2022/03/06 - 2022/03/06
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たびたびさん
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児島の旧野崎家住宅は、瀬戸内の塩田王と呼ばれた野崎武左衛門が20年の歳月をかけて建てたという豪邸。ただ、敷地面積3000坪、建物延床面積1000坪のスケール感はさすがなのですが、それはそれとして。むしろ豪快な印象の表書院や23間を見通す主屋は静かで堂々とした美しさを備えていて、それがとても素晴らしい。大きな規模を活かして、より美しさを際立たせたという感じかな。施主である野崎武左衛門の美的な感性は余程しっかりしていたのではないかと思います。ちなみに、経済人として成功を収める一方で、美の世界でもその才能を発揮した人物は、岡山なら大原美術館の大原孫三郎が最右翼ですが、レベルは違っても野崎武左衛門にも少しばかりその辺りの素養があったのかも。私はそんな気がしましたが、いかがでしょうか。
さて、今回のお目当ては、その野崎家に伝わるひな人形を公開する「野崎家のお雛様展」。野崎家の素晴らしいお屋敷を拝見してただでさえ優雅な気持ちになったところに、こんな見事な雛人形に出会えるとは。。野崎家が岡山藩主池田家より拝領したという大型の享保雛とか、これ以上ないくらいに雅な気品が溢れていますし、分家から贈られたというひな人形もちょっと個性的な趣き。丸平大木の出世作、明治天皇の洋式有職雛がさりげなくコレクションに入っているのも、当時の流行を見逃していない視野の広さを感じます。
そういう意味では期待通りのひな人形だったのですが、ただ、お屋敷も雛人形もやはり、最後は、それらを通して塩業で栄えた野崎家の歴史に思いを馳せてなんぼかな。そこの視点がないと本当の深い味わいはないかもしれませんね。
ところで、はるか縄文時代にも遡る塩作りの歴史ですが、江戸時代に入ると製塩事業のトップランナーは赤穂藩。その製塩技術が広まって、もともと気候条件に恵まれていた瀬戸内一円では製塩事業が勃興。十州塩田と呼ばれる瀬戸内の塩田が生まれ、全国の9割を占めるまでになっていくんですね。これに対し、野崎武左衛門が本格的に塩田事業に乗り出したのは幕末。入浜式塩田の製塩業はその技術が十分確立されていましたし、むしろ生産過剰で価格が崩れたりすることもあったりする既に成熟産業。ですから、よほどの才覚がなければ厳しい競争には打ち勝てなかったのではないでしょうか。そこには、やはり何かもうひとつの物語があったはずなのですが、野崎家塩業歴史館を拝見してもあまりよく分からなくてけっこう気になっていました。しかし、改めて、ホームページを拝見すると、一つ目は塩田性能の優位さとして規模の経済に細砂、鉄釜の導入と石炭の使用。二つ目は当作歩方制という制度によって労働者側への成功報酬の道を開いたこと。成熟産業の製塩業にあっても、やはり新たなイノベーションがあったのですね。そんなに単純なものではないかもしれませんが、やっとモヤモヤが晴れてそれなりに納得した気持ちになりました。
そして、野崎家の後は、備中高松城と最上稲荷。岡山近郊の観光資源もまだまだ豊富です。
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広島を出発して、早朝の児島駅に到着。まだ、野崎家住宅は開いていない時間なので、駅の周辺をチェックします。
旧野崎浜灯明台は、児島駅からまっすぐ海岸に出たところ。
文久3年(1863年)に建てられた木造の灯明台。塩釜明神の御神燈であり、船の安全のための灯台。宝形造りの屋根がのって整った美しさですね。
浜は塩田の製塩資材を積んだ船、潮買船のほか、北前船も乗り入れて賑わったそうです。 -
その先が児島観光港。
瀬戸大橋周遊観光船というのがあって、それがメインだと思います。 -
四国に向けた港としては、連絡船があった当時から玄関口は宇野港。児島港はローカルな港としての位置付けなので、まあこんなもんかなと思います。
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駅の前にあるこんな説明版。児島湾の干拓っていうのは教科書にも載っているくらい有名なんですけど、さらにその前は島だったというのは意外でしたね。
まあ、どっちにしても。広島湾なんかでもそうですけど、平和になった江戸時代。全国各地で干拓が進められたのは、あんまり認識されていないことですよね。 -
野崎家住宅はジーンズストリートの先ですよね。
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途中にあるこの倉敷市瀬戸大橋架橋記念館なんかも久しぶりです。
建物全体が日本橋のような太鼓橋を模した面白い形をしていますが、もっと素晴らしいのは内部の天井画。格天井いっぱいに往来を行き来する人々の活気あふれる姿が浮世絵みたいなタッチで描かれています。 -
さて、野崎家住宅に到着しました。
長屋門の堂々たる構えです。 -
今日はボランティアの人たちも詰めていて
やっぱりそういうところは、大事。
街の誇りとしてみんなで支える文化財いうことですよね。 -
門を入ると手前が表書院に通じる玄関で、正面奥が主屋。
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右手奥には白い壁の蔵が並びます。
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表書院に通じる玄関は
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内玄関とありまして
ちょっとした雛飾り。 -
内玄関の隣りが正式な玄関かな。形式は武家屋敷みたいな式台玄関になっていますね。
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順路は表書院の庭の方に続きます。
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開けた空間に
悠々と表書院の建物が伸びていて
飛び石も大きめ。豪快な印象です。 -
飛び石の先にあるひと際大きな石は
どこかの庭園では舞台石と言ってましたけどね。
これで豪壮な表書院の建物とうまくバランスが取れているでしょう。 -
ぐるりを縁が囲んだ表書院。
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数寄屋造りの穏やかな意匠ですけど
規模が大きいので堂々とした風格。 -
イチオシ
畳に襖に欄間の配置も特別なものじゃないですけど
なんかリズム感があって美しいですよね。 -
表書院から回ると
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今度は主屋です。
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端っこにひな人形が飾られていますけど
見るべきポイントはその奥。23間(42m)、9つの座敷を見通す一直線の長い廊下の眺め。襖が重なるように続いていますが、この美しさも主屋の規模があればこそなんですよね。 -
隣りの茶室から
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裏手に回ると
台所とか。 -
イチオシ
多くの使用人が生活していたんでしょう。
必要に応じた機能的な造りであることが感じられます。 -
裏手の通路に沿っては風呂場やトイレに加えて
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大きな味噌蔵、漬物蔵とかもあって、往時の隆盛が偲ばれます。
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一回り回って、最初に見えていた蔵の並んでいるところですね。
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その最初の蔵がひな人形の展示室になっていました。
いやいや、これは一見しただけで並みのものではないことがわかりますよ~ -
着物の前に飾ってあるのは押絵雛。
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イチオシ
高価なものではないにしても
こういうのも楽しいものですよね~ -
さてさて、順番に確認していきましょう。
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これは市松人形ですよね。
かわいがる対象としてぴったりはまる人形。この人形も雛人形に混じっていると自然な感じがします。 -
これはまた豪華な雛人形ですね~
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大きさもあって迫力があります。
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イチオシ
それに保存状態が抜群にいいです。
道具屋さんとかにこのテの人形があったりしますけどけっこう古びて大味になったりしているのが多いですからね。きれいな状態だとこうなんですね。たいしたものですね~ -
この辺りはもう少し後の時代ですよね。
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いかにも京都のお公家さんといった感じ。
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あか抜けた顔だちも大木丸平みたいですね。
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その隣りも似たような感じ。
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特注品ではないにしても、
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最高のものを買い求めたんでしょう。
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この品の良さはさすがです。
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一番奥に控えていたのは享保雛。
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池田家から拝領したものということなので、
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イチオシ
これは特注品かな。
池田家からのご褒美と捉えれば
野崎家の家宝に相当するものかもしれません。 -
あ~
これは大木丸平の出世作。明治天皇の有職雛でしょう。明治天皇をモデルにすることなんか当時は恐れ多いことだったと思いますが、これをご覧になった明治天皇がにっこりされたことで了解をいただけたと受け止めたのだとか。逸話のある人形です。 -
これは分家から贈られた雛人形。
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よくみると人形の表情が愛らしい。
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イチオシ
少し笑った顔とかには、自由な気分を感じます。
大木丸平が得意とする有職雛にはこういうところがあんまりなくて、リアルな上品さとかがまず前面に出るので私はちょっと寂しく思うところ。でも、やっぱり雛人形は子供のための人形ですからね。自由さとか暖かさとかはとても重要な要素だと思います。 -
雛人形の展示室はこのひと部屋でしたが、これで十分楽しめました。
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並んだ蔵の端っこ。この入り口を入ると野崎家塩業歴史館。旧野崎家住宅の見学コースだとこれが最後の見どころになります。
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冒頭で触れたとおり、野?家は野?武左衛門が大々的な製塩業に乗り出し財を成した歴史。
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温暖な気候と干満の差の大きい瀬戸内海の自然条件を利用した入浜式の製塩から始まって、効率的な流下式塩田への転換。現代の安全な膜濃縮製塩法まで。積極的な経営方針で、業界のトップとしての地位を確立しました。
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その後、政界への進出とか
華麗な一族として歩み始める。 -
今でも製塩業には携わっていて
その歴史は続いているということですね。 -
資料館を出て
小庭に入るとこんな一角。 -
ここにもちょっとした飾り付けがありましたが、
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なんとここは主屋の端っこ。最初に見通していた23間は、ここまで続いていたんです。
これで野埼家住宅はおしまいなんですが、 -
もう一つ
野崎家別邸たい暇堂というのも要チェック。
旧野崎家住宅から歩いて2~3分。少し離れた場所にありまして、ひな祭りの期間だけ公開されているんです。 -
こちらが玄関。
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玄関を入ると
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いきなりの大広間。
たくさんの段飾りが並んでいましたが、 -
建物自体はなんだかざっとした感じ。
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それなりに期待していましたが、なんか大きいだけかな。
それに野崎家の雛人形を見た後だととても比較になるようなものはない。せっかくでしたけど、ちょっと興ざめしたような気がします。
さて、児島はこれでおしまい。
備中高松の方に移動します。 -
備中高松駅に到着して、ここからが後半。レンタサイクルを利用します。
ウシダサイクルは、備中高松駅近くのレンタサイクルのお店。ここから備中高松城、最上稲荷を訪ねます。 -
ただ、その前にお昼にします。
おおもり手打うどんは、備中高松駅近くの人気うどん店。この日もお店は満席でした。 -
いただいたのは、やまかけうどん。うどんは少し細めでかつとっても柔らか。しかし、ちゃんとコシがあるという素晴らしい仕上がり。汁は薄めでそこに山芋が溶けるとあまりにも穏やかなので、始めはパンチがないなあと思いましたが、すべてを飲み干すということを考えるとやっぱりこれが程よいのかな。量もそこそこだし、最後はじんわり満足感が湧いてきました。
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さて、散策を開始して。備中高松城の関係ですけど
これは蛙ヶ鼻築堤跡。備中高松駅から東に少し行ったところ。
全体は芝生の公園のような感じなんですが、その端っこに秀吉が備中高松城を水攻めした際に築いた堤防跡がちょこっとありました。 -
備中高松城の方の眺めは平たい田んぼが続いているだけ。こんな高さの堤防でも広い範囲で水が貯められたのは分かりましたが、逆になんでこんな平らな場所で力攻めが出来なかったのかとちょっと不思議に思いました。ぬかるんだ土地だったからでしょうかね。
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備中高松城に向かいますが、途中に建つのは最上稲荷の巨大鳥居。昭和47年に建立されたもので、高さは27.5mです。
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そのまま進んで、もうすぐ備中高松城という辺り。
清水宗治自刃の地は、秀吉が水攻めをした備中高松城の城主、清水宗治が自刃した場所。実際には小舟の上だったので、そこは想像するしかないですね。近くに菩提寺である妙玄寺もありまして、石柱の碑もかなり立派。自らの死で城兵の命を助けた潔さは爽やかな印象が残ります。 -
ほどなく備中高松城址公園。ちょっとしたアンギュレーションはありますけど、全体としてはなだらかな地形ですね。
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入り口を入ってすぐには、この城を囲んだ秀吉軍の諸将の位置を示すモニュメント。
秀吉軍は、宇喜多氏から借り受けた1万のヘイと合わせて総勢3万。堀尾吉晴、黒田孝高、蜂須賀正勝、加藤清正、山内一豊、石田三成も従軍していて、その後それぞれの物語を考えるとなかなか面白いものがありますね。 -
イチオシ
少し進んで、ここが中心部かな。
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田んぼみたいな湿地に木索道が通っていたりして穏やかな眺めです。
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備中高松城址公園の中心部にぽつんと建つのは高松城址公園資料館。蔵のような建物です。
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高松城の水攻めに関係する資料を展示していますが、
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やっぱり、備中高松城を囲んだ秀吉軍と毛利軍主力の布陣が興味深い。
毛利軍からしたら備中高松城に向き合う秀吉軍の側面を突けるような形にも見えるのですが、それができないのはちょっと不思議な感じ。秀吉の軍は直轄の2万と宇喜多勢の1万を加えた3万。対する毛利勢は5万とか8万というのは秀吉の書状ですが、実際に動員できたのは1万だけだったという説もあって、秀吉軍を圧倒できる数ではなかったというのが信憑性が高いような。秀吉軍の追撃とかはとても無理だったというのがやはり本当のところだったのではないかと思います。 -
さらに進んで、これは城主、清水宗治の首塚。さすがに生々しいところもなくはなかったりして、
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秀吉の天下取りはここで始まったわけですし、歴史の場所であることは確かです。
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清鏡庵は、備中高松城址公園の隣りに建つ雰囲気のある和菓子屋さん。看板商品の宗治饅頭をいただきました。
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備中高松城の水攻めに遭った城主の清水宗治の名前を付けた饅頭。やっぱり地元の英雄ですから、それなりの覚悟がないとダメな饅頭ですよね。
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少ししっとりした皮に、このはっきりした甘さの餡子はなかなかですねえ。なお、宗治饅頭は小豆餡と白餡の二種類です。
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備中高松城址公園には清水宗治の首塚がありましたが、この清水宗治胴塚はこれとは別の場所。少し離れた住宅地の脇のようなところに小さく囲われてありました。城兵の命と引き替えに舟上で切腹した清水宗治。その首級のない遺体を埋葬した場所なのだそうです。花が手向けられていていて今でもその思いは受け継がれてると感じました。
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備中高松城址公園を後にして
今度は最上稲荷までやってきました。
これは参道入り口の手前に建つお土産物屋さん。
ちょっとひなびた感がすごいですね。 -
ここから参道を歩きます。
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ちょっと金比羅山に似ていて、長い石段に沿って商店街が続きます。
コロナ禍もあってか閉まっているお店も多いですが、こんな長さは全く想像してなかったものですね。 -
稲荷ときわやは宿もやっているようですが、外観は普通のお土産物屋さんかな。
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最上稲荷の名物、柚子せんべいをいただきました。この柚子せんべいは、あちこちで作っていて、製造元は10軒近くあるのではないかということでしたが、こちらもそのうちのひとつですね。
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小麦粉の煎餅なんですが、米粉の煎餅のようにガリガリと固いタイプ。そこに柚子の香りや生姜の香りも混じっていて、穏やかだけどちゃんと印象的な味わい。これはなかなかの名物ですね。飽きずにいくらでも食べれる煎餅です。
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しゅんちゃんの玉子焼も、まあ名物店なのかな。コロナ禍もあってやっているのかいないのかという感じでしたが、
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名物のゆずせんべいを売っていまして、これは六車商店のゆずせんべい。ゆずせんべいはいろんなところがあるので、食べ比べも楽しいです。
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どんどん進んで、
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これは、おかもと屋。テレビ取材なんかも受けて、今は一番勢いがあるお店のようです。
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いただいた柚子せんべいは、
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イチオシ
焼き色が少し付いて薄い褐色。柚子の香りはほんのり気味ですが、ガリガリとした食感が程よくて上品な味わい。煎餅としての基本的なうまさがしっかりしていると感じました。
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その上手は福屋商店。本殿から商店街の方に降りていくとすぐにあるので比較的便利な場所ですね。
おばあちゃんがやっているのですが、もう体力がないので最近は開けているのは午前中だけだそう。午後に訪ねたのでもう閉まっていて残念でした。 -
長い参道商店街を抜けて、これが最上稲荷の入り口。こちらは、日本三大稲荷の一つということですが、まあ、日本三大稲荷には諸説あるようですからそこはそれなりかな。
ただ、参道商店街は寂れていましたが、この構えは勢いを感じますね。 -
石段を上りきった先の
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広い境内に建つ
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イチオシ
本殿の豪壮な構えとかも想像をはるかに超えるもの。周辺からの参詣者は相当なのだろうと思います。
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一帯には支院らきしものも建っていて、一大宗教都市の様相です。
なるほど、ここも一見の価値ありのスポット。訪ねたのは正解です。 -
最後に、最上稲荷に一番近い駐車場の前に建つ常磐堂へも。
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ご縁まんじゅうが名物で、それをいただきました。いわゆる人形焼の一種ですね。硬貨の五円玉をモチーフにしたデザインがご縁ということ。穏やかな甘さの餡子で落ち着いた味わいです。
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最上稲荷からさらに足を延ばして、今度は矢喰宮へ。
高速のインターにも近いなんか妙な場所なんですが、ここは吉備津神社と鬼ノ城のちょうど中間地点なんだとか。境内から山の方を眺めると遠くに鬼ノ城が見えています。 -
伝説によれば、吉備津彦命の矢と温羅の投げた巨岩がぶつかって落ちたところで、
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真ん中から割れた巨大な花崗岩の岩がその岩ということですね。近くには吉備津彦命の射た矢が根付いた竹もあるはずですが、それはよく分かりませんでした。
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続いては、雪舟生誕地公園。雪舟の生誕600年を記念して、令和2年に整備された地元の公園です。
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イチオシ
凛として立つ姿の雪舟像に、国宝の「四季山水図巻」「秋冬山水図」「破墨山水図」「慧可断臂図」「天橋立図」「山水図」を収めた陶板画。
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館内の展示では雪舟の生涯をコンパクトに紹介していて、けっこう至れり尽くせり。中国画に学びつつも、日本独自の水墨画風を確立させたその功績はいくら強調してもし過ぎることはないものだと思います。
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これでほぼ予定は終了。後は東総社に戻って、スイーツチェックとか。
老松園は店構えとかも重厚感があって、ちょっと飛びぬけた存在感ですね。 -
いただいたのは、
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看板商品の満月というお饅頭。
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焼き色が美しくて、この餡子はしっかり甘さがあるし気品のある味わい。はっきりとものが違うということが分かります。ちょっとすごい饅頭です。
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続いては、備庵。個人住宅に毛の生えたくらいの店構え。玄関入ってすぐ横が小さな売場です。
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品数は限られていて、いただいたのは「うらどん」。岡山の温羅伝説にちなむネーミングですよね。そんな話をしたら、表に温羅伝説をテーマにしたガラス絵があって、女将さんがそれを説明してくれました。
さて、「うらどん」の方は、月餅みたいな感じ。微かに中華風の餡子がおいしいです。 -
すぐ近くにある総社市まちかど郷土館にも寄ってみます。明治43年に建てられた旧総社警察署の建物。
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ちょっと傷みもなくはないような明治洋風建築ですが、中に入るともう一段外と中を仕切る形になっているのも面白いですね。
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この日はお雛祭りの展示。
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そこそこに拝見しまして
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備中神楽のお面が割と面白いと思いました。
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戦時中の盃。まあ、ちょっと前にはこういう時代があったんですよね。
隠すことではないですが、こうやって堂々と展示しているところは少ないように思います。 -
つながるカフェ線は、総社市まちかど郷土館の通り。旧堀和平邸とありましたが、地元の旧家の建物を使った街越しの施設です。
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コロナ禍でかカフェとか食事処はやっていませんでしたが、産直の野菜をちょこっとおいたり。まあ、どっちにしてもこの外観のもったいのある感じは目を引くと思います。
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平川雪舟庵は、市役所通り沿いのロードサイド店。明治初年創業の老舗のようですが、
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看板商品の雪舟もなかをいただきました。
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雪舟が柱に縛り付けられながら、泪でネズミを描いたという逸話がモチーフ。くっきりとネズミを象ったデザインが見事だし、この餡子もしっとり潤いがあって、艶のある甘さもさすが老舗の味ですね。確かによくできている最中です。
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晩飯は、地元の人気店、洋食の店 ブーン。これも市役所通り沿いです。
しっかりしたカウンターとテーブル席のシンプルな店内。街の洋食屋さんって感じですね。 -
コロッケとオムレツのセットをいただきました。サプライズまではないけど、普通においしいですね。わざわざ行くという感じではないですが、近くに来たなら立ち寄ってみたい。そんなお店だと思います。
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東総社から今夜の宿、岡山まで帰りますが、その途中、気になっているうどん屋へ。
お昼のおおもり手打うどんがよかったので、余計気になるんですよね。
大元駅から少し歩く、こちらたぬき屋です。 -
柔らかい系のうどんですが、ちゃんとコシがあって、これはまさに正統派の讃岐うどんですね。質はとてもいいんですが、ただ何かモヤモヤ。考えてみるに、これだけのうどんをぶっかけの汁で食べるのがなんかもったいない。うどんの質としてはかまあげうどんみたいにして、少しきりりとした出汁で食べるともっとうどんのおいしさが引き立つんじゃないのかなあ。私的にはそこがちょっと惜しい気がします。
岡山は香川の影響を受けてうどんのレベルは高いのですが、少しづつ違いがあって独特。そんなことなのかもしれません。 -
今日の泊りは、ホテルリブマックス岡山WEST。明日は、備中高梁を訪ねます。
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