2022/03/07 - 2022/03/07
6位(同エリア424件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記842冊
- クチコミ41172件
- Q&A回答431件
- 6,790,862アクセス
- フォロワー687人
二日目の旅は備中高梁。かなり以前に、現存12天守の一つで唯一の山城として有名な備中松山城と小堀遠州ゆかりの頼久寺を訪ねたことがありますが、それ以来。岡山の旅のひと区切りとして、改めて、この地を選びました。備中国の中心は倉敷なのですが、やっぱり倉敷は天領。小藩ではありますが、備中の歴史をそれなりに語れる藩とすればここになるでしょう。
備中高梁が注目される時代は、二つ。江戸時代初めの天領時代。備中代官として小堀家が統治していて、小堀遠州こと小堀政一が頼久寺の庭園を造ったのもこの時です。遠州は、その後、その名前の由来となった駿府城普請奉行から、河内国奉行、近江国奉行、伏見奉行を歴任。有能な幕府の役人としてのキャリアが窺われますが、ご存知の通り、その真骨頂は利久の後継者としての顔であり、利久→古田織部→小堀遠州の系譜は圧倒的。綺麗さびの境地を切り開き、名だたる庭園も数多く残しました。前回の頼久寺訪問では、小堀遠州の作庭には西洋庭園の影響があるという知見をいただき、その後の庭園鑑賞には大いに役に立つところとなりました。それも思い出深いことの一つです。
そして、二つ目は幕末の板倉勝静の時代。池田家、水谷家、安藤家、石川家と続いた松山藩の最後が板倉家5万石。板倉勝静は板倉家の7代であり、もともとは白河藩主松平定永の八男。桜田門外の変の翌々年の文久2年(1862)には徳川慶喜の下で老中首座となり、鳥羽・伏見の戦いでは慶喜に従って大阪を退去、以後の戊辰戦争では箱館まで転戦するという流れ。幕府のエリートであったがために、時代に飲み込まれることになったという印象です。一方で、その板倉勝静が藩政で重用したのが陽明学者の山田方谷。畑違いではあったものの、緊縮財政・汚職の根絶や殖産興業、両替商への協力要請等により藩の財政再建を成功させ、鳥羽伏見の戦い後の松山藩追討令に対しては松山城の無血開城を導きます。それにしても、幕末は多士済々ですね。特定の思想に拘らず、目の前の状況に冷静に対処できるリアリストでもあった人物ではないかと思いますが、今や、地元の誇りとして熱い支持を受けているよう。全国的な知名度はイマイチですが、これも意外な収穫だったかと思います。
その後、後半は総社の宝福寺ほか倉敷にちょこっと立ち寄り。岡山市近郊の気になるスポットもまたカバーができました。
-
岡山駅から備中高梁駅に到着。
駅前に建つ銅像は山田方谷像。
山田方谷の生誕210年の記念事業として、多くの人からの寄付によって建てられたのだとか。
題辞は、「至誠惻怛(しせいそくだつ)」。長岡藩士の河井継之助に贈った言葉で、まごころ(至誠)といたみ悲しむ心(惻怛)の二つを兼ね備えて生きることが人としての基本姿勢だという意味です。 -
駅から中心部に向かって歩きます。
備中高梁の市街から高梁川に注ぐ川、紺屋川筋は、両岸を石垣で囲った堅牢な造り。かつては、ここが備中松山城の外堀の役割も果たしていたのだとか。
日本の道100選でもあるようですが、ただ、正直言えば、藩校有終館跡などの看板があったりしても、やっぱりちょっと寂しげな感じは否めないかな~ -
上手の方に向かって、これは高梁基督教会堂。明治22年に建てられたという現存する県下最古の教会。
-
イチオシ
高梁での布教活動は、新島襄が訪れて以降に急速に伸びたのだとか。どうして新島襄が高梁にやってきたのか。どうしてそのことが大きな影響力を持ったのか。いろんな背景があったことを想像すると、木造の何でもないような建物でも高梁の小さな歴史を秘めているように思います。
-
紺屋川筋の一番上手に建つ小さな神社は、臥牛天神社。道の方に向いて大きな由来を説明する案内板があって、それによると臥牛山天神の丸に祀られていた城の鎮守だったもの。武士の子弟が15歳で元服するとその春祭りにはここに参詣して武運長久を祈るしきたりがあったそうです。
-
さらに少し奥に進むと小堀遠州ゆかりの寺、頼久寺です。お城のようながっちりした石垣ですが、小堀遠州が当地にいた時はここが執務の中心だったそうです。
-
山門を入って
-
左手奥が本堂で
-
庭園は右手奥の
-
庫裏の方の
-
玄関から入ります。
あ~
この玄関の感じは確かに記憶にありますね。 -
書院に続く廊下は
-
路地庭園を抜けて
-
離れ座敷から続きます。
-
イチオシ
で、その際、まず目に飛び込んでくるのは縁のすぐ先に設えられたこの石群。
切石と自然石の飛石が敷かれて、その隙間を栗石で埋めているこの意匠。頼久寺庭園の解説だとその奥の大刈込とかの方をポイントとしているのが多いのですが、素直な印象としてはこの石群の方がはるかにインパクトがあるでしょう。どうかするとモダンアートのような感じもありますよね。 -
借景を正面に見る眺めでも
-
縁側からの眺めでもこの石群は全体をきりりと締める重しとなっていますよね。
-
なのに、頼久寺庭園の解説だと大刈込とか
この鶴亀石とかが中心となっていて、それは学術的にはそうかもしれませんけど、必ずしもこの庭の特徴として解説する優先順位ではないような気がします。
もしかしたら、石群は後世に付け加えられたものかもしれないと思って、住職に尋ねたら、当初からあったものだとか。 -
私の感覚で言えば、遠州流の特徴としては、正面の大刈り込みや鶴島・亀島の石組みよりもこの軒先の石群、敷石の大胆な意匠こそが第一でしょう。ただ、いくら調べてもこの石群を正面から捉えた解説がない。国指定名勝なんですけどねえ。本当に不思議なことだと思います。
-
頼久寺で少しモヤモヤが残ってしまいましたが、さらに奥に進んで石火矢町ふるさと村へ。
-
石火矢町ふるさと村と聞くと何かテーマパークみたいなのを想像してしまいましたが、これは格式ある武家屋敷通り。
-
馬の背のような場所に見通しの良い一直線の通りがあって、その両側には白壁の長屋門や土壁を備えてかつては武家屋敷だったことが分かる家並みが続きます。なかなかですね~
-
ここで公開されている武家屋敷は、旧埴原家と旧折井家の二つ。
こちらの旧折井家は、160石の馬回り役の武士が住んでいた屋敷。 -
高梁藩は屋敷を1~5のランクに分けていて、このお屋敷は2番目に相当するものなんだそうです。官舎と役所を兼ねていて、
-
左手半分が役所の方です。
-
改めて
この式台玄関を上がって -
左手に進むと
-
半分を占める書院造りのエリア。公的な役所の方です。
-
内庭を眺めながらの
-
書院の間では
家族が寛いでいるようになっていましたが、実際はここでそのようなことはできなかったとのこと。 -
こちらは官舎の方ですが、
いずれにしても、同じ建物が公的なエリアと私的なエリアに分かれているのは面白いと思います。 -
こちらは、旧埴原家。
旧埴原家は120~150石取りで、近習役や番頭役などを勤めた家柄。 -
ただし、藩主板倉勝政公の、生母の実家だったということで、屋敷のランクは1番屋敷。
-
内部は赤いベンガラの壁や
-
漆を多用したりして高級感もあるし
-
数寄屋風の涼しげな趣き。
-
華頭窓の書院や
-
イチオシ
縁からの路地庭園の眺めとかもけっこうしゃれたセンスを感じました。
-
単なる武家屋敷とはちょっと違います。
-
こちらは、同じ敷地内に建つ資料館。
-
山田方谷関係の資料も少しありました。
-
石火矢町ふるさと村からさらに進んで
これは、備中松山城御根小屋跡。もう高梁市街の端っこ辺りで、備中松山城のある臥牛山の麓に位置します。 -
かつて、備中松山藩の政庁であり、備中松山城主が日常起居していた御殿屋敷の遺構。高校の敷地となっていますが、一帯を固める石造りは重厚な構え。
松山城が「山城」と呼ばれていたのに対してここは「お城」と呼ばれていたようですが、この感じは確かにそう。しっくりくるように思います。 -
市街の方に降りて行って。
高梁市商家資料館 池上邸は、高梁市街の本町通沿い。
商家ではありますが、通りに面した建物は間口が広くかなり堂々とした構えですね。 -
入り口を入ると
-
土間の奥には雛飾り。
-
イチオシ
備中たかはし町家通りの雛まつりは、正式にはまだ始まっていないはずですが、こちらではもうすっかり準備OKという感じですね。
-
城下町に伝わるひな人形がそれなりに伝わっているようだし、
-
過去には倍賞千恵子さんが華を添えたこともあるよう。男はつらいよのロケがここで行われた時のことかもしれませんね。
-
奥の裏庭の方もゆったりしていて深いですね。
-
ちなみに、池上家は、小間物屋から始まり、両替商、高瀬舟の船主から醤油製造で財をなした豪商。現在は無料の休憩所ですが、かつての隆盛はしっかり感じられると思います。
-
再び、紺屋川筋に帰ってきて、これは観光物産館紺屋川。お土産物のショップと休憩所を兼ねた施設です。
-
休憩所のスペースには映画寅さんのロケ中の写真とかがあったり。また、一角に喫茶コーナーみたいなのがあって、地元の人が集まる場所にもなっています。
-
さらに駅の方に戻りつつ。。
これは旧高梁尋常高等小学校本館。高梁市社会福祉協議会と同じ敷地内に建つ洋風建築。建てられたのは明治37年です。 -
内部は高梁市郷土資料館。
-
学校の広いスペースを目いっぱい使って、
-
地元に残されたかつての生活用品や商売道具など
-
何から何までをこまごまと展示。
-
イチオシ
ただ、そのことで、備中高梁に限らず江戸時代や明治時代の暮らしはこんな感じだったのかなと
-
自然に想像できるのが効果と言えば効果なのかな。
-
きれいに整理された展示にも
-
それなりに好感を持ちました。
-
ところで、外観は当時なら珍しくもなかった建物ですが、
-
見どころは二階大講堂の天井ですね。なんと二重織り上げの格天井になっていて、これはちょっとやり過ぎでしょ。子供たちの情操教育を考えたのかもしれませんが、意匠の意味する格式は例えば皇族に関係する建物で使うもの。それをこんなところで使うなんて、このセンスはいただけません。
-
山田方谷記念館は、高梁市郷土資料館の隣りに最近新しくできた施設。
-
高梁市は地元をあげて郷土の誇りである山田方谷を推していて、この施設もそうした地元の熱い支援でできたものだと思います。
-
冒頭に触れたとおり、山田方谷は学者、教育者として歩み始めるのですが、その後は藩政に深く関与し、窮乏する財政の再建や幕末の混乱期には藩主の懐刀としての活躍も見せていて、まさに八面六臂。
-
ただ、この施設のパネル解説ではとてもその全体像は伝わってはいないかな。入場料500円というのはちょっと疑問です。
-
ここで、昼飯は手打ちそば 方谷庵へ。
-
外観は小さなお店かと思ったのですが、
-
中は広間の方も含めて悠々ですね。
-
イチオシ
十割蕎麦というのはちょっと気になったのですが、そこまで固くはないし、ほどよい爽やかさがいい感じ。てんぷらもサクサクっとキレがありますね。名前が通っているだけのことはある質の良いお店です。
-
手打ちそば 方谷庵を出たら、隣りに大きな高瀬舟の展示場がありまして、それが高梁市観光駐車場。
備中高梁は市街を流れる高梁川の水運でも栄えた街。備中松山藩は、当時、川を上り下りする舟はここで荷物の積み替えをさせるという規制を設け、その「船運上」「荷物運上」を課していたのだとか。こんなところでまたもう一つの歴史に気が付かせてもらいました。 -
ここからは、駅に戻りながら備中高梁のスイーツチェックです。
あおやぎ菓子舗はなんでもない店構えですが、備中高梁を代表する老舗のお菓子屋さんなんですよね。 -
いただいたのは、「古城の松」という備中松山城をイメージしたお饅頭。
-
包みを開くと雪のような疎らな白い砂糖のコーティングが景色となっています。枯れたような味わいの皮の部分としっかりした甘さの餡子がさすがいい感じ。意外にボリューム感もあって、食べごたえもあると思います。
-
続いての天任堂はゆべしが名物ですが、これは、備中松山藩主、板倉家6代勝職に、土地の柚子を使って作った餅菓子を献上したのが始まりだとか。
-
ただ、想像していた柚餅子と違って、これはなんというか、柚子の香りがするきびだんごですよね。
-
そういう意味ではやっぱり岡山らしいお菓子かもしれません。
-
植田菓子店は、おばあちゃんが一人でやっている駄菓子屋さん。
-
懐かしいレトロな駄菓子が並んで、駄菓子屋さんと言っても子供向けではなくて大人向けの駄菓子屋さんかな。
100gの量り売りとかでも小さな紙袋がパンパンになるくらいあって、ちょっとびっくりしたり。楽しいお店です。 -
途中からアーケードが現れて、
-
これは、くすば製菓。
-
店内はレトロな感じですが、少し雑然としていなくもないような。
-
「備中松山城くりどら」とか「松山おどり」とか地元に因んだネーミングのお菓子があれこれ揃っています。
-
シャロンは洋菓子とパンのお店。ただ、通りからは少し奥まった場所にあるので、少し気が付きにくいかもしれません。
-
「さんじゅーろーのニャドレーヌ」というゆるキャラのマドレーヌがあったので、それをいただきました。ねこの形をしたマドレーヌで、しっとり感もあるしおいしいです。見た目は小さいですが、食べごたえもちゃんとあると思います。
-
最後になってしまいましたが、これは高梁市観光案内所。JR備中高梁駅の改札を出た建物の2階フロアにあって、
-
きれいに整備されたお土産物ショップと兼ねた施設です。
お土産物のお菓子とかは地元の人気店のものがきちんと揃っていて、あれこれみると楽しいですね。
ここでも、気になったお菓子を二ついただきました。 -
この三宅製菓というのは、創業明治38年という老舗の和菓子屋さん。備中神楽面最中というのをいただきました。神楽の面を象っていて、スサノオノミコトに関係する四つのタイプがあるんだとか。
-
イチオシ
この若い女の顔は、たぶんクシナダヒメですね。ちょっと大きめサイズに粒あんがぎっしり。ちょっと盛り過ぎでしょというくらいたっぷり入っていて、なんかお腹いっぱいになりますね。インパクト大の最中です。
-
もうひとつのレタージュ みるく舎は、地元でも人気のドーナツ屋さん。おみやげにプレーンのドーナツを買ってみました。うーん、バターの香りがなんともいいですねえ。しっかり大きさもあるし、優しい甘さも含めて素直においしいドーナツです。
さて、これで備中高橋を終えて、ここからは総社の方に向かいます。 -
総社駅から宝福寺を訪ねるのはレンタサイクル。
利用したの総社駅前レンタサイクル 荒木は、総社駅前。駅を降りるとすぐ先にもう見えています。
けっこうメジャーなお店なので、対応なんかも落ち着いていて要領もいいですよね。テキパキと対応してもらえてとても安心でした。 -
宝福寺は、雪舟が少年時代ここで修行を行った寺。
-
柱に縛り付けられながら、泪で描いたという鼠の絵の話はあまりにも有名です。
山門から仏殿。 -
この仏殿には鼠の絵のパネルがあって、少し観光客への配慮もありますが、
-
庫裏とか
-
境内全体には
-
臨済宗の寺の凛とした雰囲気が漂っていて、あくまで修行の場という感じを崩していませんね。
-
これは、そのまた奥に建つ三重塔。
近くには雪舟の顕彰碑もありました。 -
総社駅への帰りは少し遠回りをして
-
エビスパンというロードサイドのパン屋さんへ。ここはクリームパンが名物なんです。
-
ふわふわの軽いパン生地も気持ちいいですけど、やっぱりこのパンはクリームがなかなか。どうかするとプリンを食べているような感覚にもなるし、その味わい深さが印象に残りました。さすがです。
-
もう一軒は、ベーカリー トングウ。もう総社駅近く。活気のあるパン屋さんです。
-
岡山コッペというシリーズが人気で、いただいたのは地鶏柚子胡椒。
-
コールスローのようなキャベツのシャキシャキ感もあるし、柚子胡椒を効かせた地鶏もパンチがありますね。
ただ、全体としては、給食のパンをイメージしてしまう普通感もあるのは否めないかなとは思います。 -
総社駅から清音駅に移動して、そこから向かったのは軽部神社。
-
もともとは、建武元年(1334年)、福山城主の祈願所として山頂に祀られていたようですが、現在の地に移転されると境内に垂乳根の桜と呼ばれる枝垂れ桜があったことから、乳神様として崇められるように。
-
イチオシ
拝殿の中には乳房を型取った絵馬がいくつも掛かっていました。ちょっと圧巻です。
-
きよね水辺の楽校は、清音駅から高梁川の河原に出たところ。
-
きよね水辺の楽校案内図があって、芝生広場、水辺体験ゾーンとしてせせらぎ水路、カヌー体験などの場所が示されていましたが、ただ、管理棟など建物はなし。どこかに事前に連絡して依頼するとかのシステムなんだと思います。
-
清音から倉敷に移動して。
-
倉敷美観地区の中心部にある倉敷珈琲館を訪ねます。中橋のたもとですが、この入り口はちょっと気が付きにくくて注意していないと見逃してしまいそうですね。
-
イチオシ
しかし、店内は見事な別世界。珈琲を心行くまで楽しんでくださいという雰囲気がムンムンです。
-
この日のブレンドはガテマラがベースということでしたが、ひと口目のほどよい苦みから、その味に慣れてくると今度はだんだんと酸味も分かってくるみたいな感じ。忘れかけていた五感を心地よく刺激してくれるような味わいがありました。まあ、その日の体調とかもあるんでしょうが、とても素晴らしい。こうしてわざわざでも行って価値あるカフェだったかなと思います。
-
倉敷から広島までの帰りのJR。途中下車して晩飯にしたのは、三原駅からほど近い魚料理のお店、ひよこめ。
-
イチオシ
酒は要らないのでご飯だけというと、「じゃあ、ご飯セットとこちらで見繕って2千円くらいで」と言われてお任せにしました。
それでも、お造りから、鰆のたたき、 -
カレイの煮つけ、
-
さざえのみそ焼き、
-
小フグの唐揚げといった期待以上の豪華版。そして、それぞれが絶品と言ってもいい味わい。三原はたこが名物ですが、この日は風が強くて船が出ずということで、たこの料理はありませんでしたが、それでも十分に堪能できました。コストパーフォーマンスも含めて、期待をはるかに上回る名店でしたね。なんか二日間の旅の疲れも吹っ飛んだ感じです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
もっと見る
備中高梁(岡山) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
120