2021/12/11 - 2021/12/11
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ミズ旅撮る人さん
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埼玉県南埼玉郡宮代町にある日本工業大学の敷地内には「工業技術博物館」があります。
ここに、動態保存されているイギリス製の蒸気機関車があります。
明治時代の鉄道局が発注してイギリスで製造された2100形で、1970年に廃車。
それを大井川鐡道で復活運転後長期間留置されました。
1992年に修復し、動態保存を条件に、日本工業大学に譲渡されました。
以来、年に何回か実際に石炭による走行が行われます。
運転日ではありませんでしたが、機関庫内の機関車を見学できました。
また、すぐ近くの宮代町役場の隣にあるシャープ・スチュワート製の
40号蒸気機関車も併せて見て来ました。
こちらは日没後だったため、隣の建物の照明が頼りの、
ちょっと見掛けない写真になりました。
また、この日の午前中に訪れた2021年大河ドラマ「青天を衝け」の大河ドラマ館を深谷市で見て来たので、おまけで掲載します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
埼玉県南埼玉郡宮代町と言ってもどこかわかりませんが、
東武動物公園のそばと言えばなんとなくわかるでしょうか。
ここに日本工業大学の広いキャンパスがあります。
正門の中の車寄せをぐるっと周り、大学の駐車場を突き抜けると、
博物館用の駐車場があります。
正面に博物館がありますが、今回の目的はその右側にある機関車庫です。
出庫口の上に「1993」とあるように、大井川鐡道から譲渡された折に
新設された車庫です。日本工業大学工業技術博物館 美術館・博物館
-
機関庫から伸びる線路。悲しいかな、終点が見えてます。
守衛室の建物までで終わりです。
せっかくだから、キャンパスの端から端まで走らせて欲しいと思うのは
贅沢でしょうか。 -
運転日ではないので、機関庫の外からでも見られないかと思って
来たのですが、なんと、開放されていました。
南側は全面ガラス窓になっていて、中の様子が見られます。
資料映像が流れているのが見て取れます。 -
内部はさすがに1993年に造られたので、
往年の煉瓦造りとは違います。
展示と整備を両立した仕様になっています。
1997年まで整備・拡充工事が行われたそうです。 -
工業大学の博物館の展示品ですから、その説明は詳細です。
-
「2109」は、2100形の10号機。
全部で500輌以上あった中で、最古参のモデルです。
それだけに希少性が高く、それ故に日本工業大学が
大井川鐡道に修復を依頼し、永久動態保存を申し出たのでしょう。 -
おもしろいのは、ここは整備工場でもあるという事。
足回りの整備が出来るような構造になっています。
青いプラスチックの大きな箱がいくつもあるのは、油受けです。
それを見ると、ああ生きている機関車なんだなと感じます。
新潟・直江津のD51パークでも、(圧縮空気での運転ですが)
機関庫の中には同じものがずらっと並んでいました。
生きていれば廃棄物は付き物です。
旅行記「直江津D51レールパークで、乗車体験。
「雪月花」とも遭遇。」参照。 -
蒸気機関車の各パーツの説明も実に詳細です。
この機関車は、保存・維持だけが目的ではなく、
人間が知恵と工夫で作り上げた最大の手作り品を、
学生たちが直に接することにも大きな意義があるのです。 -
機関車の隣には、これらの説明文と共に、
懐かしいブラウン管テレビが鎮座しています。
ボタンを押すと、資料映像が流れます。
現役時代の話から、大井川鐡道に移ってからの話、
留置されていたのを再度動けるようにボイラー煙管を
百数十本も交換したなどの苦労話まで。
目の前にベンチが設えてあるので、じっくり見ることが出来ます。
ビデオが終わり、最後にナレーションが大滝秀治と出ていました。
びっくりしました。「北の国から」での演技は忘れられません。
妻の葬式に間に合わなかった五郎の、遅れた理由を淡々と話すシーンは、
今でも涙が浮かびます。すごい人がナレーションをしていたものです。 -
黎明期の蒸気機関車は、小型だったせいもあって、
とてもデザイン性に富んでいます。
鉄板を感じさせないフォルム。なんだか優美な雰囲気があります。 -
さすがにこの下は立入禁止ですが、
こんな風に見られるだけでもワクワクします。 -
イギリスのダブス(DUBS)社の銘板。
1891年グラスゴー・ロコモーティヴ・ワークス。 -
1992年に行われた動態保存のための修復作業の様子です。
行ったのは、大井川鐡道の関連会社である大鉄技術サービス。
ボイラーの煙管はすべて交換されましたが、それぞれ1本ずつ
サイズを計り、それを図面に落とし込んで製作・設置して行きます。
「ボイラーの修復は使用工具、工法を含めて考古学的作業」と
書かれています。
おもしろいのは、「強度計算では、現在の労働基準局の規定に
リベット継手の基準がなく、この計算も考古学的なものとなりました。」
と書かれていたことです。 -
こちら側からは、運転室の入り口まで上がることが出来ます。
-
初期のイギリス製の機関車は、見慣れた日本製の機関車とは、
かなり違います。 -
火室の蓋まで違います。
この小さな機関車は、それでも馬力約400PS、水の積載量が多いので、当時としては長距離運転が出来る車体でした。 -
運転席が高くて小さい。
-
石炭用のスコップが可愛い。この丸窓、開くんですね。
-
採掘されたままの石炭ではなく、練炭を使用しているのですね。
昨年訪れた「愛知こどもの国」で機関車が営業運転をしている
ホームには、4種類の石炭と練炭が並べてありました。
練炭は、無煙炭・石炭・木炭・コークスなどの粉末を固めて適当な形と
大きさに成形した固体燃料です。 -
お決まりの、運転室脇からナンバープレート越しに前方を見ます。
随分と見えるものが違います。 -
踏み台やクロスヘッドの形状も、おもしろいほど違います。
これだけ違ったら、間違い探しではなく、共通点探しの方が難しそう。 -
鉄道会社ならよくある展示品も少し寄贈されたものがあります。
-
タブレットとキャリア、キャリア受けがありました。
運転時刻表は、網走のものが展示されています。 -
タブレット式閉塞器の実に詳しい説明書きがあります。
これを考案した人はすごい。 -
通票閉塞器は、単にタブレットを出し入れするだけでなく、
事前に駅長から駅長へ連絡が入ります。
まず先にチンチンと鳴るのですが、その回数で意味が異なります。 -
閉塞器の現物もありました。
-
機関車庫の側面は、高い位置から機関車を見下ろせるように
なっています。 -
なんて、至れり尽くせりなんでしょう。
-
運転室の屋根には天窓があり、側面には庇(ひさし)が付いています。
その代わり、前方の丸窓には信号機と同じような、
長い庇が付いていません。 -
煙突なども様々。煙突にくっついている物は何かしら?
そもそも「こぶ」が多いような・・・
煙突の次が砂箱で、次が蒸気ドーム、さてその次は?
最後が汽笛と安全弁です。 -
「SL館には排煙装置がないので、運行後は日が燃え尽きるまで
機関車は外で待ちます。冬は、日が落ちるのが早いので、
機関車をSL館に入れる前に暗くなります。」
そういえば、扇形機関庫には、それぞれの車体の上に煙突があったっけ。 -
最後の一枚が正面・・・順番間違ったなあ。
いつか、外を走っている姿を見たいものです。
有火運転イベントは、原則として第3土曜日に(8、12月を除く)
実施しているようなのですが、コロナ禍なので、確認が必要です。 -
こちらが本家「工業技術博物館」です。
開館時間は9:30 ~ 16:30。あらまずい、現在15:58です。
16時までは入館できます。入館料は無料です。日本工業大学工業技術博物館 美術館・博物館
-
この博物館は、1987年に学園創立80周年記念事業として
設立されました。 -
NHK朝の連続テレビ小説「梅ちゃん先生」のロケに
使用されたそうです。 -
工作機械に特に興味がある訳ではないですが、今年のGWに岐阜にある
「ヤマザキマザック工作機械博物館」にD51を訪ねた時に、
熟練の作業員たちに話を聞いて、たいへんおもしろかったので、
ここも見てみました。 -
この辺りは、ちょっと見たような機械かな?
これらの7割が動態保存になっています。
でも、それらを語る人がいないと、その魅力が発揮されません。 -
「日本工業大学で開発された世界で最初の
一斉教育用パーソナルコンピュータ」
1978年末に、日本工業大学と日本マイクロコンピュータ(株)との
共同で開発された情報技術一斉教育用のパソコン。
ディスプレーが2台あり、ミニFD(2DD)や
カセットテープレコーダーが搭載されています。
おもしろいのは、キーボードが分かれていて、
右が日本語(しかもあいうえお順)で、テンキーを挟んで
左が英語(こちらの配置は現在と同様)になっていること。 -
ターボファンエンジンや、発電所用のガスタービンなどの
大型機械も展示されています。
写真撮影禁止とは書いていなかったと思うのですが、
撮っていいのかちょっと不明なので、この辺にしておきます。 -
博物館の入口に、ミニSLが置かれていました。
イベント時には、運転します。
工作機械の足元にも、ディーゼル機関車が置かれていました。
あれも動かすのかな? -
イチオシ
外に出ると、暗くなり始めて月が出ていました。
-
箱根登山鉄道モハ1形103号です。
1919(大正8)年に日本車輛製造で製造された木製車体チキ1形を
1950年に汽車製造が半鋼製車体モハ1形に改造しました。
2019年から、ここで静態保存されています。
箱根登山鉄道では、急勾配を走るために、
アプト式ではなく粘着式が採用されました。 -
さて、日が暮れ始めましたが、日本工業大学のすぐそばに、
SLが保存されています。
運を天に任せて、見に行ってみました。
すると、ふつうではもう諦める暗さなのに見えています。 -
なんと隣接する建物の1階に保育園があり、
そこの明かりが煌々とSLを照らし出しているのでした。 -
すごいなあ。運を天に任せてみるもんだなあ。
-
保育園の隣だからなのか、可愛い看板がありました。
-
蒸気機関車に「禁煙」のマークはひどいよねえ。
-
イチオシ
イギリスのシャープ・スチュワート製40号機。
東武鉄道で走っていた車輛です。
空の色が紫に見えます。
何もしていないのに、こんな色の空と機関車が撮れるなんて、
絶妙な時間に来られました。 -
おや、まるで外輪船のような車輪カバーが付いています。
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さすがに運転室は暗くて撮れないので、味気ないフラッシュ撮りです。
-
小っちゃな釜。
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運転台が狭そう。
-
運転席からの眺め。いい色です。
-
足回りは、建物側はまだ見ることが出来ます。
-
でも、ベタ塗りです。
この部分を黒く塗った機関車は、見たことがないかもしれません。 -
動輪の横から仰ぎ見れば、「40」と宵闇の深い青がいい対比。
-
半月が夜空に輝き始めました。そろそろ撤収します。
-
イチオシ
宮代町役場の窓ガラスに夕焼けの風景が写っています。
この日の最後の一枚は、天の配剤による絶景になりました。 -
さて、時間をこの日の朝に戻します。
2021年のNHK大河ドラマは「青天を衝け」で、
渋沢栄一が主人公です。
その前から、新1万円札の絵柄になることで、
一躍脚光を浴びるようになりました。 -
JR高崎線の深谷駅です。なんとも立派な駅舎です。
東京駅に似たデザインなのは、
東京駅のレンガが深谷産なので似せたのだそうです。
でもレンガ造りではなく、コンクリート壁にタイルで
それっぽく見せているのだとか。深谷駅 駅
-
深谷は渋沢栄一の生まれた街です。
深谷市のマスコットキャラクター「ふっかちゃん」と。
深谷ねぎの角が生えています。 -
駅の階段下には、「渋沢栄一のからくり時計」。
ガラスの中には「ふっかちゃん」だけなのですが、
毎正時に「ふっかちゃん」の下から
渋沢栄一が現れます。音楽は「青い目の人形」です。
この人形交換会は渋沢栄一が持ちかけたものです。 -
「渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館」です。
2021年2月16日から2022年1月10日までの限定です。
深谷公民館の1階に開設されました。深谷大河ドラマ館 美術館・博物館
-
新しい1万円札の絵柄も掲示されています。
2021年9月1日から印刷が始まっており、
2024年上期に発行が予定されています。
左上の縦帯の中に渋沢栄一の肖像がありますが、
3Dホログラムの技術で顔が左右に動きます。
5千円札は津田梅子、千円札は北里柴三郎です。 -
埼玉県民向けのイベントのために、「ふっかちゃん」トラックが
横付けしていました。 -
大河ドラマ館入口です。入館料は800円です。
-
これらのパネルを見ると、大河ドラマのテーマソングが
聞こえて来るようです。
大河ドラマ館内は、動画撮影は出来ませんが、写真撮影はOKです。
但し、映像と役者のサインは撮影禁止だそうです。 -
登場人物たちの紹介パネル
-
小林薫さんが好きです。
何回か前の大河「おんな城主 直虎」の和尚様が素敵でした。 -
高良健吾。最近よくNHKで見ますね。気持ちのいい演技が好きです。
-
渋沢栄一の母。渋沢栄一の性格形成に大きな影響を与えた人。
和久井映見さんの演技が大きく暖かくて良かったです。 -
お気に入りの役者と並んで撮りましょう。
この横にディスプレーがあり、イントロの徳川家康のシーンについての
映像が流れていました。
家康の背後の黒子たちによる背景の描写は、たいへんおもしろく、
毎回楽しみでした。
監督が「人力」にこだわって、作り上げたのだそうです。 -
高良健吾くん、あちこちサインし過ぎ。目立たないから撮っちゃったよ。
-
台所にはもちろん渋沢ゑいさん。
かまどが3つもあって、料理はたいへんだったでしょうね。 -
庭で干していた藍染め。
-
渋沢栄一の生家セット。
靴を脱いで上がることが出来ます。 -
この井戸は是非とも覗いて見てください。
-
渋沢栄一語録が張り付けてあります。
「渋沢栄一でございます。」が一番有名?
「今すでに徳川のお命は尽きてございます」
その場で、よく首を切られなかったもんだ。
「すまねぇ。腹の子は俺の子なんでぇ。」バシッ!!! -
左上の「やっちまいましょう!」これは、おかしかった。
-
「己の手で、この国を救えるんなら何だってやる」
あの目が思い浮かびます。 -
オープンセットは群馬県安中市に造られました。
今はもう解体されています。
コロナ対策で、公開されることはありませんでした。 -
藍玉を作る小作農たちのやる気を引き出すために考案した番付表も
展示されています。 -
右:栄一の洋装
黒パンツ黒ベストにミッドナイト色のウールダブルフロックコートと黒蝶ネクタイ
左:喜作の洋装
ランプブラック色のウール四つボタン三つ組み背広と
黒リボンタイ
いずれも撮影使用品 -
パリから送られて来た洋装の写真。妻千代は気に入らなかった。
-
パリ万博で栄一たち一行が乗ったエレベーターのセット。
実は木製です。ここは特等席。もちろん記念写真は必然です。
ディーン・フジオカ演じる五代友厚は、同時期にパリにはいたけれど、
一緒にこのエレベーターに乗ってはいません。
朝ドラ「朝が来た」でも五代友厚役はディーン・フジオカでした。
同じ役で出演するのは珍しいですね。
一目で誰を演じているのかわかっていいです。
明治政府のおじさん達を見分けるのは大変でした。 -
ドラマ館を出ると、深谷生涯学習センターの中庭に出ます。
「深谷物産館」では、渋沢栄一グッズがてんこ盛り。
そして深谷特産のねぎを使った製品もたくさんありました。
「ねぎ味噌煎餅」を初めて買いましたが、美味しくてびっくりしました。
ねぎの甘さが絶妙です。実は私、あまりネギは好きじゃないんですが。 -
目を引いたのがこれ。「NEGIBUTTERSHOYU(ねぎバター醤油)」
じゃがバターにいいんじゃないかなということで、お買い上げ~ -
物産館の外の廊下には、渋沢栄一が関わった企業の話が
漫画で描かれていました。
東京ガス・東京電力・損保ジャパン・太平洋セメント・埼玉りそな銀行がありました。 -
せっかく深谷まで来たので、渋沢栄一記念館に立ち寄りました。
-
1階の展示(撮影禁止)を見ていると、職員が「これから13時までの
間は、2階のアンドロイドが一般公開されます。」と言いました。
アンドロイドは、事前予約制で、30分毎に講義を行います。
11:45~13:00の間だけ予約不要の一般公開が行われますが、
挨拶だけで、講義は行いません。 -
ついでに渋沢栄一生誕の地にも行きました。
「中の家(なかんち)」と呼ばれる屋敷ですが、
栄一が生まれ育った家は火災で焼失し、
妹夫妻が再建した家が建っています。渋沢栄一生地 (中の家) 名所・史跡
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「中の家」です。見学は外観だけで、屋内には入れません。
渋沢栄一生地 (中の家) 名所・史跡
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「若き日の栄一」像。
渋沢栄一生地 (中の家) 名所・史跡
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見事な紅葉が晩秋に色づいていました。
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その紅葉が池に写って、鮮やかなアートになっています。
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魚がいい位置に来るタイミングを計るのが難しく、
池の畔で佇む時間が楽しかったです。 -
来年は、このポスターは撤去されるのかな?
-
この部屋は、栄一が里帰りした時に使っていたそうです。
-
記念館にいたアンドロイドより10年後の栄一だそうです。
時折、出張して居ないことがあるそうなので、いる時で良かったです。 -
家の周りをぐるっと周ることが出来ます。
-
渋沢栄一の雅号「青淵(せいえん)」は、生家の近くの池が青く澄んで
いたところから付けられたと聞きました。この池なのかな? -
お屋敷の庭には、こんな見事な銀杏も立っています。
蔵もいくつかあり、かなり裕福な農家だったのでしょう。 -
よくこの地名がそのまま残ったものです。ドラマを見て驚きました。
500以上の企業と関わったと言われる渋沢栄一。
ここ数年で、ようやく知られるようになりましたが、何故私たちは
それまで殆どこの人のことを知らなかったのでしょうか。
彼の葬儀は、沿道にものすごい人が集まり、
弔問客が尋常な数ではなかったそうです。
それなのに、100年程度しか経っていない今日、
これ程の人が知られていないのは何故でしょうか。
都合の悪い人たちに、葬り去られていたような気がします。
これからはもっと渋沢栄一から学んで行きたいと思います。
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