2018/06/22 - 2018/06/22
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ソフィさん
プラハ旅 Day3
体力的にちょっと中休み的な3日目は・・・
・午前中はヨゼフォフ(ユダヤ人地区)めぐり。
・・・シナゴーグ、旧ユダヤ人墓地。
・ダンシング・ハウスの上階にあるイタリアンでランチ。
・プラハ本駅に翌日の下見に。
・ひと雨降った後のワールドカップで湧いている夜の街を少しだけ散策。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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連泊3日目ともなると、もはや朝ごはんの写真はないのでした(笑
今日はヨゼフォフと呼ばれるユダヤ人地区をめざします。この名前は、ユダヤ人街がプラハの5つめの地区として市議会に組み入れられたとき、ユダヤ教徒に「寛容」だったヨーゼフⅡ世にちなんでつけられたそう(1851年)。 -
ガイドツアーがあれば申し込みたかったので、まずはシナゴーグ予約センターへ(写真はべつの建物です)。『旧新シナゴーグ』以外のシナゴーグはすべて博物館として公開されていて、入場料が必要です。青空ですが、気温が下がったので肌寒く感じます。
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6ヶ所のシナゴーグ・施設の共通チケットは、プラハカードで免除^^ 「ただし『旧新シナゴーグ』は入館料払ってや~」というのがパンフ中央の「×」です。すぐ参加できるガイドツアーはなさそうだったので、自分たちで回ることにしました。余談ですが、シナゴーグ予約センターのお手洗いはキレイだし借りやすかったです。
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ツアリストとしてヨゼフォフを知る上で、欠かせないのがこの3人!
・ユダヤ教徒に好意的だったヨーゼフⅡ世(18世紀)。
・慈善家の大富豪モルデハイ・マイゼル(16世紀)。
・皇帝も一目置いたラビ(司祭)・レーヴ(16世紀)。
まず、ヨーゼフⅡ世は……
・民族の同質化をめざした。
・「ユダヤ社会を特別視しないぜ、その分やることやってもらうぜ」的な?
・ベルリンの壁ならぬゲットーの壁を取り壊した。
・ただし、ゲットーの外に住んでもいいわけではなかった。
・ユダヤ人の受難の時代が続き、ヨーゼフⅡ世の母マリア・テレジアもプラハのユダヤ人をいじめまくった後のこと。 -
わたしの理解では、当時のユダヤ人というのは……
・差別され、かつ保護される立場。
・だからすべては為政者の思惑次第。つねに保障がない。
・どこに住んでどんな仕事をするか結婚するしないも「許可」されるもの。
・ユダヤ教を信仰し、自治体のなかで暮らしていけることは「ご恩」。
・多額の税金を納めたり、献金するなどが「奉公」。 -
さて、まずは予約センターから歩いてすぐの『マイゼル・シナゴーグ』へ。ヨゼフォフの重要人物「慈善家の大富豪モルデハイ・マイゼル(16世紀)」の登場です。
ユダヤコミュニティの行政リーダーであり、宮廷への出入りを許され、貴族たち相手にお金の貸付けをおこなうほどリッチな実力者だったマイゼルさんが、王さまの許可を得てユダヤ人のために個人で建てたもの(1591年)。マイゼル シナゴーグ 博物館・美術館・ギャラリー
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すっきりモダンな印象と思いましたが、再建されたのは1905年だそう。
ところでマイゼルさんって……
・超弩級の慈善家。
・2つのシナゴーグだけでなく、タウンホール・孤児院・女性のための禊ぎの家・貧困者のための家・病院などを寄進した。
・ゲットー内の道の舗装も行なった。
・プラハ以外のユダヤ人にも巨額の寄付をした。
・自分が死んだらどうせ財産は没収されるし、と思っていたかも。
そしてマイゼルさんが生きた時代は……
・この時の王様は、博物学好きのルドルフⅡ世。
・ユダヤ社会に好意的な政策がとられた時代。
・おかげでこの時代のプラハのユダヤ社会はおおいに繁栄、人口も激増した。
・ただしこの後、迫害の時代に突入し、ユダヤ社会(プロテスタントも)は悲惨なことになる。 -
チェコにおけるユダヤ民族の博物館として、展示もリサーチ資料も充実!(たぶん)(・∀・)
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火災の後、10年以上かけて再建されたそう。
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ユダヤ人居住区がチェコ国内にこんなにあったという地図。特にプラハは、ユダヤ人の保護政策が出されたり、マイゼルさんのような富裕層がユダヤ人優遇政策に尽力したりしたため、他の地域に比べると暮らしやすく、必然的に人口も多かったようです。
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ユダヤの人々が着用を強制されていた黄色い帽子。ゲットーの外に出る場合にかぶらなければならなかった時代も。
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この土細工がユダヤのゴーレム伝説の主人公。日本語では、人造人間とか泥人形などと描写されます。プラハ版では、この後訪ねる『旧新シナゴーグ』のラビが、土から作り出したことになっています。このラビが、ヨゼフォフの重要人物の一人、「皇帝も一目置いたラビ・レーヴ(16世紀)」。
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レーヴさんが、土くれからゴーレムを創り出すイメージ画(ミコラーシュ・アレシュ/1899年)。
最初は作り手の命令に忠実に働くゴーレムですが、やがて暴走してしまい、最後はレーヴさんによってまた土に戻されます。そしてその土はいまだに『旧新シナゴーグ』の屋根裏に保存されているというお話^^ -
個人的にはこのシナゴーグの展示が一番おもしろかったです。じっくり見ているとあっという間に時間が経ってしまいます。
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息抜き。途中で見つけた、色変え文様石畳みの別バージョン! 場所はおそらく『パリ通り』かと。
・1848年の革命でゲットーが廃止され、51年に「ヨゼフォフ」と改名。
・ユダヤ教徒の境遇は大改善された。
・そのため、裕福なユダヤ人たちはヨゼフォフを出て行くようになった。
・かわって貧困層の人々が流入し、狭くて不衛生な貧困窟へと変貌。
・1895年、sanitary cleaning という名の大規模な再開発が行なわれた。
・このとき、シナゴーグなど一部を除いて貴重な建物も撤廃された。
・その後名づけられた「パリ通り」には、アールヌーヴォー風の建物が建てられた。
・今はハイブランドが軒を連ねる通り。 -
いまのヨゼフォフがすっきり歩きやすいのは、再開発の影響ということですね。貧困窟だったにもかかわらず、再開発への反対運動も激しかったそうですが……。
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さて、次に訪ねたピンカス・シナゴーグは、ヨゼフォフでは『旧新シナゴーグ』に次いで古い歴史があるそう。ナチス・ドイツによって命を奪われたチェコのユダヤ人の追悼をテーマとしているように感じました。
ピンカス シナゴーグ 建造物
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このシナゴーグは、16世紀初頭に建てられた、墓地に隣接した個人宅の祈りの場所でした。「ナチスのチェコ侵略後はユダヤ人から没収した所有財産の保管倉庫として使われ、戦後は改修され約78、000人のユダヤ人犠牲者の追悼の場になりました」。
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誰もが沈痛な想いに駆られる場所です。
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写真の資料は犠牲者の「数字」ですが、各部屋の壁一面には犠牲者の名前と生没年月日が小さい文字で書き連ねられ、圧倒的な「数」と「いのち」の感覚が迫ってきます。
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ここと『旧新シナゴーグ』入館の際、男性はキッパの着用を求められます。
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ピンカス・シナゴーグの裏手が旧ユダヤ人墓地。順路に従って進むと自然にここに出ます。
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15~18世紀半ばごろまで使われたというユダヤ人墓地。墓地を広げることは許されなかったので、場所が足りなくなると土を盛って重ねていったそう。この墓地を寄進したのもマイゼルさんです。
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ユダヤ教では花ではなく、墓石の上に小石を乗せて死者を弔うそうです。
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現存する墓石は12,000個もあるとか。
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ゴーレム伝説のラビ、レーヴさんやマイゼルさんの墓石もあります。この二人は、同時代の人! ちなみに写真のようなレーヴさんの彫像はプラハ市庁舎にあるそう。
ラビのレーヴさんはゴーレムを創り出したという伝説の主になるほどの神秘思想家。博物学だけでなく、錬金術や占星術を愛した時の皇帝ルドルフⅡ世に目をかけられて当然だったのかも。 -
他の国のガイドさんがこのレリーフについて説明しておられましたが聞き取れず。
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外に出ると、小路の先にひときわ目を引く建物が。次に訪ねる『儀式の家』です。
儀式の家 史跡・遺跡
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『儀式の家』も博物館ですが、実際に葬儀などに使われていたようです。展示の中心も、死・葬儀関連のようでした。戒律によるたくさんの儀式が定められているのでしょうね。
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写真やイラストなどのパネルが展示されています。
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次は『クラウセン・シナゴーグ』。
・ユダヤ人墓地の出口のすぐそばにある。
・マイゼルさんが1573年に建設した三軒の低い建物がそのはじまり。
・現在の建物は、1689年の大火災の後の1694年に再建され。
・そして再び19世紀に再建されたもの。
・生活様式・風俗的なテーマの展示で、2階にも上がることができる。
・プラハ最大のシナゴーグ。クラウセンシナゴーク 博物館・美術館・ギャラリー
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2階の窓から旧ユダヤ人墓地が見えました。墓地の土が盛られてきたことを実感。
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最後の『旧新シナゴーグ』へ。入り口です。(スペイン・シナゴーグは前夜のコンサートのときにパネル展示なども見たのでパスることにしました)。別料金で、二人で364kr.
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『旧新シナゴーグ』というふしぎな呼び名は、"The Old-New Synagogue"を日本語にしたもの。もともと『新シナゴーグ』とよばれていたところに(1270年頃)、16世紀になってから新しいシナゴーグが造られたからだとか。
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カフカのバーミツバ(成人式)が行なわれたシナゴーグでもあるそうです。
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壁にかかった丸いお皿のようなものは、「ろうそくの光が反射して明るさを増すようにしてるんだろね」とダーがナイスな発見。
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現役のシナゴーグなので、礼拝の日には観光客は入れないそうです。
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シャンデリアは鉄のバーに下げられているのが独特です。祭壇上のヘブライ文字といい、なにか違う時空にいるような気になります。同時にこの雰囲気はクラクフっぽいのです。
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石の梁も美しい。「ゴシックの鉄格子」。
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現役シナゴーグとしては、ヨーロッパ最古だそうです。
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内部全体のスケッチ(Hugo Steiner / The Prague Golem
Jewish Stories of the Ghetto / 2018年) -
この後、また予約センターに戻ってお手洗いをお借りしました。Tちゃんをお昼に誘ってみましたが忙しそうだったので、二人でランチ。どこにしようか?
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ちょっと気になるけど行ってなかった場所へ。地下鉄に乗りました。
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ブルタヴァ川沿いに建つポストモダン建築『ダンシング・ハウス』。保険会社のオフィスとして1996年に建てられたとか。
ダンシング ビル 現代・近代建築
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ここの最上階にレストランがあるそうなので。入り口を覗いてみたら少し高級そうな感じでしたが、せっかくなのでGO!
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360度見渡せる店内! 窓際席に座れる確率高し^^ 『Ginger & Fred』というイタリアン。
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私たちもぶじ窓際席へ案内してもらえました。
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旧式のトラムがやってくるのが見えるよ~。
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こちらは2両連結タイプ。
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いざ座ってみると、こういう広々と明るい空間で落ち着いて食べたかったことに気がつきました。ずっと歴史あるものに囲まれて知らないうちにトーンダウンしていたらしいので、いいリセットになりそう!
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見えにくいけど、グラスにはダンシング・ハウスのイラストが入っています^^
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そしてお料理も美味しかったのです^^ スープは一人ずつ。前菜とメインのいかすみのパスタはシェア(けっこう皆さんシェアしてました。最初に言っておけばマナー違反ではなさそう)。身体が冷えていたので熱々のスープで生き返りました!
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でも前菜とスープの内容をメモしてなかったので、何をいただいたのかさっぱりわかりません^^;
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双方からトラムがやってきた貴重な瞬間(笑
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お会計の後、隣の部屋(だったと思う)も見せていただきました。テラスにも出られます。
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テラスから「あそこがお城だ~」とか言っている間にポツポツ降ってきました。そしてこの後かなり本格的な雨になったので、ビルのエントランスでしばらく雨宿り。小降りになってきたときに地下鉄の駅まで歩きました。
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hlavni nadrazi から2回乗り継いで初めてのプラハ本駅へ。何をしにいったかというと、翌日早い列車でブルノに行くことにしたため、乗車券を買って乗り場の下見をしておきたかったのです。
フラヴニー ナードラジー停留所 駅
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最初に聞いたインフォメーションのおじさんが気難しくて、一番知りたかったブルノに着いてから会場までの交通手段については、「そんなことはわたしは知らない!」と声を荒げる始末。ほ~「ブルノ行きの切符は○番窓口へ行ってください」って言うだけがシゴトだと思ってるのね。……もしかして役割以外のことを聞くって失礼な文化だったとか?
一方、乗車券売り場の窓口のお姉さんは、忙しい中テキパキ親切でした^^ さらに、ブルノ行きの列車のリストをプリントアウトしてくれた! これでやっとプラットホームの番号がわかって、ほっ!(電光掲示板に出ているホームの番号はどこで照合するのかがわからなくて、かなり時間を費やしたのです)。プラハ本駅 (プラハ中央駅) 駅
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ついでに2日後に乗る空港バスの発着場所もカクニンして、いったんホテルに戻りました。
なんだかんだといい時間になりました。ワールドカップをやっている金曜の夜なので、ダーは目をつけていたホスポダでビール片手にわいわい観戦したかったようなのですが。 -
行ってみたらすでに満席でタバコの煙がもうもう、女性客は一人もおらず。店員さんもてんやわんやだったのであきらめて、ぶらぶら散策しながらお店を探すことにしました。
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行ったことのない裏路地のほうに入ってみたり。
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三角形の排水溝が目立たないように設置されています。ああでもないこうでもないと歩き回った挙げ句。
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Krušovice (クルショヴィツェ)のビールを出してくれるレストランに入ってみました。これは2杯目。クルショヴィツェは1581年創業のチェコの老舗醸造メーカー。
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最初の1杯は実はこちら。グリーンビール! 本来、イースターに飲むものなのかな?
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クルトンたっぷりの「オールド・チェコ・ガーリックスープ」なるもの。「洋風豚汁ってかんじ」とメモが残っています^^
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Grilled-duck with 紫キャベツ蒸しにクネドリーキ。
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フライドライス的なもの。この計3品をシェア。
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帰りにホテルのそばのアルベルトに寄って、TちゃんおすすめのOrionのチョコバーを買って帰りました(写真では右下のものだけ)。
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チーズ売り場でお豆腐を発見。
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この日はこんなところ。明日早いのでさっさと寝ます!
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