  • 写真1 浅井三姉妹

    写真1 浅井三姉妹

  • 写真2 後瀬山の山桜

    写真2 後瀬山の山桜

  • 写真3 小浜土産

    写真3 小浜土産

  • 写真4 小浜線沿線の山桜

    写真4 小浜線沿線の山桜

  • 写真5 敦賀駅

    写真5 敦賀駅

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