2020/07/22 - 2020/07/23
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杏仁豆腐さん
新型コロナウイルスでいろいろなことが制限されている日常。雨が降る日が続く7月。
気分も塞ぎがちです。
一か月以上前に予約した湯西川温泉の本家伴久。
その時は、新型コロナてウイルスの感染者がこれほど増加するとは思ってはひるいませんでした。
でも、観光地の人々への応援の気持ちも含めて、湯西川への旅を実施しました。
22日の朝、車で家を出て、空いている東北自動車道、日う光宇都宮道路を走り、日光東照宮へ。
平成の大修理が、平成25年6月1日に始まり、平成31年3月31日に終了。修復後、初めての日光東照宮です。
人も少なく、ゆっくり見ることができました。
昼は、日光金谷ホテルで、百年ライスカレーをいただきました。こちらもランチタイムでもガラガラです。
日光から湯西川温泉へ。
15時に本家伴久に到着。ゆっくり過ごすことができました。
大浴場に3回行きましたが、すべて私一人でした。まったく密はなく、開放感あふれる露天風呂は最高でした。
☆後半の旅行記はこちら
7月の湯西川温泉 本家伴久②☆平家の里☆湯西川水の郷 大吊橋☆日光珈琲 玉藻小路☆2020/07/23
https://4travel.jp/travelogue/11637456
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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輪王寺の駐車場に車を停め、そこから歩きました。
輪王寺黒門です。日光山輪王寺の表門。通称、黒門。
皇族を門主と仰ぐ門跡寺の格式を示す門。
江戸時代のはじめ、家康公を日光にまつった天海大僧正が創建。やがて後水尾天皇皇子の守澄法親王宮が入山ののち、本坊の表御門となりました。明治4年、本坊が焼失したとき、唯一焼け残った建物です。黒門は三間一戸潜り戸付き薬医門で切妻、銅瓦葺き、国指定重要文化財に指定されています。 -
参道を歩き、東照宮へ。
空いている参道です。 -
石鳥居が見えてきました。
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石鳥居【重文】
鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納されました。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれました。 -
五重塔【重文】
慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されました。 -
東照宮五重塔初層内部が公開されています。
300円で記念クリアファイル付きです。 -
五重塔が注目されたのは、スカイツリー建設の際に五重塔の心柱構造を参考にした「心柱制振」と呼ばれる地震緩和システムが導入されたためです。
五重塔は昔から地震に強い建造物と言われており、東照宮の五重塔も幾つかの大地震に遭いながら健在です。 -
五重塔の第一層の蟇股には東西南北の4面に12支の動物の全ての彫刻があります。
東側(正面)の動物の彫刻:虎、兎、龍(徳川三代将軍・家康、秀忠、家光の干支に対応)
南側の動物の彫刻:蛇、馬、羊
西側の動物の彫刻:猿、鶏、犬
北側の動物の彫刻:猪、鼠、牛
係りの人が丁寧に説明してくれました。 -
心柱は懸垂式で、基礎石には据えられず、四重層から吊り下げられて浮いています。
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その様子を隙間から見ることができます。
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五重塔は、1層から4層までの垂木は並行な和様「並行垂木」で造らています。
5層目だけ禅宗様(唐様)で、扇のような放射状の骨組み「扇垂木」になっています。 -
石段を上ると表門があります。
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表門【重文】
東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれています。
三間一戸の八脚門で門の左右の柵の内部には阿吽の形相が迫力ある仁王像が睨みを利かせています。 -
表門を正面にして、左側には吽形像。
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右側には阿形像。
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三神庫(さんじんこ)【重文】
上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。
上神庫です。
上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。 -
中神庫
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下神庫
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高野槇
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「悠仁親王殿下御誕生を祝福し、お健やかなご成長を心からお祈り申し上げます。
悠仁親王殿下のお印は「高野槇」と定められましたがこの高野槇は三代将軍徳川家光公がお手植えになられたもので、樹齢370年、目通り直径1.5m高さ38mに及んでいます。
高野槇は日本固有の温暖性常緑針葉樹で、日光のような寒冷地で大木に成長することは極めて稀であり植物学上貴重な存在です。
(栃木名木百選)
平成18年9月12日 日光東照宮」 -
神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)【重文】
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。 -
1面 赤子の時期
母猿が手をかざして子猿の将来を見ています。幼いころ小猿たちは、「悪いものは見ない聞かない言わない」と母猿から教えられます。 -
2面 幼少期
「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の教えです。物心のつく幼少期には、悪いことを見たり、言ったり、聞いたりしないで、良いものだけを受け入れます。 -
3面 青年期
一匹の猿が座ったまま将来を見つめています。自力で独り立ちしようとする姿です。 -
4面 青年期
天を仰ぎ見る二匹の猿。
右端に掘られた青い雲は「青雲の志」を暗示しているそうです。 -
5面 大人の時期(挫折と慰め)
崖下を覗き込む猿とその猿を慰める猿、崖っぷちを飛び越えようとする猿。
挫折を味わう猿、そしてそれを励ます猿を意味しているそうです。 -
6面 大人の時期(恋に悩む)
あぐらをかいて思い悩む猿とその横で木の枝にぶらさがっている猿。恋愛の悩ましい様子でしょうか。 -
7面 大人の時期(夫婦で乗り越える荒波)
結婚して仲むつまじい2匹の猿。目の前には人生の荒波を暗示する波が横たわっています。 -
8面 大人の時期(お腹の大きい猿)
妊娠してお腹が大きくなった一匹の猿。子供が生まれると、また1面に戻るという流れです。
いつもなら、団体客などで人がたくさんいますが、ゆっくりと見ることができました。 -
御水舎(おみずや)【重文】
御水屋は寛永12年(1635)に建てられた、唐破風屋根、銅瓦葺きの建物です。
手水鉢は元和4年(1618)に九州鍋島藩主が初代将軍徳川家康3回忌に奉納したもので、滝尾神社付近から水を引き神庫裏の石垣から落ちる水の圧力で水が噴き上がる仕組みになっています。 -
とても豪華な造りです。
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輪蔵
寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、宝形造り、銅瓦葺き、裳階付きです(宝形重層造り)。 -
附(つけたり)・銅燈籠
廻転灯籠。寛永20年(1643年)、オランダ国(オランダ商館)からの奉納です。灯籠上部に取り付けられた葵の紋が上下逆さであることから「逆紋の廻り灯籠」と称されています。 -
さて、いよいよ陽明門です。
寛永12年(1635)に建てられもので、三間一戸、八脚楼門、入母屋、四方軒唐破風、銅瓦葺きの楼門建築です。
陽明門の名称の由来は京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と呼ばれているところから授かったとされ、正面唐破風下には元和3年(1617)に後陽成天皇から賜った「東照宮大権現」の額が掲げられています。 -
彫刻の数は508体にのぼり、軒下には金と極彩色に彩られた麒麟、その下には白色の竜、さらに下が子供達の透かし彫りが施されています。1層目には獅子や子供達が彫り込まれ、1日中見てても飽きない事から"日暮門"の別称があります。
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故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。
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陽明門を守っている髄身像。
髄身とは平安時代以降の武装をした格好の人形を意味し、陽明門は髄身像に守られる「髄身門」です。髄身像は一般的に「左大臣」、「右大臣」と呼ばれます。髄身像も仁王像と同じく、神に仕え、守護する役割を担っているどそうです。 -
髄身像
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廻廊。
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には国内最大級の花鳥風月を表す彫刻が飾られています。 -
陽明門の門内部の天井には狩野探幽作の昇り龍と降り龍が描かれています。
降龍「四方睨みの龍」 -
昇龍「八方睨みの龍」
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狛犬。
滋賀県の大宝神社が所蔵する国宝(現在は重文)の狛犬を模して、大正5年に製作したものです。 -
陽明門の一対にはどちらにも狛犬の特徴である角が付いていないので、両方唐獅子という珍しいものです。
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陽明門を通り抜けると、唐門。
全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされています。
陽明門、回廊、唐門はすべて国宝。ありがたや~。 -
間口3m、奥行き2m。東照宮でもっとも重要な御本社の正門。御本社と同じ寛永13年(1636年)の築で、屋根の吹き替え以外は往時のままです。
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屋根の上(破風の頂)には霊獣の恙(つつが:唐獅子の一種)が配されています。
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神輿舎(しんよしゃ)【重文】
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められています。 -
内部には千人行列で渡御する徳川家康、豊臣秀吉、源頼朝を祭った神輿が安置されています。
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一本燈籠
東福門院(秀忠の娘で後水尾天皇の中宮)が奉納。 -
神楽殿
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眠り猫の案内があります。
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坂下門・廻廊(眠り猫)
坂下門は元和4年(1608)に建てられた一間一戸、銅瓦葺き、八脚平唐門で、この奥が初代将軍徳川家康が眠る奥宮に続いていた為、普段は閉められ将軍参詣の折しか開く事がなかった事から「開かずの門」とも呼ばれていました。
奥宮へ続く欄間には有名な"眠り猫"と"雀"の彫刻が彫り込まれています。彫刻は名工左甚五郎で彫刻の由来は平和を象徴し、天敵である猫が居眠りをして雀が踊っている姿を表現しています。 -
こちらは雀。
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階段を二百段上って、奥の院へ。
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人が少ない、奥の院への道。
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苔もきれいです。
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奥社参道を歩いていると、有難いお言葉!
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奥社の境内入口です。
入口に建つ鳥居は唐銅鳥居です。天和3年(1683)、石鳥居を改めて唐銅鳥居を建てたもの。御神号勅額は後水尾天皇の直筆です。 -
奥社銅神庫
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寛永13年(1636)建立の関東最古の参道狛犬
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奥社拝殿
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鋳抜門
扉を除いて、柱や梁などをひとつの鋳型でつくったことから、「鋳型で射抜く」ことから鋳抜門と呼ばれています。 -
家康公の神柩「奥社宝塔」
一回も開けたことがないそうです。 -
塔の前には鶴の燭台、唐獅子の香炉、花瓶が配されています。
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叶杉(かのうすぎ)
根本の祠のところでお願いをすると、願い事が叶うと言われています。 -
宝塔の周りを一周しました。
鋳抜門の前にはブロンズ製の狛犬。 -
石段を下ります。
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眠り猫の所に戻ってきました。
この後、本殿でお参りをしました。本殿内部では撮影禁止です。 -
陽明門を出て、右手にあるのが本地堂(薬師寺)。
本地堂の天井は「鳴竜」と呼ばれています。
34枚のヒノキ板に描かれているたて6m横15mものの竜の絵が「日光の鳴竜」です。
竜の頭の下で拍子木を打つと「キーン」という音が反響して、竜が鳴いているように聞こえます。
他の場所で拍子木を鳴らしても反響しません。
堂内は撮影禁止です。 -
東照宮から歩いて日光金谷ホテルに向かいます。
神橋です。
神橋は、二荒山(男体山)をご神体としてまつる二荒山神社の建造物で、日光山内の入り口にかかる木造朱塗りの美しい橋です。 -
時折、小雨が降る中、幻想的な景色となっています。
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とてもきれいな風景です。
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日光金谷ホテルに着きました。
こちらでランチです。 -
1873年(明治6年)、東照宮の楽師をしていた金谷善一郎が、ヘボン式ローマ字綴りを考案したアメリカ人、J.C.ヘップバーン(ヘボン)博士の知遇を得て、自宅の一部を外国人の方の宿泊施設とした「金谷カッテージ・イン」を開業したと伝えられています。これが「金谷ホテル」の始まりです。
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百年ライスカレーはクラフトラウンジでいただくのですが、現在は営業していません。
メインダイニングルームでいただけます。
明治時代のホテルロビーが、昭和11年の改装時に現在のメインダイニングルームとして生まれ変わりました。 柱頭彫刻や「迦陵頻伽(かりょうびんが)」など古くは明治時代の装飾品が飾られています。 -
まずは、アイスコーヒーで一息です。
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百年ライスカレーです。
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ビーフです。
とても柔らかなビーフ。
食べやすい辛さのカレーです。後からスパイスの辛さがじわっと来ます。 -
妻が食べたのは、鴨。
上質な鴨肉です。
いつもなら、ランチの客がかなりいるのですが、ガラガラでした。 -
広い空間で、歴史を感じながらカレーをいただきました。
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ランチの後は、日光金谷ホテル内を見学しました。
廊下に貴重な写真が飾ってあります。 -
佐藤栄作
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庭園をのぞむロビー
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ヘボン
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吉田茂
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日光金谷ホテルを出ると、石像・不動明王立像・護摩檀・祠がありました。
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神橋の近くにある、。日光のおいしい水 磐裂霊水(いわさくれいすい)
1,200余年前日光開山の祖勝道上人がこの地に清水を発見し、以来修験者が神仏に供えた霊水と伝えられます。 -
天海大僧正の銅像
天海大僧正(慈眼大師)とは 徳川家康公、秀忠公、 家光公の3将軍に仕え日光山第53世貫主を務め、一時衰えた日光山を 立て直しました。その大きな功績は日光再興の恩人と今に伝えられています。 -
本宮神社を通って、駐車場に戻ります。
本宮神社は日光二荒山神社の別宮で、御祭神は大国主命の御子神・味耜高彦根命を祀ります。 -
笈掛石(おいかけいし)
勝道上人が笈を立て掛けて休息したと伝えられます。
笈は「老い」と同音であることから、「老いを掛ける」ことに繋がり、若返ると言われており、別名 若返りの石とも呼ばれています。 -
開運 望み石
勝道上人は15年の歳月をかけ、本宮の地より二荒山の男体山の頂上を極め、世の為、人の為に一生を捧げたと伝えられます。
その一部であるこの場所は開運の地と言われています。平和を願って1つだけ石を積み、思いを込めてお参りすると、運が開けると言われています。
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運試しのたま入れ
三つ投げて
一つ入れば運気普通
二つ入れば運気良好
三つ入れば運気最高
一つでした。 -
拝殿
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こぶ杉
この杉のこぶをなでると
喜びが廻ってくると言われています。
喜ぶ杉をなでて運を開いて下さい。 -
本殿
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本殿の扉前に開運石が置いてあります。
開運祈願木(手前にある木の棒)で開運石を軽く3回たたき、その後、定位置から祈念を込めて左右のどちらかに動かします。
右に進むと金運や幸運、左に進むと健康や良縁への運が開けるそうです。
本宮神社には開運スポットがたくさんあります。 -
三重塔
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紫雲石
勝道上人は、大谷川北岸に庵を結びました(現在の「唯心院」の場所です)。「唯心院」の境内に現在も残る「礼拝石」で勝道上人が一心に念誦していると、東の方に紫の雲が立ち上るのが見えました。その紫雲が立ち上った場所が紫雲石です。 -
駐車場に向かう手前に雰囲気のある風景。
車で湯西川温泉に向かいました。
途中、鬼怒川あたりで激しい雨でしたが、湯西川温泉では晴れていました。 -
本家伴久に到着しました。
ちょうど15時です。
風情のある宿で、歴史を感じます。 -
「いらせられませ」の迎え太鼓で歓迎されます。
江戸初期創業以来のおもてなしだそうです。
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