2020/11/10 - 2020/11/13
502位(同エリア1749件中)
唐辛子婆さん
GOTOトラベル利用して長野3泊4日の旅です。
唐辛子婆の旅は
気に入ったところは心ゆくまでほっつき歩いて熱中症になったりして
唐辛子爺や友人によく叱られてたんですけど
今回はコロナ渦の最中なので
無理はしないで慎重にゆるゆると歩くことにしました。
1日目:善光寺
2日目:小布施で北斎をみる。
3日目:戸隠奥社へ古道をあるく。
4日目:帰る。
はじめはね
「これを食べるためにアメリカからやってきた。」
っていう飛騨高山のステーキバーグをインバウンドが来ないうちに
食べに行こうと思ったのよね。
でも何度か乗り換えて5時間もかかると車中で駅弁食べたくなっちゃう。
それは危ないかも。
で、急にバタバタ決まった長野行き(2時間で着いちゃうので)。
長野といへば10年以上前に読んで大いに驚いた
「江戸時代の女性の5か月に及ぶ長旅」を思い出さずにはいられませぬ。
それがこの本です。
「姥ざかり花の旅笠」小田宅子の「東路日記」田辺聖子著
高倉健の「5代前のご先祖様」が書いた旅日記!
田辺聖子さんの微に入り細にわたる超楽しい解説つき!
天保時代に北九州の商家の女将のお内儀4人がお伊勢参りに出かける。
家業を子に譲ってからの自由な時間とはいえ
お参りすれば極楽浄土間違いなしの善光寺へと足を延ばし
ここまで来たからにはと日光東照宮、そして江戸も京都も大阪もとすんごい!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 利用旅行会社
- ブッキングドットコム
PR
-
お昼すぎに着いたので
ホテルに荷物を預けて先に善光寺さんにお参りしませう。
さうしたらその長野駅徒歩2分のビジネスホテルのエントランスにいた占いの人が親切にも参道の途中にあるというおいしいお蕎麦屋さんを教えてくれたので探しながら歩きました。 -
でね、みつからなかったの~!
ってか教えてくれた名前が間違ってたとしか思えない。
似たようなのはあったんです(けど閉まってた)・・・。
思いのほか空気が冷たくて
すでに紅葉がはじまっててあざやか~! -
お腹空いた~!
-
とうとう仁王門まで来ちゃったので
-
左手前のお蕎麦屋さんにはいって天麩羅蕎麦をいただきました。
普通においしかったです。
占いのおばさんの教えてくれたお店の方がおいしかったかも^^。
「コロナ感染は室内での食事場面からが一番多い」ようなので旅に出るにあたってオープンテラスのあるレストランばかり探した唐辛子婆。
来てみたら長野じゃテラスは寒いのでもうやってない! -
それでこのデリカで買い物してホテルでチンして食べたり
-
これは鎌倉パスタのお店でスモークサーモンとオレンジワインに
-
濃厚ウニのパスタ。
とってもおいしいけどうちのご近所の散歩コースで食べられるものを
長野でかい?って突っ込みたくなっちゃいますねえ^^。
密を避けて空いていそうなレストラン探してウロウロしてるうちに
こうなっちゃったんですぅ。 -
山門の2Fに上れると聞いていたので
-
靴を脱いで急な階段を上がります。
手すりにしっかりとつかまってないと危ないやうな急な階段です。
もちろん入り口に消毒用のアルコールが準備されていました。 -
眺めがよいのお。
室内の仏像がとても魅力的なのに撮影禁止なのが残念でした。 -
すぐそばの銀杏はすでにまっ黄色。
-
本堂や
-
山が見えます。
宅子(いえこ)さんたちはこの山門に上がったでせうか?
着物じゃ無理だったかも。
江戸時代、お伊勢さんはともかく
長野のお寺の評判まで北九州に届いていたのもオドロキですけど
路銀はどうしてたのかしら?
まさか全部持って歩くなんて物騒なことはできないわよね?
重いし。(なんてったって次の宿場町までいつも徒歩!20㎞以上徒歩!)
この疑問も聖子さんはちゃんと調べてました。
為替手形!
筑州郡方役所から大阪今橋筋の鴻池重太郎にあてた金3両の為替手形が
北九州市立歴史博物館に残っているさうです。
両替商発行の預かり手形や小切手なども流通していたとか!
スマホもPCもテレックスも電話もない時代にその為替が本物かどうか
どうやって見分けたんでせう? -
善光寺のご本尊は
インドよりもはるか西方にいらした阿弥陀如来さまが百済経由で来日されたので本邦の宗派にとらわれず。
と聞いて思い出すのは名古屋の覚王山。
タイからいただいたブッダのお骨をお守りするためどの宗派に属することなく全宗派が交代で1年間館長を務めるとか。
そして善光寺のご本尊は尊い秘仏なので参拝客は拝観かなわず
ご本尊のいらっしゃる床下に掘られた真っ暗いトンネルを通る「お戒壇めぐり」によって極楽浄土行きが約束されるとか。
そ・そ・そんなあ!
コロナのご時世に壁づたいに手探りで進むなんて
参拝客全員がクラスター発生しちゃうんじゃないのぉ~~~?
極楽浄土が約束されるのは嬉しいけど行く時期が早まるのはまっぴら~!
チョコレートアイス死ぬほど食べてから死にたい!
ジタバタジタバタ。
「まあ、ここまで来ちゃったから。あとで消毒すればいいよ。」
唐辛子爺の一言でシブシブとトンネルへの階段を下りる唐辛子婆。
江戸時代と違って足もとにはわずかばかりの電灯がともされて
参拝客の安全を確保しています。
幸い私たちの前後にお参り客は一人もいなくて密にはなりませんでした。
宅子さんたちは荷物持ち兼ガードマンの男たち3名と一緒だったので
前後を守ってもらって正真正銘の真っ暗闇のトンネルを進んだやうです。 -
それにしても本堂に
善光さんとおかみさんそして息子までお祀りされていたのにはびっくり!
だって阿弥陀如来様を長野まで運んできた功績は認めるとしても・・・。
田辺聖子さんも「仏サン(如来さまのレプリカ?)といっしょに並べられてはる!」と驚いてはる^^。
賦役が終わって江戸から国に帰る途中の川で如来様に呼び止められたという善光さん。長野に行きたいと言われ昼間は善光が如来様を背負い、夜は如来様が善光を背負って飛ぶように長野を目指したんですって。 -
そして善光さんの息子(善佐)も地獄へ堕ちて如来の功徳でよみがえり
地獄で見たことを人民に伝えるという責務を背負っているさうで。
まあいっか。
あっ、罰あてないでくださいまし。
善光寺のパンフレットには
「善光寺を開かれた本田善光卿とそのご家族、奥方の弥生の前、ご子息の善佐(よしすけ)をお祀りする御三卿の間があります。」と書かれていました。 -
宅子さんたちは方々で土地ゆかりのお土産を買い求め飛脚便で筑前まで送ったやうです。つまりすでに宅急便制度があったのね。江戸時代ってすばらしい!
-
さてお参りが済んだら
-
やることはあとひとつ。
-
宅子(いえこ)さんたちが泊まった宿坊「野村坊」を探します。
-
グーグルさん探しておくれ。
-
野村坊はこの宿坊街にありました。
当時は出身地により泊まる坊が定められていたようです。
さうじゃないとテレビもない江戸時代
泊り客どおしの方言がきつくて話が分からなかったかも。
参勤交代で江戸に来た鹿児島と東北の侍たちは筆談してたっていうではありませぬか。
・・・文語は標準語(?というのかどうかわかりませぬが。)がキープされてたっていうのも不思議っちゃ不思議だけど。 -
ここです!野村坊。
わりと庶民的な宿坊でしたね。B&Bってカンジ。
宅子さんたちがここに泊まっておこもりの準備をしたかと思うと感慨深い。 -
さて、ホテルに戻りませう。
参道をアルプスとリンゴが描かれたかわいいアルピコバスが通ります。
アルピコバスには明後日戸隠に行くときに乗りまする。 -
参道のところどころにこういった「まちかどミニ博物館」があり
-
怒ったやうな困ったやうなガネーシャみたいな象さんがいました。
-
こちらはカメラ博物館
-
-
参道には善光寺のほかにもいろいろなお寺があり
時間があればゆっくりお参りしたいですねえ。 -
このカフェの名前「アメリ」を見てパリ通のトラベラー
コクリコさんを思い出さずにはいられない。
唐辛子婆がパリに行くときに手取り足取り教えてくれて
おかげで快適な一人旅ができたんでした。
毎年のやうに昭和記念公園でのファン倶楽部オフ会にご一緒してたのに
今年はコロナで何の集まりもありませぬ。
コクリコさんに会いたいなあ。
みんなに会いたいなあ・・・。 -
ここからは11月13日、旅の最終日の朝です。
善光寺の入り口の横に構える造り酒屋「西の門よしのや」の -
雰囲気のある廊下をくぐって
-
いっぱい利き酒をしておいしい生酒と醤油麹を選んだのはいいんですけど
なんと地域クーポン券のアプリが作動しない!
IDと予約番号を入力せよとでてきちゃって先に進まないんです。
すでに入力済みなのに。
仕方なくクレジットカードでお支払いした唐辛子婆。
ホテルのフロントに戻ってアプリを整えて -
駅のショッピングモールMIDORIで
小布施でいただき損ねた桜井甘精堂のモンブランを -
イートインでいただくことができました。
おいし~~い!
この先地域クーポン使うやうなことがあったら絶対に
プリントアウトした券をもらうことにしやう。
だってお店によってアプリに対応してないところもあるんですもの。 -
宅子さんたちのお伊勢さんから善光寺までの行程は
巧妙に関所を敬遠しているコースだそうです。
「木曽福島の関、箱根の関、新井の関などはきびしきこといわんかたなし!」
しかし
「どこにも迂回路(女人みち)がありその情報をもたらすのは旅宿である。情報料、ガイド料、それらがらみで宿屋は関役人とツーツーいけいけになっていたのかもしれぬ。諸事、金の世の中だ。」
それにしても善光寺から日光への迂回路は奥深い険しい山道だったやうで
草鞋に着物姿の女性が追いはぎにも熊・猪にもあわずよくぞたどり着いたものだと目を見張る思いです。
筑前から船で瀬戸内海を渡って大阪から陸路で徒歩(時々馬)でっせ~!
コロナが収束したら宅子さんの足取りをたどってみたいものです。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ElliEさん 2020/12/25 08:04:03
- 牛にひかれて善光寺
- 唐辛子婆さん
来年牛年だから、善光寺にお参りする人もっと増えるかも?
先取りしましたね~。
お戒壇めぐり、女子大生だった頃(私にもそんな時があったのだ~)友だちと真っ暗な中を行きました。
きゃーきゃーうるさい女が5人、さぞ周りに迷惑をかけたものと思います・・・。
恥ずかしい思い出。
江戸時代って人の移動は制限されていたようなイメージだけど、お寺詣りなら許されていたのね。
抜け道もちゃんとあったとは!
それにしても女性ばかりで、5か月もの旅はすごすぎる。
ダンナさま方がよく許したもんだと思うのと同時に、自由になるお金があったんだろうなあって思う。
うらやましすぎる~。
モンブランがおいしそう~~~!
食べたい!
カナダでモンブランってあまり見ないから、日本に帰ったら是非食べたい!
- 唐辛子婆さん からの返信 2020/12/25 21:35:54
- Re: 牛にひかれて善光寺
- ElliEさん
>それにしても女性ばかりで、5か月もの旅はすごすぎる。
すごいですよね。
お供の男性(荷物持ちと用心棒)が3人ついていたといっても商家の使用人だから帯刀を許されていたわけでもなく柔術の心得とかもなかったと思う。
九州からお伊勢さんまでは主に船を利用したらしいけどそれとても帆船なので
風待ちで何日も滞在を余儀なくされたり、待ちきれなくて陸路に変更したり。
陸路は宿場から次の宿場まで徒歩で20km以上だし、抜け道は整備されてない山道・・・。50代といえば現在の60代以上いや70代相当だったかもしれず、健脚に驚くばかりです。
>ダンナさま方がよく許したもんだと思うのと同時に
>自由になるお金があったんだろうなあって思う。
この旅行を提案した久子さんは未亡人、お誘いに応じた宅子さんは婿養子を取っていた。二人とも裕福な商家の人で有名な和歌の先生の門下の才媛であった。
とのことです。でもお伊勢参りの女性はこの二人がものすごく特殊というわけではなかったようです。
私が驚いたのは路銀のこと。為替手形や小切手が流通してた!
そして宅急便制度もあったんですね。飛脚に荷物を託す。
こういったことを少しづつ書き足していってみたいなあと思ったりしていますけどいつになるやら^^。
唐辛子婆
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