2017/01/22 - 2017/01/30
157位(同エリア443件中)
まさとしさん
最終目的地エチオピアのダナキル砂漠を観光しました。
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アジスアベバを拠点にダナキル砂漠へ向かいました。
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スーダンのハルツームからアディスアベバまでは2時間のフライトだ。
1年ぶりのエチオピア。アディスアベバ・ボレ国際空港に到着した。この空港をハブにしているエチオピア航空の機体が見渡せる。
入国はスムーズで安宿があるピアッサまでのミニバスもすぐに見つけることができた。アディスアベバで一番快適に過ごせる宿はバロホテルだ。いつも混雑気味だが今日は余裕があるようで希望の安い部屋を確保することができた。
アディスアベバに来た理由はダナキル砂漠ツアーに参加するためだ。宿の紹介でETTという旅行代理店へ車で案内された。 -
このビルにETTが入る。
ビルの一室でツアーの詳細の説明受けることになった。行きのバス代込みで400ドルといわれ、思っていたよりかなり安くて拍子抜けしてしまった。メケルに着いてから500ドルは覚悟していたのですんなり申し込みたいところだが、少し値切ることにした。結局380ドルで話がまとまった。しかも明日早朝のバス乗り場までの送迎つきでこの値段はリーズナブルだ。ダナキル砂漠は行く人が増えているので徐々にシステム化されているのだろうか。値段が据え置かれているのはありがたい。 -
体調が優れないので宿近くのハンバーガー屋で食べることにした。しかし量が多くて半分持ち帰りにした。明日の朝食にちょうどいいだろう。
早めに寝て明日に朝に備える。
【1月23日(月)】
送迎は4時半にやってくるらしい。すっぽかされない火心配だったが昨日と同じETTの人が迎えに来た。向かいにあるwutmaホテルからもダナキル砂漠ツアーに参加する人がいるらしく運転手が迎えに行った。待っていたら日本人二人組が現れた。彼らとは同じツアーに参加することになるようでメケレへは同じバスに乗ることになる。旅行中に日本人に会う頻度は減っているがダナキル砂漠ツアーでは日本人参加率が高いようだ。3泊4日のツアーで他に日本人がいないのは少し大変だと思っていたが、彼らと行動を共にできる事で少し安心した。
送迎車はマスカル広場のバス乗り場に到着した。暗闇の中、案内されたのはセーラムバスではなくスカイバスだった。中国製の新車のバスが並ぶ中、メケレ行きは少しぼろい。でも座席は広いので快適だ。メルカードから出るバスとは明らかに客層が違う感じだ。
バスは5時過ぎに出発。 -
しかし7時前に穀倉地帯の路上でバスは止まってしまった。どうやらエンジンのファンベルトが切れてしまったようだ。なのでエンジンもかけられない状態だ。困ったものだ。
バスの故障による立ち往生はミャンマーを思い出す。順調にいってもエチオピアの陸路は過酷なのに面倒なことになってきた。エチオピアでは深夜のバスの運行は禁止されている。修理が遅れると今日中にメケルに着くのは無理かもしれない。日程が一日ずれると今後の予定に余裕がなくなってしまう。
修理のためのスカイバスのスタッフがアディスアベバからここに向かっているらしい。 -
待つこと6時間。ピックアップトラックに乗った集団が到着した。
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そして慣れた手つきでファンベルトを交換。
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修理は終わったようで12時半にバスは再び動き出した。乗客の半分近くはしびれを切らしてヒッチハイクや他のバスで先に行ってしまった。なのでバスの車内はガラガラだ。このまま順調にいけば今日中にメケルにつけそうだ。バスは回復運転をしているようで、途中トイレ休憩はあるものの飲まず食わずで走り続けた。
夕方5時には中間地点のデセに到着。メケレへの道はかつてエリトリアがエチオピアの一部だった時代に幹線道路だったせいか整備状況はいい。スピードもけっこう出せるので予想よりも所要時間は縮まりそうだ。
結局メケレには午後11時半に到着。大幅に遅延したにもかかわらずETTのスタッフが出迎えてくれ宿泊先に案内された。
メケルでの宿はLKペンション。時間が遅いので周辺に開いている店もなく、腹は減っているが今日は疲れたので就寝することにした。 -
【1月24日(火)】
ツアーの送迎は8時から8時半に来るようでそれまでメケレの町を散歩することにした。宿泊先のLKペンション。1泊200ブル(1000円)だ。 -
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朝食もとることにした。大半の店は8時からの営業で店を探すのは難しかったが、ロータリー周辺の店は営業していた。
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ここでインジェラパスタを注文。量が多く食べきれなかった。
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食事をしていたら子供たちが集まってきた。
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宿を8時半に出発。メケレで中級のミラノホテルに入るETTの事務所へ向かった。ダナキルツアーに参加する欧米人旅行者たちが集まっている。
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3台の車に分乗していざ出発することになった。我々の車はアディスアベバから一緒の日本人2人と中国人の徐さん。
車は2時間ほど走り、2日目の夜に宿泊予定のアバのゲストハウスに立ち寄った。
ダナキル砂漠ツアーは二通りの1泊2日のツアーを組み合わせて成り立っている。ツアーの目玉は沸騰している溶岩が見える「エルタ・アレ火山」と塩湖の「タロール火山」で、どちらへ先に行くかは毎日違い、出発日は毎日に設定しつつそれぞれの火山へは2日おきにツアーが催行されるようにシステム化されている。我々の出発日は先にエルタ・アレ火山へ向かうことになった。立ち寄ったアバのゲストハウスではすでにタロール火山に参加したツアー客と合流することになり一緒にエルタ・アレ火山に向かうことになる。そのツアー客にも日本人観光客が多く含まれていた。
このツアーはテレビ番組の「クレイジージャーニー」の影響で日本人の参加率は高い。 -
途中アサイタの火曜市が開かれていた。火曜市はアファール族の集う市場で野菜やスパイスなどの食品、椰子の葉でつくったゴザなどが売られているらしい。
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エルタ・アレ火山へ向かう砂漠地帯は海抜0mに近く日中はかなり暑くなる。でも今は冬に当たる1月なのでまだましなようだ。夏は灼熱の地になり、まさに世界一過酷なツアーという名が現実のものになる。
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昼食を食べることになった。食事は欧米人向けに調理されているので困ることはない。
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舗装道路を外れ、砂地をしばらく走ることになる。
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砂地を滑るように走るランドクルーザーはその名の通り大地をクルージングしている感覚だ。この車はこのような過酷な環境下でその性能を最大限に発揮することができる。
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車は定期的に休憩して遅い車を待つ。
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やがて今夜登るエルタ・アレ火山が見えてきた。山頂からは噴煙が上がっている。砂地から溶岩地帯へ入り、かなりの悪路を11キロ走る。道なき道を行くとはまさにこの事でここでもランドクルーザーの性能を最大限発揮できる。
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やがて車は登山基地に到着した。とはいえエルタ・アレ火山へはまだまだ先という場所だ。
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エルタ・アレ火山の標高は613mで火口まではここから10キロあるらしい。車はここまででここから徒歩となる。日が暮れるまでここで休憩することになる。
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出発前の食事。
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日が暮れると闇の中、火山の方角には溶岩の赤い光が見えた。今夜の目標はあそこになる。出発前のガイドに説明を受ける。
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暗闇の中、4時間近くひたすら歩いて火口に到着した。
しかし下から見えていた眺めと同じだ。噴火口の縁まで登り切ったが、そこには沸騰する溶岩は見られなかった。懐中電灯の光を当てるとすでに硬くなった溶岩原が広がっているだけで光はなかった。
がっかりだ。暗闇の中それを見るためだけにがんばって登ってきたのに一気に力が抜けてしまった。欧米人旅行者たちは大ブーイングだ。でも見られないものは仕方ないが少し説明がほしかった。
今回の旅の最大の目的はスーダン訪問とエチオピアのこの火山だったので無念としか言いようがない。
今夜は火口近くの集落で一夜を過ごすことになる。屋根はなく、夜空の下にマットレスと寝袋を引いて寝ることになる。疲れているのでけっこう熟睡できた。 -
【1月25日(水)】
6時前に起床。朝焼けを見るために再び噴火口を見に行った。しかし溶岩のない火口は何の面白みもなく、疲れるだけでむなしいだけだ。そのまま下山だ。 -
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太陽が昇る前に下山しないと気温が上がるのでとんでもないことになる。
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9時過ぎには登山基地に到着。ここで朝食を食べることになった。
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昨日の悪路を戻ることになる。
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昨日通った悪路を脱して快適な舗装道路に出た。
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砂漠地帯は標高が海面下なので日中は半端な暑さではない。しばらくして走り、アフデラに到着した。アフデラの湖岸にたくさんの塩田が作られ、パイプで湖水を引いて天日にさらします。
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アフデラ湖は死海に匹敵する塩分濃度の高い塩湖だ。
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アフデラ湖は死海に匹敵する塩分濃度の高い塩湖だ。
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ということで水に入ってみた。
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塩湖のほとりには温泉が湧いていてこちらは塩分濃度は低く、砂と汗を落としリフレッシュできた。
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アフデラの食堂で昼食を食べ、今日までのツアー客とはここでお別れとなった。
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夕方宿泊先のアバのゲストハウスに到着した。
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アバのゲストハウス。
4日間風呂なしの過酷なツアーだと思っていたが、実際は1泊2日のツアーを二つ組み合わせた感じとなり、今夜はゲストハウスでリフレッシュできる夜になる。ゲストハウスでは水浴びもでき、青空ベッドからも開放される。カメラの充電なども可能だ。ちゃんとした夕食も提供されかなりリフレッシュできる環境だ。 -
ゲストハウス内ではエチオピアコーヒーが無料で提供される。
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中国人の除さんも楽しそうだ。
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夕食はエチオピアの主食であるインジェラも含まれていた。
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【1月26日(木)】
この日は9時過ぎの遅い出発となった。朝食も遅めだ。ツアーに参加しているが、いつもよりのんびりした行程だ。 -
出発後、しばらくは快適な舗装道路を走り高度を下げる。
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出発後、昼食のレストランで今日からスタートのグループと合流。日本人と中国人、イスラエル人など相変わらず多国籍だ。
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今日はタロール火山のあるアッサル塩湖へ向かった。海面下155mで灼熱の地だ。
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湖が近づくにつれ「塩のキャラバン」と呼ばれる塩を運ぶラクダの行進を目にする機会が増える。
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今日からは4台の車で移動する。
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午後に今夜の宿泊先であるハメデラのキャンプサイトに到着した。今夜も青空ベッドになる。ここで休憩したあと夕日を見にアッサル塩湖へとむかった。
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塩を運ぶラクダのキャラバン。
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塩の層で固まった湖底の深さはほぼゼロm。
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塩のキャラバンが日没まで続く。
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アッサル塩湖。
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塩を運ぶラクダのキャラバンを背に夕日を眺める。ウユニ湖に行ったことなかったので塩湖の夕日に感激だ。
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ハメデラのキャンプサイトに戻り、今夜はこの青空ベッドになる。日中は熱風が吹き付ける灼熱の地だが日が暮れると気温は下がるので案外快適だ。
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【1月27日(金)】
アッサル塩湖畔のハメデラのキャンプサイトでの日の出。 -
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ハメデラのキャンプサイトを出発後、アッサル塩湖を北上することになる。
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塩分濃度の高い水に浸かるランドクルーザーは塩害による劣化の速度が心配になる。
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アッサル塩湖にあった島
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浅い湖を車で走り向かった先はタロール火山だ。海面下にあるため世界一低い火山とも言われる。
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湧き出た温泉により塩と硫黄が組み合わさり独特の風景が形成されている。高さはないがいたるところに間欠泉が吹き出している。
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タロール火山。
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その後、ソルトマウンテンの絶景を眺めにむかった。まさにソルトキャニオンだ。
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ソルティーマウンテンを出発。
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油の成分が含まれた温泉へ向かった。
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これでアッサル塩湖の見所は終了だ。一路陸地へ戻ることになる。
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メケルへ戻る途中、滝で水浴びできることになった。
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昼食を取って終了。昨日合流したツアー参加者は明日沸騰する溶岩を見られないエルタ・アレ火山に向かうことになる。期待に胸膨らませレいるのだろうが、さぞガッカリすることだろう。
それにしてもダナキル砂漠周辺の道路はかなり整備状態が良く、エチオピアの他の幹線道路より路面状態がいいのはどういうことか。敵対するエリトリアに隣接することから防衛上インフラ整備が確立されているのだろうか。グーグルマップに載っていない2車線の舗装道路が張り巡らされている。なので火山への悪路以外は予想以上に快適なツアーだった。冬季に参加する分には全く世界一過酷なツアーとは感じなかった。そして全くシャワー無しとうわけではなく、温泉も有り滝での水浴びもあった。
でも最大の目的だった沸騰する溶岩を見られなかったのは無念でしかない。もし沸騰する溶岩が復活したとしてもまたここを訪問するのは難しいだろう。
16時前にツアー一行はETTの事務所が入るミラノホテルに到着した。運転手のプラハムとはお別れだ。ツアー参加者たちとはここで解散となるが同行した日本人はもう2泊メケルに滞在する。なので僕も今夜だけは同じ宿に泊まることになる。中国人は明日ラリベラへ行くらしいので手続きのためしばらくオフィスに残ることになった。
僕は明日のアディスアベバへの航空券が欲しいので航空会社の事務所へ連れて行ってもらう事になる。とりあえず宿はLKペンションということで車で送ってもらい、荷物を置いてエチオピア航空の事務所へ向かった。 -
メケレの新市街と思われるオフィス街にエチオピア航空のオフィスはあり、中は長蛇の列ができていた。30人位並んでいる。30分ほどでほどなく自分の番は回ってきた。明日のアディスアベバ行きはあるのか。ETTのスタッフの情報によるとアディスアベバまで80ドルだと思っていたので空席があるかという心配ばかりしていた。しかし問題は席ではなく値段が200ドルだと言われたことだった。金出せばいつでも席はあるようだ。しかしさすがに200ドルは無理だ。飛行機で帰るのは断念して明日のバスで戻ることにした。
その前にエチオピア航空の前に電話局があり、ここでスマホのSIMカードを購入することにした。ここも長蛇の列で30分ほど待たされたが列の進みは案外早かった。SIMカードを購入したが、設定は街中の電話屋でやらなくてはならないようだ。まずSIMカードをマイクロシムのサイズにカットしてもらわなくてはならない。電話屋は近くにはなく、トゥクトゥクで向かうことになった。
携帯屋が並ぶ一角に到着。もはや自分の場所は把握できていない。携帯屋でカットしてもらうのに30ブル(150円)取られた。その後設定は別の店に案内され、相当手こずったが何とかネット接続が可能になった。あまりにも手こずるので半ばあきらめかけていたが、無事接続できWi-Fiでは接続できなかったフェイスブックなどにも接続が可能になったので残りのエチオピア滞在は有意義に滞在できそうだ。ちなみに設定の手数料は70ブル(350円)取られたが、ネットが使えるようになったことを考えると安いものだ。
アディスアベバへ飛行機での移動は完全にあきらめたのでバスを予約しに再びETTが入るミラノホテルに戻った。そして飛行機が高かったと文句をいい、明日のバスを予約しようとしたら明日の予約はできないので明日の朝バス乗り場でキャンセル待ちをしてもらう事になると言われた。そのとき中国人の徐さんが現れた。どうやら明日のラリベラ行きはラリベラからアディスアベバの航空券が予約が取れてないとわかり、ラリベラ行きを断念して明日のアディスアベバ行きのバスをキャンセル待ちすることになったらしい。全くいい加減な国だとあきれつつ僕も同じバスに同行することにした。とりあえず中国人の徐さんはミラノホテルに滞在するということで一緒にETTの車でバス乗り場の確認だけすることになった。明日朝4時に僕は歩いて乗り場に向かうことになる。
今回は砂漠でシャワーを浴びずにどのくらい我慢できるか限界への挑戦だったが、実際は水をかぶったり、温泉があったり川で泳いだり、所々リフレッシュできるポイントがあったのでそれほど過酷なツアーでもなかった。でも久々のホットシャワーは爽快だ。 -
夕食はダナキルで一緒だった日本人と最後の晩餐ということでインジェラを食べに向かった。
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携帯の件でたらい回しになったときメケルの街を動き回ったが、かなり広く活気があり、街の中心は石畳になっていてハイソな感じの街なのでこのまま移動してしまうのはもったいない。明日バスに乗れなくてもいいかなと思ったりする。
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【1月28日(土)】
朝4時前にチェックアウトして徒歩でセーラムバスの乗り場に向かった。4時過ぎにバス会社の事務所が営業を開始してキャンセル待ちしたいまでを伝えた。4時過ぎに中国人も到着して同じくキャンセル待ちをすることになる。結果として問題なくアディスアベバへ出発できることになった。アディス行きのバスは数台有り、バスは5時に一斉に出発した。
座席は最後尾だ。あまり気分のいい席ではないが、走り始めてしばらくしてからもらったパンを食べた後、急に体調が悪くなってきた。車酔いにしては良いが酷い気がする。最後尾の座席から最前列に行って深呼吸したが、いっこうに治る気配はない。結局そのまま吐いてしまった。吐いたあとも気分は優れない。酔い止めとバファリンを飲んで何とか体調は安定した。昨日のインジェラはちゃんと消化されていたし、吐いたのはパンのみだ。パンが良くなかったに違いない。でも同じものを食べた中国人や他のエチオピア人は何ともないというのが腑に落ちない。 -
途中の町。バス移動はほとんど休憩なしだ。
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昼食休憩でバスは停車。しかし昼食は食べられず夕方まで運転席の横の床に座り、気分を安定させるようにした。
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アディスアベバには夜8時前に到着した。マスケス広場に到着。それにしてもずっと走り続け休憩の少ないバスだった。
バスを降りてピアッサの宿に向かいたい。しかし急に腹が減ってきた。ミニバスを探そうとした横に中華料理屋を見つけたので入ることにした。 -
体調が万全でないのでインジェラは無理だし、パスタやハンバーガーは食べる気になれない。やはり米を食べたい。エチオピアではあまり見かけない鶏肉のチャーハンを注文してみた。一人では量が多かったので半分持ち帰ることにした。
中華料理屋の前でピアッサ行きのミニバスを待ったがなかなか捕まらない。本数が少ない上、すべてが満員だ。降りる人がいるときにうまく乗り込みたいがうまくいかない。そんな中やっと見つけたミニバスに100ブルだと他の乗客がいる前でふっかけられた。確かにタクシーで行けば100ブル以上なのだが、あまりにもストレートなぼったくりに呆然としてしまったが、ふざけるなと思い車内に乗り込んで5ブルを押しつけた。それ以上は何も言ってこなかったのでエジプト人のように根性はそれほど腐ってないようだ。
そんなわけでピアッサに到着したのは9時前だ。土曜日の夜ということで飲み屋街が集まるピアッサは活気がある。そんな中バロホテルに向かった。
バロホテルに戻るとホッとする。エチオピアで一番安心する場所だ。遅い時間だったので部屋は安いタイプはなかったが、空いていただけましだ。たまには高めの部屋もいいだろう。安い部屋(230ブル/1150円)は窮屈すぎる。今回初めて高い部屋(370ブル/1850円)に泊まることにしたがシャワーは使いやすいし、トイレのおしり洗浄も付いている。テレビも付いていた(見ないけど)。かなり快適だ。
今回の旅は事実上これで終了だ。明日の深夜発のサウジアラビア航空のイスタンブール行き航空券をスカイスキャナーで予約した。明日日曜日がエチオピア最後の滞在となる。 -
【1月29日(日)】
日曜日。遅めの朝にクロワッサンとカフェマキュアートを注文。 -
エチオピアコーヒーをたしなむ。
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昔から変わらないピアッサの町並み。
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エチオピア人の女の子
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宿に戻り、ネット、洗濯、部屋を安いタイプに移動。今日の深夜チェックアウトすることになる。日中はとくにすることもなくのんびりしたい。
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昼食もバロホテルで食べることにした。卵チャーハンの味は悪くない。部屋で帰国のためのリフレッシュだ。
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近くのファーストフード店でフルーツのシェイクが層になったジュースを注文。
夜9時に出発することにした。いちおうピアッサのミニバス乗り場に行ってみたが真っ暗で人気がなくミニバスが発着している気配はない。いくらエチオピアとはいえ危険な雰囲気なので乗り場には行けず、周辺にいたタクシーで空港へ向かった。
空港に着いたもののまだ5時間ある。空港のターミナルは無駄に大きく立派だが、中にはろくなカフェしかない。2階に上がりチェックインが始まるまで床で横になることにした。
【1月30日(月)】
3時間前の深夜1時にチェックインカウンターへ向かった。イスタンブールから先の航空券はあるのかと聞かれたが、あまり強く追求されなかった。今回はイスタンブールから先の航空券を持っているが、できればないことを前提に立ち向かいたい。 -
イスタンブールへはサウジアラビア航空でリヤドを経由する。なかなか利用する機会がない航空会社だ。東アフリカではなぜか格安料金で利用でき、サービスもエミレーツ航空並みに良い会社だ。ハブ空港がサウジアラビアということで日本人にはなじみのない航空会社になっている。
ローカル路線のアディスアベバにもワイドボディーのA330が就航している。にもかかわらず乗客は30人もいない感じだ。噂通りガラガラだ。当然のごとく真ん中の4列席を独占して横になる感じになる。乗務員はフィリピン人や他のアラブ諸国出身で固められているようだ。
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