2021/11/04 - 2021/11/07
481位(同エリア864件中)
アラカンさん
この旅行記のスケジュール
2021/11/06
-
船での移動
福江港→奈留港
-
車での移動
奈留港→江上天主堂→奈留港
-
船での移動
奈留港→旧五輪教会堂
-
徒歩での移動
旧五輪教会堂→五輪駐車場
-
車での移動
五輪駐車場→久賀島観光交流拠点センター
-
久賀島観光交流拠点センター
-
車での移動
久賀島観光交流拠点センター→牢屋の窄殉教記念教会→浜脇教会→田ノ浦港
-
牢屋の窄殉教記念教会
-
船での移動
田ノ浦港→奥浦港
-
車での移動
奥浦港→堂崎天主堂→福江港駐車場
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
福江1日目は殆ど物見遊山でしたが、いよいよ今回の旅のメインのコースに出発です。福江島から奈留島、久賀島3島を色々な乗り物に乗り換えて忙しく巡ります。各教会にはあらかじめ連絡ができていてウェルカムでしたが、同じ時間にいくつかのツアーが重なり、小さな教会を見学する為、数人ずつ交替でした。港周辺に商店街やスーパーやドラッグストアがいくつもある福江島と違い、奈留島も久賀島も商店を殆ど見かけませんでした。
世界文化遺産は12の構成資産からなり、今回のツアーではその内のⅩ「久賀島の集落」と?「奈留島の江上集落」を回りました。この全てを回り尽くすのはほぼ不可能だと思いますが、かつて遠藤周作が、長崎で一枚の踏み絵を見たことがきっかけとなり、「長崎を巡礼」し、「沈黙」や「かくれ切支丹」、「遠藤周作と歩く長崎巡礼」などを執筆したことを知り、私自身も自分の生まれ育った国の歴史の一面を知ることができました。
翌日は福江島から長崎へ移動し、長崎市内、雲仙地獄、平戸、生月島などを廻ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
まずは福江港ターミナル集合9時25分、9時45分発の「ニューたいよう」に乗船して、奈留島奈留港へ。この船は五島旅客船、フェリーではない。
-
奈留島の奈留港からはこの車で移動。この日のガイドさんは福江生まれの福江育ち。
-
この日奈留島で江上天主堂に向かう途中見かけた風景。漁獲されたカツオでしょうか?この日1日で地元の方を見かけたのは、これが最初で最後でした。
-
奈留島の江上集落⑪の世界遺産の碑。
-
奈留島の江上天主堂。設計・施工は名工・鉄川与助による木造教会堂。大正7年完成。この写真ではわかりませんが、教会を強風から守る為に入り口前はタブの木などで覆われています。内部撮影不可。この周辺は交通の便の悪い入江で、潜伏キリシタン達が、住むには厳しい未開の地を選んで住んでいたことがわかります。
-
奈留島から久賀島へ移動の為、会場タクシーに乗船。
-
久賀島旧五輪教会堂近くに到着。海上タクシーを降りたらすぐのところにありました。船着場はこの写真の左手。左に見えるのが旧五輪教会堂。外観は瓦葺の木造和風建築。周りは海と山だけ。他には何もない。
-
久賀島の集落⑩の世界遺産の碑。
-
旧五輪教会堂の正面。十字架がなかったら教会とは思えない。明治14年に浜脇地区に建立されて、昭和6年に現在地五輪に移築されたそうです。五島列島最古の木造教会堂。
-
内部撮影可。窓からの眺め。
-
木枠のステンドグラス。
-
リブ・ヴォールト(コウモリ)天井にゴシック風祭壇。この天井や柱など、素朴な美しさを感じました。建築技術も素晴らしい。
-
旧五輪教会の隣にある五輪教会。旧五輪協会が傷んでいることから解体予定があって建てられたのですが、やはり貴重なので保存ということで、今では二つが並んでいます。
-
五輪地区から海岸沿いの山道を歩きました。途中五輪真弓の祖父母が住んでいたという跡地も通りました。実際に使っていた井戸などもそのまま残っていました。そこは本当に海にせまった山道の途中でした。10分くらい歩いた所に、車が迎えに来ていました。
-
ランチの為に、久賀島観光交流拠点センターに立ち寄りましたが、この辺りも福江島の武家屋敷通りと同様の石垣が残っていました。
-
こちらにも有りました。久賀島の集落⑩の世界遺産の碑。
-
旧藤原邸の古民家を改修したものです。入り口に向かいます。利用者は私たちだけでした。
-
内部はこんな感じ。
-
ランチのメニューがこれ。五島うどんと五島米のおにぎり。期待していたのですが、炭水化物だけでした。その代わりか、久賀島産のあおさのお土産付きでした。
-
なぜか私の座ったテーブルの前には、魚籃観音の掛け軸がありました。
-
食後、出発までちょっとウロウロしていて、交流拠点センターの前から対岸に見えた教会を撮影して見たら、この後に立ち寄る「牢屋の窄殉教記念教会」でした。なんだか呼ばれているような感じでした。
-
先ほどの車で「牢屋の窄殉教記念教会」までやってきました。内部には入れません。入り口から順番に中を覗きました。この周りももちろん何もありません。
明治元年(1864年)、明治政府による「五島崩れ」がここからはじまりました。 -
日本のキリシタン史上最も悲しい事実のあった教会の「信仰の碑(牢死者の碑)」。囚われて8ヶ月もの間12畳しかない牢の中に押し込められた200名のうち42名が亡くなったという。想像もしたくないあり得ない悲しい事実。明治元年(1864年)に同じ日本人が同じ日本人に下した事実。
-
牢屋の窄殉教記念教会から車で「浜脇教会堂」にやってきました。こちらは歴史的にも新しい教会。昭和初期五島で初めて鉄筋コンクリートで造られた教会。どこの教会も周りには家一軒ない。
-
浜脇教会堂から車で移動し、田ノ浦港にやってきました。ここから船で福江島の奥浦港へ移動します。木口汽船「フェリーひさか」14:35発→14:54着
-
船から福江島の堂崎天主堂が見えてきました。静かな入江に建っていました。
-
周辺の海はこんな眺め。船の上からは景色を楽しむホっとする時間。
-
奥浦港から、また別の車で移動。こちらは大波止タクシー。
-
堂崎天主堂の手前の海。
-
1977年に造成されたキリシタン庭園には、信教の自由以降にやってきて五島で活躍したマルマン神父とペルー神父の像。
-
天主堂前には、聖ヨハネ五島殉教碑。日本二十六聖人のひとり。五島で生まれ、1597年に秀吉の命で、神父の身代わりに殉教したが、その後長い道のりの末、里帰りを果たした。
-
1566年のアルメイダの宣教碑「出会いの日」。ザビエル鹿児島上陸の後、五島にやってきたアルメイダと島の人々との出会いを記念する碑。この日から五島キリシタンの歴史は450年以上に及ぶ。
-
この教会は資料館を併設しているので、内部見学には入館料が必要で、流石に観光客が多いので、手前にお店がありました。
450年もの間弾圧された隠れキリシタンが使用した品々やマリア観音、オラショなどが展示されています。
資料の中に「踏み絵」がありましたが、これはレプリカですと案内されました。
国立博物館にはオリジナルがあるようなので、その後問い合わせましたが、一般公開の予定は全くないと言われました。
今回のガイドさんの従兄弟さんもこの教会の神父をされていたそうです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
五島列島(長崎) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
33