2021/08/08 - 2021/08/08
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あおしさん
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浅井長政とお市の方の居城だった小谷城。
織田信長に攻められ落城しました。
このあたり一帯は浅井氏ゆかりの場所です。
長浜駅前でレンタサイクルを借りて一回りしてきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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前日のうちに米原に到着し、宿泊した東横イン。
駅前広場にあり、コスパのいいホテルでした。
米原駅からJR北陸線に乗って長浜駅へ。東横イン米原駅新幹線西口 宿・ホテル
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まずはJR長浜駅前で電動レンタサイクルを借りてスタートです。
電動レンタサイクルを借りれました by あおしさんえきまちテラス長浜 ショッピングモール
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小谷城に向かって北へ向かいます。
まず立ち寄ったのは「近江国友村」。
戦国時代は鉄砲の生産地として有名だったところです。
現在も落ち着いた街並みが残っていました。 -
時代小説の第一人者・司馬遼太郎さんの石碑。
司馬さんもここを訪れたのでしょう。
「街道をゆく」の一節が刻まれていました。
『国友村は湖の底のようにしずかな村だった。家並はさすがにりっぱでどの家も伊吹山の霧で洗いづつけているように清らかである』 -
ここには国友鉄砲の里史料館があります。
小さな資料館です。歴史好きには必見の資料館です by あおしさん国友鉄砲ミュージアム 美術館・博物館
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1543年、九州鹿児島の種子島に鉄砲が伝来しましたが、翌1544年には将軍・足利義晴、管領細川晴元の指示のもと、ここで鉄砲生産が始まったとされています。
もともとここには優秀な鉄鍛冶職人が多かったそうです。
戦国時代を通じて、ここ近江国友は日本一の鉄砲生産地でした。 -
多くの鉄砲、火縄銃が展示されています。
小さなピストルのような鉄砲もありました。 -
これは「大筒」と言われる鉄砲。
関ヶ原の合戦では石田三成が使用して徳川方を散々苦しめ、大阪の冬の陣ではこの大筒からの砲玉が大阪城の天守閣の淀殿の目の前で爆発し、淀殿はあわてて講和に応じたとされています。
大砲のイメージでしたが、案外小さな「鉄砲」でした。 -
「近江国友」から北に向かい、小谷城の麓にやってきました。
小谷城は浅井氏3代の居城で、山々を使った山城でした。番所跡までは道路があります。そこから本丸までは歩いて15分 by あおしさん小谷城跡 名所・史跡
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まずは資料館へ。
掘立小屋のようなささやかな資料館です。
浅井3代、浅井長政と妻・お市の方、淀、初、江の3姉妹などについての展示がされていました。
写真撮影禁止は残念。掘っ建て小屋のような資料館です。 by あおしさん小谷城戦国歴史資料館 美術館・博物館
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ここから小谷城へ登って行きます。
途中までは道路があり、クルマでも小谷城を登って行けます。
日によっては登山バスも運行されますが、本日は運航なし。
電動レンタサイクルなので坂道でも大丈夫。小谷城の登山道路の入り口にあります by あおしさん小谷寺 寺・神社・教会
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青い空と緑の木々の組み合わせが美しい山道。
一部すでに紅葉が始まっていました。 -
「番所」という城の入口に到着。
ここで舗装道路も終わり、ここからは自転車を降りて徒歩で山登りとなります。 -
ここが登山口である「番所」。
城があったときにはここに衛兵がいたことでしょう。 -
山を登って行くと、目の前には虎御前山がよく見えます。
小谷城攻めのときにはこの山に織田信長は本陣を置きました。
その周りには羽柴秀吉(豊臣秀吉)をはじめとする大軍勢がひしめきあっていたことでしょう。小谷城から虎御前山の全景がよく見えます by あおしさん虎御前山 自然・景勝地
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番所から上ってくると最初の曲輪は「お茶屋」跡。
お茶屋という風雅な名称とは裏腹に城攻めでは最初の激戦が行われる場所です。 -
ここからは近江を代表する山である伊吹山がよく見えます。
「お茶屋」という風雅な名称も普段はこの曲輪では伊吹山を見ながらお茶会でもしてたからでしょうか。 -
次の曲輪は「御馬屋」跡。
この曲輪にはその名のとおり、多くの馬がここに飼われていたようです。 -
御馬屋からさらに上ると、「桜馬場」跡。
馬場なのでここも馬が飼われていたようですが、「桜」という名前を付けたのは何か意味があったのでしょうか。 -
「御茶屋」「御馬屋」「桜馬場」と登ってきて、ここが本丸への入口、「黒金門」があったところ。
黒金となると鉄を打ちつけた立派な門があったことでしょう。 -
小谷城の中心の建物、「大広間」があったところ。
浅井長政やお市、淀、初、江の3姉妹も普段はここで生活していたり、家臣たちとの会議なども行われていた場所とされています。
山城にしてはとても広い場所です。 -
「大広間」とそれに続く「本丸」についての説明板です。
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「大広間」から「本丸」への登り口。
石垣も残っていました。 -
小谷城の中心・「本丸」。
かつてはここに天守があったことでしょう。 -
「本丸」跡から見下ろした「大広間」
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「本丸」からさらに登り、「中丸」を通り、「京極丸」へ。
もともと近江北部の守護大名は京極家。
京極家は源頼朝が伊豆の流人時代の家人・佐々木定綱、足利尊氏とともに足利幕府を作った「バサラ大名」佐々木道誉からの流れの武家の中では名門中の名門の家柄。
しかし下剋上の戦国時代の中で家臣の浅井家に実権を奪われ、京極家の当主はここに閉じ込められていたようです。
小谷城攻めでは、まず浅井長政の父、久政が羽柴秀吉に攻められてここで自刃しまいした。
まだ上はありますが、疲れてきたので、ここでいったん本丸まで戻ります。 -
本丸から少し下ったところにある「赤尾屋敷」跡。
赤尾氏の屋敷があったところとされています。
本丸の近くに屋敷があるということは赤尾氏は一番の重臣だったようです。 -
織田信長は浅井長政を惜しみ、降伏を促しましたが、長政は妻・お市、淀、初、江の3姉妹を信長に託し、自らはここ赤尾屋敷で自刃しました。
結局2時間近く山登りをして、下山しました。 -
小谷城からは南下します。
途中にある道の駅「浅井三姉妹の郷」
お市と3姉妹の銅像が建っています。浅井氏ゆかりの旧浅井町の道の駅です by あおしさん道の駅 浅井三姉妹の郷 道の駅
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このあたり一帯は旧浅井町(平成の大合併で長浜市に編入)。
旧浅井町の郷土資料館へ立ち寄ります。なかなか充実した郷土資料館でした。 by あおしさん浅井歴史民俗資料館 美術館・博物館
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郷土資料館にしては、真新しく、浅井氏関係の展示が充実していました。
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さきほど登ってきた旧小谷城のジオラマ。
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信長の小谷城攻めのときの浅井長政、お市、と子供たち。
落城寸前の家族のだんらんのひととき。
3姉妹の末っ子・江はまだ生まれたばかりの赤ちゃんです。 -
お市と淀、初、江の3姉妹が信長のもとへ行くところ。
この門は小谷城の門で唯一現存しているものを使っています。 -
郷土資料館の近くにある姉川古戦場。
この姉川を挟んで織田信長・徳川家康の連合軍と浅井長政・朝倉の連合軍が激突し、激戦の末、織田・徳川軍が勝利しました。
この川も兵士の血で赤く染まったことでしょう。あまり戦場らしさはありません by あおしさん姉川古戦場 名所・史跡
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浅井長政の本陣のあった場所には、ここで戦死した兵士たちの慰霊碑がありました。
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姉川古戦場からさらに南下すると「石田集落」。
バス停の名前も「石田」 -
石田三成はここ石田村の庄屋の息子として生まれました。
三成の生家跡には彼の銅像。
なかなか広い屋敷だったようで、先ほどのバス停のあたりまで屋敷だったそうです。
周辺には三成の慰霊碑、石田神社など三成ゆかりの史跡などがありました。
徳川時代は逆賊とされた彼ですが、地元では英雄だったのでしょう。石田三成の生まれた屋敷跡 by あおしさん石田会館 (石田三成出生地) 名所・史跡
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「石田村」から峠を越えたところにあるお寺が観音寺。
三成は子供のころはこのお寺で修業をしていました。
羽柴秀吉がここにきてお茶を所望し、三成が最初はぬるめの量の多いお茶、次は普通のお茶、最後は熱めで量の少ないお茶を出したとされる2人の出会いの場所でもあります。 -
寺の前から見た伊吹山はとても見事。
松尾芭蕉も感動したそうで、歌碑がありました。
この寺で修行していた三成もこの山をよく眺めていたことでしょう。レンタサイクルの場所を案内してもらいました by あおしさん長浜駅観光案内所 名所・史跡
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