2021/09/08 - 2021/09/08
1212位(同エリア3577件中)
hijunoさん
- hijunoさんTOP
- 旅行記546冊
- クチコミ1181件
- Q&A回答0件
- 578,577アクセス
- フォロワー61人
昨年9月の旅行記です。
本阿弥光悦で有名な光悦寺へ行きました。
1615年、徳川家康が鷹峰三山を見渡すこの地を本阿弥光悦に与えたそうですが、もともとこの土地は追いはぎや辻斬りなどがあった危険な土地だったようですが、光悦はこの地に家族や工芸の職人と共に生活を構え住んだそうです。
ここは後に芸術村となります。
この一帯を鷹が峰光悦町と呼びます。
光悦の死後は日蓮宗のお寺になりました。
本阿弥家は代々刀剣鑑定を営む家業があり、光悦は陶芸、書道絵画、蒔絵、彫刻と多岐に渡って創作活動を行っています。
また、茶道においても有名で、光悦寺には七つの茶室があり、庭園と美しく調和しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
光悦寺に到着しました。
駐車場から入口を探します。 -
正面入口から入る石田畳の部分は撮影禁止になってました。
こちらは、駐車場から入口に向かうところ。
こちらも石畳が美しかったです。 -
本堂の前に来ました。
このあたりでチケットを買います。 -
苔むした石積みなどもあり、歴史を感じさせます。
-
青もみじもだんだん色づいてきている様子。
-
茶室三巴亭。
1921年に建てられた数寄屋づくり。
庭園内に茶室は七つあります。 -
庭園を忘れてしまいそうなくらい、ぐんぐん植物が茂ってます。
先が良く見えないので、ちょっとドキドキしてしまいます。 -
椿の実でしょうか。
-
もう、樹々によっては紅葉が始まってました。
-
茶室大虚庵。
1915年に再建されたもの。
ここは光悦終焉の地だそうです。 -
竹垣は光悦垣、または臥牛垣と呼ばれるもの。
だんだんと高さが変わる特徴ある竹垣です。 -
とても美しい竹垣でした。
-
モニュメントがありました。
-
本阿弥光悦の墓所があります。
-
本阿弥光悦、1558年〜1637年。
書家であり、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人といわれているように
多岐に渡っての芸術家です。
北洛の地に光悦村という芸術が集結したような場所をつくりました。 -
本阿弥光悦がこの地を徳川家康より与えられたことについての理由は様々あるようですが、夫は、「家康が徹底的に豊臣家を滅ぼし、そのやり方に憤慨した光悦を家康がなだめようとこの土地を与え、光悦はこの土地を気に入り、大変喜んだ」と主張しておりましたが、光悦が天皇家と強い結びつきがあり、それを恐れた家康がこの不便な土地に光悦を住まわせた、、などという説もあるようですが、真偽のほどはどうでしょう。
夫は徳川家康が大好きなので、本やらDVDを観ていますが、何しろ、熱く語ってました。(-_-;) -
休憩もできるところもあり、
-
臨む山々の説明。
-
イチオシ
遠くを見渡せます。
その昔は治安が良くなかった場所といわれています。
山々にも囲まれ、不便なこともあったでしょう。。
しかし、アーティストさんたちにとっては、仕事のしやすい場所だったのでしょう。 -
イチオシ
身を乗り出しそうになります。
-
紅葉の時期はまた素晴らしい風景になるでしょう。
-
茶室本阿弥庵。
-
イチオシ
小さな赤い実が可愛いです。
-
茶室了寂軒。
-
こんな広大な庭園を手入れしていくのは大変だろうなぁ~と思いながら歩きました。
-
もう、ここはオレンジに。。
-
ススキも。
空気も澄んでいます。 -
苔の様子も美しかったです。
-
礎石でしょうか。
-
あちこち、自然な美しさと手入れされた美しさが一緒になって、
広い庭園を堪能しました。 -
イチオシ
入口あたりにありました。
-
説明。
ここから先はうっとりするように美しい光景ですが、
写真撮影禁止になっていました。
石畳、苔、青もみじ、脳裏に焼き付けました。
何度も往復して歩いてみました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
hijunoさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
今出川・北大路・北野(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
32