2020/06/03 - 2020/06/03
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しにあの旅人さん
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旅行日は最近のある日です。理由はあとで。
1975年9月By妻とモロッコを旅行しました。
フランスから列車でまずバルセロナ。マドリッドへは寒い夜汽車で、膝は立てて、上着で包んでいました。9月でこんな寒いとは予想外でした。でも歌とは正反対、2人はるんるんで旅をします。手紙を書こうにも相手は目の前。
マドリからモロッコは列車。マドリの駅で、自称近江商人に会いました。マドリで土産物屋をやっていて、商品を買い出しにモロッコに行くので、「一緒に行かない?」
これに即座に乗ってしまった若い、馬鹿い2人でした。
あまりに昔のことなので、定かではないのですが、近江商人さんは、確か脱サラしてスペインの大学に通いつつ副業でお土産ものやさんで、もうひとりの男性は、その相棒さん、そして、もう二人の若い女性は、その人達の恋人だったんじゃないかな?
By妻
今回はモロッコ石、パスポートの入出国印、地図以外写真がありません。この旅ではなぜか、風景は目に焼き付ける、旅行で写真など邪道である、と思っておりました。
コロナ騒ぎの影響で、過去の旅のブログが多くなっております。楽しい、面白い旅行ばかりです。ところが、4トラのシステムだと、昔の旅行をそのまま旅行日にすると、ブログの先頭に出てきません。ブログの数が多いと、自分でもどこにあるか分からなくなるとおっしゃっていたトラベラーもいました。かと言って更新日順に並べると、今度は単純な誤字訂正でも先頭になります。投稿日順にブログを表示できないのです。よって今回は表題に年を明記し、旅行日は最近のある日です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
立ち回り先です。
旅行記を書き始めて、先ず困ったのが、モロッコのどこに着いたか2人ともちゃんと覚えていない。
「マドリから列車で着いたのはアルヘシラスだったんじゃないかな?」
「さ~~、古いパスポートもってないの?」By妻。
「探してみよう」
すると、なんと、1973年12月発行、濃い青表紙の日本国パスポートが残っていたのです。 -
1970年代のパスポートはこのスタイルです。古いパスポートほど扱いに困るものはありません。何の役にも立ちません。海外旅行の生き証人なので、捨てるには忍びない。仕方がないから、とってあったのです。今回初めて役に立ちました。
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スペイン、モロッコの入出国スタンプです。しかもまとまっている。
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スペイン・アルヘシラス出国、見にくい。
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アルヘシラスからタンジェは船。
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でも現在では、アルヘシラスからタンジェに船が出ていないのです。45年前のことですから、航路が変わってもおかしくない。
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モロッコ・タンジェ入国
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「ENTREE」はフランス語です。「入国」縦に書かないでね、何かと思った。
モロッコ初日9月16日
タンジェ港の入管でのことです。
船ですから、荷物は全員自分でもって入管にやって来ます。パスポートコントロールと税関がくっついていたと記憶しています。
会話はフランス語、北部モロッコは1956年まで旧仏領でしたから、フランス語は完璧に通じました。通関のスタンプがフランス語でした。
私は通過したのですが、By妻が引っかかりました。「別室で調べるから来い」
「えっ!やば!」と思いました。ヨーロッパならいざしらず、モロッコで別室調査というのはかなりやばいのです。そこに上司らしきもう1人がBy妻のパスポートをのぞき込みました。アラブ語でなにやら指示します。「行け」無罪放免です。
なにが問題だったのか。パスポートが偽造と思われたのかな。日本人は観光ならモロッコ入国にビザはいりません。日本人になりすましてモロッコ入国を図ったと思われたのかも。インドシナ半島で難民が出始めたころでした。ヴェトナムやカンボジアは旧仏領でしたから、フランス語が広く話されていました。By妻が、日本人にしては珍しくフランス語を話したので疑われたのかもしれません。
By妻はブザンソンでインドネシア人学生にとても人気がありました。南洋系なのでしょう。インドシナ半島系の顔立ちではないと思うのですが。
だんだん思い出してきました。
通関の時、窓口はいくつかありまして、私は、夫の後ろについていました。すると、隣の窓口から手招きされました。窓口は、私の記憶では、日本の田舎の無人駅の改札口みたいで、それが、いくつか並んでいたんじゃないかな。制服の係員の後ろには木の柵があって、柵の外は、もう外部だったと思います。
私が呼ばれた窓口の制服さんの外側に、セーターか何か、結構ラフな私服の男がいて、私を見てにやにやしていますが、それはまるで汽車から降りてきた人の出迎えのよう。
「?」向こうはにやにやですが、こっちは気持ち悪いばかり。荷物は制服さんが形式通りに検査して、無事にパス。やれやれと、荷物をまとめて、夫と合流しようとキョロキョロしたら、私服氏が、何か言ってきました。が、分からない。こっちのフランス語も、おぼつかないし、向こうのフランス語は訛ってるし。そういう状況で、ニッコリはできません。で、私は、相当いやな表情をしたんじゃないかな。すると、彼は私の腕に手をかけてなにか言いつつ、どこかに連れて行こうとします。
今、何ごともなく通関したじゃないの。なに言ってるのよ?と、瞬間沸騰して、「だれよ、あなた?」このときは、フランス語がまだ初級で、丁寧語の方で言っちゃいましたよ。今なら、アンタですけどね。そしたら、「ポリス」だって。
でも沸騰しちゃってますからね、私。私が何をやったっていうのよ。後ろ暗いことなんて一切ありません!で、大いばりで連行されます。建物を出て、すぐ横の路地まで行ったところで青くなった夫と誰か知らない制服さんが追いかけてきて「次からは注意するように」だって。
なーにを注意するのよ?なにしたっていうのよ?
あとで、モロッコ通の近江商人さんが言うには、路地に連れ込んで小遣いを寄こせってことだったんじゃないかな。
私は、一目見てカモだったってわけね。ふんっ!
By妻 -
タンジェ-カサブランカは、現在のグーグルによれば338キロ、列車で3時間29分となっております。もうちょっと時間はかかったと思います。カサブランカ着はお昼頃でした。
あまりアラブぽくない、西欧的な都会でした。
近江商人が全部手配してくれて、ホテルも簡単に見つかりました。チェックインの時ホテルのフロントにパスポートを預けます。フロントは全員男。女っ気なし。「パスポートは部屋に持って行くから待っていろ」と言われました。そのあいだ町に出られません。しばらくして、ドアの向こうで私のファーストネームを呼ぶ声がします。普通MonsieurまたはMister何とかと姓を呼ぶはずです。私の名は、なんとなくアラブ的なひびきがあるらしい。ホテルのおっさんは私に非常に親しみを感じたようでした。
カサブランカにはこの夜1泊、翌日のバスでマラケッシュに向かったので、実質半日の滞在でした。
近江商人のお勧めで、市場に行ったのを覚えています。ここで羊の頭が皮をむかれて、肉屋の店先にブラ下がっているのを見ました。フランスで兎や鳥の皮むき丸ごとは見たことありますが、羊は初めて。大きさが違うので迫力ありました。目玉もついていました。
モロッコに入ったとたん、私の常識は、非常識に変わりました。当たり前は、当たり前ではないのです。
買う人が売る人より威張っているのが常識だった世界から、物乞いをする人は、与える人にいい気持ちにさせてあげるんだから、エライという世界へ来たのです。
清潔、安全な食べ物を、客に心地よく供するのが、当たり前の国から来た私には、食堂で御飯も食べられませんでした。注文して持ってこられた皿は、まっ黒に蝿がたかっています。それをフ、フーと息を吹きかけるとか、パタパタ手で払って、蝿が飛び立ったところを、素早く口に入れるのです。近江商人さんは食べてましたね。
私たちは、コーラで命をつなぎました。
By妻 -
2、3日目(9月17、18日)
カサブランカからマラケッシュはバスでした。2時間36分242キロとあります。45年前には高速はないので、もっとかかったと思います。ルートもこれではなかったような。
乗った記憶はないのですが、降りた覚えはある。フナ広場に面した、バスの発着所付属のホテルでした。今はもうないようです。
この手配も近江商人におまかせ。
マラケッシュには2泊。しかし何がどっちの日だったか覚えていないので、二日分です。
フナ広場。近江商人は「キ○ガイ広場」とよんでいました。「フナ広場」という本名を知ったのは最近、4トラのブログでした。でもキチ○イ広場のほうがふさわしかった。「キチガ○」は放送禁止用語です。
近江商人のガイドで広場見物ツアーです。
まずヘビつかいのコブラに驚いた。案外小さかった。蛇がひょろひょろと踊っている動画を見たことがありますが、ヘビつかいのじいさんが笛を吹いていたけれど、踊ってはいませんでした。立ってはいましたね。タマジャクシを地面に突き立てたような感じ。By妻はヘビが大嫌いなので、近づきもしません。
水売りのおっさん、爺さんかな。橙色の袈裟のような衣装で、皮の水袋を抱え、首から真鍮のコップをいくつかジャラジャラとぶら下げていました。西遊記の猪八戒だか沙悟浄が、ドクロが数珠になった首飾りをぶら下げている絵を見たことがあります。ああいう感じ。
近江商人から写真を撮るとチップを要求されると注意があったので、ツアーメンバーは遠くから写真を撮っていました。
水を飲んだ人を見ませんでした。あのコップで飲むのでしょうが、コップはどうするのか、洗うのか、そのまま首にぶら下げて自然乾燥か。水を売っているというより、広場の観光装置という感じでした。
夜、いよいよ有名なフナ広場の屋台でのメシです。
屋台、テントの下の調理場を、簡単なテーブルと椅子で囲んだだけ。クスクスから焼き鳥、伝統的モロッコ料理(だと思う)、種類きわめて豊富。
お味については好み。覚えているのは、シシトウらしきものの焼いたヤツ。近江商人も初見参らしく、果敢に挑戦。一口食べて「おかーあさん!」と言いました。ナミダが出ている。辛いそうです。近江語では辛いのを「おかあさん」というのか。辛いモノには自信がある。私もトライ。やはり「おかーあさん」でした。辛い、からいなんてもんじゃない。シシトウの大きさのタカノツメです。
イスラム教国です。広場の屋台では、アルコール類は出ません。コーラで流し込みましたが、せめてビールがあれば・・・
私は屋台の端っこに座っていたので、背後を見てしまいました。見なければよかった。
皿をポリバケツの水で洗います。水?元水です。
それを布で拭きます。布?日本ではあれは雑巾という。
しかしそれを見た後でも私は食べましたよ。フランス、スペインを経由した後です。日本から直行なら、あれは無理かも。
夜の屋台のことは、よく覚えています。
昼は、あれほどの暑さだったのに、夜になると寒いほど。ですから蝿はいません。
漆黒の闇の中、地面は砂地です。砂漠の続きというか砂漠の真ん中なんですね。
屋台の灯りは、自家発電で、モーターがブンブン唸ってます。そのモーターの向こうに、アシスタントというか下働きの少年が皿とか洗って布巾でふいて、料理の準備をしていましたが、その洗う水は、バケツの水だけ、布巾は、、、雑巾でも見たことないくらい。
でも病気にもならず旅行を終え、さらにこの年まで生きております。
料理のお味は、焼くか揚げるか、素朴な味で、それなりにおいしかったですよ。
モロッコでは、少年がよく働いていました。この屋台の少年も、十才くらいだったか。
昼間、近江商人の仕入れに付き合ったとき、パイプ作りの工房に行ったのですが、そこで働いていたのもそれくらいの少年でした。彼の作るパイプは、吸い口というのか、軸というのか、火皿ではないところに、輪っかがついているものでした。
その輪っかは、切らない限りパイプから離すことができません。えー、この輪っかどうやって入れたの?というと、珍しい東洋人だったからサービスですかね。作るところを見せてくれました。座り込んで、両足にろくろをはさみ、クルクル回しているうちにパイプになり、輪っかもそのまま出来ていました。すごい技術です。まだ幼くて、珍しい外国人に興味津々を隠すこともない素直さでした。
近江商人さんは、その出来たての、つまりその少年の汚れた足に支えられていたパイプを、すぐにくわえてました。
By妻
45年前の話です。最近の4トラの皆さんのブログにもフナ広場の屋台は登場します。このての見聞は出てきません。いくらなんでも改善されたのでしょうね。どなたか、屋台の裏まで見た方、いらっしゃいませんか。
フリータイムもありました。近江商人は、ガイドばかりやってはいられません。本業があるのでしょう。私たちはあいかわらず広場散策。
数十人の民俗衣装の男達が輪になって、太鼓を叩いて踊ったり歌ったりしていました。ツアーメンバーが写真を撮ろうとしたら、一人が手のひらを突き出しながら輪から出てきました。チップを要求している感じ。カメラをひっこめたら何も言わず引き返しました。あとで近江商人に尋ねたら、自分たちだけの会合をやっているので邪魔されたくない。チップを要求すればだれも寄ってこないので、そのふりをしているだけだ。
おそらくこの広場は、昔はそういうグループの集会の場所だったのです。外国人観光客が来るようになって、彼らは迷惑している。現在はどうなっているでしょうか。おそらく広場は完全な観光地になり、彼らの居場所はないでしょう。
近江商人の案内でスーク(市場)に入りました。
迷路です。近江商人がいるので安心してついて行きます。
おもしろそうな物があったので、値段を聞いてみます。えらい金額です。「ふざけるな!」憤慨する私。その私に憤慨するスーク商人。あとから分かったのですが、これは一種の挨拶。
スークの商人にしてみれば「こんにちは」と言ったら客が怒った。そりゃ、商人も怒るでしょう。立ち去る私の肩を商人が小突きました。
見かねた近江商人が、こういう場の対応法を教えてくれました。
目が合ったら「まるはの赤だし」と言う。「まるは」とは当時存在した大手漁業会社「大洋漁業」赤だしは、味噌汁ですよね?
「マルハバ・アカダシ」「我が友よ、こんにちは」という挨拶だそうです。とにかくとっさに対応できる挨拶を覚えました。
「まるはの赤だし」は通じました。現場の知恵です。
この町の夕暮れは、忘れられません。
ジリジリと、肌に突きさす太陽と、押しの強いモロッコ人とに疲れてへとへとになり、夕食までの間、ホテルの屋上に上ってみました。
日が傾き始め、とたんに風が冷たくなってきました。生き返る気持ちで町を見渡すと、急に音が消えたような。さっきまでの喧噪がウソのよう。
空は、いつの間にか赤く染まり始め、やがて空いっぱいに紅が満ちてゆき、刻一刻紫に変わり始めた、その時、高らかにコーランの声が響き渡りました。
だんだんに暗さを増す景色の中に、意味も分からずに聞いたコーランは、もの悲しく、胸に染み渡るようでした。
周囲がすっかり闇に包まれると、声も消えていました。
By妻 -
近江商人の商売にもつきあいました。
これはモロッコ玉。とんぼ玉とも言われます。 -
直径1センチ、長さ2センチ、真ん中に穴があいています、マドリに来る日本人観光客に人気だそうでした。彼のモロッコ買い出しのメイン商品です。
-
チョーカーや帯留めにするらしい。
-
たしかにきれいです。
モロッコ旅行の写真はないはずですが、現物をBy妻が持っておりました。撮影は現在です。いくつか買ってきて、親兄弟にプレゼントしたら、好評だったそう。
近江商人なじみのスーク商人との商談がおもしろかった。まるで芝居です。大きな身振りで握手、肩を抱き合って旧交を温める。英語、アラブ語混じりのスペイン語でした。しばらくこれをやって、商談に入ります。
彼が私たちを連れて来た理由が分かりました。彼はごそっと大量に買います。私たちもいくつか買いました。こういう買い手を連れてくるんだ、だからまけろ、ということらしい。
うーん、近江商人。
私たちはマラケッシュで別れましたが、残りの連中はスペインまで一緒に戻った。大量のモロッコ雑貨を持っていたら、スペインの税関で問題になるかもしれません。分散すればよい。
聞くところによると、昭和天皇陛下も召し上がったというパリの有名レストランの化粧室では、ソファーがあり、そこになんと!ミンクの毛皮が掛けてあるそうですよ。トイレにミンクね。
ああ、そうですか。ま、チャンスがあれば。
私が、できたらもう一度行きたい、私の人生で、最高に素敵な化粧室は、マラケシュの広場のものです。
日本の太陽より三倍は、絶対に大きいでしょうという太陽に照らされて、なんでああも大きい声で叫ぶのか、元気いっぱいのモロッコ人満杯の広場を見ているうちに、一休みしたくなったし、コーラばっかり飲んでたから、トイレに行きたくなりました。
教えてもらって、広場の端だったと思うんだけど、トイレと言われる建物に入りました。
入ると、真っ暗、細い通路が続くので、やめようかな。引き返そうかな、びくびくしながら歩きます。と、突然、突然って、大げさと思われると思いますが、足探り手探りで、進んできて、カーブを曲がったら、やっぱり突然としか。
そこに、広間というか、広場というか、円い空間に出たのです。でも、相変わらず薄暗い。円い広場の中心は、円い噴水というか泉、水が常に溢れ流れています。泉も床も壁もモザイクでした。そこを水がさらさら、常に流れていました。そして、その泉を囲むように、人々、男の人しかいなかったような。人々が、それぞれベンチにくつろいで、たばこを吸ったり、おしゃべりしている様子。私、場違いな所に来たみたい。でも、とにかく事態は緊急を要してきたし。観察します。個室は、円い広場の縁に並んでおりました、さらに観察します。ふむふむ、用を足したときは、泉に備え付けてある桶で、泉の水を汲み、自分で流すみたいです。さて、個人的な用事が終わって、ほっとして、ついでに大胆不敵な気分になって、見回すと、この光は?光の源を目で追って行くと、天井に無数の星形の穴。
あの強すぎる太陽の光が、ドームの天井で遮られ、ロマンティックな星の光となって、涼しく射し込んでいるのです。
ここで、雨が降ったら?って聞くのは、日本人。モロッコには、雨は降らないの。もし雨が降ったら、濡れれば良いじゃない。星形の雨。素敵かも。
By妻 -
4日目(9月19日)
フナ広場のバスターミナルを朝イチのバスで出て、フェスに向かいました。
近江商人と別れて、ここからは2人だけです。乗ったバスの会社がフェスのバスターミナルに同様のホテルを併設していて、予約しておきました。
マラケッシュの市内を抜けるとき、近代的な街並みの一画を通りました。なかなか優雅な住宅街でした。「マラケッシュにもこういう所があるんだ」と思いました。近江商人に連れられて、フナ広場と周辺のスークだけを歩きました。一番おもしろい所でしょうが、ガイドブックに載っているような、宮殿、モスク、庭園などは全部パス。そもそも全く下調べなし、ガイドブックももっていかったので、存在を知りませんでした。
先達は必ずしもあらまほしくない。
2泊ですから、一番密度の濃いところをしっかりと見た、ということにして、マラケッシュを後にしました。
フェスまでは現代のグーグルさんでは、564km、8時間37分となっております。距離も時間もこんなものだったと思います。
アゲルンマン・アジグザ国立公園の東のR503を通るルートです。私たちの記憶では常に進行方向右に山、左は見渡す限り平地、というか荒野でした。国立公園の西のR8かもしれません。
大きな都市を通った記憶がありません。ひたすら荒野を走りました。スイカ畑が延々と続くこともありました。
路線バスですから、荒野の真ん中のバス停に止まります。見はるかす周囲に家らしきものはなし。それでも乗客は降り、乗ってきます。この人達はどこから来て、どこに行くのだろう。
バスが丘をらせん状に登ると、頂上に村がありました。昔、外敵から身を守るため、丘のてっぺんに村をつくったのでしょう。
バスが止まると、お爺さんがなにやら語りながらバスに乗ってきます。コーランの一節を唱えているようです。祭文語り、そういうものらしい。客の1人1人に手を差し出します。お布施を要求しているのです。だれも一銭も出しません。私たちのところにも来ましたが、他の乗客同様無視。無視していれば、それ以上強要はせずバスを降りていきます。
バスが丘を昇って降りたのは何回あったか、覚えていません。
そのたびに祭文語りはバスに乗ってきました。
生きた鶏を抱えて乗ってきた人もいました。「コケコケコケ」と鶏さんはずっと小声で鳴いていました。
ミントの束を大量に持ち込んだ人もいた。閉鎖空間ですから、むせるほどミントの香りがしました。
高速長距離バスってヤツですかね。
他にも交通手段はあったはずなのに、ここまで来たからには、砂漠も見てみたい。
と言ったのは、誰だったのでしょうか。地図を見たら、そんなにかかるとは思わなかったのですよ。バスが始点から終点まで直線で行くと思ったのは、だれでしょう。しかし、ああまで曲線を好むバスだとは。
最初は、意気揚々、砂漠だ砂漠だ、イエーイ!でした。荒野のまっただ中に停まる度に降りて行く人、乗ってくる人を見るのも、物珍しく興味が持てて楽しかったのですが、それも繰り返されすぎると、もうぐったりしました。さらに、ちょっとした町に着くたびに乗り込む物乞い。祭文語りも、子供連れの女性、子供だけってのもいました。
つい同情心で、いくらか渡したくなりますが、近江商人さんに、重ね重ね戒められています。一人に、いくらかでも渡そうものなら、「収拾できなくなるよ」と。第一子供には、働くことを教えないといけない。だそうです。はい。分かりました。おっしゃるとおりです。ということで、渡さないのですが、ああいう子供を見るのは、切ないです。
By妻
午後フェス着
ホテルはバスターミナルの上の階ですから、便利。
スークにも行ってみました。このころ私も、モロッコでの挨拶の仕方を覚えて、「まるはの赤出汁」を連発。がらっと向こうの態度がかわります。「マルハバ アカダシ」のうち、「アカダシ」はたしかに「こんにちは」であることが後日分かりました。でも「マルハバ」はいまでも不明。確かに親近感が強まりました。肩を組んだりします。で、そのあと、値段の交渉に入ります。う〜ん、安くなったかな~。
フランスでプフという丸い、背もたれのない皮の椅子を買いました。中身の丸めた新聞紙を出してしまえば、ペッタンコにたためました。値段は覚えていません。半分くらいにはしてもらったようですが、多分もともと外国人観光客値段だったでしょう。
これは日本の実家にお土産で送りました。しばらくしたら、虫が湧いたそうです。なめしが悪くて、皮に虫の卵がついていたのでしょうか。捨てられました。
「タカイヨ、タカイヨ」と言って客寄せをするヤツがいた。「高いよ」ですよね。「本来は「安いよ」のはず。だれか悪いことを教えた日本人観光客がいやがった。ニコっと笑って華麗にパス。
モロッコはイスラム教国ですから、メシ屋で酒類はでません。モロッコ入国以来、アルコールなし。でも例外はあって、外国人居住区のレストランでは飲めるのです。別に昔の租界のようなものがあるわけではなく、外国人が出入りするレストラン、という意味のようでした。
翌日はセウタ経由でスペインに戻ります。今夜が最後のモロッコです。ホテルにお酒が飲めるレストランを教えてもらいました。
ここで初めて普通のレストランでモロッコ料理を食べました。噂に聞いたクスクス、By妻にとってはこれが人生最後のクスクスです。なぜ最後かは、明日のお楽しみ。
ワインがおいしかった。普通のテーブルワインです。750ccのボトル。
クスクスによく合いました。もともとBy妻はあまり飲まないのですが、今夜は特別にグビグビやっていました。私もこのころはそれほどいける口ではない。いまでは信じられませんが、デザートが来てもまだ残っていました。
「残そうよ」と言ったのですが、
「もったいない。飲んじゃう」と言って残りを飲み干しました。
私、舌切り雀のおばあさんでした。
さっきのバスには、生きた鶏のケーコケコケーという声がずっとしてました。そして、息も出来ないくらい濃密なミントの香り。私、脳髄までミント漬け。
で、久しぶりの日本風というか、私の知ってるレストラン風に入って、注文したクスクス。楽しみにしていたのに。楽しみにしていたのに。
なのに!たーぷりミント。ゲっ。
お腹空いているのに、体が受け付けない。たぶん私の一生分のミントを摂取したんだろうね、バスの中で。お腹ぺこぺこなのに。デザートをみたら、ミントアイス。あー!
ということで、唯一ミントが入っていないのは、ワインでした。
こういう状態で飲んだらいけない。残すという選択肢もあるんだよ。
でも、私、舌切り雀のおばあさん。もったいないじゃない。手つかずの料理の代金だって払うんだし、せめてせめて。
ホテルに戻ったとき、部屋がぐらぐら回ったんです。
あんなことも、わが人生で一回だけです。
By妻 -
20日、モロッコ5日目
翌朝、目が覚めたら、By妻が二日酔いでした。
ジブラルタルのアフリカ側に、セウタというスペイン領が残っています。モロッコは国土内に外国領を抱えているのです。モロッコは返還を要求していますが、スペインは応じません。そのせいでしょう、モロッコからセウタに直接入るバスはありません。
フェスからですと、テトゥアンまでバスで行き、当時はテトゥアンからは別のバスでモロッコ-スペインの国境まで行きます。現在はこのバスもなく、タクシーが唯一の方法のようです。
フェス-テトゥアンのバスは、現在4時間33分258キロとなっております。当時はもっと時間がかかったと覚えています。
山岳地帯です。またあの丘の上り下りのクネクネ道を旅するのです。
By妻は二日酔いです。もう1泊フェスに泊まろうかと思いましたが、By妻は「行く!」
バスの中では終始ぐったりと寝ていました。
テトゥアン到着。
ここからがこの旅のハイライトです。
バスを降りたら、ターミナルの中はバス停が並んでいます。10センチくらいの高さの細長いプラットフォームです。バス停には番号も、行き先もなにも書いてありません。とにかく人がいっぱいです。
まず国境までのバスのチケットを購入。By妻はぐったりとターミナルの床に座り込みます。
どうやって目的のバスを探すんだろう、途方に暮れました。6人の外国人旅行者がひとかたまりになっていました。フェスから同じバスでした。私たちも合流。
「どうしよう」みんな唖然とするばかり。
そこにモロッコ人のおっさんが、バスが来たら教える、荷物も積み込んでやる、荷物は1個いくら、と売り込んできました。フランス語です。まわりをみると、こういうおっさんが何人もいて、モロッコ人旅行者も別のおっさんに仲介を頼んでいます。
バス乗り換えを仲介する斡旋人みたいなものらしい。我ら外国人旅行者は顔を見合わせます。皆さん初めての経験です。信用していいものか。荷物ごとドロンの可能性あり。
バスは人を押しわけてどんどんバス停に止まります。バスに番号は書いてある、でもどの番号が国境行きかわからない。行き先も書いてあったと思いますが、アラブ語で読めない。
バスは空いているバス停に適当に入ってくるので、事前にはわからない。
選択の余地なし、外国人は全員このおっさんに仲介を頼みました。
貴重品は手元のリュックに入っている。万が一荷物ごとドロンされても、スペインに入って最低限度買えばいい。あとは着の身着のままフランスに逃げ帰る。覚悟を決めました。
バスが入ってきました。
「あのバスだ!」おっさんが叫びました。われわれは全員バスに殺到します。横断歩道も蜂の頭もない。最短距離をねらう。私はBy妻を抱えてバスに向かいました。
運転手にチケットを見せて、目的のバスであることを確認。とにかく乗り込みます。仲介のおっさんはどこにいるのかもうわかりませんが、荷物はバスの大きなルーフキャリアにドスドス積み込まれます。これでは、モロッコ人だって、自分では荷物の積み込みはできない。仲介人が必要な段取りになっているのです。
不安をかかえてバスは発車しました。 -
国境のバス停、現在のタクシーターミナルまで35分38.5キロとなっております。
路線バスですから、途中でモロッコ人乗客は降りていきます。 -
国境通過の段取りです。
バス停。その後歩いてモロッコ税関、入管。やはり歩いてスペイン入管、税関。その後何らかの方法でフェリー乗り場まで移動。
私の記憶ではスペイン税関通過後、フェリー乗り場までもっと近かった。45年前です。地図に痕跡が残らないほど変わったかもしれません。
バスはバス停に止まりました。
ここまでにモロッコ人乗客はほとんど降りてしまいました。
バスを降りた私たちの目の前で、荷物がルーフキャリアから下ろされます。全部無事に乗っていました。 -
モロッコ税関通過。
-
続いてモロッコ入管。出国スタンプ。「SORTIE」フランス語です。「出国」
国境まで歩きましたが、航空写真よりもっと近かった記憶があります。
当時は国境には川があり橋で国境を越えました。外国人旅行者だけでした。
橋に線が引いてありました。私の記憶では30センチくらいの幅、色は黄色でした。
線を越えたとき、何人かが、
「ブラボー!」と叫びました。
私も「バンザ〜イ!」
「I love Franco」と言ったヤツもいました。当時スペインではフランコ総統の独裁が続いていました。彼の死は1975年11月20日ですから、私たちがこの国境を越えてから2ヵ月後くらいです。ヨーロッパ各国では、人権無視の独裁が評判わるく、支持する人はあまりいません。
「I love Franco」は冗談でしょうが、気分はわかります。テトゥアンの混乱をたっぷり味わってきたので、いかなる秩序も無秩序に勝る、と言いたいわけです。
スペイン領に入ったときは、嬉しかったです。
逃亡者の心境。もう何日食べてないのでしょう。ハアハア。
なんて、ウソです。チョコレートやらなんやら食べてました。
でも、異質の文明社会に触れた気がしたモロッコの旅でした。
By妻
フランス、スペイン、イタリアといったって、AとA’、乱暴に一捨八入くらいすれば一緒です。でもモロッコは違った。別の世界でした。Bです。
45年前のモロッコ旅です。最近は変わったと思います。でもそれは、AとBという全く違う世界が、A、Aモドキになるということで、残念ではあります。 -
続いてスペイン入管。スペイン「ENTRADA」入国です。斜めでインクがダブっていますが、「SEUTA」となっています。
入管で悪名高きエナヤンを見かけたとき、ちょっと懐かしかった。エナヤンというのは近江商人の命名です。昔の日本の烏帽子のような黒い帽子をかぶっていました。触っていませんが、多分硬い。それがエナメル塗装なので、彼はエナヤンと呼んでいました。
思想警察だそうです。ナチのゲシュタポに相当するらしい。 -
セウタ-アルヘシラス船、1時間55分36.2キロとなっています。
次の記憶はセウタからアルヘイラスへのフェリーの中。
By妻はまだぐったりして、デッキのソファーに寝ていました。風があったので、あるかぎりの衣類を上にかけてやりました。
アルヘイラスの港では、ホテル案内所で港のすぐ近くのホテルを斡旋してもらいました。
By妻はまだ外に食事にいけるほど回復していません。
とりあえずホテルの近くのカフェで、サンドイッチ、ビール、オレンジジュースを買ってきました。
その夜は、2人ともバタンキュー状態で眠りこみました。
翌朝、By妻はなんと完全復活!「ハラへった、朝メシはどこ?」状態。
それはまあ、要するに二日酔いですから、休めば治ります。
ただちに次の目的地グラナダに旅立ちました。
若いということは素晴らしい。馬鹿いの上位互換であります。
この旅行のあと現在に至るまで、By妻はクスクスが大嫌いです。
今、気がついたのですが、もしも近江商人さんと出会わなかったら、あんな猛烈な旅にはならなかったのではないかな。モロッコには、エレガントな所は、いっぱいありますもの。
でも、本当におもしろかったです。もう、この年になったら、できませんものね。
そういえば、近江商人さんと、そのお仲間さん達は、お元気でしょうか?
あの若いお嬢さんと結婚なさったかしら。それとも、ひと夏の思い出になったのかしら?
お互い、若かったわね。
By妻
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この旅行記へのコメント (12)
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- hot chocolateさん 2021/09/25 02:56:18
- まるはの赤だし
- しにあの旅人さま
こんばんは。
お若いお二人のモロッコ旅行の旅行記にお邪魔しています。
ひょんなことから近江商人のモロッコ旅に同行することになったお二人、
45年前のモロッコならばさぞかし大変だったのではないかと思います。
その分、思い出に残る旅になった事でしょう。
>食堂で御飯も食べられませんでした。注文して持ってこられた皿は、まっ黒に蝿がたかっています。私たちは、コーラで命をつなぎました。
☆私が最初に行った2006年の時でも、それはなかったですが、さすがに私も食べられないでしょうね。
私は、ハエではありませんが、20年前に行ったエジプトの暑さにやられ、食欲もなくなって、毎日スプライトで生きながらえました。
トルコ語で「メルハバ(こんにちは)」と言うのがありますが、アラビア語で「マルハバ」も「こんにちは」ですよね。
多分、「まるはの赤だし」は、「こんにちは、ようこそ」のような気がします。
「まるはの赤だし」を知っていれば、旅先でいっぱい使ったのに!
コロナが収束したら(するのかな?)、またアラブ圏に行く予定なので「まるはの赤だし」使ってみよう!
>皿をポリバケツの水で洗います。水?元水です。
それを布で拭きます。布?日本ではあれは雑巾という。
2016年のモロッコ(アルジャディーダ)で、街でザクロのジュースを売っていました。
美味しそうだったので1杯頼んだのですが、前の人が飲んだコップをバケツの水でさらっとゆすいでいました。
バケツの水は元水でもなく、雑巾で拭いてもいませんでしたが、半分残しました。
マイコップか紙コップを持って行こうと思いました。(でもきっと忘れて持って行かない)
モロッコの旅行記を、楽しませていただきました。
第1話から読ませていただきます。
hot chocolate
- しにあの旅人さん からの返信 2021/09/25 08:19:34
- Re: まるはの赤だし
- 若いということは、恐ろしいものです。何も怖くない。正面攻撃あるのみでした。今は、誰の話? という感じです。
私たちはフランスからモロッコに行ったので、衛生観念は鍛えられていました。パン屋にバゲットを裸で渡されても、動ぜずそのまま小脇に抱えて帰ってくるところでした。
日本から直接だと、モロッコはちょっと厳しいかも。
メルハバとマルハバは同じですね。赤だしも多分「ようこそ」で当たらずとも遠からず。
効果抜群でしたから、次回のアラブ旅行でお試しください。
アラブ圏がお好きだとか。中近東の旅行を書かれていますね。読ませていただきます。
私たちは今のところ、海外はヨーロッパ専門です。今回のコロナ騒ぎで来年、その次も旅行は無理でしょう。3年位ロスするので、その後エジプト、トルコも行きたいのですが、体が動くうちに行けるかな、と思っています。
-
- ももであさん 2020/11/07 23:12:59
- 蝿使い
- 誰にもある若い頃の旅って、なんでいいのでしょう?
経験不足で何もかもが新鮮! 絶え間ない緊張と
苦労の引き換えに強烈に残る記憶の数々。
ぼくも未だに一番思い出に残る旅は初海外です。
1975年代の近江商人と言えば、そのマドリで出会った
人って元伊藤忠商事社長の丹羽さんだったりして...!?
あちこち案内してもらえて良かったですね。
>私たちは、コーラで命をつなぎました。
蝿の影響ではないですが、ぼくが行った時も砂漠地帯で
日中の気温が50℃になる暑さのピーク時だったので、
一日で1.5Lコーラのペットボトルの山ができました。
ホントにコーラで命をつないだ気がしました。でも
血糖値がどれほど上がったことか!
WHO関連の仕事でマサイ族の栄養調査をしたことが
ありましたが、子供たちは蝿の死体が浮かんだ牛乳を
飲んでいました。彼らにとって蝿を追い払うことは、
自分の幸運も追い払うことになるそうです。
ところ変われば... ですね。
今も変わらず個人旅行者はモロッコの怪しげな人々の
格好のカモのようで、マラケシュやフェズでは数分おきに
偽ガイドが現れました。まさしく追っ払っても現れる
蝿のごとくです。ただその中には一握りの本物の親切で
言い寄って来る人もいて。
邪気ははね退け、幸運は呼び込む。
蝿使いになるのは難しいものですね。
- しにあの旅人さん からの返信 2020/11/09 14:09:47
- Re: 蝿使い
- コメントありがとうございます。
近江商人のおかげで、マラケッシュは一味も二味も違って、本当にありがたかった。怪しげなガイドさんは一度も寄ってきませんでした。当時はいなかったのか、近江商人というガイドがいたせいでしょうか。
2人だけになったフェスでも遭遇していないので、マルハの赤だしの効能ではないでしょうか。まず「マルハの赤だし」握手して「これいくら?」むむ、お主できるな、と向こうが勝手に思ったのかも。
近江商人氏は親切でしたが、年齢当時30ちょっと、丹羽氏の可能性はありませんね。
マサイ族の栄養調査、重い体験です。ハエの話はグッとくるものがあります。ももであさんの体験に比べれば、私たちなんて、ママゴトみたいなものでした。
邪気ははね退け、幸運は呼び込む。
これからもこれでやりたいものです。
-
- 前日光さん 2020/10/19 16:36:05
- まるで映画のよう。。。
- こんにちは、しにあの旅人さん
なんと、45年前の体験、しかもモロッコとか、今でも妖しげな地域にご夫婦でよくぞ行かれましたね!
旅行社に管理された旅では、ほとんど体験出来ないような、ハラハラドキドキの旅、今ではごめんですが、45年前だったらちょっと参加してみたかったかも。
う~~ん、でも蠅がたくさんたかっている食事とか、実際にはダメかなぁ。
良くも悪くも、ご清潔な国日本に育ってしまったので、衛生観念に関しては抵抗があります。
クスクスというアラビア料理、実は大学に入ったばかりの年(1970年くらいかな?)初めて友だちになった千葉県出身の友人と池袋パルコの何階だったかで、食べた記憶があります。
パサパサしていて粉っぽかったことしか覚えていませんが、おそらく可能な限り日本人が食べられるレベルにした料理だったのでしょう。
その後食べたことはありません。
モロッコとかタンジェと聞くと、NHKでやっていたスペインのドラマ「情熱のシーラ」を思い出します。
主人公の美女シーラをはじめ、イケメンがわんさか出て来るドラマで、スペイン内戦やナチスドイツまで絡んでくる奇想天外なストーリーでしたが、シーラの美女ぶりに惹かれて毎週楽しく見ておりました。
おそらくは映画やドラマでしか見ないと思われる彼の地に、45年も前に実際に行かれたということに驚き、またby妻さんの二日酔いも気になる旅行記でした。
とんぼ玉の写真だけをよすがに、よくぞここまでドラマティックに仕上げられたと、その点に感心するばかり。
で、二人はいつご夫婦になられたのでしょう?
その辺りをカットするのは、許されませんよ(^^;)
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2020/10/19 20:44:51
- Re: まるで映画のよう。。。
- こんばんは
いつもコメントありがとうございます。
ドラマティックなのは文章ではなくて、素材です。旅の出来ごとを淡々とつづるとこういうことになるのです。
今から思うとこれは危険だった思うこともあります。モロッコ入国のときのトラブルも一つ間違うと、やばかったかもしれません。
ただ当時は正面突破あるのみ、そういう思い切りのよさが逆に危険を遠ざけたのでしょう。
今ではできません。ためらいや後ずさりが危険を呼び込むこともあると思います。
クスクスは、その後By妻がいないときに、フランスで1,2度食べたことがあります。本人がいたら、絶対に食べさせてくれません。見るのもいやみたい。モソモソしたあまりうまいものではなかった記憶があります。日本人の口には合わないみたいです。
ジブラルタル海峡一つ隔てたスペインのパエリャを好きな日本人はいっぱいいます。冷凍パエリャはもちろん、パエリャ必須のサフランも、九十九里の田舎のスーパーで普通に売っています。我が家でも定番メニューです。
でもクスクスとなると、冷凍ですら見たことがありません。みんながみんな、モロッコでげっそりした記憶があるはずがないのに。
「情熱のシーラ」は見たことがありません。そのかわり「カサブランカ」は何度もテレビで見ました。イングリッド・バーグマンのぞっとするような美しさは忘れません。映画の中のもってまわったセリフはハードボイルドの傑作だそうです。
女房をじっと見つめて「イルザ(イングリッド・バーグマン)は2番目だな」というセリフはどうでしょう。一度言ってみたいのですが、「フン」でおしまいかな。
前日光さん、言われたら何とお答えになりますか。
By妻とのいきさつは次回スイス編でほんのちょっと。それほど自慢できるものではございません。
-
- olive kenjiさん 2020/10/16 09:13:38
- まるはの赤出汁
- 同志シニアの旅人様 もうモロッコの旅行記をアップなされていたのですね。
このシリーズの旅行記でよく分からないのは、横浜港では彼女は未婚ですよね。しばらくしてフランスにやって来て、モロッコでは妻になっていた。どーいうこっちゃ。
まーこういうことは、あんまり深く追及するもんじゃないですね。
近江商人というユニークな方らとモロッコへ行かれたのですね。彼は骨とう品か蛸の買い付のご商人かと思ったらモロッコ玉というしょぼげな物の買い付けだったのですね。
評判良かったからいいのですけど、私はこんなのが有名だとは知らなかったな。
セウタじゃなくてタンジェっていう港へ入港したのですね。沢山航路があったんだ。
私みたいにフェスだけじゃなく、モロッコ周遊旅行をなさって来たんだ。だから太陽も日本の3倍も見える地に。唯バスに入ってくる物乞いはどこにもいるみたいですね。
水売りおじさんは、最近の旅行記を見ても今も健在らしいですね。まだあんなことやってるんですね。ミネラルウオーターもふんだんに売られているこの頃なのに。
ただ、飲んだ体験記を読んだことがない。美味しいのか冷たいのか、その後腹を壊さなかったのかと。
マルハの赤だしを覚えて行くべきだったと50年後に後悔。こーやって語学を覚えるべのが早道だと今知った。アメリカ人は日本語のお早うをオハイオ州として発音を覚えるらしいですね。
虫の湧いた土産物の椅子も困ったもんですね。なるほど、このようにして外来種の虫や病気が入ってくるのですね。もらった人はびっくりしただろうね。
友達から昔もらったスペインの羊の胃の水筒土産をこれで捨てる決心が出来ました。
あの美しきジブラルタル海峡の帰り道、奥様は二日酔いで病気になっていましたか。
大変な旅行をなさって来ましたね。でも私は大変楽しく読まさせて頂きました。
まだこれからもシリーズが続くのですね。タイムラインで気が付くように、フォローさせて下さい。また同じような方がいたことに親しみを込めて。
By妻さまにもよろしくお伝えくださいませ。
クスクスと笑いの止まらない旅行記でした olive kenji
- しにあの旅人さん からの返信 2020/10/16 11:19:58
- Re: まるはの赤出汁
- コメントありがとうございます。
ご指摘の矛盾につきましては、数方面から同じ苦情が来ております。次回スイス編で解決いたします。たいした話ではありません。え、これだけ、というシロモノです。
モロッコの旅というのは、充分にお金を使って行くか、リュック一つの身軽な旅か、どちらかだと最近気づきました。
身軽ならバスにそのまま乗り込めます。お金はけちるのに大きなスーツケースを持っていたのが、まずかった。
もし次回のモロッコがあるなら、日程を決めて、ホテルや移動手段を旅行代理店にしっかりアレンジしてもらいます。快適な旅行になるでしょうが、75年のような、今思いだしても興奮、あるいはゾっとするような旅ではないでしょう。
あれは1度だけの、再現不可能な旅であったと思います。若さと馬鹿さが充実していないと、そもそも思いもつかない旅でした。
それは恐らくolive kenjiさんも同じではないかと思います。
By妻の二日酔いというのは、その後二度と見ていません。「自分の女房酔わせてどうするの?」というコマーシャルがあったと思います。酔うとけっこうおもしろいのですが、なかなか酔ってくれません。これもモロッコ旅行の後遺症でしょうか。
私たちの旅のメインテーマは、歴史散歩です。こっちのほうがBy妻の活躍は猛烈。
7月に行った飛鳥の旅の資料調べが追いつかず、苦し紛れに始めた青春シリーズでしたが、こっちのほうが評判よかった。あと3回、スイス、スペイン、ポルトガルの記憶を辿ります。お付き合いいただけたら幸いです。
私もフォローさせていただきます。
-
- チーママ散歩さん 2020/10/14 18:30:10
- まるはの赤だし♪
- 先輩~ まるはの赤だし♪
入国から 凄い旅ですね。
きれいな奥様だから目をつけられちゃったんですね。
読んでいる方もヒヤヒヤしましたよ。(O_O)
でも 奥様強い! 連行されても大いばり(笑)。
言葉ができるから文句も言えるんですね。
しかも ポリスとは!
当時はまだそんなのが「わんさか」いたのでしょうね。
私なら相手に笑いかけられたら ニコニコして・・最後・・・
「鴨られる」のでしょうね。
NOが言えず「笑ってごまかせ!精神のヤマトナデシコ」です(*^-^*)
さらに・・・・バスに乗るにも仲介とは・・・。
郷に入ては郷に従え!・・・とは言っても、
なかなか従えるものではないですね。
そもそも感覚の違いが凄い・・・。
物乞いは偉いんですね?
元水で洗って 日本語では「ぞうきん」と呼ぶ布での食器洗い。
いや~ 私もアジアの屋台で食べてもお腹は結構丈夫な方ですが・・・
ご遠慮いたしますわ。 私もコーラください!
「天井に無数の星形の穴。
もし雨が降ったら、濡れれば良いじゃない。
星形の雨。」
なんてチャーミングな発想なのでしょう♪奥様。詩人ですか?
表紙の写真 何かなと思っていたらモロッコ玉。
とてもかわいいですね。
確かにお着物の時の帯留めにしても素敵♪ 素敵なセンスですね。
私は学生のころスペイン語を習っていました。
ところが一度も行ったことがありません。
そのスペインに入国してやっと治った二日酔い(*^-^*)
色々あった旅ですが ハプニング含めて楽しい思い出ですね。
何年たっても ついこの前のように鮮明に残る記憶。
旅の思い出は財産ですね。 お邪魔いたしましたあ~♪
- しにあの旅人さん からの返信 2020/10/14 20:00:49
- Re: まるはの赤だし♪
- コメントありがとうございます。
By妻は入管でもめるんです。
モスクワでもやった。
くわしくは、
イタリア2019春-1 アエロフロートごめんなさい
https://4travel.jp/travelogue/11486160
帰りですから最後のあたりです。
自分が正しいと思ったら絶対に譲らない。瞬間湯沸かし器。
「天井に無数の星形の穴。
もし雨が降ったら、濡れれば良いじゃない。
星形の雨。」
これは私も驚いた。詩的才能があるようです。「トイレ」という単語が入らなければ、歌詞になります。
帯留め。衣類の好みではときどき問題を起こします。私はこの分野のセンスゼロ。着る物には暑さ寒さをしのぐ以外の有用性が理解できないのです。
何かのおり、「奥様のお召し物はいかがでしたか」というような質問があって、「覚えておりません。裸ではなかった」と答えました。By妻が激怒しました。
チーママ散歩さんも、ご主人がこう仰ったら、怒りますか。
旅行は思い出ですね。コロナ騒ぎの苦し紛れで思い出旅行記を始めましたが、これぞ旅行記の本道であると気がつきました。
たしかねんきん老人さんだとおもいますが、「どんな豪邸もマッチ1本でゼロになります。旅行で得た思い出は一生なくなりません」とおっしゃっていました。まさにそのとおり。
いや、お若いチーママ散歩さんにはいらぬお説教でした。
-
- kummingさん 2020/10/14 16:34:15
- れれっ?
- 写真を補って余りある、流麗な文章、読者の想像力を刺激する素敵な旅行記♪
あれ?
むか~しムカシ、シリーズNo.1 by 妻によるお見送り
No.2 by 妻さんは共におフランスにて仏語を学ぶご学友
No.3 by 妻さんとはれてご夫婦に^ ^
次こそ明かされるであろう、しにあの旅人さんご夫妻の馴れ初め~夫婦に至る、過程がとんでませんか~?
きっと高まる読者の期待、次回作までお預けなのでしょう^ ^
何だか狐につままれて、狸にばかされた気分になってるのは私だけ?
ブログに関係ないコメントでm(_ _)m
ポチ一番乗り~♪
- しにあの旅人さん からの返信 2020/10/14 17:12:17
- Re: れれっ?
- 初ポチありがとうございます。
うん、そうですね。とんでる。ご期待に添いまして、次のスイス旅で、ほんのちょっと、さわりだけ。実はまことにあっけらかんとしたものです。
4トラのシステムの不具合で、旅行日を最近のある日にしているので、せめて旅行の順番に書いています。モロッコよりスイスが後でした。
モロッコは素材の旨味で、写真なしでなんとかなりましたが、ほかはそうはいかない。スイスのあとスペイン、ポルトガルでこのシリーズは打ち止めです。
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