2019/10/27 - 2020/10/27
76位(同エリア223件中)
gianiさん
- gianiさんTOP
- 旅行記238冊
- クチコミ54件
- Q&A回答0件
- 800,291アクセス
- フォロワー16人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
パンチのある世界遺産の城塞都市、
三大カスレの一つであるグルメ都市、
マニアックな私設ミュージアムが揃う文化都市、
トゥールーズ近郊のカルカソンヌを満喫。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
SNCFの駅前を横切るミディ運河。
ガロンヌ川を介して大西洋と地中海を結ぶ
土木工学上の偉業です。ミディ運河 滝・河川・湖
-
新市街
といっても、700年の歴史が。
物差しが違います。
写真はセネシャルの家。
カペー朝期の高級官職名です。ヴィル バース 散歩・街歩き
-
スーパーがないので、
駅前コンビニは貴重な食糧源でした。G20 (カルカソンヌ店) スーパー・コンビニ
-
駅近くの教会。
しっとりとした雰囲気でした。Eglise Saint Vincent 寺院・教会
-
イエスの殉教の日を辿れる
テーマパーク風の庭園。カルヴェール庭園 広場・公園
-
ゴルゴダの丘を意識しています。
沿道には祠が林立。 -
ペテロの足を洗って、謙虚さを弟子たちに教えたシーンから始まります。
-
捕縛、裁判などのシーンが描かれます。
写真は、最高法廷で縄鞭で叩かれるシーン。 -
ローマ総督ポンテオ・ピラトが奔走し、
バルコニーから民衆に無実を訴えるシーン。
この後、刑注を背負って歩くシーンが3つくらいありました。 -
園中央の高台。
ゴルゴダの丘です。
犯罪者たちと一緒です。 -
カテドラル。
ロマネスク様式が歴史を感じさせます。Carcassonne Cathedral 寺院・教会
-
ジャコバン門。
存在感があります。Portail des Jacobins 史跡・遺跡
-
詩人ジョエ・ブスケの邸宅を公開していました。
La Maison des Memoires 博物館・美術館・ギャラリー
-
新市街の中心。
周囲にはローカルでおしゃれな飲食店が並びます。カルノ広場 広場・公園
-
ここで、パンフレットや地図を仕入れます。
スタッフはかなり親切です。観光案内所 散歩・街歩き
-
教会を改装したギャラリー。
落ち着いた雰囲気でした。Chapelle des Dominicaines 博物館・美術館・ギャラリー
-
美術館から川まで続く広場。
幾何学的です。Square Gambeta 広場・公園
-
橋詰にある礼拝堂
初代は1497年、19世紀に現在の形に。Chapelle Notre Dame de la Sante (カルカソンヌ) 寺院・教会
-
ステンドグラスが素敵です。
-
川沿いのきれいな庭園を眺めながら、
世界遺産エリアへ。歴史的城塞都市カルカッソンヌ 史跡・遺跡
-
オード川を横断して、いよいよ旧市街へ突入。
古い橋 (カルカソンヌ) 建造物
-
向こうには、自動車も通れる石橋が。
新しい橋 (カルカソンヌ) 建造物
-
麓には関所のような教会が。
防衛上の役割もあったとのこと。Saint Gimer Church 寺院・教会
-
急な坂を登って、城壁へ近づきます。
-
高さと厚さに圧倒されます。
-
ようやく門が。
右上にはコンタル城が。オード門 建造物
-
実は城壁が二重になっています。
カルカソンヌ城の城壁 建造物
-
麓の教会からグルっと半周して
堅牢な内門をくぐると、ようやく旧市街。
半周もすれば、その間に敵は城壁内から滅多打ちにされたでしょうね。
素晴らしい防衛システムです。サンナザール門 建造物
-
門の横には、唯一の教会が。
建築様式はロマネスク。
かつては、カルカソンヌ教区のカテドラルでした。サン ナゼール バジリカ聖堂 寺院・教会
-
規模はバジリカ級ですが、美しいです。
-
ちなみにファサードは、こんな感じ。
ゴシック調です。 -
ホッとさせられるミュージアム。
Musee De L'ecole 博物館・美術館・ギャラリー
-
戦前の学校や休み時間の過ごし方などを展示。
-
ツボにはまりました。
-
登山を終え、腹ごしらえ。
La Table Ronde 地元の料理
-
枝ぶりの良い木をパラソルにしたおしゃれな店。
-
コースを注文。フランスではムニュ(Menu)と言います。
ちなみに日本語の「お品書き(メニュー)」はカルト(carte)と言います。
前菜はパテを選択。
超オーソドックスな料理が一番です。
まじめに仕込みしているお店かどうかがわかる一品です。 -
メインはカスレを選択。
複雑な旨みが最高。
さすがはカスレの御三家カルカソンヌ。 -
デザートはプリンを選択。
伝統的な料理は、本場フランスで味わうのが一番です。 -
旧市街(シテ)の正門。
容易にアクセスできる地形だけに、
堅牢さが印象的。ナルボンヌ門 建造物
-
門の前には、町の名の由来となった婦人が。
カール大帝による包囲が5年が経過したとき、
彼女は一計を案じ、丸々と太らせた豚を城壁から投下して、
兵糧攻めは効果がなかったと思った大帝は退却。
カルカスが勝利の鐘を鳴らして、カルカソンヌになったとか。レディ カルカス モニュメント・記念碑
-
ビスケットを補給。
ラ キュル グルマンド (カルカソンヌ店) 専門店
-
拷問博物館
中世の城壁と
中世の拷問のコラボが、エグイです。Musee de L'Inquisition 博物館・美術館・ギャラリー
-
旧市街のお城。
本物のダム カルカス像は、ここに展示してあります。コンタル城 城・宮殿
-
ナルボンヌ門を出ると、
洒落を利かせたホテルの看板が。 -
1240年に開設された修道院。
1953年に役目を終え、現在はホテルとして営業。 -
修道院の近くにある面白い私設ミュージアム。
今生きている世代が直接経験した戦争を、民衆目線扱っています。
それゆえに、一部の解説が感情的な内容であることを、
予めおことわりしておきます。
フランス国民のリアルな意識に触れられる意味で、貴重な内容です。Centre Culturel De La Memoire Combattante 博物館・美術館・ギャラリー
-
シャルル・ドゴールによるレジスタンス。
1940年5月のドイツ侵攻で、北フランスはナチの占領下に。
※ちなみにカルカソンヌを含む南フランスは、ナチ傀儡のヴィシー政権が統治した。 -
当時陸軍少将だったドゴールは、亡命先のロンドンで臨時政府を樹立。
ラジオで、フランス国民のレジスタンス運動を指導した。 -
レジスタンスの連絡係。
移動手段は自転車。 -
カルカソンヌの位置するオード県の
レジスタンス拠点地図。
県庁所在地は地中海沿いのナルボンヌです。 -
占領軍(ナチ)の軍服等
-
ナチの非人道行為に加わらなかった人たち(政治犯・エホバの証人等)
劣等人種とされた人たち(ユダヤ人・ロマ等)は、
強制収容所へ送られた。
写真の人物のバッジは、赤い逆三角形でFと書かれているので、
フランス人の政治犯と識別できる。
ちなみに知的・精神障碍者も政治犯にカテゴライズされ、赤い逆三角形と共に「馬鹿」と書かれたバッジが付けられた。 -
北アフリカは、ロンメル将軍率いる枢軸国が占領。
1942年11月8日に連合国軍は北アフリカに上陸し、翌年5月7日に枢軸国は降伏する(トーチ作戦)。
写真の地図にあるように、カサブランカ、オラン、アルジェの3か所から上陸した。 -
1944年6月6日にノルマンディ上陸作戦決行。
フランス北部に連合軍が上陸することにより戦局は一転。
8月25日のパリ解放につながる。
前日に基地を発ったアメリカ陸軍第101空挺師団が、上陸部隊を空輸する。
※各国で空軍が創設(独立)されるのは第二次世界大戦後。 -
第二次世界大戦の軍服。
ドイツ軍の山岳部隊の人形は、悪人の目つき。
悪意を感じます。 -
第二次世界大戦後、続けてインドシナ戦争に突入し、現在のベトナム・ラオス・カンボジアを失う。写真左は1954年7月の決戦、ディエンビエンフーの戦い。続けて11月からアルジェリア戦争に突入する。
-
パネル展示のメインは、アルジェリア。
1.1830年以前
1830年のアルジェリア侵略までの概略。
古代はカルタゴの配下にあり、ローマが取って代わる。
イスラム教誕生後はアラブ系が進出し、
15世紀にはオスマントルコの配下に。
※地中海を挟んでフランス本国と対峙する地理条件もあり、フランスの一部として認識される。
戦前における日本と朝鮮・台湾の関係と酷似している。 -
拡大:キリスト教徒を売買する奴隷市
ベルベル人は奴隷の競売と海賊行為で、巨万の富を築き上げた。
このような行為は、ヨーロッパの世論を刺激した。
※ベルベル人(英:バーバリー人)はイスラム化前から北アフリカ沿岸で生活する民族で、イスラム教を信奉する。ローマ人の耳には彼らの会話が「ベルベル」と聞こえたことに由来。ラテン語を話さない野蛮人という差別意識が伴う。
彼らは地中海沿岸集落や、航行する船舶に海賊行為を行い、金品を奪うだけでなく、捕虜を奴隷にした。上記の行為の対象は異教徒(=キリスト教徒)のみである。アメリカ合衆国独立後最初の対戦は、バーバリ諸国である。 -
拡大:侮辱されるフランス領事
1827年にオスマントルコ藩国のアルジェ太守フサイン・パシャが、
駐フランス領事の頬を扇子で叩くという侮辱行為があった。
外交問題は世論を刺激し、これを口実に1830年にアルジェリアを侵略した。
※アルジェリア侵攻の口実を作るために、領事がわざと太守を怒らせたという説もある。 -
2.アルジェリア事変以前(1830~1954)
アブド・アルカテイル(中央の写真)が武装蜂起するが、1842年に降伏する。
ナポレオン3世(1848-1870)はアルジェリアのイスラム教徒に好意を持っていたが、第三共和政下の1872年に北部3県は、海外県からフランス内部県に昇格する。
フランス人移民はコロンと呼ばれ、肥沃な土地を略奪してプランテーションを経営する。
※1999年にフランス政府は「アルジェリア戦争」という言葉を採用した。それまでは、フランス固有の領土であり「国内紛争」というスタンスを保っていた。 -
3.地域経済の発展
アルジェ県のアルジェ。1911年には、地中海有数の港が整備される。
外洋船が地中海で燃料の石炭を補給できる(地理的に)最初の寄港地だった。
第一次世界大戦前は、マルセイユ・ルアーブルに次ぐ国内第三の港だった。
右:農村の建設
700余りの農村を建設し、242平方キロメートルを農地・植林化した。 -
ウディノ大通り(1910年)
オラン県オラン市の光景 -
アルジェリア戦争前の光景を掲載した地図。
オラン、アルジェ、コンスタンティーヌの北部3県が発展している。
ローマに征服される前はカルタゴの配下。東側は、ローマ属州アフリカに編入されるなど、歴史の古い地域です。 -
大勢のフランス人が移住しただけでなく、
観光地としても人気だった。 -
1954年
第二次世界大戦後、独立運動のための組織が各地で結成されたが、1954年にそれらの幾つかは統合され、国民解放戦線(FLN)を結成。軍事部門の国民解放軍(ALN)によるフランスとの武力闘争が始まった。 -
ALNは鉄道を爆撃するなど、破壊テロ活動を展開。
-
1955年
砂漠に道を切り開き、身元確認をして農村に潜むALN兵士を炙りだす。 -
1956年
写真:「アルジェのエコー」誌が相次ぐ虐殺を報道。
3月に西隣のモロッコ・東隣のチュニジアが、相次いでフランスから独立する。両国からフランス軍が撤退し、東西からのフランス軍による監視網がなくなる。
ALNは武器を、隣国経由で調達できるようになった。
※植民地だったモロッコとチュニジアがあっさりと独立を達成したとの対照的に、フランス内地(扱い)のアルジェリアは死守するというフランス人の国家観が明らかになっている。フランス移民の人数と歴史の長さが別格だったことが背景。大勢の移民にとって、アルジェリアは植民地ではなく故郷だった。 -
1957年
ALNを封じ込めるために、フランス軍は防護壁でアルジェリアを囲った。
9月には西側のモロッコ国境の900kmの壁が完成、
ついでチュニジアに隣接する東側には、二重の壁が完成(モリス線)。
中央には高圧電流の流れる幅4mの有刺鉄線、両側は地雷を敷設した。
南側は人を寄せ付けないサハラ砂漠、地中海沿岸の北側は空軍による監視活動が行われた。 -
1958年 すべての希望を託した年
左上:前日に起きた軍事クーデターを奉じる「アルジェ・エコー」誌(5/14付)
泥沼化するアルジェリア問題に弱腰のフランス政府への不満は、駐アルジェリア・フランス軍のクーデターに発展し(5/13)、ドゴール擁立を叫んでコルシカ島にまで迫る。
右上:6/1,フランス政府は、政界を引退していたシャルル・ド=ゴールを首相に指名する。軍をコントロールする力量を持つ人物は、彼以外にいなかった。 -
大統領に強力な権限を付与する新憲法制定を主張するド・ゴールは9月28日新憲法を国民投票で承認させる。
左下:10/3にはアルジェリアでも投票が行われ、賛成多数だった。アルジェリア人女性にも初めて投票権が与えられた。
翌年の1月に大統領に就任したドゴールは、強い権限を盾に采配を振るう。
しかし意外にも、ドゴールはアルジェリアの独立容認へ舵を切った。 -
1960年
駐留フランス軍の中核的人物マシュ将軍を更迭したことに対し、アルジェで過激派が暴動を起こす。一方のイスラム教徒もデモを行う(1/24) -
1961年
1月に国民投票が行われ、民族自決が賛成多数で可決される。
左:4人の退役軍人(いずれも元大将)がアルジェでクーデターを決行。駐アルジェ部隊が同調する(4/21)
ドゴールがラジオ放送で同調した軍人に語り掛け、同時にサハラ砂漠で核実験を行うことにより、クーデターは沈静化。
中央:クーデター首謀者のうちシャールは投降、ゼレールは逮捕されるが、ジュオーとサランは逃亡して秘密軍事組織(OAS)に合流する。テロ組織であるOASはドゴール暗殺を試みるも失敗、1962年3月のエビアン協定でアルジェリアの独立が承認され、ALNとの戦闘は終了する。 -
写真だけでも見ごたえのある本でした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
gianiさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
カルカソンヌ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
75