1994/05/02 - 1994/05/05
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Islanderさん
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1994年のゴールデンウィークは友人と2人でロシア、サハリンへ。函館空港からプロペラ機でわずか2時間、飛行機を降りると別世界でした。1991年のソ連崩後、政治経済ともに混乱から抜け出せない状況の中、物不足や物価上昇で人々の生活は厳しい状況にありました。しかし、人々は僕たち旅行者にとても親切で、ロシアの人々の日本に対する親しみと期待が高まっていることを感じる旅でした。
(2021年6月作成)
【旅程】
○1994年5月2日
函館空港17:00(SU806)22:10ユジノサハリンスク空港
○5月3日
ユジノサハリンスク市内を徒歩で散策
○5月4日
ユジノサハリンスク8:30(バス)10:30頃ホルムスク
ホルムスク市内を徒歩で散策
ホルムスク13:00(バス)15:30頃ユジノサハリンスク
○5月5日
ユジノサハリンスク8:30(列車)8:45ノボジェレーベンスカヤ(徒歩・ヒッチハイク)ユジノサハリンスク(タクシー)ユジノサハリンスク空港17:00(SU805)16:30函館空港
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函館空港発17時のSU806便でユジノサハリンスク(豊原)へ。飛行はほとんど北海道上空、オホーツク海に出ると間もなく降下を始めました。サマータイム期間で日本との時差は+3時間、約2時間のフライトにもかかわらず、一気に時計の針が進み、ユジノサハリンスク到着は22時を過ぎていました。
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翌日はユジノサハリンスクの市街地を歩きました。
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まずはレーニン広場へ。
レーニン像 モニュメント・記念碑
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レーニンの大きな銅像が鎮座しています。
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ユジノサハリンスク市庁舎は建て替えられたばかりのようです。
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日本から運びこまれたサザエさんの看板が掲げられています。
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自由市場は混沌とした雰囲気ですが、治安は悪く感じませんでした。日本人の女性が魚の干物を売ってました。新潟県のご出身で戦前樺太に渡り、戦後は帰国することなくサハリンに住まわれているとのことです。想像を絶する苦労を重ねてこられてきたと思いますがとても明るい方で、きゅうり魚の干物をいただきました。
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銭湯がありました。新しいと思える車はほとんどが日本の中古車です。
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ソ連時代に建てられたアパートが整然と立ち並んでいます。
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トラックはほぼ日本の中古車でした。車はスパイクタイヤをはいており、粉じんが酷い状況です。
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美術館となっている旧北海道拓殖銀行豊原支店。
サハリン州立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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キオスクで買い物をする人々。歩いている途中、老人に呼び止められ、日本人だと知るとゆで卵を手渡され、金はいらない持って行きなさいと言われました。返そうとしましたが頑として受け取りませんでした。
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サハリン州郷土史博物館へ。建物は日本統治時代に樺太庁博物館として建設されたものです。
サハリン州立博物館 (旧:樺太庁立博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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南樺太が日本統治時代、ソ連との国境に置かれていた国境界石。
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日本統治時代の物品、アイヌ民族についても詳細に説明、展示がありました。
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公園には退役した戦車が置かれ、子供たちが遊んでいます。
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ガガーリン文化公園(旧豊原公園)へ。
ガガーリン記念文化公園 広場・公園
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ジェットコースターのような乗り物がありました。
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観覧車に乗りました。観覧車からの眺め。
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街歩きを続けます。
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かなり古そうな建物ですが、戦後、ソ連時代になってから建てられたようです。
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家の窓辺には花が飾られていました。
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バスが市民の足です。
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今回の旅で3泊したサハリン・サッポロホテル。建物自体は古いですが、日本企業が資本参加して新装、内部はきれいでした。室内のテレビや冷蔵庫は日本製。
サハリン サッポロ ホテル ホテル
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市内の夕景。夕食はホテル近くのレストランでニシンの酢漬け、タバガニのマヨネーズ和え、ペリメニ、パンを食べ飲み物はジュースに紅茶。2人で29,000ルーブル(1ドル=1,800ルーブル)と記録が残ります。フィルムカメラ時代には食べ物を写真に撮る習慣がありませんでした。
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旅の3日目朝、ユジノサハリンスク駅へ。今日はホルムスク(真岡)まで日帰りで出かけてみます。
ユジノサハリンスク駅 駅
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駅前のバスターミナルを8時に出発するホルムスク行きのバスに乗り込みます。運賃は10,000ルーブル(約630円)。
バスターミナル バス系
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ユジノサハリンスク郊外は広大な平野が広がり、農業が盛んなようです。
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サハリンは東西は山脈で区切られています。急峻な峠道をバスは走ります。写真の場所は日本名では熊笹峠。ポツダム宣言後、ソ連の侵攻で激戦地となった場所です。
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ユジノサハリンスクから2時間でホルムスク(真岡)に到着。労働者を鼓舞するスローガンと市街地図の看板があります。
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ホルムスクのメインストリート。
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ホルムスクはサハリン最大の港町。大きなイカリがモニュメントとして置かれています。
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ソ連時代に建設されたアパートが建っています。ホルムスクは平地が少なく、山の斜面に街が広がっています。
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ホルムスク駅。日本統治時代の駅舎は取り壊されていました。残念です。
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貨物列車がやってきました。
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この石段は日本統治時代に築かれたものと思われます。
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立派な劇場があります。
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ホルムスク港はロシア本土と結ぶ鉄道連絡船が発着しており、船に載せられる貨車が船を待っています。長い建物は台車交換場。サハリンの鉄道のレール幅は日本と同じ狭軌、ロシア本土は広軌であることから、ここで台車を交換しています。
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旧王子製紙真岡工場は煙突から煙りを上げ、操業を続けていました。
王子製紙真岡工場跡 史跡・遺跡
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JRで活躍していたキハ58がやってきました。JR東日本が譲渡した車両です。
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昼食を探します。
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朝鮮人のおばさんから買ったいかキムチと、屋台で売っていたピロシキ、韓国製のジュースでのランチ。港を見ながら立ち食い。
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バスでユジノサハリンスクに戻ります。
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山に入ると雪が残っています。帰りのバスは古くてスピードが出ず、行きより20分余分にかかりました。
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ユジノサハリンスクに到着。駅前には戦後日本からソ連に輸出しサハリンで活躍した蒸気機関車D51が保存展示されています。
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ユジノサハリンスクのメインストリート、レーニン通りには日本料理「湖」がありまりました(写真左端の建物)。
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寿司をいただきます。上寿司2,500円と奮発しました。キャビアの寿司は珍しく写真に残しました。
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4日目は夕方の飛行機で帰国の予定。8時30分ユジノサハリンスク駅発「ノボジェレーベンスカヤ」(奥鈴谷)行きの列車に乗ります。時刻表ではすぐに折り返して1時間後にはユジノサハリンスクへ戻ってこられるはずでした。列車は元JR東日本のキハ58気動車。
ユジノサハリンスク駅 駅
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線路の状況が悪いにもかかわらず、結構なスピードで走り、恐ろしいほど揺れます。
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15分ほどでノボジェレーベンスカヤに到着。数分で折り返すはずの列車はそのまま、ホルムスク方面へ走り去ってしまいました。駅員に聞くと夕方まで列車はないとのこと。駅の回りはダーチャ(別荘付き農場)しかない場所で、車も走っていません。歩いてユジノサハリンスクまで戻ることにしました。
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ふきのとうが顔を出しています。かなり焦っていたはずですが、こんな写真撮ってたのですね。
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ひたすら線路を歩きます。途中、野犬に遭遇、たまたま穴があり身を隠して犬が遠ざかるのを待ちました。2時間ぐらい歩くと車通りのある道路が見えました。農夫らしき若者が運転する車を止め、ユジノサハリンスクの駅まで乗せてもらうことにしました。祖父さんは日本人と戦ったとか、日本人なら空手はできるのだろう、などと話しながら、20分ぐらいで無事ユジノサハリンスク駅に戻ることができました。感謝感激。
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ホテルのレストランで魚入りのスープ(ウハ)で身体を温め、タクシーで空港へ。17時発の函館行きSU805便で帰国しました。
ユジノサハリンスク空港 (UUS) 空港
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旅の土産。最終日は大変な目に遭いましたが、思い出に残るいい旅でした。
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この旅行記へのコメント (4)
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- batfishさん 2021/06/20 19:16:10
- 90年代の海外旅行
- Islander さん こんばんは!
前回のアメリカ旅行記もですけど、今回のサハリン旅行記も
とても面白かったです。
90年代の海外旅行は今のようにネット情報などがなく
すべて現地に行ってからという感じで新鮮な感動とスリルがあったように思います。
でもあの頃の旅行はハプニングもいろいろあったけど
面白かったなぁと思い出しました。
最終日のハプニング、無事フライトに間に合ってよかったですね(^^)
ご親切な方にめぐり合えて何よりでした。
線路を歩いたり野犬をやりすごしたりと冒険活劇ですね!!
また過去旅行記を楽しみにしています♪
(フィルムスキャナーで写真を読み込んでいるのでしょうか?)
- Islanderさん からの返信 2021/06/20 22:48:44
- Re: 90年代の海外旅行
- batfishさん
いつもご覧くださりありがとうございます!!
94年では携帯電話も珍しいぐらいで、当然ネット情報もなく、ガイドブックを通じての情報収集がメインでした。しかし、ロシアは経済が不安定な状況で、ガイドブックはあまり役に立ちませんでした。現地での情報収集も言葉の壁で苦労し、前もって入手できる情報は限られていました。何が起きるか、どんなものを食べさせるられるのか、現地ではスリルの連続。これが海外旅行の魅力でしたね。今回、旅行記を書くにつれ、この四半世紀で旅行の様式が大きく変ったことをつくづくと感じました。「色あさせたアルバムから」シリーズはネタが少ないですが、海外に出かけられない間、アップしたいと思います。
Islander
- Islanderさん からの返信 2021/06/20 22:53:27
- 追伸 RE: 90年代の海外旅行
- フィルム写真のデジタル化はフジカラーのデータ化サービスを利用しています。コストと時間はかかりますが、仕上がりに満足しています。
- batfishさん からの返信 2021/06/21 23:08:54
- 追伸 ありがとうございます。
- 教えていただいてありがとうございます!
私も先日カメラのキタムラで古いネガとビデオをデジタル化してもらいました。フジカラーのページを見てみましたら、たくさん注文すると少しお得な感じですね。検討してみようと思います。
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