2022/02/11 - 2022/02/11
441位(同エリア760件中)
壱岐照三さん
秘境探検の続きのクルーズ旅行記。
前回は隅田川の文明の地で果てである千住大橋(家康が作った隅田川最上流の橋で、これより先はどうでもいいと思っていたに違いない。)で折り返し、都心の秘境探検が主であったが、今回は特殊船で千住大橋を越えて未開の地に入り、新河岸川のもうこれ以上は危険という上流まで遡り、折り返して岩淵水門まで戻ってから、水門を抜けて荒川に入り、一気に下って文明の地、お台場を目指す。・・・スリルとサスペンスに溢れるコースである。
表紙は京浜東北線の新河岸川橋梁。工事の内容がビジュアル的にも文書的にも大変分かりやすい。未開の土地での日本語の普及に尽力している当局の苦労がしのばれる。・・・
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両国からクルーズ船に乗り込み、一路、新河岸川(新河岸川は川越からほぼ荒川と並行して流れ、岩淵水門のところで隅田川に合流する。実質的には、新河岸川の岩淵水門より下流を隅田川と呼ぶ、の方が正しいかも知れない。)の小豆沢(板橋区)を目指す。
途中までは前回の旅行と重なるので端折るが、写真は東武伊勢崎線の隅田川橋梁(1931年架橋)東武鉄道がどうしても浅草に行きたかった時代の、悲願の橋である。ご存知のように、今は浅草-曳舟間は微妙な位置付けの路線であるが・・・おっと、路線名の東京スカイツリー駅(曳舟駅の手前)を忘れていた。 -
墨田区役所前船着き場。マイナーな船着き場で、防災船着場には指定されてないが、重要な防災拠点には違いない。
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jigyo/river/kanri/bousaifunatsukiba/index.html -
いよいよ千住大橋が近づいてきた。この橋をくぐれないのは「橋が低すぎてそのままだとぶつかる」のだが、この船は天井部分のデッキの乗客を船内に退避させ、デッキの転落防止用柵を全て倒してからくぐる、という荒技(?)が可能。写真はデッキに出てもいい時の状況。柵が立った状態。
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デッキを立ち入り禁止にして、柵を倒した状態。手前の柵は一段低い所にあるので、可動しない。
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船内退避中に窓ガラス越しに写した千住大橋。
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尾竹橋(尾竹橋通り、1934年架橋)関東大震災の復興事業の一つ。その昔、近所におたけさんという女性が住んでいたから・・・という話を信じるか信じないか。
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尾久橋(尾久橋通り 1968年架橋)この辺りが荒川に最も接近しているところで、荒川にかかる扇大橋とほぼ一体化している。日暮里舎人ライナーが並行して走る橋、の方が分かりやすいかも。
なぜ、このような角度で撮っているかと言うと、今から20年前のテレビドラマ「トリック」の仲間由紀恵の演じる主人公が住んでいたアパートがこの辺だったから、なのだが、もう取り壊されているのかなあ。 -
小台橋(小台通り、1932年架橋)これも関東大震災の復興事業の一つ。ちなみに前の尾竹橋と同様、江戸時代には「渡し」はあって、とてもにぎわっていた。
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荒川遊園の船着き場。荒川遊園は都電側からしか見たことがなかったので(入園したこともないが)この船着き場は意外であった。この船は止まらない。
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今回のクルーズでは計3つの観覧車を見るが、その1番目、荒川遊園の観覧車である。荒川遊園は1922年開業の区立遊園地(他にも区立と市立の遊園地があるのか知らないが)で、荒川区民の憩いの場、になっているのか知らないが、としまえん、花やしきなども無くなった現在、粘り強く生き抜いている。2018年から長期休園中で、2022年リニューアルオープン、というコロナウイルスを平手打ち(?)したようなスケジュール感にも驚くが、頑張ってほしいものである。
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石神井川河口。小平にを起点として流れてくるので、それを考えるとはるばると隅田川まで・・・というところだが、この辺は風情はないし、桜並木もないみたいである。
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首都高速墨田川道路橋(中央環状線・2002年架橋)写真のように、ずっと伸びていくのだが、このような上下に分かれた長大橋はあまりない、とのこと。
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同じく中央環状線。このように川を越えた後も隅田川沿いに橋が続く。
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豊島橋(1925年架橋)北区豊島にちなむ。豊島という地域(地名)は豊島区の方が邪道(?)で、名前の由来になった豊島氏の本拠もこの辺にあったらしい。
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URの最大の団地の一つ、北区の豊島5丁目団地、のうちの一棟。豊島病院が板橋区にあるのもそうだが、前述したように「豊島」は今の板橋、練馬、北、豊島の四区を含む広大な地域名であった。
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対岸の足立区新田にあるアクアテラのマンション群。
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新豊橋(新田学園通り、2007年架橋)豊島と新田を結ぶ橋。
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新田橋(新田橋通り、1939年架橋)隅田川の二番目に架かる橋、である。元々渡し船があったとのこと。
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神谷の船着き場。クルーズ船が止まる隅田川最後の船着き場である。南北線の王子神谷駅から近い。
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志茂の船着き場。もう少し上流にある志茂防災船着場とは別である。この辺はほとんど赤羽の世界なのだが(赤羽体育館、赤羽警察署も近い)隅田川に赤羽は合ってないのかも。
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荒川側の岸にある日本化薬東京工場。向かい岸にも同社の工場があるので、連絡用の船着き場か、とも思ったが、向かいに船着き場はないので、水運用、なのだろう。このように隅田川にちょこっとした船着き場を持っているところはちょこちょこ見かける。
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ついに見えてきた隅田川の始まり、岩淵水門である。この水門の向こう側が荒川、やや左に曲がっている川が新河岸川で、今からこの川を遡る。ここまでくると何が出てくるか全く分からない未踏の土地(と、江戸時代の人は思ったのでは)である。
荒川が増水した場合、この岩淵水門は締め切る。そのため、隅田川が氾濫を起こす可能性はあまりなく、荒川が氾濫する仕組み(?)になっている。台東区あたりの人はこのことを熟知していて、どんなに雨が降っても、墨田区や江戸川区が沈むだけで、浅草は大丈夫、みたいに言う人が案外(?)多い。 -
新河岸川に入った直後の写真。向こうには殺伐とした光景が広がる。手前は新河岸川最後の橋である新志茂橋(1980年架橋)、奥が岩淵橋(1979年架橋)岩淵橋近辺は桜並木が有名。
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新志茂橋の近くにある荒川知水資料館。東京の治水、運命は荒川が全てを握っていて、それを知るために23区民は一度はここに行くべきだ、という点では都庁より大事な施設と思う。
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新荒川大橋(岩槻街道、1966年、1970年架橋)新河岸川なのに荒川、となっているのはすぐ隣の荒川部分と一体化して一本の橋にしているから、である。この橋はいろんな歴史のある橋で、調べてみるととても面白い。ちなみに熊谷にも同名の橋がある。
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桜並木。花が咲いてなくてもそれなりに絵にはなる。
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表紙写真のJR新河岸川橋梁の遠景。JRだけだが全部で三本の橋が架かっていて、壮観である。
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浮間橋(1984年架橋)と川の上にホームがあるJR埼京線北赤羽駅。終点まであと少し、である。
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終点である「東京水辺ライン 小豆沢発着場(板橋区)」と新河岸大橋が見えてきた。船はここでUターンして、岩淵水門まで戻り、荒川に入る。
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小豆沢発着場へのアプローチ。未開の地の割にはこじゃれた施設である。ちなみに私はここよりもっと上流に住居を構え、狩猟と木の実の採集で生計を立てている。
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Uターンして、岩淵まで到達。左側に水門、右手が隅田川の下流になる。
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岩淵水門を正面から写す。私も今回知ったのだが、川にも案外細かい交通ルールがあり、進入禁止の標識もある。
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交通ルールの続きで、並走禁止、転回禁止の指示がある。
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赤水門と呼ばれる旧水門。1926年完成。元々荒川はこの水門を通じて「(今の)荒川+隅田川」だったのが、荒川放水路が出来た結果、荒川は「荒川+(昔の)荒川放水路」を指すことになり、旧荒川の都心部分は「隅田川」となった、ということだが、地図を見た方が分かりやすい。
前述した荒川知水(治水ではない、念のため)資料館の裏手にあり、近づいて見るととても風情がある。東京都選定歴史的建造物に指定されている。 -
水門を出た直後の荒川への入口。向こうには埼玉(川口)の原野が広がる。ここだけ見れば「翔んで埼玉」の話もあながち嘘(?)ではない。
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ついに荒川本流に入った。・・・原野が続く・・・この先の文明の土地までの冒険は次の旅行記へ。
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