2022/03/17 - 2022/03/17
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montsaintmichelさん
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昆陽池は、奈良時代に僧 行基が開削したとされる溜池であり、田畑を潤すとともに洪水を防いできました。近年、伊丹市は阪神のベッドタウン化が進められ、その影響もあり1968年から5ヶ年計画で昆陽池公園として整備され、都市公園として生まれ変わりました。
都市部では珍しい野鳥のオアシスでもあり、関西屈指の渡り鳥の飛来地として知られています。秋から冬にかけてはカモなど多くの水鳥が飛来し、「野鳥の楽園」として市民に親しまれています。
今回、昆陽池公園を訪れようと思い立ったのは、2月下旬にコウノトリが飛来したとのニュースを耳にしたからです。コウノトリが昆陽池に飛来して餌を漁るのは公園が整備されて以来初めてのことだそうです。近年は飛来するカモの数が減ってきたとの情報でやきもきしていましたが、池の周囲の樹木の生長に伴い、生態系が少しずつ変わってきているのかもしれません。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
昆陽池公園マップ
公園の散策は地図の上方中央にある「三角広場」を起点にし、池を縦断する小径を渡って時計回りに一周いたしました。
昆陽池は土堰堤式の溜池であり、堤高は3.6m、水面積は17.1ha、貯水量は326000立方mあります。
行基没から約400年後の安元元(1175)年に泉宿祢高父が編纂した『行基年譜』には「奈良時代の天平2(730)年頃に僧 行基が摂津国川辺郡に開削されたと伝わる広大な溜池」と紹介されています。川辺郡山本里に昆陽上池、昆陽下池、院前池、中布施池、長江池の5つの池、更に水路として昆陽上溝(天神川)と下池溝(天王寺川)を開削したと記されています。5池のうち昆陽上池か下池のいずれかが昆陽池と比定されていますが、上池とするのが有力です。
このマップは次のサイトから引用させていただきました。
https://www.city.itami.lg.jp/material/files/group/87/pamphlet_koyaikekouenR3.pdf -
伝 藤原定家の漢詩碑
漢詩碑は昆陽池東口の「三角広場」に佇みます。
昆陽池は、古くから歌枕として名高く、数多の和歌や俳句に詠まれた池でした。藤原定家も有馬温泉へ湯治に向かう途中、昆陽池の畔を通り、池を眺めました。その時に綴られた日記『明月記(めいげつき)』にある漢詩を石碑に刻んでいます。
定家は歌人であり、天皇から命令を受けて『新古今和歌集』や『新勅撰和歌集』を編集したことでも知られた公家です。また『小倉百人一首』を選んだのも定家です。
因みに、定家は10代から80歳で死ぬまで欠かさず日記を書き続けていたそうです。現在、残っているのは19~74歳までのものに限られますが、その多くは今も定家の子孫である京都の冷泉家に保管されています。 -
伝 藤原定家の漢詩碑
「藤原定家」の文字のみ、定家自身の筆跡を模して刻まれています。
往時、定家は歌人から神様と崇められ、和歌だけでなく筆跡まで真似ることが大流行したようです。因みに、定家の筆跡は「定家流」と呼ばれた風変わりな書風です。定家自身も決して自分の字を上手とは思っておらず、「鬼」のような字だと『明月記』に記しています。
「昆陽池を過ぎて武庫の山に入る
藤原定家
新雨初めて晴れ池水満つ
恩波風緩にして豊年を楽しむ
遠松我を迎えて親故の如し
群鳥人を驚かし後先を争う
暁涙伴い来る江館の月
春望相似たり洞庭の天
頭を廻らして遥かに顧みる青厳の路
漸帝都を隔てて山腹川」
『明月記』より抜粋 -
待賢門院堀河の歌碑
こちらの歌碑も「三角広場」にあります。
「こやの池に 生ふる菖蒲の ながき根は ひく白糸の こゝちこそすれ」
『詞華集』より
揮毫は伊丹市在住だった田辺聖子女史です。
(昆陽池に生えている菖蒲の長い根は、蚕屋(こや)で紡ぎ引く白糸のような心持ちがする。)
待賢門院堀河は、平安時代後期の歌人で女房三十六歌仙・中古六歌仙のひとりです。父は神祇伯 源顕仲。初め白河院皇女、斎院令子内親王に仕えて前斎院六条と呼ばれましたが、その後に待賢門院 藤原璋子に仕えて堀河と呼ばれました。一度結婚しましたが、幼い子を残して夫は亡くなったとの説もあります。待賢門院の落飾に従って出家しています。
西行とは歌を通して親交があり、2人の歌の贈答が『西行法師集』にあります。待賢門院の死を哀しみ合う西行との贈答歌や彼女の妹 上西門院兵衛との姉妹連歌が残されています。
因みに、この歌碑のある処からコウノトリが観察できます。 -
池の中央に渡された小径で、画像の向かって左側が大きな自然池で右側が小振りな貯水池です。
貯水池の目的は農業用水や伊丹市の飲み水を確保することです。自然池は、野鳥や水辺の植物を観察するなど、市民が自然と触れ合うためのものです。 -
野鳥の島
昆陽池の中に日本列島の形を模した人工島「野鳥の島」があり、北海道から九州まで4つの島々から構成されます。ただし、水位の変動でいびつな形になっている時もあるようです。特に冬場は池の水位を低くしているので、少々膨れ気味になっています。
カワウが多数生息していますが、渡り鳥たちもこの島をめがけて飛来してきます。 -
野鳥の島(日本列島)
俯瞰図の方が判り易いのでGoogle Mapを引用してみました。
これを見るには伊丹空港から飛び立つ飛行機の窓側座席Aに座ってください。
離陸後、2分ほどで眼下に見られます。
公園整備の際、地域のランドマークにとの方針により、1973年にこの日本列島が造成されました。発案したのは当時設計を担当していた市の職員さんだそうです。飛行機から下を眺めた時、「この辺りが伊丹」と判ってもらいたいというファンキーな発想だったそうです。日本列島の長さは約250mあり、実物の4千万分の1のスケールです。この日本列島の形は、水辺と陸地の割合や鳥同士が縄張りを尊重して住み分けるのにも最適であり、池に集う野鳥の生態系を守る上でも大切だそうです。 -
野鳥の島(日本列島)
野鳥の島の環境破壊も本物の日本列島の縮図であり、深刻なことになっています。十数年前、島々に大量のカワウが繁殖し、巣を作りました。カワウは営巣時、樹木の枝を折り、フンは水質や土壌を汚染します。その結果、島々の樹木はほぼ枯死し、荒涼たる姿を晒していたそうです。
周囲は野鳥保護区でカワウの駆除はできないため、地道な植樹活動を続け、数年かけて日本列島の緑は一部復活したとのこと。また、こまめに枝を剪定してカワウの巣を抑制しているそうです。その効果があり、一時3千羽に達したカワウは、500羽ほどで推移しているそうです。今でも、白枯れた樹木に得意げな顔をしてのさばるカワウの姿があります。 -
カワウ
カツオドリ目ウ科に分類される鳥類で、名前の由来は文字通り「河(川)」に生息する「鵜」から来ています。ただし、河川のみならず、河口付近や湖沼、浅海域でも普通に見られます。
1920年代以前には本州、四国、九州に広く生息していたが、1970年代には3千羽以下まで減少し、1971年の繁殖地は、愛知県鵜の山、東京都不忍池、大分県沖黒島の3か所のみだったそうです。公害規制による河川水質の向上で餌となる魚が増えたため、1990年代以降はその数が飛躍的に増加しています。
日本国外でもカワウの急増による被害が発生しており、米国コロンビア川では絶滅が危惧されている鮭がカワウの被害を受け、鮭を守る為に陸軍がカワウの駆除を行っているといいます。 -
対岸に見える建物全体が伊丹市昆虫館です。その奥にある山並みのシルエットが六甲山系です。
手前に大型の白黒の鳥が1羽いるのが判りますか?
これが飛来してきたコウノトリ3羽のうちの1羽です。
飛来してきてから1ヶ月ほど経ちますが、居心地が良いのかまだ留まっているようです。 -
コウノトリ
2月19日早朝、昆陽池公園に国の特別天然記念物かつ国内希少動物に指定され保護されているコウノトリ1羽が降り立ちました。そして 翌20日早朝に2羽が舞い降りて合流しました。これまで上空を羽ばたく姿が目撃されたことはあったそうですが、池に舞い降りて羽を休めたり、餌をついばんだりする姿が確認されたのは公園が整備された1973年以来初めてだそうです。
水位の下がった池で、ナマズやカエルを捕食していたそうです。市によると、十数年前から池の浄化のため、冬場は水位を下げているそうです。エサ場として環境が整っていることやコウノトリの繁殖や放鳥が進み、個体数が増えていることが飛来の要因としています。 -
コウノトリ
コウノトリは鳥綱コウノトリ目コウノトリ科コウノトリ属に分類され、立ち上がった高さが約1.1m、羽を広げると2m近い大型の水鳥です。全世界で極東だけに生息し、約2000羽しか生息していないとされる絶滅危惧種です。野鳥ボランティアの方の話では、コウノトリは大食漢であり、ここに定住するには餌の量が不足するようです。因みに、兵庫県の県鳥でもあります。
伊丹市では、ストレスを与えないように、150m以上の距離を置いて静かに観察するよう協力を求められています。 -
コウノトリ
個体識別用の足環(あしわ)が付けられており、豊岡市で繁殖した2羽と京都府綾部市で巣立った1羽であることが判明しており、いずれも雄のようです。写真の1羽は、足環検索したところ、兵庫県立コウノトリの郷公園で2021年3月29日に孵化した個体のようです。 -
コウノトリ
くちばしと風切羽が黒いのが特徴です。明治時代に羽毛や食用として乱獲されて激減したそうです。また、第二次世界大戦中に営巣に適した松木が伐採された影響で激減、戦後はエサ場の水田などが農薬で汚染されたこともあり、1971年、国内の自然界では絶滅しました。2005年9月、豊岡市の県立コウノトリの郷公園が放鳥を開始するなど、各地で繁殖・放鳥への取り組みが進められています。2~7月は繁殖期に当るそうですが、雄しかいないのは残念です。因みに、雌雄の見分けは外観では判らないそうです。兵庫県立コウノトリの郷公園では、血液のDNAを検査して判別されています。 -
奇跡の一枚! コウノトリとヌートリアのツーショットです!!
コウノトリの一番の特徴は、鳴くことができないことです。体の成長に対し発声器官が発達しないため、体が大きくなると鳴きづらくなります。そのため、ヒナの頃の一時期を除いて鳴くことがありません。その代わりに「クラッタリング」と呼ばれる方法で音を出して互いにコミュケーションをとります。上下のくちばしをたたくことで「カタカタ…」と音を出し、威嚇や愛情表現などを行います。
また、大きな体躯のため、天敵はほとんどおらず、湿地生態系では食物連鎖の頂点に君臨する鳥です。目の前にヌートリアが現れても全く動じていません! -
ヌートリア
ネズミ目ヌートリア科ヌートリア属の小型哺乳類で、原産地は南米、別名は「沼狸」です。
そもそも日本には生息しておらず、『特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律』で特定外来生物に指定されています。体長40~60cmで見た目は大型のネズミですが、後ろ足には水かきがあり、泳ぎも得意です。
日本では1939年にフランスから150頭を陸軍向けの毛皮採取を目的に輸入さしましたが、第二次世界大戦後の需要激減に伴い、飼育個体の多くが野外放逐されました。また、1950年代の毛皮ブームでも再び飼育が流行りましたが、毛皮価格の暴落に伴い放逐されて野生化を促進しました。繁殖力が半端ではないため、環境省の調査では西日本を中心とした幅広い地域に生息が確認されています。
稲や大麦、葉野菜などの食害の他、絶滅危惧種指定のベッコウトンボの生息地を壊滅させるなど水辺の生態系への影響も深刻です。更に、巣穴は複雑に深く入り組んでおり、水田の畦や堤防が破壊される原因にもなっています。見かけてもエサは絶対に与えないでください。 -
貯水池
伊丹市民の水瓶でもあります。
昆陽池造営の経緯については、『伊丹市史(第1巻)』には「自然地形的な考察から社会生活上、自然池(北側)に人工池(南側)を組み合わせたもの」とあります。
行基が造営した往時の規模については、1755(宝暦5)年の『村明細帳』や1863(文久3)年の『昆陽池絵図』には、東西500間(930m)、南北308間(570m)に亘ると記されており、50ha相当となります。 -
貯水池 ヒドリガモ(緋鳥鴨)
カモ目カモ科マガモ属に分類される鳥類で、オナガガモやマガモ、コガモなどと並び、日本で最もポピュラーなカモ類です。立冬の時季にシベリアなどから日本へやってきて、4月頃には繁殖地のユーラシア大陸などへ再び飛び立って行きます。
特徴は雄の頭部が茶褐色なことです。雄の頭部は頭頂部を除いて赤味の強い茶褐色をしており、頭頂部から嘴にかけてはクリーム色です。
和名「ヒドリガモ」は頭部の茶褐色を緋色に喩えたことに由来します。はじめ緋鳥(ひどり)と呼ばれましたが、その後ヒドリガモとなりました。尚、「カモ」の語源には、「浮ぶ鳥」「浮む鳥」の略転「カモドリ」が略され、「カモ」になったとする説。水上で足を掻きもがくところから、「カキモガク」の略で「カモ」になったとする説。やかましく鳴くところから、「やかましい」「かまびすしい」の「かま(囂)」が転訛して「カモ」になったとする説など、諸説紛々です。 -
貯水池 ヒドリガモ(雌)
雌は全体的時に褐色ですが、他のカモに比べて赤味が強くなります。 -
貯水池 ハクセキレイ
スズメ目セキレイ科に分類され、世界中に広く分布するタイリクハクセキレイの亜種のひとつです。
ハクセキレイという名からは白っぽいイメージがありますが、翼を広げていなければ白黒のツートンカラーです。頭から背は黒色か灰色で、腹と翼は広く白色です。
ハクセキレイとセグロセキレイは見た目がよく似ていますが、最も特徴的な違いは顔の色です。ハクセキレイは顔が白く、セグロセキレイは顔が黒くなっています。また、ハクセキレイは白い顔に目を通る細い黒線が見られます
鳴き声については、地鳴きは「チュチン、チュチン」、飛翔時は「チチッ、チチチッ」と短く鳴きます。飛び方も独特で波形を描くように飛翔します。 -
上島鬼貫の句碑
「月なくて 昼は霞むや こやの池」
(時は仲秋。昼間なので名月は出ていないが、昆陽池は稀なる大池であるから、辺り一面おぼろに霞み周囲もよく見えないほどである。)
この句碑は池に渡された小径を渡り終えたすぐ左手に佇みます。 -
上島鬼貫の句碑
伊丹生まれの俳人 鬼貫は、往時の昆陽池の巨大ぶりをこの句で表現しています。詠んだのは1688(元禄元)年のことであり、『昆陽池付近絵図』が描かれる120年ほど前です。
「オーバーアクション!?」と侮ってはなりません。後ほど紹介する慈円も昆陽池を「霞わたれる」と詠んでおり、両者ともに「霞」という文字で往時の昆陽池の巨大ぶりを表現しています。
往時の昆陽池は、東西の直径が908m、南北は560m、対角線なら優に1kmを超える、信じ難いほどの超ド級の池でした。奈良時代に築造された昆陽池は、慈円の生きた鎌倉時代も鬼貫の江戸時代も変わることなく、その巨大な姿を横たえていたのでしょう。 -
野鳥観察橋
園内には水辺に沿って水鳥の観察ができる「野鳥観察橋」が設けられており、石垣で囲まれた手前の小池が給餌池になっています。
草生地広場は「ひょうごの景観ビューポイント150選」にも選ばれており、昆陽池公園は2010年には農林水産省による「ため池100選」や「平成いたみ八景」にも選ばれています。 -
行基石
立札には次のようにあります。
「この石は、もと旧稲野村と旧伊丹町の境界にありました。行基が東大寺を建立したとき、行基が祈念して六甲山から送っている途中で不要になって落ちた石とか、
あるいは行基が食事中にお椀の中から箸で捨てた石など、行基の伝承と結びついた石です。また、境界にあったので境目石であるという人もいます。
鈴原町6丁目の個人宅にあったものを博物館に寄贈されました。」 -
由緒不明の石
行基石の隣に置かれています。
表面には何やら文字が刻まれていますが、解読できません。 -
ヒヨドリ
スズメ目ヒヨドリ科ヒヨドリ属に分類されます。
体色は全身灰色、腹部には白と灰色の点々模様があり、翼と尾羽は灰褐色です。頭は青灰色で、ボサボサに見える冠羽があります。耳の周りが茶色くなっているのも特徴です。黒い嘴は食性のせいか細く長い形をしていますよ。尾は長めで、ムクドリやツグミより体型はスリムです。 -
ヒヨドリ
飛翔している姿は結構な大きさです。 -
大弐三位の歌碑
「ありま山 ゐなのささ原 風吹けば いでそよひとを わすれやはする」
紫式部の娘 大弐三位の歌碑です。大弐三位は平安時代中期の女流歌人として知られています。白洲正子著『私の百人一首』を思い浮かべながら、心躍らせて歌碑へと辿り着きました。野鳥観察橋の前に広がる草生地広場の南東角にあります。
黒御影石の中央を円形に磨き、その一部を色紙状にして歌を刻んだ、手の込んだ歌碑です。文字は藤原定家の集字のため達筆すぎて読み辛くもあります。 -
大弐三位の歌碑
『後拾遺和歌集』に収録されたこの歌は、遠くに有馬の山々を望む猪名野笹原の寂しくも美しい風景を背景に、つれない男への変わらぬ恋心を詠んだものです。
白洲正子女史は「疎遠になった男から、自分ことは棚に上げて、大弐三位の心を疑ってきたので、ややからかい気味に詠んだ歌」と評されています。恨み辛みを全てを呑み込み、宮廷に仕えた女官の矜持と機知がキラリと光る歌です。往時の昆陽池を含む猪名野笹原一帯には、ゆっくりと時が流れていたのでしょう。 -
江戸時代初期には下池が埋立てられ、上池が「昆陽大池」もしくは「昆陽池」と呼ばれるようになりました。現在は、その3分の1を埋立てて昆陽池公園として市民に開放されています。28.5haある昆陽池公園内には自然池(北側)12.5haと浄水場の水源となる貯水池(南側)4.5haの2つの池があります。
行基がこの地に溜池開削を思い立った理由については、地域一帯が台地のため灌漑用水の便が悪く、荒巻周辺の池だけでは水不足となるためとの解釈がスマートです。しかし、伊丹台地は意外に細かい起状を有し、特に鴻池や荻野から昆陽池にかけては数多の川筋跡が確認できます。更に、伊丹市中央部にはそこを横断する陥没帯が走り、昆陽池をはじめ数点の溜池があります。これらから、川筋跡が川だった頃はこの地域の水は川筋に沿い南へ流出していたが、昆陽池陥没帯が生じたことで流れは南北に分断され、北摂山地から流下する水は陥没地帯で方向を90度変えて武庫川や猪名川に流入することになったと考えられます。それ故、多雨時は昆陽池陥没地帯に水が溢れ、度々地域一帯が洪水に遭ったと思われます。つまり、洪水回避と灌漑用水を勘案して昆陽池を開削したと考えられます。工事の指導に当った人物こそ行基に他なりませんが、その工事方法を模倣して幾つかの溜池が開削され、現在の状態に至ったとされます。 -
コブハクチョウ
コブハクチョウは、2016年までは昆陽池に20数羽生息していたそうですが、その翌年の鳥インフルエンザ禍で6羽になり、現在は2羽しかいません。
現在、渡り鳥のシーズンには、鳥インフルエンザ感染を抑制するため、このような池の畔にあるネットで覆われた小プールで個別に隔離飼育されています。 -
コブハクチョウ
カモ目カモ科ハクチョウ属に分類される白鳥の一種で、欧州西部や中央アジア、モンゴルやシベリア南部などで繁殖し、冬は欧州東南部やアジア西南部へ渡る鳥で、元々日本には生息していない外来種です。日本では1952年に飼い鳥として欧州から輸入されたものが公園や動物園などで飼育されてきました。しかし、飼育個体の一部が野生化し、各地に定着したようです。
オレンジ色のくちばし上部の付け根に黒いコブのような裸出部があり、それが名前の由来になっています。
鑑賞用水鳥として親しまれているものの、人為的に導入された外来種に違いはありません。個体数も増加傾向にあり、更に渡りによって分布が拡大する可能性もあり、全国的な動向を注視していく必要性があるそうです。因みに、県によっては放鳥を禁じています。 -
コブハクチョウ
食後に羽繕いするコブハクチョウです。
鳥インフルエンザが流行っておらず、もう少し暖かくなれば池に放鳥されるようです。新型コロナも気がかりですが…。 -
様々なオブジェが所狭しと置かれたエリア
「心」や「和」という文字に混ざって「酒」の文字が躍っています。
おそらく、「清酒」が伊丹発祥だからでしょう。 -
西行法師の歌碑
鬱蒼とした樹木の木陰にひっそりと建てられています。
「冴る夜は よその空にぞ 鴛鴦も 鳴く凍りにけりな 昆陽の池水」
西行は平安時代末~鎌倉時代初期にかけての歌僧です。俗名 佐藤義清(のりきよ)。法名は円位。鳥羽上皇に仕えた北面の武士でしたが、23歳の時、無常を感じて僧となり高野山に出家。晩年は伊勢を本拠に、陸奥や四国にも旅し、河内国の弘川寺で没しました。述懐歌に優れ、『新古今和歌集』には94首の最多歌数採録。家集『山家集』があります。
西行は1190(文治6)年2月16日に没しましたが、「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」の歌に因んで前日の涅槃の日(陰暦2月15日)を忌日とし、円位忌(えんいき)とも言います。 -
西行法師の歌碑
揮毫は中川一政画伯のものです。
味わい深い特徴的な文字には、人の心を掴む何かが秘められています。少し角張った文字で、大きさを整えることなく、また整然としておらず、バランスも良くないのですが、ズレの妙というか、どこか人間臭さが感じられます。
中川一政画伯は大正時代末期から平成時代初期までに亘り洋画家として活躍しながら、歌人や随筆家としても多くの作品を残した多彩な才能を合わせ持つ創作者です。
文芸誌『白樺』により日本に紹介されたゴッホやセザンヌの作品に触発され、絵を描き始ました。そして1991年に98歳を目前にして亡くなるまで精力的に創作を続けられました。その作風は、東洋画の境地を取り入れた豪快な筆触と鮮やかな原色対比、大きな画面構成といった主観的な表現が特徴です。油彩を中心に、水墨岩彩や書、陶芸、挿画、本の装丁等の分野にも多くの優れた作品を残されています。 -
ヒヨドリ
さえずりの最中です。 -
昆陽池公園西口
波のオブジェがあります。 -
昆陽池公園西口
約1250年前に行基が造営した昆陽池は現在ではその姿を大きく変貌させています。その最たるものは全面積50haあった池の6割が埋立てられたことです。1970年代、高度経済成長の影響を受けて阪神間のベットタウンとなり豊かな田圃が宅地化されたことから、農業用水管理や昆陽池の維持管理に支障が生じてきました。昆陽池は市の中心部にあり、山地のない伊丹市には昆陽池や瑞ケ池周辺は唯一の緑地帯でもありました。こうして溜池の保全と農業経営の安定化を図るべく、昆陽池管理代表者の伊丹昆陽農協と伊丹市が協議し、歴史ある昆陽池を都会の中の野鳥公園として整備する旨を決定し、1972年から5ヵ年計画で「昆陽池公園」としての整備事業が進められました。その基本的コンセプトは次の3点です。
(1)静かな緑地にする。
(2)自然界のバランスを尊重する。
(3)一連の公園計画との関連をもたせる。
野鳥の飛来する人口島は日本列島を形どり、流入する汚水はすべて遮断し、武庫川の左岸昆陽井の下流から武庫川の伏流水を取り入れ、一部は猪名川の水を利用し、野鳥や淡水生物にとって清浄な水で生活が営まれるようにしてあります。 -
昆陽池公園西口
群がるカモは、お腹が白いのでキンクロハジロです。
奈良時代の名僧 行基は、全国に輝かしい足跡を残しましたが、731年に伊丹を訪れ、昆陽施院(農民や行路病人の救済所)を設けたり、昆陽池など5つの溜池を造りました。また、聖武天皇に勅願し、インドの祇園精舎のような僧坊を伊丹に設営しました。それ故、万葉の昔から歌枕の名所となり、平清盛の時代には神戸 福原遷都に当っては「昆陽野」も都の候補に挙がるほど由緒ある土地柄でした。 -
ふるさと小径 上島鬼貫の句碑
「世を泥と 見る目も白き 蓮かな」『画賛』より(柿衞文庫蔵)
(この世を泥のように汚れたものだと見る人の眼には、蓮の花というのは格別白く見えるものである。)
下方には人物像の絵も描かれていますが、不祥です。 -
ふるさと小径 上島鬼貫の句碑
美しいことも汚いこともいずれも善であり、そもそも人に優劣などはありません。目先のことに一喜一憂するのではなく、神仏が創造した運命に身を委ね、日々感謝しながら暮らすのが一番幸せなことなのかもしれません。
1738(元文3)年に78歳で没した鬼貫の辞世の句は
「夢返せ 烏の覚ます 霧の月」。 -
ふるさと小径
昆陽池の北側には「ふるさと小径」と呼ばれる小路があり、このような雰囲気のある竹林にも出会えます。
木々の中を通り抜けるこの小径は長さ600mの自然観察路となっています。バードウォッチングはもちろん、初夏~秋には昆虫観察も愉しめます。木漏れ日がキラキラと降り注いで分散和音の如き響きを奏で、サワサワという葉の擦れる音も相俟って都会の喧騒を忘れさせてくれる癒しの空間です。 -
ふるさと小径 慈円の歌碑
「ゑにかきて 今唐土(もろこし)の 人に見せむ 霞わたれる 昆陽の松原」
『拾玉集』 より 山本紅葉 揮毫 -
ふるさと小径 慈円の歌碑
昆陽池の大きさを「霞わたれる」で 表現しています。
慈円は平安時代末期~鎌倉時代初期の天台宗の高僧であり、歴史書『愚管抄』を記したことで知られます。諡号は慈鎮和尚、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円となっています。 -
伊丹市昆虫館
対岸に聳えるのが伊丹市昆虫館です。1990年に市制施行50周年を記念して建てられました。外観のカラフルなモザイクタイルが素敵です。
最大の特徴はチョウ温室で、亜熱帯地域の花々が咲くドーム型の温室内でおよそ14種類1000匹ものチョウが一年を通して見られます。日本最大級のサイズで沖縄以南に分布するオオゴマダラが温室で見られ他、さなぎの展示も行われています。約30種類の虫の展示ケースが並ぶ生態展示室では全国でも3館しか展示していないコノハムシが見られることもあります。 -
伊丹市昆虫館
金属製のアゲハチョウの大きなオブジェがお出迎えです。 -
伊丹市昆虫館
ガラス張りドーム状のチョウ温室では200種類以上の亜熱帯の植物があり、その中で伊丹市に生息するものと沖縄県産の合計15種、約1000匹のチョウが自由に乱舞しています。一足先に春を感じられるスポットです。
老朽化が目立っていたチョウ温室のガラスをすべて交換し、2018年4月にリニューアルオープンしています。全国の昆虫館でも前例のない大規模改修工事だったそうです。 -
伊丹市昆虫館
外観はおとぎ話に登場するようなメルヘンチックな洋館を彷彿とさせます。 -
伊丹市昆虫館
4階からは昆陽池全体を俯瞰できます。 -
マー君の木
米大リーグ・ヤンキースで活躍した田中将大投手(兵庫県伊丹市出身)が昆陽里小学5年生の時に直筆の名札を取り付けたヤマボウシです。
この名札は「マー君、最古のサイン」とされていましたが、現在は取り外され、「マー君の木」と書かれた札が下げられています。
この木のある場所は、前の画像を撮影した所の近くです。 -
伊丹市昆虫館
お別れの挨拶はリスさんです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。 -
おまけ1
河津桜を愛でる旅行記を書いている間に季節が一気に進んでしまいました。
ようやく阪神地区もソメイヨシノが満開となりました。
近所の山陽新幹線の高架下には数kmに及ぶ桜並木があります。
お天気が良いと、このように明と暗、無機質なコンクリートと有機質の樹木といった見事な対比が見られます。 -
おまけ2
樹齢60年を超えた老木ばかりであり、以前は道路の上を覆うかのように枝を伸ばし、桜の季節には道全体がピンク色に染まっていました。
しかし、信号機が見え難いということが問題視され、道路側の枝が伐採された経緯があります。近年は多少復活してきていますが、以前の姿を知っている身としては少々物足りなさを感じずにはいられません。 -
おまけ3
こちらの高架は南向きですので、明暗は感じられません。 -
おまけ4
ズームアップして六甲山系を借景にしてみました。 -
おまけ5
樹齢から見れば老木ばかりであり、何時、立ち枯れしてもおかしくない状態のようです。
こうした「桜の老齢化」は全国各地で問題になっていると思いますが、こうした景色がいつまで見られるのかと思うと、けなげに咲く桜が愛おしくなります。 -
おまけ6
桜にも光と影の対比が見られます。 -
おまけ7
自転車専用通行帯『自転車レーン』の整備が進められていますが、この画像のように自転車レーンに駐停車する自動車が後を絶ちません。
自転車の利用者にとっては、一度車道に出て迂回する必要があり、危険この上ない状況になります。それ故、我が身の安全を確保するために、レーンがあっても歩道を走行してしまうという本末転倒が起こってしまうのです。
自転車レーン走行の啓蒙だけでなく、レーン上での自動車の駐停車の取締りをセットにしてキャンペーンを張っていただけたらと願ってやみません。 -
おまけ8
柳のシャーワーを浴びてエネルギーを充電! -
おまけ9
毎年この景色をカメラに収めなくてはと思っていたのですが、毎年タイミングがずれてしまい叶いませんでした。
今回は「花散らしの雨」が降る前に撮影できました! -
おまけ10
伝統の「阪急マルーン」色に染められた阪急電車と桜のツーショットです。コンデジを使用したため、シャッタースピードが電車の速度に追い付いていないのはご愛敬です。
阪急電鉄の車体色は1910年の開業時からマルーンカラー(茶色系統)で統一されています。一般的なマルーンカラーは栗色に由来する茶色ですが、阪急電鉄ではもう少し黒みの強い小豆色やチョコレート色に近いカラーを「阪急マルーン」としています。 -
おまけ11
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