2020/12/29 - 2020/12/29
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mistralさん
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明けましておめでとうございます。
昨年は多くの皆さまに,mistralの旅行記へご訪問いただきましてありがとうございました。
mistralは思春期まで千葉県で育ちました。
特に小学校時代は社会科の授業で、かつて海上、香取、匝瑳郡一帯には椿海(つばきのうみ)が広がり、その一帯を干拓して、やがて干潟八万石と言われる穀倉地帯がつくられた、と学んだ記憶があります。
両親とともに、あるいは遠足などで高台などに上がった折の、干潟八万石が遥か彼方まで延々と続いていて緑豊かな田んぼの景観は,mistralの原風景となっているように思います。
実家の井戸工事の折には、地面を掘り進めると貝殻が沢山出てきて、昔はこの辺りは海だったんだと思ったことなどの記憶も、今だに鮮明に思い出されてきます。
千葉県の地方銀行の小冊子の特集を見ていて、たまたま俳優さんが干潟八万石を歩かれた記事を見たことから、自らも辿ってみたいと考えるようになり、このコロナ禍で旅することも出来ない中、生まれ育った地元を巡ってみることにしました。
(表紙写真は夏目の堰の白鳥たち)
-
はじめに
千葉県の地図と、椿海の位置を示す地図です。
茨城県との境を流れる利根川も
現在よりはずっと太いものです。 -
椿海の境界を赤線で囲んでみました。
江戸時代になり江戸の町の人口増加により米の増産が要求されるようになったこと、
幕府としても米の収穫量が増えれば年貢米の取り立て量が増えること、
財産を蓄えてきた江戸の豪商たちが、新田を開発して後、売り出して利益を得ようとした事
などから当時、椿海を埋め立てての新田の開発が行われたようです。 -
しかし椿海が干拓され耕作に利用されるまでには、大変な苦労があったことが今回初めて分かりました。
以下は、伊勢大神宮入口にあった立看板より記載しました。
<鎌数伊勢大神宮の由来>
当地は寛文11年(西暦1671年)迄は椿の海という周囲約42km、東西12㎞、南北6㎞の湖でした。
江戸の人、白井治郎衛門、伊勢桑名の人、辻内刑部右衛門という二人がこの湖の干拓の工事を始めた。農民、漁民からの強い反対があり工事を中止することにした。この上は神様のお助けに依らねばと考え、両氏は伊勢内宮梅谷左近太夫長重神主に工事遂行の大祈願をお願いした。両氏は御神木と御神札を持ち帰りこの湖水に浮かべたら、流れ流れて今の大神宮近き東方の岸に着いた。これは神さまのお示しだと考え工事を始めたら、不思議な事に農民、漁民から反対もなく工事が進んだ。
寛文11年12月28日に〆切の式を行って、九十九里浜に水を流した。寛文12年5月に待望の大干潟が生まれ18の村ができた。これを干潟八万石という。
寛文12年5月に大業完成感謝記念として梅谷左近太夫長重(現宮司12代前)神主により現地に伊勢皇大神宮より御分霊をお移しして干潟の総鎮守産土神としておまつりした神宮である。
と書かれていますが
実際は干拓工事の終盤には、湖水の水を排水しようとしたら堰から水が溢れ出し、周辺の村落は暫くの間水没してしまったり、
下流の村落は湖水の水の恩恵を受けていたのが一転して、干ばつの被害に苦しむようになり、豊かな八万石となるまでにはまだまだ道は遠かったのです。
更に安定した水の供給が得られるようになるには、利根川からの水を引き、九十九里浜まで流す工事が平成に入って終了するまでの長きに渡った期間が必要だったのです。 -
干拓後
18の村が新たにできたそうです。
古図の村名を赤で囲み、足りない地名も加えましたが
どうしてもあと、一ヶ村が足りません。
干ばつに備えての溜池も幾つか作られたそうです。
そのうちの
袋の溜池、夏目の堰は
後ほど訪れます。 -
千葉テレビ制作 「千葉見聞録」より
新たに18ヶ村の記載がある図を見つけました。
また、新たに造られた溜池と、それらを結ぶ堀割
も。 -
匝瑳市公式ホームページより写真をお借りしました。
稲が青々と茂っている頃の干潟八万石です。
恐らく西側からみたものでしょう。
(ここで椿海の由来を追記します)
昔、三郡にまたがる枝を持った大きな椿の木があったそうな。この木は、猿田彦命(さるだひこのみこと)が国を分けるときに、国境に植えたものだそうだ。日本の3大木のひとつに挙げられる木で、昼でも夜のように暗かったようだ。
ところが鬼満国の魔王がこの木に住みつき、自分の国にしようと狙っていたそうだ。
そこで猿田彦命は近隣のニ神の力を借りて、魔王の退治にあたったそうだ。
魔王は二神の攻撃にたまらず椿の木を根こそぎひっくり返して、東の海へ飛び去ってしまった。その木が抜けた大きな跡に水が溜まり、やがて椿の海と呼ばれるようになったそうな。
旭市にある矢指(やさし)との地名は、その折の魔王めがけてニ神が矢を放ち、飛んでいった方角を示すそうだ。その折のニ神、香取の経津主命(ふつぬしのみこと)、鹿島の建御雷命(たけみかずちのみこと)は、この地方の守護神として以後崇められるようになったそうな。 -
千葉テレビ制作 「千葉見聞録」より
3社5寺の建立もされました。 -
そのうちの一社。
国道126号線を東に進むと
丁度旭に入るあたりに鎮座するのが
鎌数の伊勢大神宮。
昔からお伊勢さまと親しまれています。
既にお正月に向けての準備中。
旭市の西側一帯は「干潟」という地名なのですが
まさに干拓してできた干潟によることが
初めて理解できました。 -
かなり久しぶりの
境内に入っての参拝を。 -
神楽殿。
例年なら3月の大祭時に奉納される神楽、
12座の舞と2つの稚児舞があるそうですが
2021年はどうなるのやら。 -
鳥居を振り返って。
-
<夫婦杉>
樹齢 約320年
この杉は根元が一つになっていて、子どもの木が一本はえている。
二本の大杉が根本が一つになっているため、夫婦杉と名づけられているそうです。
子宝に恵まれない方は、この杉の前でお祈りすると子宝に恵まれると伝えられている。 -
ご神木の大銀杏。
このイチョウは「ラッパイチョウ」と言われ
漏斗状の葉をつけるそうです。 -
ラッパ状になっている葉の写真
見つけました。
この種のイチョウは珍しいものらしいです。 -
<この石の解説>との説明書きが。
寛文九年十月までは、この地は海上、匝瑳、香取、三郡にまたがる周囲十里半、東松ヶ谷村より西飯塚村まで三里、南太田村より北諸徳寺村まで一里十九丁もある大きな椿の湖でした。
江戸の人 白井治郎右衛門、辻内刑部左衛門の力で、椿の海を干拓し立派な田畑になりました(干潟八万石) -
続きの解説
昭和15年、太平洋戦争中香取航空隊飛行場建設の為、多くの人達で工事が進められたが工事中湖時代に生き埋めになっていた各種の貝類、漁具用のおもり等が数多く掘り出されましたが、この石もその一つです。
然し之は石ではなく、専門家が調べたら、塩の固まりである事が分かりました。塩の化石です。
千葉刑務所干潟出張所の職員が神社に奉納されたものです。 -
お伊勢さまに参拝ご
実家へと。
実家近くにある「袋の溜」に立ち寄って撮影。 -
溜池は道路を挟んで、西側、東側に分かれているが
ここにくる野鳥はほとんどが鴨の仲間のようだ。 -
ズームで撮影してみたら
以前、カナダ旅行の折に探しまくって購入したデコイに
お腹近くの羽の様子がソックリだった。 -
東庄県民の森までやって来た。
初めての訪問。 -
第二駐車場に車を停めて
見晴台まで少し歩く。 -
枯れて落ちたモミジがふんわりと積もっていた。
-
見晴台からの眺望。
-
干潟八万石の一部が見渡せたが
実際は右手にずっと開けている。 -
<見晴台にあった椿海についての説明板>
ここにも干潟八万石についての説明と鉄牛禅師について書かれていた。
その昔、海上、香取、匝瑳の3郡にわたり東西12km、南北6㎞にも及ぶ椿海と呼ばれる広大な湖がありました。
江戸時代初期のころ、この椿梅を干拓し水田にする諸願が、地元から繰り返し幕府にされましたが認められませんでした。
その後、鉄牛禅師の働きによりようやく幕府の許可が下り、工事が着手され、干潟八万石といわれるこの眼下に広がる穀倉地帯が築きあげられたのです。 -
左手に見えるのが夏目の堰 (八丁堰)
当日の最終目的地。 -
無数に点状に見えているのは鴨たち。
-
白鳥たちは湖畔にびっしりと生える (植えられた)
竹の生垣に囲まれたところに集まっているようだ。 -
福聚寺の方向に進むと
-
変った形の山門があった。
<見晴らし台にあった説明板の続きより>
鉄牛禅師は、寛永5年(1628年)今の山口県に生まれ、11歳の時から寺に入り、やがて黄檗(おうばく)宗を開いた隠元禅師に出会いました。江戸において人気が高く、徳川幕府の信頼も得て、禅師は多くの功績を残し、晩年は福聚寺に入り、73歳の生涯をこの地で閉じました。 -
本堂
-
山号は
補陀落山 という。
山門の下に、かつては掲げられていた材が横たわっていた。 -
車で、遥か下方に見えていた
夏目の堰まで行ってみた。
過去には、もう既に亡くなっている母、あるいは父の道案内で
堰まで難なくたどり着いていた。
冬になると、孫たちに「鴨の池に行こう」と声をかけて
mistralの運転でしばしば堰までやって来ていた。
今回はカーナビに表示される細い道を探し
堰の近くに沿って走る道を選び、近くまでやって来て
やっと、ここだったと突き止められ安心した。
堰の周囲、特に車の往来がある道路沿いには竹が
びっしりと植えられ
人の気配が感じられないように(多分)配慮されている。 -
所々、植え込みがなく
見渡せるところがあり
そこに車を停めて暫く湖畔を眺めた。 -
堰で羽を休める野鳥たち
朝には飛び立って近隣の田んぼで餌を探し
夕方になると戻ってくるようだ。 -
2羽、3羽、或いは編隊となって
-
次々に上手に着水していく。
-
そのうちに、密集してきて
着水する際には、やや強引に割り込むように。 -
-
-
鴨たちはそれほど警戒心が強くないのか
生垣のない、道路沿い近くでも悠々としている。 -
道路沿いから離れた湖面の密集具合。
-
-
-
ずっと見ていても
飽きることがない。 -
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-
-
16時半頃になると
道路沿いには見物の車が次々にやってきた。 -
年末のお天気にも恵まれた静かな1日の終わり。
-
この堰で味わった穏やかさが
2021年には地球上に広がっていきますように。
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この旅行記へのコメント (10)
-
- マリアンヌさん 2021/01/27 11:51:08
- 椿海
- mistralさん こんにちは。
身近な場所の歴史を探求しちゃうなんて、さすがです。
埼玉出身の私は千葉に疎く、匝瑳郡の読み方さえわからずググってしまいました。
千葉というと太古の時代は南半分は島だったというのは、聞いたことがあります。
香取海というか霞ヶ浦の近くに椿海なんていう素敵な名前の潟があるのですね。
干潟八万石の歴史、興味深く拝見させていただきました。
その上、神話の猿田彦まで登場とは・・・以下ネットから
天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。
そして香取神宮と鹿島神宮が出てくるあたり、辻褄があいますね。
神話がらみの古代史は、判明できていないだけに想像力を搔き立てますね♪
鴨や白鳥の姿にも癒されました。
マリアンヌ
- mistralさん からの返信 2021/01/27 14:19:57
- RE: 椿海
- マリアンヌさん
こんにちは。
なかなかお会いする機会がありませんね。
> 身近な場所の歴史を探求しちゃうなんて、さすがです。
> 埼玉出身の私は千葉に疎く、匝瑳郡の読み方さえわからずググってしまいました。
そうでした。
「そうさ」とふりがなを付けておくべきでした。
最近になって、八日市場市から匝瑳市へと、市の名前も変わりました。
身近な街、探訪はブログネタがなくなっての苦し紛れに始めてみたのですが
えっ、そうなの!ということもあって、結構楽しんでます。
> 千葉というと太古の時代は南半分は島だったというのは、聞いたことがあります。
> 香取海というか霞ヶ浦の近くに椿海なんていう素敵な名前の潟があるのですね。
> 干潟八万石の歴史、興味深く拝見させていただきました。
昔、小学校の授業で干潟八万石という言葉を習いました。
遥か遠いむかしのこと。
それでも、その言葉の響きには不思議なことだけど、懐かしさがあります。
> その上、神話の猿田彦まで登場とは・・・以下ネットから
> 天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。
> そして香取神宮と鹿島神宮が出てくるあたり、辻褄があいますね。
> 神話がらみの古代史は、判明できていないだけに想像力を搔き立てますね♪
最近、マリアンヌさんは香取神宮にお詣りされたんですよね。
実家でも、今年の初詣はしっかりとお詣りしよう、という年には香取神宮に行ってました。
そういえば、旭から銚子に向かって行くと、猿田というJR駅があるんですよ。
もしかしたら猿田彦と関連があるかもしれませんね。
> 鴨や白鳥の姿にも癒されました。
野鳥の騒ぎ(さえずりではなかったのです)の中にいると、世の中の喧騒を忘れますね。
コメントをありがとうございました。
mistral
-
- しにあの旅人さん 2021/01/05 10:05:21
- あけましておめでとうございます
- と心から言いたいところですが、コロナのせいでそう軽やかにいかないのが残念です。
ヤマトタケルの房総篇をやっているときに通った道筋でした。古代は椿海を漕ぎわたってちょっと歩けば香取の海ですから、このあたりは当時のメインルートでした。
県民の森も2回くらい行きました。同じ位置からかつての湖面を見下ろしました。
八丁堰は見下ろしただけ、こんなにいっぱい鳥がいる季節ではなかったのですね。これがかつての椿海の名残かと思っていました。
その後も古代の東国を調べているのですが、どうやら学校で習ったのとは大違いで、5世紀くらいの東国は、かなりの文明を持っていて、天武天皇が官道を整備するはるか以前からヤマトと行き来していたみたい。
上総下総文化圏は、まず上総市原あたり、それから下総のこのあたりに移った様です。その原因が、当時の東アジアの国際情勢に連動しているという説もあって、びっくりです。
俄然興味ワクワクです。もう一度このあたりにも行ってみたいと思っています。
- mistralさん からの返信 2021/01/05 22:33:21
- RE: あけましておめでとうございます
- しにあの旅人さん
今年もよろしくお願い致します。
> ヤマトタケルの房総篇をやっているときに通った道筋でした。古代は椿海を漕ぎわたってちょっと歩けば香取の海ですから、このあたりは当時のメインルートでした。
> 県民の森も2回くらい行きました。同じ位置からかつての湖面を見下ろしました。
> 八丁堰は見下ろしただけ、こんなにいっぱい鳥がいる季節ではなかったのですね。これがかつての椿海の名残かと思っていました。
そうですね。
私も、その折のしにあの旅人さんの旅行記、良く覚えています。
我が母校、匝瑳高校を見下ろす位置にある神社も訪問されていましたね。
夏目の堰は、冬場になると渡鳥がやってきて大賑わいです。
昔は鴨さん達だけでしたが、いつの頃から白鳥もやってきていたようです。
> その後も古代の東国を調べているのですが、どうやら学校で習ったのとは大違いで、5世紀くらいの東国は、かなりの文明を持っていて、天武天皇が官道を整備するはるか以前からヤマトと行き来していたみたい。
その後も調べておられるのですか!
当時の東国に文明があったという事に、まずびっくりですね。
私も郷土史、しにあの旅人さんほど古い時代ではないのですが、をあらためて
興味を持って見てみたら、想像以上に面白い地、と驚いています。
> 上総下総文化圏は、まず上総市原あたり、それから下総のこのあたりに移った様です。その原因が、当時の東アジアの国際情勢に連動しているという説もあって、びっくりです。
> 俄然興味ワクワクです。もう一度このあたりにも行ってみたいと思っています。
そのうちに、新たな説、として旅行記をアップされるのでしょうね。
次なる旅行記も楽しみにお待ちしてます。
mistral
-
- yunさん 2021/01/02 15:59:28
- 困難な日々にも 安らぎのひとときを
- mistralさん
あけましておめでとうございます
椿海 すてきな響きのその名の「由来」拝見しました。
先日、旅先で想像をはるか超える椿の大木に出会いました。
「こんなに大きくなるんだ~」と口があんぐり。その経験から由来の逸話にすんなり合点がいきました。日本の地、学んでみれば意味ある場所がたくさんあるのですね。
最近、小鳥のさえずりに癒されることが多々あります。
唯一所持している望遠レンズを片手に、どこか、野鳥の森を訪れたいな~と思っていますが…。
特異な日々が長引き、コロナは一向に衰えず
それどころか、一都三県では再度の「緊急事態宣言」が検討されているとの速報。
医療現場の方々の心身の疲労に心痛み
自身もどんな工夫で、感染から身を守りつつ通勤できるのか。
地球上、見えぬコロナに悪戦苦闘の日々がまだまだ続く。
mistralさんご夫妻も、お仕事にひと区切りをつけられて、
本来であれば東へ西へ、今までより自由な旅を計画されていたのではないでしょうか。
みんなの旅計画実行が後退を余儀なくされていますが、
決して「無し」にはしないぞ!と心に誓い、
日々、下を向かずに進みたいです。
2021年 今年もよろしくお願いいたします。
yun
- mistralさん からの返信 2021/01/02 19:56:29
- Re: 困難な日々にも 安らぎのひとときを
- yunさん
今年もよろしくお願いします。
メッセージをありがとうございます。
お元気でお過ごしのご様子ですね。
すっかりご無沙汰しておりました。
このコロナ禍の中で、通勤途上などではずいぶんのご心配がある事と思います。
今までかつて、目に見えない敵?に対して、こんなにも注意を払ったことがあったのでしょうか。
地球上での未曾有の危機?
多分、平和ボケしていた私たち(私です)にとっては、そうなのでしょうが、かつてはそんな危機は頻繁に訪れていたのかもしれません。
おっしゃるように、困難な日々が続くからこそ、安らぎのひとときが必要ですね。
旅先で椿の巨木に出逢われたとか!
神話の世界と、現実の世界とがリンクする、、、
ちょっぴり嬉しいお知らせでした。
そんな馬鹿でかい椿の木があるはずないでしょ、というわけでなくて。
小さい事で、ホッとした気持ちになれる事が
この困難な時には必要な気がしています。
野鳥の森で、小鳥のさえずりに耳をすます、、、
いいですね。
今回の堰では、鴨さんたちも白鳥さんたちも、ゲコゲコ、ガーガー(適当な音が見つからない)大騒ぎで、さえずりとはほど遠い世界でした。
それでも、車や人々のおしゃべりなどの都会の喧騒からはほど遠い、野鳥たちの大騒ぎに、いつしか癒されていました。
飛行機で飛び立てず、go to トラベルも停止となり
だったら身近な地に目を向けてみたら
思いがけずの出会いがたくさんありました。
2021年が希望ある年となりますように。
mistral
-
- Jacarandaさん 2021/01/02 02:25:04
- 燦たる書き初めに感謝
- 自分の生まれ育った地にこんなに豊かな歴史があったことを知りませんでした。また興味を持つこともなく過ごしていたのかと思うと. . .
水鳥の写真どれも素晴らしいですね。穏やかさがつたわってきますし、時を忘れ、ずっと眺めていたい気持ち良くわかります。今年も素敵な、いろいろな旅をshareしてくださいね。
- mistralさん からの返信 2021/01/02 08:43:19
- Re: 燦たる書き初めに感謝
- Jacarandaさん
こちらからも、あけましておめでとうございます。
そちらでの新年はいかがでしょうか。
書き込みの一番乗り、有難うございます。
生まれ育った地に想いを巡らせる余裕ができて来たのは
今回のコロナ禍の影響もありますし
きっと年取って来たせい、そんなふうに感じます。
若い折には、日々をそこでおくることだけで
精一杯でした。
干潟八万石のことば一つにも、驚きがありました。
なんにも知らなかった、、、
もうしばらくふるさと探訪をしてみますね。
お付き合いください。
本年もよろしくお願い致します。
mistral
-
- frau.himmelさん 2021/01/02 00:05:22
- 明けましておめでとうございます
- 昨年は今まで経験したことがない様な大変な1年でしたが、明けましたね。
mistralさんの新年第1号、詩のような美しい題名に惹きつけられました。
子供のころの思い出の地を歴史的に辿り、その後慣れ親しんだ神社に参拝し、そしてカモや白鳥が乱舞し、棲みかに帰る夕暮れの風景。
平和な穏やかな1日の流れの中に誘われました。
椿海(つばきのうみ)って地名も素敵。お正月らしい素敵な旅日記でした。
コロナの方はますます収まることを知らないように増え続けていますが、今年は安心して旅ができるようになってほしいと願っています。
今年もよろしくお願いいたします。
himmel
- mistralさん からの返信 2021/01/02 10:25:04
- Re: 明けましておめでとうございます
- himmelさん
本年もどうぞよろしくお願い致します。
昨年は想定外だったコロナ禍に、右往左往する日々となってしまいました。
もともとは太古の昔からウィルスはずっと地球上に存在していたのでしょうが、
人間が薬を作り出し、結果的にウィルスも自衛手段として
どんどん進化を遂げていったように思います。
夕暮れの中で、野鳥たちの羽ばたくさまをじっと見ていると
この地球上に起こっている様々なことがらが
まるでフィクションのようにも思えてきました。
ふるさと探訪は、このコロナ禍が与えてくれた
絶好のチャンスだったのかもしれません。
そうでなかったら、新しい旅行記のアップにのみ
追われていたことでしょう。
himmel さんもこの好機に、
シニアお三人での旅の総集編に取りかかられ
一緒に振り返らせていただいております。
一編一編に、また別の意味での時間、手間がかかっている事
と思います。
今回のプラハ総集編、駅舎がすっかり綺麗になっていて
ああ、やっぱりプラハの街っていいなあ、と惹かれ、
再訪はいつのことになるのやらとため息です。
安心して旅立てる日まで、お互いに健康に気をつけて
過ごしましょう。
今年もよろしくお願い致します。
mistral
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