2021/05/29 - 2021/05/30
7894位(同エリア29198件中)
ミズ旅撮る人さん
- ミズ旅撮る人さんTOP
- 旅行記616冊
- クチコミ149件
- Q&A回答23件
- 795,637アクセス
- フォロワー42人
新潟県直江津に泊まるため、途中通る長野県のSLを訪ねました。
上信越道と長野道が合流する更埴JCT付近を皮切りに植科郡坂城町のD51と
麻績(おみ)村にある聖湖のD51を訪ね、更に国道148号線に沿って北上して、
信濃大町のC56、更に北上して白馬のC56を訪ねました。
特に面白かったのが、聖湖にある聖博物館です。
ここは、1階が麻績村の歴史、2階が善光寺街道の展示になっています。
その屋外展示にD51があります。
そして、F104Jジェット戦闘機やT34プロペラ機、
F86Fジェット戦闘機などの実物が置かれています。
異色なのが戦艦陸奥の主砲です。
別館には、戦闘機のエンジンが展示されています。
周りは聖高原のキャンプ場やスキー場が囲むリゾート地の真ん中に
このような場所があったのが不思議でした。
白馬のキャンプ場の入口にあるC56は、ボロボロに朽ち果てていたのに対して、
聖博物館のD51は幸せですね。
今回はSLだけでなく、戦闘機もいろいろ撮ってみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
上信越道の千曲川さかきPAのすぐそばにある「わんぱく広場」です。
緑滴る公園の一角にD51はいます。 -
「D51型式は貨物輸送用大型機関車で、
昭和11年から製造を始め全部で1,115輌作られました。
牽引力が強いので、勾配の急な中央線では大活躍をし
「デコイチ」の愛称で親しまれました。」
「デコイチ」と、濁点が無くなる地方なんですね。 -
「この245号は昭和14年9月28日に国鉄浜松工場で誕生し、
浜松機関区に就役し、以降、金沢・富山・敦賀・福井・上諏訪・
稲沢各機関区を経て、中津川機関区に昭和41年7月配属し、
篠ノ井線中央西線の客貨輸送に力強い活動をした機関車です。」 -
機関車の側面には石垣があるので、
ちょっと高い位置から眺めることが出来ます。 -
「その走行距離は34年間で2,071,280kmとなり
地球と月の間を2往復半もしたことになります。」
昭和48年7月20日廃車。11月に設置。 -
長野県ではD51が多く活躍したようですね。
そのナンバープレートが威厳を持っているように見えます。 -
長野式の集煙装置。
-
柵があるので近寄れないけど、普段見られないちょっと高い視点から
見られる機関車です。 -
運転室も窓越しに覗き込むだけ。
-
野ざらしの割に状態がいいので、管理されているのでしょう。
-
足回りは、しっかり塗られているけれど、個体番号は所々に見られます。
-
ちょっと「D51245」には見えない番号。
たまたま似た番号の部品をもらったのか? -
カンテラの持ち手部分を赤く塗る、そのセンスに脱帽。
-
蒸気溜の形も独特。本当にSLにはバリエーションがあるなあ。
次は、長野道の向こう側、麻績(おみ)村に移動します。 -
麻績村の北部にある聖湖畔に聖博物館があります。
目の前にはバンガローが並ぶキャンプ場があり、
高原らしい清涼な空気が心地よい場所です。麻績村立聖博物館 航空資料館 美術館・博物館
-
博物館の建物から少し下った屋外展示場には、
蒸気機関車や戦闘機が散らばっています。 -
戦艦陸奥の主砲と砲弾。
全長219m、幅26m。排水量33.8t。速力23ノット。
主砲:主戦用41cm8門。
大正7年6月1日横須賀海軍工廠で起工式。
大正10年11月22日竣工。
昭和7年10月海軍大演習観艦式お召艦「長門」と交代で
連合艦隊旗艦となる。
昭和11年9月30日香港・青島・中南支・トラック島・
ハワイミッドウェー・ガダルカナル等、各作戦に支援出動。
昭和18年6月8日12時15分爆沈。
昭和45年8月21日深田サルベージにより引き揚げ開始。 -
主砲の先端を覗き込めるようになっています。
-
主砲は長い。
「戦艦陸奥は我が国造船技術の粋を集めた世界最強の軍艦であった。」 -
F104Jスターファイター
「この飛行機はマッハ1.5級の某国爆撃機を迎撃する目的で開発されたマッハ2級の要撃戦闘機である。 -
最大速度 マッハ2.0(約1,390km/時)
実用上昇限度 高度約18,300m
航続距離 約1,710km
武装 口径20ミリバルカン砲1門、
AAMサイドワインダー2~4発
70ミリロケット弾14~38発
西ドイツ・ベルギー・オランダ・イタリア・カナダ等でも
使用されている。尚、この展示機は日本製である。」 -
キャノピーは曇ってしまっていて中が良く見えないけれど、
正面の方からは少し見えます。 -
滅多に見られない戦闘機の後部。
中身(エンジン)は、博物館の別館に展示されています。 -
さて、いよいよ本命のD51769です。
戦闘機はそのまま置かれていますが、D51は屋根付きです。 -
あまり見かけない場所に個体番号があり、プレートもあります。
-
「聖」の名にふさわしく、足回りはすべて黒一色。
-
D51769(1D1過熱テンダ機関車)
製造年月日 昭和18年9月16日 川崎車輌製造
使用開始 昭和18年9月~34年9月 東京鉄道局宇都宮機関区所属
この間の走行距離(東北本線)1,093,732km
昭和34年9月~35年1月 金沢鉄道管理局富山機関区
この間の走行距離(北陸線)21,601km
昭和35年1月~47年4月 長野鉄道管理局木曽福機関区
この間の走行距離(中央西線)829,894km
走行距離合計 1,945,227km
最高速度 85km/時
廃車 昭和47年4月15日 -
説明板に詳しい経緯が書かれていたので、一部転記します。
「デコイチが標高1,000mの聖高原に上り、
しかも麻績駅から6kmの長い間をレールによらず
輸送されたことは全国的に珍しい壮挙であります。
この輸送及び据え付け一切、日本通運株式会社松本支店によって行われ、
5月20日早朝5時より2時間にて完了いたしました。
その輸送経費(移動設置共)400万円余りとなりましたが、
聖高原を永住の地と定めたD51の移動に相応しく天候に恵まれ、
事故もなく報道関係者のカメラの放列の中で静かに運搬、
組み立て、据え付けを終わりました。
展示に先立ち、長い間活躍した汚れを清める化粧直しを行いましたが、
上諏訪より国鉄OBの経験者30名が出張してこれに当たり、
立派な姿を取り戻しました。」 -
さすがに博物館の展示物なので、
計器類がかなりいい状態で残っているようです。 -
尾灯などは、新品みたい。
炭水車の縁回りと連結器は白く塗られています。 -
先程のD51245と同様の長野式集煙装置。
でもその後ろの蒸気溜と砂箱部分は形が違います。
520台が製造される間に変化しているのですね。 -
黒い車体に、周りの緑が映ります。
よく手入れされているからこそですね。 -
「ボイラ・郡山工場製 昭和32年8月」
左側のデフレクターに隠れるように、この銘板が付いています。 -
戦闘機の説明書きは、フラップに貼られています。
-
F86Fセイバー
「この飛行機は米空軍が1944年から開発を始めていた
ジェット戦闘機で、世界で初めて後退翼を採用し降下中に
音速を突破した世界初の戦闘機である。
世界30ヶ国以上で使用され、約9,400機生産されたが、
日本では最初のジェット戦闘機であり、
約300機生産された。
速度は亜音速であるが、旋回性能に優れた空中戦では
F4EJに勝つこともある。 -
最高速度 マッハ0.95
実用上昇限度 約高度15,000m
航続距離 約1,225km
武装 口径12.7mm機関銃6門
サイドワインダー空対空ミサイル2発」 -
車輪、潰れていないんですね。
-
こちらのキャノピーも曇っていますが、なんとか中が見えます。
-
長い年月が経過して、劣化が激しくなっています。
-
「DANGER」の文字にドキっとしました。
戦闘機にはあちこち書いてありますが、
運転席にあるのは命に直結しそうで、怖いです。
(いや、どれも危険なんですが)
内部は英語表記ばかりですが、床に三菱マークが見えます。
MADE IN JAPANなんですね。 -
82-7865。自衛隊の所属番号なのかな?
先月、ヤマザキマザック工作機械博物館で見たT6Gの尾翼には、
52-0100と書かれていたので、きっとそうなのでしょう。 -
こちらの後部は蓋がされています。
-
小さな尾灯発見。
-
槍のようなものが付いています。なんだろう?
(戦闘機の知識は全くないので悪しからず)
この機体は、動く部品はなるべく動かしてあって、
駐機している時とは違う状態になっています。 -
865号機。F104Jスターファイターより、
こちらの方がちょっと優しい感じがします。
先端が丸いからかな?
「ブルーインパルス」の初代機体として採用されたのだそうです。 -
こちらの尾翼は、T-34(はつかぜ)の説明です。
「この飛行機はパイロットになる学生が一番最初に乗る飛行機です。
この飛行機で70時間14週飛ぶと次に進み、
T-1(中等練習機)90時間20週、
更にT-33高等練習機に乗り120時間28週飛んで技術が
優秀と認められると初めて操縦章(ウイングマーク)が授与され、
一人前のパイロットが誕生します。
従って、この飛行機(T-34)は、
パイロットが第一歩を踏み出すための大切なものです。」 -
これが、T-34(はつかぜ)です。
-
構造概要
1.エンジン6気筒水平対向空冷2,600回転 225馬力
2.実用上昇限度 6,500m
3.最高速度 250km/時
4.重量 1,270kg
5.座席2 乗員2名(後部教官席)
6.全長7.65m 翼幅9.76m -
説明書きが無いので、確実ではないですが、
F-86Dジェット戦闘機と思われます。
F86Fセイバーと同じF-86形式ですが、独特な機種の形状から、
セイバードッグと呼ばれました。
全天候型レーダー搭載で、ジェット戦闘機としては
初の単座機となりました。 -
機体の横には、燃料タンクが置かれています。
-
防衛庁のラベルが付いています。
製造年月が41-3、昭和41年3月かな? -
確かに黒い鼻先が突き出していて、目立ちます。
胴体下部には唯一の兵装である「Mk4 FFAR マイティ・マウス」
24連式空対空ロケット弾を装填する
引き込み式ロケットパックが設置されています。 -
鼻の下に開いている口を覗き込むと、機体の最後まで通して見えました。
-
随分と座り心地の悪そうな座席。
きっとクッション部分はあったんだろうけど。 -
操縦席の内部は英語がいっぱい。
蒸気機関車のように、日本語表記がいいなあ。 -
尾翼の番号は94-8146。
後ろの3桁は機体の番号と同じなんですね。 -
青い翼端燈が綺麗。
ナビゲーションライトと呼ばれるもので、
右翼端に緑色,左翼端に赤色,尾部には白色の灯火を付けるよう規定されているのですが、これは何故青色なんでしょうね。
F-15イーグルの右翼端灯は青なのだそうで、
青と緑どちらもありのようです。 -
聖博物館に入りました。D51の運搬の様子が紹介されています。
-
D51は3つに分割されて来たようです。
-
渡り廊下を通って別館2階に来ました。
階下にはジェット戦闘機のエンジンが置かれています。 -
F-104Jスターファイター
「高高度から侵入して来る爆撃機を迎撃するために、
ロッキード社が1950年代に開発した電撃迎撃戦闘機。
日本での要撃任務用途に合わせて火器管制装置などを改良したもの。
三菱重工業がライセンス生産を担当し、
細い胴体に極端に細い主翼という形状から、
空自の現場では「三菱鉛筆」の愛称もある。
1986年に退役(機体は屋外に展示してあります)。」
「三菱鉛筆」はいいなあ。
今度からスターファイターの隣に「」書きしようかしら? -
全長 17.8m 全幅 6.7m 全高 4.1m
主翼面積 18.2㎡ 自重 6,300kg
最大離陸重量 12,400kg
最大推進力 4,600kg(アフターバーナー作動時7,200kg)
最大速度 マッハ2.0(時速2,200km)
最大旋回G 7.3G 実用上昇限度 高度18,300m
航続距離 3,000km
戦闘行動半径 720km(増槽装備時1,100km)
離陸滑走距離 1,800m 着陸滑走距離 890m
固定武装 20mmバルカン砲(装弾数512発)
搭載兵装 AIM-9サイドワインダー(赤外線誘導ミサイル)
ロケット弾ポッド・450kg爆弾 -
後方に回ると、本体で見たぽっかり空いた部分に
よく似た構造が見られます。
なんと照明器具が置いてあって(下の青いライト)、
点灯させて内部を見やすいようにしてあります。 -
エンジンに興味はないけれど、この部分はたいそう写真写りがいいです。
-
まるでSF映画に出て来そう。
-
エンジンって左右で随分と違うものですね。
-
階段を挟んで反対側には、大きなプロペラがあります。
C-46D コマンド
「アメリカのカーチス・ライト社が製造した輸送機。
自衛隊では1954年から1978年まで現役利用されていた。」 -
全長 23.27m 全幅 32.9m 全高 6.63m
エンジン プラット・アンド・ホイットニー
R-2800-51ダブル・ワスプ18気筒星型
出力 2×2,000HP 空虚重量 14,696kg
最大離陸重量 23,129kg 最大速度 394kg/時
巡航速度 281kg/時 実用上昇限度 8,400m
航続距離 1,932km -
こうした戦闘機や航空機に関心のある方は、
「ベルギー王立軍事歴史博物館。気球・飛行船から戦闘機まで
幅広い展示がすごい。後編」
という旅行記を書いていますので、よろしかったらどうぞご覧ください。
戦闘機は後編に出て来ます。収蔵量が桁外れです。 -
帝国軍艦陸奥の写真
下の説明書きもすべて右から書かれています。読むのがたいへん。
左上は昭和天皇でしょう。
「陸奥」の煙突は、排煙・排熱対策のために改修工事が行われ、
大きく湾曲した形になりました。
1936年に改装され、煙突は1本になったそうです。 -
1943(昭和18)年6月8日。「陸奥」は、山口県岩国市柱島沖に、
「長門」「扶桑」などの戦艦とともに停泊していました。
お昼の休憩時間だった12時10分頃、3番砲塔付近から煙が上がり、
爆発が起こりました。
船体は4番砲塔後部から真っ二つに折れ、艦は転覆して
17時頃には沈没しました。
乗員1,474名のうち、艦長以下1,121名が亡くなりました。
敵艦と交戦することがなかったという「陸奥」は、
謎の爆発で爆沈してしまいました。
山口県の周防大島には、「陸奥記念館」があります。
また、神奈川県横須賀市のヴェルニー公園にも
「陸奥」の主砲が展示されています。 -
「陸奥鉄(むつてつ)」
微量な放射線測定で卓越している金沢大学は、福島第1原発事故後、
現場周辺で採取された土や水の測定を
石川県能美市にある低レベル放射能実験施設で続けています。
放射能測定に必要な遮蔽板は、現在の鉄では微量のコバルト60を含んで
作られるので用途に適さないのですが、
戦前の鉄は製法の違いからそれを含まないため、
微量の放射能測定に最適なのだそうです。
厚さ10cm、幅20cm、長さ60cmの鉄のブロックに加工されて、
「陸奥」の鉄は、現在も重宝されています。
1970年に始まった「陸奥」の引き揚げ作業は、
75%が陸に揚げられました。
「陸奥鉄」は、金沢大学の他、中国電力島根原発の放射能測定装置や、
広島大学病院の内部被曝を調べる全身測定装置の遮蔽材に
利用されています。
(中国新聞の記事より抜粋) -
聖博物館本館の2階は「善光寺街道」の展示です。
小さな仏たちと、五百羅漢の群像が展示されています。
戦没者の慰霊のために在るようです。 -
千手千顔観音座像。
-
法隆寺の百済観音に似た、すらっとした立ち姿の観音像。
-
「伊勢講・富士講・御嶽講・成田講・善光寺講などの講組織が
鉄道を利用し、引導する団体参拝旅行となり、大いに流行しました。
当時の真誠講は現在の日本通運、
善光寺講は日本旅行の草創期に大いに貢献しています。」
「通」のマークは、今でも健在ですね。
聖博物館は、意外な発見があり、なかなかおもしろかったです。 -
JRの中央線特急と大糸線が通る信濃大町駅から程近い西公園です。
野球のグラウンドの一辺に、鯉のぼりが並んでいます。
5月末なんですけどね。
その奥にC56の姿が見えます。 -
C5694は、緑に囲まれていました。
-
「このC56(シゴロク)は国鉄の技術者によって設計され、
昭和12年3月、日立製作所にて製造されたものです。
その年に、白山、横浜機関区を経て長野機関区へと配属され、
県下の産業・経済・文化の発展に活躍されておりましたところ、
国鉄の動力近代化により、昭和48年10月、
小海線を最後に廃車されるに至ったのです。
歴史的36年間、実に地球を43周半も走行続けたこの勇姿を、
国鉄から貸与を受け科学的遺産として、また社会的教材に資するため、
ここに展示したのであります。」 -
シリンダーのプレートがありました。左側は9.0ですが、
右側は9が微かに見えるかな? -
足回りは、キッチリ塗られています。
-
はあ。ため息が出るような状態です。
この姿を毎日たくさんの公園利用者が見ているんだなあ。
これでは、SLに親近感を持つ人なんていないだろうなあ。 -
うら寂しい後ろ姿。
-
ぽっかり空いた尾灯の穴が空虚感をいや増す・・・
-
S.52.6.30とH.4.8.30。2つの日付が書かれていました。
手入れをした記録でしょうか。 -
平成4年は1992年です。
今年は2021年なので、ほぼ30年間放置されているようです。 -
運転室。意外と計器類が残っています。
-
ボイラー脇の扉が開いています。
かつては子供たちがここを出入りしたのかな? -
圧力計。何故、針が無くなってしまうのかなあ?間が抜けて見えるよね。
-
炭水車側の部品に個体番号が付いています。これは初めて見ました。
-
「込」は、小海線の中込機関区を表しています。
小海線には1970年頃には、C56が4輌配属されていたそうで、
「高原のポニー」という愛称があったC56144は、
小諸市の懐古園に保存されています。
C56149は、キャンプ場に野ざらしで、
赤錆びだらけのスクラップになっていましたが、
2009年に修復、清里駅前に移転・設置されました。
このC5694にも明るい未来はあるのか? -
個体番号は、ここにもありました。
べったりと塗られているので諦めていたのですが・・・ -
シリンダーのプレートには、10.0と8.0。
蒸気機関車は個体差があるので、どれを見てもちょっとずつ違います。 -
逆さまになったまま放置されている車歴を書いた説明板。
-
写真を撮り終えて、立ち去ろうとした時です。
ひょっこり、運転室の窓に童(わらわ)が現れました。
まるで機関車と一体になっていて、そこに住み付いている
木霊のようです。
顔が出ていてごめんなさい。
ものすごくいい写真なので、使わせてください。 -
その後、もう一人、炭水車によじ登る子供がいました。
ああ、良かった。
まだこの機関車は、子供たちの遊び相手になっているんだ。
もし、修復をしたとしても、「登るな」という札は付けないで欲しいな。
公園の機関車は、鉄道博物館の展示品とは違うのだから。
子供たちに愛されて欲しい。 -
さて、国道148号線を北上して、
白馬駅の前から白馬八方尾根スキー場方面に進みます。
松川に架かる白馬大橋を渡ったところにある
白馬アルプスオートキャンプ場の入口にC56がいます。 -
場所が場所だけに覚悟していたけれど、こちらはもっとすごい状態です。
-
オートキャンプ場の呼び物にしたかったのでしょうね。
維持・管理することは考えずに。
このキャンプ場はもう少し奥にありますが、
この時間から、大音量の音楽が流れ、犬が吠え、
とても静かに穏やかに過ごすことなど出来そうもありません。 -
ナンバープレートが無くなっています。煙室扉のハンドルも。
何もかも無くなっていて、むしろスッキリ? -
こんな悲惨な運転室なんて見たくない。
-
と言いつつも、覗き込みます。
なんと火室の蓋まで無くなっています。 -
運転席周辺も、残っているものが何なのか、
ちょっと見にはわからないです。
私利私欲で持ち去った人は許せないけれど、
そのままここにあって、こんな風に荒廃してしまうのなら、
誰かに大事にされている方がいいのか・・・? -
かつて塗装されたことがあるようですが、かなり剥げてサビサビ。
-
そのせいか、かなりの数の個体番号を見ることが出来ます。
-
連結棒と動輪の個体番号が見えます。
-
シリンダー周辺の傷ましいこと。
-
イチオシ
このカンテラが無事なのが、むしろ不思議です。
説明板も何もありませんが、このC56150は、
1938年三菱重工製で、1975年に廃車になっています。 -
宿が新潟県直江津なので、そのまま国道を北上します。
白馬大池駅に入って来る大糸線に遭遇しました。
昼間は2~3時間に1本しかないので、貴重な電車です。
電車がゆっくりなので、車で並走してみました。 -
ローカル線の走る姿を見るのは、楽しいです。
車も少ないので、長い時間見ることが出来ました。 -
南小谷駅で追い越してしまったので、少し先の見晴らしのいい場所で、
再びこの電車が来るのを待っていました。
ところが、待てど暮らせど電車は来ません。おかしいなあ。
ふと線路を見ると架線がありません。
でもさっきのはパンタグラフもあって架線の下を走る電車でした。
まさか、南小谷駅から北は廃線になったのか?
あの電車がここを通らないことはわかったので、直江津に向かいました。
(撮った写真を見ると南小谷行きになっていました)
後で調べてみると、大糸線は南小谷駅で分断されているのでした。
松本駅~南小谷駅間はJR東日本長野支社、
南小谷駅~糸魚川駅間はJR西日本金沢支社北陸広域鉄道部の管轄です。
JR西日本の部分は電化されていないため
気動車での運用となっています。
そんな路線があるんですねえ。もろに実体験してしまいました。
これも鉄道旅のおもしろさです。
明日は、新潟県上越市の直江津駅にオープンしたばかりの
「直江津D51レールパーク」に行きます。南小谷駅 駅
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2021年 長野・新潟のSL
0
111