2021/09/25 - 2021/09/25
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武田山は、広島市安佐南区祇園。広島市の郊外といった場所ですが、ここは安芸守護の流れを汲む武田氏の居城、銀山城があった山。毛利元就に滅ぼされるまでは中世を通じて長く安芸国の政治・経済の中心だったところであり、武田山という名前もその武田氏から付けられたものですが、やはりいち時代を築いた武田氏へのリスペクトも多少はあってのものかもしれません。
標高は、410.5m。下祇園駅から山頂までは憩いの森経由で約1時間半。憩いの森まででもけっこう時間がかかりますね。頂上は大きな石がむき出していて、その上に立つと太田川や祇園の市街地、遠くは広島湾までが一望。大きく開けた視界は、なかなかに痛快な眺めでした。
改めて、銀山城の武田氏ですが、家系は清和源氏の一流である河内源氏の一門、源義光を始祖とした甲斐源氏が宗家。安芸国の武田氏はその分派。承久3年(1221年)の承久の乱の後、甲斐武田氏の第5代当主、武田信光は、鎌倉幕府から恩賞として、安芸守護に任ぜられ、古代山陽道と瀬戸内海に面した安芸国の流通・経済の中心地だったこの地を与えられます。
城を山上に構えたのは、鎌倉時代の末期。南北朝時代には、甲斐武田10代武田信武が足利尊氏に属して戦功を上げ、改めて、甲斐国と安芸国の両守護に任命されました。戦国期に入ると安芸国は、勢力を拡大し安芸に進出しようとする大内氏との攻防の舞台に。永正14年(1517年)、尼子氏と通じ大内氏からの独立を目指した武田元繁と大内氏側の毛利・吉川連合軍が戦った有田中井手の戦いでは当主であった武田元繁が討死。武田家は守護から分郡守護、毛利家は地頭からの流れですから、やや下剋上っぽい。後に西の桶狭間と呼ばれる戦いです(ちなみに、この戦いは元就の初陣です)。この戦いにより、武田氏の衰退は決定的なものに。そして、天文9年(1540年)から翌年、吉田郡山城の戦いにおいて大内氏に組し尼子軍を撃退した毛利元就は、ほどなく銀山城を攻め、遂に武田氏は滅亡。城は大内氏側のものとなりました。そして、その大内氏も陶氏の下剋上で滅亡。天文23年(1554年)、毛利元就は陶氏との決戦である厳島の戦いの前哨戦として佐東銀山城を攻略。銀山城は毛利の支配下に。なかなかの攻防ですが、安芸国の名門、武田氏が隣国の大内氏や尼子氏に翻弄され衰退していく一方で、豪族のひとつに過ぎなかった毛利氏の下で安芸国が中国地方の中心となっていくというのはちょっと皮肉なことかもしれません。
さて、城跡はさほどはっきりとは残っていませんが、山頂は予想外に広々としていて、むき出しになった巨石とかにもそれなりの雰囲気が感じられなくもない。眼下に太田川から祇園の市街が眺められる景色を見ても、自然と安芸国支配という城の元々の役割が感じられると思います。登山者が割と多いのも分かるような気がします。
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広島市街中心部から、自転車で武田山に向かいます。
今日はいい天気ですからね~ -
下祇園駅から、まずは憩いの森に向かいます。
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イチオシ
山裾の集落を抜けていくんですが、
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それなりの上り坂だし、
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イチオシ
なんかけっこう遠いですねえ。
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広島市街からのことを考えるとここに来るまででだいぶ体力を使っているような気がします。
これからが山登りなんですけどねえ。 -
やっと憩いの森に到着。自転車は、ここに停めて、ここからが山登りですよね。
駐車場があって、車も何台か停まっていました。先に登っている人が何組かいるようです。 -
すぐに突き当りで、案内板がありました。
正面に続く近道を行ったんですがそれはちょっとひどい道。やっぱり引き返して、少し遠回りですが右手の本道の方に向かいました。 -
階段が続いていて、これなら行けそうです。
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どんどん
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どんどん
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上がって行きますよ~
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うーん
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ただ、なかなか遠いじゃないですか。
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あ、分岐点のようです。
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山頂は左ですか。
ただ、ここでもまだまだ序の口だということが分かって、気が萎えそうですね。 -
しかし、道は意外にしっかり。
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さらに急になってきたようにも思いますが、
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道がしっかりしているので、
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それに勇気をもらって進みます。
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粘り強く登って行けば必ず頂上にはたどり着けますからね。
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少し下界が眺めれる場所。
それなりには上がってきてますよね。 -
あ、少し広い場所に到着。
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馬返しですか。
しかし、説明によれば、ここからさらに険しくなるってことのよう。。
ただ、ここで引き返すことはできませんね。 -
覚悟を決めて、次の目的地御門跡を目指します。
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さてさて、
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途中に道しるべもあったりしますけど、
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いや、これはほとんど一本道でしょう。
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道ははっきりしていて、迷うことはない。
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とにかく
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ひたすら信じて進むのみです。
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あらら。
岩場が現れましたけど -
それを越えると
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イチオシ
そこが御門跡でした。
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案内板があって、
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ここからは下界がはっきりと見えています。
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しかし、ここで気を許すわけにはいかないかな。
一気に頂上を目指しましょう。 -
あと千畳敷まで180mと書いてありましたからね。
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がんばれ、がんばれ。
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なんとなく到着かな。
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あ、千畳敷ですね。
これが頂上?
しかし、これを目指してきたのなら、ちょっとがっかり感がなくもないですよ~ -
まだ先があるのかな。
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さらに登っていくと
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あ、あ、あ。
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イチオシ
これですね~
大きな石がむき出しになって、見晴し台がありますよ~
宮島の弥山も山頂に大石がありますけど、ここも同じですね! -
イチオシ
正面の市街は、祇園かなあ
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下流は瀬戸内海というか広島湾。
少し前に登った三滝山と比べるとだいぶ内陸なんですが、それでもこんなに近いんですね。 -
これは、銀山城の説明版。
甲斐武田氏の第5代当主、武田信光がこの地を与えられて以降、毛利元就に銀山城が落とされるまで、ここが300年に渡って安芸国支配を進めようとした武田氏の拠点であったとありました。 -
イチオシ
岩場をゆっくりと
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降りていきましょう。
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でも、まあ、そんなに危険でもないですね。
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むしろ、大きな石は木々を遠ざけてくれているので
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見晴しの良さを維持する役割り。
よろしいかと思います。
さて、これで任務完了。元来た道を帰りましょう。 -
祇園大橋を渡る直前、来る時に気になっていたお店がありまして。
おこわ よしきに寄ってみます。可部街道に面したお店です。 -
で、この季節ならではの栗のおこわをテイクアウト。
ふっくらいい感じなんですが、おこわのナショナルチェーンはいくつかあって、けっこうレベルが高い。それに慣れているとここはむしろおとなしい味に思えてしまうかな。こんなところでおこわの専門店は珍しいと思いますが、なかなか難しいものだなあと思います。 -
そして、昼飯はマルベリーという横川本通りの中ほどにある洋食屋さん。ふと目に留まって入ってみました。
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オーナーシェフの上品な趣味が感じられる落ち着いた店内。カウンターで特製ハンブルグステーキをいただきました。アルミホイールで包み焼きしたハンバーグはデミグラスソースで優しく味付け。私にとっては、こんな感じが程よいですねえ。
一方で、鉄板焼き風の野菜炒めは塩コショウの濃い味。こっちは若い人向けを意識したような感じです。
さて、武田山の旅は以上で終了。お疲れ様でした。
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