2020/09/21 - 2020/09/21
60位(同エリア11774件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2020/09/21
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電車での移動
諫早駅:9時11分→長崎駅:9時44分着
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電車での移動
長崎駅:9時58分発→新大工町:10時09分(長崎電気軌道3系統・蛍茶屋行)
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徒歩での移動
新大工町:10時09分→亀山社中跡:10時30分
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徒歩での移動
亀山社中跡:10時50分→龍馬のぶーつ像:10時52分
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徒歩での移動
龍馬のぶーつ像:10時55分→風頭公園・龍馬像:11時10分
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徒歩での移動
龍馬像:11時15分→亀山焼跡:11時34分
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亀山焼跡
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亀山焼跡:11時40分→深崇寺→三宝寺→浄安寺→興福寺→一覧橋→光永寺→市民会館:12時10分
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電車での移動
公会堂前:12時13分→大浦天主堂下:12時25分(長崎電気軌道5系統・石橋行)
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徒歩での移動
大浦天主堂下:12時25分→KIZUNA CAFFE:12時40分
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KIZUNA CAFFE
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電車での移動
大浦天主堂下:14時35分→新地中華街→長崎駅:14時50分
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電車での移動
長崎駅:16時発→諫早駅:16時37分着
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この旅行記スケジュールを元に
長崎には何度も行ってますが、今回初めて訪れるのが亀山社中です。
そして大浦天主堂は、初めての長崎旅行で訪れたきりの場所でした。
今回は一人でブラブラ散策します。
急かされることもなく、ゆっくりできました!
【旅程】
9月17日
羽田空港:16時10分発→長崎空港:18時05分 ANA667便
長崎空港→諫早
9月18日
小浜
熊本県天草(富岡城跡)
9月19日
天草(五足の靴文学遊歩道→大江教会・ロザリオ館→崎津教会(崎津集落)→天草コレジョ館
9月20日
9月21日(亀山社中跡他・大浦天主堂)●
9月22日
9月23日
長崎空港:15時10分→羽田空港17時00分 JAL612便
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
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こちらは長崎駅のホームです。
久々に電車で出かけたのですが、新幹線の建設工事のために、がらりと様変わりしていました。駅の西口から東口まで約5分もかかりました。 -
新大工町で下車して、徒歩で向かっているところです。
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目印にしていたお寺がありました。
禅林寺です。 -
「龍馬通り」に出ました。これで一安心。
それにしても随分と細い道です。 -
「風頭公園」「亀山社中」は→(右)方向です。
後は案内に従って行けば良さそうです。 -
こんな小径です。
この周囲にはお寺が多く、お墓の間の坂道を登って行きます。 -
親切に途中に-龍馬所縁の人物の解説がありました。
近藤長次郎(1838-1866年 高知県生まれ)
幼い頃から学問・武術を好み、江戸にも遊学して、高島秋帆からも砲術を学びました。勝海舟に入門し神戸海軍操練所でも修行を続け、慶応元年(1865年)の亀山社中結成に参加し、「龍馬の片腕」と呼ばれていました。この年、薩摩藩の名義を借りた、長州藩のための軍艦・武器購入の計画が起こると、中心的な役割を果たしました。しかし、慶応2年(1866年)英国への単独渡航の計画が露見し、盟約違反に問われて、長崎の小曽根邸内で切腹しました。後にそれを知らされた龍馬は「おれがいたら殺しはせぬのじゃった。」と妻、おりょうに語っています。近藤の墓は、現在でも長崎市寺町の晧台寺に残されています。 -
陸奥宗光(1844-1897年 和歌山県生まれ)
明治の外交官、政治家。文久3年(1863年)勝海舟に入門しました。
神戸海軍操練所に学び、坂本龍馬と交友を深めました。その後、亀山社中・海援隊と終始龍馬と行動を共にしました。
龍馬は陸奥宗光の才能を高く評価し「大小の刀を取り上げても路頭に迷わないのは、僕と君のみ」と語っています。また、陸奥宗光は長崎で外国人の家庭に住み込み、英語を学んだとも伝わっています。明治以後は政府に入り、農商務大臣、枢密顧問官を務め、明治25年(1892年)外務大臣となり、条約改正と日清戦争の外交指導に尽力しました。 -
こちらの分岐点にも案内表示があります。
ところで、地図を見ただけではわかりませんでしたが、結構な坂道です。
元々長崎は坂の街ですが、真夏は避けた方が良さそうです。 -
こんな所にも龍馬の看板がありました。
それにしても、今回は一人でブラブラ散策してるのですが、気を遣わずに自分の好きな所に行けるので良かったです。 -
沢村惣之丞(1843-1868年 高知県生まれ)
文久元年(1861年)土佐勤王党に加盟し、文久2年(1862年)坂本龍馬と土佐を脱藩しました。その後、勝海舟の門下生となり、神戸海軍操練所、亀山社中・海援隊と常に龍馬と行動を共にし、龍馬の活動を支援しました。沢村惣之丞は学問を好み、特に英語と数学に優れていたといい、また長府藩士にも航海術を教えています。慶応4年(1868年)1月、海援隊が長崎奉行所を占拠したとき、誤って薩摩藩士を射殺した責任をとり切腹しました。沢村惣之丞の墓は、現在でも長崎市筑後町の本蓮寺に残されています。 -
長岡謙吉(1834-1872年 高知県生まれ)
大阪で医術を学んだほか、長崎でも修行し、安政6年(1859年)に再来日したシーボルトに師事したとも伝わっています。その後脱藩して、坂本龍馬と再会。亀山社中・海援隊と行動を共にしました。学術に秀でた長岡謙吉は、龍馬の秘書役、海援隊の文司として龍馬の死後、慶応4年(1868年)には土佐藩から海援隊長に任命されました。明治以後は政府に入り活躍しました。 -
中島信行(1846-1899年 高知県生まれ)
明治の政治家。元治元年(1864年)脱藩し、後に亀山社中・海援隊に参加しました。龍馬の信頼が厚く、慶応3年(1867年)に起こった「いろは丸事件」の損害賠償金問題では、紀州藩との交渉と賠償金の受け取りにあたりました。また、慶応3年(1867年)9月、龍馬が土佐に最後に帰郷したときにも同行しています。明治以降は政府に入り、神奈川県令や元老院議官、(初代)衆議院議長、イタリア駐在匿名全権公使等をつとめました。 -
亀山社中跡(長崎市亀山社中記念館)
ようやく着きました。
外にいた係の方が、親切に写真を撮ってくれました。
入館料は310円でした。 -
間口は狭いのですが、小さな階段があるようです。
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和室です。
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紋服(複製)
龍馬が着ていた黒字羽二重の紋服です。龍馬が滞在していた京都河原町の醤油商近江屋の井口家に伝わりました。坂本家の家紋「組み合わせ角に桔梗紋」が入っています。丈が145cmなので、龍馬の身長は170cmを超えると推定されています。この時代としては大変大柄な人でした。紋服は昭和15年(1940年)に京都国立博物館に寄贈されました。 -
ブーツ(再現)
慶応年間に長崎で撮影された写真に、このような革靴が写っています。
実際に使ったブーツは現存しないため、再現したものです。 -
月琴
琵琶の一種で、リュートに属します。
名称は丸い胴に由来し、明清楽の演奏に用います。表板も裏板も桐材です。
4本の弦は2弦同律(レレ、ララ)に調弦されて、柱は8個です。演奏には赤いふさの付いた鼈甲のバチ(義甲)を用います。「タタキ」と「スクイ」によって自在に音の重なりを選択するとき、音の繊細さが最もよく示されます。ここに展示されている月琴は、幕末から明治中期にかけて普及したタイプ(古胴)になります。
龍馬の妻のおりょうさんも月琴を愛用したと伝えられています。
以前、おりょうさんの墓前祭に行って、月琴の演奏も聞きました。
なんともはかなげで、素敵な音色です。
ちなみにおりょうさんについては、下記の旅行記を御覧ください。
↓
https://4travel.jp/travelogue/11063415
この後ろにスピーカーがあって、月琴の音色が流れていました。 -
ピストル(複製)
龍馬が愛用したアメリカのスミス&ウエッソン社製の複製品です。慶応2年(1866年)1月23日の夜、伏見の寺田屋で奉行所の捕方に襲撃された時に、龍馬はピストルで応戦し、難を逃れました。この時のピストルは高杉晋作から贈られたものとされています。慶応3年(1867年)11月15日に京都河原町の近江屋で刺客に襲われた時にも、ピストルを持っていましたが、使うことなく凶刃に倒れました。
龍馬の手紙には時々ピストルの話が出てきます。 -
陸奥守吉行(複製)
茎(なかご)に「吉行」の銘が刻まれています。刃部の長さは71.5cmです。刀身に反りがなく、大正2年(1913年)に北海道釧路市で火災に遭ったことが白鞘に墨書されています。龍馬は兄坂本権平から譲られた吉行の刀を常に帯びており、慶応3年(1867年)11月15日に京都河原町の近江屋で襲われた時には、鞘のまま刺客の攻撃を受け止めたとされています。 -
これは、名誉館長の武田鉄矢氏より寄贈されたもののようです。
公文菊僊画(くもんきくせんが)坂本龍馬立像
坂本龍馬や中岡慎太郎など土佐の志士の肖像画を描いた高知の画家、公文菊僊(1873-1945年)の作品です。
龍馬の顕彰が盛んだった昭和初期に多数描かれたものの1つです。龍馬の立ち姿の写真をもとに独特の風貌が再現されています。龍馬の頭上には日露戦争に際して明治帝の皇后の夢枕に龍馬が立って日本の必勝を予言したことが記されています。 -
演台といえばいいのでしょうか・・・。
よく知られている龍馬の写真にある演台です。
この奥にも部屋がありましあが、撮影禁止でした。 -
外の眺めです。
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坂本龍馬(1835~1867)は、土佐に生まれ、江戸で剣術や砲術の修業をしました。
その後帰国して土佐勤王党に加盟しましたが、その後土佐を脱藩して、勝海舟(幕臣)の門人となって、勝塾や神戸海軍操練所で学びました。
元治元年(1864)以降は操練所が閉鎖されたため、龍馬と同志たちは薩摩藩に保護されました。(脱藩していたので)
そして鹿児島を経由して長崎に来ました。
慶応元年(1865)の夏頃、薩摩藩や小曽根(こぞね)家(商人)の援助を受けて、日本最初の商社といわれる「亀山社中」を結成したのです。
この名前は拠点にした土地「亀山」と、仲間や結社を意味する「社中」から呼ばれるようになりました。
亀山社中の最大の業績は、
慶応2年(1866)、長州藩のために薩摩藩名義で大量の小銃や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬に成功しました。
これが慶応2年(1866)1月の薩長同盟締結へと繋がりました。
新時代をへの足がかりとなりました。
また1866年6月の第二次長州征伐においては、長州藩の軍艦で下関海戦に参加し、幕府軍を相手に長州の勝利に大きく貢献しました。
そして1867年4月には龍馬の脱藩が許されて隊長となりました。
その後、土佐藩に付属する外郭機関として「海援隊」と改称されました。 -
平面図です。
母屋は10畳・8畳・3畳の部屋と土間になっています。
土間の北側には玄関があり、龍馬はそこから出入りをしていたようです。
この土間はガラス張りの床ごしに見ることができます。
また土間と3畳の部屋の上には中二階がありました。残念ながらの上は見ることができませんでした。 -
裏には小さな庭がありました。
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古井戸がありました。
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石畳ですが、少しだけ坂になっています。
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伊良林二丁目7番
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龍馬のぶーつ像
龍馬は日本で最初にブーツを履いたと言われています。
身分制度が厳しい中、下級武士である郷士の家に生まれ、草履しか履けなかった龍馬は、自由と希望の地である長崎で「ぶーつ」を履き、新しい時代へと駆け抜けました。
このブーツ像は亀山社中創設130周年記念行事の一環として建立されました。
このぶーつを履いて、舵を握って龍馬の気分になることができます。
亀山社中ば活かす会より
ただコロナ禍の現在は、足を入れる勇気はありません。(-_-;) -
ここからの長崎の街の様子です。
この日は天気にも恵まれて、気持ちいいです。 -
ブーツ像を見て、亀山社中の前を通り、風頭公園へと向かいます。
この分岐点にも龍馬像がありました。
ちょうど目印になって助かります。
左の細い道を登ってきました。右の方には亀山焼跡があります。 -
曲がり角に来たら、また案内表示がありました。
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左の坂を登ります。
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風頭公園
こちらは風頭山だそうです。
ハタ(凧)揚げの名所になっているようです。
春には桜、初夏にはアジサイの名所でもあります。
平成24年10月に世界新三大夜景に長崎の夜景が認定されました。 -
公園の中にある龍馬像です。
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この龍馬の銅像は、長崎の街を見ています。
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船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、
「長崎はわしの希望じゃ」と陸奥陽之助にいった。
「やがては日本回天の足場になる」ともいった。
司馬遼太郎「竜馬がゆく」より
※ ところで、こちらには「竜馬」と書きましたが、この石碑のとおりに描きました。「竜」が常用漢字(新字)で「龍」がその旧字に当たります。
龍馬が生きた時代に常用漢字はなかったので、通常は「龍馬」と記載しました。
「竜馬がゆく」「龍馬伝」それぞれ違ってますが・・・。 -
ここは標高152mの山頂部に位置する公園です。
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イチオシ
長崎港と街を一望できます。
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イチオシ
パノラマ撮影してみました。
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銅像と景色を見て、次は亀山焼跡地にやってきました。
ここは公民館ですが、中には入れないものの、ショーウィンドウには亀山焼が展示されていました。
染付鉢 -
反射して見えにくいのですが、染付皿です。
欠けてしまっていて、残念ながらよくわかりません。
八幡町の大神甚五平ほか3名でオランダ船に積み込む水ガメを作る窯をこの垣根山(通称:亀山)に築き、これが亀山焼の名前の由来になりました。
ただ、事業不振でかわりに白磁に中国輸入の呉須(コバルト)を使用した高級磁器を製作しました。 -
この焼き物は、前の物とは趣が違うようです。
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亀山焼登窯復元想像図(平自治会)
当時はこの絵のようになっていたのでしょう。 -
亀山焼窯跡
文化4年(1807年)大神甚五平外3名がオランダ人に売る水瓶製造の窯を築き、陶器を焼いたことに始まり文化11年(1814年)白磁染付を焼くことに成功しました。
絵付は南画家木下逸雲など有名文人墨客のものも多く数々の名品を残しましたが、次第に衰微し慶応元年(1865年)廃窯となりました。
今では幻の亀山焼とも言われ、美しい南画風の絵柄ともあいまって愛好家たちを魅了しています。
ここに窯の奥壁の一部が現存していますので、この7貴重な遺跡を末永く保存し後世に伝えたいものです。 -
元来た道を戻ってきました。
深崇寺です。 -
親鸞聖人の像がありました。
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お隣のお寺です。
三宝寺です。 -
浄安寺です。
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興福禅寺です。
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また川を渡ります。この川は中島川です。
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川を挟んで木々の繁ったあたりにお寺があります。
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光栄寺です。
この後は路面電車に乗って、大浦天主堂へ向かいます。 -
お昼になっていました。
まずはランチをいただきます。 -
KIZUNA Caffeです。
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社会福祉法人です。
ちょっとお時間がかかりますが、優しく見守りましょう。 -
実はパスタにしたのですが、カレーに間違われてしまったようです。
作り直してもらうにも、時間を要しそうでしたし、カレーをいただくことにしました。
お味はまあまあでした。 -
小曽根町1という番地です。
そこでハッと気づいたのが、ひょっとして、あの「小曽根 乾堂 」の小曽根家では?
その後、末裔の方と思われる方をお見かけしました。
ある出来事があって、わかったのですが(個人情報に係るので、秘密です)
間違いないか、思わずネットでチェックしてしまいました。
※ 小曽根氏は、先ほどの亀山社中の中でも記述しましたが、龍馬の支援者として、財政的にも援助した事業家であり、書家であり、文人画家であり、篆刻家でもあります。 -
イチオシ
大浦天主堂
正式名は日本二十六聖殉教者天主堂です。
名前のとおり日本二十六聖殉教者に捧げられれた教会です。
二十六聖殉教者とは、慶長元年12月19日(1597年2月5日)、豊臣秀吉の命令によって磔の刑に処された26人のカトリック信者のことを言います。
この26名は、長崎の西坂の丘で、十字架に架けられ、槍で両脇を突かれ、殉教しました。そのため、殉教地である西坂の方に向けて建てられています。
平成30年(2018年)に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録されました。
平成28年(2016年)4月26日には、日本初の小バシリカに指定されました。 -
聖母マリア像
この白亜のマリア像は、高さ約1m42cm、高5 約1m50cm)、巾約60cmの礎石の上に置かれています。
中は撮影禁止でした。 -
右の建物は、 旧羅典神学校です。
現在はキリシタン博物館となっています。 -
旧長崎大司教館
こちらもキリシタン博物館となっています。 -
こちらも旧羅典神学校です。
キリシタン博物館です。 -
大浦天主堂の側廊方向の様子です。
ステンドグラスが見えます。 -
イチオシ
大浦天主堂はゴシック様式で建てられていて、天井はリブヴォールト天井になっています。
祭壇には、ステンドグラスで「十字架のキリスト」像があります。
1865年天主堂の建立を記念して、フランスのカルメル修道院から寄贈されました。
キリスト、右には聖母マリア、左には使徒ヨハネ、そしてひざまずいているのは、マグダダラのマリアを描いています。
日本にあるステンドグラスでは最も古いものの1つでしたが、残念ながら原子爆弾の爆風によって大破してしまいました。
現存するものは、戦後の復旧工事でパリのロジェ商会に発注したものです。 -
信徒発見記念碑
慶応元年(1865年)2月19日、仏人宣教師プチジャン神父(後の初代長崎司教)により大浦天主堂が建立されましたが、同年3月17日天主堂参観の浦上の住民等十数名から同神父に近づいて、
「私達もあなた様と同じ心の者でございます。サンタ・マリアの御像はどこ。」
と言いました。
彼らは300年に亘る厳しい迫害を耐え忍び、ひそかに守り伝えたカトリックの信仰を表明したのです。
日本キリスト信者のこの信仰宣言は、史上に例のない事実として全世界を驚嘆させました。その感動的な場面をこの碑に再現し信者発見百周年記念として建立されました。
1965年3月17日
キリスト教禁教令、そしてその後1639年の鎖国令によって、宣教師たちは追放されてしまいました。
そして更にキリシタンに対する迫害や拷問は続き、宣教師たちは日本に来ることができなくなっていました。
そしてその間の約250年もの長い間、表向きには仏教徒を装いながら、キリストへの信仰心をもって、代々信仰を守り通したのです。
その潜伏キリシタンと呼ばれる信徒たちの存在が、明らかになったのです。 -
プティジャン神父像
Bernard-Thadee Petitjean(ベルナール・タデー・プティジャン)(仏)
万延元年(1860年)に日本布教を命ぜられました。
文久2年(1864年)に横浜に上陸し、1864年に長崎の大浦居留地のフランス人司教となりました。 -
聖ヨハネ・パウロ2世教皇胸図
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ユニークなベンチですが、コロナ禍のために使用不可となっています。
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この旅行記へのコメント (11)
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- Decoさん 2021/01/08 09:39:49
- はじめまして
- 私は九州(福岡)に住んでいることもあり、長崎は以前は度々訪れていました。旅で訪れるなら、九州で一番好きな町です。
亀山社中跡、懐かしく拝見しました。あそこに行くのは結構大変ですが、その分眺めが良いのですよね。最初に訪れたときは、まだ観光化されていなくて、個人の方(持ち主の方?)が管理されていて、今のようには整備されていませんでした。でも楽しいい方で、龍馬がもたれていた柱の前で写真を撮ってくださったり、入館料も特に決まってなくて、適当と思う金額を入れてくださいと言われました。
龍馬のブーツ、コロナで残念でしたね。
noelさんは写真も素晴らしくて、神学校や司教館は、外国の景色を見ているような気がしました。
- noelさん からの返信 2021/01/08 20:40:24
- Re: はじめまして
- Decoさん、こんばんは
私の旅行記にご投票いただき、ありがとうございます。
福岡にお住まいなんですね。美味しい物がたくさんあっていいですね。
長崎は主人の実家があるので、よく行きます。
亀山社中ですが、以前は観光化されてなかったんですね~。
それはそれで、また違った良さがあったのかもしれませんね。
苦労して辿り着いたら、素敵な眺めだったので、とても清々しい気持ちになりました。
それにしても入館料も決まっていなかったなんて、ちょっと可笑しいです。
私もDecoさんの旅行記のミリオネアの賞金の温泉には吃驚しました。
以前よくこの番組を見ていましたので、ちょっと嬉しく思いました。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
noel
-
- camminatore di stradaさん 2020/11/25 21:15:12
- ブーツ履きました
- いいねありがとうございます。
まさに今日あの金属製ブーツ履きました。
暑い中、坂道うぃ登った後なのでひんやり心地よく感じながら街並みを
一望しました。
高校の修学旅行以来に数十年ぶりの長崎は
見どころの多い素敵な街でした。
- noelさん からの返信 2020/11/26 21:26:01
- RE: ブーツ履きました
- camminatore di stradaさん、こんばんは。
私の方こそ「いいね」をありがとうございました。
「ブーツ像」には、まさに昨日行かれたばかりなんですね。
坂道を歩いて辿り着くと、やっぱり気持ちいいですね。
いい思い出ができたでしょうか。
ところで、camminatore di stradaさんは、このトラベラー名からして、イタリアが
お好きなのでしょうね。
私も好きです。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。
noel
- camminatore di stradaさん からの返信 2020/11/28 21:04:00
- Re: ブーツ履きました
- はい、典型的なイタリアかぶれです。
2011年に初めてイタリアに行って以来
すっかり魅了されてしまってます。
-
- sanaboさん 2020/11/15 20:35:16
- ぶーつ☆彡
- noelさん、こんばんは~
今回はお一人で気ままに散策されてる楽し気なご様子がこちらにも伝わってきました(´艸`*)
ヨーロッパ旅行の時など、いつもご主人様のご意見を尊重されていらっしゃるnoelさんと違い、夫を引きずり回している私でさえ、一人旅は自分のペースで歩けて楽でいいわぁと思いま~す(笑)
長崎は坂本龍馬所縁の地だったのですね。
亀山社中の展示物は貴重なものや興味深いものが色々ありましたけど、あのブーツのデザインが今風のサイドゴアっぽくてビックリ!日本で最初にブーツを履いたのが龍馬とは知りませんでした。ピストルも常時携行していたようですし、時代の先端を走っていたのですね~。
裏庭の古井戸が味わいがあって懐かしさを感じました。ヨーロッパでたまに古井戸を見かけますけど、日本で見たのは凄く久しぶりでした。
長崎の街を見下ろす「龍馬のぶーつ像」は象徴的ですね!確かにコロナ渦であの中に足を入れる勇気はないですよね^^; ひらがなの「ぶーつ」っていうのがいいですね~
ところでランチで間違われて出てきたカレーはびわカレーだったのでしょうか?看板を見て気になって気になって~(笑)
大浦天主堂は日本初の小バシリカだそうですね。バシリカと小バシリカって、何がどう違うのでしょう?(←これは独り言ですのでスルーして下さいね^^;)
ファティマ旅行記を作った時に日本にはバシリカはないと何かで読んだのですけど、大浦天主堂は日本初の小バシリカに指定された権威ある存在なのですね。
実は一週間ほど前に遠藤周作原作の映画『沈黙』を見て、色々と考えさせられました。noelさんはご覧になりましたか?私が不思議に思った、というか理解できなかったのは、当時決して生活は楽ではなかった漁師や農民の人たちが、明日の食べ物が手に入って暮らしていけるだけで十分幸せだったでしょうに、隠れキリシタンとして時に拷問されたり辛い思いをしてまで、なぜそんなに信仰を抱き捨てなかったのか…。決して信仰心を否定はしませんが、無信心者の私には理解できませんでした。でもとても感銘を受けましたし、大浦天主堂はじめ沢山の教会が建つ現在の姿を眺め、多くの魂が救われたと信じたいです。話が旅行記からそれてしまってごめんなさい_(._.)_
ここのところ感染者数がまた急に増え始め、気がかりですね。
noelさんもどうぞお気をつけてお元気で☆
sanabo
- noelさん からの返信 2020/11/16 22:07:03
- RE: ぶーつ☆彡
- sanaboさん、こんばんは
いつもありがとうございます。
> 今回はお一人で気ままに散策されてる楽し気なご様子がこちらにも伝わってきました(´艸`*)
> ヨーロッパ旅行の時など、いつもご主人様のご意見を尊重されていらっしゃるnoelさんと違い、夫を引きずり回している私でさえ、一人旅は自分のペースで歩けて楽でいいわぁと思いま?す(笑)
はい。そうなんです。
お陰様で気ままに自由に散策できました。
ちなみに誘ってみましたが、勝手に一人で行くように言われて、内心小躍りしながら出かけました。
> 長崎は坂本龍馬所縁の地だったのですね。
そうなんです。
グラバー邸にも龍馬の足跡があります。(何度か行ったので、こちらには行きませんでした。)
> 亀山社中の展示物は貴重なものや興味深いものが色々ありましたけど、あのブーツのデザインが今風のサイドゴアっぽくてビックリ!日本で最初にブーツを履いたのが龍馬とは知りませんでした。ピストルも常時携行していたようですし、時代の先端を走っていたのですね?。
確かにあのブーツ、今風ですよね。ちっとも古さを感じませんでした。
本当に時代を先んじていたようです。
> 裏庭の古井戸が味わいがあって懐かしさを感じました。ヨーロッパでたまに古井戸を見かけますけど、日本で見たのは凄く久しぶりでした。
実はあの古井戸は、たまたま庭の奥の方に行って、気が付いたのですが、何も解説もなく、誰も気にも留めていないようでした。
ただ個人的には妙に気になって、謂れはないのかないのかと写真を撮ってみました。
> 長崎の街を見下ろす「龍馬のぶーつ像」は象徴的ですね!確かにコロナ渦であの中に足を入れる勇気はないですよね^^; ひらがなの「ぶーつ」っていうのがいいですね?
確かに「ぶーつ」の表現面白いですね。
> ところでランチで間違われて出てきたカレーはびわカレーだったのでしょうか?看板を見て気になって気になって?(笑)
食べてみて、何が枇杷なのかさっぱりわかりませんでした。
やはりカレーにしてしまうと、カレーの味に負けてしまうのかと思います。(-_-;)
> 大浦天主堂は日本初の小バシリカだそうですね。バシリカと小バシリカって、何がどう違うのでしょう?(←これは独り言ですのでスルーして下さいね^^;)
確かに!なかなか鋭いですね!さすがsanaboさん!
私などボケーっと書いてました。
「あ〜小バシリカなのか・・・・」と。何しろ大浦天主堂は、今まで見たバシリカと呼ぼれるものより、サイズでは小さかったので、勝手に小さいからなのかと思ってました。
でも違うようですね。
大きく分けて、Major basilica(メイジャー・バシリカ)とMinor basillca(マイナー・バシリカ)があって、この主要なバシリカは全てローマ司教区にあって4つしかないようです。そしてマイナー・バシリカは、2019年時点で世界中に1810のバシリカがあるようです。
益々わからなくなりそうです。大浦天主堂は一応はマイナー・バシリカであるようなのですが、これを「小バシリカ」としてよいのかどうかも定かではありません。
> ファティマ旅行記を作った時に日本にはバシリカはないと何かで読んだのですけど、大浦天主堂は日本初の小バシリカに指定された権威ある存在なのですね。
一応、「小バジリカ」というのは、「教皇が推奨する特定の歴史的、芸術的、典礼・司牧的に重要で、活気に満ちた信仰共同体の中心となっている教会」と同サイトにあります。
> 実は一週間ほど前に遠藤周作原作の映画『沈黙』を見て、色々と考えさせられました。noelさんはご覧になりましたか?
はい。だいぶ昔に本を読んで、映画も観ました。
考えさせられますよね。
私が不思議に思った、というか理解できなかったのは、当時決して生活は楽ではなかった漁師や農民の人たちが、明日の食べ物が手に入って暮らしていけるだけで十分幸せだったでしょうに、隠れキリシタンとして時に拷問されたり辛い思いをしてまで、なぜそんなに信仰を抱き捨てなかったのか…。決して信仰心を否定はしませんが、無信心者の私には理解できませんでした。でもとても感銘を受けましたし、大浦天主堂はじめ沢山の教会が建つ現在の姿を眺め、多くの魂が救われたと信じたいです。話が旅行記からそれてしまってごめんなさい_(._.)_
いえいえ。
ここ数年長崎の五島やら、外海やら、今回の熊本の天草などなど訪れると、隠れキリシタン、潜伏キリシタンなど本当に奥深く、信仰心の篤さを痛感します。
迫害されながらも信仰を捨てなかった人々、(やむなく転んだ(棄教した人をこのように呼んでます。)人々。)
教会や寺社には行くけれど、信仰心のない私などからすると、本当に申し訳ないような気持ちになります。それでも現地に赴くことで、自分にはできないものの、少しは気持ちがわかるような・・・・。
なんだか中途半端ですみません。
> ここのところ感染者数がまた急に増え始め、気がかりですね。
> noelさんもどうぞお気をつけてお元気で☆
ありがとうございます。
本当に心配ですね。sanaboさんもお気をつけくださいね。
noel
- sanaboさん からの返信 2020/11/17 17:55:07
- RE: RE: ぶーつ☆彡
- noelさん、こんにちは
長々と好き勝手なことを喋ってしまったコメントに、ご丁寧にお返事して下さりありがとうございました^^
> ちなみに誘ってみましたが、勝手に一人で行くように言われて、内心小躍りしながら出かけました。
そうだったのですね〜、たまには一人気ままに散策するのもいいですよね^^
> > ところでランチで間違われて出てきたカレーはびわカレーだったのでしょうか?看板を見て気になって気になって〜(笑)
>
> 食べてみて、何が枇杷なのかさっぱりわかりませんでした。
> やはりカレーにしてしまうと、カレーの味に負けてしまうのかと思います。(-_-;)
やっぱり枇杷カレーだったのですね。きっとチャツネみたいな役割を果たしていたのかもしれませんね(^_-)
> 大きく分けて、Major basilica(メイジャー・バシリカ)とMinor basillca(マイナー・バシリカ)があって、この主要なバシリカは全てローマ司教区にあって4つしかないようです。そしてマイナー・バシリカは、2019年時点で世界中に1810のバシリカがあるようです。
>
> 益々わからなくなりそうです。大浦天主堂は一応はマイナー・バシリカであるようなのですが、これを「小バシリカ」としてよいのかどうかも定かではありません。
noelさんを悩ましてはいけないと思い、独り言だと書いたのですけど、調べて下さりお答え下さってありがとうございました。もしかしたら小バシリカというのがマイナー・バシリカのことなのかもしれませんね。日本語で「マイナー」という言葉はマイナーなイメージだから(笑)、敢えてマイナー・バシリカと言わず小バシリカと呼んでいるのかも?
> 一応、「小バジリカ」というのは、「教皇が推奨する特定の歴史的、芸術的、典礼・司牧的に重要で、活気に満ちた信仰共同体の中心となっている教会」と同サイトにあります。
う〜ん、ということはやはりマイナー・バシリカ? これ以上考えると二人とも今晩眠れなくなりそうだから、このくらいにしておきましょう(笑)
> > 実は一週間ほど前に遠藤周作原作の映画『沈黙』を見て、色々と考えさせられました。noelさんはご覧になりましたか?
>
> はい。だいぶ昔に本を読んで、映画も観ました。
> 考えさせられますよね。
やはりnoelさんは原作も読んでらしたのですね。
私のような無信心者と敬虔なクリスチャンの方とは、随分と受け止め方も違うのだろうなぁと思いました。私は部外者というか傍観者として観てしまうけれど、クリスチャンの方は共感し寄り添うようなお気持ちでご覧になるのでしょうね。
> ここ数年長崎の五島やら、外海やら、今回の熊本の天草などなど訪れると、隠れキリシタン、潜伏キリシタンなど本当に奥深く、信仰心の篤さを痛感します。
やはり実際に現地を訪れてみるとそのように感じられるのでしょうね。
> 迫害されながらも信仰を捨てなかった人々、(やむなく転んだ(棄教した人をこのように呼んでます。)人々。)
映画にも転ぶという言葉が出てきて、とても印象的でした。
> 教会や寺社には行くけれど、信仰心のない私などからすると、本当に申し訳ないような気持ちになります。それでも現地に赴くことで、自分にはできないものの、少しは気持ちがわかるような・・・・。
そうですね、きっと私も遠い昔の彼らの気持ちや色々なことを考えてしまいそうな気がします。美味しいものを食べ綺麗な景色を見ることだけが旅ではないと、ちょっぴり反省してしまいそうな私でした(^^ゞ
sanabo
- noelさん からの返信 2020/11/17 21:00:48
- RE: RE: RE: ぶーつ☆彡
- sanaboさん、こんばんは
お返事ありがとうございます。
> 長々と好き勝手なことを喋ってしまったコメントに、ご丁寧にお返事して下さりありがとうございました^^
いえいえ。好きでコメントしてますので、お気になさらないでくださいね!
> やっぱり枇杷カレーだったのですね。きっとチャツネみたいな役割を果たしていたのかもしれませんね(^_-)
確かにそうですね。
枇杷は長崎の特産品ですので、気持ちもわかるのですが、やはりチャツネですね。
> noelさんを悩ましてはいけないと思い、独り言だと書いたのですけど、調べて下さりお答え下さってありがとうございました。もしかしたら小バシリカというのがマイナー・バシリカのことなのかもしれませんね。日本語で「マイナー」という言葉はマイナーなイメージだから(笑)、敢えてマイナー・バシリカと言わず小バシリカと呼んでいるのかも?
そんなそんな。
好きで勝手に調べただけですよ。
でも、そうかもしれませんね。(笑)「マイナー」よりは「小」の方がイメージ良いかもしれません。
> う〜ん、ということはやはりマイナー・バシリカ? これ以上考えると二人とも今晩眠れなくなりそうだから、このくらいにしておきましょう(笑)
笑笑笑
> やはりnoelさんは原作も読んでらしたのですね。
> 私のような無信心者と敬虔なクリスチャンの方とは、随分と受け止め方も違うのだろうなぁと思いました。私は部外者というか傍観者として観てしまうけれど、クリスチャンの方は共感し寄り添うようなお気持ちでご覧になるのでしょうね。
教会などで、礼拝されている様子を拝見すると、私も同じように感じます。
> そうですね、きっと私も遠い昔の彼らの気持ちや色々なことを考えてしまいそうな気がします。美味しいものを食べ綺麗な景色を見ることだけが旅ではないと、ちょっぴり反省してしまいそうな私でした(^^ゞ
私も日々反省してます。
ただ、旅をしなければ、知る機会もなかったり、深く考えることもなかったのかもしれないので、そんな意味では普通の旅こそ大事なのかもしれません。
そして何よりも心の栄養になりますし、癒され感動しますし。これだけ人を幸せにしてくれる旅はなくてはならないものかもしれません。
特にsanaboさんの旅行記で癒される人は多いと思いますよ。
いつもありがとうございます。m(__)m
noel
-
- たらよろさん 2020/11/15 14:54:02
- 長崎の龍馬像
- こんにちは、noelさん
長崎にも、龍馬像があるって知らなかったです。
確かに、長崎も龍馬さんの功績はたくさんあって、
その結果、こう言った施設もあるんですね。
そして、その館長が!!
やっぱり~の武田鉄矢さん笑
ブーツとか鉄砲とか、お洒落な雰囲気がヒシヒシと伝わってきます。
この付近は、本当に写真以上に坂道と細い道ですよね。
生活されている方も、大変だろうなぁ…なんて思いながら
私も観光したことを思い出しました。
たらよろ
- noelさん からの返信 2020/11/15 19:50:29
- Re: 長崎の龍馬像
- たらよろさん、こんばんは
いつもありがとうございます。
たらよろさんも、長崎行かれたんですね。
確かに坂の街だけあって、龍馬の銅像のある場所までは、結構坂道を歩きます。
でも、そこからの景色に疲れも吹き飛びました。
もし、また行く機会がありましたら、お食事の前に行って、その後は長崎新地中華街などいかがでしょう。卓袱料理もいいかもしれません。
いつも素敵な所にお出かけのたらよろさん、楽しませていただいてます。
ありがとうございました。
noel
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