2020/04/25 - 2020/04/25
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この旅行記のスケジュール
2020/04/25
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大船渡の渡し跡
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大船渡ダム
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境橋
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奥飛騨酒造
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筋骨めぐり
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筋骨めぐり
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筋骨めぐり
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筋骨めぐり
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城造り建築
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筋骨めぐり
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筋骨めぐり
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昭和の銭湯
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筋骨めぐり
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鎮守山
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昭和町バス停
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筋骨めぐり
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金山橋
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この旅行記スケジュールを元に
迷路のような細い路地裏が絡み合った公道を飛騨地方では「筋骨」と呼ぶ。
「筋(すじ)」や「骨(ほね)」が絡み合う人間の身体に例えて「筋骨」と呼ばれている。
飛騨街道金山宿はレトロな町並みが残り、街道沿いの路地裏のような幅の狭い道を入ると、「筋骨」と呼ばれる公道が迷路のように続く。
私有地としか思えない軒先の道幅の狭い迷路のような道筋は方向感覚を失い、心が弾む面白い場所だった。
飛騨金山駅で配布されていた"筋骨めぐり"の地図は必需品。イラスト風に詳しく書かれた地図が無ければ筋骨は歩けない。
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飛騨金山駅下車。
二面三線の駅構内の広い駅。
飛騨金山駅は、飛騨街道金山宿として栄えた町の駅で、迷路のようにはりめぐらされた細い路地裏を巡る「筋骨めぐり」は面白く、何気なく途中下車した駅は想定外の楽しいローカル駅であった。 -
駅の棚に配置されていた、
「筋骨めぐり」のマップ(表面)。 -
「筋骨めぐり」のマップ(裏面)。
このマップは必需品。 -
飛騨金山駅。
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飛騨金山駅。
駅前の観光案内板。この観光案内板には「筋骨めぐり」の表示がない。 -
飛騨金山駅。
ギフチョウ発見の地と加藤素毛の案内板。 -
駅から直線に進み飛騨川に向かう。
大船渡の渡し跡へ。 -
大船渡の渡し跡へ。
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大船渡の渡し跡。
1928年に鉄道が開通し、飛騨川と馬瀬川の合流点に金山橋が架けられる。それまでは駅側の飛騨から対岸の美濃へ行くには、渡し場から船で川を渡っていた。
(川向こうが美濃)。 -
大船渡の渡し跡付近の幅の狭い道。
加藤素毛記念館に向かう。 -
加藤素毛記念館への道のり。
大船渡ダム。飛騨川を渡る。 -
加藤素毛記念館への道のり。
大船渡ダム。 -
加藤素毛記念館への道のり。
先勝隊調練場跡。 -
加藤素毛記念館への道のり。
大船渡ダム。 -
加藤素毛記念館。
飛騨金山駅より飛騨川沿いを徒歩15分程。 -
加藤素毛記念館「霊芝庵」。
加藤素毛は、1860年日米修好通商条約批准のため遣米使節団随行員77人の内の一人。日本で世界一周を果たした一行の一人。
開館時間:3月~11月の1日と15日の10:00~15:00のみ
*開館日以外は電話による確認、管理担当者が近くにいれば開けてもらえる
入館料:無料
主に、欧米使節団の記録の遺品が展示されている。
幕末期のひとつの歴史を知ることができる。 -
金山宿「筋骨めぐり」に向かう道のり。
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金山宿「筋骨めぐり」に向かう道のり。
馬瀬川に架かる境橋。
飛騨と美濃の境(飛騨側より。川を渡ると美濃金山宿)。 -
金山宿「筋骨めぐり」に向かう道のり。
境橋より。小さな社は子守地蔵尊、ここは伊能忠敬の飛騨測量はじめ点。 -
金山宿に入る。
飛騨街道沿いの奥飛騨酒造。 -
「筋骨めぐり」スタート。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
スタート地点方向を振る帰る。 -
「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
左手は住居玄関への私有地の階段。 -
「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
今歩いて来た「筋骨」を振り返る。 -
「筋骨めぐり」の道のり。
新たな「筋骨」へ。 -
「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
軒先の道も「筋骨」、公道です。 -
「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
飛騨街道沿いの城造り建築。
街道沿いの金山宿の町並みは当時とは異なるが、昭和のレトロ感満載の雰囲気が残っていた。 -
城造り建築「清水楼」。
明治初期に建てられた通し柱のない木造3階建てのお城造り。1990年代後半までうなぎ屋を営業。 -
飛騨街道。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
建物の下を潜ります。 -
「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
共同の洗い場。 -
「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
昭和の銭湯。
1988年まで営業していた銭湯。湯船の底には明治に作られた陶器質"本義タイル"が使用さられている。 -
昭和の銭湯。番台。
男湯は開放されていて見学自由。 -
昭和の銭湯。
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昭和の銭湯。
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昭和の銭湯。
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昭和の銭湯。
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昭和の銭湯。
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昭和の銭湯。
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「筋骨めぐり」の道のり。
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「筋骨めぐり」の道のり。
鎮守山へ上る。 -
鎮守山。観音堂。
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鎮守山。
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鎮守山。
両面すくな像。
両面宿難(すくな)伝説:日本書紀の記述によると、仁徳天皇の時代(5世紀頃)、飛騨の国に両面宿難という人物がいたという。
両面宿難は、一体に、顔が両面あり、4本の手で弓矢を自在に使い分け、すばやさがあり、力強い人物で飛騨の住民を苦しめていた。
大和朝廷は両面宿難を征伐するため、難波根子武振熊を派遣し、成敗する。
両面宿難は道中鎮守山に一時駐留し、難波根子武振熊は官道の所々に応神天皇の斎場をもうけ勝利祈願した。
一方、飛騨や美濃の伝説に登場する両面宿難は、寺院を造ったり、里人を苦しめる龍を退治したした英雄とされている。飛騨金山の「鎮守山」でも皆が平和で安全な暮らしができるように、国家安全・五穀豊穣を祈願し、37日間お経を唱えたと言われている。 -
鎮守山からの、金山宿の眺め。
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「筋骨めぐり」の道のり。
昭和町バス停。 -
「筋骨めぐり」の道のり、最後の風景。
こちょこちょの木。
国道41号に出ると、ドライブイン飛山がある。 -
駅に戻る道のり。
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駅に戻る道のり。
飛騨川と馬瀬川の合流点に架かる金山橋。 -
駅に戻る道のり。
金山橋より、左が馬瀬川と境橋。右が飛騨川。 -
飛騨金山駅に戻る。
美濃路と飛騨路の境目の駅。 -
飛騨金山駅。駅舎。
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飛騨金山駅。岐阜方向。
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飛騨金山駅。岐阜方向。
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飛騨金山駅。下呂方向。
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飛騨金山駅。下呂方向。
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