2021/10/02 - 2021/10/02
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たびたびさん
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広島県三次市。広島からだと芸備線で約2時間。通勤圏とは言えないし、経済圏としても少し違いますよね。ところで、広島県は、歴史的には広島市を中心とする安芸と福山市を中心とする備後に東西で大きく分かれますが、これで言うと三次は備後。ただ、三次と庄原を合わせて、県北とか備北と呼ばれるのが一般的かな。どちらにしても、広島市を中心とする安芸の歴史や文化とは距離があるというのがざっくりしたイメージでしょう。
三次の特徴としては、江の川、西城川、馬洗川と3本の川が合流して古くから舟運が発達。山陰と山陽を結ぶ商都であり、石見銀山の銀やたたらの製鉄も石見銀山街道の尾道道(または笠岡道)によって三次から尾道(または笠岡)を経由し、大阪へ運ばれていました。
そして、もう一つはかつて三次にあった三次藩のこと。安芸広島藩は、元和5年(1619年)福島正則が改易に処せられると、代わって浅野長政の次男で紀伊和歌山藩主だった浅野長晟が入封しますが、寛永9年(1632年)、この長晟の庶子で長男の長治が安芸広島藩の支藩として立藩したのが三次藩5万石。その後、享保5年(1720年)には、藩主が夭折し廃藩、三次町奉行が置かれることとなりましたが、それでも三次浅野藩の菩提寺である鳳源寺を訪ねたりすると三次浅野家の匂いは今でもそれなりに残っていますね。ちなみに、忠臣蔵で知られる赤穂藩は浅野家。広島藩の浅野家が本家となります。(もう少し詳しくは、https://4travel.jp/travelogue/11043270)そして、刃傷事件を起こした浅野内匠頭の正室、瑤泉院は、初代三次藩主、浅野長治の三女なんですね。討ち入りの直前、赤穂藩家老の大石内蔵助が瑤泉院のもとに赴くという「南部坂雪の別れ」は、講談や歌舞伎では有名なシーンですが、これは、内蔵助が赤坂南部坂にある実家、三次藩の下屋敷に引き取られていた瑤泉院を訪ねるという設定です。やはり、こうしたことも含めて、山間の中堅都市として独自の歴史や文化が育まれる基礎になったのではないかと思います。
さて、今回は、レンタサイクルを利用しての旅。三次市街ではかつての商家の面影が感じられる石見銀山街道、三次本通り(通称、歴みち石畳通り)を中心に、もののけミュージアムや辻村寿三郎人形館など。その後は、少し遠いですが、郊外の三次風土記の丘から、三次ワイナリーに奥田元宋・小由女美術館ほか。それぞれ予想以上の充実度があって、改めてその歴史や文化の厚さを実感した次第。三次の鵜飼はまだ宿題のままですが、三次のリアルな姿がこれでやっとぼんやり見えてきたのかなあという感じです。
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JR芸備線は、広島駅から三次経由、岡山県新見市の備中神代駅までの路線。広島から三次までは、この線で向かいます。所要時間は、約2時間です。
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安芸高田市辺りでは、早くも分水嶺を越えてしまう。そして、中国山地の山間、長閑な景色。2時間強もかかってバスと競合する区間なんですが、時間をあまり気にせず気楽に行きましょう。
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ところで、秋から早春にかけての晴れた日に三次盆地には立ち込める幻想的な霧の海となる気象現象があります。急に曇ってきまして。。
今日の天気予報は晴れだったんですけどね。早くもそんな予感です。 -
これは、江の川。広島県の阿佐山を水源として、島根県の江津まで194㎞を流れます。芸備線で安芸高田市を過ぎると何度も見えてきます。分水嶺を越えているので川はもう島根に向かって流れている。まだまだ島根との県境は離れているんですけどね。
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三次駅に到着しましたが、案の定、三次市内は曇りの日みたいな感じ。これが霧の海の中にある市街だそうです。早朝は低く漂っていて、だんだん高くなって霧散する。なので、山の上から霧の海を見るには早朝じゃないとだめのようです。
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観光案内所で自転車を借ります。
坂も多いようだし、電動自転車なら安心ですね~ -
三次駅を出発。巴橋を渡って、まずは旧市街。本通りのエリアに入ります。
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旧市街の北の端。鳳源寺です。
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こちらは、広島藩の初代藩主、浅野長晟の庶長子であり、三次藩祖である浅野長治が三次浅野家の菩提寺として建立した寺。
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境内には、大石内蔵助良雄手植えの枝垂れ桜や、
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47士の木像を安置した義士堂、
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浅野長治が、父、浅野長晟の7回忌を記念して建てた神道碑、
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赤穂藩主浅野内匠頭長矩の正室の瑤泉院遺髪塔などがあり、何とも賑やか。
冒頭触れましたが、瑤泉院は、浅野長治の三女で、浅野内匠頭の正室。三次がこんなにも忠臣蔵と縁が深いって、ちょっと驚きですよね。
本堂の豪壮な構えとかも伊達ではないと思います。 -
鳳源寺からさらに通りを上っていくと尾関山公園。小山のような場所に整備された公園です。
入口を入ると谷あいに日本庭園の築山のような景色。奥の中央に建つ日本髪の女性像は、阿久利姫。つまり、瑤泉院です。 -
そこから、さらに上っていくと
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一番先には三次の市街を見下ろす展望所。
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まあまあの眺めかな。
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で、これは三次市街の北にそびえる比熊山。標高は332mとさほどでもないのですが、こうやって眺めるともっとずっと高いように感じますね。三次の妖怪伝説の発端となったのはこの比熊山での肝試し。三次の霧の海を眺められることでも知られます。
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旧市街に戻って。
これは、今や三次観光の目玉のひとつ、三次もののけミュージアム。 -
民俗学者で妖怪研究家でもある湯本豪一氏から寄贈された膨大なコレクションを展示しています。それにしても、三次にこんな立派な施設があったことにはちょっと驚きますね。
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この先が展示室です。
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まずは御伽草子的な巻物で、
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イチオシ
もののけの不思議な世界へといざないます。悪くないですね~
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ところで、もののけの三次を有名にしたのは、江戸時代中期の妖怪譚「稲生物怪録(いのうぶっかいろく)」。この「稲生物怪録」というのは、稲生武太夫という実在の人物が16歳の年に体験したという、妖怪にまつわる怪異をとりまとめた物語です。
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妖怪はあくまで想像の世界のものだと思いますが、コレクションの数々を拝見すると
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現実の世界ではないにしても何か訴えるものがある。
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妖怪は現実ではないけど、やっぱり現実でなくもないみたいな気持ちになってきますよね。
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仏教の源流であるインド哲学では実在論や唯名論から始まって、実体と属性の関係をテーマにすることは基本中の基本。日本仏教でも、色即是空,空即是色とか、我々が見ているものは果たして真実なのだろうかという考えは、日本人なら誰でも普通に持っている感覚でしょう。
もののけの世界があまり違和感なく受け入れられる素地は、もしかしたらそういうところにもあるのではないかと思います。 -
もののけミュージアムから再び北上して、今度は太歳神社へ。
この神社は、大同3年(808年)の創建、出雲国神門郡青柳郷吹上島より勧請したと伝わる古い歴史。さきほどの比熊山のふもとにあって、石段から鳥居、 -
急な階段を上がった先に建つ
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本殿等はかなり立派です。
境内の奥にはその比熊山山頂に向かう登山道の入口があって、そういう意味ではここも稲生物怪録ゆかりのスポットのひとつ。もののけミュージアムでもそのように紹介されていたんですよね。 -
なお、比熊山には比熊山城跡というのもありまして。その城は、天正19年(1591年)、三次盆地を根拠地とした有力国人、三吉新兵衛広高がに築城しました。三吉氏は、大内氏、のちに毛利元就に従いますが、関ヶ原の戦いで西軍が敗れると浪人して、出家したよう。歴史は短いんですけどね。
鳳源寺と太歳神社から登山道があって、こんなきれいな案内板もありました。 -
これが登山道入り口。確認だけすれば、OKでしょう。
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改めて、旧市街へ。
この道は冒頭に触れましたが、かつての石見銀山街道。三次本通り(通称、歴みち石畳通り)です。 -
東地屋は、その三次本通りの一番北端にある和菓子屋さん。
なんと安政2年に創業したという老舗中の老舗です。 -
名物は、泡雪と玉子羊羹。二つを組み合わせた「元祖 泡雪・玉子羊羹」をいただきました。これまでいろんな羊羹に出会ってきましたけど、玉子羊羹なんて初めてですよ~
さてさて。。この鮮やかな黄色の羊羹は卵の黄身の香りがちゃんと残っていて、羊羹なのにまさに玉子の味わい。ここまで香りが残っているとなるとちょっと感動ものですね。そして、泡雪はふわふわなんですが、これも卵の白身の香りがそれなりにしっかりあって、黄身と白身のコラボになっている。そして、そこには珍しさだけではなくて、違和感なく受け入れられる自然なおいしさが備わっているのがまたすごいところでしょう。 -
つまり、これは伝統だけではなくて、たぶん日々進化してこの味があるということ。驚愕の逸品だと思います。
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イチオシ
いきなりいいものに巡り合って、いい気分。
ここから三次本通りを少しづつ南下します。 -
ほどなく、木綿兎です。こちらは、人形師、2代目辻村寿三郎の工房兼ショップ。
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作品を見るなら、同じ通りにある辻村寿三郎人形館の方になるのですが、こっちはその舞台裏という感じかな。
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製作中の人形も惜しげなく見せていただきました。
「辻村寿三郎の人形って活き活きとしていて、生きてるみたいなんですよね~」みたいな話をしたら、「先代が言っていましたが、人形は人形です。特別なものではない」という淡々とした回答。しかし、そうあっさり言えることこそがまたプロ意識の強さなのかなと感じました。 -
なお、同じ建物の隣りに市がやっている三次人形の展示室があって、それも寄ってみましょうか。
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天神さんや
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イチオシ
傘を持った女性に
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亀に乗った浦島太郎、
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これは、五条の橋で弁慶を懲らしめる女装した義経でしょう。
それぞれなかなかに芸が細かくて、じっくり見ないとその芸の細かさに気が付きません。
素朴だけど、やっぱり手が込んでいて味わい深い。さりげなく名品なんじゃないでしょうか。 -
さらに進んで、これはムギムギカフェ。地元ではなかなか人気のカフェのようですね。
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中に入ると厨房やショーケースに面した通路が奥に向けてまっすぐに設けてあって、何気にわくわくする空間になってます。
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いただいたのは、三良坂の本店から送られてきたカレーパン。すっきりした辛さはあか抜けたコンセプトも感じるような大人の味系かな。田舎だと思っているとちょっと違うお店です。
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頼杏坪役宅は、三次本通りから少し入ったところ。
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頼山陽の叔父である杏坪が文政11年(1828)から3年間、三次町奉行をしていた時の役宅です。
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杏坪は、竹原市の豪商紺屋に生まれ、主に儒学者として広島浅野藩に仕えた人物。
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運甓居(うんぺききょ)という別名も、
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中国の故事に基づくもののようですね。
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漢詩の屏風が部屋の雰囲気を引き締めていましたが、真摯に役職を全うした杏坪の姿勢が偲ばれました。
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頼杏坪役宅から通りに出て右折してすぐにあるのがこれ。小さくて目立たないですが、三次社倉の案内です。
この社倉というのは、飢饉や凶作に備えて、村内で穀物を出し合って蓄えていたもの。広島藩として奨励していた制度だったようですね。説明からはそれなりに大きな施設だったことが窺えます。 -
イチオシ
三次本通りに戻って。これは風季舎。昭和初期に建てられた旧広島銀行の建物をリニューアルした店舗は、
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内部も天井が高くてゆったりした空間。これだけでも一見の価値がありますね。
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いただいたのは、ブラどら。ブランデーのどらやき。皮に何か染ませてあるんですが、それがブランデーなのかな。ただ、ほのかにというかかなり微かにしかブランデーは感じませんね。全体として水分が多くて柔らかいどら焼きといった印象です。
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そして、三次本通りの最後は三次市歴史民俗資料館。ただ、三次市歴史民俗資料館というより辻村寿三郎人形館といった方が分かりやすいかも。
旧三次銀行本店というレトロな石造りの外観ですが、 -
一歩中に入るとそこにはいきなり辻村寿三郎の人形たちが織り成す世界が広がります。
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イチオシ
平家物語を題材にした作品群は、平清盛や一門の朗らかな描写の一方で、
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敗れた側は
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崇徳上皇の怨念の深さを巧みに表現したりして
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イチオシ
崇徳上皇がどういう人だったのかを知らなくても、十分にその心中が伝わって来るようです。
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平家が栄華への階段を駆け上がるきっかけとなった保元・平治の乱。
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その物語の中での重要人物。
鳥羽法皇の后で法皇亡き後もその豊かな財力を背景に権勢をふるった美福門院や -
美福門院に協力しつつ保元の乱では圧倒的な勝者となったものの、平治の乱では後白河上皇と二条天皇のパワーバランスの中で両者の共通の敵とされ謀反の刃に倒れた信西、
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崇徳上皇を立てて保元の乱を戦ったもののある意味予想通りに無残な敗北を期した北家藤原頼長といった難しいキャストについても、説得力のある雰囲気がムンムンですよね。その世界を十分に堪能させてもらいました。
この辺りは、以前、別の旅行記でもまとめているので、参考まで。
https://4travel.jp/travelogue/11034915 -
ほか、花街の
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イチオシ
花魁とか
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ベネチアのカーニバルかな。
こんなのも見事。人形はあくまで想像力に基づくものなんですが、逆に忠実な写実では真の感動は生まれないのもまたしかり。デフォルメしつつ、いかにより真実に近いリアルさを醸し出すかが腕の見せ所です。
ちなみに、仏像の世界でもそれは同じ。快慶・運慶は写実的なリアルさが特徴とされますが、それは正確な説明ではない。実はイマジネーションを自由に働かせることで、よりいっそうリアルな姿に近づいているのが本当にすごいところなんです。 -
イチオシ
さて、旧市街はこれでおしまい。
三次駅の方に戻ります。 -
もう少しスイーツチェックもしましょう。
これは松屋。 -
柿しぐれというのは、干し柿と白餡のお菓子。しかし、ちょっと重そうですよね。これは、広島市内のひろしま夢ぷらざにも置いてあると聞いて、そちらで買うことにしました。
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カドーは、交差点角に建つからカド―かな。駐車場も広いし、建物も立派。活気のあるパン屋さんです。
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カレーパンをいただきましたが、少し甘い系のルーは子供とかも意識した味でしょう。おやつみたいに食べるニーズにもあっているように思いました。
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そして、昼飯は空。警察署の通り沿いにある人気のお好み焼のお店です。磨きこまれた鉄板やお好み焼きを丁寧に焼く所作とか拝見するとなんか神経質そうな大将ですけどね。
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麺は少し細めの柔らか系。ねぎがたっぷり乗っていて穏やかな味わい。麺をパリパリ焼いたお好み焼もありますけど、私はこういうのが好みですね。いいと思います。
なお、三次の名物、辛麺で焼くのもあるそうでしたが、まあ、それはまたの機会にしたいと思います。 -
さて、後半は三次市の郊外。南部のみよし風土記の丘を目指しつつ、マイナーな遺跡巡りです。
まずやってきた日光寺住居跡は、道端の茂みの中に案内板が立っているだけ。説明によれば、古墳時代(6世紀後半)の住居跡。一辺が4~5mの方形で、地面を40㎝掘り下げた竪穴式住居。土師器,須恵器なども発掘されたということ。ただ、竪穴式住居は縄文時代だけではなくて、延々と平安時代まで使われていますから、古墳時代なら当たり前の住居です。 -
花園遺跡は、国の史跡。弥生時代中期から後期に作られた墳丘のある方形台状墓2基、溝で区切られた方形周溝墓6基が見つかっています。通りから階段を上がって
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丘の上のような場所一帯。
石垣の上が平らになっていますが、ただ、たぶん、この石垣はちょっと出来過ぎ。後世のものじゃないのかなあ。平たい場所に自然石がありましたが、それはかつてのものかなあ。全体の形状がなんとなくわかるようなわからないような。微妙な遺跡です。 -
すぐ近くに、三次人形窯元もありまして。道路から見える場所に三次人形の説明板。説明によれば、その起源は寛永の頃。三次藩主、浅野長治が江戸浅草の人形師を連れ帰り、忠臣君子の像を作らせ、家臣に子供ができるとお祝いの品として贈ったとありました。今では、初節句のお祝い品とか。
買い求めるのであれば、三次本通りの松本玩具店のようですが、あいにくそれは気が付きませんでした。残念。 -
下本谷遺跡は、さらに進んで。通り沿いに小さな看板があって、そこから丘の上に上ったところ。小さな公園のような範囲です。
案内板があって、遺跡は、奈良時代から平安時代の三次郡衙の庁院部や工房跡が発見されたようですね。ちなみに、郡衙であれば、府中町の下岡田官衙遺跡が国の史跡。対して、こちらは県の史跡。案内板をよく読むと「三次郡衙と推定される」としてあって、そこがちょっと引っかかったのかもしれません。 -
みよし風土記の丘を目指していますが、けっこう遠いですねえ。
ちょっと不安になりながら、ペダルをこぎます。 -
やっと到着かな。芝生の広場には、埴輪を配した墳墓のデモンストレーションモニュメント。
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なるほど、なるほど。このほっこりした感じ。
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古代へのロマンをかきたてて、いいですねえ。
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イチオシ
ただ、あんまりこれといったアングルが決まらないんですが、まあ、こんな感じかな。
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さて、みよし風土記の丘についてですが、ここは、古墳時代中期~後期(5~6世紀)の古式群集墳で、国の史跡に指定された「浄楽寺・七ツ塚古墳群」の周辺に整備された史跡公園。
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広島県立歴史民俗資料館から眺めた一帯の芝生の丘陵もゴルフ場みたいに美しいです。
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では、さっそく広島県立歴史民俗資料館へ。
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ここが入口ですね。
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展示内容は広島県全体を解説するもの。
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三次で発見された旧石器時代の石器から始まって、弥生時代については、後期の広島は、出雲の影響、吉備の影響、西からの影響と三つの文化圏の接するエリアだったという説明も興味深いものでした。
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また、鉄製の武具である短甲や
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矢じり、
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剣、刀とかも珍しいのではないかと思います。
鉄器について少し付言すると、日本に鉄器が入ってきたのは稲作文化と同じ時期。中国でもそうでしたが、春秋時代に始まった鉄器文化は武器としてよりも農具などの日用品の利用が主でした。秦の時代の剣も青銅製です。たぶん、日本も優先は農具や工具なんかじゃなかったんでしょうか。鉄器は当初は朝鮮半島からの輸入でしたから、貴重なもの。国内で生産されるようになるのは古墳時代の中期、6世紀頃であり、鉄が武器で使われるようになるのは、それなりに生産力が高まってからではないかと思います。
ちなみに、聖徳太子の頃もそうですが、大和政権は朝鮮半島とのつながりが深くて、その足掛かりをとても重視していました。その背景には、鉄の確保も大きな理由のひとつではなかったかと思います。 -
みよし風土記の丘から、今度は三次ワイナリーを目指します。
まず見えてきたのは、みよし運動公園。 -
ナイター設備の整った立派な野球場とかもあって、かなり本格的な運動公園ですね。子供向けのエリア「あそびの王国」なんかも家族連れで大賑わいでした。
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同じエリアにある奥田元宋 小由女美術館です。これも今回楽しみにしていたんですよね。
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日本初、夫婦で文化勲章を受賞した日本画家、奥田元宋と人形作家、奥田小由女の共同の美術館なんですが、
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常設展示では、奥田元宋の日本の四季をモチーフにした心象風景的絵画とメルヘン的で鮮やかな色調の小由女の創作人形たちが圧巻。奥田元宋の画はどれも大作で氏の代表作といっていいものばかりが揃っていて、間違いなく一見の価値あり。銀閣寺の襖絵もいいですが、やっぱりこうして大きな作品を大きな展示室で拝見するとまた格別ですねえ。
一方の小由女の創作人形は、これまで馴染みがありませんでしたが、思想的な匂いや宗教的な匂いがまったくしなくて、それが逆に新鮮。独特の世界観に圧倒されました。 -
イチオシ
このロビーからの風景は奥田元宋の作品の世界を再現するもの。池の水面に映し出される月の姿を見ることができるという設計です。
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トレッタみよしも同じエリア。
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いろんなおみやげ品を置いていて道の駅のような感じですね。
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産直コーナーも充実。瑞々しい地元産の野菜が豊富で、ついついピーマンとかししとうなんかを大量買いしてしまいました。
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トレッタみよしの隣りが広島三次ワイナリー。
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ワインの醸造所なんですが、ワインに興味がなくても開放的な雰囲気がいいので、こちらも道の駅のような感じで楽しめます。
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お土産物の類だとお菓子類になるのでしょうが、特に干しブドウの種類がいろいろあって、私はそれをお土産にしました。ほか、トマトの干したのがあって、それもおいしかったです。
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三次ワイナリーから三次駅に帰りますが、その途中にもう一軒。
三上貫栄堂は、三次の銘菓、洋酒ケーキのお店です。 -
びしょびしょになるくらいに洋酒で浸されているのですが、お酒のきつさはほとんど感じないかな。どっちにしても濃厚な甘さがケーキのおいしさを引き立てていて、それは上下のくにひろ屋の洋酒ケーキと同じタイプですね。ただ、敢えて二つを比べるとこっちの方がもう少しキレがあるタイプなのかなと思います。
さて、これで三次はおしまい。お疲れ様でした。
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