2019/06/11 - 2019/06/11
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frau.himmelさん
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バロック絵画のあとは近代絵画編です。
近代絵画と一口に言ってもとても範囲は広い。私には簡単に纏められそうもありません。
そこでこれも二つに分けることにしました。印象派までと、新印象派・後期印象派以降に分けます。
近代絵画も素晴らしい名画がザックザク・・・。
それらの絵の写真と一枚一枚向き合いながら、この絵は現地の美術館で観たのだった~とか、これを見るためにわざわざあそこに行ったのよね~とか、絵画に表現されているあの街はこうだったとか、いろいろ懐かしいことが思い出されます。
思えば、世界中の絵画が一堂に会する大塚国際美術館だからこそ、こんな贅沢ができるのですね。
それと共に、それを発表する4トラベルという旅行サイトがあるから、写真も文章も下手な私でも、作成する楽しみも調べる楽しみもあるのだと思います。
これからも私の備忘録として活用させていただきます。
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B1階です。
バロックのゴヤの黒い絵の家を出て、次はラベンダー色の近代絵画を鑑賞します。
入り口ではゴッホの特別展をやっています。 -
2018年3月に大塚美術館が開館20年を迎えた記念として、ゴッホの「花瓶のヒマワリ」全7点が世界から集結しました。
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世界中に散らばっているゴッホのひまわり(花瓶の)が一堂に会するなんて大塚国際美術館の陶製絵画でなければできない夢の競演ですね。
中に入って一つひとつ見て参りましょう。 -
南フランスのアルルに移り住んだゴッホは、共同生活をするゴーギャンを迎え入れるために、明るい「ヒマワリ」の絵でアトリエを飾りたかったと言われています。
7点のヒマワリはほとんど1888年8月から1889年1月に描かれています。
個人蔵。アメリカ -
ミュンヘン(ドイツ)、ノイエピナコテーク
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これが凄いです。
芦屋の実業家の家にあったひまわりでしたが、第二次大戦により焼失し今実物は存在しません。
しかし、陶板技術により蘇りました。 -
というのは、その幻のヒマワリの写真が、芦屋の実業家と懇意にしていた作家・武者小路実篤氏の記念館にあったのです。そこで写真をもとにそっくりそのまま復元され、見事に蘇りました。
この写真が基になった写真です。 -
ロンドン、ナショナルギャラリー所蔵。
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日本、SONPO美術館)所蔵。
上のナショナルギャラリーのものと構図も花の数も全く同じです。
しかしよく見ると上のものには花瓶にゴッホのサインがあります。
それに額が違いますね。
この絵を所蔵していたのは作曲家メンデルスゾーンの末裔でした。 -
アメリカ、フィラデルフィア美術館蔵。
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オランダ、ゴッホ美術館蔵。
以上、ゴッホは7点制作しましたが、実際は6点が現存しています。 -
さて、通常展示に戻りましょう。
歴史画や宗教画が多かったバロック絵画に代わって18世紀前半のフランスを中心にロココ絵画が流行します。
ルイ15世の時代にフランス宮廷で花開いた優美で華麗な装飾過多な様式です。
アントワーヌ・ヴァトー(1684-1721)、「ピエロ(ジル)」1718-19、ルーヴル美術館。
ピエロもジルも同じ意味。モデルは長い間コメディアンとして活躍した人物だそう。 -
モーリス・カンタン・ド・ラトゥール(1704-1788)、「ポンパドゥール夫人の肖像」1758.ルーブル美術館。
ロココと言えばフランス国王ルイ15世の愛妾だったポンパドゥール夫人(1721-1764)。侯爵夫人の称号も与えられている。
政治に関心の薄かったルイ15世に代わって政治的にも権勢を振るうようになります。
オーストリアのマリアテレジア、ロシアのエカテリーナ、そしてフランスのポンパドゥール夫人、この女性3人で同盟を結び、プロイセンのフリードリヒ2世と戦った「三枚のペチコート作戦」は有名ですね。 -
フランソワ・プーシェ(1793-1770)「ポンパドゥール夫人の肖像」1759.ウォーレスコレクション、ロンドン。
ポンパドゥール夫人は多くの著名な画家に肖像画を描かせています。この美貌ですからむべなるかな。
プーシェも夫人のお気に入りの画家でした。 -
ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)、「ぶらんこ」1767.ウォーレスコレクション、ロンドン。
軽やかにブランコを漕いでいる女性、そのおみ足を茂みの中から覗き見(笑)している紳士。今で言えば痴漢行為!。
心配に及びません。紳士は女性のパトロンです。
ロココの特徴は優雅でエロティックなこと。 -
ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)、「浴女たち」1765-72.ルーブル美術館。
緑豊かな水辺で女たちが裸で戯れている。
18世紀のフランスではこういうエロティックな絵画が人気があったようです。
フラゴナールの得意分野ですね。 -
ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)、「勉強(歌)」1769頃。ルーブル美術館。
フラゴナールはこういう大人しめの絵も。 -
ジャンパティスト・シメオン・シャルダン(1699-1779)、「買い物帰りの召使い」1739.ルーブル美術館。
ロココはロココでも享楽的(エロチック)なロココではなく、日常的な風景を題材としたまじめな(?)ロココもあります。 -
ジャンパティスト・グルーズ(1725-1805)、「村の花嫁」1761、ルーブル美術館。
1761年サロンに出展され成功を収めた作品。
娘の父親が花婿に持参金を払っている場面。
当時のプロテスタントの婚約式では、公証人の立会いのもと、新しい世帯の財産を定める結婚契約書の作成によって結婚が成立した。
彼は、宮廷風俗を描いた同時代の他の画家と違い、市民生活に題材を求めた風俗画を多く描きました。 -
2019年10月、モンマルトル墓地でジャン・パティスト・グルーズの墓にお参りしていました。女性の彫像が寄りそっているお墓がそうです。
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華やかなロココ隆盛のフランスに比べて、イギリスは絵画の面では長らく遅れをとっていました。
18世紀になってようやくイギリス独自の絵画が生まれます。 -
その先陣を切ったのがイギリスの国民的画家ウィリアム・ホガースでした。
ウィリアム・ホガース(1697-1764)、「当世風の結婚:結婚してまだ日も浅いというのに」1743、ナショナルギャラリー。
ホガースは当時の世相を風刺した作品を多く描いており、「風刺画の父」とも呼ばれています。
「当世風の結婚」は連作です。
没落貴族の息子と成金商人の娘が結婚したのはいいけれど、新婚翌日にして新婚夫婦はお互いにしらけムード、部屋は散らかり放題。
執事は請求書の束を抱えてため息をついている。と言った絵です。 -
ウィリアム・ホガース(1697-1764)、「古きイギリスのロストビーフ」、テートギャラリー。
大きなローストビーフは豊かなイギリスの象徴。それを見て涎をたらしているのはフランスの神父。
フランスを象徴するのは鍋に入ったおかゆ、それを運んでいるのは貧しいフランスの兵隊。
別な兵隊は物ほしそうに肉の塊を覗きこんでいる・・・。
ホガースのフランス嫌いが如実に表れた作品です。 -
ジョシュア・レノルズ(1723-1792)、「天使の頭部」1786-87、テートギャラリー。
ロココ期のイギリスの画家。
古典的なそれまでの天使の顔ではなく、ロンドンの都会にどこにでもいそうな子供たち。
ちょっと違うのはそれぞれ顔の横に小さな翼が付いていること。
やはりフランスのロココとはどこか違いますね。 -
ジョシュア・レノルス(1723-1792)、「コクバーン夫人と3人の子供たち」1773.ナショナルギャラリー。
ジョシュア・レノルズは宮廷画家であり、ロイヤルアカデミーの初代会長でした。 -
トマス・ローレンス(1769-1830)、「ジョン・アンガーシュタイン家の子供たち」1808、ルーブル美術館。
ジョシュア・レノルズの弟子でロイヤルアカデミーの会員だったが、レノルズが亡くなると、彼の代わりに国王ジョージア3世のお抱え画家となる。
肖像画家として人気が高く、当時の社交界や王侯の肖像画を多く描いた。
実物よりよく見せる肖像画を描いてくれる彼の手法が気にいられたようです。 -
ライト・オブ・ダービー(1734-1797)はイングランドの画家。
イギリスで起った産業革命の精神を表現した画家として評価されています。
ここにそれを表した面白い絵を。
「空気ポンプの実験」1768、ナショナルギャラリー。
小さなライトが一つだけ灯る薄暗い実験室。
アインシュタインに似た科学者の前には、1羽の白い小鳥が入ったガラス瓶が置かれています。 -
科学者がスイッチを入れると、ガラスの中の空気が徐々に徐々に抜かれます。酸素が少なくなると小鳥は徐々に弱っていきます。
不安そうな顔をして目を背ける小さな女の子。その姉らしい女の子はついに泣きだしました。それを父親らしい男性が「ほらほら、実験をよく見て!空気がなくなるとこうなるんだよ」としたり顔。
他の周りの大人も祈るように鳥の運命を心配しています。
子供たちには残虐で可哀想な実験でした。 -
ライト・オブ・ダービー(1734-1797)、「サンタンジェロ城の花火(ジランドーラ)」1775、ウォーカー美術館、英国。
同じライト・オブ・ダービーの絵です。
彼がイタリアを旅した際、ローマで見た大掛かりな花火に刺激を受けて描いた絵。 -
ライト・オブ・ダービー(1734-1797)、「酋長の未亡人」1785、ダービー美術館、イギリスダービー。
夫を失くして悲嘆にくれているアメリカインデアンの酋長の若い妻。
ライト自身はアメリカに行ったことはないので、書物や記録などを参考にして描いたと思われる。 -
ウィリアム・ターナー(1775-1852)、「戦艦テメレール」1839、ナショナルギャラリー。
(解体されるために最後の停泊地に曳かれていく戦艦テメレール号)、という副題がついています。
戦艦テメレール号は、かのトラファルガーの戦いで勇名をはせた、ネルソン提督率いる大英帝国海軍が誇りとした戦艦です。 -
ウィリアム・ターナー(1775-1851)、「平和:海葬」1842。テートギャラリー。
船旅の途上でマルタ島沖合に没した友人を追悼するために描いた作品だそうです。
あまりにも暗いぼーっとした絵なので、私のカメラの調子が悪かったのかなと思いましたが、これは地。
ターナーはできることならもっと暗くしたかった、と言っていたそうです。 -
ジョン・コンスタンブル(1776-1837)、「干し草車」、ナショナルギャラリー。
当時のイギリスの農村風景も素敵です。
私はこの絵が気に入り、若いころ(笑)、ナショナルギャラリーに行った時思わずこのキャンバス画を買いました。
未だに我が家に飾ってあります。 -
ジョン・コンスタンブル(1776-1838)、「麦畑」、ナショナルギャラリー
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その頃ドイツでは?
カスパー・ダーヴィット・フリードリヒ(1774-1840)、「山上の十字架(テッチェン祭壇画)」1808.ドレスデン近代絵画館。
本来は風景画は祭壇画としてはNG!、しかし彼は額縁なども彼自身がデザインして、祭壇画に相応しいものにしました。
フリードリヒは私の大好きなドイツの画家。
この祭壇画をどうしても見たくて2012年にドレスデンに行きました。
残念ながらノイエマイスター絵画館は撮影禁止だったので、絵葉書を買いました。 -
これは絵葉書。
そしてその後、この祭壇画が置かれていた場所を見たくて、ドイツとチェコの国境、テッチェンまで行きました。
大塚美術館の陶板名画の素晴らしさをここでも感じました。額までそっくりに作ってあります。 -
カスパー・ダーヴィット・フリードリヒ(1774-1840)、「月を眺める二人の男」、ドレスデン近代美術館。
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カスパー・ダーヴィット・フリードリヒ(1774-1840)、「氷海:希望号の難破」。ハンブルク美術館。
荒々しい氷河の中に座礁した船が小さく見えます。これが「希望号」と呼ばれていた船なのでしょうか。
フリードリヒが生まれたグライフスヴァルトは、北海に近いバルト海に面している北ドイツにあります。 -
ヨハン・ハインリッヒ・フューズリー(1741-1825)、
「ロバの首に抱きつくタイタニア」(シェイクスピア「真夏の夜の夢」より)1793/94、チューリッヒ美術館。
フューズリーはスイスの画家。
チューリッヒ美術館を訪れて、この絵を鮮明におぼえております。 -
いつしか、フランスで流行した優雅で享楽的なロココも飽きられ、もう一度昔を見直そうという懐古的な新古典主義やロマン主義の美術が主流となります。
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ドミニク・アングル(1780-1867)、「泉」1856.オルセー美術館
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ドミニク・アングル(1780-1867)、「グランド・オダリスク」1814、ルーヴル美術館。
アングルは、当時流行したオリエンタル趣味でオダリスク(娼婦)を描きました。しかしあり得ない長い背中やお尻、太股など当時の評論家からは大ブーイングだったそう。
今では、アングルの裸像といえば、このグランドオダリスクが思い出されるほど代表的なものになっているのにね。 -
ドミニク・アングル(1780-1867)、「リヴィエール嬢の肖像」1805、ルーブル美術館。
モデルは、ナポレオンの廷臣だったフェリベール・リヴィエールの当時15世の娘カロリーヌ。
彼女はこの肖像画が完成した年に短い生涯を終えました。 -
ドミニク・アングル(1780-1867)、「トルコ風呂」1863。ルーブル美術館。
アングル最晩年の傑作。
円形の額が、覗き穴から覗いているような後ろめたい錯覚に陥る。
浴室の中にはハーレムの大勢の女性たちがひしめき合っている。
生涯女性の裸体を描き続けた画家、アングルの最晩年の作としてはこれほどふさわしいものはないでしょうね。 -
ジャック・ルイ・ダヴィット(1748-1825)、「レカミエ夫人の肖像」1800.ルーブル美術館。
モデルは銀行家の妻。
美しいですね。 -
ジャック・ルイ・ダヴィット(1748-1825)、
「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」1805、ルーブル美術館。
パリのノートルダム寺院で行われたナポレオンの戴冠式で、ナポレオンが自ら戴冠した後、皇后ジョセフィーヌの頭上に冠を載せようとする瞬間が描かれています。
ダヴィットにこの絵を依頼したナポレオンは、この絵のできばえに大変満足したと伝えられています。 -
拡大図
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フランソワ・ジェラール(1770-1837)、「アモルとプシュケ」1798,ルーブル美術館。
可愛らしい恋物語
王女プシュケが、彼女には姿の見えない愛の神アモル(キューピット)に接吻され、戸惑いと驚き、そして恥じらいのようすを見せている情景。
ローマの古代神話に出てくるプシュケ(魂)とアモル(愛)の恋物話です。いわゆるプラトニック・ラヴを示唆しているのだとか。 -
ユベール・ロベール(1733-1808)、「ルーブル美術館グランドギャラリーの改造」、ルーブル美術館。
ロベールは、ルイ16世の絵画コレクションの管理者を務め、ルーブル美術館改造計画にも参加した。
宮殿であったルーブルが、王室コレクションを中心とした美術館として開館したのは1793年でした。 -
ジョヴァンニ・パオロ・パンニーニ(1691/92-1765)、「ナヴォーナ広場」1729、ルーブル美術館。
長さ240m、奥行き65mにも及ぶローマのナヴォーナ広場。
もとは1世記末にドミティアヌ大帝が造った競技場でした。 -
カナレット(1697-1768)、「カナルグランデのレガッタ」2735-41、ナショナルギャラリー。イタリアの風景画家。
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カナレット(1697-1768)、「サンマルコ港からの眺め」1730-31、ルーブル美術館。
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ウジェーヌ・ドラクロア(1798-1863)、「アルジェの女たち」1834、ルーヴル美術館
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ウジェーヌ・ドラクロア(1798-1863)、「ダンテの小舟(地獄のダンテとウェルギリウス)」1822、ルーブル美術館
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ウジェーヌ・ドラクロア(1798-1863)、「キオス島の虐殺」1823-24、ルーブル美術館。
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ウジェーヌ・ドアクロワ(1798-1863)、「民衆を導く自由の女神」1830、ルーブル美術館。
この絵は1830年の7月革命がテーマです。
圧政に苦しみ、立ちあがった民衆。中央の女性は天上の女神ではなく、瓦礫や屍の上に立ち民衆を鼓舞する力強い自由の女神です。 -
テオドール・ジェリコー(1791-1824)、「メデューズ号の筏」1818-19、ルーブル美術館。
この絵は実際に起きた軍艦の難破事件です。
食べ物も水もなく13日間海の上を漂流し、130人が命を落としました。しかしフランス政府はこの事件を隠ぺいしました。
彼方に小さな船の影をみつけ、必死に救いを求める船員たち。
顔には見捨てられた無念の表情がにじんでいます。 -
フリードリヒ・オーヴァベック(1789-1869)、「ヴィットリア・カルドーニの肖像」1821、ノイエピナコテーク。
古代彫刻のような美しい顔のこのモデルは、15歳のヴィットリア・カルドーニ。イタリア中部の貧しい農村の娘。
この少女は偶然に見いだされ、その後多くの画家のモデルとなりました。
いいですねぇ~、シンデレラ物語。
フリードリヒ・オーヴァベックはドイツの画家です。 -
ヨハン・ヴィルヘルム・ティッシュバイン(1722-1789)、
「カンパーニャのゲーテ」1786-87、シュテーデル美術館。
ドイツの画家。
イタリア旅行中のゲーテを描いたもの。
ゲーテの足、角度が変じゃありませんか?左足が二本あるように見えます。 -
カミーユ・コロー(1796-1875)、カミーユ・コローと言えば風景画、癒されますよね~。
下:「モントフォンティーヌの思い出]1864.
右上:「ナルニの橋」1826.
左上:「マントの橋」1868-70。全てルーブル美術館。
写真が切れているのまで使っています(/ω\) -
カミーユ・コロー(1796-1875)、「真珠の女」1870.ルーブル美術館。
風景画家コローは人物画も素晴らしいです。
これはコローの「モナリザ」と言われるそう。
ところで何が真珠なのか?
女性の頭部を飾っている葉っぱが、昔は真珠と考えられていたからだそうです。 -
コンスタン・トロワイヨン(1810-1865)、「耕地へ向かう牛」1855.オルセー美術館。
バルビゾン派。
バルビゾン派とはフォンテーヌブローのバルビゾン村に定住し、村の風景や農民の風俗などを表現した画家たちの集団のこと。
トロワイヨンは農村の風景画や農民画を好んで描きました。 -
ジャン・フランソワ・ミレー(1814-1875)、「落穂ひろい]1857、オルセー美術館。
バルビゾン派の代表的画家、農民画家ミレーの有名な作品です。
昔々小学校か中学校の図工室に飾られていたような・・・。 -
ジャン・フランソワ・ミレー(1814-1875)、「晩鐘」1857-59、オルセー美術館。
この絵も超有名な絵です。
一日の終わりの感謝の祈りを捧げている農民。
昔々「道徳」の授業で教わったようね・・・ -
ジャン・フランソワ・ミレー(1814-1875)、「春」1868-73.オルセー美術館。
ミレーにしては人物が全く描かれていない珍しい絵。 -
ローザ・ボヌール(1822-1899)、「ニヴェルネ地方の耕作」1849、オルセー美術館。
ここにも牛が。
こんな長閑な風景っていいですね~。
ローザ・ボヌールは女流画家です。バルビゾン派って言うわけではありませんが、牛や馬などの動物画が多いです。 -
ギュスターブ・クールベ(1819-1877)、「エトルタの断崖、嵐の後」1870、オルセー美術館。
ノルマンディのエトルタ海岸のこの断崖、像の鼻に似ているので有名ですよね。他の画家もよく描いていますね。 -
ギュスターブ・クールベ(1819-1877)、「画家のアトリエ」、オルセー美術館。
クールベ本人を中心に、画面右側部分には彼の友人・知人、後援者など画家と親しい人々を描き、画面左側部分は当時の政治家など、芸術に縁のない下層階級の人々だそう。
副題は「わが芸術生活の7年にわたる一時期を定義する現実的寓意」
??? -
オノレ・ドーミエ(1808-1879)、「三等列車」1862、メトロポリタン美術館。
労働者など庶民階級が乗る3等客車の乗客の表情。 -
オノレ・ドーミエ(1808-1879)、「イーゼルの前の画家」1870、フィリップスコレクション。
オノレ・ドーミエは風刺画家として一世を風靡した画家だそうです。でもいたって普通の絵ですね。 -
ヴィルヘルム・ライブル(1844-1900)、「教会の中の3人の女」、シュテーデル美術館。
教会の中で聖書を読み、祈っている三人は三世代(祖母・母・娘)なのだろうか。
ライブルはドイツのリアリズムの画家で農民の生活を描いています。 -
アドルフ・メンツェル(1815-1905)、「アトリエの壁」1872.ハンブルク美術館。
ライブルとは反対に都会的な絵を描くリアリズムの画家。
えっ!これがメンツェルの絵!?とびっくりしました。
フリードリヒ大王の「サンスーシ宮殿でのフルートコンサート」や、「フリードリヒ大王とヨーゼウ皇帝の会談」など歴史画が印象に深いので歴史画家とばかり思っていました。 -
次もドイツの画家。
カール・シュピッツヴェーグ(1808-1885)、「貧乏詩人」1839.ノイエピナコテーク。
ドイツロマン派の画家、ビーダーマイヤー。
部屋の中で傘をさしているこの絵、ミュンヘンで見てよく覚えています。
才能もないくせに理想ばかり高い老詩人の姿、だそうです。
ちなみに、ビーダーマイヤーとは、理想主義とは反対に、もっと身近で日常的なものに目を向けようとする、いわば小市民の文化のこと。 -
カール・シュピッツヴェーグ(1808-1885)、「男やもめ」1860、ノイエピナコテーク。
もう1枚、シュピッツヴェーグの作品を。
手には亡き愛妻の形見を持ちながら、目は若い女性の後姿を追ってる、寂しい男性の思いが伝わってきます。 -
イサーク・レヴィタン(1860-1900)、「静かな修道院」、トレチャコフ美術館、モスクワ。
ロシアの風景画家、写実主義。
この絵すきですね~。
あの木の橋を渡って向こう側に行ってみたい思いに駆られます。 -
ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)、「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」1885-86、テートギャラリー。
アメリカの画家。
白い花が咲き乱れる夕暮れの庭で、日本の(まさに)提灯を持っている白い服を着た二人の少女。
タイトルは当時流行したポピュラーソングの一節だそう。 -
ジェームズ・マクニール・ホイスラー(1834-1903)、「バラ色と銀色:陶磁器の国の姫君」1863-64、フリーア美術館、アメリカ。
アメリカの画家。
1802年のロンドン万博で浮世絵など日本美術に影響され、ジャポニズム作品を多く手掛けています。 -
ジャポニズムと言えばこの人、ジベルニーのモネの家にも浮世絵が飾ってありましたね。
クロード・モネ(1840-1926)、「ラ・ジャポネーズ」1876、ボストン美術館。
キャンバスの中は 日本・日本・日本・・・。もう日本が溢れています。着物を着たブロンド娘だけが異国。
モデルはモネの妻カミーユ。彼女はこの3年後、32歳の若さで亡くなりました。 -
モネが登場したところで、先ほどB2階で立ち寄ったモネの池を。
大塚美術館のHPによれば、睡蓮の花は6月中旬から9月が見ごろだそう。
行った時は咲き始めのころで、花は少なかったけど、きれいでした。 -
そして池の中央にはモネの「大睡蓮」の一連の絵。
モネはこの絵を自然光の下で見てほしいと願ったそう。
それを実現するために大塚美術館では屋外に展示することになったそうです。 -
ぐるりと池を囲んで描かれた睡蓮の絵。
絵の上に見えるのは高速道路。
その絵の大きさに圧倒されました。
フランスのマルモッタン美術館の大睡蓮も大きかったなー。 -
その他のモネの絵を。
クロード・モネ(1840-1926)、「アルジャントゥイユのひなげし」1873、ナショナルギャラリー。
描かれているのは妻カミーユと息子ジャン。
ここからしばらく印象派の絵が続きます。 -
クロード・モネ(1840-1926)、「日傘の女」、オルセー美術館
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クロード・モネ(1840-1926)、「ルーアン大聖堂」1892、オルセー美術館。
モネの連作、ルーアン大聖堂の一枚。 -
オーギュスト・ルノワール(1841-1919)、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」1876、オルセー美術館
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ルノワールのコーナー。
「田舎のダンス」「都会のダンス」「ぶらんこ」などオルセー美術館でみた作品がずらりと並んでいます。 -
エドゥアール・マネ(1832-1883)、「オランピア」1863、オルセー美術館。
-
"草上の昼食」
エドゥアール・マネ(1832-1883)、オルセー美術館
1863年のサロンの落選展で話題を独占しました。
着衣の男性に混じって裸の女性が描かれているこの絵は、当時のスキャンダラスな話題を提供しました。 -
エドゥアール・マネ(1832-1883)、「エミール・ゾラの肖像」、オルセー美術館
この絵はジャポニズムの代表とされています。
日本の浮世絵や相撲など日本の絵が溢れるマネのアトリエで描かれました。
小説家エミール・ゾラはマネの親しくい友人でした。 -
エドゥアール・マネ(1832-1883)、「ナナ」1877、ハンブルク美術館。
友人のエミール・ゾラの代表作に同名の小説「ナナ」があります。
小説のナナは高級娼婦です。 -
エドゥアール・マネ(1832-1883)、「バルコニー」1868-69、オルセー美術館
この作品に描かれて人物は、座っている女性が女流画家ベルト・モリゾ、立っている女性がヴァイオリニストのファニー・クラウス、男性が画家アントワーヌ・ギュメである。
女流画家ベルト・モリゾはマネの絵のモデルを多く務め、マネとの仲を噂されることも。結局、モリゾはマネの弟ウジェーヌ・マネと結婚しました。
昔々、東京でオルセー美術館展が開催されたとき、この絵が気に入り、いくつかグッズを購入しました。今でも残っています。
調べたら1996年でしたから24,5年前のこと。
物持ちがいいですね(笑)。 -
エドガー・ドガ(1834-1917)、「カフェにて(アプサン)」1876、
ルーブル美術館。
アプサンのグラスを前にして、疲れた表情の女性が座っている。その隣には、より薄汚れた男がうつろな目で通りを眺めている。
やるせなくなる絵です。
ドガが、パリの下層階級を描いたものだそう。 -
アンリ・ファンタン・ラトゥール(1836-1904)、「パティニョールのアトリエ」1870、オルセー美術館
モンマルトルに近いパティニョールにあったマネのアトリエに、彼を慕って参集した仲間達を描いています。
マネはそのころ画家の指導者的立場にあり、後に印象派を代表する画家となる彼らに影響を与えました。
しかしマネ自身は印象派とは一線を画し、印象派のグループ展には一度も参加しませんでした。 -
2019年9月パリ往きANAの機内でやっていたビデオより。
パリのバティニョールにあるマネのアトリエ。
集まっているのはルノワール、バジール、それにモネもいます。絵筆をとるマネを敬愛の目でじっと見つめる印象派の面々。
ここに名前はありませんが、ルノワールの隣は作家のエミール・ゾラです。
印象派の画家が勢ぞろいしたところで、写真枚数も増えましたので、後期印象派以降は別の章に改めます。
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