2005/07/03 - 2005/07/14
3位(同エリア12件中)
Salaamさん
- SalaamさんTOP
- 旅行記247冊
- クチコミ713件
- Q&A回答171件
- 529,537アクセス
- フォロワー92人
古代ローマ人はアラビア圏を3つに分けていた。
岩のアラビアと呼ばれた現在のレバント地域。
砂のアラビアと呼ばれた現在のサウジアラビア。
幸福のアラビアと呼ばれた現在のイエメン。
厳密には古代ラテン語でArabia Felixと呼ばれ、Felixは「肥沃な」と言う意味。当時は今では想像できないほど降雨も豊かで農作物がよく育つ地域だった為つけられた名前でした。しかし、アデン港の交易で成した財と名声からいつしかFelixと言う単語が持つ他の「幸福な」や「祝福された」と言う意味で語られるようになった…。
アラブ文化圏好きとしてはそんな幸福のアラビアと言う二つ名を聞いたら行きたくなるじゃない?ってな訳で行く計画を立てた私…と言うのは後付けの理由(笑)
当時ちょうどJALのマイルが少し溜まり、何か面白い使い道がないか模索していた時に提携しているエミレーツ航空で地域中東2へビジネスクラスで乗る事ができると判明。それなら地域中東2の中でも一番長い路線を選べ!と調査した結果出たのがイエメンのサナアだった訳です。
毎度アホな理由で目的地を決めている私ですが、そんなサナアについてちょっと調べたら「幸福のアラビア」と言う二つ名を知り俄然興味が増し渡航する事にした次第。
それでは皆様、暫くお付き合い下さいませ!
--------------------------------------------------
【注意】この旅行記は2005年当時の旅の回顧録です。
2022年12月現在、イエメンはサウジとイランの代理戦争による泥沼内戦の最中です。事態の沈静化は残念ながら全く望めず、治安も医療体制も食料事情も極めて悪化している状態です。
2015年2月15日に日本大使館が一時閉館してから久しく(現在は在サウジアラビア日本大使館が兼務)、当然、イエメン共和国全土に退避勧告が出ており、世界中の各国政府も自国民へ渡航自粛(禁止)を呼び掛けている状況です。この状況下で現地へ行く事は全く勧められず、当方としても一切の責任は負いかねます。
一刻でも早く現地に平和が訪れる事を心より願って。
PR
-
実は昨日、フラフラと無駄に歩いていたのではなく、これから見に行きたい所へ連れて行ってもらえる旅行会社を探していました。
前半は旅行会社探し、そして後半はそれらの場所へ行くため観光警察局のパーミット(許可証)を貰いに奔走。
旅行会社はタハリール広場のすぐ近くにある旅行会社を発見。
そして都合よくほぼ同じ旅程を考えていたポーランド人の集団と遭遇し、便乗させてもらう事に成功!
幸運をかみしめながら写真右端に写る古いランクルに乗って出発!タハリール広場 広場・公園
-
イチオシ
パーミットを発効してくれる観光警察局?は探しても見つからないし、ロンプラの地図でも出てこない。
正直どうやってパーミット発効にたどり着いたかは全く覚えていないけど、省庁のメールアドレスが ***@yahoo.com だった事は衝撃的だった。
でも今から振り返るとフリーメールを使っている海外の役所って決して稀じゃないのね。
首都サナアを出るとすぐに乾燥した渓谷地帯に突入。
イメージとしては埃っぽい土漠とグランドキャニオンの合いの子で、谷底にちょぼちょぼと村や耕作地が点在している感じ。 -
少し進んだ所でドライバーのムハンマド氏が路肩に駐車。
道端で何やら葉っぱを販売するオヤッさんに話しかけ、明らかに商談風な雰囲気。
聞けば、上の写真の村はカートが特産品で、道端でオッサンが売ってるのがカート。
カートはイエメン旅行、いや、イエメンを語るに切っても切れない趣向品。
枝についた葉っぱとして販売されてる事が主で、使い方は生のまま噛む噛みタバコのような感じ。
噛んでその成分が唾液と混じり、それを飲む。すると葉っぱにある向精神作用が体内に入り、高揚感を得られるのだとか。 -
崖っぷちのガードレールなんてない道をクネクネ下っていきます。
標高2300mほどあるサナア郊外から30km足らずで1000mも降下するのだからなかなかのスリル。
日本国内ではカートは禁制品ではないのですが、イエメンのお隣サウジアラビアでは違法です。サウジに限らず、イスラム圏ではイエメンと東アフリカ諸国を除いたイスラム圏ではほとんど違法で、欧米諸国も禁止している事が多いです。日本が禁止していないのは、そもそも文化的にカートを噛む文化圏との繋がりが薄く、禁止せずとも入手しようとする人が少ない、と言う事かと邪推。 -
クネクネ谷底に向かう道は狭く、2kmくらい先は砂ぼこりでもやっている。
そして谷底はさらに遠くなのでどこに行くのか全く先行きが見えない…まさに地の果てまで向かっている気分。
普段は温厚なのに、ハンドルを握ると豹変するムハンマド氏。
ジェットコースター気分でワーキャー楽しんでいた我々も「よくこれで事故らないよなぁ…」と思っていましたが、その矢先。横転したトラックに遭遇。しかも血まみれのおっさん(推定運転手)がこっちに笑顔で手を振っている…。
意外にもテロや治安的な不安を感じる事はなかったけど、イエメンで一番命の危険を感じたのはまさかの交通事故でした。
コーランではカマル(酒)に関する言及はあるものの、カートや薬物に関する言及はないです。しかし、酩酊(酒や薬物等の影響下)で礼拝する事を禁じているので、イスラム法的にはNGと解釈しているんでしょうね。 -
カートを噛みながら砂漠を爆走するムハンマド氏。
向精神薬を楽しみながら爆走、と考えると恐怖そのものだけど、実際にはコーヒーと同程度の作用しかないみたいなので、まぁいいでしょう。
ポーランド人4人組に1人だけ私が紛れ込んでいるので、必然的に私が一番ムハンマド氏と仲良くなる事に。あ、でもポーランド人はみんなフレンドリーで別に壁を感じたとかではないっす。 -
ちなみにカートはめっちゃ苦い。
私も「ヤバーニー!お前もやってみろ!」と数束渡され、トライしましたが、高揚感等は特に感じなかったかな?
そうこうしているとチェックポイントに遭遇。
砂漠のど真ん中の何もない所でしばしばチェックポイントに遭遇します。
イエメンは当時から政情不安定で反政府勢力による外国人誘拐も時々発生しているような状況でした。
軍のプレゼンスを誇示しながら人の移動を監視し、テロ等に警戒をする国。物騒ですね。
我々が貰ったパーミットもチェックポイント毎に一部提出しているので、出発前に10部ほど準備。
紙を提出し、「4ボーランディーン、1ヤバーニー」とちょっとした会話でチェック終了。
(ボーランディーン=ポーランド人、ヤバーニー=日本人) -
標高が下がったからか、日が昇り始めたからか、はたまた相乗効果か、ぐんぐんと気温が上がっていきます。
砂漠の中を3時間は走ったでしょうか…遠くに集落と見られる一角が見えてきました。 -
近くに寄ってみると、古びた集落に見えたのはマーリブの旧市街。
新市街より数キロ南下した所にあり小高い岡に凝縮したような立地。 -
前世紀まではこちらがマーリブの主要地域でしたが、今ではほぼ廃墟。
土レンガで建てられている古い建築は砂漠の厳しい気候により侵食され、メンテナンスも受けない建物からどんどん崩壊していきます。
現在でもここに住んでいる人はごくわずか。それでも廃墟の合間から子供がひょこっと顔をのぞかせます。 -
イエメン地方の伝統的建築は縦長のビル状ですが、これについてはいずれ別途説明する予定です。
寒暖の差が激しく、極めて過酷な地域であるアラビア半島なので、人が住まなくなりメンテナンスされなくなった建物が瓦解するのもうなずけます。
しかし、この歴史的にも文化的にも価値の高い建物が朽ち果て、その残骸を別な用途に持ち去っていく様は、ちょっと物悲しい…。そんなのはこの地に今、暮らしている方は外物のセンチメンタリズム以外の何物でもないんだけどね。 -
崩れたマーリブを歩いていると地元の女性が話しかけてきました。
全く言葉は通じませんが、恐らく「私の写真を撮って良いから金をくれ」と言っている様子。
当時の私は、(言葉は悪いですが)仮にもイスラムを信仰している女性が金と引き換えに自分の姿を売る事を悲しく思っていましたが、今から考えれば、本人が同意しているのであれば、外界から分断された地域の数少ない経済活動だったと考えるべきだったのかな、とも感じます。当時はおこがましくも狭い視野でしか考えられなかった事を後悔。
結局女性の写真は撮らず、近くにいた子供たちと一緒に一枚撮って、お母さんにお金を渡した -
外側の壁が崩れた建物。
おかげで何となく図鑑の内部を映した図みたいで解りやすいですね。
それにしても熱い…。
もはや暑いではなく熱い。 -
再び走る事少々、マリブ・ダムに到着。
こちらは20世紀後半に建設された新しいマリブ・ダムですが。
このすぐ近くに8世紀に作られた旧マリブ・ダムがあるのです。恐らくそこの通っているのでしょうが、今から考えるとムハンマド氏はそれを見せようとしてくれたのかな。
悲しいかな、ポーランド人ご一行も私もアラビア語は挨拶程度で、今から思えば、ムハンマド氏の意図を汲めていなかったのでしょう。言葉の壁…か…。
旧ダムは、紀元前18世紀くらいまで遡って痕跡がある、と言われているので日本で言う弥生時代には大規模なダムを建設する技術があったとは…。コーランにも登場していて、ざっくり言うと「サバの民は肥沃な土地を持ったが、神への感謝を忘れ、その恩恵を失った」みたいな。 -
イチオシ
近くの民家の軒先みたいな所で小休止。
AK47カラシニコフ銃を立てかけた地元のおっちゃん…本物で現役のカラシニコフ見るの初めてだよ…。
軒先からつるしているのは何かの動物の皮でできた水タンク。
革製なのでじんわりと水を浸透し、その浸透した僅かな水が気化し、気化熱で中の水が冷やされる。まさに先人の知恵!
私はここまでの6時間くらいで5リットルくらい水飲んでいると思う。それだけ汗かいて気化熱で冷やされているハズなのに、砂漠の灼熱には追い付かず。 -
小休止の後にやってきたのがシバの女王がおわした月の宮殿。
…と言われている所。
シバの女王と言えば旧約聖書に出てくるソロモン王を称えたシバ王国の女王。
「…と言われる」と言うのはシバ王国の所在地には大きく2つの説があるから。 -
一番有力とされているのが、このイエメンにシバ王国があったと言う説。
古代アラビア半島にはサバ人が住んでおり、これがシバと同じ?と言われています。
他にもエチオピアにあったと言う説もありますね。
何れにせよ、日本の邪馬台国の立地同様、なかなかどこが本家なのかは決着付きそうにないお話しですね。 -
石碑にはシバ語が刻み込まれた何かの文章。
もちろん私はシバ語は読めません(笑)
既に一般利用としては絶滅したシバ語ですが、文献はとても豊富にあるらしく、概ね意味は解読できているらしいです。
一方、基本的に母音がない表記らしく、発音はまだまだ未解明みたいですね。
言語に興味を持っている身としては、絶滅した言語の復元ってすごく魅力的な研究! -
そろそろ1時に迫る時間だったし、集落もあるところだったので昼食としましょう。
・グリルチキン
・モロヘイヤスープ
・サラダ
・マラワ(イエメン風パン)
炭水化物×炭水化物(笑)
ご飯は日本で主流のジャポニカ米ではなく、東南~南~西南アジアにかけて主流の長米種のインディカ米。個人的にはこのパラッとした米の方が好きなんだよなぁ。モロヘイヤスープはいい具合にドロッとしていてご飯に絡めて食べるにはちょうど良し。 -
村のジュース屋さんで地元のお兄ちゃん達と。
日本と遠い文化圏であるイスラム圏。
残念ながらイスラム=危険、のイメージがかなり沁みついていますが、個々の人たちはフレンドリー。もっとも、正に今、イエメンで21世紀最大の人道危機と言われる泥沼の内戦が続いている事を考えると、説得力に欠けるのは重々承知です。 -
ちょっとしたマーケット兼サービスエリアみたいなエリアでしたね。
2022年現在、マーリブはフーシ派(イラン支援)とハーディ派(サウジ支援)の最前線。食糧事情も危機的で、人道危機の激戦区最前線でもあるでしょう。
正直、イエメンの過去旅行記を書きながら毎度思うのは「この写真に写っている人たちの何割が今でも生きているんだろう」と疑問を抱かざるを得ない…。
控えめに言って切ないです。 -
イチオシ
1時間くらい砂漠を爆走したら再びチェックポイント。
今回も国籍を申告。
ムハンマド氏「5ボーランディーン(=ポーランド人)」。
いや、面倒くさがってどう考えても東洋人の俺をポーランド人にまとめおったぞ!
言葉は通じなくてもこんな感じでワッハッハと楽しむムハンマド氏と一行。
ここのチェックポイントは軍人もみんなフレンドリー。
発展途上国や政情不安定な国で軍人の撮影はご法度(自身の安全のためにも)ですが、「一緒に撮るべ!」と言われたのでパシャリ。
左端の彼がイエメン男性のプライド、ジャンビーヤ(腰につけている短刀)を私の腰に巻いてくれました。 -
砂漠を爆走していたら黒いラクダに遭遇。
遠くにテントとかが見える瞬間もあったけど、これらは野生かな?
ベドウィン的な生活をしている方々にとっては最大の財産であるラクダだから、ひょっとしたら所有者がいるのかも?
先ほど言ったジャンビーヤは南部アラビア半島で男性が腰巻に刺している装飾品。
隣国オマーンでは国旗にもあしらわれている短刀。イエメンではジャンビーヤ、オマーンではカンジャールと呼ばれているようですね。
装飾や素材などで値段は千差万別ですが、アンティークになると100万ドルにも上るとか…。 -
まっ平らな砂漠地帯を進むと遠くの方にちょっとづつ丘が見えてきました。
砂漠の色も心なしか白っぽかった色から赤茶色っぽくなってきたかな。
そして砂漠から土漠っぽい雰囲気に。
爆走するスピードは150km/hだからすごい…。
そりゃぁ目に見えて景色が変わっていく訳だ…。 -
1980年代製のトヨタ・ランドクルーザー。
金持ちアラブ圏ではGMCやランドローバーも人気ですが、押し並べて言えばランクルの人気は根強い。
パキスタンに行った時、60年代か70年代のものと思われる40系ランクルが現役で唸りをあげていたのをみても然り、海外における日本車ブランドを築き上げた先人には脱帽です。 -
右を見ても左を見ても山、と言うよりずーっとキャニオンの底を走っているみたい。
Google Mapとかでご覧頂くと、ここには川が流れている事になっていますが、無論水は見当たらず、所謂涸れ川であることが解ります。
谷(転じて涸れ川)をアラビア語で「ワディ」、ここハダラマウト県を這う谷なのでワディ・ハダラマウトと呼びます。
渋谷はワディ渋、四ツ谷はアルバーワディ。 -
すっかり日が暮れた所で本日投宿するサユーンに到着。
もともとここは独立した首長国、ハダラマウトにおけるサユーンのカスィリー国(意訳。日本語の正式名称は見つけられませんでした。)でした。
奥に白く照らされている建物がその当時のスルタンの居城だったそうな。
記録によれば泊まったホテルはパレス・サユーン・ホテル。
隣のサナア・シティー・ホテルにアタックしたポーランド人一行が「枕がStinky(くちゃい)の」と言って却下し、隣にあった当ホテルになった次第。
結果、ミナレットと城のすばらしいコンビネーションを拝めたのでめでたし! -
ムハンマド氏もぐったり。
そりゃそうだ、610km、東京から秋田の距離を交代なしで延々と走ってくれたのだから。
この区間だけ追加料金を要求していたのも納得。
なんのジュースだったかな?
確か現地のレモンドリンク風だったような…。
乾燥しているし、暑いし、で、のどが渇きます。
本当はビール…と行きたい所ですが、いかんせん禁酒国なので町のジューススタンドには本当にお世話になりました。 -
ほぼ食べ終わった状態ですいません…。
イエメンの主食と言えば米かイエメン風パンのマラワ。
これをおかずと共に食べるのが定番。
このわずかに残っているものは何かの肉(笑)
赤系色の割には辛くなく、トマト?と思われる何か野菜と共に油で煮炒めしたような食べ物。
ビールはないのでチャイ。 -
宿の近くにネカフェがあったので、少しだけメールとかのチェックを試み…。
いや、読めねぇよ… Σ(oдΟ;)
唯一解読できたのが冗談右から二つ目、「タハリール」って書いてある。
タハリールはアラビア語で「解放」…いや、読めて、意味も解っても、結果解らんし…。
隣に座っていた竹内力をヒゲもじゃにし、20代まで若返らせたようなお兄ちゃんはせっせとアラブ版出会い系サイトみたいなので女子(と思われる)人にバラの写真を送り続けていました。
当人のアイコンは、キャバクラやホストの盛り写真もびっくりの別人っぷり。
男女間の交流が厳しいイスラム社会、その中でも最も保守的と言われるイエメンで、まさかこんな人間染みた光景を見るとは。
彼らもまた人なり。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
幸福のアラビアを求めイエメンへ!
-
前の旅行記
幸福のアラビアを求めイエメンへ! - Part 2 サナア街歩き
2005/07/03~
サヌア
-
次の旅行記
幸福のアラビアを求めイエメンへ! - Part 4 砂漠の摩天楼
2005/07/03~
シバーム
-
幸福のアラビアを求めイエメンへ! - Part 1 空路サナアへ
2005/07/03~
アラブ首長国連邦
-
幸福のアラビアを求めイエメンへ! - Part 2 サナア街歩き
2005/07/03~
サヌア
-
幸福のアラビアを求めイエメンへ! - Part 3 シバの女王の足跡
2005/07/03~
マーリブ
-
幸福のアラビアを求めイエメンへ! - Part 4 砂漠の摩天楼
2005/07/03~
シバーム
-
幸福のアラビアを求めイエメンへ! - Part 5 アラビア海を望むムカッラを目指す
2005/07/03~
その他の都市
-
幸福のアラビアを求めイエメンへ! - Part 6 イエメニア航空ファーストクラス
2005/07/03~
サヌア
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- つぶ。さん 2022/12/30 21:08:31
- イスラム圏の旅
- 日本人には遠く、馴染みのないイスラム教ですが個々は本当に良い人等ばかり。(宗教は個人の性格と無関係ですよね)
中東の地で戦争が多いのは、汚職と資源を狙った諸外国の介入など...
宗教とは別のところにあると感じています。
イエメン戦争が始まって以来、UAEでは兵役も義務になりました。
戦争のない世界になって欲しいものです。
イエメン旅行記、ありがとうございます。
- Salaamさん からの返信 2023/01/03 03:48:08
- RE: イスラム圏の旅
- つぶ。さん
あけましておめでとうございます。
宗教と個人の性格は別の物、本当にその通りだと思います。
もちろん、(悪い意味で)宗教にどっぷりとつかりすぎて善悪の判断や客観的価値観の判断ができなくなる方が現れる弊害はありますが、それは宗教に限らず政治的意見や趣味等でも起こりえる事かと思います。
そもそもイスラム圏悪者説は欧米諸国が宗教を隠れ蓑にしたてあげながら、実際の戦争は資源、ことさら石油が原因。実際産油地域ではない紛争地域からは早々に撤退、あるいは介入に消極的な事から明らかかと。
以前特殊部隊に所属されていたイマラーティーの方とお話した事がありましたが、UAEで兵役が義務化されていたとは驚きました。そもそもUAE軍はUAE国籍の方で形成されている事、ある意味当たり前ながら意外に感じたのは本音の所。
ご家族の事を考えると兵役は心配の種ですよね。
イエメン然り、ウクライナ然り、全ての紛争地域もそうで無い地域も、サラームである事を願うばかりです。
Salaam
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 幸福のアラビアを求めイエメンへ!
2
30