2019/06/11 - 2019/06/11
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長い間放置していた2019年大塚美術館の続きです。
第1回目は古代・中世を、2回目はルネッサンス芸術をとりあげました。
2019鳴門旅 二度目の大塚国際美術館① 古代・中世の作品ってこんなに面白かった?
https://4travel.jp/travelogue/11674873
2019鳴門旅 二度目の大塚国際美術館② やっぱりルネサンスは凄い! そしてモナリザの謎に納得
https://4travel.jp/travelogue/11677462
今回は第3回目、バロック芸術編です。
大塚国際美術館。
館内には、美術本や教科書などでよく目にする超有名な世界の名画1000点余りが展示されています。
美術鑑賞が好きな私は、例によって夢中で写真を撮りました。そして例によって撮った写真を無駄にはできない私の悪いクセ。またまた写真枚数ばかり多い旅行記になりました。
幸い(でもないですね)、このコロナ禍で海外旅行もできない、県を跨いだ国内旅行もできない、外出も控えなくてはならない。そんなご時世ですから時間だけはたっぷりあります。
私の備忘録としても、脳の老化防止のためにも、それらの絵画を勉強しながらまとめてみたいと思います。
で、バロック絵画をまとめながら気が付きました。
バロック期はもの凄く有名な画家たちがひしめきあっているのですね。
カラヴァッジョ、ルーベンス、レンブラント、フェルメール、ベラスケス、ゴヤ、ラ・トゥールもムリーリョも・・・。
ビッグスターならぬビッグマイスターたちの夢の競演です。いえ、先日東京オリンピックが終わったばかりですから、題名は「ビッグマイスターたちのオリンピック」とでもしましょうか。ちょっと苦しい?(笑)。
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大塚美術館の地下2階の地図です。
オレンジ色はルネッサンス絵画。ルネッサンスを鑑賞して次にイエロー色のバロック絵画にまいります。
下は地下1階の地図、ここにもイエローのバロック絵画の部屋があります。 -
最初に入ったのは光と闇の画家の作品。
カラヴァッジョ(1571-1610)、「聖ペテロの磔刑」1600.
サンタ・マリーア・デル・ポポロ聖堂、ローマ。
キリストの一番弟子の聖ペテロは、ネロ皇帝のキリスト迫害により逮捕され、逆さ十字架にかけられます。 -
カラヴァッジョ(1571-1610)、「聖ペテロの回心」1600.
サンタ・マリーア・デル・ポポロ聖堂、ローマ。
ポポロ大聖堂では、上(↑)の「聖ペテロの磔刑」と対になっている作品です。 -
カラヴァッジョ(1571-1610)、「聖マタイの召命」1600.
サン・ルイージ・デ・フランチェージ聖堂、ローマ。
日常的な普通~の団らんの中にキリストの姿が・・?。 -
カラヴァッジョ(1571-1610)、「キリストの埋葬」1600.
ヴァチカン美術館。
十字架から降ろされたキリストは亜麻布に包まれ、ニコデモとヨハネに抱きかかえられ、墓となる石棺に運ばれる。
嘆き悲しむ聖母マリアとマグダラのマリア・・・。 -
カラヴァッジョ(1571-1610)「聖母の死」1605-06頃。ルーブル美術館。
カラヴァッジョの効果的な光の導入は素晴らしいけど、私のカメラに入り込む迷惑な光はどうにかならないでしょうか(笑)。 -
ジョルジョ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)、「悔悛するマグダラのマリア」1640-46年ごろ、ルーブル美術館。
娼婦だったマグダラのマリアはキリストに出合い、罪を悔い改め聖女に生まれ変わります。
マグダラのマリアの膝にはドクロ。
マグダラのマリアに髑髏はつきものです。
ラ・トゥールも光と影の明暗を効果的に描いた画家です。 -
ジョルジョ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)、「大工の聖ヨセフ」1640年初め、
ルーブル美術館。
幼いキリストと養父ヨセフ。 -
ヴァランタン・ド・ブーローニュ(1591-1632)、「合奏」1620-22、ルーブル美術館。
カラヴァッジョの作品?かと思いました。
ヴァランタン・ド・ブーローニュはカラヴァッジョに影響を受けたカラヴァッジョ派と言われる画家です。 -
レンブラントの部屋です。
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)。ネーデルランドの(オランダ)の画家。
レンブラントと言えば集団肖像画、正面にその代表作「夜景」の大きな作品が見えます。 -
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、「夜警」、アムステルダム国立美術館。
街を警護する市民隊(射撃隊)を記念して一枚の絵に描いた集団肖像画。
昔ツアーで観光時間が押せ押せになり、この「夜景」だけを見てさっと出てきたことを思い出しました。その後ツアー一行は土産物屋さんに連れて行かれました。
土産物屋さんに行く時間はあるのに、美術館を端折るなんて本末転倒だと、後にみんなでクレームをつけたことは言うまでもありません。
アムステルダム美術館に行ったのは後にも先にもこれ1回だけ、今思えば悔しいですね。 -
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、「トゥルプ博士の解剖学講座」、マウリッツハイス美術館。
レンブラントによる集団肖像画のひとつ。
博士とその講義に聞き入るメンバー。 -
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、「目をつぶされるサムソン」1636。シュテーデル美術館。
怪力の持ち主サムソンは、敵対していたペリシテ人に襲われ目をえぐられる。
サムソンと言ったらデリラですね。サムソンはデリラに弱点である髪の毛を切られ、怪力が消滅してしまいます。 -
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)「聖ペテロの否認」1660、アムステルダム国立美術館。
新約聖書より。
キリストの一番弟子だったペテロは、刑場に引き立てられていくキリストの前で、「お前の仲間だろう」と問い詰められる。
しかしペテロは「そんな男など知らぬ存ぜぬ」と嘘をつき、キリストを見捨てた。
その様子を振り向いて眺めるキリスト。キリストは「鶏が鳴く前に3回知らぬというだろう」と予言する。
右上隅に小さく、悲しそうな顔でペテロを振り返るキリストが描かれています。(矢印) -
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、「キリストの昇架」1634、アルテ・ピナコテーク
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レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、「ユダヤの花嫁」1660、
アムステルダム国立美術館。
レンブラントの息子ティトスの結婚を祝って描かれたものだそう。 -
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)「フローラに扮したサスキア」。ナショナルギャラリー。
レンブラントの妻サスキアです。
別な場所にあったのをこちらに連れてきました。 -
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、「嵐の風景」
ブラウンシュヴァイク美術館蔵(ドイツ)。
これも別な場所にあったものをレンブラントつながりでここに移動しました。 -
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、「黄金の兜をかぶった男」1650頃、ベルリン国立美術館。
「レンブラント工房作」とされている。
この絵は、ベルリンと東京で見ました。 -
ここは静物画のコーナー。
カラヴァッジョ(1571-1610)、「果物籠」、
アンブロジアーナ美術館、ミラノ。
カラヴァッジョは静物画をこの1点しか描いていないようです。
しかしやはりカラヴァッジョの作品だな~と思わせます。美しいですね。 -
フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)、「静物(ボデゴン」1630-35。
プラド美術館。
ボデゴンとは17世紀ころからのスペイン絵画の静物画のスタイルだそう。食材などが描かれることから「厨房画」とも言われるそうです。
この絵も食器並びですから「厨房画」ですね。 -
ならば、ここにあるのは全てボデゴン(厨房画)?
左上:パオラ・ポルボラ(1617-1673)、「花」。カポディモンテ国立美術館、イタリア。
左下:フローリス・ファン・ダイク(1575-1651)、「チーズのある静物」、
右上:ウィレム・ヘーダ(1594-1680)、「朝食のテーブル」、ドレスデン・アルテマイスター美術館。
右下:カルフ・ウィレム(1619-1693)、「オウム貝の杯のある静物」、ティッセン・ボルネミッサ美術館、マドリッド -
フランス・スナイデルス(1579-1657)、「静物」1630、
ケルン美術館。
ロブスターやウサギ、キジ、それに様々な果物やアーティーチョークやアスパラガスなどの野菜・・・。まさに厨房画。
17世紀当時の食卓って豊かでしたね。 -
風景画と自然のコーナー
アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)、「狩りの風景」1587-88
ルーブル美術館 -
サルヴァトール・ローザ(1615-1673)、「戦闘場面」1652、
ルーブル美術館 -
ヘリット・ベルクハイム(1638-1698)、「ハールレムの街路」1680、
ドレスデン、アルテマイスター美術館。
ハールレムってオランダの地名ハーレムのことなのですね。
昔、ツアーでハ-レムに宿泊しました。
その時は、アラビアの王様が妖艶な女性たちをはべらせていたあのハーレムのことが思い出され、変な名前の街なのね~と思っていました。
その前に飾り窓なども見学しましたから(笑)。
落ち着いた美しい街なのですね。 -
ウィレム・ファン・デ・フェルデ(1633-1707)、「凪」1655年ごろ。
アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン。
オランダ最大の海洋画家。 -
ヤーコプ・ファン・ライスダール(1628-1682)、「ユダヤ人墓地」1655-60、
デトロイト美術研究所 -
次は入り口にバロック51と記された部屋。
奥の方に見えるあのかわいらしい女の子!。
見覚えがあります。 -
スペインの画家、ディエゴ・ベラスケスの部屋です。
スペイン国王フェリペ4世に気に入られ、宮廷画家として宮廷の人々の多くの肖像画を描きました。 -
ディエゴ・ベラスケス(1579-1682)、「ラス・メニーナス(女官たち)」1656.プラド美術館。
中心のあどけない顔の女の子はフェリペ4世の王女マルガリータ。彼女の周りには侍女(女官)たちや、遊び相手の小人症の女性、それに犬など。 -
そして巨大なキャンバスの前で誇らしげに絵筆を握っているのはベラスケス自身。
鏡の中に写っている人物はフェリペ4世夫妻。
国王夫妻はこちら側から画中の人物を眺めているという構図です。
マルガリータはこの時5歳でした。後に神聖ローマ皇帝レオポルト1世の皇后になりました。 -
ディエゴ・ベラスケス(1579-1682)、「フェリペ4世の肖像画」、
プラド美術館。
この方がスペイン国王フェリペ4世(1621-1665)です。
マルガリータの父王。
文化面に大変造詣が深く、ベラスケスやルーベンスなどを手厚く取り立てました。また彼が収集した数多くの美術コレクションは、後のプラド美術館の礎となりました。 -
ディエゴ・ベラスケス(1579-1682)、「皇太子バルタサール・カルロスの騎馬像」1634-35.
プラド美術館。
国王フェリペ4世と最初の妻イザベル王妃の長男。
皇太子は当時5,6歳でした。 -
ディエゴ・ベラスケス(1579-1682)、「アラクネの寓話(織女だち)」1657。プラド美術館
-
肖像画のコーナー
イアサント・リゴー(1659-1743)、「ルイ14世の肖像」1701、
ルーブル美術館。
リゴーはフランスの宮廷画家。
ルイ14世は「朕は国家なり」のあの太陽王ですね。 -
フセペ・デ・リベーラ(1591-1652)、「髭のある女(マッダレーラ・ヴェントゥーラの肖像)」1631。
レルマ公爵財団、スペイン・トレド
ギョッ!! -
何これ!
髭面のおじさんが赤ん坊に乳を含ませている、おかしいよね~。
と思ったのですが、この人物は実在した女性なのですって。
彼女は37歳の時に顎鬚と口髭が生えだしたそうです。
後ろのおじいさんが赤ちゃんの父親でこの二人は夫婦だそうです。 -
【ルーベンスの部屋】
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)、「ルーベンスとイザベラ・ブラントの肖像」(1609年 - 1610年)
アルテ・ピナコテーク。
イザベラ・ブラントはルーベンスの最初の妻。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)、「シュザンヌ・フールマンの肖像」、ナショナルギャラリー。
ルーベンスが描いた婦人像の中でもとりわけ美しい絵と言われています。
シュザンヌは、ルーベンスの友人ダニエル・フールマンの娘。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)、「エレーヌ・フールマンの肖像」、アルテ・ピナコテーク。
シュザンヌ・フールマンの妹。
後にルーベンスの妻となります。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)、「最後の審判」、
アルテ・ピナコテーク。
ゴチャゴチャとして判りにく絵ですが、確かに天上ではキリストが審判を下していますね。
前面に見えるのは地獄行きの人々? -
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)、「アマゾンの戦い」、
アルテ・ピナコテーク。ギリシャ神話より。
アマゾン族って女性の集団でしたね。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)、「レウキッポスの娘たちの掠奪」、
アルテ・ピナコテーク。
これもギリシャ神話より。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)、「キリスト昇架」、3連祭壇画。
アントヴェルペン大聖堂。
ルーベンスに憧れ、画家になりたいと願っていた貧しい少年ネロ。しかし不幸は続き、やっと観ることができたルーベンスの祭壇画の前で力尽き、愛犬パトラッシュと共に天国に召されるのでしたね。(フランダースの犬)
実物をアントワープ(アントヴェルペン)大聖堂で見ました。 -
祭壇画中央の部分。
荊の冠を被せられ、手足を釘で十字架に打ち付けられたキリスト。
その十字架は、9人の死刑執行人によって今にも立ちあげられようとしています。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)、「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」(マリー・ド・メディシスの生涯より)、
ルーブル美術館。 -
イタリアのメディチ家のマリー・ド・メディシスは、フランス国王アンリ4世と結婚するために、金銀財宝の莫大な持参金を携えてフランスのマルセイユに到着しました。
マリーのよって依頼された「マリー・ド・メディシスの生涯」24枚中の1枚。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス1577-1640)、「ステーンの城館のある風景」1636-38
ナショナルギャラリー、ロンドン。
宗教画や人物画など物語性のある絵を数多く描いたルーベンスでしたが、この絵は数少ない彼の風景画の一つ。彼の晩年の作品。
ルーベンスはアントヴェルペンのステーン城を買い取って、晩年をここで過ごしました。 -
グェルチーノ(1591-1666)、「聖女ペトロネラの埋葬と被昇天」1623.
カピトリーナ絵画館、ローマ。
聖女ペトロネラ?
あまり聞かない名前ですね。聖ペトロの娘だそうです。
聖ペトロと言ったらキリストから天国の鍵を任されたほどの聖人でしたね。娘がいるとは知らなかった。
図は、下半分が聖ペテロネラが埋葬されるシーン、上半分は彼女が天に昇りキリストに迎えられるシーンです。 -
フセペ・デ・リベーラ(1591-1652)、「聖フィリポの殉教」、
プラド美術館。
聖フィリポは十二使徒の一人。
画家フセ・デ・リベーラは上の方で紹介した「髭のある女性」を描いた人です。 -
バルトロメ・ムリーリョ(1617-1682)、「無原罪の御宿り」1660-65.
プラド美術館。
聖母マリアのお顔の美しいこと!
写真が鮮明でなくて残念です。 -
カラヴァッジョ(1571-1610)、「キリストの逮捕」1602頃、
アイルランド国立美術館。
キリストの有名な場面ですね。
裏切者ユダがキリストへ接吻するのを合図に、キリストは逮捕され、刑場へ引き立てられるのです。
その後ユダはどうなったか?
改悛したユダは首をつって死にます。 -
アンニーバレ・カラッチ(1560-1609)、「キリストとサマリアの女」1602-03、
ウィーン美術史美術館。
これもよく取り上げられる題材です。 -
まだバロックのコーナは続きます。
この部屋は庶民の生活風景、いわゆる風俗画です。
これが面白いのですね~。 -
ヤン・ステーン(1626-1679)、「乱れた家族」1663、
ウィーン美術史美術館。
乱雑に散らかった部屋でいろんな乱れた人間模様。
中央で不敵な笑みを浮かべているのは娼婦らしい。
その横で鼻の下を伸ばしているのはヤン・ステーン自身。
背後の黒服は聖職者。
居眠りしている主婦の横では幼い子供がタバコをふかしている。
テーブルの上では犬が皿を食べ散らかしている。赤ん坊が無造作に宝石の首飾りで遊んでいる。
入り口では豚に小判ならぬ豚に花・・・。
どこまで乱れた家族なのでしょう(笑)。 -
ヤーコブ・ヨルダーンス(1593-1678)、「豆の王様の祝宴」1640-45ごろ、
ウィーン美術史美術館。
昔ネーデルランドでは三王節の日にケーキを出し、その中に豆が入っていた人が王様になって饗宴を開く習慣があったのだそう。
中央がにわか王さま、もの凄い乱痴気騒ぎです。 -
ピーテル・パウル・ルーベンス1577-1640)、「ケルメス」1630-32頃、
ルーブル美術館。
ルーベンスもドンちゃん騒ぎを描いています。
「ケルメス」とはフランドル地方の村祭りのこと。
しかしルーベンスは、この喧騒と猥雑なエネルギーに満ち溢れている村祭りを、オリンポスの神々の饗宴と重ね合わせているのだそう。
ルーベンスともなると、庶民の普通のドンちゃん騒ぎなんて描くわけにはいかないのでしょうね。 -
バルトロメ・ムリーリョ(1617-1682)、「パイを食べる少年たち」1670-75頃、
アルテ・ピナコテーク。
(↑)の方で「無原罪の御宿り」を描いているムリーリョ。
自らも優しい人だったのですね。
当時のセビーリャには親のいない浮浪児が溢れていましたが、それらの不遇な少年たちの生活を、ムリーリョはやさしい視点で、たくましく生きる少年たちとして描いています。
ムリーリョの描いた少年たちの絵、他にもいろいろありますが、私は好きです。 -
ル・ナン兄弟、「鍛冶屋」1640年ごろ、
ルーブル美術館。
ル・ナン兄弟(三兄弟)は17世紀のフランスの画家。 -
カラヴァッジョ(1571-1610)、「女占い師」1594年ごろ、
ルーブル美術館。
カラヴァッジョも風俗画を描いているのですね。
オシャレな若者が女占い師に手のひらを見せて占ってもらっています。
しかしよく見ると、女は若者の手を握りながらこっそり高価な指輪を抜き取っています。若者はそれに気が付かない、というお話。 -
【フェルメールギャラリー】
大塚美術館には6点のフェルメール作品があります(2019年6月現在)。
その6点をすべて写真にとっておりました。
ヤン・フェルメール(1632-1675)「デルフトの小路」1660年ごろ、
アムステルダム国立美術館。 -
ヤン・フェルメール(1632-1675)、「デルフォトの眺望」1660頃、
マウリッツハイス美術館。 -
ヤン・フェルメール(1632-1675)、「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」1665-66頃、
マウリッツハイス美術館。
この少女は日本でもお馴染みですね。何回か来日したこともありましたね。 -
ヤン・フェルメール(1632-1675)、「牛乳を注ぐ女」1660頃、
アムステルダム国立美術館
この絵も来日したことがある? -
ヤン・フェルメール(1632-1675)、「手紙を読む女」1663頃、
アムステルダム国立美術館 -
ヤン・フェルメール(1632-1675)、「ヴァージナルの前に立つ女」1670-72頃、マウリッツハイス美術館。
ヴァージナルとは女性の前に描かれている箱型の楽器のこと、チェンバロのようなもの。
あっ、壁のキューピットの絵に見覚えがあります。 -
つい最近(2021年8月)、フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」(ドレスデン・アルテマイスター美術館)を修復したら、背景にキューピットが現れた、というニュースを見ました。
(左の絵を修復したら、右の(矢印)ようにキューピットが現れたそうです)
その隠されていたキューピットは、上の壁のキューピットと同じですね。
(写真はMDRザクセンテレビのニュース記事より拝借しました)
注:この絵は大塚美術館にはありません。 -
ここはグロッタと呼ばれる飛び地みたいなところ。
この部屋だけバロックを離れてルネッサンスになります。
ジュリオ・ロマーノ(1499-1546)、「巨人族の没落」、
パラッツォ・デル・テ、イタリア・マントヴァ。
この巨大さ判っていただけますか?
部屋の壁一面を使って描かれた巨大な壁画です。
下の黒い部分が普通の扉ですから、大きさの程が判っていただけるかと。
しかしこれはほんの一部分。
実際のパラッツォ・デル・テ(テ宮)の「巨人の間」は四方の壁一面、天井いっぱいに巨大な壁絵が描かれているそうです。 -
出たあ~!ウィーン美術史美術館で見た有名な作品。
かなり不気味なアンチンボルトの顔の作品です。
しかし1点1点じっくり見ると、よく考えていますよね~。
果物の顔などちょっともいで食べたくなるほど新鮮です。
アルチンボルトは、マクシミリアン2世とルドルフ2世の宮廷画家として活躍した画家です。 -
○水(四大元素より)、魚や貝、甲殻類など水生動植物で水を表している。
○火(四大元素より)、頭の上では髪の毛が炎に包まれ、薪やコイル状の火縄、それに大砲など。
○夏(四季より)、みずみずしい夏野菜や果物など、鼻の瓜は遠慮しますが(笑)、ほっぺの桃など食べたくなります。
○冬(四季より)冬枯れの老人の姿ですね。柑橘類がわずかに色を添えています。 -
ドッソ・ドッシ(1489-1542)、「魔女キルケ」1523.
ボルゲーゼ美術館。イタリアの画家 -
ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)、「ペルセウスとアンドロメダ」1570-72頃、
パラッツォ・ヴェッキオ。イタリア。 -
ジョヴァンニ・ベッリーニ(1433-1515)、「聖なる寓意」1490-1500頃
ウフィツィ美術館。
画面左側の椅子に座っているのは聖母マリア。
この図の中にはペテロやパウロ、それに洞窟の中にはケンタロウスも・・。 -
エスカレーターでB1階に上がります。
最初の部屋。
正面には女性が寝そべっている2枚の同じような絵。
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)の部屋です。
スペインの画家、カルロス4世により宮廷画家に取りたてられました。 -
"フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)、「裸のマハ」、プラド美術館。「着衣のマハ」、プラド美術館
裸と着衣の同一人物がほぼ同じポーズで長いすに寝そべっている絵です。
権力者ゴドーイの依頼で、先に「裸のマハ」が描かれ、その直後カモフラージュのために「着衣のマハ」が描かれました。
モデルはゴヤの愛人であったアルバ侯爵夫人とされている。
なお、マハとは娼婦の意味だそうです。 -
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)、「アルバ公爵夫人」、
ヒスパニック・ソサエティ・オヴ・アメリカ。
アルバ公爵夫人は、ゴヤのパトロンであり愛人であったと言われる。
「裸のマハ・着衣のマハ」は顔を夫人に似せて描いたと言われている。 -
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)、「カルロス4世の家族」、
プラド美術館。
一見普通の宮廷肖像画に見えますが、ここに勢ぞろいしているカルロスの家族、特に大人たちの顔は下卑た(意地悪な)表情をしていますよね。
少なくともゴヤにとってはお抱え主なのですから、もう少し忖度して楽しい雰囲気の肖像画にしてあげたらよかったのに・・と思います。
ゴヤはカルロス4世に対して不満でもあったのでしょうか。 -
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)、
「1808年5月2日:エジプト人親衛隊との戦闘」、プラド美術館。
スペイン独立戦争に端を発した作品。
1808年5月2日、マドリード市民はフランスの占領に対して蜂起した。
この図は、手に手にナイフを持ち、プロのフランスの軍隊(エジプトの傭兵隊)に攻めかかるマドリード市民を描いています。 -
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)、
「1808年5月3日:プリンシベ・ピオの丘での銃殺」、プラド美術館。
この反乱は、翌日ミュラが率いるフランス軍によって鎮圧された。
そして反乱の首謀者数百人が逮捕され、プリンシペ・ピオの丘で銃殺刑に処された。 -
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)、「日傘」、
プラド美術館。
ゴヤの若いころの作品。
まるで絵葉書のようなきれいな絵です。
彼の暗い絵からは想像できない楽しそうな絵。 -
1819年にゴヤはマドリード郊外に「聾者の家」と呼ばれる別荘を購入しました。
大塚美術館には食堂とサロンが当時のそのままの配置で再現されています。
ゴヤはこの家のサロンや食堂を飾るために14枚の絵「黒い絵」を描きました。
こちらは食堂には6枚の「黒い絵」が描かれています。 -
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)、「我が子を食らうサトゥヌス」1819-23。
プラド美術館。
ローマ神話に登場するサトゥルヌス。
我が子に殺されるという予言を信じて恐れを抱き、次々と生まれてきた息子たちを喰らう。
おぞましい暗~~い絵です。 -
「魔女の夜宴」
-
「サン・イシードロ祭(巡礼)」
-
こちらはサロン。
8点の「黒い絵」が飾られています。
「黒い絵」が描かれたのはゴヤが精神的にも肉体的にも弱っていた時期。この14点の黒い絵は誰にも見せるつもりはなかったので、実際は壁に直接描かれています。
そしてどの絵にもゴヤは題名をつけていません。
題名は後につけられたものです。 -
「運命の女神ーパルカたち」
-
「棍棒での決闘」
-
「読書」
-
「異端審問の行列」
-
「アスモデア」
-
最後にゴヤの最晩年の作品を。
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)、「ボルドーのミルク売りの少女」1827.
プラド美術館。
激動のスペインを離れ亡命したフランスのボルドーでの生活は平穏なものだったのでしょうね。
このミルク売りのモデルは一説には娘のロザリオとされています。
その穏やかなミルク売りの少女の表情は、スペインで暗い絵を描いていた同じゴヤの作品とは思えないほど。
むしろゴヤ初期のころの絵を思わせます。 -
ちょっと疲れたのでひと休み。
ゴヤの部屋に行く前に、B2階にあるモネの睡蓮がみえる「カフェ・ド・ジベルニー」へ。 -
美しい池とお花を眺めながらカフェタイム。
-
私が注文したのは期間限定のスウィーツ「ハーモニーパフェ」。
モネの「睡蓮」をイメージしたものだそう。 -
これがそうです。
とっても美味しかったです。 -
夫は、「阿波尾鶏のチキンかつ丼」。
写真のバランスがよくないですね(笑)。
レンタカーを運転しなければならない夫はビールが飲めなくて残念そう。
なお、絵画モネの「睡蓮」については次編「近代絵画」でご紹介します。
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鳴門(徳島) の旅行記
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