2022/02/08 - 2022/02/10
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しんちゃんさん
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上田城跡を見学した。
天正11年(1583年)真田昌幸が地方領主の館(やかた)からこの上田城(松尾城)を築城し始めた。
天下騒乱の中、上杉氏に対する千曲川領域を抑える城が必要になったそうです。
真田館は昨年見学しました。(https://4travel.jp/travelogue/11687950)
お堀に雪が残り、春が待ち遠しい中、見学しました。
折りしも、次の日は大寒波が押し寄せ、雪が降ったそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
上田城跡北観光駐車場より見学開始。
「駐車後、どの方向に向かえば良いのやら?」
散歩の方々が歩いて行く方向に向かった。
そうしたら、やっと案内板があった。
【本丸土塁の隅欠(すみおとし) 上田城や藩主屋形(上田高校)の土塁、堀、城下の寺社の配置等には鬼門除けが見られ、真田氏の頃から設けられていたものとされる。鬼門とは北東の方位で、鬼が出入りする方角として忌み嫌われ、建物等の東北の角をなくして隅欠としたり、城下町の鬼門に寺社を置いたりした。以下略】 -
「あれ~石垣が無い!」
ほとんどが土塁であった。 -
上田城のシンボル群
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南櫓(みなみやぐら)(左側)と東虎口櫓門(右側)
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東虎口櫓門
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東虎口櫓門と北櫓
枝垂桜が咲いたらきれいでしょうね! -
【真田石 大手の石垣に巨石を用いる例は多く、城主はその権威を示すために、大きさを競ったという。真田石は、真田信之が松代に移封を命じられた際に、父の形見として持っていこうとしたが、微動だにしなかったという伝承がある。現在ある石垣は仙石忠政が造ったものであるが、真田氏に寄せる人々の敬愛の情がうかがえる伝承である。】説明版コピーです。
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南櫓入り口_見学中止であった。
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真田神社
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撮影スポット
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真田家 家紋
「六文銭」
【六文銭は三途の川の渡し賃】つまり
【戦さ場でいつ命を落としても構わない】或いは
【戦から「生きて帰らない」という覚悟を兵士たちと共有させるもの。】
等、理由があるそうです。 -
絵馬トンネル
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「六文銭」_【六連銭(ろくれんせん) 真田家の家紋として名高く、六文銭とも呼 ばれますが、これは仏教説話の六連銭に由来 をする家紋です。銭六文を死者の棺に入れ て六地蔵に供える風習にのっとり不惜身命 を唱える武士にとってふさわしい旗印でした。
東信濃の古代以来の豪 族滋野(海野)氏の代表家 紋でありその流れをくむ としている真田氏もこれ を用いました。】「攻城団」よりコピーです。「https://kojodan.jp/castle/60/memo/1932.html」写真説明より -
真田神社
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真田神社
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真田神社
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扁額
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「人形のお祓い」
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「千と千尋の神隠し」の中で出てきますが、覚えているでしょうか?
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青年真田幸村( 信繁)公之像
【眞田幸村、実名信繁、仮名・源次郎は、上田城を築城した眞田昌幸の次男として元亀元年(1570)頃に生まれた。彼の少年期、眞田家は主家・武田家滅亡に始まる激動の渦中に晒される。有力大名の人質として青春時代を過ごした幸村は、上杉景勝の下で元服、第一次上田合戦に参加した際には徳川軍を相手に活躍、勝利に貢献する。以下略】説明版より -
【真田井戸 この井戸からは、抜け穴があって城北の太郎山麓の砦に通じていた。敵に包囲されてもその抜け穴より兵糧を一運び入れるにも、城兵の出入りにも不自由しなかったという 上田市木一位の木製】説明版より
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真田神社、本殿
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「ねがい玉」
なんだろう?? -
【「ねがい玉」 古来より、神社の神輿の渡御において輿の下をくぐり抜けて神様のご加護をいただくという慣わしがあります。 「願いをこめた「ねがい玉」は、みなさまの代わりに、本殿の下を巡り神様の御力を蓄えて手元に戻ります。神様の御力をいただいた「ねがい玉」はお持ち帰りいただき、大切に保管していただきます。※ねがい玉以外は入れないでください。】説明版より
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「ねがい玉」がぐるっと回って返ってきます。
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この筒を通ってきます。
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【伊勢神宮内宮遙拝所 遙拝所(ようはいじょ)とは遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むために設けられた場所のことです。
三重県伊勢市に鎮座する日本の親神さまと崇められ ている伊勢神営内営はここよりはるか256キロ余り先にあり、気軽に参拝するのは困難なため、この遥拝所を設けました。折々に遥拝下さい。 方位は(株)みすず綜合コンサルタント様(上田市内)のご協力によりGPSを用いて正確に計っていただきました。】説明版コピーです。 -
伊勢神営内営まで256399.839mだそうです。
1センチまで測ってます! -
【本丸には7棟の櫓がありました。いずれも元和8年(1622) 真田信之の松代転出後に上田城主となった仙石忠政が行った、寛永3年(1626)からの上田城復興工事の際に建てられました。
現在、本丸の東西虎口には隅櫓が3棟ありますが、南櫓・北櫓の2棟は、明治維新後、他所へ移築されていたものを現在地に再移築したものです。西櫓のみが寛永期の建築当初の部材を残し、外観もほぼそのままの姿を残す西櫓は全国的にも貴重な建物であり、昭和34年には南櫓・北櫓とともに長野県宝に指定されました。以下略、現地で読んでね】説明版コピーです。 -
西櫓
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西櫓から南側の尼ケ淵(あまがふち)を眺める。
現在は上田城跡南駐車場、その南側は北陸新幹線、しなの鉄道、別所線の駅があるが激動の騒乱時は千曲川が蛇行してこのがけ下を流れており、自然の要害をなしていた。第一次上田合戦で7,000の徳川軍を2,000の兵で打ち破った真田の戦術はこんな自然にも味方されたようです。 -
本丸西虎口の基礎跡
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社務所脇
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な・なんと、ここだけで9種類のおみくじ
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おみくじ結び
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絵馬、各種
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【かって城址には老杉が林立しておりましたが、今は数本を残すのみとなりました。その内の一本が大風等により倒木の恐れがあり、伐採やむなきにいたりました。年輪を数えましたところ、四百五十年に及び、まさに築城当時より真田三代を始め仙石、松平とこの城の栄枯盛衰を見てきた老木であることが判明いたしました】説明版抜粋です。赤い兜で覆われて居たようですが、現在は先の写真の様に別の場所にあるようです。
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城内見学終了。
上田城は天守閣は無かったそうです。
基礎石が見つからなかったのだろうか?
金箔を塗った豪華な建築物はあったそうですが、不明だそうです。
「https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/shogaku/1779.html」 -
博物館に寄りました。
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二の丸東虎口の石垣
さあお昼は「信州そば」だ! -
駐車場で通りがかりのお母さんに
「安い・旨い・量がある、お蕎麦屋さん教えてください!」
悩んでましたが、この駐車場の東側にあります。
と言う事で、ここに来ました。 -
「ざるそば」660円だったような??
-
食べるより、色っぽい足が気に掛かり
ウエイトレスに
「赤い色は前掛けですか?スカートですか?」
「前掛けです」
「下は?」
「レギンスです」
「ん~~ん」また来たい!
ーーー上田城跡見学終了ーーー
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