2021/10/18 - 2021/10/22
990位(同エリア1266件中)
エネルさん
気がつけば年も越して2022年・・・
滞っているブログを再開させねばいけません
年末は忙しすぎてなかなか時間もとれず進まなかったしねー
新年になっても御嶽巡りとかニッチな内容すぎて、なかなかやる気にならないわけですw
そんなわけでようやくスタートしましょーねー
さてさて竹富島2日目、竹富島の主要スポットと御嶽巡り中です
昨夜民宿内盛荘で、泡盛飲みながら入念に御嶽巡りするコースを計画していたわりには
ここまでに、なんと二か所もすっ飛ばしてしまってました…
全然ダメじゃん
まぁまた竹富島を巡る理由になるからそれもよしとしますか
とりあえずこれからまだ残りの御嶽を巡っていきます
ネット情報で見ていてもまったく情報のない御嶽もあります
そこはさっきの”うーりゃおん”の掃除をしていたようなおじぃに詳しく勉強させてもらわねばなりません
竹富島を攻略するには相当時間かかりますね
マメに通って仲良くなるほかありません
だから言わんこっちゃない 大変なとこに足突っ込みましたねw
ま、仕方ないか… やらなきゃ気が済まない性格だしなー
しばらくは竹富島にハマることにします
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
さてさて前話からの続きです
仲筋御嶽から中筋井戸のある五差路?に戻ってきました
その突き当り正面の木の裏側が御嶽になってます -
鍛冶屋御嶽(カジヤオン)
現在は竹富島に鍛冶屋はおりませんが、鍛冶屋の火の神様へ1年の感謝と翌年の平安を願い行われます。
鍛冶屋の御嶽は以前、皆治の蔵元近くにあったのですが、本来あった場所に戻すべきとの意見から、鍛冶屋があったンブフルの麓へ平成14年に香炉が移されました。周囲には石垣が積まれ、赤瓦の屋根が設けられて立派になっています。
竹富島の御嶽より -
そしてその隣には環境省の綺麗な案内板が建ってます -
なんかあんまり覚えてなかったんだけど、過去の写真見返してたら
(写真は2013年の同じ場所)
2013年に竹富行った時には、琉球赤瓦のついたグッと雰囲気ある案内板でした
カッコよかったのにね 味も素っ気もなくなってました -
環境保護と文化の継承ってタイトルです
この看板は昔は周回道路のコンドイビーチと皆治浜に向かう分かれ道のところにあったみたいですね
じゃあここには何の案内板があった?っつー話 -
その隣には水道記念碑
竹富島に海底送水で水道が通ることになり、その記念としてこの記念碑が立てられたらしい
井戸から水道へ変わるという一大事件は想像以上に生活様式、水準を上げることとなったそうです
そのおかげで今現在あるような観光業が発達して島が潤うことになったんだって
その昔は向かい側にある中筋井戸が島民の命の水水道記念碑 名所・史跡
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そして向かい側にある、中筋井戸(なーじかー)仲筋井戸 名所・史跡
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大きくて立派な石積の井戸です
昔はこの水で生活してたんだもんね~ ホント驚くよね~ -
大きなガジュマルの木の下にあります
雰囲気ありますね~ 井戸はやっぱりパワースポットだよねー
さてそこからンブフルの丘を登ります -
ンブフルの丘
その昔、住民の飼っていた牛が夜中に小屋から抜け出して、角で土や石をかいて一夜のうちに高い丘を築いた。早朝、牛は丘のてっぺんで「ンブフルー、ンブフルー」と鳴いており、当時の酋長はこれを見て大変喜び、この丘に見張台を築いた。その鳴き声にちなんで丘の名もついたというンブフルの丘 名所・史跡
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ンブフルの丘展望台
少し前までは100円とかで一番上に上がれたみたいだけど、今は上がれません
民家の物干し場かよっ!?って雰囲気ですが
元々、普通に民家の屋上を解放してただけみたいです
でもずいぶん前に止めたみたいですねー
ここ標高20mくらいあって竹富島で一番高い場所だったみたいで、ずいぶん眺めはよかったようです
なごみの塔も上がれなくなって、高いところから島を見渡せるのは、今はなごみの塔裏側のお店の屋上が「あかやま展望台」として開放してるだけです
100円だけどねンブフル展望台 名所・史跡
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それにしても廃墟感満載ですw
誰も出入りしてなさそうですねー
勝手に入るのはやめておきましょう -
そしてこの辺りにも御嶽があったみたいなんだけど…
ここかなー… いや、わかんない…
アーレー御嶽(アーレーオン) [阿礼御嶽]
アーレー御嶽は、ンブフル展望台の南東に位置しています。由来等の詳細については調査不足で不明です
ネット情報でもこんな感じでしかでてこないです
おじぃー教えてくれー
そしてンブフルの丘を越えていくと、ンブフル展望台の南西の位置に
白金御嶽(シュッガネーオン)があるみたいなんだけど、やはり鳥居などもない御嶽なためみつけることができなかったです
白金御嶽は築城にまつわる拝所らしいのですが、詳細はネット情報ではでてきませんでした やはりあのおじぃに… -
そして丘を下っていくと右手に出てくる鳥居が
幸本御嶽(コントゥオン) 「六山」
竹富島の始祖である6人の王のうちの1人、「幸本節瓦」を祀っています。幸本節瓦は、久米島から渡来したとされ、幸本村の祖として祀られています。大豆・小豆の耕作に努めたので「豆の神」とされています。御嶽周辺には、タブノキ・フクギ・ガジュマルなどの大樹が生い茂り、オオハギやクワズイモが繁茂し、自然の森の姿がよく残されています。また、幸本御嶽の敷地にあるクスクバーという小高い聖地は、ニライカナイからの神が休息すると言われています。[仲筋集落]幸本御獄 名所・史跡
-
幸本御嶽(小波本)御嶽
御嶽の森は島の租神をまつる聖域として、昔から島の人々によって大切に保存されてきました。
したがって、そこでは竹富島の自然に近い姿の森を見ることができます。
以前は鳥居右手に説明看板あったみたいだけど、なくなってました
東パイザーシ御嶽もそうだったけど御嶽の説明看板は撤去してるのかな? -
ンブフルミチから外周道路にでました
この左側は立入禁止区域です 竹富島の南部は全て立入禁止になってます
(海老の養殖場などもある) -
外周道路からコンドイビーチへ
ちょうど雲が晴れて青空もみえてきた キレーだよねーコンドイビーチ
ま、今回はサラッと見るだけだけどコンドイビーチ ビーチ
-
コンドイビーチから西桟橋方面に行くと左に入る脇道があって
そこをずっと入っていくと「ニーラン神石」という環境省の案内板があります
こんな立派な案内石碑があるのに、知ってる人しか絶対に入って行かないであろう路地の奥の奥にやっとありましたwニーラン石 名所・史跡
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海岸にポツンとなかなかの大きさの岩が立ってます
ニーラン神石
海の遥か彼方にあるニライカナイの国から、年に1度神々が船に種籾を積み島に訪れ、人々に五穀豊穣やすべての幸をもたらしてくれると信じられています。
竹富島では毎年旧暦の8月8日にカンツカサ(神司)や有志が集まり、ニーラン神のもとで世迎い(ユーンカイ)の儀式が行われます。その際には供え物をし、ドラや太鼓を打ち鳴らし、「トゥンチャー」を唄い、手招きをして神々を迎えます。
環境省説明看板より -
コンドイビーチから5分もかからないかな?
海岸に出ると、土台入れると高さ60~70センチくらいの石が唐突にありました
ニライカナイの国から種籾を持ってやってくる神は、この石に船のとも綱をかけるんだそうです
干潮だからなのか、いつもこうなのかわかりませんが、とても船を停めるなんて無理なくらい陸地ですw
ま、言い伝えですからね その昔はもっと潮が満ちていたのかもしれません
種子取祭の日には、ここでユーンカイの儀式が行なわれるんだそうですよ
見てみたいね -
西桟橋方面を眺めると潮が引いてる今は桟橋までそのまま行けそうじゃない??? -
着きましたw
超ガタガタの岩場ですから、さすがにチャリ乗っては無理だったけどw
歩いてる人も何人かいて、チャリ押してる自分を「よぉやるわ」みたいな顔で見られましたけどね
雲が多くてね 残念
そして西桟橋から一気に集落を横断して、東側のアイヤル浜に向かいます
本当は西桟橋から北上して安里屋クヤマのお墓に行く計画にしていたんだけど
ここでも何を思ったか…気が付いたら集落突っ切ってました…
まーたやっちまった…
安里屋クヤマというのは民謡・安里屋ユンタのモデルで大変な美人さんだったそうです
次回来た時必ず行きます西桟橋 自然・景勝地
-
そして集落からアイヤルミチに入って、その途中にある史跡「ミーナ井戸」
井戸に下りる手前左側には祠もあって拝所にもなってますミーナ井戸 名所・史跡
-
下までは3m程度で、今でも水を湛えているんだって
ミーナ井戸に入る前には、小石を井戸の中に二個投げ入れて
「今から中に入ります」って合図を井戸に送ってから入ることになっているらしい -
ここから降りていくんだけどさ… いや、無理だろこれ
ネットで調べると下まで下りてる人は結構います
写真も上がってるしね
でもなー 実際見たいけどなー ハブ出そうだしなー
やめましょやめましょ -
ミーナ井戸からアイヤルミチを進むとナーラサミチと交差します
なんだかめちゃくちゃ晴れてきました 最高です
ナーラサミチを左に曲がってナーラサ浜方面に少し行くと、久間原御嶽(クマーラオン)がありました -
久間原御嶽(クマーラオン)
ここに祀られている神は、沖縄島から渡来された久間原発金(クマバラハツガネ)と伝えられ、久間原村の祖として祀られています。木の神・山の神として崇められています。この御嶽では、「山入りの願い」、「ヤマバンハジリ」という行事が行われ、家を造った人々はお参りをすることになっています。
[環境省の説明看板より抜粋] -
久間原御嶽は六人の酋長を祀っている「六山」(ムーヤマ)にあたります
沖縄本島から渡来した久間原発金(クマバラハツカネ)は、久間原村の祖として祀られ、ヒシャール・クムイ・カイジなどの土地を所有しましたが、耕作地として不向きだったことから、植林に励み「山の神」になりました。また、島の未・申(南西)の海を領有しました。
ここの鳥居はアイヤル浜に向かうアイヤルミチからも見えるから前から気になってたんだよね
そしてそのままナーラサ浜に向かって一本道を進むと
同じ場所に道を隔てて向かい合わせに鳥居がありました -
波利若御嶽(バイヤーオン) 「六山」
ナーラサミチの南側(右側)に少し奥まって道が続いて鳥居があります
雰囲気ありすぎ
ここ波利若御嶽(バイヤーオン)も六山にあたります -
波利若御嶽(バイヤーオン)
徳之島から渡来した塩川殿(シューカードゥン)は、波利若(ハリワカ)村の祖として祀られ、6人の酋長のうち最も若かったため、他の酋長の作物のために「雨の神」となり、先輩の酋長たちの作物の生長を祈ったとされています。
新里村の一角のわずかな土地と竹富島の寅(東北)の海を領有しました。 -
波利若御嶽は竹富島の始祖である6人の王のうちの1人、「塩川殿(シューカードゥン)」を祀っています。
塩川殿は、 徳之島から渡来したとされ、波利若(はりわか)村の祖として祀られています。6人の王のうち最も若かったため、他の王の作物のために「雨の神」として崇められています。
竹富島の御嶽より
そして向かい側(左側)には花城御嶽があります
こちらは少し錆びたような色合いの鳥居が建ってます -
花城御嶽(ハナックオン)「六山」
竹富島の始祖である6人の王のうちの1人、「他金殿(タカニドゥン)」を祀っています。
他金殿は、沖縄島から渡来したとされ、花城村の祖として祀られています。走るのが得意で、力比べや船漕ぎ競争などにも勝利したため、海の神を祀る御嶽としても信仰されています。 -
花城御嶽(ハナックオン)
他金殿は土地よりも海を所望し、竹富島の卯・辰・巳・午(東~南)の海を領有したんだそうです
そしてここ花城御嶽も六山です
玻座間御嶽(ウーリャオン)、仲筋御嶽(サージオン)、幸本御嶽(コントゥオン)、久間原御嶽(クマーラオン)、波利若御嶽(バイヤーオン)、花城御嶽(ハナックオン)
と、六山を全部周れましたー 達成感!
全部見れてよかった -
そしてナーラサ浜までこのまま行っちゃえと思ったら…
ナーラサミチが… 道が… ないw
誰も通らないからなのか、草ボーボーでまったく道がなくなってました
GPSで見てもまだまだここから距離があるしなー 進んでいくのは無理だなー
結局アイヤルミチまで戻ってアイヤル浜へ
相変わらずこの道はひどいガタガタ道だね アイヤル浜までホント遠い -
アイヤル浜に出る手前に左に向かう道があります
以前、誰かのブログか何かでこの道の先に御嶽があるとか情報を見てました
調べてみるとちゃんと情報ありました 東美崎御嶽(アイミシャシオン) -
東美崎御嶽(アイミシャシオン)
星砂で知られる竹富島ですが、竹富島には、「海の大蛇に食べられた星の子供の骨が流れついた」という民話があります。可愛そうに思った東美崎御嶽の神司(かんつかさ)が星砂を集めて香炉に入れ、祭りの時に線香の煙と共に母星の元に昇らせたそうです。今でも竹富島では年に一度の東美崎御嶽の祭りの時には、香炉の星砂を入れ替えているそうです。
竹富島の御嶽より -
アイヤル浜に出ると石垣島の栄えた街並みが見えるんだけど
角度的にはナーラサ浜からが真正面でよく見えるよね 道はなくなってたけどw
まぁ別に、この砂浜伝いに北に歩いて行けば、アイヤル浜、キトッチ浜、ナーラサ浜と名前が変わっていくだけで区切りもないし、同じ砂浜でナーラサ浜まで行けます
僕的には都会的な石垣の街並みを見るのはかなり残念な光景だけどアイヤル浜 ビーチ
-
そしてまたまた集落まで戻って竹富診療所の前を通って皆治浜に向かいます
東へ西へと大騒ぎです
もっと効率的に動きたかったんだけどな…
なんのためにあんだけ前夜に計画してたんだって話だなw -
皆治浜の入口手前には蔵元跡という史跡(県指定文化財)があります
蔵元は、1524年ごろに琉球王朝時代に王府が、八重山を統一するために創設した政庁(役所)の跡だそうです竹富島蔵元跡 名所・史跡
-
竹富島での蔵元は、20年間続き、約200坪の屋敷跡や、高さ1.5m程の野面積みの石垣は東と南に現在も残っています。
八重山の貴重な旧跡です。(沖縄県指定史跡文化財) -
竹富町出身の西塘を竹富大首里大屋子(タケトミウーシュリウーヤク・頭職)に任命し、統治させました。
ぱいぬ島の暮らしと文化より
本当はこの辺りにも皆治御嶽という御嶽があったらしいんだけど
情報もでてこないしね 見つけられなかったよ -
皆治浜(かいじはま)
コンドイビーチ方面を見ると、ド干潮の今は沖の砂浜に人が沢山でてますねー
さっき、ナーラサミチの御嶽を見に行ってる時はめちゃくちゃ晴れてたのにな
すっかり曇ってしまいました
晴れたり曇ったり忙しい一日だなカイジ浜(竹富島) ビーチ
-
ここ皆治浜は別名星砂の浜と言われていて、星砂がみつけられるとか言われてるけど
何度来ても見たことはありません つーか探す根気もありませんw
でも一生懸命探している人がたくさんいます… -
埴山御嶽(ハニヤー)を探しにチロリン村にやって来ました
グルグル周ってたんだけど全然見つからなくて、とりあえずチロリン村でビール飲むことにします
埴山御嶽
人頭税を収めていた時代、首里への上納船に仲筋御嶽のマイチという神司が乗っていて、この船が嵐で中国に漂着しました。幸いにも中国人の温情で一命をとりとめた神司は帰郷することができました。帰郷に際し、世話してくれた方から「あなたの家の西にある杜に(その時に中国人に勧められた)守護神を祀り信仰すれば村は繁栄する」と言われ、印判を二つに割って互いに持ち、再会を約束しました。
以来、仲筋村の無病息災の神として村人から信仰されている御嶽です。御願所は「ハニヤの由来の碑」の裏側です。ちろりん村 グルメ・レストラン
-
ビール飲みながらお店の女の子に聞いたんだけど
やっぱり若い女の子が御嶽なんて知らないよねw おそらくリゾートバイトだろうしな
それでも、「○○さんなら知ってるかもー」って、近所の方に聞いてくれて
ま、結局その方もわからなかったんだけど、近所にあるカフェの「南潮庵」ってお店のウシオさんという方を紹介されまして
ってことでビール2杯飲んで、カフェのハシゴで「南潮庵」へ向かいます -
チロリン村から2本目の筋を曲がってすぐ右手のところにありました
サンゴの石垣の上に水色の小さな手作りの看板がでてます
「南潮庵」 -
どうやら南潮庵っていうのは雑貨屋さんのほうで南潮庵 専門店
-
隣の古民家がカフェになっていて、名前は「YAARAA cafe」ってなってました -
YAARAA cafe 全部ぶち抜いた畳のお部屋に縁側からそのまま上がって
風通しもよくって、めちゃくちゃいい雰囲気です
本棚には琉球の歴史などの本もズラリ -
いやーホントいい方を紹介して頂きました
潮さん、めちゃくちゃ古くからの琉球の歴史をよく勉強されていて、話も上手だし本当に楽しい時間を過ごしました
マジでYou Tubeやったほうがいいっすよw おもろすぎるw
途中お客さんもちょいちょい来てたけど3時間くらいずっと話してました
僕はビールからの八重泉水割り3杯呑んで結構ベロベロw
それでもよく喋って楽しかったので帰り道も普通に帰れたんだけど
肝心のハニヤーの場所をしっかり確認するのを忘れて?しまってw
つーか、酔っぱらってハニヤーを見ないで帰って来てしまいました…
そしてそれを思い出したのはこれを書いてる今という…ね -
宿に帰って少しゆっくりして夕食の時間になりました
内盛荘の夕食メニューです
今日は撮り忘れないように -
今日は昼めしも食わないであれだけ飲んでたから、めちゃくちゃお腹空いてました
どれも美味しかったです
民宿のこういう品数の多い温かみのある食事っていいよね -
食後、内盛荘の大将がゆんたくに誘ってくれて
(まぁ大将とはいえ、すごくお若くて優しい方です)
宿のテラスで女将さんやヘルパーの女の子、そしてここでも一人旅で来ていた女の子と一緒に楽しくお話してまたまた安定の酔っ払い
今夜は曇ってるけど完全な満月でした あー最高 -
おはようございます
今日はもう帰る日です 寂しいですね
飛行機の時間は最終の直行便なので、竹富から最終の船でも帰れそうだよね
朝から冷たい小雨に風が強く吹いてます テンション下がるわー
今日はなにしようかなー -
昨日、島を西へ東へ北へ南へと動き回ったし
本当は今日は海でもはいろうかなーとか思ってたけど、雨と風でめちゃくちゃ寒いからそれも無理w
このやることなくてダラダラするのが島の醍醐味なんだろうけどねー
こんなお天気じゃ外出てる人なんてまったくおりませんw -
とりあえず自転車で島をグルグルします
雨は時折ぱらつく程度なのでなんとか走るけどとにかく寒いw -
なんとも寂しい西桟橋西桟橋 自然・景勝地
-
西桟橋の案内板
竹富島では稲作が困難だったため、昔はここから西表島まで田んぼを耕しに行ってたんだって
当時は船も手漕ぎか帆船だもんねー 大変だ -
コンドイビーチに来ました
残念なお天気だけど綺麗だよねやっぱり
ここには人がいました みんなすることないからねー
とりあえず行ってみようみたいになってるのかもしれませんコンドイビーチ ビーチ
-
コンドイ名物のネコちゃんたちが寄ってきます
それにしても寒い… ウェザーニュースのアプリだと20°とかなってるけど
風速1mあがると体感1°下がるらしいから、今絶対15°くらいしかないんじゃない???
集落よりビーチは風が強いから体感温度はめちゃ下がる
Tシャツ短パンギョサンではちょっと無理だなってくらい -
また雨も降ってきましたねー
雨雲レーダーみるとこれからもの凄い雨雲がやってきます
とりあえず東屋に避難してみたけど -
なかなかの暴風でw 東屋にいても横殴りに雨が吹き込んできます
だめだこりゃ じっとしてるともの凄い寒さもやってきます
これなら動いていたほうがまだマシです
ということで出発します -
皆治浜に来たけど誰もいないね
さっき雨雲レーダーで見たときはすごい豪雨になりそうだったのに、そこまで降ってきません
おいおい!どういうことだよー!ってまた見てみたらさっきとは全然違う雨雲予想になってます
島の予想は難しいんですかねー
皆治浜は木陰で雨宿りも出来そうだから来たのに…
ま、降らなくてよかったんだけどねカイジ浜(竹富島) ビーチ
-
コンドイビーチ方面にはちらほらヒマな人達が見えます -
お昼食べに「やらぼ」に来ました
お店入口での感染対策と店内での注意点など書かれたものを読まされて、納得の上入店
しっかりしてますやらぼ グルメ・レストラン
-
それほど混んでもいなかったけど、お昼時なので地元の方も多くて多少申し訳ない気持ちになるよね -
やらぼといえば、えびそばです!
えび入り野菜そば なんと衝撃の1700円!!!
ほかのメニューとの落差が激しすぎるwww -
はい!きました!
このビジュアル!インスタ映えですね~
このエビの下にはたっぷりの餡かけ野菜炒めがのってます
これがまためちゃくちゃ旨かったー!!!
1700円は高いけどねー あとオレ海老むくの嫌いだったんだ
食べるの大変でした
次は野菜そばにします -
15時の船で石垣に戻ることにしました
石垣戻っても特にすることも行きたいとこもないんだけどね 飲みに行くくらいです
ホントはね、お天気よければ海入ったり、竹富島堪能するのに時間使えるんだけどねー
特にやることもないし、とにかく寒くてテラスにいることもできません
とりあえずパーカーとスウェットに着替えました
東京帰るのに空港で着替えようと思ってたのが早まりました
時間まで宿の食堂でビール飲んで昼寝します -
さてそろそろ時間です
内盛荘お世話になりました とってもいい宿です
綺麗だしみんな優しいし、竹富島に行く際はぜひ泊まってみてください
そして今回も素晴らしい出会いが沢山ありました
竹富島はまだまだコンプリートまで時間がかかります
もっともっと勉強して南潮庵のウシオさんとまた語り合わねばいけません
次の楽しみができました
竹富島を深く知る旅は続きそうです 手を出したんですから仕方ありませんw
次はいつ行けるかなー?
早くコロナが終息しますように・・・
内盛荘の大将に港まで送ってもらい、石垣島に戻りました
おせわになりました ありがとうございました
久しぶりに以前よく行っていた寿司居酒屋に行ってみます
でもコロナの影響なのか経営が変わったのか、お店が縮小して業態も変わってました
残念 美味しかったのにな
離島ターミナルから17時半のカリー観光のバスで帰ります
東京は12°ですって 寒いw
異常に長くなりましたが読んでいただいた方ありがとうございました
今回の旅のスタート
波照間島 1
https://4travel.jp/travelogue/11718843
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