2005/02/14 - 2005/02/20
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binchanさん
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旅行5日目、2月18日金曜日 午後。
ピサから戻ってフィレンツェ市内観光をします。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 飛行機
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13:00頃フィレンツェに戻り、ドゥオモなどを見物。
写真は入場見学した場所のチケット(翌日分も含む)。 -
なぜかドゥオーモの写真はなく、隣のジォットの鐘楼のみ撮影していました。
2003年の旅行では行けなかったドゥオモの地下遺構にも入って見学しました。地下遺構ではカレンダーなどお土産を購入。 -
レップブリカ広場にて。
フィレンツェって、よく移動メリーゴーランドみかけますよね。 -
シニョリーア広場へ。(写真は翌日撮影したもの)
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広場を見下ろすヴェッキオ宮殿。入場見学はしませんでした。
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シニョリーア広場では謎のパレードに遭遇。(タイトル写真もそのパレードのもの)
ルネサンス風の扮装をした3~40人の人々が楽器を演奏したり旗を持ったりして路地から出てきました。一体なんのパレードだったのか、あとからいろいろ調べてみましたがわからずじまい。一緒に写真を撮っている人たちもいました。 -
夕方早くにはホテルに引き上げました。
翌日午後便で帰国するのでこれが最後の夜ですが、この夕食もやはり気のきいた店に行くことはできまず。(確かパニーニを買って食べたような気が…。)私にはおいしい飲食店を探す才能がないようです。
写真はクラフトホテル前にて。 -
旅行6日目、2月19日土曜日。
今日は夕方の飛行機で帰国のため、観光は昼過ぎまででおしまい。それでもボーボリ庭園、ミケランジェロ広場などを観光しました。
市内バスに乗ってピッティ宮中庭にあるボーボリ庭園の入口へ。歴史地区を走る路線は小型の電気バスでした。
ここまで来ておきながらパラティーナ美術館には入っていません(ウフィツィ美術館にも行ってない)。母からも行きたいというリクエストがなかったし、私はすでに行ったことがあり、人が多くてあまりいい印象がなかったから。しかしほかの美術館や博物館に入ると、母はかなり熱心に見ていました。思いのほか美術品とか好きだったんだ。もっとそういった場所にたくさん行くべきだったかなあ、と反省しています。 -
冬なので庭園は閑散としています。日本人の発想だと冬枯れの景色にもそれなりの美しさを見出そうとしますが、ヨーロッパにはそういう考えがないようです。ですから、冬ならではの庭園のよさというのはあまりありませんが、噴水の像から垂れたつららや、人っ子一人いない並木道を歩くのはなかなか風情があると思います。
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ブオンタレンティのグロッタ。
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天井のドーム。
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バッカスの噴水。
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ネプチューンの噴水。
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噴水の先にあった豊穣の像。
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園内にある陶磁器博物館に寄りました。邸宅を利用した小じんまりした博物館で、寒い公園を歩く途中の休憩にちょうど良い場所でした。
写真は博物館の庭から見た城壁。庭園の外縁になっています。 -
陶磁器博物館の噴水。猿の像の足からつららが…。この日は寒かったんです!
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庭園から西に延びるヴィットローネと呼ばれる小径。
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寒い中でも咲いている花が…。
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西の端にある大洋の噴水。
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噴水の周囲には石造が並んでいました。
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ボーボリ庭園を通り抜けて、ローマ門までやってきました。そこから13番のバスに乗ってミケランジェロ広場へ向かいます。
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ここから13番のバスに乗ってミケランジェロ広場へ向かいます。
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ミケランジェロ広場は前回の旅行ですっかりお気に入りとなった場所。フィレンツェの街が一望できるあの眺めを、ぜひ母にも見てもらおうと連れて行きました。
母がフィレンツェに来たかった理由は、知人の娘さんがイタリア留学後もずっと住んでいるので、住みたくなるほどいい町フィレンツェを見てみたいと思ったからだそう。住むのと観光に来るのは違うと思いますが、フィレンツェの市街地の路地の暗さや、石の建物の圧迫感はやはりなじみがありません。母もその点には閉口したようなので、この眺めの良さでリフレッシュします。 -
ミケランジェロ広場からの眺めは気に入ってもらえたようです。
風景画を描いて売っているおじさんと。イタリアの男性は写真をお願いすると必ず肩や腕を組んでくれます。 -
こんな絵を買いました。
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ミケランジェロ広場からベッキオ橋方面。
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広場から再びバスに乗って市内へ。
サンタクローチェ教会は修復中でした。ホテルの近くにあったオーサンニッティ教会にも行ったとメモがあるけれど、写真もないし記憶もない…。 -
革製品の青空市場(泥棒市)で土産物を購入。そういえばマンダリナ・ダックという鞄屋さんで妹と姪にもお土産を買ったっけ。それで税金の払い戻し手続きもした記憶が…。そんなことをしたのは初めてで要領がわからなかった。
このあとアカデミア美術館へ行きました。 -
アカデミア美術館の目玉、ミケランジェロのダビデ像は、同じ大きさのレプリカがシニョリーア広場やミケランジェロ広場にあり何度も目にしていました。しかし、本物は室内にあるので、外にあるものより格段に大きく見えます。本物だからなのでしょうか、より威厳があるようにも見えました。
アカデミア美術館の写真はなぜかないです。
この写真は捨て子養育院美術館前広場。中には入ってません。 -
13:30頃、最後にヴェッキオ橋を見て観光終了。
15:00頃に迎えの車が来てフィレンツェ空港へ向かいました。
迎えに来てくれたのは現地手配会社JALパックの日本人スタッフでした。空港での手順、乗り換えについて日本語で丁寧に説明してくれるのはありがたかったのですが、その説明が実は間違っていました。 -
帰路はフィレンツェからアリタリア機でミラノ、JAL機に乗り換えて成田へ、さらに中部国際空港へ乗り継ぐという行程。荷物は中部までスルーなのですが、ミラノ以降の搭乗券への引き換えはミラノで行ってくれとのこと(出国がミラノだから?)。こんなケースは初めてなのでどこのカウンターで引き換えるのかなど細かく聞くと、航空会社のカウンターではなく搭乗ゲートで搭乗券を発行するとのこと。(これは私の聞き間違いでも解釈間違いでもないはず、ほかの人もそう理解してたので。)
言われた通りにミラノでは搭乗ゲートに向かい、係員が来るのを待っていました。乗り継ぎ時間は2時間余り、出発時刻1時間を切ってもだれもやってきません。だんだん搭乗ゲートで搭乗券に引き換えるなんてありえない気がしてきました。同じツアーの新婚カップルも、「搭乗券がないから免税店で買い物もできない」と困っていたので、彼らと一緒にアリタリアの地上スタッフを捕まえて事情を説明すると、「ちっが~う!」とイタリア訛りの日本語で言ってから、乗り継ぎカウンターへ連れて行ってくれました。やっぱり、乗り継ぎカウンターで手続きじゃん!
そんなわけでミラノ以降のチェックインがかなり遅れてしまいました。成田→中部便はすでに並びの席がなく母とは別々の席に。しかもエコノミーが残り1席ということで、母はファーストクラスの座席!一時間足らずのこととはいえちょっとだけうらやましい。
当時のJALファーストクラスは座席上部にフードがありプライバシーが保たれるというのが自慢でした。乗った後の母の感想は、「隣の人の顔も外も見られない椅子でつまらない」とのこと。なるほど…。
帰りの飛行機では母が貧血になりちょっと大変でした。3列席に座っていたのですが、隣の外国人は具合の悪くなった東洋人を見てSARSではないかと大心配。たまたま後ろの座席の日本人女性も倒れていたので、彼はスゴイ恐怖だったことでしょう。おかげで座席を移動していったので、その後は2人で3席使えてラッキーでしたが…。
SARSは2002-2003年に中国や周辺国で脅威となりこの時はほぼ収束していましたが、まだ警戒感が残っていたんですね。SARS流行地に行ったわけでもないし熱もなかったので、その時は旅の疲れと機内の低い気圧のせいだと確信していましたが、旅行記を書いている今(新型コロナ大流行の2021年)に思い返すと、彼の態度が正しかったと思います。 -
成田への到着が1時間近く遅れて、中部への乗り継ぎがギリギリ。JALのスタッフの「中部空港へ乗り継ぎの方、走ってください」という指示に従って空港内をダッシュ。なんとか国内の乗り継ぎに間に合いました。
中部国際空港は私たちが出発した翌日、2005年2月15日に開港しました。逆に言うと小牧空港最後の日に出発したということですね。(小牧空港は国内線空港として存続しているので、国際空港最後の日とういことですが。)
中部国際空港は新しいので設備もピカピカだし使い勝手もいいです。旅客以外からも稼ぐために管制区域外のお店も充実。当時は空港見物に来る人で土日はすごい混雑だったほど。
お蕎麦の店で夕食をとり、迎えに来てくれた夫の車で帰りました。もちろん母も送って行きましたよ。
そういえばこの旅行では初めて携帯電話の国際ローミングを使いました。ローマやフィレンツェから父や姉妹に電話したりして面白がっていました。当然私の夫にも電話していたのですが、なぜか一度も繋がりません。帰ってから聞いてみたら、なんと私が旅行していた間ずっとインフルエンザで大変だったそうです。やっとよくなって、我々を迎えに来ることができたそう。
夫を気の毒に思っていたら、なんと帰国した翌日から私がインフルエンザで寝込んでしまいました。潜伏期間を計算するとローマあたりで感染したようです。
当時のローマ法王はこのときインフルエンザで入院されていて、この後それが一因となり亡くなってしまいました。次の法王を選ぶコンクラーベという会議がシスティーナ礼拝堂でおこなわれているというニュースを見るたび、あの観光客でいっぱいだった部屋で厳粛な話し合いが行われているのかと感慨深くなったものです。 -
こうして3回目のイタリア旅行は終わりました。
この後ユーロが対円150円に迫る高値となり、燃油サーチャージも付加されるようになったりして、イタリアへは行きにくくなってしまいました。ユーロ高もおさまった今、こうして振り返ってみると、やっぱりまた行きたいですね。次こそは南イタリアへ!
写真は当時買いそろえていたガイドブックやローマの路線地図。当時の個人旅行には必須アイテムでしたが、今はこれらのほとんどがweb情報で代用できますね。
パック旅行を利用したのも今回が最後でした。添乗員さんがいないなら、航空会社、乗り継ぎの空港を自分で選んだ方がかえって楽な気がします。少々価格が高くても乗り継ぎは少ない方がいいし、できるだけコンパクトで、トラブルがあっても何とかなりそうな空港を選びます(ビザがいる国での乗り継ぎとかしたくない)。これも航空券やホテルを個人手配が簡単になったので言えることですけど…。このころまでは海外のホテルを予約するのも旅行会社頼りでしたからね。旅行好きにはいい時代になったものです。
帰国後すぐにインフルエンザで寝込んだりして、この旅行の記録をすぐには整理していませんでした。ですから詳細に関する記憶がかなりあいまいです。今では記録代わりに写真を撮りまくってきますが、このころはデジタル化していたとはいえまだ撮る量が少なく、行った場所、時刻などは間違いがあるかもしれません。記録って大事。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 迷宮ねずみ420号さん 2021/05/09 12:13:50
- 新鮮です
- binchanさま
ご無沙汰しております。
海外に行けない日々が続きますが、昔の旅行記を見るのもとても興味深いですね。
これまでずっと一人旅の旅行記を見てきたので、
お友達や同僚、ご主人、お母様との旅行記、とても新鮮です!
こういう旅行を経て後の一人旅のbinchanさんが形成されていったんですね。
昔の緑の航空券も懐かしい。
小牧空港最後の日に出発だなんて、なんかすごい(語彙力なくてスミマセン)
当時の情勢も書かれていて、「ああ、あの頃かあ」と
懐かしく楽しく見せてもらっています。
早くなんの心配もなく海外に行ける日々が戻ってきますように・・・。
迷宮ねずみ420号
- binchanさん からの返信 2021/05/09 21:54:05
- RE: 新鮮です
- 迷宮ねずみ420号さん、お久しぶりです。
書き込みありがとうございます。
お誕生日のホテルステイ、おしゃれな過ごし方でしたね。やっぱり素敵。
私は実家に両親の様子を見に行く以外ほとんど外出しないので、
ついに気になっていた昔の旅行記に手をつけました。
当初の4トラって投稿がはじかれてしまったり修正が反映されなかったりで、
ずいぶん適当な投稿のままほったらかしだったんですよね。
それに文章もわかりにくくて、気になってはいたんです。
あらためて見直してみると、私も昔は誰かと旅行してたんですね。
今では人と一緒に行くとその人との会話や関りに気を取られて、
旅行に集中できないのが性に合わないようなんです。
まあそれ以上に、一緒に行ってくれるという友達がいないんですけど(笑←笑と言いつつこれはホント。
一人旅の旅行記も見直していますが、どんどん変な方向へと突き進んでます(笑。
しばらくは旅行に行かないつもりですが、旅行記をあげている皆さんに励まされつつ、いつか行ける旅行のために旅心だけは養っておこうと思っています。
binchan
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