1979/02/17 - 1979/03/04
4427位(同エリア9843件中)
しぶちんさん
この旅行記のスケジュール
1979/02/18
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飛行機での移動
アンカレッジ国際空港→シャルル・ド・ゴール空港
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飛行機での移動
シャルル・ド・ゴール空港→ブリュッセル国際空港→ヒースロー空港
1979/02/19
1979/02/24
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電車での移動
ブリュッセル経由でアムステルダムに移動。
1979/02/26
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遠征記念碑
1979/02/28
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この旅行記スケジュールを元に
今回は、自身の旅の原点ともいえる学生時代の欧州旅行記を紹介します。
高校の時の悪友K(以下「K」)と約束し、参加したこのツアー。参加者の投稿が地球の歩き方の発刊(同じ年の初夏の頃?)につながった大学生向けツアーで、我々の場合は、ロンドンで解放され、30数日を自由に過ごしてパリに集合するという旅行でした。
当時は、まだ東西冷戦期だったので西側10カ国を巡りました。自由旅行期間中は、各自、トーマスクック時刻表を片手に、大陸では30日間のユーレイルパスを利用して移動し、宿は到着駅のインフォメーションで確保するという形態です。
また、お金もトラベラーズチェックに換えて持っていく時代で、各国とも通貨が違うので、宿泊地に着くたびに駅の両替所で現金化しました。(当時のレートは1ドル220円位)
劣化した紙焼き写真のデジタル化には苦労しましたが、旅行記作成に当たり、Kの協力も得られたので、旅行中の日記とともにお届けします。
※40年以上前のことですが、同じツアーに参加された方がいらっしゃれば、近況などをお聞かせ下さい。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 船 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
PR
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2月17日、JL1427便で成田を出発。チャーター機のようで、給油のため沖縄まで行った。その後、アンカレッジに着く。免税店は日本のおばちゃんみたいな人たちが働いていて、外国の感がない。天候は良好で、離陸後に見た「マッキンリー山」や「ユーコン川」など、下界の眺めは最高だった。
成田空港第1ターミナル 空港
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2月18日(日)
北極圏を経て、パリ「ドゴール空港」に18日の朝8時過ぎに着陸。霧に覆われ視界は0に近い。ここから、自分たちだけで乗り換え、ベルギーのブリュッセルを経由しロンドン・ヒースロー空港に到着。
初めての飛行で思うことは、機内食のまずさのみ。あと、ベルギーでのセキュリティーチェックで引っかかったのにはまいった。
ロンドン市内は思いのほか汚い。これはストのせいだけではなく、日本の文明生活に慣れてしまったのでそう思うのだろう。日本の現代からみれば、街並や車を見てもロンドンは戦前の感がある。
ここは日本人が多く、ピカデリーサーカスの北のソーホーにある歓楽街には特に多かった。この日は、ピカデリーサーカスからトラファルガー広場を経て、国立美術館を見た。
この日からロイヤルナショナルホテル2泊。
食事:昼 ローストビーフと野菜 1.5£
夜 フランクフルトとトマトサンド 1.8£
2月19日(月)ロンドン 曇
今日、一つだけ大きな収穫があった。大英博物館で、古代エジプトのミイラを目の当りにできたということは、生涯最良の日といっても過言ではないだろう。それにしても、思っていたより数が多かったし、色彩も素晴らしかった。今日といい昨日といい英国の博物館、美術館のスケールには驚く。
中華料理は高い。中国人向けのもので、日本人向けメニューは数えるほど。しかもバカ高い。だから米やラーメンを食べたくはあるが、ついついマクドナルドやウィンピー、ピザランドといった軽食を食べてしまうのだ。
昼 ピザパイ、コーラ 1.25£
夜 ハンバーガー・フィレオフィッシュ・コーヒー 0.77£
(写真:シャルルドゴール空港での乗り換え時にKと)シャルルドゴール空港 (CDG) 空港
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2月20日(火)ロンドン 曇
今日は、朝、ビクトリア駅にリュックを預けリージェントパークを見てまわった。一角にあるロンドンZOOで時間を潰し、そのあと、世界の有名人の蝋人形を一堂に集めた施設「マダム・タッソー」に行った。
その後映画など見て表に出ると、すでに18時半頃。それから宿を探すことになり、当たりをつけていたHolland Houseに行ったが、満室で断られた。少々がっくりしながらビクトリア駅に戻り宿を紹介してもらったが、宿泊代が10£(当時1ポンドは400円)と学生の身には破格の値段になってしまった。
昼 ハンバーグ・卵・ポテトのセット、ハムサンド、コーヒー 1.56£
夜 ステーキ・卵・ポテトのセット、パスタ、ビール 2.8£
宿泊:ホテルジョージ(Templeton Place, London SW5)ツインマダム タッソーろう人形館 テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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2月21日(水)ロンドン 曇
今日は昨日の轍を踏むまいと、朝しっかりと近くのユースの場所を確認してから出かけた。ビクトリア駅に行き、昼食を摂り、明晩の列車と船の切符を買うと時刻は午後3時を回っていた。急いで地下鉄でロンドン塔とタワーブリッジを見に行った。
(写真:タワーブリッジの袂からロンドン塔を望む)タワーブリッジ 建造物
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霧のテームズ川に忽然とそびえるタワーブリッジは他のロンドンの何物にも増して素晴らしく目に映った。(写真:ロンドン塔脇から撮影)
ロンドン塔 建造物
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夜、YHではオーストラリア人のピーター青年と話すことができた。不愛想な外人も多いが、彼は一見して人懐こく優しい目をしていて、英語もゆっくり丁寧に話してくれてとてもありがたかった。今回の旅は、人の出会いというものの大切さを教えてくれる。
昼 マッシュルームピザ、紅茶 1.05£
夜 チキンカレー、フィッシュ&チップス、ビール 2.6£
宿泊:YHA ロンドン アールズコート 3.1£
YHA ロンドン アールズコート ホテル
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2月22日(木)ロンドン 雨のち晴
今日はロンドン最後の日である。朝のうち雨が降っていたが、YHの人がこれを「That is London」と言った。この雨もすぐに上がり、バッキンガム宮殿に着く頃には寒さも和らいできた。ここでDST50日間の人たちと会い、一緒に写真を撮った。
「おいちゃん」(自分たちのツアーの参加者)とも会ったが、かわいそうに彼は胃潰瘍で旅程をこなせなくなり、明日、日本に帰るのだそうだ。彼とともに昼食をとり、絵はがきを送る約束をして別れた。俺たちも体だけは気を付けようと改めて思った。
その後、ウエストミンスター寺院に行くと、先ほどのDSTメンバーの女の子とまた会い、一緒に拓本をとって記念にチョークを半分もらった。この夜、オーステンドに向かうべく20:44の列車でロンドンを後にした。
昼 チキンピザ、紅茶 1.05£
夜 ?
宿泊 船中泊バッキンガム宮殿 城・宮殿
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2月23日(金)ベルギー ブルージュ 曇
ブルージュに降り立ったときは寒くて外に出られないし、夜明け前で暗かったので、駅の待合室に3時間以上も仲間4,5人でたむろしていた。そこで土地の人と会話したが、フランス語なのでよくわからなかった。けれど開き直って英語で話したら向こうも片言の英語で返してくれた。面白いおじさんだった。
ブルージュ駅 駅
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ブルージュという街は、話には聞いていたが美しい街だった。運河には氷が張り、鳥がその上を歩いている。そんな風景もさりげなく美しいし、運河にかかる橋もそれぞれ趣がある。
ブルージュ歴史地区 旧市街・古い町並み
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そして鐘楼から美しい鐘の音が聞こえてくると、まさに現実から逃避した夢の中の出来事のようだった。
宿泊:マルクト広場を臨むホテル 一人360B.Fr(4人部屋に5人で宿泊)
(写真:ブルッヘの鐘楼の上で)
昼 ホットチョコレート 30B.Fr(1B.Frは約7円)
夜 ステーキ 220B.Frベルギーとフランスの鐘楼群(ベルギー) 史跡・遺跡
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2月24日(土)オランダ アムステルダム 晴
昼頃の列車でブルージを出発、ブリュッセルに向かう。車内では友人Kと旅仲間のTさんと一緒にベルギー国鉄の車掌と話をした。Kなどは、帽子と切符切りを貸してもらい、写真を撮ってもらっていた。ブリュッセルで昼食をとってアムステルダムへ向かった。ベルギーは美しい国ではあったが、物価がとても高かった。しかし、機会があれば訪れてみたい国の一つである。
夕方、アムステルダムに降り立ち、一目でイメージがかき消されてしまった。麻薬を売る黒人や飾り窓と、チューリップや風車とをどう対比させるべきだろうか。アムスの街の雰囲気は一種異様なものがあり、地球の外れ、掃きだめといった言葉を連想させる。
この日は、ドミトリー形式の宿に、ここで知り合った日本人と合計6人で泊まり、盗難されないようにつねに気を配りながら眠った。
昼 パスタ、紅茶 115B.Fr
夜 ツメニューメニュー 13D.GL(1D.GLは約102円)
宿泊:ボブス ユースホステル 13D.GL -
2月25日(日)アムステルダムからコペンハーゲン 晴、曇
オランダ風のチーズ、ハムを挟んで食べる朝食を摂り、トラムに乗ってアンネフランクの家を見に行った。家具、調度の類いはゲシュタポに持ち去られ、今はバックハウスをカモフラージュするための本棚やキッチン、アンネが当時貼ったと思われる雑誌の切り抜きが部屋に残っているのみであるが、ここでの不自由な生活が忍ばれ、別の意味での戦争の悲惨さに身を震わせた。
アンネ フランクの家 建造物
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今夜の夜行でコペンに行くまでの間に、北海を見にデンヘルダーへ行ってきた。そこでは、オランダはまさにダムの内側の国であることが確認できた。土地よりも高い海面には流氷がゴツゴツとぶつかり合う様子が見られ、自然の大きさに改めて感服した。
昼 ローストビーフ 4.5D.GL おやつ 5.1D.GL
夜 ポテト 1.3D.GL 夜食 8D.GL
宿泊:車中泊
(写真:列車内でハイネケンを味わう) -
2月26日(月)コペンハーゲン 曇
デンマークに入ると、まだ夜明け前であるというのに、雪明かりで周りの景色ははっきりと見え、冷気のせいで眠気も全然なかった。RODOBY FERRYからコペンまでの2時間の間、ただ一面の銀世界と、そこに遊ぶウサギや鳥、時折通過する雪に埋もれた家々、そして凍結した海であった。コペンに着いて、まずホテルを探しにインフォメーションに行った。どこの都市でもそうであるが、インフォメーションの人の親切さには驚いてしまう。日本の役所とは大違いである。ホテルに着き、荷を置いて悪友Kと人魚姫を見に行った。
(写真:人魚姫の像を探す途中で見つけた遠征記念碑) -
ユーレイルパスの効く郊外電車を利用し、ウスターポートという駅で下車。しばらく公園の中を歩いて港に出る。風が身を切るようである。
(写真:人魚姫の像近くの氷上で) -
人魚姫は港の一隅に氷雪に打ち震えるように、ただ一つぽつんとあった。それは、アンデセンが生前この国で受けたごとくの冷遇でもある。実際(春~秋)は、海に入らなければ到達不可能と思われるが、幸い海が凍っていたのでその像に触れることができた。
人魚姫の像 モニュメント・記念碑
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コペンまで来ると日本人の姿は余り見ないのだけれど、あちこちカタカナ、漢字、ひらがなで、○○(=「青い」を英語で)フィルムショーとか書いてあるのには興ざめしてしまった。日本人の進出ぶりも大したものだと、ほとほとあきれてしまう。
昼 ホットドッグ4個 16Kr(1クローネは約40円)
夜 焼き肉 18.75Kr
宿泊:HOTEL ABSALON 60Krアブサロン ホテル ホテル
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2月27日(火)ハンブルク 曇
旅も中頃になると、当初の目的というものが薄れ、中だるみ状態になってきてしまう。ただ行ってみたいという漠然とした気持ちに引きずられて回っている、そんな気がし始めた。ハンブルクに降りたときも、なぜこの街なのか疑問に思った。西ドイツ最大の港町であるというのだが、海は見えないので実感がわいてこない。ただ、ドックに停泊する船の明かりで、夜は非常に鮮やかな色彩になるのが、見物であった。(写真:ビスマルク像)
昼 ハンバーガー 1.9 DM(1ドイツマルクは約80円)
夜 ユースの夕食 3.8DM
宿泊:ユースホステル 18.5DM(ハンブルク)アルター エルプ公園 広場・公園
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2月28日(水)ハンブルク 晴
今日はブレーメンに行ってきた。ハンブルクからはTEEに乗って1時間。ここは、童話の舞台にふさわしく、街のあちこちに動物の像があった。我々は、それに出くわすとにわかにカメラを取り出し、写真を撮るのである。ゼーゲ通り 散歩・街歩き
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古きよき時代の面影を残した建物は、マルクト広場の周囲に少しばかりあるだけだが、その周囲には現代風の赤煉瓦で作られたビルや歩道が広がって、とてもファンタジックな感じがする街だった。マルクト広場で食べたブラートブルストの味が忘れられない!
昼 ソーセージとパン 2本 4.0 DM
夜 ユースの夕食 3.8DM
宿泊:前日に同じブレーメンの音楽隊像 モニュメント・記念碑
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3月1日(木)フランクフルト 晴
11:40発のICでフランクフルトに向かった。ライン川の景色を期待していたのだったが、ハノーバー回りで見ることができず残念であった。車中では、このおじさんに「君たちは日本人か?」と声をかけられ、「そうです!」と答えると、ヨーグルトをごちそうしてくれた。日本人を信頼している様子で、別れ際に「今度戦争をやるときは、イタリア抜きでやろう!」と言ってくれた。他にも、「エスキモーか?」と聞いてくるおばあさんなど、フレンドリーに話しかけてくれる人が多かった。 -
16:30頃フランクフルトに着き、ユースホステルを訪ねた。日本人の洪水!しかし同室の早稲田の人には驚いた。英語、ドイツ語ともにかなり行けるらしい。余りにペラペラすぎると反感を覚えるが、彼くらいなら追いつける感じがして「ほー!」と溜息をついてしまう。彼が誘ったドイツ人とザクセンハウゼンの酒場「ダウスシュナイダー」に行った。ドアの外と内、扉一つ隔てると別世界。アコーデオンを奏で、大声で話し、酒を食らう。その賑やかさといったら日本人の比ではないが、どこか親近感が湧く光景だ。なるほど、ここにも日独の共通点みたいなものが見いだせた。ほろ酔い加減で気持ちのよい夜を過ごした。
※この日会った早稲田の人、名前を聞かなかったが、甲高い声でマスコミを論じていて、今思い出せば「辛坊治郎」さんじゃなかったのかと思う。機会があれば、1979年3月1日にどこにいたかを聞いてみたい。
昼 パン、ハム、チーズ、りんご、ヨーグルト 7DM
夜 ユースの夕食 4.8DM
宿泊:ユースホステル(フランクフルト) 10.5DM
(写真:翌朝ゲーテハウスのところで撮った写真)ゲーテハウス 博物館・美術館・ギャラリー
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3月2日(金)フランクフルト 晴
フランクフルト中央駅11:19発の列車でハイデルベルクに向かった。およそ1時間で到着。液から旧市街までは直線で、お城も目に見えたのだが、意外と距離があり、疲れた。城からの眺めは最高だったが、何十人もの日本人観光客に会ってうんざりしてしまった。
YHで知り合った人の話では、ローテンブルクには日本人がいないとのこと。ゆっくりしたなぁと思い、行くことにした。ギリシャにも行きたかったが、日程も詰まってきたので諦めた。
(写真:ハイデルベルク駅前でお願いして撮った写真)ハイデルベルク中央駅 駅
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ドイツの山間部は、日本と違い傾斜が緩やかで、谷も広い。そして、山と山の間には、大きな川が流れて、白い壁と赤い屋根を持った家々が集落を形成していることが印象的だった。
昼 昨日のお昼の残り
夜 ユースの夕食 4.8DM
宿泊:ユースホステル(フランクフルト) 10.5DM
(写真:ハイデルベルクからの帰りの車中でおしゃべりした母娘) -
3月3日(土)ローテンブルク 曇・雨
人がいないというのでローテンブルクまで来た。が、今日は土曜日なので、日本人はおろか外国人観光客が大勢いた。この街がそんなに有名だとは考えてもみなかった。確かに、現在にこんな場所があるとは信じられないほど、中世を感じさせるし、城壁の外側は自然豊かな丘陵と谷に囲まれた集落である。
夕方、日大生を乗せたバスが広場近くのホテルの前に止まり、30人ほどの学生が降りてきた。思わず、「帰れ!」というシュレヒコールが湧き上がった。
YHでは、DSTの50日コースの女子1人と別コースの男子2人と一緒になった。ドイツ人カップル2人とも知り合いになり、街中に出て皆でビールを飲み大いに盛り上がった。
(写真:ユースホステルで同宿の人たちと)Jugendherberge Youth Hostel Rothenburg Ob Der Tauber ホテル
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YHに戻ってからも写真を撮り合い、とても楽しい時を過ごした。
昼 ハンバーガー、ポテト、コーラ 4.5DM
夜 ビール 5DM
宿泊:ユースホステル(ローテンブルク) 8.1DM -
3月4日(日)ローテンブルク 曇・雨
今日は、YHが11時から19時まで閉まるというので、1日中を街中を散策することにした。9時半頃、明日のバスの時間を調べがてら、昨日一緒になった女の子を駅まで送り、待合室でトランプに興じた。彼女と別れてから昼飯を食べ、城壁の内側の回廊を伝わりながら歩くと、1時間ほどで街を一周してしまった。街の小ささを実感した。
夕方、またまた日本人観光客がバス2台で乗り込んできた。この街のことは旅行ガイドに載せるべきではないと考えた。そうこうするうちに雨になり、すっかり濡れ鼠になってしまった。宿が開くまでは、空腹で惨めな気持ちになったが、シャワーを浴び、夕食で食べたドイチェビーフステーキのおいしさに、その思いは消え去った。
昼 フランクフルト、ポテト、コーラ 5.5DM
夜 ドイチェビーフステーキ、チキンスープ、サラダ、ポテト、ビール 9.5DM
宿泊:ユースホステル(ローテンブルク) 6.3DM
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YHA ロンドン アールズコート
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アブサロン ホテル
3.33
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旅行記グループ 1979年2~3月 ダイヤモンドスチューデントツアー 欧州40日間
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