2021/06/21 - 2021/06/21
106位(同エリア177件中)
にふうささん
この旅行記のスケジュール
2021/06/21
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自転車での移動
駅前の観光案内所よりレンタサイクルをして、自転車で移動
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新潟に行く用事があり、たまたま時間が空きました。そういえば、今は新発田市の五十公野公園のあやめ園であやめが見どころだし、新発田城も見ていないなあと思い、空き時間を利用して新発田市の観光に出かけました。
今回は日帰り、しかも半日ほどの滞在になってしまいましたが、あちこち行けて楽しかったです。今回は1回でご紹介したいと思います。
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新潟駅から電車で1時間ほど揺られまして、新発田駅に到着いたしました。
駅前の観光案内所でレンタサイクルをして、散策開始です。まずは、五十公野公園を目指したいと思います。新発田駅 駅
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五十公野公園へとやってきました。入口で自転車を止めまして、「あやめ園」まで5分ほど歩きます。左側は「枡潟」という池です。この「枡潟」はため池のような普通の池かと思ったら、このように森の中を水が流れている場所があるのですね。
五十公野公園 公園・植物園
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あやめ園に到着いたしました。畑にあやめが植えられている感じです。
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それにしても様々なあやめがあります。色もさることながら、同じ色合いでも品種が違うとか、へえーと思う事しきりです。そういえば、テレビ局の取材も来ていました。あやめが満開ですというカットを取りに来ていました。
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最後に遠望を。遠くから見たら、別なお花畑に見えますよねえ。
以上で、五十公野公園は終了です。あっけなくて申し訳ないです。 -
五十公野公園近くの「旧知事公舎記念館」へとやってきました。ただ、ここは事前予約制になっていました。外観だけの撮影です。
旧県知事公舎記念館 美術館・博物館
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その隣にあった「五十公野御茶屋」。営業はしていませんでしたが、このような建物がありました。というのも、この辺りは昔の大名庭園があった場所みたいですね。
この近くに記念碑がありましたが、新発田藩初代藩主の溝口氏が最初に拠点を設置したところがこのあたりだったそうです。というのも、新発田は低湿地だったので、この辺りじゃないと住めなかったのでしょう。そこから街を整備していったという事でした。五十公野御茶屋 名所・史跡
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庭の池がこちら。立派です。ただそれだけなので、写真を撮影して次の場所へ移動します。
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次は諏訪神社に行きました。新発田では結構有名な神社みたいですね。
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こちらが本殿です。結構立派な建物でした。
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次は「清水園」にやってきました。左側に見えるのは「足軽長屋」でして、後で訪問したいと思います。
清水園 名所・史跡
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受付をして、清水園の中に入りたいと思います。この清水園は新発田藩下屋敷(別邸)で、大名庭園が残っている場所です。
そして、清水園のメインの建物「書院」に入りたいと思います。こちらは江戸時代の建物がそのまま残っている場所です。 -
中は部屋がいくつかありましたが、基本的に質実な感じの武家の部屋でした。あまり広くはなかった。
部屋の中から庭が眺められますが、あまり印象は良くなかったので、別なものを紹介したいと思います。 -
池の反対側から、「書院」を眺めます。こちらは雰囲気があっていいですね。ちょっと松が邪魔なのは申し訳ないのですけど。
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敷地内には、米蔵を改装した資料館がありました。江戸時代の酒蔵を明治中期に移築し、米蔵として利用していたみたいです。この米蔵には1万俵も入るのだとか。
米蔵の中は、3部屋のうち、2部屋続いているのと、2階建ての倉庫になっていました。中の展示は、新発田藩の歴史と、忠臣蔵で赤穂浪士の討ち入りに参加した「堀部安兵衛」に関する資料が展示してありました。 -
こちらの建物では、新発田の祭りで使う山車を展示していました。祭りの際には、この山車をぶつけ合ったみたいです。
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先ほどで清水園の主要な部分を見ましたが、その周辺をいくつか紹介したいと思います。こちらは先ほどみた「足軽長屋」。8軒の住宅がつながったものです。
足軽長屋 名所・史跡
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一家族の住まいはこんな感じ。3部屋ぐらいあったかな。一家族で生活するのはちょっと狭い感じでした。声もつつぬけだしねえ。
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清水園の敷地の隣になりますが、武家屋敷が移築されていましたので、見学します。
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中はこんな感じ。旧石黒家という70石の武士の住まいですが、あまり大きくなかったです。ただ、足軽長屋とは比べ物にならないほど立派ですけどね。それと、移築しただけあって、庭とかは整備されてないようでした。
以上で、清水園周辺の観光が終わりますが、基本的に維持補修が行き届いていない感じでして、惰性で展示をしている感があったのが残念でした。 -
せっかくなので、「長徳寺」に行きました。ここは、赤穂浪士の討ち入りに参加した「堀部安兵衛」ゆかりのお寺だそうです。
写真のお堂の中には、堀部安兵衛の木造があるとともに、右端のお墓には堀部安兵衛の戒名が刻んでありました。 -
寺町の宝光寺前を通りかかると、「宝光寺」の大きな山門が見えました。こちらの「宝光寺」は新発田藩の菩提寺だったそうです。
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新発田市役所です。新しいのですね。
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新発田城にやってきました。こちらが新発田城の表門と辰巳櫓です。外観は非常に立派です。
新発田城 新発田城址公園 名所・史跡
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新発田城に入る前に、新発田城址の手前の公園には「堀部安兵衛像」がありました。この人は忠臣蔵の赤穂浪士の討ち入りに参加した人です。ルーツが新発田にあるということで、ここに像があります。
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新発田城の表門は二階建てになっているようです。それでは、中に入りましょう。表門の二階部分にも入ることができましたが、紹介は省略したいと思います。
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入口にあった新発田藩初代藩主「溝口秀勝像」です。なるほど、新発田藩と長岡藩は全く別の系統なのですね。
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次に、先ほど見えていた「辰巳櫓」へと入りたいと思います。この「辰巳櫓」は先ほどの「堀部安兵衛」と関係がある所です。というのも、堀部安兵衛の父親は新発田藩の家来で、この辰巳櫓の管理責任者だったのですが、失火により櫓を焼失させてしまい、その責任を取って浪人になりました。その後、息子は江戸に出て、赤穂藩に召し抱えられたのですが、そこで江戸城松の廊下事件が起こり、赤穂藩がおとりつぶしとなりました。そうして、赤穂浪士の討ち入りにつながっていくという話のようです。
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辰巳櫓の内部はこのように新しいです。というのも。1999年から辰巳櫓の復元工事が行われ、2004年に完成したものだそうで、当時のものを再現しているとか。
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次に、旧二の丸隅櫓へと行きました。内部はこんな感じで、こちらも江戸時代のものが残っているという大変貴重なものです。
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旧二の丸隅櫓の外観はこちら。こちらの櫓も趣がありますね。
入口の写真はうまく撮れなかったので、反対側の水堀からの写真ですいません。 -
先の旧二の丸隅櫓を見たときに、もう少し先があるので行ってみようと思い、行きましたらようやくお目当てのものに出会いました。こちらが、新発田城の天守です。実質上の天守ですが、幕府等に配慮して、「三階櫓」と呼んでいたようです。
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三階櫓を別な角度から撮影したものですが、最上階に注目。しゃちほこが3体乗っていませんか。この最上階の屋根はT字型をしているという珍しい構造をしております。
こちらの三階櫓は、先の辰巳櫓と同じく、2004年に復元されたものです。自衛隊の敷地内にありますので、内部の公開は期間限定になるようで、こちらは残念でした。まあ、見れたので、今回はヨシとしましょう。 -
新発田城の近くに「白壁兵舎広報資料館」がありました。戦時中の資料等を展示しているようです。しかし、今日は休館日のようでした。残念です。
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新発田駅までやってまいりました。新発田駅は再開発した感じで、駅前の複合施設も合わせて、すっきりしている印象がありました。
駆け足となりましたが、以上で旅行記を終了いたします。ありがとうございました。新発田駅 駅
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