銀山城は、安芸守護、武田氏の居城。武田氏は、承久3年(1221年)の承久の乱の後、恩賞として、古代山陽道と瀬戸内海に面した...
続きを読む安芸国の流通・経済の中心地だったこの地を与えられます。
城を山上に構えたのは、鎌倉時代の末期。戦後期には、安芸に進出しようとする大内氏との攻防の舞台。永正14年(1517年)、尼子氏と結んだ武田元繁と毛利氏が戦った有田中井手の戦いでは元繁が討死。天文9年(1540年)から翌年、吉田郡山城の戦いにおいて大内氏に組し尼子軍を撃退した毛利元就は、間もなく銀山城を攻め、武田氏は滅亡。城は大内氏のものとなりました。そして、天文23年(1554年)、毛利元就は厳島の戦いの前哨戦として佐東銀山城を攻略。城は毛利の支配下に。なかなかの攻防ですが、それだけ安芸の国では重要な地であったということでしょう。
城跡はさほどはっきりとは残っていませんが、山頂の巨石とかにはそれなりの雰囲気も感じられなくはない。眼下に太田川から祇園の市街が眺められる景色を見ても、自然と安芸国支配という城の役割が感じられると思います。
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投稿日:2022/01/03