2021/11/19 - 2021/11/19
69位(同エリア115件中)
naoさん
大阪府南河内郡太子町は、奈良県の香芝市や葛城市と隣接する府東南部に位置し、町の東には、万葉集で『ふたかみやま』と詠われた、北側の雄岳と南側の雌岳によって形作られた二上山(にじょうさん)が美しい姿を見せる、緑豊かな自然と数多くの歴史ロマンに彩られた町として知られています。
「太子町」の地名は、わが国最初の成文法として推古天皇12年(604年)に制定された「十七条憲法」や、「遣隋使」の派遣などにより、歴史上重要な人物の一人として最もよく知られている、聖徳太子の墓所が伝承されていることから名づけられたもので、現在、「十七条憲法」の最初に記された『和を以って貴しと為す』の精神をモットーとして町政運営にあたっておられます。
太子町南部一帯に分布する磯長谷(しながだに)古墳群には、伝承する聖徳太子墓をはじめとして、「敏達」、「用明」、「推古」、「孝徳」の各天皇陵など、7世紀飛鳥時代の大型墳墓が点在しており、「王陵の谷」とも呼ばれています。
和銅5年(712年)に口述筆記された「古事記」に『近つ飛鳥』という記述がありますが、これは履中天皇の弟にあたる反正天皇(はんぜいてんのう)が、難波から大和の石上神宮に参詣する途中に宿泊した二か所の土地に名前を付けるにあたり、近い方を『近つ飛鳥』、遠い方を『遠つ飛鳥』と名付けたものです。
『近つ飛鳥』は現在の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域を、また、『遠つ飛鳥』は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさしたもので、『近つ飛鳥』は推古天皇21年(613年)に整備された日本最古の官道といわれる竹内街道沿いに位置しています。
現在の堺市大小路から羽曳野市を経て太子町を通り、二上山南麓の竹内峠を越えて奈良県当麻町の長尾神社へ至る全長約26kmの竹内街道は、今も人々の往来に供されています。
現在の太子町には、農村集落の面影を留める町家が点在する町並みが広がっていますが、この地の町家の大きな特徴の一つに、白漆喰で塗籠められた持ち送りの水切り庇が付けられていることが挙げられます。
私の記憶では、高知県室戸市吉良川や奈半利町の町並みでよく似た水切り庇を見ましたが、近畿圏では全く目にしたことはありません。
なお、今回の太子町散歩では相当広範囲を歩き回ったので、字(あざ)名別を目安に、複数の旅行記に分割することにしました。
この稿では、「太子」と「春日」という字(あざ)名の町並みを一編にまとめました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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太子町にやって来ました。
太子町役場に車を止めさせてもらって、「太子」から町歩きを始めます。 -
まず目についたのは、瓦の継ぎ目に白漆喰目地が施された町家です。
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この白漆喰目地は、瓦の継ぎ目の強度確保と防水性の向上に効果を発揮します。
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こちらの土蔵には、太子町の町家の大きな特徴の一つである、白漆喰で塗籠められた持ち送りの水切り庇が付けられています。
私の記憶では、高知県室戸市吉良川や奈半利町の町並みでよく似たものを見ましたが、近畿圏では初めてお目にかかりました。 -
春日灯篭が見えるので、塀の内側にお庭が作られているようです。
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2階の木製手すりがアクセントの町家です。
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「桁外れ」と言う表現がぴったりの、驚くほどに大きな町家があります。
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この間口の広大さたるや、目を見張るばかりです。
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大きさだけではなく、丁寧な仕事ぶりにも感嘆するばかりです。
完璧に「一本取られた」感じです。 -
こちらの町家の水切り庇は妻面に付けられています。
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漆喰塗籠めではありませんが、こちらの町家にも水切り庇が付けられています。
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こちらの町家は、つる性植物が塀の一部を占拠しています。
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石垣の上に多宝塔が望める寺院にやって来ました。
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こちらは、「太子町」の地名の起源である、「十七条憲法」や「遣隋使の派遣」などで日本の古代史にその名を遺す、聖徳太子ゆかりの墓所が伝承されている叡福寺です。
階段の上ある南大門には、左右一対の金剛力士像が安置されています。 -
金剛力士像は通常「仁王」という名で親しまれ、門の左右に阿形と吽形の一対で安置されます。
こちらが阿形の金剛力士像で・・・ -
こちらが吽形の金剛力士像になります。
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境内北奥に位置するのは、聖徳太子が眠っているとされる聖徳太子御廟です。
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御廟前の二天門には、四天王(仏法僧を守護している四神で、東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天を指す)のうち、持国天と増長天が祀られています。
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持国天は、東方を護る守護神として造られることが多く、本尊に向かって右手前に安置されるのが原則となっています。
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増長天は、南方を護る守護神として造られることが多く、本尊に向かって左手前に安置されるのが原則となっています。
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聖徳太子御廟である「叡福寺北古墳」は、横穴式石室を持つ直径54・3m、高さ7.2mの円墳で、太子、妃、母の三体が合葬されています。
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二天門から見下ろした境内。
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こちらが金堂で、聖徳太子御廟は右奥に位置しています。
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この金堂は再建されたもので、屋根裏に残されていた棟札から、享保17年(1732年)に再建されたことが判っています。
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こちらは金堂の前に建つ多宝塔です。
多宝塔も再建されたもので、承応元年(1652年)に再建されました。 -
手水舎の竜の吐水口。
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では、南大門を出て町並みに戻ります。
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叡福寺の門前にも、「桁外れ」に長大な間口の町家があります。
こちらの「山本家住宅」は、主屋の間口が10間半もあるそうです。 -
煙出しの越屋根や、虫籠窓のある主屋があるお屋敷が並んでいます。
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太子町の汚水桝の蓋。
万葉集にも詠われた二上山を背景に、聖徳太子が制定した「十七条憲法」の最初に記された『和を以って貴しと為す』の文字と、叡福寺の多宝塔が配されています。
聖徳太子ゆかりの太子町では、『和を以って貴しと為す』の精神をモットーとして町政運営にあたっておられます。 -
「太子」の町並みです。
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石積みの塀をめぐらせた町家です。
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瓜型の虫籠窓のある町家は、妻面に白漆喰を塗籠めた持ち送りの水切り庇を備えておられます。
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虫籠窓のある町家に寄り添う柿の木。
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実をつけた柿の木は、秋の風物詩の代表として、ことさら風情を感じさせてくれます。
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「太子」はこの辺りまでで、この先が「春日」の町並みになります。
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「春日」の町並みに入りました。
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白漆喰塗籠めの虫籠窓のある町家です。
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見越しの松が枝を延ばす町家です。
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こちら町家には、名栗加工の木材と、割竹を組み合わせた犬矢来がめぐらされています。
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白漆喰塗籠めの虫籠窓のある町家です。
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玄関先に植え込みをしつらえた町家です。
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町角には、古い道標と現在の道標が並んで立っています。
古い道標には、「右 たへま(當麻)、つほ坂(壺阪)、竹内峠 ・ 左 なら、郡山、穴虫峠」などの文字が見えます。 -
町並みはもちろんのこと、こんな細い路地にも魅力を感じます。
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瓦葺の門を構えた町家です。
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塀が醸す硬い表情を、木々の緑が和らげています。
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大和棟の姿をとどめる町家です。
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大和棟は、大阪府河内地方から奈良県や三重県伊賀地方にかけて数多く建てられた民家の建築様式で・・・
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急勾配の茅葺屋根の両妻部分に、それより一段低い緩勾配の瓦葺屋根を架けたもので、高塀造(たかへづくり)とも呼ばれています。
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こちらの町家も、大和棟の姿をとどめています。
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煙出しの越屋根のある町家です。
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真っ赤に紅葉したハナミズキが見頃を迎えています。
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黒漆喰の壁と、白漆喰塗籠めの虫籠窓の対比が鮮やかな町家です。
では、「太子」と「春日」の町歩きを終えて、竹内街道へ向かいます。
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