2021/03/20 - 2021/03/22
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ミータさん
この旅行記のスケジュール
2021/03/20
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旧JR山田線区間も含め三陸鉄道が全線再開通したのが2019年3月。いつか全線乗車の旅をしたいと思いつつ、台風19号で再び線路が分断されたり、コロナ禍があったりでなかなか実現しなかった。その1では陸前高田から釜石までの旅を紹介する。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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一週間前の3月14日、雨の中日帰りで南三陸町のさんさん商店街と気仙沼市の海の市に出かけてきたばかりなのに、また三陸地方に向かう。今年2021年の春分の日は3月20日の土曜日。私の職場は土曜日勤務、月曜休み(出勤のこともある)なので、三連休になる。かねてから計画していた三陸鉄道全線乗車の旅を実行することにしたが、荷物が多くなると大変。そこで一週間前に買い出しをしてから、今回の旅に向かうことにしたのだ。
お昼頃気仙沼駅に到着。そこからBRT(バス高速輸送システム)大船渡線で陸前高田に向かう。気仙沼駅 駅
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奇跡の一本松駅の一つ手前に陸前今泉駅(バス停)ができていた。そこから奇跡の一本松方面に数分ほど歩いたところにCAMOCYという施設ができていた。
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CAMOCYは「醸(かも)す」から来ていて、地元の醤油など調味料の醸造メーカー八木澤商店が中心となってできた施設で、飲食店やパン屋などが入っている。
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CAMOCYの外観。
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醸造関係の施設ということでビールの醸造所もある。
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中は結構混んでいた。
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昼間からビールと思ったが、まだ先は長いのでリンゴのホットドリンクにする。ついでに出張販売のどら焼きも購入。
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混んでいたので、八木澤商店の「発酵食堂やぎさわ」はかなり待つことになるそうだ。お惣菜とお弁当のお店「gentil」の方が待ち時間が短いというので、こちらのお惣菜セットメニューにする。いくつかのお惣菜から三種類選択する。左からマンボウと切り干し大根のサラダ、エビにチーズをまぶしたもの、茄子とピータン豆腐、それにみそ汁とごはん。これで900円だった。中は先ほどの写真のように人が多かったので、外のテラス席で食べる。
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食べ終わったら、徒歩で奇跡の一本松を目指す。
途中には震災遺構の気仙中学の建物がある。土地がかさ上げされ、かつてバスが通っていた道はかなり下の方になっている。そう、久しぶりに陸前高田に来てみたらバスのルートが変わっていた。 -
以前の橋があったところには、橋げただけ残されている。新しい橋と比べると、どの位土地がかさ上げされたか分かるだろう。向こう岸の画面右寄りに奇跡の一本松も見える。
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橋からCAMOCYのある方面の眺め。
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土地のかさ上げのための土砂を掘り出していた山は、造成され住宅地になっていた。バスもあの高台の住宅地の中に新しくできた道路を走る。
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かつて「一本松茶屋」という、奇跡の一本松目当てに来た人相手の土産物屋や食堂があった場所。今は新しい施設を造るための工事中か。
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「一本松茶屋」の代わりにできた「高田松原津波復興祈念公園」。地域の特産品を売るお店や食堂などの入った道の駅と震災ついての展示がある東日本大震災津波伝承館が併設されている。ここも結構人が来ていた。
高田松原津波復興祈念公園 公園・植物園
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奇跡の一本松を目指す。
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奇跡の一本松。その背後にある津波で破壊された建物はユースホステルだった。奇跡の一本松はこのユースホステルの建物があったので、津波の直撃を逃れて残ることができたのだ。もっとも、その後塩害で枯れてしまい、今あるのは特殊加工されたものである。奥の方に新しくできた水門が見える。
奇跡の一本松 名所・史跡
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ユースホステルだった建物。津波の破壊力を今も伝える。
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遠くの高台が、土地のかさ上げのために土砂を掘り出していた山だったところで、今は住宅地になっている。下方、中央やや左寄りに被災した旧気仙中学の建物も見える。
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堤防に上って海の方を見ると、高田の松原再生のために松の苗木が植えられている。この苗木が育って松原になるのは早くても2,30年後かな。
高田松原 自然・景勝地
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復興祈念公園の方に戻って、津波伝承館の見学を行う。
道の駅の入り口横の部屋でも各被災地の震災前後の航空写真のパネルが展示してあった。パネルには震災直前の2010年から2020年までの10年間の人口の推移も書かれていた。この10年間で被災地の各市町村は2割前後人口が減少している。2015年時点と比べてもかなり人口は減っている。その代わり、2015年と2020年では世帯数がわずかだが増えている自治体が複数ある。つまり、一世帯当たりの人数が減っているという訳で、子育て世代が減っているということだろう。日本全国で少子高齢化が進んでいるが、被災地ではその進み具合が早い。そうなると人口減少に歯止めをかけるのは難しい。今後の復興はどうなるのだろうか? -
津波伝承館の見学の後、道の駅の方のカフェでカフェラテをいただく。
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津波で被災したかつての「道の駅高田松原」だった建物。茶色のプレートが津波の高さを示している。
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この辺りの津波の高さは14.5m。陸前高田市の中心部はリアス式海岸が続く三陸地方では珍しく平地が広がっていた。そこにこの高さの津波が襲ったのだから、壊滅的な被害になった。
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再びBRTに乗り大船渡駅(バス停)で下車。「かもめの玉子」のさいとう製菓の店舗かもめテラスに立ち寄る。
かもめテラス 三陸菓匠 さいとう総本店 グルメ・レストラン
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さらにかもめテラスに隣接する復興商店街にも立ち寄る。晩御飯用にお弁当でもあればと思ったが、手頃なものがなかった。保存のよさそうなサンマの煮つけなどを購入。
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さらにBRTで盛駅に向かう。ここからいよいよ三陸鉄道の旅が始まる。
盛駅 駅
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釜石駅に向かう。
本当にこの便に乗れて良かった。もし、一週間前に南三陸と気仙沼に買い出しの旅をしていなかったら、気仙沼でも買い物をしてもう1本後の便に乗ろうとしていたかもしれない。 -
定刻の17:36釜石駅に到着。
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この日の宿は釜石駅に隣接したフォルクローロ三陸釜石。小雨が降っていたので、徒歩10分ほどかかる町の中心まで行くのは面倒。駅前のコンビニでお握りなどを購入してホテルの部屋で食べることにした。
お湯でも沸かそうとしていた18:09、宮城県沖を震源とするマグニチュード7、宮城県内で最大震度5強、釜石でも震度4の地震が発生。揺れはかなり長いこと続いた。館内放送を聞いて、取りあえず部屋にとどまるのが良いと判断する。ホテル フォルクローロ三陸釜石 宿・ホテル
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揺れは1回だけで、次の地震はなさそうだったので、夕食にする。
テレビで地震情報を見ると津波も発生したようだが、幸い大きな被害はなさそうだ。しかし、新幹線や在来線は軒並み運休。三陸鉄道も運休。一週間前に南三陸と気仙沼での買い出しの旅に出ていて良かった。気仙沼で買い物してから陸前高田、釜石に向かうことも考えていた。それだともう一本後の便に乗ることになり、盛駅で立ち往生になっていた。また、地震がもう1時間早く発生していたら、三陸鉄道の車内に閉じ込められていた。本当に運が良かった。 -
デザートは、かもめテラスで購入した普通のかもめの玉子(ミニ)と季節限定のかもめの玉子いちご味。
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朝食はコロナの感染対策のためバイキングではなくセットメニュー。
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駅前の製鉄所。
昨夜(3月20日)の地震で、朝になっても三陸鉄道は運休。いつ運行再開するのか。ホテルは駅の隣なので、駅で情報収集。9時頃に釜石駅を出発する便から運航再開するというので、8:40頃ホテルをチェックアウト。早めに駅の待合室に行き待機する。 -
向かいの線路の車両はJR釜石線のもの。
背後のビルは今回泊まったホテルフォルクローロ三陸釜石。
この日の天気は雨。しかもかなり激しく降るかもしれないという予報。どうなることやら。
続く。
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