2021/11/24 - 2021/11/24
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しにあの旅人さん
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百体神社のあとは、妻垣神社に行く予定でした。
途中おもしろいところはないだろうか。
グーグルさんを拡大して、県道658を尺取り虫のように探しました。
左田京石、なんじゃこれは。ストーン・サークルだ!
行く!
でも豊前国寺社参りだよね。そうだ、寺社旧跡めぐりに変えよう。
と、柔軟に(節操なく)原則を変えます。
佐田神社。なになに、江戸末期に民間で大砲を鋳造したって?
すげー、行く!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
宇佐神宮を出て、県道658を南下します。すぐに人家まばらな山の中。
-
左手に出てきました。左田京石、「さだきょういし」と読みます。ここは大分、九州でもあちらは長崎、さだまさしとは関係なし。
佐田京石 名所・史跡
-
入口にこのような物が。鳥居のつもりかな。
-
一書に曰く、
珍しくby夫が、寄り道をいたしました。
それが、大当たり!
道は、畑があったり、林にかかったりのまったく普通の、村から村に通ずる田舎道です。
その気で見なければ通り過ぎてしまったことでしょう。
唐突に、ただの広っぱの駐車場がありまして、そこに、2,3台車がありました。
そこが他の田舎道とは違うところ。
それだって、地域の人が、畦の手入れとか、入り会い地の枝伐採で集まっているのかもしれません。
そう思って、見過ごす景色です。
ところが!
駐車すると、道路挟んですぐの林の中に、岩がごろごろしているのが見えます。
なになに?
で、あったのが、この写真。
何でしょうかねえ。
豊の国風枯山水?枯山水ア・ラ・豊のくに。
あ~なんかゾクゾクしっぱなし。
もしかして、小堀遠州って、此所の出身かしら?
By妻 -
東。
一書に曰く、
私、フランスのストーンサークル見たことがあります。
カルナックというところです。
あのときは、私、バカかったからか、
「へえー。」
しか思わなかった。
本場はイギリスだしね。とか思ったような。
それより、クレープとシードルのこと考えていたみたいです。
寒かったんですよ。
カルナックは、野っ原に、ここよりもっと大きい岩だったような気がしますが、どうでしょう。
平たい所に、冷たい風がひゅ~と吹いて、早々に車にもどったような。
By妻 -
東の遠景。
一書に曰く、
若かりし日、カルナックで無感動だったわたくしが、ここ佐田京石には大感激でございますよ。
多少進歩いたしました。
By妻 -
なにかに似ている。乳歯が半分抜けた子供のお口みたい。大きすぎる?
じゃ、ゴジラの子供。
現場の案内板によると、「太古の祭祀場か?鳥居の原型か?埋納経の標石か?定説はまだありません。」
鳥居の原型にはどうみても見えない。
「埋納経の標石」というのは、「写経が一字一石の小石を埋めて、その上に建てた経石」だそうです。そうすると仏教伝来以降になっておもしろくない。
やはり弥生時代、できれば縄文まで遡る祭祀の跡だといいな。 -
「右側の柵内にはドルメン(支石墓)と思われる巨石があります。石柱の表面にはペトログラフ(岩刻文字)の存在が指摘されています。」
と案内板にありました。 -
ペトログラフ(岩刻文字)らしきものは分かりませんでした。
-
左側の一群の石にはしめ縄。ここでは米神山巨石祭というのが行われていて、巫女舞が奉納されています。たぶんそのためのものでしょう。
-
ここから米神山(標高475m)の登山道です。山頂部にもストーン・サークルがあり、近くの水田などに同様の巨石が点在するとのこと。
だれが、なんのために、いつ。
今までのところ、本格的な調査はされていなくて、詳しいことはまるっきりわからないそうです。
掘ったら何がでてくるか、ワクワク! -
大砲を捜してやって来ました、佐田神社。
佐田神社 寺・神社・教会
-
鳥居の前に数台駐車できるスペースがありました。
佐田神社板碑 京石 名所・史跡
-
最初からいい感じでした。紅葉がみごと。
-
驚いたのは、これ。
-
屋根になにか塗ってあるのかと思いました。
-
銀杏の落ち葉でした。
一書に曰く、
佐田京石の感激覚めやらない内に、佐田神社に到着いたしました。
まあ、なんということでしょう!
って、テレビ番組みたいなこと叫んでしまいますが、こんな景色見たら、言わずにいられません。
社殿の屋根が、黄金に輝いていたのですよ!
金色の屋根瓦?
目をこらすと
時折、軒下に、金がこぼれ落ちております。
風が吹くと、金粉が舞い上がるのです。
神社は、いたって普通の村の鎮守様です。
もしかしたら、我が町の鎮守様の方が、手入れされているかもしれないくらいです。
そういう、いたって素朴な鄙びたお社が、今、金色に光り輝いております。
よい季節、よい時間に来合わせました。
金色は、銀杏でした。
黄金の国ジパング。という言葉が浮かぶ豪華さでした。
いやあ!佳きものを見せていただきました。
佐田神社の神様 ありがとうございました。
By妻 -
与謝野晶子の、この歌を思い浮かべませんか?
https://youtu.be/Syin4cbjepo -
かんじんの大砲です。
すごい、民間人が、自費で大砲を作ったんだ。
そんなお金を持ていたのもすごいけれど、自力で大砲を鋳造できる技術を学んだのがすごい。なによりすごいのは、当時の国際情勢を理解して、民間でも大砲を用意して国防にあたろうとした見識がすごい。
幕末の日本の危機意識は、一部の武士だけじゃなかったんだ。
リーダーは賀来惟熊(かく・これたけ)
佐田京石の駐車場にあった、この地域の説明板にこうありました。
「幕末、海防強化の緊急性を強く認識し民間ながら大砲を鋳造した実業家。
オランダからもたらされた簡単な図面をたよりに、藩からの資金援助も受けず当時最先端の兵器であった大砲を作っています。佐田神社の境内に作られた反射炉は、薩摩藩の反射炉より1年早く稼働を開始しています。鉄を溶かすための「反射炉」に用いた耐火レンガは、現在、佐田神社の塀にも使用されています。」
歴史のおさらい。
安政元年(1854年) ペリー来航
安政2年(1856年) 佐田の反射炉完成
安政4年(1857年) 江川太郎左衛門の韮山反射炉完成
さっそく神社の塀に使われている耐火レンガをさがします。 -
佐田神社拝殿と本殿。
-
塀というから、こんなものかと、周囲をウロチョロ。耐火レンガにしては大きいねえ。
そこに地元の氏子さんがやって来ました。
「耐火レンガの塀があると聞いていますが、どれでしょう」
「これですよ」 -
ちょうど私は本殿横にいたのですが、目の前でした。
-
レンガだ。
-
氏子さんのお話によると、このレンガを盗んでいく人がいるそうです。
レンガを持って行って何にするんだろう。
ここから氏子さんの解説付きの神社見学となりました。
賀来惟熊という人物はこの地方の大地主だったそうです。そこからの収入で反射炉を作れるくらいですから、並大抵の大地主ではない。 -
神社がある台地は宮台といいます。
たんぼのむこうは米神山です。この山の麓に佐田京石があります。宮台からあのお山に向かって大砲の試射をしました。ということは宮台ふもとのお家は当時はなかった。
試射の大砲なんて、どこに弾がとんでいくか分からない。山の麓まで800mくらいですが、人の土地に弾を落とすわけにはいかないので、このへんいったい全部賀来さんの土地だったということかな。
「初めのうちは慣れない為、六ポンド砲を四門、十二ポンド砲二門十八ポンド砲二門の合わせて八門を作るのに二年を要しましたが、最終的には百門を越す数を造ったと云われています。」
すごい話で、日本初体験で、9年間でこれだけ造っている。
当時佐賀藩も大砲をつくっていました。賀来が工場を見せてくれと頼んでも見せてくれなかった、と氏子さんは言っておられました。仕方がないので、山上から覗いて参考にしたとか。
「佐田地区まちづくり協議会」のホームページによると、
http://www.oct-net.ne.jp/sada_m/p05/p05_013.html
「佐田で鋳造された大砲は、島原藩のみならず佐伯藩や日出藩にも配備され、賀来家の大砲鋳造技術は遠く鳥取藩まで伝えられました。」
当時佐田は島原藩領でした。
ところが慶応2年(1866年)、賀来さんは大砲製造を中止しました。
氏子さんによると、
「幕府から睨まれたため。おまえその大砲を何に使うんだ? 倒幕の為じゃないか?」
ありえる話です。
反射炉を取り壊してしまいました。だから反射炉がどこにあったか、正確には分からない。 -
この落ち葉の降り積もったあたりを金属探知機でさがしたところ、「けら」という製鉄跡ののこりカスが出てきたそうです。
もっとも強い反応があったのは、石灯籠背後の舞殿あたり。 -
この地下におおきな鉄の塊があるらしい。
-
「反射炉を壊したあとが分からないように舞殿を造ったのではないか」氏子さんの説です。
舞殿をこわして発掘してみれば、たぶん反射炉の跡が出てくる。
でも市から神社、お寺の改修費用は出ないので、まだ手つかずだそうです。
たしかに宗教施設へ税金を使うのは憲法違反ですね。
しかし幕末の歴史遺跡の確認なら、いいんじゃないかな。
宇佐市さん、宇佐神宮もいいけれど、佐田神社にも予算を回して下さい。
反射炉の概略が分かれば、レプリカを作りあげて、観光の目玉になると思うけれど。
「幕末、草莽の最新技術!」とか。
刀を抜いて振り回すだけが、幕末草莽の士じゃないんだよね。当時の世界情勢を見極めて、豊前の山中でも最新の技術を独自開発して大砲をつくる、すごい草莽の志です。
女優の賀来千香子さん、俳優の賀来賢人さんは、賀来惟熊の子孫です。6代~8代前。そんなに古い話ではありません。
「賀来千香子さんはこの神社に来たことがある」と氏子さんはおっしゃっていました。
一書に曰く、
こんな、と言ってはいけないのでしょうが、どこの村にもある鎮守様みたいな、小さな神社が、実はいろいろな歴史、物語があるなんて、ちょっとびっくりです。
そして、またもや失礼ながら、いかにも今時の女優さんと、今時のチャラ男っぽい俳優さんが、独立不羈の発明家というのですか、独力で大砲製作したっていうのだから、やっぱり発明家と言ってはいけないですかね。
そういう人の御子孫だったなんて!
まったく見かけによりません。
お二人とも、二重のぱっちりした目ですから、惟熊さんも、くりくり可愛いお目々だったのではないですかね。
洗剤のコマーシャルの度に、賢人くんに、惟熊さんを演じさせてみたりしちゃいます。
そのうちドラマでやってくださいね。
それにしても、なぜ鉄砲ではなく大砲にしたのだろう?
そう言えば磨崖仏も遠くないし、豊の国人は、大きいものがお好きなのかしらね。
それとも、、、宇宙との交信?
By妻 -
神社の狛犬さん。唐獅子でしょうね。
ここに大砲をのっけて、狛大砲というのはどうだろう。
「つまんない」
By妻
じゃ横綱大鵬の石像ならおもしろい?
狛大鵬。
「し~~~~ん」
By妻
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この旅行記へのコメント (12)
-
- 前日光さん 2022/02/26 23:46:22
- ストーン・サークル(゜Д゜)
- こんばんは。
え?え?こんな所にストーン・サークルですと(@_@)
珍しいしにあさんの寄り道(気まぐれ)が生んだ奇跡!
でも途中下車も良かったじゃないですか。
思いがけないものを発見しましたね!
しかしこれはずいぶん立派なストーン・サークルですねぇ。
イギリスのストーン・ヘンジに行ったことがありますが、あそこは大観光地と化していました。
しかしこちらは、ずいぶんさり気なく現れましたね!
そして佐田神社です。
屋根の黄葉に巡り会えたのは、何かのお導きかもですね。
一瞬、確かに黄金色に輝いているように見えました!
ここの舞殿地下には、鉄の塊が眠っているとか。
金属探知機が「けら」を探し当てたのですか。
「けら」は、金偏に母と書きますが、一度文字化けしたことがあります。
今回は大丈夫かな?
たたら吹きによって出てくる粗製品の「鉧」。
それが感知され、舞殿跡に埋もれる反射炉。
あの賀来千香子・賀来賢人の叔母・甥が、大枚を投げ出せば発掘できるんじゃ?
賀来千香子さんが、大分のどこぞの寺社で、私の先祖が。。。とか言ってるのを、ずいぶん前にテレビで見たことがあります。
あれはこの佐田神社だったのかも。
ご先祖が立派な人だったというようなことを、その時言っていたと思います。
でも個人で反射炉造っていただなんて。
寄り道が、思いがけない所まで導いてくれましたね!(^^)!
なお「狛大砲」や「狛大鵬」に関して、私の感想はby妻さんと同じです(^_-)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2022/02/28 11:15:39
- Re: ストーン・サークル(゜Д゜)
- 前日光さんの「石の文化に魅せられて」シリーズにあるように、このあたりは石に縁があるようです。佐田京石のようなものを作る文化を持った人びとの伝統かもしれないと思うと、ワクワク。
佐田京石は観光地とはほど遠く、私たちで独占状態でした。佐田神社とセットで売り出せばいいのにと、いらぬお節介です。
この辺りは中世佐田氏の領地ですが、佐田氏というのは宇都宮氏の系統のようです。さだまさしの先祖かと思って調べたら、佐田家は島根県の出身でした。そういえば、奥出雲を走っていたら、そんなような話に出会いました。
「鉧」出ています。国字ですかね。
賀来千香子さん、そんなことを言っていたのですね。氏子さんが、彼女は何やらを神社に寄付したと言っていましたが、聞き漏らしました。
賀来氏は、別名「大神」とも名乗っていました。「おおが」というのは古代宇佐神宮を運営していた三氏、宇佐、辛嶋、大神氏の一つです。続日本紀にも出てくる。道鏡事件の関係者。このお話は、「備前国1」にも書きました。大分の古くからの名族でしょう。
ご存じのように、この辺りは豊の国です。
古くからどころの話ではなく、出雲の北島、千家や、場合によっては天皇家にも匹敵する古族かもしれませんね。
賀来千香子さんが言っていた大分のどこぞの神社って、もしかしたら、佐田神社を通り越して、宇佐神宮だということは、ないですよねえ~
賀来惟熊の子孫は今はもう佐田にはいないそうです。でもその大きな屋敷は神社の近くに残っているという話でした。こういう話を書いていったら、佐田神社だけで5、6回いっちゃう。
次回は妻垣神社、その後本命の大伴旅人なので、急いでおります。
狛大鵬、受けなくて残念。
- しにあの旅人さん からの返信 2022/02/28 11:36:40
- Re: ストーン・サークル(゜Д゜)
- 追伸。
このあたりを魏志倭人伝のトヨの国とすると、大神氏はトヨの子孫。ってことは、卑弥呼の血続きということになります。ばやいによっては、賀来千香子は、トヨの子孫? 卑弥呼の子孫?
わあ、おもしろい!
- 前日光さん からの返信 2022/02/28 22:42:48
- Re: ストーン・サークル(゜Д゜)
- しにあさん、こんばんは。
賀来千香子さんが訪れた神社は、大分市賀来にある「賀来神社」でした。
「佐田神社」だったら面白かったのに。
2010年10月に放送されたテレ朝の「旅サラダ」で、賀来さんが神社を訪ねていたということですね。
今から12年も前の話でした。
賀来千香子→トヨの子孫?
話がどんどん広がっていきますね(@_@)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2022/03/01 20:03:42
- Re: ストーン・サークル(゜Д゜)
- 賀来千香子がテレビで行ったのは、賀来神社でしたか。
2017年、私たちは賀来神社に行っております。小さな神社でした。ただし当時4トラなど思いもよらず、写真なし。街中の神社だった記憶があります。By妻がよく覚えているそうです。
でも、氏子さんの話では佐田神社にもきているそうですよ。
佐田神社だったら、百倍面白かったのに。
彼女が立派な人と言ったご先祖は、賀来飛霞(ひか)だったかもしれません。佐田京石の地元紹介板に出ていました。同じ幕末、賀来一族で、日本の植物学の基礎を築いた学者だそうです。
賀来一族はこの時代大変な人材を輩出したようです。
-
- kummingさん 2022/02/26 22:53:25
- 寄り道讃歌♪
- たぬきの里(信楽焼きの)以来の寄り道でしょうか?
此度はby妻さんのご要望ではなく、しにあさん自らの希望(気まぐれ?)だそうで。
まだ生え揃う前の幼児の歯?(ゴジラはちょっとムリ筋かも)の如き石の並びに迎えられ、その先に立ち現れた、黄金に輝くお社♪ まさか、こんな鄙びた(失礼ながら)うらびれた神社が秘密兵器製造基地だったとは(*_*)
お二人がふらっと立ち寄る処は何処も、何やら由緒ありげな場、になってしまうのは、“いにしえのかほりを求めさすらう旅人”への天のお導きかも? 神通力で氏子さんまで呼び寄せた!
ローマ軍の城塞攻めに使われた大砲は石でした。コンスタンテイノープル陥落に一役買った巨大砲も石(大き過ぎてあまり実用的ではなかったらしい)、それが火薬に変わったのが、中世以降の戦闘の形を変えた?のでしたっけ?街が壁に囲まれた城塞都市、に変貌を遂げたのは、大砲の発明の為?いや、鎧の発明で歩兵→騎兵になったから?わけがわからん、記憶力m(._.)m
いつもの様に、↑横道に逸れてしまいました。
一実業家の情熱によって諸藩に先駆け築き上げられた「佐田の反射砲」その遺構はここ佐田神社の地下深く眠る♪
色々読み漁っていると、宇佐神宮が色んな処で出没します。謂れのある神社のようで。
宗教施設に税金投入は違法?とすると、あの有名な神社仏閣系の保守管理、復元費用は自腹ですか?
大分県が観光に力入れて、佐田神社にも予算回る日が来ますように♪
「ムダ」が服着て歩いてるような私、が言うのもなんですが、♪寄り道小道、万歳♪^o^
- しにあの旅人さん からの返信 2022/02/28 07:19:35
- Re: 寄り道讃歌♪
- 「寄り道小道、寄り道讃歌」この造語センス、いい。
ムダが服を着て歩くこそ、旅です!
寄り道こそ旅の醍醐味、それなのに目的地一直線。余裕を持った旅を心がけます。前にもどっかで言ったような気がします。その反省が少し生きた。
神社仏閣の復元管理費用はどこから出るのか。法隆寺は拝観料がありました。宇佐神宮も本殿入り口でいくらかお支払いしたような気がします。
国宝指定だと、メンテナに補助金が出るそうです。国の宝だから、全部神社のもんじゃないぞ、その代わり少しはお国が面倒見てやる、というのかな。
御朱印はいただくようにしています。あれは我々下々の貧者の一灯だと思っております。
宇佐神宮で資料やお守りを買ってきました。その30%くらいは百体神社への寄付です。宇佐神宮さん、よろしくね!境外社ですよね。
佐田神社は何か買おうにも、御朱印もお守りも何もないのです。村の鎮守様でした。
前日光さんのご指摘があり、宇佐餠と飴とを間違えていたみたい。両方とも食べたことないので。宇佐飴はめちゃめちゃ歯にくっつくそうです。
-
- mistralさん 2022/02/26 22:52:24
- 佐田界隈
- しにあの旅人さん
by妻さん
こんばんは。
出水の武家屋敷群を素通りされても、グーグルマップから佐田界隈を探し出されたのは
大当たりでしたね。
いつもは目的地目指して一目散のしにあさんが、どうなさったのやら?
佐田界隈、おそるべし!
佐田京石、まるでストーンサークルですね。
石の大小は違えど、置かれた様子などの雰囲気、ずいぶん似通ったように思いました。
いつ、誰が、何のために、などわかっていないんですよね。
それでも太古の祭祀目的のような、、、
その後立ち寄られた佐田神社のゴールドの輝く屋根、にもびっくり。
屋根に舞い降りた銀杏の葉っぱで、まるで金色の屋根の様相。
これって本当に限られた条件下でしか遭遇できない事なのでは?
と思った事でした。風が強かったら恐らく銀杏は地面に降り積もったでしょうから。
さらに民間の大砲製造工場なんて!すごすぎです。
おまけに反射炉まで。
薩摩藩の反射炉などの施設が、仙巌園であれだけ観光客が訪れるのですから
こちらも、
なんて競わずにひっそりとした佇まいが良いんでしょうね、きっと。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2022/02/27 06:01:06
- Re: 佐田界隈
- 気まぐれも時にはいいもので。妻垣神社へはこの道しかないので、探したら出てきたのです。軽い気持ちで行ったら、びっくり✖️2。
佐田京石は、そこいらのお金持ちが庭石にというには、動かすには重すぎ、かつ田舎すぎて、今日まで無事だったのでしょう。調査されたことがないので、どこまで埋まっているかもわからないそうです。
大変な労力で、古代人の情熱というのはどこからくるのだろうと思います。私だったら絶対にこんなことやらない。
そういえば鹿児島に反射炉がありましたね。レプリカにしてもあれみたいなのを作ったら、観光客殺到間違いなし。
神社の高台は、地付きの佐田氏のお城または館だったそうです。掘ればきっと、いろいろ出てくる。でもすると、黄金の秋の風情もなくなるわけか。
旅をしていて、こういう思いもかけない掘り出し物にで会うって、これこそ旅の醍醐味でした。
- kummingさん からの返信 2022/02/28 08:34:09
- Re: 佐田界隈
- mistral さん、出水の鶴、拝見しました♪ 私の要望に応えて頂き?のブログ、ありがとうございました。鶴、といえば「鶴の恩返し」絵本の白地に黒、のイメージだったので、茶色~グレーの鶴?そうだ、ペンギンも白黒だけではありませんね(-。-;
いつもお墓掃除に出水に行くのがお盆前なので、当分出水の鶴にお目にかかる機会はなさそうです。
その前の橋のお話も興味深く拝見しました。建築ご専門のmistral さんの解説はシロウトには半分理解出来たか?でしたが(;_;)
↑このカキコが1分違いの投稿で、mistral さんと時を同じく、しにあさんの旅行記を見ていた?事に感慨もひとしお♪
あ、またしにあさんの掲示板を伝言板化してしまいm(._.)m
- mistralさん からの返信 2022/02/28 09:21:14
- Re: 佐田界隈
- しにあさん
kumming さんもご覧になることも想定して
しにあさんが最後におっしゃってました
旅の醍醐味、
まさにそうでしたね。
現地でのみ味わう、直感?旅のかみさまからのご指示?
何はともあれその時、その場の感覚を大切にしたいと思います。
kummingさん
伝言板としての利用はご迷惑とは思いつつ、、、
出水には年に一度は行ってらっしゃるんですね。
年末にお墓のお掃除にいらっしゃれば、鶴に出会えますよ。
私も最初に見た時は、鶴に抱いていたイメージと違っていて、驚きました。
白い鶴のイメージはタンチョウヅルだったわけですが。
何度か会ううちに黒っぽいツルさんたちにもだいぶ慣れました。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2022/03/01 20:07:05
- Re: 佐田界隈
- いえいえ、掲示板大歓迎、大いに盛り上がりましょう。
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