2021/03/26 - 2021/03/26
6位(同エリア417件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2021/03/26
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電車での移動
京成国府台駅
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徒歩での移動
京成国府台駅→弘法寺
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仁王門
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祖師堂
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本殿
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赤門
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大黒堂
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龍神堂
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伏姫桜
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石段(涙石)
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手児奈霊神
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真間の継橋
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大門通り
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文学の道
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文学の道→JR市川駅
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「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」
西行が詠んだこの歌には、なんとなく共感してしまいます。
如月の望月の頃とは、釈迦が入滅したとされている陰暦の2月15日の満月の頃のことですが、太陽暦では3月の中旬頃をさしています。
この時季になると、どうもソワソワして落ち着きません。
桜は美しいですが、残念ながら短命です。
だからこそ、その美しい姿を一目見たい・・・こんな思いは、多くの日本人共通の思いかもしれません。
今年は緊急事態宣言が明けた折に、こちらの桜のことを教えていただきました。
そこで、さっそくお花見に出かけました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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-
京成国府台駅から向かいました。
有名な桜であると教わったのに、お寺の方に向かわれる人はいませんでした。
ひょっとして道を間違ったのかと思っていたら、参道に突き当たりました。 -
弘法寺(ぐほうじ)です。
正確には「日蓮宗本山 真間山(ままざん) 弘法寺」です。 -
仁王門
扁額「真間山」の「真」の字に鳩があしらわれています。
これは弘法大師の筆によるものとのこと。 -
右
金剛力士(阿形)
運慶作とも言われているようです。 -
左
金剛力士(吽形)
運慶作とも言われているようです。 -
手水舎
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祖師堂
こちらには、宗祖日蓮大聖人。開基伊予阿闍梨日頂聖人。第二祖富木日常聖人をお祀りしてます。
この弘法寺は、奈良時代の天平9年(737年)行基菩薩が、この地に立ち寄られ、里の娘の手児奈の話をお聞きになったところ、その心情を哀れに思われて、一宇を建てて「求法寺(ぐほうじ)」と名付けて、手厚く手児奈の霊を弔われました。
それから約100年を経た平安時代の弘仁13年(822年)、弘法大師空海が布教のために立ち寄り、七堂伽藍を再建されて「弘法寺」と名前を改称されました。
その後、鎌倉時代の建治元年(1275年)に、広学多聞の人として評されるほどの関東天台の一大学匠であった住持・了性法院信尊と、富木常忍公(日蓮大聖人の檀越 後に中山 法華経寺を開創)との間に、真間問答が起こりました。
日蓮大聖人は御弟子の伊予阿闍梨日頂聖人(後に六老僧)を遣わされ、この法論に勝利をおさめました。以来弘法寺は法華経の道場として発展してきました。
元亨3年(1323年)には、地元の有力武将であった千葉胤貞公より寺領地の寄進を受け、天正19年(1591年)には、幕府を開闢した徳川家康公より御朱印状を賜りました。江戸時代は紅葉の名所として知られ、多くの江戸町民により参拝がありました。
ただ、明治21年(1888年)大火災のために、全山悉く灰燼に帰してしまいました。その後、歴代先師の懸命な尽力と、檀信徒の協力により再建整備されてきました。 -
平成22年に建設されました。総ヒノキです。
前部は方形造り、後部は入母屋造りです。
また、屋根瓦は行基葺きを取り入れています。
この行基葺きは、行基菩薩が考案したとされるもので、有名なものは奈良県国宝元興寺、大分県国宝富貴寺などがあります。 -
御神木の間から、仁王門を
左の付近ですが、残念ながら鐘楼堂は老朽化のため工事中です。 -
本殿
こちらには「真間の釈迦仏」として名高い、珍しい説法印(教えを説いている印)を結ぶお釈迦様の座像があります。
また、法華経で遣わされた上行菩薩、無邊行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩。
東西南北を護る持国天、広目天、増長天、多聞天の尊像も安置されてます。 -
赤門
正式には朱雀門です。秋の紅葉の頃は、赤門に美しく映えそうです。 -
「九思一言とて 九度思いて 一度申す」
(九思(きゅうし)一言(いちごん)とて 九度(ここのたび)思いて 一度(ひとたび)申す)
崇峻天皇御書
一言発する前には、心の中で九度、いやせめて一度は言葉にしてから話すよう心がけたいものです。
これは孔子の言葉を引用されたものです。
聖徳太子の伯父である崇峻天皇は短気を起こしたために、臣下に命を奪われました。
この故事より、信仰は誰よりも篤いのに、短気だった四条金吾氏に与えられた戒めのお手紙です。
本当に言葉はよく反芻して、慎重に発しなければならないと、ドキッとさせられました。(^_^;)
ありがたいお言葉です。 -
こちらの枝垂桜は、「宇賀桜」です。
大黒様の脇侍に由来しているそうです。 -
太刀大黒尊天
日蓮大聖人が比叡山にて修行の折に、その御姿を感受され、彫刻なされたと伝わっています。太刀を持った大黒天像をお祀りしています。
お正月には、太刀を持っていることから、厄除け祈願に霊験ありとして多くの人々が参詣してます。 -
日蓮大聖人御親刻太刀大黒尊天
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龍神堂
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里見龍神とあります。
聞くところによると、里見の姫桜の毎年咲く花ゆかりの伏姫の行方は、ただ奥州ということで、古老の口伝えに残るのみでしたが、昭和26年の晩秋、青森県弘前市の住人堀哲氏が来山し、
「里見の伏姫様の精霊がこもったという白蛇と小鳥2羽の枯骸を祀ってましたが、ここ数年来1度2度ならず小堀一族に不思議なことが起こり、意を決して神の御心が
「里見ゆかりの真間の山の上に帰してほしい」と言っているのだと感じ、持参しました。」と言われ、半信半疑ではありましたが、庫裡に里見龍神と仮称し、仮奉安していたところ、それ以来思いのほか、少なからず霊験を現し、ついには社殿造営の決議が起こり、神のご威光の示すところ、すなわち工事の完成をみるに至りました。
ゆえに、改めて「里見龍王大善神」と公称奉り広く参拝の人々に御利益をあたえるところとなりました。 -
こちらは駐車場の付近の桜です。
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観世音菩薩かと思うのですが・・・。
ひっそりと鐘楼の手前にありました。 -
この日の前日、テレビ放映されていたらしく、結構人出がありました。
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様々な桜がありますが、枝垂桜は華やかです。
伏姫桜です。
伏姫桜という呼び名は、南総里見八犬伝の伏姫にちなんでつけられたという説もあります。
【伏姫とは】
安房(あわ)領主里見義実の娘。
敵将の首をとった愛犬八房(やつふさ)と富山洞にこもって、
八房の気をうけて懐妊しました。
犬の子を産むという恥じに耐えられず、父なくして宿ったことを証明するためみずから腹を切って亡くなりました。
その傷口から「仁義礼智忠信孝悌」の八つの玉が飛び散り、やがてこの玉が化して八犬士となりました。
そうです。曲亭 馬琴の「南総里見八犬伝」の。 -
月見桜
夜桜も綺麗なのでしょう。月と桜なんて風情があっていいですね。 -
角度を変えて見てみます。
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幹がこんなにもしなっていて、支柱なしでは倒れてしまいそうです。
樹齢400年の歴史を感じます。 -
折れてしまいそうです・・・・。
こんなになっても、綺麗に花を咲かせてくれるなんて凄いことです。
長い間お疲れ様です。
そして、今までこの桜を守ってきた方々に感謝します。 -
祖師堂にかかる桜
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ちょっとぶれてしまいましたが・・・。
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祖師堂を下から見上げてみました。
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天気にも恵まれ、本当にいい時に来ました。
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上から見下ろしてみると、一直線に市川駅方向に参道が伸びているのがわかります。
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御朱印をいただきました。
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中央の石だけが、色が違います。
実は27段目のこの石には謂れがあるようです。
江戸時代、作事奉行(建物の建築、修理をする役職)の鈴木長頼(ながより)という人物が、伊豆から船で江戸川を通って石材を運ぼうとしていたところ、途中で船が動かなくなってしまいました。それがここ市川の根本付近でした。
そこで長頼は、弘法寺に縁があると感じ入り、船に積んでいた石を、石段に使ってしまったのです。
実は、この石はただの石ではありませんでした。
日光東照宮の造営のために使う石材だったのです。
この結果、幕府から責任を問われ、長頼は石段で割腹して果ててまいました。
とても無念だったのでしょう。
この石には、その時の血と涙が染み込んでいるという言い伝えがあるのです。
石段の1つはいつも濡れているのです。 -
この階段は全部で63段あるそうです。
しかも1段の高さが結構ありますので、ご高齢の方にとっては、少し辛そうでした。
途中で休憩しながら上ってらっしゃいました。 -
帰りはJR市川駅を利用することにしました。
そのため、来るときには通っていなかったので知りませんでしたが、「真間万葉顕彰碑(真間娘子墓(ままおとめのはか)」がありました。
市川市の重要文化財に指定されています。 -
手児奈霊神堂(てこなれじんどう)
その昔、真間の里に手児奈という美しい娘がいました。
その美貌に手児奈を娶りたいと、男たちは争ったそうです。
心の優しい手児奈は、人々が争い、そして傷つくのを厭って、真間の入江に身を投げてしまいました。
人々は手児奈を憐れんで、御祠を作って手厚く葬りました。 -
中に入ってお参りしました。
「われも見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児奈が 奥津城処
万葉の歌人、山部赤人が、この地を訪れた折に、手児奈への想いを廻らせました。
遠く京の都でも、この手児奈の物語は人々に知れ渡りました。
文亀元年(1501年)9月9日 當山第七世の聚楽院日与上人の夢枕に現れた手児奈は、地元の人々の守り神になろうと、4つの誓いをたてられました。
「良縁成就」「孝子受胎」「無事安産」「健児育成」
以来、地元の女神として、多くの人々の信仰を集めています。 -
「縁結び 桂の木」
さだまさしさんが奉納されたようです。
桂の木は縁結びの木として、霊験が顕著と言われているそうです。
昭和56年7月26日、第3回市川ほおずき市の折に、さだまさしさんが奉納されたようです。
さだまさしさんは、長崎県出身ですが、当時は市川市に住んでいたようです。 -
浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)
水の徳を司る菩薩さまです。
お題目を唱えながら、浄行さまの御身体を洗い磨くことで、清まると信仰されています。 -
境内には池がありました。この池は昔は真間の入り江が続いていたのだそうです。
池にかかる桜も綺麗です。
また、この池には蓮が咲くようです。 -
桜も見事ですが、こちらには松の木もありました。
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奥の方にひっそりと桜が咲いてます。
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真間稲荷神社
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雨どいに狐がいます。
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池がありました。
水面には、堂と桜が映っています。 -
松ぼっくり
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見事な桜です。
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恋しくは形見にせよと我が背子が
植ゑし秋萩花咲きにけり
(10-2119)歌詠み人 不詳
揮毫者 松坂久子 -
葛飾の真間の浦廻を漕ぐ船の 船人騒ぐ波立つらしも (14-3349)
葛飾の真間の手児奈をまことかも我に寄すとふ真間の手児奈を (14-3384)
葛飾の真間の手児奈がありしかば真間のおすひに波もとどろに (14-3385)
足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の續橋やまず通はむ (14-3387)
歌詠み人 不詳
揮毫者 小林松篁 -
ぬばたまの夜のふけゆけば久木生ふる
清き川原に千鳥しば鳴く (6-925)
歌詠み人 山部宿禰赤人
揮毫者 豊住美枝 -
霜雪もいまだ過ぎねば思はぬに
春日の里に梅の花見つ (8-1434)
大伴宿禰三林
揮毫者 道口和羊 -
真間の継橋
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市川市の市指定重要有形文化財
「真間万葉顕彰碑(續橋)」 -
その昔、市川市北部の台地と、その南に形成された市川砂州との間には、現在の江戸川へ流れ込む真間川の河口付近から、東に向かって奥深い入江が出来ていました。
この入江を「真間の入江」と呼び、手児奈の伝説と結び付けて伝えられていました。
「片葉の葦」やスゲ等が密生していました。
国府台に下総国府の置かれた頃は、市川砂州上を通っていました。砂州から国府台の台地に登る間の入江の口には幾つかの洲ができていて、その洲からかけ渡された橋が、万葉集に詠われた「真間の継橋」なのです。橋は
「足の音せず行かむ駒もが葛飾の 真間の継橋やまず通わむ」
(足音せずに行く駒がほしい、葛飾の真間の継橋をいつも手児奈のもとに通いたいものだ)の歌で有名になり、詠み人知らずの歌ではありますが、当時の都人にまで知れ渡っていたのです。
この真間周辺には継橋をはじめ、手児奈の奥津城(墓)、真間の井など、万葉集に詠まれた旧跡が多いです。これらの旧跡も歳月が経つにつれて、人々の間から忘れ去られていくのですが、これを憂えた鈴木長頼は、弘法寺の十七世日貞上人と議して、元禄9年(1696年)、その地と推定される位置に碑を建て、万葉の旧跡を末永く顕彰することを図りました。この碑が今に残る「真間の三碑」です。 -
入江橋
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真間川は一級河川です。
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春の野にすみれ摘みにと来し我そ
野をなつかしみ一夜寝にける (8-1424)
歌詠み人 山部宿禰赤人
揮毫者 樋口晶子 -
霞立つ野の上の方に行きしかば
うぐいす鳴きつ春になるらし (8-1443)
歌詠み人 丹比真人乙麻呂
揮毫者 川渕如水 -
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば
心もしのに古思ほゆ (3-266)
歌詠み人 柿本人麻呂
揮毫者 小林松篁 -
銀も金も玉も何せむに
優れる宝子にしかめやも (5-83)
歌詠み人 山上憶良
揮毫者 岩田荷渓 -
なつきにし奈良の都の荒れ行けば
出で立つごとに嘆きし増さる (6-1049)
歌詠み人 不詳
揮毫者 国井久美子 -
君待つと我が恋ひをれば我がやどの
簾動かし秋の風吹く (4-48 )
歌詠み人 額田王
揮毫者 小澤潮園 -
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ
葦辺をさして鶴鳴き渡る (6-919)
歌詠み人 山部宿禰赤人
揮毫者 平井万寿 -
あをによし奈良の都は咲く花の
薫府がごとく今盛りなり (3-328)
歌詠み人 小野老朝臣
揮毫者 中野花舟 -
熟田津に船乗りせむと月待てば
潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな (1-8 )
歌詠み人 額田王
揮毫者 那須大卿 -
にほ鳥の葛飾早稲を贄すとも
そのかなしきを外に立てめやも (14-3386)
歌詠み人 不詳
揮毫者 松田青艸 -
国道14号線沿いです。
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このまま帰ろうと思っていのたですが、観光案内を見ると、「文学の道」がありました。
桜の土手になっているようでしたので行ってみました。 -
桜並木になっています。
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桜の遊歩道
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笹塚橋です。
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少し曇ってきましたが、これで市川の桜は満喫できました。
南総里見発見伝に、こんなところで出会えるとは思ってもみませんでした。
これを機に、所縁に地を巡ってみたくなりました。
それにしても、見事な伏姫桜でした。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- ishigantouさん 2021/05/08 02:55:05
- 我が地元へようこそ
- noelさん こんばんわ
noelさんのコメントにあるように、我が地元市川は歴史も古く良い所なんです。文豪〈永井荷風〉が暮らした場所であったり、中国が出来たばかりの副総理だった〈郭沫若〉も市川に居た事があるそうで、記念館が残っています。他にも葛飾八幡宮とすぐ近くにある不知八幡森(しらずやわたのもり)は有名でそこの一角だけ竹藪が残されています。
こちらの紀行文で”14号に出たところ‟のお写真の左側は、明治17年創業の料亭「栃木家」ですね。ここで1回だけ鰻を食べた事があります。
去年の今頃はステイホームだったので改めて地元散策をして、旅行記を次々に投稿していこうかと思ってましたが、普通に出勤するようになったら2回で終わってしまいました。折を見て続編も投稿します。
その2回投稿した一つに「里見公園とじゅん菜池」の里見公園は北条氏と里見氏の合戦場となった場所、ここも里見氏と由縁ある公園です。
是非また市川の探訪をしてみて下さい。
- noelさん からの返信 2021/05/08 20:28:45
- RE: 我が地元へようこそ
- ishigantou さん
いつもありがとうございます。
地元だったんですね。
実はお2人目のご連絡です。
やはりお住いの方、結構いらっしゃるんだなぁ〜と思いました。
そして、本当に近くていい所だと思いました。
著名人の方も多いんですね。
永井荷風の濹東綺譚は、読んだことがあります。
葛飾八幡宮とすぐ近くにある不知八幡森さん、竹藪があるなんて、風情があっていいですね。
> こちらの紀行文で”14号に出たところ?のお写真の左側は、明治17年創業の料亭「栃木家」ですね。ここで1回だけ鰻を食べた事があります。
さすが、地元の方!すぐわかるんですね。
入ってみたいと思いながら、写真を撮りました。
> 去年の今頃はステイホームだったので改めて地元散策をして、旅行記を次々に投稿していこうかと思ってましたが、普通に出勤するようになったら2回で終わってしまいました。折を見て続編も投稿します。
それはいいですね。
どうぞまた、投稿してください。参考にさせていただきます。
> その2回投稿した一つに「里見公園とじゅん菜池」の里見公園は北条氏と里見氏の合戦場となった場所、ここも里見氏と由縁ある公園です。
里見公園には残念ながら、行けませんでしたが、気になります。
総寧寺にも行ってみたいと思いました。
コロナが収束し、普通の日常が戻るといいですね。
そしたら、大手を振って出かけられます。
ご連絡ありがとうございました。
noel
- ishigantouさん からの返信 2022/07/23 00:23:52
- Re: 我が地元へようこそ
- noelさんご無沙汰しております。
旅行記に投票して頂いたのでご存じのように、この春やっと伏姫桜を見ました。地元ながら(生まれ育ったのは大田区池上ですが、市川に住んでもう20年くらい経ちます)中々タイミングが合わないでいました。間近で見たらさすが貫禄がありました。
今年のGWは遠出もせず近場をウロウロしましたが、さすが夏は富山、福井あたりに進出する予定です。海外はお正月あたりからかな!?
最近またコロナ感染者が増えてきましたので、予断を許さない状況です。お互い気を付けて、暑い夏も乗り切りましょう。
- noelさん からの返信 2022/07/23 18:08:04
- 伏姫桜、見られて良かったですね。
- ishigantouさん、私の方こそお久ぶりです。
そして、たくさんの「いいね」ありがとうございます。
まずは、旅行記拝見して、今年は行かれたんだな〜と思ってました。
綺麗に咲いていましたね。
目の前だと、迫力が凄いですよね。
また、樹齢400年でありながらも、私たちを楽しませてくれる姿に本当に感動しました。
それにしても、お近くだから、いつでも見られると思ってしまいますよね。
駅からの道に木内ギャラリーや不思議なお屋敷もあったんですね。
素敵なお屋敷で、なんだか気になりました。
夏は富山、福井ですか・・・。
いいですね〜。
昔、福井には夏に行ったことがありました。
楽しみですね。
お正月はいよいよ海外ですね。
私も行きたいです。
ちなみに夫は今夏、行きたがったのですが、全然準備もしてないし、ちょっと今は行きにくい状況になってきたので、諦めます。(-_-;)
どうぞishigantouさんも、ご自愛ください。
そして富山・福井楽しまれてくださいね。
noel
-
- sanaboさん 2021/05/05 01:15:22
- 弘法寺
- noelさん、こんばんは
緊急事態宣言明けの良いタイミングで弘法寺へいらしたのですね。
弘法寺の名を多分初めて聞きましたが、テレビなどでも紹介される
由緒ある有名なお寺さんなのですね。
様々な桜が美しく咲き誇り、お天気にも恵まれて久々の遠出(?)を
楽しまれたことと思います。
伏姫桜と名付けられた枝垂桜は南総里見八犬伝の伏姫に因んでいるそうですね。
里見八犬伝の内容を今までよく知らずにいましたが、noelさんの解説を読み
その不思議なストーリー展開にとても驚きました。
しかも伏姫の行方が奥州とだけしかわかっていなかったのに、昭和26年に
青森県弘前市の堀哲氏が伏姫様の精霊がこもったという白蛇と小鳥2羽の
枯骸を持参されたのだそうですね。
真間の山に帰られて霊験を現し「里見龍王大善神」として
ご利益を授けて下さっているそうですが、本来のあるべき場所に戻られ
伏姫様の御霊も安らかになられたことでしょう。
それから、手児奈という娘さんのお話もとても印象的でした。
引く手あまたの美貌だった故、そして争いごとを厭うが故に自ら身を投げたとは
凡人の私には到底できないことですが、それほどまでに清らかな優しい心根の
持ち主だったのですね。
地元の女神として、多くの人々の信仰を集めているとのことですが
生前から女神様のような方だったように思えました。
素敵な和歌も沢山ご紹介下さり、万葉の時代に思いを馳せながら
楽しませていただきました♪
sanabo
- noelさん からの返信 2021/05/05 10:53:33
- Re: 弘法寺
- sanaboさん、こんにちは!
いつもありがとうございます。
私も弘法寺の事は、教えていただいて初めて知りました。
そして、現地で、たまたま出会った人から、テレビ放映していた事を聞きました。
でも、その方は以前にもいらした事があったようで、結構有名なお寺のようです。
そして、市川市は、近くにあるようで、最近では遠い存在になっていました。
私も、このお寺に行くまで知らなかった事がたくさんありました。
里見八犬伝は昔NHKで放映していた人形劇で見た以来でしたので。
でも、これを機に、できたら他の所縁の場所にも行ってみたいと思いました。
それにしても、本当は枝垂桜を見たい、というだけだったのですが‥‥。(笑)
それから、手児奈伝説は、現代の私たちには、ちょっと信じられないお話ですね。
手児奈のあまりにも清らかなお心に、感動しました。
きっとsanaboさんの仰るとおり、生前から女神のような方だったのでしょう。
また、ゆっくりと探訪できる日がくるように、願っています。
お返事ありがとうございました。
どうぞ、お気をつけてお過ごしください。
noel
-
- hot chocolateさん 2021/05/02 17:37:06
- 真間山
- noelさま
ようこそ市川市へ! 驚きました。
私は市川の真間生まれ、真間育ちで、結婚するまでこの地に住んでいました。
真間山や手古奈神社は我が家からも近く、小学校の授業が終わると
よく遊びに行ったものでした。
市川は、奈良時代からの歴史もあり、文人たちも住んでいた街です。
結婚して、車で10分ほどの市川の別の町に住んでいますが、初詣は今も真間山で、
昔、大晦日には真間山の鐘楼で除夜の鐘をついたこともあります。
今年のお花見散歩にも真間山に行きましたよ。
今は取り壊されてしまいましたが、水戸光圀公がいらっしゃった折、
町を見下ろす眺めの良い茶室を賞で「遍覧亭」と称されたそうです。
こんな身近な真間の旅行記をありがとうございました。
hot chocolate
- noelさん からの返信 2021/05/02 20:21:13
- 真間山
- hot chocolateさま
いつもありがとうございます。
それにしても、な・な・なんと、市川の真間のお生まれだったんですね。
素敵な所にお住まいだったんですね~。
今回初めてお邪魔して、本当に市川市って古くからの歴史ある街であることがわかりました。m(__)m
毎年のようにお参りされて、羨ましいです。
あの伏姫桜は、ただ単に美しいだけでなく、様々な歴史を見てきたのかと、思うと感動的でした。
それにしても、除夜の鐘をついたことまであったんですね。
工事中でしたが、コロナが明けたら、除夜の鐘の音色を聞きに行きたいです。
「遍覧亭」ですが、さぞや素敵な茶室だったんでしょうね。
帰りに石段を下りる時に、駅までの一直線の道を見下ろして、とても気持ちよく、綺麗な街並みに感動しました。
光圀公がいらした時は、現在とは違った趣があったでしょうね。
また、行ってみたい所でした。
それから、hot chocolateさんの「知られざるペルシャの魅力を求めて」ですが、なんとも羨ましい限りです。
「イマーム・モスク」のアラベスクのタイルには、ほれぼれとして魅入ってしまいました。元々大好きなんです。
また、ペルセポリスの遺跡もなんとも素晴らしいですね。
少ないとはいえ、十分堪能させていただきました。
でも、できれば、自分の目で見てみたいのです・・・・。
それにしても、市川市の真間の素晴らしさを発見できて、
しかもhot chocolateさんのお里だったなんて、嬉しくも羨ましくも思いました。
ありがとうございました。
noel
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