2020/12/14 - 2020/12/14
76位(同エリア757件中)
empenguinさん
- empenguinさんTOP
- 旅行記196冊
- クチコミ31件
- Q&A回答0件
- 305,870アクセス
- フォロワー35人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
芝の増上寺の近くは何度も通ったことがありましたが,中をじっくり見学したことはなかったので,新型コロナ第三波で外出自粛の時期ですが,境内に入り見てきました.徳川将軍家の菩提寺であり,広く立派な寺院です.丁度,宝物展示も行われていましたので入りました(有料).奥の徳川将軍家墓所にも入り(有料),展示室で見た台徳院殿(二代将軍秀忠)霊廟の1/10模型(英国ロイヤルコレクションからの借用物)も合わせて,徳川将軍家の権勢と栄華を偲ぶことが出来ました.
周辺の次の所も巡ってきました: 芝大神宮,芝東照宮,芝公園,芝丸山古墳,愛宕の青松寺.
表紙写真は旧台徳院殿(二代将軍秀忠)霊廟の惣門
増上寺Web: https://www.zojoji.or.jp/info/
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 交通手段
- 私鉄
PR
-
浜松町から増上寺に行く途中に,芝大神宮に立ち寄った.
これは芝大神宮の鳥居.芝大神宮 寺・神社・教会
-
芝大神宮本殿.
関東のお伊勢(芝神明)さまとして崇拝されている神社.主祭神は天照皇大御神に豊受大御神と云う伊勢神宮の内宮・外宮に祀られる2柱を祀る.創建は一条天皇の代の寛弘2年(1005年)と古く,関東を支配する多くの武家,源頼朝,太田道灌,北条氏直,徳川家康などから崇拝された. -
増上寺三門前の江戸風常夜燈
常夜燈 名所・史跡
-
増上寺の大きな三門(三解脱門).
元和8年(1622)建立で,増上寺が江戸初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物.三解脱門とは,三つの煩悩(貪欲,瞋恚(しんい)・怒り,愚痴)の三悪を解脱する悟りの境地を表す.国の重要文化財.増上寺 寺・神社・教会
-
芝周辺のマップ
-
このような宝物展示「よみがえる徳川将軍霊廟」が行われているとのこと.
展示室(有料)に入りました. -
増上寺境内説明図
-
増上寺沿革と大殿(本堂),安国殿の説明.
増上寺は関東での正統念仏道場として1393年に酉誉聖聰上人により,江戸貝塚(千代田区紀尾井町)に創建された.1588年に現在地に移転した.江戸期には徳川将軍家の菩提寺として,また浄土宗の総務所,関東十八檀林の筆頭として隆盛した.最盛期の増上寺は,広大な寺有地に120以上の堂宇,100軒を越える学寮があり,3000名以上の僧侶が修学した.戦災で伽藍の多くを焼失したが,昭和49年の大殿再建以後,徐々に復興した.現在でも浄土宗の大本山. -
増上寺大観音像
-
改修中(屋根葺き替え中)の増上寺大殿 ― 姿を見れずに残念.
首都圏で最大級のお堂.戦災で焼失が,昭和49年に再建された.
この大殿の2階が本堂で,3階は念仏の根本道場,1階は信徒控室.増上寺 寺・神社・教会
-
増上寺鐘楼堂.
この鐘楼堂の鐘は江戸三大名鐘の一つであった(他は寛永寺と浅草寺).
大梵鐘は350年ほど前に鋳造されたものだが,鐘楼は戦後に再建されたもの.
増上寺 寺・神社・教会
-
増上寺写経塔. 黒塗りの扉に金の葵の紋.
増上寺 寺・神社・教会
-
増上寺の聖鋏観音. 右手に鋏を持っている.
-
聖鋏観音の説明
-
大殿は改修工事のシートで覆われているが,中に入れました.
-
増上寺大殿内部. 中央に阿弥陀如来が祀られている.
-
大殿右の安国殿.
法然上人800年忌を記念して,平成22年に老朽化した堂宇に替わり新しく建立された.家康公が深く尊崇した秘仏黒本尊の阿弥陀如来像が祀られている.名称は徳川家康公の法号「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」に由来する.増上寺 寺・神社・教会
-
安国殿と黒本尊の説明板
-
安国殿内部 ― 家康公が尊崇した秘仏黒本尊の阿弥陀如来像
-
増上寺宝物展示の看板(場所は大殿地下).
有料(徳川家霊廟入場と合わせて¥1000)ですが,入りました.
展示室は残念ながら撮影禁止.増上寺 寺・神社・教会
-
展示室は撮影禁止だったので,これはポスターの写真を示します.
台徳院殿(二代将軍秀忠)霊廟の1/10模型がありました.昭和5年に国宝に指定されたが,戦災で焼失してしまった.1910年(明治43年)ロンドンで開催された日英博覧会に展示された模型を解体して英国王室が所有しており,そのロイヤル・コレクションから2014年に長期貸与を受け,組み立てたもの.精細装飾で豪華な霊廟建築が偲ばれました.
台徳院殿霊廟模型展示のWeb: https://www.zojoji.or.jp/takara/mokei/ -
台徳院殿(二代将軍秀忠)霊廟の1/10模型のWebからの借用写真-1.
拝殿とその後ろに本殿. -
台徳院殿(二代将軍秀忠)霊廟の1/10模型のWebからの借用写真-2.
手前に中門・透塀,奥に拝殿,その後ろに本殿がある. -
台徳院殿(二代将軍秀忠)霊廟の1/10模型のWebからの借用写真-3.
精巧で鮮やかな装飾. -
もう一つの展示の五百羅漢図のポスター.
「五百羅漢図」は江戸末期に活躍した狩野派の絵師・狩野一信により描かれた全100幅の絹本着彩画.各画にほぼ5名ずつの羅漢が描かれ,100幅あわせて五百羅漢現出の様態が,執拗ともいえるほどの描きぶりで精細に表されている.100幅の内10幅が展示されていた.
なお,羅漢とはお釈迦さまのお弟子さん.お釈迦さまが亡くなられたときに集まった500人のお弟子さんが五百羅漢のモデル. -
西向観世音の門 ― 安国殿の北側
-
よく見えないが西向観世音菩薩.
鎌倉時代,執権・北条時頼公が観音山(現:東京タワー)に辻堂を建て,鎌倉街道(現:六本木方面)に向けて安置した石像の観音さま.昭和50(1975)年浄土宗開宗八百年記念の境内整備事業として,現在の安国殿前に尊像を遷座. -
観音像 ― これも西向観世音なのかはよく分からず
-
石像
-
千躰子育地蔵菩薩a
増上寺 寺・神社・教会
-
千躰子育地蔵菩薩b
-
千躰子育地蔵菩薩の説明板
-
ジャンパーを着た子育地蔵菩薩
-
千躰子育地蔵菩薩c
-
両側に並ぶ千躰子育地蔵菩薩
-
徳川将軍家墓所への入口
-
徳川家霊廟の看板
-
徳川家霊廟の鋳抜門.
元は文昭院殿(六代将軍家宣公)霊廟の宝塔前の中門.
左右の扉に5個ずつの葵の御門が入っていて,両脇に昇り龍・下り龍が鋳抜かれてる.旧国宝.徳川家墓所 (徳川家霊廟) 名所・史跡
-
徳川家墓所の入口(有料:ここだけだと\500,展示室と合わせて\1000).
6名の将軍と正室,側室,子女の墓がある.多くの霊廟は戦火で焼失し,墓は移設され,この墓所に集められた. -
内側からの鋳抜門
-
明治期の徳川家御霊屋図.
戦前までは現在の東京プリンスホテル敷地も増上寺の墓所で,徳川家の複数の霊廟(北御霊屋)があった.
展示室に模型があった二代秀忠公霊廟は南側(南御霊屋)にあった. -
旧増上寺御霊屋(戦災で焼失)の写真.
二代秀忠公霊廟だけでなく,他の将軍の霊廟も立派なものでした. -
十二代家慶公石塔
-
九代家重公石塔(家重は八代吉宗公の長子)
-
七代家継公石塔
-
二代秀忠公とお江の方石塔 ― 展示室で台徳院殿(二代将軍秀忠)霊廟の1/10模型を見ましたが,今はこれだけしか残ってないのは寂しいですね.
秀忠は家康公第三子として1579年出生で,幼名は永松・竹千代.1605年第二代将軍に就くも,家康公生存中は実権は父がもつ.1623年に家光に将軍職を譲り大御所となった後も,実権をもった.1632年54歳で死去.
織田信長の妹・お市と,近江(現在の滋賀県長浜市)の戦国武将・浅井長政との間に生まれた3姉妹が,茶々,初,江.茶々は豊臣秀吉の側室となり淀殿と呼ばれ秀頼を産む.江は3度目の結婚で,徳川家康の跡継ぎで2代将軍秀忠の妻に.大坂の陣では,3姉妹の長女・茶々と三女・江が,豊臣と徳川に分かれる運命に直面した.江は3代将軍家光の生母となり,寛永3(1626)年に54歳で死去. -
六代家宣公青銅塔 ― これは青銅塔でした.
-
皇女和宮(十四代家茂正室)青銅塔 .
和宮は仁孝天皇第8皇女として1846年出生.6歳時に有栖川宮と婚約するも,15歳で公武合体策により徳川家に降嫁し,十四代将軍家茂の正室に.家茂没後,波乱万丈の幕末・明治維新を過ごし,1877年(明治10年)31歳で没. -
【付録】 増上寺と並んで上野・寛永寺も徳川将軍家の菩提寺で,将軍の墓があります.最後の十五代将軍だった慶喜公の墓は谷中霊園にあり,この円墳が写真です.
-------------------------------------------------------------------
なお,徳川家歴代将軍の墓所は以下になっています.
1.家康:日光東照宮,2.秀忠:増上寺,3.家光:日光東照宮(輪王寺),
4.家綱:寛永寺,5.綱吉:寛永寺,6.家宣:増上寺,7.家継:増上寺,
8.吉宗:寛永寺,9.家重:増上寺,10.家治:寛永寺,11.家斉:寛永寺,
12.家慶:増上寺,13.家定:寛永寺,14.家茂:増上寺,
15.慶喜:谷中霊園 -
徳川家墓所を出て,徳川家墓所の前の四菩薩像(普賢・地蔵・虚空蔵・弥勒の四菩薩).
元々は境内奥の地蔵山に安置されていた像を移した.
. -
増上寺大殿左横に,珍しい幼少の法然像
-
パンジー,あるいはビオラ
-
増上寺光摂殿.
平成12年に道場として完成した.1階に講堂,2階に大広間を備える.
内部は非公開で,関係者以外は入れないようです.増上寺 寺・神社・教会
-
増上寺会館(寺務所)
-
増上寺会館の奥の圓光大師堂への階段と山門.
-
圓光大師堂.
総本山知恩院より法然上人御廟の砂を拝領し,奉安する御堂として,平成21年に竣工した.増上寺 寺・神社・教会
-
圓光大師堂の説明板
-
増上寺経蔵.
1605年に創建され,1681年に改造移築し,1800年に黒門脇の現在地に移築された.増上寺 寺・神社・教会
-
増上寺慈雲閣(開山堂).
国宝だった開山堂は戦災で焼失した.これは平成元年に再建されたもので新しい.
黒門の左側で,斎場になっている.増上寺 寺・神社・教会
-
増上寺の慰霊塔
-
増上寺黒門から出ました.
-
旧台徳院殿(二代秀忠公)霊廟惣門.
展示室に模型展示があった台徳院殿(二代秀忠公)霊廟へ至る惣門.戦災でも焼け残った.元の位置から道路側に移設されている.重要文化財.
台徳院殿(二代秀忠公)霊廟惣門の解説:
https://xn----kx8az2i36lupjdj1anga468t.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/%E5%A2%97%E4%B8%8A%E5%AF%BA/%E6%97%A7%E5%8F%B0%E5%BE%B3%E9%99%A2%E9%9C%8A%E5%BB%9F-%E6%83%A3%E9%96%80%EF%BC%88%E6%97%A7%E3%83%BB%E5%A2%97%E4%B8%8A%E5%AF%BA%EF%BC%89%E3%80%90%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%80%91/2355/.html増上寺 寺・神社・教会
-
港区立芝公園.
同じ名前の芝公園は数ヵ所にあるが,ここが一番大きい.
紛らわしいが,港区立芝公園と都立芝公園がありますね. -
芝公園マップ
-
芝公園 ― 後ろに東京プリンスホテル・パークタワー.
芝公園 公園・植物園
-
芝公園花壇のパンジー(スミレ属),小型の花はビオラ(スミレ属)かな.
-
花壇のプリムラ(サクラソウ属).
パンジーかビオラと思ったら,花名札ではプリムラ・ジュリアンだった. -
紫のパンジー
-
芝公園東側の丘陵は芝丸山古墳(前方後円墳). 都心にも古墳あり.
全長106m程あり,都内最大の古墳とのこと.芝丸山古墳 名所・史跡
-
芝丸山古墳へかなり急な階段を上りました.
-
芝丸山古墳上の広場
-
芝丸山古墳頂上に伊能忠敬測地遺功表の碑あり.
芝公園の近くが伊能忠敬の測量の起点となったようです.伊能忠敬測地遺功表 名所・史跡
-
芝丸山古墳上からの見下ろした眺め
-
芝公園の平和の灯 ー カプセルの中に灯が灯っています.
-
芝東照宮鳥居 ― 芝公園の南側
-
芝東照宮由緒.
家康が還暦の記念に「寿像」と呼ばれる自らの等身大の像を作って駿府城に祀っていたのを,家康の遺言により死後,増上寺の境内に社殿を造って安置したのが始まりで,日光,久能山,上野を含め四大東照宮の一つに数えられている.
もともと徳川家康の御霊屋を「安国殿」と呼んでいたが,明治になって神仏分離令などの影響により増上寺の「安国殿」から,増上寺から切り離された「東照宮」に変わり,芝公園の一角に芝東照宮が建てられた. -
芝東照宮拝殿.
今の社殿は昭和44年に再建されたもの.芝東照宮 寺・神社・教会
-
芝東照宮拝殿内部.
手前に祭神の家康公の肖像画がある.奥の扉の中は家康公の御神像か. -
三代家光公お手植公孫樹(いちょう)を示す旗
-
三代家光公お手植公孫樹と思ったが,”いちょう”でないようなので違うかも.
-
北の愛宕台の方にも行ってみました.
東京プリンスホテル ― 前庭も含め広い敷地は戦前は増上寺の北御霊屋であり,複数の徳川家将軍霊廟があったが,みな戦災で焼失した.東京プリンスホテル 宿・ホテル
-
有章院(七代家継公)霊廟二天門(旧・増上寺) ― 霊廟は戦災で焼失したが,この二天門は残った.2015年から保存修理が行われた.これも重要文化財.
-
東京プリンスホテル北側の都立芝公園4号地広場にはクリスマス・ガーデンのテント村が出来ていた.しかし,新型コロナのため人出はまばら.
-
芝公園4号地広場のクリスマス・ガーデンでは食べ物店の出店も多かったが,残念ながら客はまばら.
-
愛宕グリーンヒルズのビル群.
左は森タワー(オフィスビル)とその右側はフォレストタワー(タワーマンション).この二つのビルの間に青松寺あり.愛宕グリーンヒルズ 名所・史跡
-
森タワー内のレストランで一休みを兼ねて遅いランチ ― 讃岐うどん+小天丼セット.
-
青松寺山門.
江戸を開府した太田道灌を開祖とし,1476年に創建された.
道元禅師,宝山禅師を祖とする曹洞宗の寺院(福井の永平寺,鶴見の總持寺を両大本山とする).青松寺 寺・神社・教会
-
山門の四天王の内の二体.
-
青松寺山門を内側から
-
青松寺中雀門
-
青松寺本堂
-
本堂右側の観音聖堂
-
青松寺鐘楼
-
鐘楼を回って奥に行くとある高台の法輪大観音を下から見る.
-
青松寺の法輪大観音. 大きな観音でした.
-
神谷町へ抜ける小道にあった千里社稲荷.
かなり歩きました.これでおしまいです.お付き合いいただき有難うございました.
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
浜松町・竹芝(東京) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
96