2022/03/20 - 2022/03/20
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ミズ旅撮る人さん
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春の3連休に、静岡市駿河区にある久能山東照宮に行きました。
特に目的があった訳でもなく、思い付きで出掛けたのですが、
よもやあのような場所にあるとは露知らず、
大変な目に遭いました。国道150号線を走って行けば、
そのうち見えると思っていたのに、社殿らしいものが見当たらず、
不思議に思いながら駐車場に車を停めました。
石の鳥居をくぐって、目の前にある石段が、その先では
絶壁のような場所となり、はるか頭の上を人々が上って行く
様子が見えます。それでもまだ社殿は見えません。
知らないで行って良かった。あんなものすごい石段が待っていると
知っていたら、行こうとは思わなかったかもしれません。
その代わり、眺望は満点です。
でも、眺望だけなら、この上の日本平で十分です。
ここには、徳川家康の墓所があり、「東照宮」の大本山のような
場所ですから、行って見る価値があるのです。
この日は東京で桜の開花宣言が出ました。
とは言え、お花見なんて考えていなかったのですが、
境内では、ソメイヨシノではない桜が満開のもの、
5分咲きのものが迎えてくれました。
1,159段の上にある本殿では、ちょうど結婚式が
執り行われていました。
桜と言い、結婚式と言い、何故かとてもいいタイミングでした。
覚悟していた筋肉痛もなく、春の日に照らされた太平洋を
眺めることが出来ました。
最後におまけで、三保の松原の近くでちょっとだけ
ドローンで撮影をしました。
※三保の松原の「羽衣の松」付近と、半島の突端部分は
飛行制限がありません。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
「久能山東照宮」。名前は知っていても見たことがありません。
なぜ「東照宮」が日光だけでなく、ここにもあるのか。
それが不思議でした。
今回ここに来て初めて、徳川家康が墓所を久能山にするよう
下知(げち)したのだと知りました。
久能山という場所がどういう所なのかを、体験することが出来ました。
国道150号から入ってすぐ見えるのが、一ノ鳥居です。
しかし、付近には他に社殿らしいものはありません。
でも、頭の上に何か見える・・・
そこを歩いている人がいるけど、まさかあそこまで行くの? -
「久能山東照宮」の文字があるのは、この木の看板だけです。
看板のある「一ノ鳥居」は、高さ6.5m、柱の直径は60㎝です。
大正4年4月17日に斎行された東照宮三百年祭を記念して、
同奉賛会によって奉納されました。 -
表参道の石段を少し上ると、稲荷神社があります。
まだ3月だと言うのに、シャガの花がもう咲いていました。 -
稲荷神社の隣には、久能梅林があります。
面積約3,000平方メートル、早生、中生、晩生の梅がおよそ10種類、
約130本あります。ちょうど花が散った後でした。
ここには男女共同の公衆トイレがあります。この先は、
本殿の社務所まで上らないとありません。 -
これまで、なだらかだった階段が一気に急傾斜になります。
頭の上まで手摺が続いています。 -
それでもまだ、この辺は、1段1段がハッキリ分かれているので、
踏みやすいのです。 -
石段は、九十九折になって、ずっと続いて行きます。
こうしたコーナーが17回あるそうです。
昭和32年に日本平ロープウェイが開通するまでは、
この表参道が唯一の参拝路でした。 -
下を見下ろすと、九十九折が良く見えます。
ここまで見事に並んでいる石段は、そうはないでしょう。 -
九十九折の先には、駿河湾が輝いています。
-
海岸沿いには、石垣いちごのハウスが並んでいます。
この時期、いちご狩りが盛んに行われています。 -
この眺めがあるから、皆なんとなくここまで上って来られるのでしょう。
とは言え、小さい子供はお父さんが担いで歩くことになることも・・・
あるのかな? -
はあ、しかし、救いのない前途が待っているなあ。
石段が不安定な段になっているので、気を付けて歩かないと
足をくじいてしまいます。 -
いちごハウスが広がっています。摘んで帰りたいなあ。
ここの石垣いちごでは、細長い章姫(あきひめ)か、紅ほっぺが
主流だそうです。一ノ鳥居の前に並んでいる土産物店で、
1パック500~600円で売っていました。 -
遠くに見えるのは、伊豆半島です。
ここは駿河湾の中なので波も穏やかです。
それにしても、春の日に、海の色の綺麗なこと。 -
ようやく、「一ノ鳥居」から見えた「一ノ門」に到達しました。
ところが、ここは、本殿の入口ではなかったのです。 -
ここでもシャガの花が咲いています。
石垣いちごの産地ですから、暖かいのでしょうね。 -
「一ノ門」は、 城門風で屋根は左右切妻造りの銅板葺きです。
元は櫓門でしたが、明治17年9月15日、暴風によって倒壊し
平屋に改築しています。 -
「一ノ門」をくぐって、まだ石段が見えた時には、
膝から力が抜けそうでした。
いったい、あとどれだけ石段があるのだろうか。 -
「勘介井戸」
久能山は、武田信玄が要衝の地として山城を築いていました。
信玄の死後、家康の領地となり、家康も久能山を重要視していました。
この井戸は深さ33m(108尺)、石垣積で、戦国時代に武田信玄の軍師
山本勘介が掘ったと伝えられています。
井戸の横には城の石垣があり、その上に近代的な建物があります。
いよいよ本殿に近付いたかな? -
久能山の歴史的変遷を説明しています。
図を比較してみると、武田信玄の築いた山城の本丸のあった場所に
本殿がある事がわかります。 -
ここが最も高い場所からみた駿河湾です。水平線に続く半島の先が
御前崎で、その向こうが太平洋になります。
徳川家康が江戸幕府を開いて息子の秀忠に将軍職を譲った後の
1609年7月に、大航海時代の繁栄を謳歌していたスペインの船が
日本近海で難破しました。
三隻でフィリピンからメキシコに向かう途中だった船のうち、
サン・フランシスコ号は千葉県御宿町の沖で難破し、
サンタ・アナ号は豊後(大分)の海岸に漂着しました。
サン・フランシスコ号に乗船していたスペイン領フィリピンの臨時総督
であったドン・ロドリゴは、江戸城で2代将軍秀忠と接見し、
その後、駿府城で家康と謁見しました。
1611年、スペイン国王フェリペ三世は、セバスチャン・ビスカイノ
大使を返礼大使として派遣します。 -
この時贈られた時計が東照宮博物館に展示されています。
当時は時刻を24時間で表わしていなかったため、
使用されることなく保管されていました。
この時代の時計が丸ごと原形を保っていることは世界に類を見ず、
近年大英博物館で鑑定されて、その重要性が再認識されました。
博物館には、平成26年に来日されたスペイン国王夫妻と天皇・皇后
(当時)両陛下が時計をご覧になっている写真が飾られています。
久能山から近い広野海浜公園には、大きな帆船が真っ二つになった
難破船の遊具があります。特に言及はないようですが、
この時のスペイン船がモチーフなのではないでしょうか。久能山東照宮博物館 美術館・博物館
-
ようやく社務所が現れました。ここから先は参拝初穂料500円が
必要です。博物館との共通券は800円で、100円安くなります。
社務所の手前を左に行くと、日本平とを結ぶロープウェイの乗り場が
あります。ロープウェイを使えば、ここまでの1,100段の石段を
上って来ることなく、この上の本殿に向かえますが、
やはり参道ですから、上って来なくちゃね。久能山東照宮売店 お土産屋・直売所・特産品
-
2022年秋に久能山東照宮では、竹灯籠まつりを行うそうです。
本来は2月4日~4月3日に、夜間特別拝観「天下泰平の竹あかり」を
開催する筈でしたが、コロナ対策で延期となりました。 -
楼門は重要文化財に指定されています。
第108代後水尾天皇の宸筆「東照大権現」の扁額が掲げてある為、
「勅額御門(ちょくがくごもん)」とも言われています。 -
獏(ばく)の彫刻があり、表側左右の格子戸内に随身(ずいしん)、
裏側左右の金剛柵内に狛犬(角のない方が獅子、角の有る方が狛犬)が
据えられています。 -
楼門の先にようやく本殿の前の唐門が見えました。
-
楼門の内側に、徳川家康の手形があります。
手形から推定した家康の身長は、155~159㎝だそうです。 -
麓からここまで1,100段。更に本殿まで59段あります。
-
その看板の後ろに「家康梅」と書かれた梅の木があります。
徳川家康が11番目の男子・水戸初代藩主となる頼房の誕生を祝い、
自ら植えた梅です。当初、浜松城にありましたが、水戸に移され、
それを接ぎ木して東照宮に植樹されました。
「家康梅」は紅梅で、その反対側には「実割梅(みわりうめ)」という
白梅があります。
「 実割梅」は家康が駿府城で育てていたもので、江戸時代、駿府城では
この実割梅から梅干を漬け、東照宮に納める仕来りがありました。
しかし、奉納は明治維新後に行われなくなってしまい、
当時の第一祠官(現在の宮司職)であった出島竹齋は
梅樹そのものの存続を憂慮し、徳川慶喜と協議の上、
明治9年2月25日に駿府城から東照宮へ移植しました。
現在でも、梅樹の管理および梅干奉製を行っています。 -
鼓楼(重要文化財)
創建当時は鐘楼でしたが、明治時代の神仏分離の際、
鐘を太鼓に替えて今の名称に改められました。
太鼓は明治6年旧幕臣小島勝直氏が、江戸城にあったものを
奉納したと伝えられています。 -
ようやく唐門の向こうに本殿の屋根が見えました。
唐門は、一般人は通ることが出来ないので、右に迂回して行きます。 -
石燈篭にも葵の御紋が彫られています。
-
五重塔跡
以前この場所には三代将軍家光の命により寛永12年(1635)に着工、
寛永13年正月に完成した、高さ約30mの五重塔がありました。
しかし明治時代の神仏分離の際に取り払われ、現在は礎と礎石を
残しています。 塔址の中央には、五重塔内の心柱の下部受口と
なっていた礎石があり、これを掘起して前方に移動、
駿府城内にあった蘇鉄が移植されました。 -
唐門の周囲には、寒緋桜と枝垂桜が咲いています。
訪れた日は東京で桜の開花宣言が行われました。
お花見はこれからと思っていたら、東照宮で出来ました。 -
神楽殿の屋根の上に覆いかぶさる枝垂桜。
-
「大寒緋」と名札が付いていました。
-
唐門(重要文化財)
拝殿正面にある門で、屋根は銅瓦本葺黒漆塗の四方唐破風造の門です。
羽目板に唐獅子牡丹、黒松に鳥の透彫があります。 -
思いがけない桜の饗宴に、ここまでの長い道中も忘却の彼方です。
-
良く晴れた青空に、枝垂桜がとても綺麗です。
-
地面にピンクの葵の御紋がありました。
なんと寒緋桜の花びらで出来ているのです。 -
そうして、今回の表紙になるのです。
いや~、感激しました。格好良すぎます! -
この緋色が御紋になるなんて、すごい思い付きです。
チベット密教には、砂絵で曼荼羅を表す修行があります。
仏教と神社では違いますが、根っこは同じなのかなと思います。 -
頭の上に被さって来る桜の枝の力強さ。
-
あまり枝垂れた枝が長くない桜ですが、
やはり枝垂桜はこうして撮ってあげたい。 -
この桜はとても表情が豊かで、撮る角度によって
違う桜のように見えます。 -
この辺りなどは、咲き始めのソメイヨシノみたい。
こんなに桜で楽しめるとは思いませんでした。 -
満開ではないけれど、欲を言ったらキリが無いし、もう少し後だったら、
寒緋桜が終わっていました。今日の日の桜たちに感謝です。 -
神庫(重要文化財)
奈良の正倉院と同じ校倉造りの建物で、博物館ができるまでは
神社に伝わる宝物類が納められていました。
ちょっと見ただけでは、校倉造りとはわからないですね。
すっかり神社の一員です。 -
屋根瓦にも葵の御紋。ちょっと丸っこいのが可愛いです。
-
日枝神社(重要文化財)
御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)です。
創建当時は本地堂として薬師如来像(東照大権現の本地仏)が
安置されていましたが、明治時代の神仏分離の際に仏像を移し、
楼門内東側に鎮座していた山王社(さんのうしゃ)の御神体を納めて
社名を日枝神社と改め現在にいたります。久能山東照宮 日枝神社 寺・神社・教会
-
日枝神社の前から塀越しに隣の本殿が見えます。
-
2006年(平成18年)に社殿の塗り替えをしました。
明治以降50年に一度行われています。 -
日枝神社の隣にあるこの門をくぐれば本殿です。
-
本殿の後ろ半分には立ち入れません。
本殿の周りを玉垣(重要文化財)が囲んでいます。
玉垣腰に92枚・渡廊下腰に14枚・計106枚の彫刻があり、
それぞれ一枚の板を彫り上げた透彫で、生彩色を施しています。
106枚の彫刻のうち、鳥を扱ったものが圧倒的に多くなっています。 -
神社の本殿の後ろには本来ならご神体が安置されています。
しかし、久能山東照宮の御祭神は徳川家康であり、
その墓所は別の場所にあります。この部分には、何があるのでしょうね。久能山東照宮 寺・神社・教会
-
本当に綺麗な色彩で、嫌味のない色使いが素晴らしいです。
2010年12月に、本殿・石の間・拝殿が国宝に指定されました。
軸部や軒廻りは黒漆塗、縁廻りは赤漆塗で仕上げてあります。 -
屋根の軒を飾る葵の御紋の中には、逆さまの物があるそうです。
この写真にはないなあ。 -
おや?ぞろぞろと人が入って来ました。これは、もしかすると・・・
-
御神職もいらっしゃいます。でも、肝心の主役たちは?
-
もう、ここにいました。
この日神前結婚式が午後1時に行われ、たまたまそのタイミングで
本殿に到達したのです。これも神様のお導き。 -
どうりで、黒いスーツの人が大きなカメラを持って、所々にいた訳です。
カメラマンは3~4人いて、大掛かりな撮影が行われていました。
今日はとても写真映えのするいい天気で良かったですね。
昨日だったら、ひどい雨になりました。 -
由緒ある神社仏閣だと、装飾が退色していて、
本来の姿が想像できなかったりしますが、
東照宮は、それを再現していてよくわかります。 -
こういう物が、博物館などの展示品ではなく、
実際に現役であるという事が素晴らしいです。 -
本殿までは1,159段。更にここから廟所まで40段。
こんな看板、見たくなかった。 -
本殿の左側に回り込みます。作りは反対側と同じですが、
こちらは通路になっていて歩くことが出来ます。 -
鳳凰なのでしょうか、ここだけ他とは違う雰囲気です。
-
この獅子は、反対側と対になっています。
互いにじゃれあっているようです。 -
これでもかと言わんばかりの三つ葉葵。東照宮にだけ許された紋です。
-
龍や獏、獅子たちの競演。
-
徳川家康は、天文11年(1542年)壬寅、12月26日寅の日、寅の刻に
三河国岡崎城に生まれました。
元和2年(1616年)4月17日、75歳で亡くなっています。
2022年は、「令和四年壬寅歳特別祈祷」を行います。
家康生誕 480 年、404回目の寅年、8回目の還暦に当たります。
それを記念して「竹と虎の御朱印」がいただけます。 -
廟門(重要文化財)
以前は御宝塔御門と呼ばれていました。廟所に通ずる門です。
金地鳳凰牡丹の絵があります。 -
見事な寒緋桜が色を添えます。
-
廟門をくぐって、更に石段を上ります。
振り返ると本殿の構造がわかります。
元和2(1616)年5月着工、同3年12月に至る僅か1年7ヶ月と云う
短期間に造営されました。
権現造、総漆塗、極彩色の御社殿は日光東照宮より19年前に造られ、
彫刻、模様、組物等に桃山時代の技法をも取り入れられた
江戸初期の代表的建造物です。 -
人々の足元に、寒緋桜の花びらが散らばっています。
これは、先程唐門の前で見た葵の御紋でした。
不注意な人が蹴散らしてしまったのです。
これは、二人掛かりで、手で作っているのです。
「また、明日作ります。花を集めなくちゃ。」と言っておられました。
この時期、東照宮を訪れる人は足元に注意してくださいね。 -
廟門から神廟に掛けて、参道の両側には石燈篭が並びます。
諸侯による寄進だそうで、寄進者の名前が彫られています。 -
神廟(重要文化財)
こ徳川家康の遺骸を埋葬した場所で以前は御宝塔と称していました。
元和2年(1616)の創建当初は木造桧皮葺の造りでしたが、寛永17年(1640)に3代将軍徳川家光により現在の石造宝塔に造替されました。 -
宝塔の高さは、5.5m、外廻り約8m、前面に唐戸があります。
軒の四隅に唐銅の風鐸が掛かっています。
なお神廟は家康の遺命により西向きに建てられています。 -
東照宮(徳川家康)遺訓
徳川家康は、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、
江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、
一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、
八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残しました。
この遺命により遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠の命により
久能山東照宮が創建されました。 -
家康の愛馬を埋めた場所
たくさんいたと思うけど、いつのどの馬?ちょっと妙な場所です。 -
「金のなる木」
-
「金のなる木」
「程よ木」「慈悲深木」「正直(木)」この3本の木を常々信用すれば、
必ず富貴が得られると家康が宣ったのだそうな。
さあ、引き返します。 -
イチオシ
本殿の甍(いらか)に緋色が映えます。美しい春の一日です。
-
本殿の前に来ると、ちょうど式が終わり、神職が出て来ました。
-
そして新郎新婦が出て来ました。
-
国宝の看板の前で記念撮影です。
ご両家の方々、おめでとうございます。
おめでたい写真なので、敢えてそのままで掲載させていただきます。 -
新郎新婦が本殿から退出します。
-
そのまま真っ直ぐ進んで、唐門をくぐって行きます。
-
段差の大きい石段を和服で降りるのは大変ですね。
おそらくは、ここでも記念撮影をするのでしょう。 -
イチオシ
神楽殿に飾られている家康の肖像画です。
ガラスに背後の緑が映り込んで、おもしろい写真になりました。 -
楼門を出ると、逆光で御前崎方面の海が白く輝いていました。
-
伊豆半島方面は、南国のような綺麗な海が広がっています。
-
表参道の石段を降りて行くと、下からおもしろい人が上がって来ました。
リュックからのぞく犬の顔が「ドナドナ」 -
せっかく静岡まで来たので、世界遺産に登録された三保の松原にも
立ち寄りました。
ドローンの映像です。この半島は殆どが飛行制限区域なのですが、
羽衣の松付近と、半島の突端部分だけは除外されています。
付近ではラジコン機なども飛んでいるため、
垂直に上げてぐるっと撮影するだけにしました。
海岸線に沿ってある松林が「三保の松原」です。
世界遺産の対象はこの松林に限定されています。 -
右に旋回して行きます。三保半島の付け根です。
-
清水港が見えて来ました。
ここから伊豆半島の土肥へと渡るフェリーが発着しています。 -
愛鷹山をバックに、そのフェリーが通って行きます。
-
三保半島の突端です。
野球場の隣には清水エスパルスのグラウンドが見えます。 -
雲が無ければ、この右半分くらいに富士山が見える筈です。
この日は静岡は晴れていましたが、富士山から東の神奈川県辺りは
曇っていました。 -
駿河湾越しに伊豆半島を見ます。
伊豆半島から駿河湾を見ることはあるけれど、
その反対は滅多にないので、新鮮です。それでは、今回はここまで。
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